100 人。 十時から名古屋城に近いホテルのホールで″産業経済フォーラム〃と銘打たれた杉野良治 の講演会には五十人が出席した。受講料は無料で、昼食の弁当もサービスする。″取り屋〃 ふさめ に相厖しからぬ大盤ぶるまいに見えるが、年間百万円の会費で年一回の講演会だから、むし ろ只ほど高いものはないの部類に入ると言ってさしつかえない。 杉野は「最近の政治・経済情勢」について一一時間ぶちまくったが、大物政治家の受け売り や、大物財界人から聞いた話を杉野流に加工して、あたかも自身の意見、主張に見せかけて いるに過ぎない。しかし、杉野はスピ 1 チが下手ではなかった。 よくよう 声には張りがあり、手ぶり身ぶりを交じえた抑揚のある話しぶりは、けっこう聴衆にアピ ールした。 午後一時から宿泊先のホテルの個室で三十分刻みの面会を受ける。むろん事前にアポを取 っている者に限られるが、中小企業経営者の中には手土産に現金を持参する者が少なくなか った。金額は十万円—五十万円。 杉野としては、経営の極意を伝授しているのだから、決して高くはないと思っていた。 デパートの商品券を持って来る経営者もいるが、杉野はそれらのすべてを瀬川に管理させ て、産業経済社の収入にしていた。 ・古に管理をまかせている杉野良治事務所の一件当たりの収入額が桁外れに大きいこと は、すでに見てきたとおりだが、それでも杉野なりに公私を峻別しているつもりだった。
224 稲村との電話がつながった。 「鈴木です。『帝都経済』読みましたよ。スギリヨーには歯向かえません。ここは稲村さん のほうから折れたらどうですか」 「わたしに頭を下げろって言うんですか」 「わたしだったらそうしますが。『帝都経済』に広告の一本も出したらどうですか。ねちね ち絡んできますよ」 「スギリヨーと話したんですか」 「 ) いえ。だが、スギリヨーの手口はわかってるじゃないですか」 「鈴木さん、きのうは黙殺しろって言わなかったかねえ」 鈴木は痛いところを突かれたと思ったが、悪びれずに言った。 「気持ちが変りました。黙殺してひどい目にあった人の話を思い出したんです。まず、わた しが一席設けますよ」 「気が進まないけど、鈴木さんにそこまで言われたら、しようがないかねえ。おまかせしま すよ」 ひと晩経って、稲村も弱気になってると見てとれた。 鈴木は、杉野には直接電話をかけた。 杉野は在席していた。 挨拶もそこそこに鈴木が一一 = ロった。 から
ろろ 4 「承知しました。金光会長には、主幹から電話を入れていただけますか」 「いいだろう」 杉野はその場で金光に電話をかけてを取り付けた。 『トーレイ物巴は、「伸びゆく会社 . シリーズの一環として数年前に一億五千万円もの法 外な金額で、産業経済社が請け負って上梓された。トーレイの旧社名は啝冷蔵だが、金光 浩一が社長時代に 0—活動に力を入れ社名を変更した総合食品メーカーである。 杉野は「帝都経済」の″有情仏心〃に得意満面で書いたものだ。 いま『トーレイ物巴が大ベストセラーになっているのであった。私は取材中と言わ ず、執筆甲と言わず何度も熱い涙がこばれてならなかった。金光浩一社長のト 1 レイとい う企業に対する情熱が胸を打たずにはおかないのであった。『トーレイ物巴が読者の心 に沁み入り、熱い感動を呼び起こすのは、トーレイの牽引車たる金光社長の誠実な人柄と 会社経営面における熱き使〈だよるところが大きい。私は企業イメージをこれほどまで に変革した経営者を他に知らないのであった。 大ベストセラーは、誇張もきわまれりだが、一億五千万円もふんだくったのだから、杉野 がこの程度は持ち上げたくなって当然である。
