組織 - みる会図書館


検索対象: 「イスラム国」よ
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1. 「イスラム国」よ

3 つの戦争が生んだ過激派組織 「民主主義、自由主義、民族主義を信じてはいけな、 「アメリカ、フランス、オーストラリア、カナダなどの軍人、市民を間わす殺せ。。 れと相談することなく殺せ。彼らの血を流せ。彼らの金を奪え」 「イスラム国」は恐ろしい言葉を世界に投げつけています。 彼らの組織が関わった事件はその組織の拡大とともに増え続けました。 年のフランス人ジャーナリスト拉致、 2 — 4 年 6 月の在イラク・トルコ領事館で 起きた子どもを含む人の拉致事件、 8 月のアメリカ人ジャーナリスト処刑、 9 月か らⅡ月にはイギリス人、アメリカ人の人道支援家を拉致して処刑したと見られる動画 を公開した。Ⅱ月にはオーストラリアでシーア派信者が銃撃され、さらに 2 0 — 5 年に人って湯川さん、後藤さんが殺害されたと見られる動画が公開された。そして 2 月日にはエジプト人キリスト教徒幻人を殺害したと見られる映像が公開された 戦慄すべきこの集団が生まれてきてしまった経緯について、少し整理しておきたい と思います 彼らの組織成立には、 3 つの戦争が大きな影響を与えています。

2. 「イスラム国」よ

その—か月後、アメリカは対テロ戦争を宣一一一口。アルカイダとの全面対決に踏み切り ました。やむを得ない判断だったと思いますが、アメリカはアルカイダをかくまった タリバン政権を打倒するためアフガニスタンに侵攻した。 アメリカ軍は東部の洞窟に立てこもったアルカイダを追い詰め集中的な空爆をおこ ないましたが、、、 ヒン・ラディンは逃げ切り、彼はイスラム原理主義者にとって伝説と なりました。その後、 2 —年 5 月 2 日に、米軍はビン・ラディンをつ に枚生ロ します。 伝説の指導者を失った後、アルカイダはアフガニスタンとパキスタンの国境沿いに 勢力を確保し、パキスタンに逃げ込んだりしながら、関連組織は世界に散っていきま 自律的に形成されるやっかいな分散型のテロリスト集団になっていったのです。グ ループが分散したことで、過激派組織を抑え込むのは非常に困難になったのです。 アラブの世界は、宗派と部族の支配者が大きな力を持っています。その指導者がテ ロリストをかくまうと、なかなか中央政府も手を出せないと、 しいます。 2 — 4 年のノーベル平和賞を受賞したマララさんを襲撃した「パキスタン・タリ ハン運動」もまたそうした組織のひとつです。彼らは女性の教育を認めていません。 77 第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか

3. 「イスラム国」よ

の始まり」と言い放ちました。 「イスラム国 ( ) 」とは、まるで「国家」のような呼び名ですが、「国」を自称してい るだけの卑劣で過激な組織です。しかし、現実にはその組織が実効支配地域を持って しまったのです。 彼らは、「自分たちの味方をしない者はすべて敵だ」と叫びます。空爆など一度た りともしていないのに、日本を「空爆をする有志連合の仲間」と見なしました。人道 援助をしただけだと言っても、彼らはそれをわかった上で「日本も敵だ」と主張しま す。「敵」か「味方」か、彼らにあるのはその二者択一だけです。 撃 衝 与 後藤さんの願いと覚悟を想像する 後藤さんはシリアに人る前に覚悟を決めていたと想像しています。迷いの中でも万 国 が一のことを常に考え、覚悟して現地に入ったのだと思います。それは彼が残したビ デオからも明らかです 後藤さんはジャーナリストして長くイラクの取材、そして支援に関わり、僕が代表嶂 第 を務めるーの事務局長である佐藤真紀さんもよく知っていた人です。

