教え - みる会図書館


検索対象: お釈迦さまが教えたこと 1
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1. お釈迦さまが教えたこと 1

第 4 章 無常の世界の予測術 がないのです。 0 占いは宗教の予言より当たるが、無視すべき じつは占いは、宗教的な予言より、もっとマシなのです。 ただブッダの教えでは、ぜんぜん気にする必要はない習慣です。 鼻先で笑い飛ばします。占いに頼ることは理性に基づいた生き方として 認められるものではありません。 しかし一部の占いは、世の中のあらゆる現象と、それがどのように人 の生き方に影響を与えたのかを調べたデータから開発したものなので、 完全に外れると言えないかもしれません。 かなり昔に、たとえば手相をみる占い師は、多くの手相を見て、何か でも占いの予言は簡単に無視できるものです。風水であろうが八卦で いう経験もするでしよう。 だから占ってもらうと、ときどき「すごい ! だから宗教の予言よりは、マシなのです。 「決まり」がないのかと真剣に学問的に探して、何かを見つけたのです。 はつけ 当たっていますよ」と 定しても、理性のある人には問題ありません。 あろうが、まるつきり無視してもまったく問題ありません。完全に否 149 ブッダは因縁ですべてを説明する

2. お釈迦さまが教えたこと 1

サンガの本 「を 0 第れたまを時 : だはぐも。 、人はし第ないま物 . をに「します一 苦 を ~ ー苦」を、「楽」に変える頭を持とう ~ つを 楽 変 ーっ を と < ・スマナサーラ著 貧乏に生まれるか、金持ちに生まれ るか、幸運な一生を送るのか、波乱 の人生を送るのか、すべての運命は、 よ 自分の「業」に因ります。いままで 誰も伝えていなかった真実、幸福な 人生を送るためのブッダの秘密の智 慧「心の因果法則」を紹介します。 0 ) パーリ語日常読誦経典 ページ冊子 経典には生命に関わる一切の真理を濃縮してあり ( 。ハーリ経典、対訳、解説 ) ます。その教えは、日々唱えることで自分と一体と Z 付 *IJ(_)O CD 円なり、日々その意味の理解を深めていくのです。 A ・スマナサーラ 今の自分をちょっと変えれば 未来はとんとん変わり出す 。業 " とは「原因」と「結果」 のこころの法則である ~ を 旧 B N 4 - 9 0 1 6 7 9 - 0 2 - 3 ¥ 1 40 0 ′」う 〈表示価格は税別〉

3. お釈迦さまが教えたこと 1

第 3 節無常をめぐる諸宗教の失敗 なぜ現象は変化する ? 変化はいつか終わる ? ヒンドゥー教の実家論 ・・ 129 ・・ 130 ・・ 132 中東の宗教は「天国」と「地獄」の二者択一 説一切有部は「現在、過去、未来は同じだ」と説く・ 大乗仏教はブッダの教えを骨抜きにする・ 仮説をごり押しして真説にする愚かさ ブッダは、仮説を立てずに調べていく・ 第 4 節ブッダは因縁ですべてを説明する ・・ 134 ・・ 135 ・・ 136 ・・ 137 ・・ 139 因縁で説明できないことはない 仏教は「自分に関する因縁の説明」・ 「因」は原因、「縁」は条件はめ知識 ) すべては「結果」であると同時に「原因」・ 無常は想像を絶するほど多次元的 変化そのものが世界の姿・ すべては一時的で相対的・・ 無常の世界の予測術 ・・ 147 ・・ 145 ・・ 146 世界は法則通りに変化するので予測可能 予測能力は因果法則の理解しだい 占いは宗教の予言より当たるが、無視すべき ・・ 140 ・・ 141 ・・ 142 ・・ 143 ・・ 144 ・・ 147 ・・ 148 ・・ 149

4. お釈迦さまが教えたこと 1

正しい見方 = 仏教の中論 0 一切の現象に価値はない 仏教は楽観主義でも悲観主義でもありません。 仏教は「中論」を語ります。 こちらが「正しい見方」です。 中論は、ただの「まん中」ではありません。 教えも中論、真理も中論です。正しい見方によるものです。修行 は「中論を実践する正しい道」、つまり「中道」です。大乗仏教 の龍樹などが言っていることとも重なりますので耳にしたことがあるで しよう。 どんな現象でもよいのです。 ペットボトルが現れたということは、原材料としてのプラスチックが 消えたということです。お茶を飲み干すと、容器としてのペットボトル は消えて、処理のやっかいなプラスチックのゴミが生じるのです。 「貧乏な人が宝くじに当たった」という現象は、同時に「豊かさが生 じる」「貧しさが消える」ということです。それが我々には 1 つの現象に 見えるのです。 生まれると同時に、消えています。 消えると同時に、生まれています。 一切の現象は、生でもあり、減でもあるのです。 一切の現象は、「良い」「悪い」の 2 つの側面を半々に持って いるのです。 生命であろうと物質であろうと、現象はすべてこんなものなのです。 ですから、一切の現象は、評価不可能です。良くも悪くもありま せん。俗世間の「苦しい」「楽しい」「幸せ」「不幸」といった 正しい見方 = 仏教の中論 174