182 催と藤岡は、不正な絵画取引等で中堅商社イトセンを倒産に追い込んだ張本人である。 イトセンは住之江銀行のタンツボと言われるほどダーティ・イメージの強い商社だった が、暴力団の準構成員と目されていた藤岡を経営の中枢に迎え人れたことによって、闇の世 界に浸食され、倒産した。 杉野は、イトセンの末期に、同社の加山善彦社長と藤岡を「帝都経済」で褒め千切った。 加山善彦社長は温かい人柄で、人間的魅力がひたひたと伝わってくるのであった。藤岡 光夫氏は凛々しい若者で、およそ嘘のつけない人なのであった。 杉野がこんな調子のイトセン讃歌の記事を十ページも書きまくったのは、一一億円の広土料 をせしめたからにほかならないが、爾来、催や藤岡との腐れ縁を切れずに引きずっていた。 藤岡が電話で「催社長が杉野先生にお会いしたがってます。なんとかお時間をいただけな いでしようか」と言ってきたのは三月十一日の月曜日のことだ。 三月十四日の夜、杉野のほうから京都三条の茶屋に出向いたのは、悪役として顔が売れて いる催や藤岡と東京のホテルなどで同席することを、いさぎよしとしなかったこともある が、産業経済社広島支局主催の「産業経済クラブ」の講演会で講演する必要があったからで もある。 一泊一一日の出張予定を一一泊三日に変更したのである。
ろ 58 いると思います。それまで、経済誌の仕組みのようなもの、あるいは経済誌の位置づけみた いなものを書いたものはあまりなかったのではないでしようか」 と尋ねると、高杉は、 「そうですね。ひとくちに経済誌と言っても、アイヤモンド』とか『東洋経済』とか『日 経ビジネス』といった一流の経済誌とは違う経済誌というものがあるということです。僕が この小説で描いた経済誌は、 ) しわゆる〃取り屋〃です。何かにかこつけては企業にカネを要 求し、それに抵抗する企業のことを雑誌で悪しざまに叩く。 企業はそれが怖いから、付き合 わざるをえなくなる。そういう仕組みになっていて、すべてがカネで動いている世界です。 純粋なジャーナリズムで成り立っている経済誌とは、まったく質を異にするものですから、 その大きな違いを見誤ってはいけないんです」 と答えた。 すべてをカネに結びつける″取り屋〃の本領は ! 届の本作品では、健康さえもそのネタに しようとする形で発揮される。 杉野良治が主幹として権力を振るう「帝都経済」をやめ、「週刊潮流」に移った吉田修平 が、杉野の娘の治子と女婿の田宮大一一郎にこう語る。 「『ウォーキング』の前評判は最悪ですよ。″歩こう会〃とセットでの押しつけ販売やら、広 告を強要してるようですねえ。さる大企業が年間五百万円の広告を強要されたらしいんで す。ウチの副編集長が某大手企業の広報部長から聞いた話ですが、雑誌一千部の購読もスギ
「引き出物はどうしますか」 「うるしのた楸を名古屋支局長の北尾が確保したと言ってきた。北尾はよくやってるな」 「ええ。北尾はゆくゆくは本社で営業を担当させたらいいと思います」 「うん」 「司会はわたしがやらせていただいてよろしいですか」 「瀬川以外に誰がいるんだ。瀬川の司会ぶりは堂に入っている。どこへ出しても通用する 「恐れ入ります。スピーチは、曽根田さん、大山さん、武井さん、牛島さんの四人が各三分 っていうことでよろしいですか」 杉野は思案顔で腕を組んだ。 「新関さんも三分やってもらったらどうかな。あの人は次期経済連の会長候補だし、主幹は 揮大日本製鉄の今村なんかより、新関さんのほうがよっぱど増しだと思ってるんだ」 発新関は財界総理といわれる経済連の会長を目指して三十億円の重資金を用意したと噂され 本ていた。むろんためにする噂だろうが、新関が財界総理の椅子に執念を燃やし過ぎる余り、 章噂が噂を呼び、話に尾ひれが付いて伝わるのもやむを得なかった。 第新日電気が産業経済社の有力スポンサーであることも事実である。 「一分間スピーチも何人か考えたらいいな。佐藤、石野、田宮、田口、十五人ほどやっても 川らおうか」
