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検索対象: お釈迦さまが教えたこと 1
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1. お釈迦さまが教えたこと 1

めに性質が違っているのです。 「地・水・火・風」は同じスピードで変化しています。だから植物も 太陽も字宙も、一瞬たりともストップすることなく同じ速度で変化して いるのです。とても科学的な考え方でしよう ? しかし一般世界はこの考え方に反対するのです。 草木と草木の生えている崖が同じスピードで変化するわけはない。草 木は毎年変わるけれど、崖は何百年、何千年も前からあるのだ、と。 世間が見ているのは「現象」です。物質のレベルで見ていないの です。 0 すべての物質は光の速度で変化する すべての物質は地・水・火・風のエネルギーで構成されていて、光 のスピードで変化しています。 光も物質です。光は別の現象に変わらないので、いつでも自分のスピ ードを持っています。それは 1 秒間に地球を約 7 周半する速さです。い ろいろな物を通るときには光もスピードを落としますが、いずれにして もとても速いのです。 電灯のスイッチを入れたら、一瞬で光がつきますね。その一瞬が、電 灯から光が発せられて、光と認識されるまでの時間です。 こんなにも速い光のスピードで、すべての物質は変化しています。花 だ、山だ、川だと「現象」を見ているかぎり、このことに気づく はずがありません。 0 心は物質より速く変化する 生命の心も変化します。あなたの心は、一瞬として同じではあり ませんね。感情が変わる、認識が変わる、考えが変わるでしよう。その 無常に拠って立つ世界 66

2. お釈迦さまが教えたこと 1

は執着するでしよう ? それは水品玉はすぐには壊れない、無常ではない、と思っているから なのです。本当の無常がわかっていないからなのです。 では、万物は瞬時に変化すると知ったら、本物の無常を知ったら、ど うでしよう ? 水晶玉もシャボン玉も同じように無常なので、執着できないでしよう ? それがブッダの世界の真理なのです。 0 自我は成り立たない 自分も含め一切が同じスピードで変化しています。物質が変化 する。自分の体も変化する。心 ( 認識する機能 ) も変化するのです。し たがって「見るもの」「見られるもの」というのは、成り立ちません。 主体と客体の区別などありません。これを体験していくと、「自 我がある」という妄想概念は消えてしまうのです。 花を見る、その瞬間に心が変わった。体もまた光のスピードで変わっ ている。花も光のスピードで変わっている。次に「きれいな花だ」と思 う。そのときはもう、別人なのです。「きれい」と感じた花も、すでに ありません。もう一度見て「きれい」と感じたとしても、それは別の花 に対する反応です。 私は花を見る。その私がなくなって、別な私が「きれいな花だ」と思 う。別な私がその感覚を喜ぶのです。 「これはバラの花です」という認識に到るまでには、たくさんの認識 単位を経ています。目を開けた瞬間は、目に触れた光の情報によって、 「何かが触れた」ぐらいしか認識しない。それから順番に「触れたもの は何ですか」云々と認識が流れていって、やっと「バラの花」という認 識になるのです。 無常に拠って立つ世界 68

3. お釈迦さまが教えたこと 1

第 3 章 悟らなくても役に立っ しかしすべて同じスピードなので、この変化がわかりにくい のですね。壁をじっと見ていても、壁が変わっていることがわからない のです。それは見ている私も壁も、同じスピードで変わっていくからで す。物質は素粒子のかたまりで、素粒子は同じ速さで変わっているでし よう ? だから「私が見ている」という気持ちしかないのです。問題は 自分と世界の変化のスピードが同じことにあるのです。この「同じスピ ード」という点に、人間は騙されるのです。 毎日、子供を見ているお母さんは、子供の変化にあまり気づきません。 ところが 1 週間のキャンプから子供が帰ってくると、「たくましくなっ た」などと大きな変化を発見して驚くのです。 私も壁も、お母さんも子供も、同じ速度で変化しています。しかし 我々は普段はそのことに気づきません。それは並んでジョギングしてい ると、互いに止まって見えるようなものです。 そこで仏教では集中力を育てて、変化を発見する能力を高め るのです。心の変化は物質よりすっと速く、光の 17 倍です。心の眼で 見ると、心の無常も、物質の無常も見えてきます。心は物質と 変化の速さが違うので、変化していることがわかるのです。 無常を発見すると、いてもたってもいられなくなります。すべてが変 化し、何につかまることもできない。それまでの世界はすべて崩れます。 自分もなくなる。言葉もなくなる。それから心は安定して、怒りも憎し みもなくなるのです。 0 悟りとは「いままで馬鹿でした」と悟ること 無常は稀有な発見です。無常が事実です。無常が真理なのです。 無常を知ることで人の心はたちまち解脱します。一切の苦しみは 消えてしまいます。仏教的な無常がわかると、悟っているのです。 103 釈尊の無常はすごい智慧

