めに性質が違っているのです。 「地・水・火・風」は同じスピードで変化しています。だから植物も 太陽も字宙も、一瞬たりともストップすることなく同じ速度で変化して いるのです。とても科学的な考え方でしよう ? しかし一般世界はこの考え方に反対するのです。 草木と草木の生えている崖が同じスピードで変化するわけはない。草 木は毎年変わるけれど、崖は何百年、何千年も前からあるのだ、と。 世間が見ているのは「現象」です。物質のレベルで見ていないの です。 0 すべての物質は光の速度で変化する すべての物質は地・水・火・風のエネルギーで構成されていて、光 のスピードで変化しています。 光も物質です。光は別の現象に変わらないので、いつでも自分のスピ ードを持っています。それは 1 秒間に地球を約 7 周半する速さです。い ろいろな物を通るときには光もスピードを落としますが、いずれにして もとても速いのです。 電灯のスイッチを入れたら、一瞬で光がつきますね。その一瞬が、電 灯から光が発せられて、光と認識されるまでの時間です。 こんなにも速い光のスピードで、すべての物質は変化しています。花 だ、山だ、川だと「現象」を見ているかぎり、このことに気づく はずがありません。 0 心は物質より速く変化する 生命の心も変化します。あなたの心は、一瞬として同じではあり ませんね。感情が変わる、認識が変わる、考えが変わるでしよう。その 無常に拠って立つ世界 66
は執着するでしよう ? それは水品玉はすぐには壊れない、無常ではない、と思っているから なのです。本当の無常がわかっていないからなのです。 では、万物は瞬時に変化すると知ったら、本物の無常を知ったら、ど うでしよう ? 水晶玉もシャボン玉も同じように無常なので、執着できないでしよう ? それがブッダの世界の真理なのです。 0 自我は成り立たない 自分も含め一切が同じスピードで変化しています。物質が変化 する。自分の体も変化する。心 ( 認識する機能 ) も変化するのです。し たがって「見るもの」「見られるもの」というのは、成り立ちません。 主体と客体の区別などありません。これを体験していくと、「自 我がある」という妄想概念は消えてしまうのです。 花を見る、その瞬間に心が変わった。体もまた光のスピードで変わっ ている。花も光のスピードで変わっている。次に「きれいな花だ」と思 う。そのときはもう、別人なのです。「きれい」と感じた花も、すでに ありません。もう一度見て「きれい」と感じたとしても、それは別の花 に対する反応です。 私は花を見る。その私がなくなって、別な私が「きれいな花だ」と思 う。別な私がその感覚を喜ぶのです。 「これはバラの花です」という認識に到るまでには、たくさんの認識 単位を経ています。目を開けた瞬間は、目に触れた光の情報によって、 「何かが触れた」ぐらいしか認識しない。それから順番に「触れたもの は何ですか」云々と認識が流れていって、やっと「バラの花」という認 識になるのです。 無常に拠って立つ世界 68
第 3 章 悟らなくても役に立っ しかしすべて同じスピードなので、この変化がわかりにくい のですね。壁をじっと見ていても、壁が変わっていることがわからない のです。それは見ている私も壁も、同じスピードで変わっていくからで す。物質は素粒子のかたまりで、素粒子は同じ速さで変わっているでし よう ? だから「私が見ている」という気持ちしかないのです。問題は 自分と世界の変化のスピードが同じことにあるのです。この「同じスピ ード」という点に、人間は騙されるのです。 毎日、子供を見ているお母さんは、子供の変化にあまり気づきません。 ところが 1 週間のキャンプから子供が帰ってくると、「たくましくなっ た」などと大きな変化を発見して驚くのです。 私も壁も、お母さんも子供も、同じ速度で変化しています。しかし 我々は普段はそのことに気づきません。それは並んでジョギングしてい ると、互いに止まって見えるようなものです。 そこで仏教では集中力を育てて、変化を発見する能力を高め るのです。心の変化は物質よりすっと速く、光の 17 倍です。心の眼で 見ると、心の無常も、物質の無常も見えてきます。心は物質と 変化の速さが違うので、変化していることがわかるのです。 無常を発見すると、いてもたってもいられなくなります。すべてが変 化し、何につかまることもできない。それまでの世界はすべて崩れます。 自分もなくなる。言葉もなくなる。それから心は安定して、怒りも憎し みもなくなるのです。 0 悟りとは「いままで馬鹿でした」と悟ること 無常は稀有な発見です。無常が事実です。無常が真理なのです。 無常を知ることで人の心はたちまち解脱します。一切の苦しみは 消えてしまいます。仏教的な無常がわかると、悟っているのです。 103 釈尊の無常はすごい智慧
