彼らの憎しみがひどくても、憎しみ返しをしないように、いがけていきたい。 イスラム世界の恵まれないつらい状況にいる若者や子どもたちに、医療や教育のチ ャンスを提供することもその愛の形のひとつです。 イスラム系の世界に散っている移民やその 2 世は、夢も希望も持てす、深い孤独の 中にいる。とりわけ若者にそんな人が多いのではないでしようか。 アラブの若者が「イスラム国」に心を奪われてしまわないために、行きどころのな い暮らし、やり場のない感情から彼らに簡単に洗脳されないために、大事なことだと 信じています。 あんな事件が起きている時に、絵空事のように聞こえるかもしれないけれど、「愛 の手」を差し伸べ続けることが一番有効な解決策であることを疑いたくないのです。 暴力に暴力で対抗して、 しいことがありましたか ) ・ベトナムも、アフガニスタ ンも、イラクも、シリアも戦争を起こした結果、多くの命が失われ、一時的な政権が 成立しても、その後も人々の苦しみは続き、しかも暴力の連鎖は止まらす、ひとつの しくことは明、らかです 戦争がつぎの暴力を生み、つぎの戦争につながって、
彼らは、残虐です。「イスラム国」はこれでもか、これでもか、と恐怖をおしつけて きます。人間の行為とは思えないと言う人がいました。でも、人間だからこんなひど いことをするのです。でも、どこかに人間らしい優しい心がきっとあるはすなのです。 彼らの多くは、ほんとに真面目に考え、大義を求めて集まってきたのだと思います。 その大義が間違っていたとしても、彼らはきっと考えて考えて、自らの人生を賭けて いるのだと思います。そうでなければ、自爆テロ攻撃などできるはすがありません。 けれど、それがたいへんな間違いであることに、 いっかきっと気がつくときが来る はすです。人を殺す前に、自ら死ぬ前に気づいてほしい。 人間の心の中には「悪」や「どうしようもない暴力性」があります。それは僕自身の 心の中にもあることたからこそ、よくわかります 暴力を暴力で止めることはできません。今は、一定の武力で彼らの領土拡大を抑え ざるを得ないと思います。自国のパイロットが殺されたヨルダンの空爆再開を「暴力 はイカン」と責めることはできません。でも、それで解決することではないのです。 せんめつ 彼らを殲滅したところで、また新たな「彼ら」が生まれてきます。 僕たちは、医療支援という形で、彼らの心のどこかにある、まだら状の人間らしい
ここに大切なことがあります。西欧社会で「神が死んだ」と言い、資本主義を拡大 させていった時に、イスラムの世界では、ますます神の存在が大きくなっていったの です。 イスラムの神は死ななかったのです。 「儲けること」以外に統一した価値をつくり上げることができなかった資本主義世界 「神は偉大なり」のイスラム主義とのつばぜり合いが、今始まっているのです。 けれどまだ戦争をしているわけではありません。多くのまっとうなイスラム教徒た ちがどれほどあたたかくて優しいか、僕は年間自分の目で見て、肌で感じてきまし た必す僕たちは理解し合えると信じています。 イスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒や仏教徒、その他たくさんの宗教や思想 を持っているすべての人がお互いに理解し合える時が必す来る。 一番大事なことは、まっとうなイスラム主義と、僕たちが生きている自由主義が信 頼し合うことです。そのためには、僕たちは僕たちの生き方を顧みる必要がありま す。 僕たちが生きている社会は「自由主義」を選択しました。けれどこれからは、その 自由主義は、単に競争を激化させて人を消耗させ、所得配分の不平等や格差を拡大す
貧しさが世界を不安定にしていく これほどまでに「イスラム国」が大きな力を持つようになったのには、理由がある と思います それについて少し考えてみたいと思います。 「イスラム国」に参加している人の多くは、貧しい若者たちです。「イスラム国」を率 いる人々はジハード ( 聖戦 ) という言葉に誘われて集まった彼らを訓練し、戦闘員と し、銀行や油田を襲い、原油の密売などで得た資金力を武器にその支配領域を拡大し ていきました。資金源には人質拘束によって得た身代金や、「偶像崇拝」として略奪 した美術品を売り飛ばしたお金も含まれる。 「イスラム国」よ、なぜ、拡大はこれほどに急速だったのか その原因のひとつは世界的な「格差」の広がりがあると思います。資本主義の行き 詰まりによって生まれた大きな格差と貧困です。ひとつの国家内でさえ、富める国民 は上層のわすか数 % 。しかもその数 % の富裕層が占める富の量だけが増え、一般の庶 民に還一兀されることもなく、 貧困層との差は広がるばかりです。日本国内でも同じこ とが起きているのは皆さんが知る通りです。さらに国家間、地域間の格差もまた拡大
) 甲にカ 戦争は、単に兵士、市民の命が奪われて国土が破壊されるだけではなし 「終わった」とされても、その後に大きな大きな禍根を生み、それがあらたな悲劇に つながっていくのです。 僕はすべての戦争に反対をしてきました。戦争の敗者たちは憎悪をかき立てるので す。人間は、自分たちが受けた被害、悲劇をけっして忘れられません。 戦争は始まってしまった以上、双方ともに勝たざるを得ない。お互いがどんな残虐 なことをしてでも勝とうとします。これが戦争です。しかし、多くの犠牲をはらって 勝ったとしても、その後に必す何かが残るのです。それが「戦争」というものの、最 も大きな災厄であろうと思います。 ソ連のアフガン侵攻が「悪」の芽をつくった もともと「イスラム原理主義過激派」を生み出したのは、アフガン戦争だと思って います。 1979 年ロ月、ソ連はアフガニスタンに侵攻し、親ソ派の政権を樹立させます。 この政権に対抗して、アフガニスタンゲリラによる武装闘争が開始されました。彼ら 75 第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか
