思っ - みる会図書館


検索対象: 「イスラム国」よ
100件見つかりました。

1. 「イスラム国」よ

もちろん自分の行動に責任を持っことは当たり前のことです。自分が自由に生きて いきたいと思うからこそ責任を持っことが大切なのだと思っている。だから僕も「自 己責任」で行動しています。 イラクに人る時もそうです。イラクはシリアのような危険は少ないのですが、それ でも「万が一何かあった時に助けてもらえなくてもしかたない」と思っています。 もしも僕が拉致されて身代金を要求されたとしても、国連安保理で「テロリスト集 団に身代金は払わない」と決議したのだから、日本政府に僕の身代金を払ってもらう ことは期待していません。自己決定した結果がどんな結果になったとしても、自分で 自分の責任をとりたいのです。これは僕の覚悟なのです。 「自己責任」という言葉を他者につきつけることは下品だと思う。「自己責任」とは自 分に向けるための言葉で、他者を責めるために使うべき言葉ではないと思う。 僕たちは自由な民主主義社会の中で生きています。いろんな人の意見があっていい。 自己責任について議論することもあったほうがいし 、と思っています。 、僕は人を 責めるために使う言葉ではないと思います。自分自身の人生の様々な選択の時に、果 たして自分で自分に責任がとれるのか。それを考えることが大事 。だから「自己責任 という言葉は嫌い」と書いたのです。 21 第 1 章「イスラム国」が僕たちに与えた衝撃

2. 「イスラム国」よ

彼らは、残虐です。「イスラム国」はこれでもか、これでもか、と恐怖をおしつけて きます。人間の行為とは思えないと言う人がいました。でも、人間だからこんなひど いことをするのです。でも、どこかに人間らしい優しい心がきっとあるはすなのです。 彼らの多くは、ほんとに真面目に考え、大義を求めて集まってきたのだと思います。 その大義が間違っていたとしても、彼らはきっと考えて考えて、自らの人生を賭けて いるのだと思います。そうでなければ、自爆テロ攻撃などできるはすがありません。 けれど、それがたいへんな間違いであることに、 いっかきっと気がつくときが来る はすです。人を殺す前に、自ら死ぬ前に気づいてほしい。 人間の心の中には「悪」や「どうしようもない暴力性」があります。それは僕自身の 心の中にもあることたからこそ、よくわかります 暴力を暴力で止めることはできません。今は、一定の武力で彼らの領土拡大を抑え ざるを得ないと思います。自国のパイロットが殺されたヨルダンの空爆再開を「暴力 はイカン」と責めることはできません。でも、それで解決することではないのです。 せんめつ 彼らを殲滅したところで、また新たな「彼ら」が生まれてきます。 僕たちは、医療支援という形で、彼らの心のどこかにある、まだら状の人間らしい

3. 「イスラム国」よ

ます。 今まで日本は途上国の貧困対策を最優先してきました。政府は経済成長の重要性を 強調し、〇 Q< も極力日本企業を使って、日本企業の利益を作りながら途上国の経済 成長を促そうという動きを強めているようで、今までとは支援の空気が変わりそうな 心配もあります 僕はアフリカや中東を歩き、今までの日本の支援が尊敬されているのを見てきまし た。でも、大切なのは額ではない。巨額の援助であっても、結局日本が日本企業のた めにやっているような政府間援助ばかりでは、上品とはいえません。日本の支援は常 に紳士的なものであってほしいと思います。これが簡単に変わらないようにしてもら いたいと思います 今後、〇 Q< についても、政府はますます Z(D 〇を信頼して、うまく使ったほう 力しいと思います。僕たちのように非軍事人道支援を明確にしている団体に少額でも 補助を出し、そのお金がきめ細かく命のギギ歩を生、きている人たちに使われ、たく さんの人たちを助けることによって、日の丸は輝きを増すのだと思います。 ダムや地下鉄や道路の建設など巨額の資金を使い、日本の企業が現地に乗り込むと 大切なのはバランスなのです。 2 年前に比べれば Z 〇へ しう支援もあっていし 、 0 167 第 6 章聴診器でテロとたたかう

4. 「イスラム国」よ

世界は社会主義、共産主義よりも資本主義、自由主義を選びました。これしかなか ったのです。しかし資本主義とは競争の論理です。競争がある以上、資本主義と自由 しにつなか 主義は必す大なり小なりの格差を生む。この格差を、殺し合いや憎しみ合、 らない「ほどほど」のところに微調整する知恵を、世界は今こそ身につけなくてはな らないように思うのです 国内で、ほんのちょっと考え方や意見が違うといって、ヘイトスピーチや内ゲバみ たいなことをやっている場合ではないように思います。 ウイルスとの戦いも、テロとの戦いも、これは今まで世界が経験したことのないよ , つな戦いです。だからこそ、欧米も、ロシアも、もちろん日本も「これが正しい」と 確信できる戦略が立てられない。それぞれが「こうするべき」「いやそうではない」と 国家間でも意見が違い、もちろん国内でも意見が食い違う。その結果、何も生み出さ ない議論の空中戦が始まってしまうのです。 「正解」を見出すのは、決して容易なことではありません。 けれど、ただひとつはっきりしているのは、「暴力」で解決することはけっしてで きないということです 49 第 2 章なぜ「イスラム国」は生まれてしまったのか

