れたり、差別されることが大きな危具となっています。こうした移民問題を抱えるの はフランスに限りません 事件が起きたデンマークもまた同様です。 オランダでも、移民排斥を訴える右翼の自由党が政党支持率のトップを走るように なりました そもそも「イスラム原理主義」 (lslamic fundamentalism) というのは非イスラム世 界側が、勝手に「過激つばい宗派」のような分類をしただけのことです。イスラムの 教えに従い厳格に生活を律し、イスラム法 ( シャリーア ) にもとづいた国家が理想だ と考えるイスラム教徒がみな「過激派」で「テロリスト」というわけではありません。 悪いのはイスラム原理主義ではなくて、「イスラム国」という国家を自称している 暴力組織なのです。 けれど、いわゆる「原理主義者」のみならす穏健派であっても、すべてのイスラム 教徒は偶像崇拝を嫌います。自分たちがもっとも尊敬している預一言者ムハンマドの顔 を描かれるのは非常に嫌なことであり、しかも、それが風刺の対象になっているのは どうしても許せないことなのです 信、い深い日本人は仏像を拝み、カソリックではキリスト像に祈りますが、イスラム
僕たちを疲れ 僕たちがつくってきた資本主義や新自由主義の経済のあり方などは、 させただけではなく、イスラム教徒たちの生きる目標、新しい価値も見えにくくした。 原点に徹底的に戻ろうとするほんの一部のイスラム原理主義の中で、過激派が生まれ てしまったのです。 それを認めるのが僕たちのつ 暴力を持たないかぎり原理主義が悪いわけではない くろうとしている真の自由主義社会です。 彼らの勢いを一時的に止めるために武力が使われることは、僕もいたしかたないこ とだと思っている。けれど、けっしてそれのみに頼らないことです。その武力は極力 小さく、極力短くあってほしい。非軍事の解決策こそが王道であるべきです。 戦い方を間違えれば禍根を残す。世界に「イスラム国」的な爆弾が散り、予想外の 大きなテロが世界中の町で起きる可能性があるのです。 絶対にテロを許さないという強い意志を持ちながら、違う宗教や文化や考え方に寛 宀谷にはることか 僕たちには大事なのです。 刀第 2 章なぜ「イスラム国」は生まれてしまったのか
イスラム世界が「イスラム国」をコントロールすべき 僕は、厳しい戒律を守りながらも「喜捨」の精神を豊かに持ち続け、世界から称賛 されるようなイスラム教徒が増えていくのを、忍耐強く信じながら待ちたい。 僕は医療支援のために通い続けているイスラムのあたたかさに、偬れ抜いています。 イスラムの世界に人り、ホテルで夜明けにアザーンが流れた 彼らの世界は心地よい。 りすると、僕はイスラム教徒でもないのに、なんだか心が洗われるような気がするの です。 ・ % のイスラム教徒は自由主義社会に生きる僕たちの友達です。そのことを忘 。大事だと思います。まっとうなイスラム教徒を大切にする。 大切にされた彼らが過激なイスラム原理主義を許さないようにして、イスラムの中 で自己規制がおこなえるようになるのが一番です。 「イスラム国」は欧米や国連や、キリスト教徒の説得には耳を傾けません。イスラム 教徒の中で話をつけるのが一番いいのです。 世界中の人々の生き方が関係しているのだと思 「イスラム国」か生まれたことには、 います。
い状態になっていると伝えられている 「イスラム国」の戦闘員は年—月頃で約 2 万人といわれていましたが、夏頃 は 3 万人に増えたそうです。 2 — 5 年—月、僕がイラクの難民キャンプやヨルダンのザータリ難民キャンプ で、シリアから「イスラム国」に追われて逃げてきた何人かに聞いた話では、今はお そらく 5 万人規模になるのではないかという人が多かったけれど、実数はなかなかわ かりません。 彼らの目論見が世界の中で「成功」しつつある地域もある。ナイジェリア、イエメ ンなどがそうです。無政府状態に近 、くなり、治安が悪化して、一般の市民の安定した 生活は奪われはじめています。シリアやイラクだけではなく、「イスラム国」に空爆 をおこなう国々のすべてに対してテロをおこな , っというメッセージをインターネット で発しています。 急速に拡大した「イスラム国」ですが、 2 — 5 年—月末にシリアにあるクルド人 の町コバニではクルド人部隊に敗れ、コバニを手放しました。連戦連勝だった「イス ラム国」にかげりが見られます。統治機能も、イスラム原理主義とフセイン時代の世 俗主義者の軍人たちがこれからも共存していけるかどうかも不明です。 89 第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか
「イスラム国」よ、と心の中で呼びかけながら、この本を書き始めました。 「イスラム国」の中に、世界全体のことを考えている、視野の広い、誠実で、 志の高い青年が少数でもきっといると思い、その幻の青年に、呼びかけるよ つに書き込みました。 こちら側の誤りにも、気がっきました。アフガン戦争以降、イスラム原理 主義の過激派の活動が激しくなりました。侵略、戦争、貧困、格差、世界の 構造が「イスラム国」的なものを生み出しやすくしたのです。すっと、暴力 に対し暴力で制圧しようとしてきたことで、ますます非道な暴力が燃え広が り出しています。 非道な暴力に対抗するには、「カ」と「愛」、このふたつのバランスが必要 なのです。できるだけ小さな力で抑え込み、暴力を生み出す環境や、暴力の あン」が当 177 あとがき
