政治 - みる会図書館


検索対象: 風塵抄 2
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1. 風塵抄 2

集団の利害など二律背反するエネルギーが入っているのである。その当事者は神の代理者 にも悪魔の代理者にもなれる。 ことばからして、おそろしい 英語の辞書をひくと、政治にはいくつかのことばがあるようで、ふつうポリティクスで ある。 もとの言葉はいうまでもなくボリティックで、「賢明な」という意味と、「ずるい」とい う意味をあわせ持っている。 だから、ポリティクス ( 政治 ) という単語はリンカーンの有名な「人民の、人民による、 人民のための政治」というたかだかとした理念をのべる場合には使いにくいらしく、この 場合の政冶は、ガヴァメントになる。もしポリティクスという単語を使えば、せつかくの 名句も「派閥感情の、派閥感情による、派閥感情のための政治」という意味にもなりかね 相 一目よ、 0 国 本 日 近代日本の政治史上の大人物のひとりに伊藤博文 ( 一八四一 ~ 一九〇九 ) がいる。

2. 風塵抄 2

ぎおんしようじゃ ここそ祗園精舎だとおもったらしい が、この祗園精舎の国も、自分で自分を統治することは上手でないようである。政治上 手の国民の第一能力は、″統治されることが上手〃ということなのである。 政治はーー老荘の思想がそうだがーー政治の過剰ということがよくない。 ただ、世界史に″政治の過剰〃という例はあまりなく、その例は近現代に集中している。 ナチズム、スターリン主義。 さらには毛沢東主義である。 このうとましいほどに子供っぽい政治の過剰は、この国に深刻な惨禍をのこしただけで なく、カン、ボジアにまで輸出された。 ポル・ポト派である。カンボジア共産党書記長ポル・ポト氏は一九七七年、″われわれ は毛沢東主義をモデルとした独自の共産党である〃という途方もない言明をした。 毛語録の″農村は都市を包囲せよ〃のいうとおりに、 一九七五年、首都プノンペンを制

3. 風塵抄 2

政治についてである。 このことばは、明治になってできた。 明治初年、西洋語の対訳語として造られたのである ( 幕末、政事ということばはあった ) 。 それ以前、庶民のことばとして、 かみごせいどう 「お上の御政道」 という江戸語があった。 御政道では、政治ということばがもつ、けだかさや悪さは収容しきれない。 政治は、一つの単語のなかに崇高と醜悪、あるいは権力と民意、または国家の理念と小 -6 日本国首相

4. 風塵抄 2

どれだけのスペースがあるか、という企画をや「てからすべきではないか。ひょっとする と、靴の裏だけのスペースかもしれないのである。 日本国首相を、もし感情群という満員電車に押しこみ、やっと吊り革にぶらさがってい る状態に追いこむようなことになればーーっまり首相演技だけをさせるなら さ去」にふ れてきた政治のいかなる定義にもあてはまらなくなり、 政治は一種の遊戯になる。 たの これでは、崇高であるべき政治が、五十以上の男の最後の愉しみという医学的課題にな ってしまうのである。 神よ、日本国首相に自由を与え給え。 ( 一九九一〈平成三〉年十一月四日 )

5. 風塵抄 2

たれがいったのか、政治は感情である、という有名なことばがある。この場合の政治と は、ポリティシャンとしての政治である。電圧はむろん低い 戦後憲法では、戦前のような「大命降下」ではなく、国会議員から首相がえらばれるの だが、それだけに議員のなかには、 「あんなやつが」 という感情が当然ある。 が、ふつう抑制される。懸命に抑えられねば、感情群が数を恃み、ときに首相を左右し、 場合によっては首相の生命を断つ。あるいは国家の進路をゆがめる。 「自分たちが首相にしてやった」 というのも、感情である。 相 首「だから、勝手なまねはさせない」となると、最悪の感情になる。 本「新首相に何を望むか」 などという新聞・テレビの企画があるが、そういう企画は、まず日本国首相の足もとに たの

