で、中でも瑞一はのである。 全銀連など主要業界団体の会長職も、瑞一叙勲の対象者となり得るが、藤田は財界活動、 業界活動とは無縁の存在だった。 「東亜銀行は、わが産業経済社の大スポンサーなんだし、治夫の就職先でもあるのよ。藤田 相談役に勲章をあげるくらい、あなた朝飯前でしよ。曽根田さんと武井さんに口を利いてあ げなさいよ」 「瑞一一なら、なんとでもしてやれるが、瑞一となるとなあ」 「なに言ってるの。絶対に瑞一じゃなくちやダメよ」 綾は右手の人差し指、中指、薬指の三本を立てて、話をつなげた。 「そのかわりに、このぐらいはいただけるのと違うかしら」 「三本か」 杉野が大きなこっくりをした。 指一本は一億円である。藤田に瑞一の叙勲を取り持っことによって、三億円はふんだくれ る、と綾は計算し、杉野もその気になった。 綾は引っ込めた右手の三本をふたたび突き出した。 「瑞一でこれなら安いものでしよ。一本は政治献金すればいいのよ」 「おまえ、いい夢を見たなあ。鈴木君から叙勲の話を聞いたとき、俺はそこまでは考えなか った。俺としたことがぬかったなあ」
留守電になっていたが、「産業経済社の杉野良治ですが : : : 」とメッセージを入れ始めた 途端に女性の声に変った。 「失礼致しました。いま主人に替ります」 「もしもし、鈴木ですが : : : 」 「杉野です。明けましておめでとうございます」 「ど , つ、も : 。この度は奥さんが : ・ : 。ご愁傷さまです。関西方面に出張してまして、お みに行けず失礼しました。四日のお葬式には、藤田、山岡ともども雁首そろえて参列させて いただきます」 山岡和夫は東亜銀行の頭取だ。 「ありがとうございます。さっそくですが、元日早々鈴枩ム長に電話したのは、藤田相談役 クの叙勲のことで話しておきたいと思ったからなんです」 ジ「藤田相談役の叙勲ですか」 プ「そうです。わたしにまかせなさい。瑞一を取ってあげますよ」 鈴木の声が里咼くなった。 「瑞一ですって」 章 一一「そう。瑞一一なんてケチなことは言いません。瑞一です。藤田さんは瑞一じゃなければ、さ まにならん。わたしなら、お役に立てると思いますよ」 「瑞一とは驚きました。瑞一一も難しいようなことを聞いてましたが」
杉野は叙勲の話を先に出すべきだった、と思いながらも、強く出た。 「筆誅を加えなければ、会長を辞めないと言い張るようなら、遠慮なくそうさせてもらう が、わたしの親心をわかってもらえませんか」 「いくら杉野先生でも、はいわかりましたとは一 = ロえませんねえ。ご批判はご批判として甘ん じてお受けしますが、正直に言わせていただくと、わたしは水野を後継者に選んだことを後 まわ 悔してます。水野はイエスマンで周りを固めてるが、こんなことではこの会社はダイナミズ ムを喪失してしまう。杉野先生、水野を排除するためにお力を貸していただくわけにはいき ませんか」 「あなたはイエスマンと言われるが、人間、誰だって好き嫌いはありますよ。水野君にその 傾向が特に強いとも思えないんですけどねえ」 東邦商事の役員応接室で、杉野は切り札になるかどうか危ぶみながら、カードを切った。 「瑞一を引退の花道に、この杉野が日本政府から取ってきてあげようじゃないですか。あな たが相談役に退いたからといって、水野君があなたを袖にするようなことは絶対にさせませ んよ」 「ずいいちって、勲章の瑞一のことですか」 「そうです。勲一等瑞宝章です」 「恐れ入ります。杉野先生はそこまでお考えくださったのですか」 突っ張っていた河島も瑞一でいちころだった。端からカードを切るんだった、とまたして
