白いシャツ - みる会図書館


検索対象: 魚の祭
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1. 魚の祭

51 魚の祭 結里まさか、ママもう五十よ。 ただよ 冬樹 ( 漂うように ) そうか : : もう五十か : 結里別れるっていうか、逃げられたのよ。だから、お金もらったみたいよ、手切れ金。 冬樹親父とおれと留里を棄てて逃げて、逃げた先で : : : 男に棄てられて。 じゅんすい 冬樹は笑う。窓の外の夏の空は広く、あまりに純粋で : : : 冬樹は自分の笑い声を遠 あかぼう くで聴き、赤ん坊の泣き声のように弱々しく感じる。 ゅ ひ 冬逢の白いシャツが風に揺れる。外は陽の光できらきらしている。 冬樹あれ、どこ、置いた ? 結里あれって ? 冬樹冬逢の日記。 結里ああ。 結里は立ちあがり、机の下にある日記を弟に手渡す。 き 0 てわた

2. 魚の祭

47 魚の祭 結里ねえ : : : 寒くない ? 冬樹ちょっとね。 れいぼう 結里冷房強すぎるのよ : : : 窓あける ? 冬樹ああ。 ふうりん 結里は冷房を止めて窓を開ける。強い夏の風、風鈴の音、蝉の声。 結里夏でしょ ? 匂い : : : 気にしているのよ : : : ママ : 冬樹匂いって、なんのフ 結里はふうっと大きな溜め息をついて、冬樹の横に座る。 ふつう ひつぎ 結里普通ね : : : 柩のなかにドライアイス入れるみたいなんだけど : : : ママ : ていい張って、入れなかったみたいなのよ。 窓の外の冬逢の白いシャツが揺れる。 にお せみ : いやだっ

3. 魚の祭

ひぐらしの合唱のなか、冬逢の通夜の準備があっというまに整う。 ひ 陽は落ちたらしい 冬樹は闘いに敗れたスポーツ選手がユニホームを脱ぐように白い夏物のシャツを脱 ぎ、喪服に着替える。 喪服姿の孝、貞子、結里、冬樹、留里、恭子、正座をして通夜の客を待つ。 留里は陽焼けを気にしている。 貞子の兄ーー俊和、孝の母ーー春子が現れる。 なみだぬぐ 春子は泣き出し、ハンカチで涙を拭う。 みな 皆、型通りに冬逢の思い出や死について語り合う。 かな しんせき アルコールがまわってくるに従って、親戚たちの哀しみの仮面が剥がれはじめる。 春子 ( 孝に ) たしか、冬逢ははらちがいだったんだよねえ。 春子あれ、ちがったかねえ。そうだ、冬樹と結里がはらちがいだったんだよ、ねえ ( 孝 に ) おまえ。 孝お母さん、なにいってるんですか ? たたか は

4. 魚の祭

219 静物画 と みなたが 夕暮れのもの音は皆互いに消し合って暗さを増す黄昏の空気のなかに溶け込み、教 室はひどく静まり返っている。 ゅうひ 窓からタ陽の匂いのする空気ともの音が自由に入りこんでくる。 」ら 香は、わけのわからない極度の不安にかられ堪えきれなくなり口をひらく。 香夢にも考えなかったわね。 魚子なにを ? おとな 香大人になるなんて。 ちんもく ( 沈黙 ) ひざす ねえ、あたしつい三年ちょっとまえまで、いつも転んで膝を擦りむいてばかりいた かさぶた わ。痂ができればむしりとってつばをつけていたの。 近所の男の子を集めて野球をやってたのよ。ファ 1 ストを守ってたわ。夕方になる と、みんなの顔が・ほやけてだれなのか見わけがっかなくなるのよ : : : 白いシャツだ け羽のように、セカンドめざして走る男の子の背中でひらひらしていたわ。 ( 沈黙 ) ( 沈黙 ) にお たそがれ

5. 魚の祭

どけいがなる。ぼくはきようもねむれなかった」 貞子は夏痩せした顔を窓の外の空に向ける。 貞子雨、降らないのかしらねえ ? 冬逢の白いシャツがはためく。 ふとんし 結里鳥の巣みたいだったわね、わたしたちの家 : : : 布団敷きつばなしで : : : 枕 : : : カー ちぢ ひな せんたくもの ディガン : : : 洗濯物の山 : : : 新聞紙なんかに首を縮めて鳥の雛みたいに眠ったわ : ・ ・ : 冬逢は布団のなかでいつもジャックナイフみたいに体を折りまげてた : 三人は石のように黙り込む。 冬逢の洗濯物が陸に打ちあげられた魚のようにはためく。 貞子、結里、冬樹、言葉を失くして冬逢の洗濯物を眺めている。 きみよう 結里は冬樹の顔と心に浮かぶ柩のなかの冬逢の顔を同時に眺める。そして奇妙な類 す なつや だ な ひつぎ なが まくら ねむ 0

