果物屋の親父これは千五百円。 孝は財布から千五百円取り出して支払い、もうひとつ、西瓜を受け取る。 果物屋の親父お近くなら、あとで配達しますよ。 孝雨 : ・・ : 降らないねえ : 果物屋の親父はあ : 孝暑いなあ。 果物屋の親父はあ : : : 日照りつづきで : 孝暑いなあ。 果物屋の親父暑いですねえ。 孝あなた、奥さんはいるんですか ? 果物屋の親父はフ によ、つ」うつま 孝女房、妻、ツマはいるんですか ? 果物屋の親父え、そりゃあ、まあ。 おく
登場人物 なみやまたかし 波山孝 ( 父 ) さだこ 杉本貞子 ( 母 ) ゆり 波山結里 ( 長女 ) ふゆき 波山冬樹 ( 長男 ) るり 波山留里 ( 次女 ) ふゅお 波山冬逢 ( 次男 ) ささききようこ こいびと 佐々木香子 ( 冬逢の恋人 ) なつお むすこ 佐々木夏逢 ( 香子の息子 ) はやしやすこ 林恭子 ( 貞子の妹 ) すぎもととしかず 杉本俊和 ( 貞子の兄 ) かわだはるこ 川田春子 ( 孝の母 ) さとうかわしまそうぎしゃ 佐藤、川島 ( 葬儀社 ) くだものや おやじ 果物屋の親父他
57 魚の祭 孝まあじゃなくて、わたしはあなたのこと、訊いてるんですよ。奥さんはいますか ? します。 果物屋の親父は、。、 孝 ( 大きくうなずいて ) それはいいですねえ。 果物屋の親父も孝も汗をだらだら流している。 ふたりとも何故か汗を拭こうとしない。 孝子どもはなん人ですか ? むすこ 果物屋の親父息子がひとりです。 孝ひとり ? それはいけないなあ、もっとがんばらないと。 果物屋の親父はあ。 孝そのひとりがいなくなったらどうするんですかフ めいわく 果物屋の親父、迷惑そうな顔で孝を見るが、孝の手にぶらさがっているふたつの西 瓜に目をやり、何とか堪えている。 あせ ふ こら
孝あなた、パチンコやるフ 果物屋の親父。ハチンコ ? あさひごてん 孝黄金町の駅まえの旭御殿ってパチンコ屋、知ってます ? 果物屋の親父そっちのほうは行かないんで : 孝出る台、知りたくありませんかっ・ しいかげんうんざりする。 果物屋の親父、 孝なにか書くものあります ? 果物屋の親父、もうどうにでもなれという感じでメモ用紙を渡す。 孝は出る台のナン。ハーをメモして、果物屋の親父に渡す。 孝極秘情報ですよ。 孝は西瓜を両手に天秤のように持って、貞子の家に向かってゆらゆら歩いていく。 」くひ てんびん わた
くちびるすきま 孝はポケットから煙草を取り出し、唇の隙間にしわしわに折れたハイライトを一本 さカ くわえてライターを捜すが見つからないので、溜め息をつく ひとみすいか くだものや 孝は果物屋の前で歩を停める。孝の瞳に西瓜が映る。 果物屋の親父だんな西瓜ですか ? あまいですよ。 孝はいくつかの西瓜をひとさし指とおや指で弾いてみる。 孝これ。 果物屋の親父毎度ありい。千円です。 孝、ポケットから財布を出し、千円を払い、西瓜を受け取る。 祭 の 魚孝あっ、やつばり、これも。 孝はいちばん大きな西瓜を指さす。 さいふ
100 なみだ 貞子 ( ふふっと笑う ) 結里が生まれた朝、あなた病院であたしに涙ぐんで、ありがとう ろ、つか っていったのおぼえています ? 看護婦さんが、病院の廊下で待っていたあなたに、 とこや 女の子ですよって知らせたら、あなた床屋に走って行ったんですってね。まだ朝早 さんばっ そ くだものや くて眠っている床屋さんをたたき起こして散髪してひげを剃って、果物屋で季節は にぎ ずれの枇杷をひと箱買って、病室にきたのよね。そのとき、あたしの手を握って涙 ぐんで、ありがとうって : 孝そうだったかな ? 貞子冬樹のときも喜んだのよ。「長男だ ! 」って病院中にひびきわたるような声で大喜 おこ び。夜中だったから、あなた、看護婦さんに怒られてたじゃない : : : 留里が生まれ 貞子あなた、胃はだいじようぶなんですか ? 孝 ( 急に話しかけられたのでびくっとする ) え ? かいよう 貞子胃潰瘍。 孝ああ、まあまあだ。 ちんもく 沈黙。 びわ 0