4. お釈迦さまが教えたこと 1

第 2 章 それは「無常」ではありません りません。陽の射し方が変わっている。植物は 1 日の仕事をして疲れて いる。自分も疲れているのです。 花を見て無常を感じたのは、本人がそのように疲れているからです。 それに気づかない。自分を含めて全体的に見ていない。だから俳 句で外の世界の無常を語っても、真に無常を語ったことにはならないの です。 我々は、自分の無常に徹底的に逆らうのです。歳をとること、疲 れること、お腹が空くこと。観察能力が乏しいので、自分の無常に気づ くときには遅いのです。すでにガンは進行してしまっているのです。 人は流れる川を観察する。水の流れで、泡が現れて弾けていくことを 観察する。自分も変わっているのだと理解する人も、たまにはいます。 10 万人に 1 人くらいでしようか ? それ以外の愚か者は、「きれいだ」「落ち着く」「風情がある」などと 喜ぶだけです。自分自身の無常には気づかない。自分も同じスピードで 変化していくものだという事実に、気づくことができない。 では、自分も変化してゆくと気づくことができた人には、川は どのように見えるのでしようか ? それは通常の人間とは別の世界です。 その人は、瞬間、瞬間、別の人です。川も自分も同じスピードで 変化しつづけることを知るその人は、川も「川だ」と認識できない。 認識のレベルが、ほかの人とまるで違います。言葉は存在しません。人 に語ることもできません。それが悟りの世界なのです。 0 「絶え間ない変化」が見えない ものごとは一定のスピードで絶えず変化しています。人はこのことに 気づかす、変化の「点」と「点」を捉えて、その間をざっくり 63 問題は乏しい観察カ

5. お釈迦さまが教えたこと 1

第 2 章 それは「無常」ではありません ようにしてすべての生命の心は、同じスピードで変化している のです。人間の心も、ゴキプリの心も、同じスピードで変化している のです。 物質は光の速度で変化しますが、生命の心はそれよりはるかに速く変 化します。つまりすべての生命の心は、光より速く変化するので す。「そんなに速いとは信じられない」と思うでしようけれど、瞑想に よって観察する能力が極限まで高まるとわかります。 こうした物質と心の変化こそが、真理たる無常なのです。 0 水品玉とシャボン玉 人間は、好き勝手に無常の一部をハイライトして現象を妄想して、あ る現象に「早く変わってくれ」、ある現象に「変わらないでそのままでい てくれ」と希望、願望しています。 しかし「早く変わってくれ」と頼んでも、「そのまま変わらないでいて くれ」と頼んでも、変化の速さは一定です。事実として絶えず変わ るのだから執着しても無駄です。 だから「希望する者、願望する者は、愚か者である」とブッダ は言うのです。 それをわかってほしいのです。「執着しても無駄だ」「すべて絶えず瞬 時に変化するのだ」と。そのようにして本当の無常がわかると、執 着がなくなります。執着することが不可能になります。愚かな俗世 間の次元から抜け出ることができるのです。 それはこういう理屈です。 ここにきれいな水品玉とシャボン玉があります。 どちらか好きな方をあげると言われたら、どちらを選びますか ? 水晶玉を選ぶでしよう ? シャポン玉には執着しませんが、水品玉に 67 無常に拠って立っ世界

6. お釈迦さまが教えたこと 1

根本的に問題を解決するには、仏教的な無常を知るしかあり ません。幸福を手にするには、それしかないのです。 内 ( 自分 ) も外 ( 世界 ) も瞬間的な現象で変わります。執着しようと する対象も、執着する者も一時的な現象にすぎません。 得たいと思う自分と、それを得る自分は違います。「自分」には何も 得ることはできない。自分というものは存在しないのですから、得るこ ともまたできないのです。得る人はまた、別の人なのです。 無常を知らないから、「変わらない自分」を妄想するのです。それを 基準にして怒るのです。世界と同じスピードで変わり続ける「無常なる 自分」なら怒りは成り立ちません。 執着、怒りなどの感情は、「変わらない自分」という妄想に 拠って立った非論理的な妄想です。無知な人の妄想で、本来、成り 立たないものなのです。 無常を悟った人には怒りがありません。怒りを我慢するのではなく、 無我なので、怒りが成り立たないのです。無常を知ると、心は 「無執着」になるのです。 知識は無知の同義語 72

7. お釈迦さまが教えたこと 1

第 1 章 「ある」から生じる大失敗 自然災害で家が壊れると悩む。 控除がカットされると悩む。 灯油が高騰すると悩む。 希望する学校、会社に入れないと悩む。 髪の毛が薄くなって、はげてくると悩む。 シワがでてくると悩む。 昔買った服が着られなくなると悩む。 イヌ、ネコが家出したと悩む。 子供が独立宣言したと悩む。 人間はどんなにつまらないことでも、ちょっと変わっただけで悩むの です。 0 「悩む」→「苦しむ」のメカニズム 「悩む」だけでも忙しい人間ですが、人間にはさらに「次のステージ」 があります。次に人は「苦しむ」のです。 いろいろな変化に悩みながら、人は必死で頑張ります。リストラにな らないように、会社を首にならないように、好きな人に嫌われないよう に、離婚を迫られないように、踏ん張る。 このようにして「苦しみ」が生まれるのです。 よく皆さん「苦しい」「つらい」と口にしますが、頭が明確ではあり ません。それでは苦しみから抜け出せません。「変化に抵抗するから 苦しい」のです。苦しいとき、このことにはっきり気づいてく ださい。 真面目に、効果的に働きかけると、その「変わってほしくないもの」 が、変わるスピードを微妙に落とす場合もあります。 19 悩むのは、馬鹿げている