4. 「イスラム国」よ

報員たちがいたことによって、今までの単なるテロリストの集団ではなくなりました。 国を統治して行政を運営する能力がある官僚が、彼らの組織に加わったからです。 アフガン戦争でゲリラを応援し、イラク戦争を起こし、シリア内戦で「イスラム 国」に武器が流れるのを見逃した。 、大きな失敗をしたのです。 アメリカは連続して 3 つのとり返しのつかなし 「超国家」という国家観 アサド政権は 3 つのスンニ派の部隊に追われ、東側から兵を引いて首都ダマスカス のある西側に自らの兵隊を集めました。 「イスラム国」はあまり血を流さすに、シリアの 3 分の—くらいの東側の地域を制圧 してしまいました。 また、この頃からヌスラ戦線から「イスラム国」に鞍替えする人たちも出てきまし た。もともと自由シリア軍は戦争に慣れた組織ではありません。欧米から最新鋭の兵 器を手に人れても「イスラム国」に売ることも多かったよ , つです。 「イスラム国」は手に人れた最新鋭兵器を使ってヌスラ戦線とも戦い始め、勝利をお

5. 「イスラム国」よ

独裁の恐怖政治を敷いていました。 イラクは国民の 7 割がシーア派、 3 割がスンニ派。その 3 割のスンニ派で、サダ ム・フセインは国をコントロールしていたのです また宗派の違いとは別に、 イラク国内には最大民族であるクルド人が、イラクの北 側に万近くいるといわれており、彼らは、いっか自分たちの国を独立させた いという野望を持っている。イラクは宗派と民族というふたつの大きな火種になり得 る問題を抱えていました。 結局フセイン政権はアメリカによって崩壊しますが、その混乱の中、アフガニスタ これが何回も組織の分散や合併を繰り ンを追われたアルカイダの残党が紛れ込んだ。 返しながら、やがて「イスラム国」ができていったと考えられています。 アメリカが引き起こしたイラク戦争が「イスラム国」の成立の大きな要因のひとっ ともなったのです。 彼らの残虐な行為が「重要な戦略」になっていったのは、イラク戦争以降でした。 人質の首を斬って処刑し、その動画をネット上で公表するという手法は「イスラム 国」の前身組織のリーダーだったザルカウイが始めたものです。「イスラム国」はザル カウイの手法を踏襲し、斬首による人質の処刑はその後次々と公開されました。

6. 「イスラム国」よ

しかし「イスラム国」とはそもそも何者なのか組織なのか、主義なのか、宗派な のかその実体は僕たちにはなかなかわかりにく、。 「イスラム国」は「国」を名乗っているものの、国際的な理解での「国家」ではありま せん。僕たちの多くは彼らの行為を「拡大した過激派組織のテロ」と捉えています。 だから、彼らのグループを表記するときも「イスラム国」と「カッコ」をつけている。 誤解をまねきかねない「国」を使わす「」「」と表記して報道する場合も あります。日本政府は「」を使います。英語圏では「」の略称を使う 場合もある。 しかし、いすれにせよ、彼ら自身ははっきりと「国」として「戦争」をしている意識 を持っているはすです。彼らの理想とするカリフ制の「国」として戦っている。 資本主義・自由主義社会が信じている「国家」を超えた「超国家」、つまりカリフを 名乗ったバグダディのもとに政治と宗教が一体になった「理想の世界」を「国」と考え ているのです。 しかも実態として行政機構をつくり通貨の発行もおこなっています。その拡大のた めに「世界」と戦い、それは「聖戦」であり、欧米型の生活を捨て彼らを打倒するため に殉教すれば天国が待っている、閉塞感をもった若者を自分たちの「国」に誘い続け 117 第 4 章なぜ君は「イスラム国」に参加するのか