59 魚の祭 果物屋の親父は不思議なモノでも見るように孝のうしろ姿を見送る。 ざんがい シーン 6 残骸母の家・居間 さが 十冊以上ある日記を捜し出した冬樹は柩のなかの冬逢の視線を感じて振り返る。そ して深呼吸してから冬逢のノートをひらき、ごみ拾いでもするかのようにひと文字 くちびる ひと文字拾って読む。冬樹の唇は低く祈りを唱えているひとのように動く。 冬逢の部屋でアドレス帳を見つけた結里はアドレス帳の【あ】から【わ】までの名 前の数を数える。 ふうりんす 風鈴の涼しげな音。 しんせき 結里は親戚に電話をかけはじめる。 かりさいだん 冬樹は冬逢の仮祭壇に置いた冷めたカレーをぼそぼそと食べはじめる。 むぎちゃぼん 麦茶を盆にのせて台所からやってきた貞子は、麦茶の入ったグラスを冬樹のまえに だま 冬樹は日記を読みながらグラスに手をのばし、黙って麦茶を呑む。 0 ひつぎ の ふ
むか たときは赤ん坊の顔を見にもこなかったわね : : : 退院するときに車で迎えにきただ け : : : 冬逢が生まれたときはもっとひどいの : : : 見舞いにも迎えにもこなかったわ くだもの : 同じ病室のほかのひとには、だんなさんがおいしそうなお菓子や果物を持って 毎日様子を見にくるのに、あたしだけ : : : みじめだったわ : : : 冬逢を抱いて、病院 のまえでタクシーをつかまえて帰ったのよ。 孝 貞子みじめだったわ。 孝は新しい線香に火をつける。 そうしき 貞子この家 : : : 冬逢のお葬式が終わって落ち着いたら売りに出そうと思っているのよ。 孝どうするの。 祭 の貞子どうするか : : : まだ決めてないのよ。 魚 けむりゆ 線香の煙が揺れている。 0 せんこう だ
133 静物画 かたみ 「形見分け」、だめ、ちがう。 「なじめなくなった季節の終わりに・ へいぼん ・ : 平凡だわ。 しみ しきくも まどガラスと 魚子は窓硝子を吐息で曇らせ、ひとさし指で曇り硝子に〈月の斑点〉と書き、うな ひ 魚子は窓を開ける。春の陽と林檎の花びらが入ってくる。 かみそり くびわ 魚子「さわやかな朝の風が頸輪すれしたおれののどに冷たい剃刀をあてる 「犬は、犬のなかで眠る。花は花のなかで眠る。目のあいた眠れるものの群れのな かでおれは眠ることができない。林檎の花は目のある動物を見ない。おれの、」 おれは乱暴ね、ぼくに変えましよ。 「ぼくの目に映ったのは、」 ねむ : なじめなくなった季節の終わりに」
63 魚の祭 貞子と冬樹、窓の外を覗く。 結里用があるなら玄関のベルを押せばいいのに。 三人の視線から見知らぬ少女の姿が消える。 玄関の扉がひらく。 三人はびくっとする。 ひと目見て、海から直接やってきたとわかる留里が登場する。 ひ かたむ 髪は海の潮でかたまっていて、肌は赤く陽に焼け、肩剥き出しのサンドレスを着て 留里不用心ねえ、鍵あけつ、 ( いいかけて言葉をなくす ) ひつぎ のぞ 留里は柩のなかを覗き、びしょ濡れになった動物のように身震いする。 なみだ ひとみくも まっげひた 涙が留里を捕らえて、瞳を曇らせ、睫を浸している。はじめは声もなく静かにこ・ほ かみ と と げんかん かぎ のぞ お はだ ぬ みぶる