2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 0 世間の幸福論「得ることは幸福」「消えることは不幸」 世間の常識では 「得ること = 楽、幸福」 「消えること = 苦、不幸」です。 これか世間の幸福論です。 「得ること」を誰もが幸福だと思っています。 お金が入ってくると楽しいし、いい仕事に就けると楽しいのです。親 しくない人から宅配便でプレゼントが届いても、たいていの人は嫌だと 思わないのです。 「なくなること」「消えること」で人は苦しみを経験します。お金が消 えていくと苦しいし、リストラされると苦しいのです。 金がなくなる、仕事がなくなる、親しい人が死ぬ、子供が離れる、健 康がなくなる、若さがなくなる、信頼を失う、能力が衰える、家が壊れ る。「世の中で不幸とされること」は無数にありますが、すべてが「消 えること」なのです。 不幸だと悩んでいる人の話を聞いてみると、必ず何かが消えています。 「旦那が浮気をしている」と悩んでいるのなら「愛情が消えた」という ことです。 世間の幸福論は「得ることは幸福」で「消えることは不幸」。 難しくないでしよう ? このように中学生くらいのシンプルな思考が できれば、仏教はわかりやすいのです。中学生くらいのときが人生で一 番頭が冴えているのです。その頃のように、何でもコンバクトに シンプルに縮めて、鋭く思考するのがコツです。 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 170
の実感は何なのかと、探求したほうがよいのです。 仏教からみれば、世の中のことに価値はありません。それなのに我々 現代人は、無駄なことばかり知ろうとしています。 価値を入れるとロクなことはありません。 幸福を得ようと苦しむ。不幸を払おうと苦しむ。劣っている、勝って いると差別する。 お母さんが痴呆になってあなたのことを忘れたら、かわいそうです か ? あなたが悲しくても、お母さんにしてみれば「知らない人がいる」 というだけです。不幸でも幸福でもないのです。評価に値しません。 男みたいな女性、女装する男性、性転換する男性、そんなのはすべて 無意味です。価値がありません。だから勝手にすればよいのです。 テーラワーダの世界は、「誰も偉くない。誰も卑しくない」という世 界です。ですからスリランカでは、貧しい人も自分のことを不幸だとは 思っていません。だから明るいのです。金持ちが貧乏人を差別すること もありません。差別は悪業だという仏教の教えも生きています。 西欧的な価値観が支配的な世界では、無意味な価値観と差別から生じ る苦しみが絶えませんが、仏教的な世界は、穏やかでなめらかなのです。 私が変化するなら、世も変化する。世が変化するなら、私も 変化する。自も他も一つの流れとして変化するのです。これが無 常と私の関係なのです。 0 「変わらない私」は「人類最大の間違い」 「私」は、生きるために計画を立てたり、希望を抱いたり、苦を嫌が ったり、楽を期待したり、好んだりします。 ここで人間は根本的な間違いを犯します。「私は変わらない。私 は私です」という実感を持ってしまうのです。それで「私はあれ 因縁法則こそ人生の操作方法 182
知識が不幸の種を蒔く 0 「ある」は 2 種類 人間というのは、いつも「ある」と考えて生活しています。「花があ る」「私がいる」という具合に、「変わらずにある」と思っているの です。 ここはあまり深く考えないでください。考え方が間違っていると、袋 小路に入り込むだけです。 智慧のない人間の心では、固定化された認識、概念しか作れません。 だから人間の「高度な知識」など、仏教は相手にしないのです。もうゴ ミ扱いです。ここは単純に考えてください。 人間が「ある」と実感している「もの」は、 2 つに分けられま す。 ①「見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの」 が「ある」 ②「思うもの」が「ある」 本があるから見える。声があるから聞こえる。そこで「知る」という ことになる。ここまでが①です。 また人間は、「私が思うもの」を「その通りにある」と思うの ①は、まあ大目にみてもいいでしよう。「本がある」と思っても、大 0 「思うもの」が「ある」は、大問題 です。これが②です。 きな問題にはなりません。 知識が不幸の種を蒔く 28