「彩野良治夫妻を励ます会〃なら文句はないだろうや。一億円は集めてみせるからな」 どうやら結婚は本気らしい、と綾は思った。 「なるほど〃励ます会〃ねえ。″囲む会〃でもいいわけでしよ。主旨は、はっきりしてるわ けだから」 杉野がおせち料理をがつがっ食べながら、訊いた。 「おまえはどんな夢みたんだ」 「あなたが、東亜銀行の鈴枩ム長と握手をしてる夢は覚えてるわ。昨夜の話でいちばん印象 に残ってたのかしら」 「ふうーん。そう言えば鈴木君が、藤田相談役が勲章を欲しがってるようなことを言ってた なあ。藤田相談役は東亜銀行一筋の人で、全銀連の会長職の経験もないから、瑞一は無理だ クろうが、瑞一一ぐらいなら、なんとかしてやれるが」 ジ藤田俊一は東亜銀行の中興の祖と言われた人物で、昨年古希を迎えたが、いまなお隠然た プる影響力をしていた。 鈴木は大学の後輩であり、鈴木を後継者に引き上げたのも藤田である。 ゴルフ好きの藤田は、杉野のゴルフ仲間でもあった。 章 一一全銀連とは全国銀行連合会の略称である。 杉野の一一 = ロう瑞一は、勲一等瑞宝章、瑞一一は勲一一等瑞宝章のことだ。 財界人が経済連など経済四団体の会長や副会長の要職に就きたがるのは、勲章欲しさから ずいいち
81 第二章叙勲プロジェクト も杉野は思ったが、瑞一の価値を改めて教えてもらったような気もした。
「山岡と相談して後日、連絡させてください」 鈴木が思い出したように湯呑みに手を伸ばした。 ぬる 温くなった緑茶をすすりながら鈴木が言った。 「当行の担は山岡が担心得を伝授しただけあって、実によくできます。これが の秘書課長の気持ちをつかんでまして、実は叙勲の話もしているようなのです。秘書 課長はどんなに頑張っても瑞一一までだと言ってるようですが、担の動きは止めたほう がよろしいんでしようか」 杉野は考える顔で、湯呑みを口へ運んだ。 「そゑ一一〔えば、山岡君は一兀担でしたねえ。担の言われた時代があったのを 覚えてますよ。äOC-v 担は担で動いたらいいじゃないですか。カモフラージュになっ て、かえっていいかもしれん。秘書課長の永井君は、わたしも目をかけてるが、あれはでき す′」うで る。しかし、永井君がしやっちょこだちしても瑞一一までだろう。それでも凄腕ということに はなるがね」 「杉野先生との秘書課長じゃあ、パワーが一桁、いや二桁違いますよ」 杉野はにたりとしたが、すぐに表情を引き締めた。 「藤田相談役にくれぐれもよろしく。この : 杉野は右手の指を三杢並てた。 「ことは相談役に話さなければいかんのですか」
ジンに乗り込み、チャイナタウンの皇后酒楼で落ち合った。 「モントレーとカーメルへ行っただけで、アメリカに来た甲斐がありました。モントレーベ イ水族館もたのしかったけれど、景色の素晴らしさといったらありませんでした」 治子は斎藤と顔を見合せながら興奮気味に話しているが、杉野は飲み食いのほうに気持ち が集甲し、「ふうーん」「そうか」と気のない返事をするだけだ。 四日目は、サンフランシスコ名物のケープルカーに乗車したり、ミュア・ウッド国定公園 で、コースト・レッド・ウッドと称する巨木を大塚のガイドで見学した。 高さ六十メートル、直径六メ 1 トルの巨木の樹齢は八百年。見学料は不要だが、一人二ド ルのドーネイションを受付で支払わされた。 三人はその日の夕刻、サンフランシスコからロスアンゼルスへ移動したが、フライト中に 治子が杉野に小声で言った。 「大塚さんにリムジンの料金を訊いたんだけど、聞いてびつくりしちゃった。マーケットプ ライスは時間七千ドルですって。セダンで五千ドルとか言ってたわ。東亜銀行さんはお得意 さまだからお安くしてるそうだけど、関口さんに申し訳ないと思ったわ」 「関口が身銭を切るわけじゃないんだ。東亜銀行には、お父さんが貸しをたくさん作ってる から、この程度は安いもんだよ」 杉野は〃瑞一〃のことがちらっと頭をかすめた。安売りしたような気がしていたのだ。