6. 風塵抄 2

圧することに成功した。 そのあと、じつに奇抜な″過剰〃をやった。 二百万市民のぜんぶを首都から追いだし、百万人は殺したのである。 さらに、通貨も悪であるとし、 いっさい廃止し、銀行もつぶした。 四年間、カンポジアを支配した。 毛沢東は″革命は銃口からうまれる〃とい「たが、ポル・ポト派も兵器ですべて解決し ようとした。兵器が、政治だった。それらの兵器は、中国から送られてきた。 いまはポル・ポト派も和平のテーブルについているが、国連による武装解除を拒否して 兵器こそ政治であり、思想であり、さらには自分自身だとおも「ているのかもしれない。 捨てれば、自分がタダの人になる。銃をうしなった ( イジャッカーのようにである。 雷裏返せば、兵器で国民の命をおびやかして表現せねばならない政治や思想など、その程 度のものなのである。 地

7. 風塵抄 2

「はい、次男はとなりの町の信用金庫につとめさせて頂いております」 と、べつに裏口入社でもないのに、そんな語法が近江では多用されてきた。 それが、江戸末期あたりに大阪の船場に移植されたのではないか、と私は思っている。 江戸・明治の大阪の有力な商人は、近江人が多かった。たとえば高島郡の人が大阪に出 て呉服屋として成功し、やがて百貨店高島屋へ発展する。 船場の番頭・手代には近江人が多かったから、自然″近江門徒〃ふうの語法が、頻用さ れたのではないか。 「では、あの品物は当方にひきとらせて頂きます」 となると、さきの空からすこし離れ、相手への奉仕を誓う語法になる。しかも品物を介 在して売り手と買い手が、すっきりと平等になる。 政治家が、国民から負託されて政治を代行していることは、、 商業における品物である。 両者のあいだには上下はなく、そこに機能のちがいしかない。 しうまでもない。政治は、 766

8. 風塵抄 2

いまその『日記』をながめつつ、昨今の政治と思いあわせ、今昔の政治のどこが変わっ たのか、不安にな「た。たしかにいえることは、池上も関も、尊敬されていたことである。お いくたま 関が病んだとき、平癒祈願をする市民が多かったという話が、生国魂神社に残っている。 ( 一九九四〈平成六〉年十二月五日 )

9. 風塵抄 2

「まさに、政局は対決の段階です」 よじつに生きる。「まさにこの決戦は天王山です」というふう 2 とい、つときこ、 この副詞 ( 眼前の事態が、古典的事態もしくは古典的な名句 ( たとえばまさに千載一遇 ) にびった りだ、というときに使われる。 「まさに私はハムレットの心境だ」 「まさにかれはドン・キホーテである」 羽田孜前首相が、多用した。 羽田さんは一一 = 〔語量の多い人である上に、政治的局面の劇的な頂点に立っときに、さかん に″まさに〃をつかった。 リを必要としない事態の場 その後、テレビに出演するたれかれが、べつに強調やメリハ 合でも、間投詞がわりに″まさに〃をつかって、カんでみせた。 このおかげで言葉は感染するものだということがわかった。 さ、らこ、 もうと、政治が大衆化し、政治家の口癖が感染する時代にな「たことを思わせた。 まさに愉央、とい、つべきかど、つか。 はたっとむ

10. 風塵抄 2

政治家のロぐせといえば、竹下登元首相の場合は、 しゆくしゆく 「粛々と」 らいさんよう という古風な一言葉を復活させた。あるいは頼山陽の詩からきているのかもしれない。上 むち ちくま 杉謙信の大軍が夜陰千曲川をわたる。全軍無言で、一糸みだれず、ただ鞭の音のみが粛々 にこめられているのであ ときこえる。実行ということの重みが、粛々という擬声語 ( ? ) ついでながら粛々は単に擬声語でなく、うやうやしくかしこむ、という意味も入ってい こわだか 竹下さんは、このことばを、世上の雑音にわずらわされずに必要なことを声高でなくひ たすらにやるという意味につかった。 他の政治家も、ときにつかう。 近英語を日常語としている国連の明石康さんまでが、カンボジアで、国連管理の選挙をや の ったとき、″粛々とやります〃というふうに感染していたのが、なにやらおもしろかった。 語 本これも、政治の世界では、重宝な方言なのかもしれない。 ( 一九九四〈平成六〉年十一月七日 ) 24 )