第 5 章 死を認めれば幸福になる 態度です。 楽観主義も悲観主義も「極論」でダメ 世間には、楽観主義と悲観主義の 2 つの「極論」があります。 楽観主義は、 ①価値あるものを得る側面を見る ( 例 : お金が儲かる ) ④不幸を失う側面を見る ( 例 : インフルエンザが治る ) のいずれかです。世間の多数派です。 悲観主義は、 ②価値あるものを失う側面を見る ( 例 : お金を盗られる ) ③不幸を得る側面を見る ( 例 : インフルエンザにかかる ) のいずれかです。世間の少数派です。 しかしどちらも間違いです。 気が弱い子供は「学校は楽しいところだ」と決め込んだり、「学校なん て最悪だ。いじめられる」と登校拒否になったり、自殺したりもします。 本当は、学校は楽しいことばかりではありません。苦しいことばかり でもありません。 世界はそんなものではありません。楽観主義も悲観主義も間 違いです。 仏教は「極論は正しくない」と説きます。 極論は、事実をありのままに観ることではありません。極論 は、人の役に立ちません。 楽観主義も悲観主義も、駄目です。危ない。どこかで間違えます。 ところが世の中は、この極論のいずれかなのです。哲学者も論理学者 も、愚かなことに「中間の道」に気づかないのです。 しかし事実はこちらの見方にあるのです。 173 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義
「変わらない私」は「人類最大の間違い」・ ・・ 182 人生の操作方法 死んだ子を嘆く愚かさ・ 人は死ぬのです・・ 苦しいから輪廻する・ ・・ 184 ・・ 184 ・・ 186 ・・ 187 第 5 節あなたは、必要なことを全部知っている 「無常 = 真理」に逆らうと不幸・ いまの瞬間だけが現実・ 希望は必ず実らない ・・ 190 ・・ 191 第 6 節心の無常は時間単位 「真理としての無常」を発見しよう・ 心はエネルギーであり機能 無常を観る方法「ヴィバッサナー瞑想」 第 7 節「死」を認めて智者になる すべての生命は根本的に無知・ 死を観察する方法「死随念」 死につつある現実を受け入れると 六感の無常を瞑想する「無常随念」 ・・ 189 ・・ 198 ・・ 195 ・・ 195 ・・ 193 ・・ 198 ・・ 194 五蘊の無常を観察する ・・ 200
とです。 一切は流動的です。ノンストップ。瞬間ですら停止しない。 これがブッダによって説かれた「無常」という聖なる真理です。 無常を理解するのは簡単ではありません。水道の水を見ても悟れる、 無常がわかるというのは本当ですが、かなり踏ん張らないと理解できま せん。 「無常」は、堂々たる真理です。一切に共通する客観的な事実です。 サクラの花が散って「やつばり無常だ」という話では、まったくありま せん。無常は、人生そのものを引っくり返して、苦しみを完全 になくして、解脱、悟りを体験させる真理なのです。 ブッダの言葉 サウペーサンカーラアニッチャーティヤダーっヾンニャーヤパッサティ Sabbe safikhärä aniccäti yadä pafifiäya passati; ニッビンダテイドウッカエーサマッゴーヴィスッディャー atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyä. (Dhammapada 277 ) 一切の現象は無常であると智慧によって知るならば、 苦 ( 生きること ) を諦める。これが清浄 ( 解脱 ) への道である。 知識が不幸の種を蒔く ( ダンマバダ 277 偈 ) 40