被害者に、「カ」よりも何十倍も大きな「愛」の手を差し伸べることが大切な のだと気がっきました。 欧米の人や日本人が「イスラム国」を縮小させたり、溶かしたりすること はできないでしよう。キリスト教中心の欧米の力に振り回され続けていると 抑圧された側の心理があるため、聞く耳を持たないと思うのです。 「イスラム国」を溶解させることができるのは、まっとうなイスラムの人た ちの「イスラムはひとっ」という大義ではないでしようか。 今、多くの普通のイスラムの人たちが「イスラム国」から迫害を受け、大 変な目にあっています。 この人たちを支えてあげること、そして、この人たちが勇気を持って「イ スラム国」が自分たちのイスラム教の教えの中で存在してはいけない集団な のだとい、つことを、わからせて いくことが大事なのだと思います。 「イスラム国」に追われた人々の壊された生活をアラブの世界で見てきまし た。家を奪われたり、畑を奪われたり、国を奪われたり、足を失ったり、と てもつらい生活を強いられながら、そこには信じられないような笑顔や、 「イスラム国」に負けない当たり前の生活が溢れていました。 178
『イスラム国』に連れていかれてしまった。ロ、こ 人しオ家族のうち 6 人が連れ去られて しまった」と一一口います。 6 人の子どもたちだけで暮らしている。兄のひとりはペシュメルガというクルド人 自治区の治安部隊に入り、「イスラム国」とたたかっているのだそうです。 家族を殺され、家を奪われ、ふるさとを破壊された多くの人たちが暮らすのが難民 キャンプという場所です。 けれど環境が劣悪で人々の心が疲弊した難民キャンプに、 小さな診療所ができた時、 人々の心にはほんの小さな「安心」の灯りがともります 設備がどんなに貧弱でも、まだ医薬品もじゅうぶんではなくとも、それでも「病院 ができた」「お医者さんの看護師さんが来てくれた」というのは、人々にとって安心 につながります。 聴診器をあてただけで病気は治りません。 それでも、「聴診器をあててもらえた」「診てもらえた」という安心感が、難民キャ ンプの人の小さい月さい希望につながるのではないかと思います。 リ 4
教徒はまったく違うのです。ます僕たちはそれをちゃんと知っておく必要があります。 「シャルリー・エブド」は、政治や宗教をテーマにした風刺画を掲載している週刊紙 です。 自国・他国の大統領はもちろん、ローマ法王さえも風刺画の対象としてきました。 フランス人たちは爲世紀末に起きたフランス革命で市民の血を流して勝ち取った「自 由」に対し、特別に強い思い入れがあるのだと思います。 政治家やジャーナリストではなくとも、多くの国民が政策に対しても、政治家や宗 教者に対しても、自分たちの意見を自由に主張しようとしているように見えます。 けれども、フランスを含めた西欧諸国は、世界大戦でユダヤ人へのたいへんな差別 を大きな教訓として、一一一口論の自由にわすかながらの秩序をつくってきました。 ヨーロッパのいくつかの国では「ユダヤ人に対する差別的な発言を認めない」とい う「習慣」や法律を持っています。とくにユダヤ人に対しては非常にナーバスに対応 しょ , っとしている。しかしイスラム系の人に対して、こうした意識が強いとは思えま せん。 61 第 2 章なぜ「イスラム国」は生まれてしまったのか
の予算も増え、活動はしやすくなりつつありますが、まだまだ少なすぎる。 ZUO の きめ細かい支援こそ Z(D 〇が得意 活動内容をよく知って、上手に利用してほしい。 とするところだからです。 僕たちの医療支援は、今までも国から何回か補助をもらっています。でも多くは国 民の中にいる応援団が身銭を切ってくれた結果です。もちろんたくさんの支援者に支 えられることがもっとも大事だと思いますが、国の正式なお金で援助されるというこ とは、さらに支援の動きかステップアップされるきっかけになることか多いのです 国と〇が、もっともっと協力し合うべき時期に来ているように思います。 支援で流した涙にもきっと力がある 貧しい村の小さな家に着きました。イマーンの写真が印刷されたカードと、チョコ テ レートの缶を見るとお父さんは号泣し、お母さんも日本人スタッフと一緒に抱き合っ 器 聴 て泣き、おじいちゃんもやってきて泣きました。 皆でソーラーンという地域にあるイマーンの墓参りに行った。今度は、墓の前で僕 第 が泣きました。雪が山を覆っている。国境を越えるとイラン。
イラクに初めて入った時、イラクのドクターは「湾岸戦争前なら助けられたはすの くことが毎しくてならない。 この子どもたちをなんとか生き延 子どもたちが死んでい びさせてやりたい」と言いました。同じ医者として、どうしても医療支援をしてあげ たいと思いました。それが僕にできる「人道支援」のひとつの形だと確信したのです。 医療施設はいち早く「不可侵」の場所になる いろんな人たちがいろんな国と交 僕は非軍事の人道支援に徹底的にこだわりたい。 流したり、支援をしたり、逆に日本が震災などで苦しんでるときには支援してもらっ たり、たくさんの国とつながっていること、あるいは理解し合っていることが、日本 の安全を守る上で大切なんだと考えています。 だから僕は、危険があってもチェルノブイリやパレスチナ、ヨルダンの難民キャン プやイラクの難民キャンプに通い続けるつもりです。 非軍事の人道支援の中でも、もっとも大切で喜ばれるのは医療の提供だと考えてい ます。 どの難民キャンプでも、テントの村に建物がひとつあるとすれば、多くの場合は学 に 9 第 5 章一番大切なのは非軍事支援