不幸 - みる会図書館


検索対象: お釈迦さまが教えたこと 1
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1. お釈迦さまが教えたこと 1

2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 0 世間の幸福論「得ることは幸福」「消えることは不幸」 世間の常識では 「得ること = 楽、幸福」 「消えること = 苦、不幸」です。 これか世間の幸福論です。 「得ること」を誰もが幸福だと思っています。 お金が入ってくると楽しいし、いい仕事に就けると楽しいのです。親 しくない人から宅配便でプレゼントが届いても、たいていの人は嫌だと 思わないのです。 「なくなること」「消えること」で人は苦しみを経験します。お金が消 えていくと苦しいし、リストラされると苦しいのです。 金がなくなる、仕事がなくなる、親しい人が死ぬ、子供が離れる、健 康がなくなる、若さがなくなる、信頼を失う、能力が衰える、家が壊れ る。「世の中で不幸とされること」は無数にありますが、すべてが「消 えること」なのです。 不幸だと悩んでいる人の話を聞いてみると、必ず何かが消えています。 「旦那が浮気をしている」と悩んでいるのなら「愛情が消えた」という ことです。 世間の幸福論は「得ることは幸福」で「消えることは不幸」。 難しくないでしよう ? このように中学生くらいのシンプルな思考が できれば、仏教はわかりやすいのです。中学生くらいのときが人生で一 番頭が冴えているのです。その頃のように、何でもコンバクトに シンプルに縮めて、鋭く思考するのがコツです。 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 170

2. お釈迦さまが教えたこと 1

の実感は何なのかと、探求したほうがよいのです。 仏教からみれば、世の中のことに価値はありません。それなのに我々 現代人は、無駄なことばかり知ろうとしています。 価値を入れるとロクなことはありません。 幸福を得ようと苦しむ。不幸を払おうと苦しむ。劣っている、勝って いると差別する。 お母さんが痴呆になってあなたのことを忘れたら、かわいそうです か ? あなたが悲しくても、お母さんにしてみれば「知らない人がいる」 というだけです。不幸でも幸福でもないのです。評価に値しません。 男みたいな女性、女装する男性、性転換する男性、そんなのはすべて 無意味です。価値がありません。だから勝手にすればよいのです。 テーラワーダの世界は、「誰も偉くない。誰も卑しくない」という世 界です。ですからスリランカでは、貧しい人も自分のことを不幸だとは 思っていません。だから明るいのです。金持ちが貧乏人を差別すること もありません。差別は悪業だという仏教の教えも生きています。 西欧的な価値観が支配的な世界では、無意味な価値観と差別から生じ る苦しみが絶えませんが、仏教的な世界は、穏やかでなめらかなのです。 私が変化するなら、世も変化する。世が変化するなら、私も 変化する。自も他も一つの流れとして変化するのです。これが無 常と私の関係なのです。 0 「変わらない私」は「人類最大の間違い」 「私」は、生きるために計画を立てたり、希望を抱いたり、苦を嫌が ったり、楽を期待したり、好んだりします。 ここで人間は根本的な間違いを犯します。「私は変わらない。私 は私です」という実感を持ってしまうのです。それで「私はあれ 因縁法則こそ人生の操作方法 182

3. お釈迦さまが教えたこと 1

知識が不幸の種を蒔く 0 「ある」は 2 種類 人間というのは、いつも「ある」と考えて生活しています。「花があ る」「私がいる」という具合に、「変わらずにある」と思っているの です。 ここはあまり深く考えないでください。考え方が間違っていると、袋 小路に入り込むだけです。 智慧のない人間の心では、固定化された認識、概念しか作れません。 だから人間の「高度な知識」など、仏教は相手にしないのです。もうゴ ミ扱いです。ここは単純に考えてください。 人間が「ある」と実感している「もの」は、 2 つに分けられま す。 ①「見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるもの」 が「ある」 ②「思うもの」が「ある」 本があるから見える。声があるから聞こえる。そこで「知る」という ことになる。ここまでが①です。 また人間は、「私が思うもの」を「その通りにある」と思うの ①は、まあ大目にみてもいいでしよう。「本がある」と思っても、大 0 「思うもの」が「ある」は、大問題 です。これが②です。 きな問題にはなりません。 知識が不幸の種を蒔く 28