死を認めれば幸福になる 第 1 節世間の幸福 = 大変な苦労 一隹もが、死なない前提で生きている・ 本人が得ることは不可能 得る = 幸福→苦労する・ 第 2 節 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 世間の幸福論「得ることは幸福」「消えることは不幸」 得は失である。生は滅である。 「得る」しか見ない人、「失う」しか見ない人・ 楽観主義も悲観主義も「極論」でダメ 第 3 節正しい見方 = 仏教の中論 一切の現象に価値はない すべてに価値はないが、因果法則がある・ 中論の 3 つの真理・ ・・ 177 第 4 節因縁法則こそ人生の操作方法 「私はない」というのは仏教だけ・ お釈迦さまが答えない問い 「私がいる」という実感は何なのか ? 二一口 ・・ 166 ・・ 167 ・・ 168 ・・ 170 ・・ 171 ・・ 172 ・・ 173 ・・ 174 ・・ 175 ・・ 179 ・・ 179
お釈迦さまが教えたこと 1 無常の見方「聖なる真理」と「私」の幸福・ ・・・目次 「ある」から生じる大失敗 第 1 節悩むのは、馬鹿げている 「変わる」から悩む、「変わらない」から悩む ①変わるから悩む ・・ 18 「悩む」→「苦しむ」のメカニズム・ ②変わらないから悩む・ 「苦しみ」の寄せ集めが「人生」・ 「見方」が、悩み、苦しみの原因・ 期待、希望から、苦しみが生まれる あなたは「世界の王」ではありません・ 「わがまま」が根本的な問題・ ・・ 20 ・・ 26 「自分のわがまま」に気づくと、人生はうまくいく 第 2 節知識が不幸の種を蒔く 「ある」は 2 種類・ ・・ 28 「思うもの」が「ある」は、大問題・ 人間は「自分が思うもの」を絶対に譲らない 「思考の争い」「信仰の争い」こそが問題・ 「我が思う、故に正しい」→精神を病む・ 感覚器官→情報を認識→「ある」と勘違い 「変わるから知っている」が正しい ・・ 19 ・・ 22 ・・ 23 ・・ 24 ・・ 25 ・・ 32 ・・ 28 ・・ 27 ・・ 31 ・・ 30 ・・ 29
悩むのは、馬鹿げている 0 「変わる」から悩む、「変わらない」から悩む 人は、いろんな理由で悩みます。 ところが「どうして悩むのか ? 」を考えてみると、たった 2 種類に分 類できてしまいます。 ①「変わる」から悩む ②「変わらない」から悩む のどちらかです。大雑把にみれば、単純なのです。 この 2 つをしつかり覚えておいてください。イライラするとき、息が 詰まるとき、落ち着かないとき、「変わるから悩んでいる」「変わ らないから悩んでいる」と気づいてください。そうすれば、頭が しつかりします。みるみる気持ちが落ち着きます。それで人生は大 丈夫です。 ①変わるから悩む 「変わるから悩む」リストは、次の通りです。 景気が悪くなると悩む。 会社を首になると悩む。 病気になると悩む。 老いると悩む。 好きな人に振られると悩む。 友人関係が悪くなると悩む。 親しい人が不幸になると悩む。 親しい人が亡くなると悩む。 お姑さんが自分の家に住み着くと悩む。 悩むのは、馬鹿げている
第 1 章 「ある」から生じる大失敗 が、鼓膜に当たって消えると、我々は「音だ」と認識するのです。 世界は音で溢れています。ということは、音の振動が当たるすべての ものは変化する、ということです。要するに、世界中のすべてのものは、 絶えず変化しつづけているのです。 ところで「花は黄色い」のでしようか ? 太陽の光では「黄」の花が、月の光では「白」かもしれません。では、 蛍光灯ならどうですか ? 赤い光ならどうですか ? 色はころころ と変わりますね。 私たちの眼には赤外線も紫外線も見えません。人間に見えない光が見 える動物もいます。ですから「人間に見える花の色 = 花の色」で はないのです。 もはや「花は黄色い」とは言えないのです。 「見る」ということは、 こうして成り立っているのです。花はこんな にやすやすと変わるのです。「花が ( 変わらずに ) ある」というのは大 間違いです。錯覚です。 「変わるから見える」 「変わるから聞こえる」 「変わるから嗅げる」 「変わるから味わえる」 「変わるから体で感じる」 が正しいのです。 0 「ある」という錯覚→知識→役に立たない→失敗 我々が持っている「花が ( 変わらずに ) ある」という認識は 35 知識が不幸の種を蒔く