第 2 章 それは「無常」ではありません りません。陽の射し方が変わっている。植物は 1 日の仕事をして疲れて いる。自分も疲れているのです。 花を見て無常を感じたのは、本人がそのように疲れているからです。 それに気づかない。自分を含めて全体的に見ていない。だから俳 句で外の世界の無常を語っても、真に無常を語ったことにはならないの です。 我々は、自分の無常に徹底的に逆らうのです。歳をとること、疲 れること、お腹が空くこと。観察能力が乏しいので、自分の無常に気づ くときには遅いのです。すでにガンは進行してしまっているのです。 人は流れる川を観察する。水の流れで、泡が現れて弾けていくことを 観察する。自分も変わっているのだと理解する人も、たまにはいます。 10 万人に 1 人くらいでしようか ? それ以外の愚か者は、「きれいだ」「落ち着く」「風情がある」などと 喜ぶだけです。自分自身の無常には気づかない。自分も同じスピードで 変化していくものだという事実に、気づくことができない。 では、自分も変化してゆくと気づくことができた人には、川は どのように見えるのでしようか ? それは通常の人間とは別の世界です。 その人は、瞬間、瞬間、別の人です。川も自分も同じスピードで 変化しつづけることを知るその人は、川も「川だ」と認識できない。 認識のレベルが、ほかの人とまるで違います。言葉は存在しません。人 に語ることもできません。それが悟りの世界なのです。 0 「絶え間ない変化」が見えない ものごとは一定のスピードで絶えず変化しています。人はこのことに 気づかす、変化の「点」と「点」を捉えて、その間をざっくり 63 問題は乏しい観察カ
第 2 章 それは「無常」ではありません ようにしてすべての生命の心は、同じスピードで変化している のです。人間の心も、ゴキプリの心も、同じスピードで変化している のです。 物質は光の速度で変化しますが、生命の心はそれよりはるかに速く変 化します。つまりすべての生命の心は、光より速く変化するので す。「そんなに速いとは信じられない」と思うでしようけれど、瞑想に よって観察する能力が極限まで高まるとわかります。 こうした物質と心の変化こそが、真理たる無常なのです。 0 水品玉とシャボン玉 人間は、好き勝手に無常の一部をハイライトして現象を妄想して、あ る現象に「早く変わってくれ」、ある現象に「変わらないでそのままでい てくれ」と希望、願望しています。 しかし「早く変わってくれ」と頼んでも、「そのまま変わらないでいて くれ」と頼んでも、変化の速さは一定です。事実として絶えず変わ るのだから執着しても無駄です。 だから「希望する者、願望する者は、愚か者である」とブッダ は言うのです。 それをわかってほしいのです。「執着しても無駄だ」「すべて絶えず瞬 時に変化するのだ」と。そのようにして本当の無常がわかると、執 着がなくなります。執着することが不可能になります。愚かな俗世 間の次元から抜け出ることができるのです。 それはこういう理屈です。 ここにきれいな水品玉とシャボン玉があります。 どちらか好きな方をあげると言われたら、どちらを選びますか ? 水晶玉を選ぶでしよう ? シャポン玉には執着しませんが、水品玉に 67 無常に拠って立っ世界
根本的に問題を解決するには、仏教的な無常を知るしかあり ません。幸福を手にするには、それしかないのです。 内 ( 自分 ) も外 ( 世界 ) も瞬間的な現象で変わります。執着しようと する対象も、執着する者も一時的な現象にすぎません。 得たいと思う自分と、それを得る自分は違います。「自分」には何も 得ることはできない。自分というものは存在しないのですから、得るこ ともまたできないのです。得る人はまた、別の人なのです。 無常を知らないから、「変わらない自分」を妄想するのです。それを 基準にして怒るのです。世界と同じスピードで変わり続ける「無常なる 自分」なら怒りは成り立ちません。 執着、怒りなどの感情は、「変わらない自分」という妄想に 拠って立った非論理的な妄想です。無知な人の妄想で、本来、成り 立たないものなのです。 無常を悟った人には怒りがありません。怒りを我慢するのではなく、 無我なので、怒りが成り立たないのです。無常を知ると、心は 「無執着」になるのです。 知識は無知の同義語 72
第 1 章 「ある」から生じる大失敗 自然災害で家が壊れると悩む。 控除がカットされると悩む。 灯油が高騰すると悩む。 希望する学校、会社に入れないと悩む。 髪の毛が薄くなって、はげてくると悩む。 シワがでてくると悩む。 昔買った服が着られなくなると悩む。 イヌ、ネコが家出したと悩む。 子供が独立宣言したと悩む。 人間はどんなにつまらないことでも、ちょっと変わっただけで悩むの です。 0 「悩む」→「苦しむ」のメカニズム 「悩む」だけでも忙しい人間ですが、人間にはさらに「次のステージ」 があります。次に人は「苦しむ」のです。 いろいろな変化に悩みながら、人は必死で頑張ります。リストラにな らないように、会社を首にならないように、好きな人に嫌われないよう に、離婚を迫られないように、踏ん張る。 このようにして「苦しみ」が生まれるのです。 よく皆さん「苦しい」「つらい」と口にしますが、頭が明確ではあり ません。それでは苦しみから抜け出せません。「変化に抵抗するから 苦しい」のです。苦しいとき、このことにはっきり気づいてく ださい。 真面目に、効果的に働きかけると、その「変わってほしくないもの」 が、変わるスピードを微妙に落とす場合もあります。 19 悩むのは、馬鹿げている