5. お釈迦さまが教えたこと 1

無常批判の大掃除 0 無常論への批判 1 : 無常論は暗い 少し角度を変えて、仏教の外部から仏教的無常論を批判的に考察して みましよう。 まず単純な誤解に基づく批判を片付けます。 「すべては無常です」と言われると、「なんだか暗くて嫌だ」と反発す る人が多いようです。 ところが話を聞いてみると、たいていの人が「無常」と「無」 を混同しているのです。 いっさいかいくう 大乗仏教の経典「般若心経」には「一切皆空」という教えが説かれて います。「一切は空である。ゆえにすべては無い」というのですね。皆 さんはそれと「無常」をミックスしているようです。 そもそも「一切皆空」の思想は、ブッダの考えではありませ ん。真理ではありません。 そうではなくて、お釈迦さまは「諸行無常」とおっしやったのです。 「諸行」の「行」は「原因によって組み立てられている現象」という 意味です。つまりお釈迦さまは、「すべての現象は原因によって 一時的に組み立てられたもので、常に変化しています」と言っ たのです。 0 無常への批判 2 : 人生のモノサシがない 「何でも無常」ということは「先がわからない」ということです。す ると先を予測して計画を立てることができなくなります。「どのように 生きたらいいのか」というモノサシ、ガイドラインがなくなります。 人間は「あの人を信頼していたのに、裏切られた」というだけでも、 無常批判の大掃除 1 18

6. お釈迦さまが教えたこと 1

ブッダはこのように言うのです。 このうえなく優しい方は、さらに続けます。 「しかしこれも、君の能力では発見できないかもしれません」。 確かにそうですね。「自分の因縁を見つけなさい」と言われても、途 方に暮れますね。実際、超越した智慧がないと、個人で発見することは 難しいのです。 それで「はい、これが君の存在に関する因縁ですよ」とブッダ は親切に教えてくださったのです。これがすなわち仏教です 仏教というのは、そういうものなのです。「仏教は、自分という 存在について、因縁で説明した教え」なのです。自分に関する因 縁の説明なのです。 繰り返しますが、仏教では、基本的に自分という存在の説明に限定し て因縁を語ります。これはお釈迦さまの態度です。「生命の幸せに役に 立っこと」に限定したのです。ほかのものにもチラチラと因縁の法則を 当てはめて説明することはありますが、そういうときには「これは君の 幸せには関係ないでしよう」という態度を取るのです。 0 「因」は原因、「縁」は条件 ( まめ知識 ) 因縁について、ちょこっとまめ知識です。 ほっしゅろん 仏教の理論書、アビダルマのテキスト「発趣論」で膨大な分量を費や して複雑に論じていることの基本の基本を、何行かで説明します。 すごくシンプルに考えてください。 「因」とは「原因」です。 「縁」は「条件」です。「結果に影響を与えるもの」です。 水を沸かすためにガスに火をつける。 この場合、 ブッダは因縁ですべてを説明する 142

7. お釈迦さまが教えたこと 1

と言ったのです。仏教は宗教ではありませんからね。 ところでずいぶん辛口でしたが、仏教は、ヒンドゥー教の修行を否定 するわけではありません。 修行で心の状態を変えて、人間のレベルを超えた経験をすることは可 能です。挑戦と努力に応じた結果が得られるでしよう。 ただ「その修行によって最終解脱を得られるということはない」とお 釈迦さまは言ったのです。だから仏教では、ヒンドウーの教えは完全に は認めないのです。 0 中東の宗教は「天国」と「地獄」の二者択一 中東の宗教では、「神」が現象の世界を創造して、やがて神が決めた 場所で、神が決めた状態で世界を安定させるのです。 キリスト教が提示する「安定した状態」は 2 つあります。神を信仰 する人には「永遠の天国」、神を信仰しない人には「永遠の地 獄」です。 中東にはキリスト教以外にもたくさんの宗教がありますが、いずれも 「永久的な神」と「創造されたもの」は完全に 2 つに分かれていて、同 ーではありません。この点はヒンドウーとは違います。 また 2 つの状態の割り振りは神の気分次第ですから、安定したとは言 いにくい状態にあります。 神の機嫌が変わったらどうなるでしようか ? 怒るは、嫉妬するは、 大量に殺すは、そんなやりたい放題の気まぐれな神が、「すっと君は天 神に対する個人の立場は常に圧倒的に低くて、恐ろしい神に始終怯え う保証もないでしよう。 国でよろしい」ということがあるでしようか ? 天国ごと壊さないとい ることになっています。 無常をめぐる諸宗教の失敗 134