5. 「イスラム国」よ

現場に入って初めてわかる「ほんとうに大切なもの」 被災地や、戦いの後に支援に人る時は、どんな場所でも、相手の身になって考えよ うと努力しています。日本でひとりよがりに「これが必要だろ , つ」「こうすれば喜ば れるだろう」と思っても、行ってみなくてはわからないことがたくさんあります 現地で「もしここで自分が生きているとすれば何をしてもらいたいと思、つだろ , つ」 と想像することがとても大事なのです。 医療支援をおこなう場合には、必すスタッフが先に現地に入り、難民キャンプの状 態の事前調査をおこないます。食事が足りていないと判断すれば、ます炊き出しの準 備。清潔な水が足りないならば浄水器も。心が疲れているなと思う時は「、 ) ちそう 会」を開く計画を立てることもあります。寒さに震えているキャンプならば、ます毛 布を準備する。 特に、医薬品は今すぐに必要な種類を慎重に選んで準備します。 など。慢性疾患用には高 一般的には急性疾患や外傷用に鎮痛剤、解熱剤、抗生物質 血圧、糖尿病などの薬を用意しますが、状況によっては別のものが緊急に求められる 140

6. 「イスラム国」よ

る「新自由主義」であってはならないと思います。 本当に深い意味での「自由」を追求する自分の自由と他者の自由を共に大事にする 「真・自由主義」でなければならないのです。成熟した自由主義を確立することによ って、自由主義とイスラム主義は手を携えられるのではないかと考えています。そう なった時、常に過激な暴力を伴う思想を持っ組織、グループは、生き延びることがで きなくなると思 , つのです。 真の意味で自分は自由であるか。 他者の自由を認めて生きているのか。 刃や暴力を向けるのではなく、 僕たち自身に問い直さなくてはいけないのではない でしょ , つか。 僕たちの世界がまっとうになった時、初めてイスラム社会もまた、資本 主義や自由主義や民主主義を真に理解しようとしてくれるのではないでしようか。 69 第 2 章なぜ「イスラム国」は生まれてしまったのか

7. 「イスラム国」よ

新自由主義ではなく「真・自由主義」が平和をつくる ニーチェは時代を変えるよ , つな一一一口葉を世界に放ちました。 「神は死んだ」 も、自分たちへの揶揄やユーモアを寛容さをもって受け止めることができる世界にな ってくれたらと願わすにいられないのです。 イスラムの教えを厳格に守ろうとする人も、過激化して暴走している人も、もう一 度、寛容さを大切にしてみる必要があります。 彼らだけでなく、 世界全体がもう一度、寛容の作法を身につける必要があると思っ ています。 キリスト教やユダヤ教の聖書も仏教の仏典も、人生とは何か、命とは何かについて 探求しょ , っとしています。 世界中のイスラム教徒が心のよりどころにしているコーランも、また同じです。人 間が生きるためにどうすればよいのか、他の宗教よりも、より具体的な回答を示そう としています。

8. 「イスラム国」よ

はちゃんと保たれているのかどうか、それを自分の目で見て、世界に伝えたいと考え ていたのでしよう ツィッターに残された後藤さんの「つぶやき」を読んでみました。 2 0 O 年 9 月に、 , 後 ~ 滕さんはこ , っ圭日いている 「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎 むは人の業にあらす、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだっ アラブの社会で虐げられた人や貧困の中で生きている人たちを見て、彼らを虐げ苦 しめる者に対する怒りが湧いてきたのでしよう。怒りと贈悪を抑えようとし、しかも それをアラブの友人に教わったと言っているのです。 後藤さんは、あるがままを受け入れようとしながらも、その中にあって、少しでも しし生活ができるよ , つにと願い、できることを 子どもたちや女性たちがおだやかで、 しようとしていたのだと思います 19 第 1 章「イスラム国」が僕たちに与えた衝撃

9. 「イスラム国」よ

を続けて障がいと戦ってきました。その間はまったく学校に通うことさえできなかった。 僕は彼に質間しました。 「イラクのスンニ派とシーア派は、昔はとても仲良しで、男女が好きになれば結婚し ていた時代があったと聞いている。『イスラム国』もスンニ派だと自分たちで言って いるけれど、君は今の対立をどう思う ) ・」 ムスタファ君は答えました。 「スンニ派とシーア派はもともとイスラム教という大きな枠の中で仲良くしていまし た。僕自身はスンニ派ですが、叔母はシーア派です」 さらにムスタファ君は続けます 「『イスラム国』はスンニ派の看板を掲げているだけ。僕たち若者だけではなく、イ ラク人全員が思っていることだけど、『イスラム国』というのはテロリストの集団で、 イスラム教徒なんかじゃない。 イスラム教は人に親切にすること、優しくすることを 教えている。人を脅かしたり国を乗っ取ったりしろなんて、経典にはありません」 僕は内」、らに、 「君の足を粉々に壊してしまったアメリカを、今どう思っている ) ・」 「アメリカという国に納得はしていません。なぜ他国である僕たちの国に攻め人る必 108

10. 「イスラム国」よ

はイプラヒムさんがイラクに帰るための費用を用立て、妻を失った彼の心を支えてく れました。後藤さんはイプラヒムさんとの別れぎわにこう言ったそうです。 「佐藤さんやあなたの日本の友人たちは、今、ヨルダンから遠く離れて日本にいます。 でも、私はここにいるから、佐藤さんたちの代わりに私があなたを助けたい」 イプラヒムさんの心には後藤さんの一一一口葉、優しさが深く刻まれていたのだと思う。 優しすぎるイラク、ヨルダンの友人たち イプラヒムさんは奥さんを失った後、 1 —ー Z のスタッフになりました。 僕もそれ以来、彼と 2 年間付き合ってきました。いつもあたたかくて、優しい男で す。 僕が難民キャンプを回るのに疲れてくると、決して上手ではない日本語で「なんと かなる、なんとかなる」と肩を叩きます。 東日本大震災が起きた時も、すぐに僕にメールをくれました。 27 第 1 章「イスラム国」が僕たちに与えた衝撃