ろ 56 謹啓新春の候、皆々様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 さて、私たちが敬愛してやまない「帝都経済」主幹の杉野良治君がこの度、旧姓古さ んと結婚され、第一一の人生をスタートされました。 我が国産業・経済界におけるオピニオン誌とも一一一一口うべき「帝都経済」の今日の隆盛は、お 一一人が共に手を携えて、縣叩な努力を続けてこられた成果であることは一一一一口を俟ちません。 四半世紀に及ぶ「帝都経済」の歩みは、正に我が国産業・経済界の発展と軌を一にしてき ましたが、私たちが「帝都経済」からどれほど啓蒙、啓発されたかは測り知れません。お 一一人にはこの国のためにまだまだお力を発揮していただかなければなりませんが、つきま しては、お二人のご結婚を機に″杉野良治・綾ご夫妻に咸齟する会〃を開催し、お二人の 前途をしたいと存じる次第です。 ご多用中誠に恐縮でございますが、ご光臨下さいますようご案内申し上げます。 なお当日はどうぞ平服でお越し下さいませ。 平成九年一月吉日 敬具
「でも仏様でも、拝む対象はなんでもいいわけか」 田宮が話題を変えた。 「ところで古村さんは一兀気なんだろ」 「相変らずです。あの人が金庫番でいる限り産業経済社は安泰ですよ」 「古村さんの弟さんはどうして産業経済社に入社しなかったのかなあ」 田宮は胸がドキドキした。古村治夫は平成五年一一一月に一流私大の英明大学経済学部を卒業 して、都銀上位行の東亜銀行に就職した。 杉野のコネがあったにせよ、実力も備わっていたのだろう。 田宮は、この情報を吉田から聞いていた。 「英明の経済出てて、産業経済社じゃ勿体ないでしよう」 「将来社長になれてもか」 「どうして社長になれるんですか。い くら主幹の愛人の弟でも、それはないでしよう。まだ 田宮さんのほうがその可能性があるんじゃないんですか。もっとも、ご本人にそのつもりは ないようですけど。文彦さんはどうですかねえ」 「俺よりもっと可能性が少ないだろう」 川崎がにたっと笑った。 「ひょっとして、田宮さんはウチにカムバックする気があるんですか。われわれは大歓迎で すけど。″鬼のスギリヨー〃の悪しきイメージを払拭できる後継者がいるとすれば田宮大一一
5 ろ 2 「なるほど」 「ちょっと早いかもしれませんが、広報部長にご祝儀を届けさせましよう」 「そうだな。案内状が印刷されてしまったらどうしようもないから、早いほうがいいだろ 遠藤と服部の意を体して、石山は必死の思いで産業経済社に乗り込んできたのである。 「たしか案内状を印刷に回しちゃったんじゃないかなあ。刷り直しとなると、高くつきます 「遠藤の話ですと、発起人をお受けしてから一週間も経っていないので、まだ間に合うだろ 石山は紫色の紗をひろげて祝儀袋を取り出し、うやうやしく差し出した。 さしよう 「些少ながら、お祝いを持参しました。杉野先生によろしくお伝えください」 「莫迦に気が早いですねえ」 「おめでたいことですから、いくら早くても早すぎることはないと思いまして」 「発起人のこと主幹に話しますが、主幹と遠藤会長の仲ですからねえ。残念がると思います よ。副社長の代理出席は仕方ありませんけど、発起人に則を連ねるくらいはよろしいんじ ゃないですか」 「出席しないことがわかっていて、発起人になるのは失礼なんじゃないかと、遠藤は申して おります。ぜひとも、お汲み取りいただきたいと存じます」
「それとオーナー経営者はダメですね。カマドの灰まで自分の物と思ってますし、基本的に 皆さん始末屋ですから、三本と聞いたら目を回して卒倒しかねません。その点サラリーマン 社長は会社のお金と思えば気が楽ですわ」 「東邦商事の河島会長なんかどうでしようか」 「河島ねえ」 東邦商事は大手総合商社である。河島弘太郎は、日杢父易協会の会長職も経験していた。 「河島会長はたしか七十三歳です。いままで叙勲の対象にならなかったのが不思議ですわ」 じっこ読 杉野と河島は昵懇の間柄だ。河島は「帝都経済」のカバー写真に何度も登場していた。 「よし。水野君に会おう。水野君がその気なら問題はない。水野君は河島さんを煙たがって るっていう話も聞くが、一一人の関係が微妙なようだとちょっとまずいが」 「瑞一を花道に、相談役に退くというシナリオは考えられませんか」 「なるほど。古村は知恵が回るなあ」 杉野はわがパートナーを抱きしめたくなった。 水野嘉夫は東邦商事の社長である。