6. 魚の祭

冬樹は何かいいかけるが、言葉を酒と一緒に呑み込む。 貞子ママ、冬樹が好きだから、カル。ヒス一年中絶やさないようにしてたのよ、夏は氷を 入れて、冬はホットカル。ヒス。 冬樹は酒を呑む。 うすぐら しゃよう いつのまにか外は薄暗くなり、部屋のなかに斜陽が差し込む。 ひつぎ 冬逢の枢は赤く照らし出される。 窓の外の冬逢の白いシャツも赤く染まる。 ふうりんすず 風鈴の涼しげな音。 留里 ( 背中の皮をむしりながら ) ご飯もっくらなかったくせに。 祭 貞子 の 魚留里遠足のお弁当だって一度もっくらなかったじゃない。遠足のお弁当、いつもパック のオニギリだったわよ。ほかの子のお弁当箱のなかはお花畑みたいだったのに。な にがカルピスよ。 いっしょ

7. 魚の祭

あわ 結里は哀れな老婆のように溜め息をつく 結里冬逢の日記よ。 冬樹の視線はあやまって窓から家のなかに入り込んでしまった蛾のように出口を探 す。そして罠にかかってしまったように窓の外で風と陽で乾きはじめている冬逢の 白いシャツに目を停める。 結里「ぼくががっこうからかえると家にはだれもいない。ママはキャ、、ハレーにはたらき にいったんだ。よるになったのでぼくはふとんにもぐりこむ。ねむることができな ねがえりをうつ。ふとんをけとばす。。、。、 / 一のたばこにひをつける。ちいさいあ りんこのようなじがたくさんならんでいるゆりおねえちゃんのほんをひらいてみる。 まっくらでじがみえない。ほんをとじて、しばらくくらいへやのなかでじっとおし いれのなかのふとんをみている。まっくらやみにめがなれてくる。おにいちゃんが かえってくる。ゆりおねえちゃんがかえってくる。るりおねえちゃんもかえってく る。さんにんともなにもたべないでだまったままふとんのなかにもぐりこむ。おに わな かわ

8. 魚の祭

結里落ちたのよ。 留里そうじゃなくて : : : あたし、そうじゃない気がする。 結里そうしゃないって ? 留里 ( 頭の上の冬逢のシャツを姉に渡し ) あたし畳みものパス。 結里そうじゃなくってなんなのよ ? 留里足をすべらして落ちたんじゃないような気がする。冬逢がちぎって棄てたページに 自殺した理由が書いてあるんじゃないかな ? しいかげんなこといわないでよ。 結里 冬樹そうだよ、いいかげんなこというな。 留里勘よ、勘。あたし、小さいころから冬逢といちばん仲良かったから、わかるのよ。 結里へえ : しゃよう 窓の外の斜陽を不安そうに眺めていた貞子がロのなかで小さな叫び声をあげる。 家のまえを先刻の少女がうろうろしているのだ。 貞子さっきの女の子、また家のまえうろうろしてるわよ。 かん わた

9. 魚の祭

31 魚の祭 ブザーが鳴る。貞子と結里は動かない。 ふたたびブザーが鳴る。結里が意を決して立ちあがり、玄関の扉を開ける。 蝉の声。 っ 結里は突っ立ったまま冬樹を見詰める。 そでぬぐ あせ 冬樹は額の汗をシャツの袖で拭い、靴を脱ぐ。 あ くちびる カサカサに荒れた結里の唇は発音されない言葉で震える。 へや ふ 冬樹は部屋のなかに足を踏み入れる。視界に母親の姿が入る。一瞬どうしようもな そむ い懐かしさがこみあけるが、冬樹は貞子から目を背け、まっすぐ柩のなかの冬逢を のぞこ 覗き込む。 貞子は冬樹の広い背中を眩しそうに見詰めている。 かな 包帯で頭をぐるぐる巻きにされた弟を目にして冬樹が感じたのは哀しみではなく、 もうもく からだな 盲目的なやり場のない怒りであり、躰が萎えていくような無力感たった。 せの おさ 冬樹は背伸びでもするかのように立ちあがり、内心の怒りを抑えて窓の側に座る。 ちんもく たんは ある程度の沈黙がつづいたあと、冬樹の胸の何処かから痰を吐き出すような音が聴 こえる。 せみ なっ まぶ くっぬ ふる げんかんと いっしゅん ひつぎ き

10. 魚の祭

げんえい 魚子 ( 幻影なのか真実なのかわからないまま口をひらく ) なぜ、ここにいるの ? のぞ 五つの少女が窓から教室を覗いている。 水中の魚子 ( 水のなかから頭だけ出し ) わたしはここにいないわ。 魚子わたし、一度として、あなたに逢いに行こうと思ったことはないわ : : : 夢見ている だけでたくさんだったの : 水中の魚子いっ汽車に乗るのつ・ にお 魚子小さな白い林檎の花の匂いでいつばいだから、いまはいえないの。ここはどこの 画水中の魚子林檎のなかを走ってるのよ。 物魚子大きな水素の林檎ね。 静水中の魚子水色川の水色の駅 : : : あなたなら水のなかから濡れないで出てこれるわよ。 ねしず 魚子ねえ、今晩みんなが寝静まったら、あの大きな林檎の樹の下にきてね、約束よ。 しず 水中の魚子 ( 水のなかに沈んでいく ) ええ、きっと。