聖なる真理は役に立つ 0 悟らなくてもブッダの教えは役に立つ 無常は、仏教の修行者にしか役に立たない教えではありません。完全 に無常を知って悟り、解脱に至らなくても、「存在はすべて無常な のだ」と覚えておくだけで、人生は完全に平穏になり、幸福に なるのです。無常はすごく役に立つのです。 0 無常を知る人は、子育て上手 自分も他人もすべて無常だとわかると、楽しくなるのです。 赤ちゃんの激しい変化、成長が何より楽しいなら、その子供は死 ぬまで同じスピードで変わっていくことを理解しましよう。 普通の世界では、お母さんたちはそうではありません。 赤ちゃんが毎日すくすくと大きくなって、ある日、歩くようになって、 保育園、幼稚園に入って、小学校に入って、もう楽しくてしかたがない のです。 やがてそれが苦しみに変わるのです。 それは無常に反対するからです。 子供は同じ速度で、ノンストップで変わっているのだと知っていると、 ずっと楽しいのです。思春期のとき、若いとき起こる変化は問題になり ません。ちょっと乱暴しても、赤ん坊を見る気分で「そういう歳になっ たのか」と楽しんでいられる。 子育てでは、「常に変われ ! 」「今日と同じではダメだぞ ! 」 と子供の背中を押すとよいのです。そうすると着々と成長するので す。これは大事なポイントです。 あるときは「変われ」、あるときは「変わるな」というのではなくて、 聖なる真理は役に立つ 106
第 4 章 無常の世界の予測術 無常をめぐる諸宗教の失敗 0 なせ現象は変化する ? この章の最初に「仏教は、予測能力を生きていくうえで必要な能力と 考えている」と言いました。 そこでここからは「無常の世界には管理するものがないのに 計画できるのか ? 予測可能なのか ? 」という問題について、答 えていきます。 その前に「無常とは何か ? 」について、もう少し踏み込んでみましよう。 なぜオニギリ 1 個を 2 日、 3 日机の上に置いておくと、腐りかけるので しようか ? なぜ現象は変化するのでしようか ? 現象は、そのままでは安定していられないから変化するので す。これが答えです。 もう少し詳しく説明しましよう。 心と物質は、常に不安定な状態です。「不安定な状態 = 安定に向 かう状態」です。それで別な状態に変わります。それでもその状態も不 安定で、さらに変わってしまうのです。そのようにして生命と宇宙は、 変わり続けるのです。これがすなわち無常です。 ニュートンの物理法則でも、物質が安定を目指して動いていくことが わかるでしよう ? ポールを転がしても、永久に動き続けることはあり ません。それは安定に向かっているということなのです。「こちらでよ ろしい」という感じで。 ポールはいずれ停止します。それでもポールが安定したわけではない のです。静止しているように見えますが、それは我々が地球という乗り 物に同乗しているからです。地球はすごいスピードで動いているので、 129 無常をめぐる諸宗教の失敗
「あの人が憎い」などと言えるわけがないのです。 ですからね。ある人に腹が立ったと殴りに行っても、 別人なのです。別人を殴ることになるのですよ。 無常を認めないから仕返しをする。恨み、憎しみを持っている。欲を 目の前にいるのは どんどん変わるの なら、悩みも執着もひとかけらもなくなります。あらゆるものが執 世界は、何もかも変化しつづける無常なる世界なのです。それを知る いなのです。 るのです。欲張るのも、喧嘩するのも、「変わらない」という誤解のせ 貯金だってそうです。ずっと生きていると思うから、お金がほしくな 新しい家は買いません。 この先 40 年生きていると思うから家がほしくなる。あと半年の命なら、 のです。 「変わらない」という誤解のせいで、我々は何かをほしがる 局、太陽を見るってどういうことでしようか。 た人は太陽を見るのです。きれいな山に近づいて、近づいて、それで結 遠くから見る富士山はきれいですが、登ったら最悪です。それで登っ 「あの花はきれいだ」と摘みに行っても、もう別の花です。 抱いている。 手なので、仕返しは成り立ちません。お互いに別人ですからね。 昨日、私が誰かに殴られたとする。 着に値しないとわかるのです。 しかし、今日は違う自分、違う相 私も、世界も同じスピードで絶えず変わっていきます。 0 心の眼で無常を発見する いなのです。「無常」を理解しないせいなのです。 だからすべての煩悩が、この「変わらない」という誤解のせ 釈尊の無常はすごい智慧 102