7. 「イスラム国」よ

定される美術品を奪い、破壊するのみならす売り飛ばすことで資金を得ようとしてい ます。その数点以上、時価億円が美術品売却による資金ともいわ れる。 「身代金の支払いに応じ、よ ナい」「彼らの原油を買わない」「美術品を買わない」といっ た兵糧攻めは一定の効果を発揮しつつあると思います。 しかし、彼ら「イスラム国」の勢いが衰えたとしても、シリアにシーア派のアサド が残っていることに納得できないスンニ派の人がいるかぎり、シリアの内紛が収まる , ) 」ははいでー ) よ , っ こうした情勢の中で、「イスラム国」の組織、支援者、賛同者は居残り続けてしま う可能性があります。 ハキスタンで活動している過激派組織「ジュンダラ」は「イスラム国」への支持を表 明しており、また「イスラム国」はパキスタンとイランとアフガニスタンが接する地 域を「イスラム国ホラサン州」と名付け、「パキスタン・タリバン運動」の元幹部を「イ スラム国」の「州知事にする」などと宣言もしているようだ また、エジプト東部でも現地過激派勢力を取り込み、一方的に「イスラム国シナイ 州」樹立を表明したりもしているのです。

8. 「イスラム国」よ

ム法学者の判断があり、シーア派はアラウィー派を支援していると考えられます。 シーア派の国民が多いイラクはアサド政権を支えており、レバノンの過激派組織ヒ ズボラもシーア派のため、アサドを支援しているといわれています。アサド政権に抵 抗する自由シリア軍も、ヌスラ戦線も、「イスラム国」も、大きな区分けではスンニ 派です。 国家間、組織間には、スンニ派とシーア派の、対立構造があるのです。 石油が出る湾岸のサウジアラビアなどお金持ちの国もスンニ派であることから、彼 らお金持ちたちから一時的に「イスラム国」に武器やお金が流れるよ , つにもなりました。 アメリカは、民主主義を否定し自分の息子に政権を継承させようとするアサドを倒 したかったのですが、すでにアメリカはイラク戦争で疲れ切っており、シリアに兵を 送ることはできませんでした けれどアサド政権を倒してくれる勢力ならどこでもよかったのです。ここが再び、 。「イスラム国」にスンニ派の支持者からお金や武器が流れる アメリカの失敗だった ことに、見て見ぬふりをしてしまったのです。 イラクで勢力を拡大できなかった「イスラム国」はその結果、力を得て、シリアで 巨大な勢力になっていきました。しかも、フセイン時代を支えていた軍事顧問団や諜

9. 「イスラム国」よ

ス党という官僚組織と諜報機関で、批判者を牢獄に入れるような非民主的な圧政を敷 いていたからです。フセイン政権時代、諜報機関やスンニ派の軍隊は強大な権力をも っていましたが、 , 彼らを指揮・指導する立場にあった人たちはみな行き場を失いまし た。そうした人々の一部が、同じスンニ派の「イスラム国」に吸収されていったのです。 ノクダディが「イラクのイスラム国」の指導者となり 2 0 O 年、アプ・ ました。しかし、この頃はイラク中央政府をコントロールしているシーア派に圧力を かけられ、彼らはまだ大きな力を持ってはいませんでした。組織の方針が過激すぎる ため、一般のスンニ派の国民からもそっぱを向かれていたのです。 3 つの判断、くスが「イスラム国」をつくった けれど、その様相が変化したのは 2 —年末から 2 — 2 年にかけて北アフリ カおよび中東で起きた抗議運動、いわゆる「アラブの春」以降のことでした。 チュニジア、エジプト、リビアで、強い権力で抑圧されてきた国々の国民たちが揺 れ始めました。シリアでもアサド政権打倒の動きが始まります。アサドはサダム・フ セイン以上の圧政を敷いていたといわれています。多くの政治犯を刑務所に収監して

10. 「イスラム国」よ

第 3 章「イスラム国」はどこへ行くのか 3 つの戦争が生んだ過激派組織 ソ連のアフガン侵攻が「悪」の芽をつくった アメリカの「ボン、 , 、ス」の始まり イラク戦争が「イスラム国」を生む引き金となった 3 つの判断、くスが「イスラム国」をつくったわ 「超国家」という国家観 「カリフ」という野望 「イスラム国」は終わらない 第 4 章なぜ君は「イスラム国」に参加するのか 「イスラム国」に心を奪われた青年 巧妙なネットでの戦略 帰還兵が爆弾になる時 102