232 香へえ、どんなふうに ? とっぜん 千春あたしたちがたれだかぜんぜんわからないし、突然、校歌うたい出すのよ。 千春それでね、あたしたちがなにをいっても「 ZO—•」これだけよ。 夏子静かにしろよ ! 集中して遺書が書けないじゃないかー 千春、香、遺書を書く。 窓の外を老シスターとシスター桜井がゆっくり通り過ぎる。 魚子はふたりのシスターを目で追う。 魚子の視界からシスターたちが消える。 魚子秋葉さん、〈遺書〉を読んでください。 香は立ちあがり遺書を読みはじめる。 香〈遺書。
おく きのう 冬美首に縄の跡があったわ。お姉ちゃんの日記が昨日、机のひきだしの奥から出てきた ときと、つ けっこん のよ。お姉ちゃんと時任先生は結婚するはずだった。書いてあったわ。時任先生を この学校から追い出したのはあなたよー ども シスター桜井 ( 吃る ) と、時任先生はご自分で退職なさったのです。 うそ っ 冬美嘘つき ! ( 老シスターに詰め寄る ) 遺書を返してー 老シスター遺書はありませんでした。 冬美わたし、お姉ちゃんの日記を出版社に送って本にしてもらおうかなあ。この学校に 入ろうっていうひとが、ぐっと減るでしようねえ。 きようはく シスター桜井あなたはわたしたちを脅迫する気ですか ? 冬美遺書を返して。 老シスター燃やしました。 画冬美やつばり遺書、あったのね。 物シスター桜井お姉さまを天国に送ってあげたかったのよ。キリスト教では自殺は罪なの 静 ですから、わたしたちの胸にそっとしまっておいたのです。岩尾さん、お姉さまを そっとしておいてあげましよう。岩尾季子さんはイエスさまのお側で安らかにお眠 りになっているのです。 なわ
かいがら 波で磨かれたひときれの貝殼を口に含み、 ぼくはゆっくり眠ろうと思う〉 ちんもく ( 沈黙 ) きよう 今日の授業は〈遺書〉です。みなさん、〈遺書〉を書いてください。 千春・夏子・香・冬美えーっ ! 魚子書いてください。 四人の女生徒たちはしかたなく遺書を書きはじめる。 香 ( ひそひそ声で ) ねえ、千春、校長先生、死にそうだった ? 千春 ( ひそひそ声で ) ぜーんぜん、元気そうだったわよ。死にゃあしないわよ。 香そうね、おつばいしゃぶらせてたくらいだものね。 画 物 静 千春と香、顔を見合わせてくすくす笑う。 千春でもねえ、完全に。ほけてたわよ。 みが ふく
235 静物画 くれました。 あなたと出逢えてよかったです〉 千春と香は冬美を冷やかす。 夏子は暗い顔をしている。 千春なによ、それ、遺書じゃないじゃないー さんの好きなひとって ? 冬美 魚子つぎ、望月さん。 千春あっ、は、。 〈遺書。 これはお別れの手紙です。 やむを得ない事情でわたしはこれより冥土にまいります。 死んだらしゃべれなくなると思うとよけいなおしゃべりがたくさんしたくなるけれ ど先を急ぎますので、これで失礼します。 ラブレターじゃない。だれなの ? 岩尾
144 そうしき たちは隠してるけど、この学校で知らない子はひとりもいないわよね。お葬式では 事故だってことになっていたんですって、先輩がいってたわ。 夏子 いくつで死んだんだっけ ? 千春十六歳。 香 ( うっとりと ) 十六歳で自殺したのね。その子はどうして自殺したのかしら ? 千春わからないわ。 しょ 冬美遺書を隠したのよ。老シスターが。 千春遺書なんてあったの ? 冬美老シスター どこに隠したのかしら ? 女生徒たちは一斉に冬美を見る。 だま 冬美は黙る。 千春岩尾さん、 しいかげんなこといわないでよね。 夏子ねえ、なんて名前だったの ? そのひと。 千春えーっと、なんだったかしら。