杉野良治事務所はプラックポックスで、実態は不明だが、杉野が財界からめ取ってきた 膨大な資金がプールされていることだけは間違いなかった。 「沈黙は金なりよ。藤田相談役の叙勲のことはトップシークレットだから、『帝都経済』で も書かないほうがいいと思うわ」 「おまえ、ちょっと差し出がましいんじゃないか。編集のことにはロを出すな」 突然、杉野は阿修羅の形相になった。綾のもの言いが癇にさわったのだ。 杉野は「帝都経済」のコラム″有情仏心〃に政財界人たちと話したことの自慢話、裏話を 書いてしまうがある。読者に深読みされなくても、ことがらの本質が透けて見えてしまう ことが往々にしてあった。 綾はもう少し婉曲に釘を刺すべきだった、と海いたが、もう遅い。 「藤田が瑞一もらったら、書くのは当然だろうや。新聞は皆んな書くんだ。一流経済誌の 『帝都経済』が書かないでどうする」 「わかったわ」 綾はあっさり折れた。 さしものパートナーも″鬼のスギリョ 1 には勝てない。 綾は急いで話を逸らしにかかった。 「勲一等受章者は皇居の菘の凹で天皇陛下から直接、勲章を手渡されるんでしよ。たし か親授式と言ったかしら」
「それとオーナー経営者はダメですね。カマドの灰まで自分の物と思ってますし、基本的に 皆さん始末屋ですから、三本と聞いたら目を回して卒倒しかねません。その点サラリーマン 社長は会社のお金と思えば気が楽ですわ」 「東邦商事の河島会長なんかどうでしようか」 「河島ねえ」 東邦商事は大手総合商社である。河島弘太郎は、日杢父易協会の会長職も経験していた。 「河島会長はたしか七十三歳です。いままで叙勲の対象にならなかったのが不思議ですわ」 じっこ読 杉野と河島は昵懇の間柄だ。河島は「帝都経済」のカバー写真に何度も登場していた。 「よし。水野君に会おう。水野君がその気なら問題はない。水野君は河島さんを煙たがって るっていう話も聞くが、一一人の関係が微妙なようだとちょっとまずいが」 「瑞一を花道に、相談役に退くというシナリオは考えられませんか」 「なるほど。古村は知恵が回るなあ」 杉野はわがパートナーを抱きしめたくなった。 水野嘉夫は東邦商事の社長である。
いったんオフィスに戻った関口が四時にリムジンで迎えにきた。 「タ食まで時間がございますので、ゴールデン・ゲ 1 ト・プリッジを渡ってサウサリ 1 トへ ご案内します。夕食はファイナンシャル地区のカリフォルニア山ー央通りに〃アクア〃という 高級シーフ 1 ドのレストランがございますが、そこを予約しておきました」 全長一一千七百八十メートルの吊橋をリムジンは低速で走行した。 「右手に航空母艦の形をした島が見えますでしよう。お嬢さん、ご存じですか」 「アルカトラズ島でしよ」 治子が大塚に答えた。 「よくご存じですね」 ~ = 「ガイドブックを読んだんです。アル・カボネが収容されていた連邦刑務所として有名です こか、いまは無人島ですってねえ」 歩 関口が口を挟んだ。 で「観光船が出てますが、いらっしゃいますか」 ロ「わたしはパスします。モントレーとカーメルに行くことをたのしみにしてるんですけど、 章お父さんたちはあしたはゴルフですって」 第「わたしは支店長とゴルフをするが、治子と斎藤は観光したらいいな」 「支店長さん、モントレ 1 とカ 1 メルは日帰りでは無理ですか」 「日帰りも可能ですが、一泊されたほうがべタ 1 だと思います。日帰りでは勿体ないです