8. お釈迦さまが教えたこと 1

の実感は何なのかと、探求したほうがよいのです。 仏教からみれば、世の中のことに価値はありません。それなのに我々 現代人は、無駄なことばかり知ろうとしています。 価値を入れるとロクなことはありません。 幸福を得ようと苦しむ。不幸を払おうと苦しむ。劣っている、勝って いると差別する。 お母さんが痴呆になってあなたのことを忘れたら、かわいそうです か ? あなたが悲しくても、お母さんにしてみれば「知らない人がいる」 というだけです。不幸でも幸福でもないのです。評価に値しません。 男みたいな女性、女装する男性、性転換する男性、そんなのはすべて 無意味です。価値がありません。だから勝手にすればよいのです。 テーラワーダの世界は、「誰も偉くない。誰も卑しくない」という世 界です。ですからスリランカでは、貧しい人も自分のことを不幸だとは 思っていません。だから明るいのです。金持ちが貧乏人を差別すること もありません。差別は悪業だという仏教の教えも生きています。 西欧的な価値観が支配的な世界では、無意味な価値観と差別から生じ る苦しみが絶えませんが、仏教的な世界は、穏やかでなめらかなのです。 私が変化するなら、世も変化する。世が変化するなら、私も 変化する。自も他も一つの流れとして変化するのです。これが無 常と私の関係なのです。 0 「変わらない私」は「人類最大の間違い」 「私」は、生きるために計画を立てたり、希望を抱いたり、苦を嫌が ったり、楽を期待したり、好んだりします。 ここで人間は根本的な間違いを犯します。「私は変わらない。私 は私です」という実感を持ってしまうのです。それで「私はあれ 因縁法則こそ人生の操作方法 182

9. お釈迦さまが教えたこと 1

第 2 章 それは「無常」ではありません こうした心の変化の速さは、光の変化の速さの 17 倍です。光の 速さで変化する花を、光の 17 倍の速さで変化する心が知るのです。 0 存在する = 無常である けているのです。そういう人には、「超」がつくほど難しいブッダの世 めに行動しているのです。その人が家を守っているのです。人の命を助 さんのほうが、頭が良いのです。現実を見て、知って、正しい目的のた ントに詳しい旦那さんよりも、今日のスーパーの特売品を知っている奥 ブッダの教えを、農民や、召使いの子は、すぐに理解するのです。カ どうしてそんなことが言えるのですか ? 彼らは何も見ていません。 平気で言うのです。「一定した変わらないもの」を発見していないのに ません。知識人と言われる人が「存在は一定した変わらないものだ」と 誰も「永遠不滅の魂」を発見したことはないのに、それを疑おうとし 無常であることが存在です。無常が存在です。 「永遠不減」は極端な妄想で、実在しません。 と、存在することは不可能です。 無常でなければ、自分も他人も世界も宇宙も、神も、何一つもあるこ これが仏教しか発見していない真理です。 ーテンを見て心が変わる。生きること = 無常、存在 = 無常なのです。 吸っているのだから、もう別な人間なのです。本を見て心が変わる。カ う ? 1 回息を吐けば、次には別な空気を吸うでしよう ? 違う空気を ものを消化する」そういうことでしよう。すべて変わることでしょ 「生きる」とは何ですか ? 「呼吸する」「ご飯を食べる」「食べた いく」「一時的」「無常」ということです。 「存在する」「在る」「ある」「いる」などの本来の意味は、「変わって 界も理解できるのです。 69 無常に拠って立っ世界

10. お釈迦さまが教えたこと 1

アルポムツレ・スマナサーラ A1ubomu11e Sumanasara スリランカ上座仏教 ( テーラワーダ仏教 ) 長老。 1945 年 4 月、スリランカ生まれ。 13 歳で出家得度。 国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとる。 1980 年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在 は ( 宗 ) 日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説 きつづけている。朝日カルチャーセンター ( 東京 ) の講師を務めるほか、 NHK 教育テレビ「こ ろの時代」などにも出演。「希望のしくみ」 ( 養老孟司氏との対談、宝島社 ) 「なぜ悩む ! 』 ( 玄侑宗 久氏との対談、サンガ ) 「自分を変える気づきの瞑想法」 ( サンガ ) 「死後はどうなるの ? 」 ( 国書刊 行会 ) 「ブッダの実践心理学アビダンマ講義シリーズ」 ( サンガ ) 「原訳「法句経」一日一悟」 ( 佼 成出版社 ) など著書多数。 日本テーラワーダ仏教協会 http://www.j-theravada.net/ お釈迦様が教えたこと① 無常の見方 2006 年 3 月 20 日第 1 刷発行 筆者アルボムツレ・スマナサーラ 装丁重原隆 装画高橋優子 写真相田晴美 発行者島影透 発行所株式会社サンガ 〒 102-0071 東京都千代田区富士見 2-5-12 電話 03-3264-8921 FAX 03-3264-8922 郵便振替 02230-0-49885 ( 株 ) サンガ 印刷・製本モリモト印刷株式会社 OAlubomulle Sumanasara 2006 Printed and Bounded ⅲ Japan ISBN4-901679-15-5 Cff)15 落丁・乱丁本はお取り替え致します。