170 夏子 DZO です。 シスター桜井うの ? 夏子トランプとはちがいます。同じ色と同じ色を、 シスター桜井お黙りなさい ! 香 トランプは校則で禁止されているけれど、は禁止されていません。 この学校はじまって以来です。教室 シスター桜井お黙りなさいといっているでしょ ! きっえん で喫煙するなんて ! ′」と 香 ( ひとり言のように ) 煙草なんて、いまじや中学生だって吸ってるわ。それにあた きっさてん し、学校のなかでしか吸わないわ。ひと目のあるところとか喫茶店とかで平気で吸 ってる子がいくらでもいるじゃない。あたし、ちゃんとこの学校の評判を落とさな いように、学校のなか以外じゃ禁煙しているのよ。 あくま シスター桜井あなたは ( 絶句 ) あなたには悪魔がついているのです。 冬美 ( 老シスターの側に寄り ) 季子お姉ちゃんの遺書を返してください。 老シスターえ ? ささや 冬美 ( 老シスターの耳に口を当てて微笑みながら囁く ) 遺書を返して。 シスター桜井 ( たじろぐ ) 岩尾さん、あなたのお姉さまは自殺ではないのですよ。 ほほえ
228 しみ 魚子 ( 紙の束を手に持ち ) これは、わたしの書いた小説〈月の斑点〉の最後の部分、第 十章〈遺書〉です。 千春 ( 手を挙げる ) はいつ。 魚子望月さん、どうぞ。 千春 ( 立ちあがり ) 主人公はだれですかフ 魚子十七歳の男の子です。 四人の女生徒、起立する。 夏子礼 ! 一同、礼をする。 夏子着席ー 一同、着席する。
234 魚子つぎは岩尾さん。 冬美〈遺書。 あなたに手紙を書くのはこれがはじめてです。 頭のなかでは一日二通ぐらい手紙を書くのだけれど。 さカ どこにいてもわたしはあなたの姿を捜しています。 あなたが決しているはずのない場所でも。 であ ばったり出逢うはすなんてないことを知っているのに。 ゅうひ 夕方、あなたの姿がタ陽のなかから抜け出してこないかと、いつも暗くなるまで・ほ んやり外に立っています。 死ぬことは近づくことたと思います。 生きているときに離れていたものを近づけること。 わたしはいま、あなたを思っているけれど、この学校を卒業してあなたと離れ離れ になったらこの思いもなくなっていくような気がします。 もしかしたら男のひとを好きになるかもしれない。 わたしはあなたへの思いが自分のなかから消えたあとに生きていたくありません。 わたしがあなたに恋をしたので世界はてのひらをひらくようにすべてを打ち明けて
236 魚子小泉さん。 夏子〈遺書。 さようなら。、 しろいろお世話になりました。 もど もう一度、人生がくりかえせるなら七つのころに戻りたい。 そして、それより先に起こったことはぜんぶ忘れてしまいたい。 七つのころのことぼくはなんでも思い出します。 ビー玉のぶつかる音。 小学校の帰り道、たて笛を練習しながら帰ったこと。 ふ クラスで。ほくだけが吹けなかったから。 えんがわ 縁側でひなたぼっこをしながら、お母さんにつめを切ってもらったこと。 公園の入口、ペンキのはげた立ち小便禁止の立て札。 きようけんびよう そう、公園の近くに狂犬病の犬がいて、ぼくはその犬にカエルを食べさせようと思 って近づくと、半ズボンのはしを食いちぎられたんだ。 七つのころ、・ほくは勇敢だった。 なみだ ( 思わず涙ぐむ ) これは、みんな運命のイタズラです。 どうかわたしのために泣かないで〉 ゅうかん
千春、夏子、香、一斉に魚子をはやし立てる。 魚子読みます。 ひび 音楽室から聖歌隊の歌声が響いて来る。 もやわ ・けんそう 窓の外は幻想の世界、どこからか靄が湧いてくる。 ゅうれい しゃ 月光のなか、林檎の樹の下で紗の服を着た。ヒェロの姿をした幽霊たちが弱々しげな かげえ みぶ 手つき身振りで魚子に何か伝えようとしている、影絵のように。 魚子は幽霊たちが何をいおうとしているのかわからず、哀しくなるが、白い月光を 浴びて幽霊たちはしだいに濃くなる靄のなかでゆっくり動きながら林檎の樹のうし ろに消えていく。 画 物 静魚子〈遺書。 四月。 標本箱のなかで少年たちは明るい雨の音を聴きながら眠っている。 りんご こ ねむ かな