イラク戦争が「イスラム国」を生む引き金となった 年、アメリカはフセインが統治するイラクに侵攻しました。 表向きは核保有疑惑、査察に対して非協力的なこと、「テロ支援国家」であるイラ クを民主化することなどが目的で、作戦名は「イラクの自由作戦」と名づけられました。 けれど背景として大きいのは、イラクの石油埋蔵量は世界の 5 本の指に人るという ことです。アメリカはイラクの石油をどうしても確保したかった。しかし、イラクに は— 9 7 9 年に大統領になってから年君臨したサダム・フセインという存在がい ました。彼が政権基盤とするバアス党はスンニ派が主流です。スンニ派はイラク国内 でもシーア派よりすっと少ないのですが、フセインは不思議なバランスの中で、一党 「アラビア半印のアルカイダ」 は、フランスでの新聞社襲撃をコントロールしたので ( なし力といわれています アルカイダはひとつのプランドになったのです。アルカイダの冠をつけることで、 イスラム厳格派や原理主義者の支援やお金が集まりやすくなっているといわれている のです。 79 第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか
) 甲にカ 戦争は、単に兵士、市民の命が奪われて国土が破壊されるだけではなし 「終わった」とされても、その後に大きな大きな禍根を生み、それがあらたな悲劇に つながっていくのです。 僕はすべての戦争に反対をしてきました。戦争の敗者たちは憎悪をかき立てるので す。人間は、自分たちが受けた被害、悲劇をけっして忘れられません。 戦争は始まってしまった以上、双方ともに勝たざるを得ない。お互いがどんな残虐 なことをしてでも勝とうとします。これが戦争です。しかし、多くの犠牲をはらって 勝ったとしても、その後に必す何かが残るのです。それが「戦争」というものの、最 も大きな災厄であろうと思います。 ソ連のアフガン侵攻が「悪」の芽をつくった もともと「イスラム原理主義過激派」を生み出したのは、アフガン戦争だと思って います。 1979 年ロ月、ソ連はアフガニスタンに侵攻し、親ソ派の政権を樹立させます。 この政権に対抗して、アフガニスタンゲリラによる武装闘争が開始されました。彼ら 75 第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか
この言葉の解釈についてはさまざまな哲学的、歴史的、社会的背景がありますが、 この頃から、西欧世界の「神」は絶対的なものではなくなりました。フランス革命で 王権から自由になっただけではなく、 教会の権力からも自由になった人間は、同時に キリスト教的な価値観による現実の世界の秩序や統合を失った、といった意味です。 統一した価値を見失ってから、西欧のキリスト教文化をもつ国に住む人間は新しい 「価値観」をつくることがなかなかできませんでした。 西欧の神が死んだ後、資本主義は拡大し成長し発展してきました。拡大することを の 「価値」にしたために、 いくつもの大きなほころびをつくってきました。それが「格 差」「貧困」「地球環境の破壊」となって現れている。世界は息も絶え絶えになり始め れ ています。 生 しかし、イスラム社会で神は死んではいなかった。 か大事なところです。 国 たとえば、イスラム教スンニ派の考え方のひとつにサラフィー主義と呼ばれるもの があります。スンニ派の中でも「厳格派」とも言われる考え方ですが、一時はヨーロ に追いつくために近代化も模索しましたが、じよじょに資本主義社会の中にある 大きな問題に気がっき、むしろできるだけ預一言者ムハンマドの教えやアッラーの言葉嶂 第 に耳を傾けるべき、という考え方になっていきました。
「イスラム国」の拡大もまた、貧困や格差が大きな要因のひとつです。仕事を見つけ られす、家族の生活も自らの生活も支えることができない若者たちが原理主義に吸い 寄せられ、その主義を受け人れてしまう。そこから新たな過激なグループが生まれて ノ、ること -,O のる 格差を最低限に抑えるための「知恵」が必要 グロー バル経済の台頭は資本主義の暴走も招くようになっています。経済が政治を 無力化し、動かしてしまうことさえめすらしくありません たとえば兵器産業。この業界は当然戦争があったほうが儲かります。しかも企業の 利益は国家の経済成長率に反映される。それが兵器の製造、輸出人であっても同じこ とです。企業は「自分たちが儲かればいし 」という論理をもって政府、政策を自分た ちの産業に有利な方向に誘導しようとします。そこでもちろん大きなお金が動いてい る。武器を売った儲けが政治家に流れ込む。結果として実現した政策が、戦争を誘発 することも起き衵忖る 世界中が気づき始めまし 行き過ぎた資本主義が人の命や生活を奪っていることに、
ここに大切なことがあります。西欧社会で「神が死んだ」と言い、資本主義を拡大 させていった時に、イスラムの世界では、ますます神の存在が大きくなっていったの です。 イスラムの神は死ななかったのです。 「儲けること」以外に統一した価値をつくり上げることができなかった資本主義世界 「神は偉大なり」のイスラム主義とのつばぜり合いが、今始まっているのです。 けれどまだ戦争をしているわけではありません。多くのまっとうなイスラム教徒た ちがどれほどあたたかくて優しいか、僕は年間自分の目で見て、肌で感じてきまし た必す僕たちは理解し合えると信じています。 イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒や仏教徒、その他たくさんの宗教や思想 を持っているすべての人がお互いに理解し合える時が必す来る。 一番大事なことは、まっとうなイスラム主義と、僕たちが生きている自由主義が信 頼し合うことです。そのためには、僕たちは僕たちの生き方を顧みる必要がありま す。 僕たちが生きている社会は「自由主義」を選択しました。けれどこれからは、その 自由主義は、単に競争を激化させて人を消耗させ、所得配分の不平等や格差を拡大す