8. お釈迦さまが教えたこと 1

聖なる真理は役に立つ 0 悟らなくてもブッダの教えは役に立つ 無常は、仏教の修行者にしか役に立たない教えではありません。完全 に無常を知って悟り、解脱に至らなくても、「存在はすべて無常な のだ」と覚えておくだけで、人生は完全に平穏になり、幸福に なるのです。無常はすごく役に立つのです。 0 無常を知る人は、子育て上手 自分も他人もすべて無常だとわかると、楽しくなるのです。 赤ちゃんの激しい変化、成長が何より楽しいなら、その子供は死 ぬまで同じスピードで変わっていくことを理解しましよう。 普通の世界では、お母さんたちはそうではありません。 赤ちゃんが毎日すくすくと大きくなって、ある日、歩くようになって、 保育園、幼稚園に入って、小学校に入って、もう楽しくてしかたがない のです。 やがてそれが苦しみに変わるのです。 それは無常に反対するからです。 子供は同じ速度で、ノンストップで変わっているのだと知っていると、 ずっと楽しいのです。思春期のとき、若いとき起こる変化は問題になり ません。ちょっと乱暴しても、赤ん坊を見る気分で「そういう歳になっ たのか」と楽しんでいられる。 子育てでは、「常に変われ ! 」「今日と同じではダメだぞ ! 」 と子供の背中を押すとよいのです。そうすると着々と成長するので す。これは大事なポイントです。 あるときは「変われ」、あるときは「変わるな」というのではなくて、 聖なる真理は役に立つ 106

9. お釈迦さまが教えたこと 1

第 4 章 無常の世界の予測術 無常をめぐる諸宗教の失敗 0 なせ現象は変化する ? この章の最初に「仏教は、予測能力を生きていくうえで必要な能力と 考えている」と言いました。 そこでここからは「無常の世界には管理するものがないのに 計画できるのか ? 予測可能なのか ? 」という問題について、答 えていきます。 その前に「無常とは何か ? 」について、もう少し踏み込んでみましよう。 なぜオニギリ 1 個を 2 日、 3 日机の上に置いておくと、腐りかけるので しようか ? なぜ現象は変化するのでしようか ? 現象は、そのままでは安定していられないから変化するので す。これが答えです。 もう少し詳しく説明しましよう。 心と物質は、常に不安定な状態です。「不安定な状態 = 安定に向 かう状態」です。それで別な状態に変わります。それでもその状態も不 安定で、さらに変わってしまうのです。そのようにして生命と宇宙は、 変わり続けるのです。これがすなわち無常です。 ニュートンの物理法則でも、物質が安定を目指して動いていくことが わかるでしよう ? ポールを転がしても、永久に動き続けることはあり ません。それは安定に向かっているということなのです。「こちらでよ ろしい」という感じで。 ポールはいずれ停止します。それでもポールが安定したわけではない のです。静止しているように見えますが、それは我々が地球という乗り 物に同乗しているからです。地球はすごいスピードで動いているので、 129 無常をめぐる諸宗教の失敗

10. お釈迦さまが教えたこと 1

「あの人が憎い」などと言えるわけがないのです。 ですからね。ある人に腹が立ったと殴りに行っても、 別人なのです。別人を殴ることになるのですよ。 無常を認めないから仕返しをする。恨み、憎しみを持っている。欲を 目の前にいるのは どんどん変わるの なら、悩みも執着もひとかけらもなくなります。あらゆるものが執 世界は、何もかも変化しつづける無常なる世界なのです。それを知る いなのです。 るのです。欲張るのも、喧嘩するのも、「変わらない」という誤解のせ 貯金だってそうです。ずっと生きていると思うから、お金がほしくな 新しい家は買いません。 この先 40 年生きていると思うから家がほしくなる。あと半年の命なら、 のです。 「変わらない」という誤解のせいで、我々は何かをほしがる 局、太陽を見るってどういうことでしようか。 た人は太陽を見るのです。きれいな山に近づいて、近づいて、それで結 遠くから見る富士山はきれいですが、登ったら最悪です。それで登っ 「あの花はきれいだ」と摘みに行っても、もう別の花です。 抱いている。 手なので、仕返しは成り立ちません。お互いに別人ですからね。 昨日、私が誰かに殴られたとする。 着に値しないとわかるのです。 しかし、今日は違う自分、違う相 私も、世界も同じスピードで絶えず変わっていきます。 0 心の眼で無常を発見する いなのです。「無常」を理解しないせいなのです。 だからすべての煩悩が、この「変わらない」という誤解のせ 釈尊の無常はすごい智慧 102