4. お釈迦さまが教えたこと 1

第 5 章 死を認めれば幸福になる 態度です。 楽観主義も悲観主義も「極論」でダメ 世間には、楽観主義と悲観主義の 2 つの「極論」があります。 楽観主義は、 ①価値あるものを得る側面を見る ( 例 : お金が儲かる ) ④不幸を失う側面を見る ( 例 : インフルエンザが治る ) のいずれかです。世間の多数派です。 悲観主義は、 ②価値あるものを失う側面を見る ( 例 : お金を盗られる ) ③不幸を得る側面を見る ( 例 : インフルエンザにかかる ) のいずれかです。世間の少数派です。 しかしどちらも間違いです。 気が弱い子供は「学校は楽しいところだ」と決め込んだり、「学校なん て最悪だ。いじめられる」と登校拒否になったり、自殺したりもします。 本当は、学校は楽しいことばかりではありません。苦しいことばかり でもありません。 世界はそんなものではありません。楽観主義も悲観主義も間 違いです。 仏教は「極論は正しくない」と説きます。 極論は、事実をありのままに観ることではありません。極論 は、人の役に立ちません。 楽観主義も悲観主義も、駄目です。危ない。どこかで間違えます。 ところが世の中は、この極論のいずれかなのです。哲学者も論理学者 も、愚かなことに「中間の道」に気づかないのです。 しかし事実はこちらの見方にあるのです。 173 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義

5. お釈迦さまが教えたこと 1

「変わらない私」は「人類最大の間違い」・ ・・ 182 人生の操作方法 死んだ子を嘆く愚かさ・ 人は死ぬのです・・ 苦しいから輪廻する・ ・・ 184 ・・ 184 ・・ 186 ・・ 187 第 5 節あなたは、必要なことを全部知っている 「無常 = 真理」に逆らうと不幸・ いまの瞬間だけが現実・ 希望は必ず実らない ・・ 190 ・・ 191 第 6 節心の無常は時間単位 「真理としての無常」を発見しよう・ 心はエネルギーであり機能 無常を観る方法「ヴィバッサナー瞑想」 第 7 節「死」を認めて智者になる すべての生命は根本的に無知・ 死を観察する方法「死随念」 死につつある現実を受け入れると 六感の無常を瞑想する「無常随念」 ・・ 189 ・・ 198 ・・ 195 ・・ 195 ・・ 193 ・・ 198 ・・ 194 五蘊の無常を観察する ・・ 200

6. お釈迦さまが教えたこと 1

とです。 一切は流動的です。ノンストップ。瞬間ですら停止しない。 これがブッダによって説かれた「無常」という聖なる真理です。 無常を理解するのは簡単ではありません。水道の水を見ても悟れる、 無常がわかるというのは本当ですが、かなり踏ん張らないと理解できま せん。 「無常」は、堂々たる真理です。一切に共通する客観的な事実です。 サクラの花が散って「やつばり無常だ」という話では、まったくありま せん。無常は、人生そのものを引っくり返して、苦しみを完全 になくして、解脱、悟りを体験させる真理なのです。 ブッダの言葉 サウペーサンカーラアニッチャーティヤダーっヾンニャーヤパッサティ Sabbe safikhärä aniccäti yadä pafifiäya passati; ニッビンダテイドウッカエーサマッゴーヴィスッディャー atha nibbindati dukkhe esa maggo visuddhiyä. (Dhammapada 277 ) 一切の現象は無常であると智慧によって知るならば、 苦 ( 生きること ) を諦める。これが清浄 ( 解脱 ) への道である。 知識が不幸の種を蒔く ( ダンマバダ 277 偈 ) 40

7. お釈迦さまが教えたこと 1

死を認めれば幸福になる 第 1 節世間の幸福 = 大変な苦労 一隹もが、死なない前提で生きている・ 本人が得ることは不可能 得る = 幸福→苦労する・ 第 2 節 2 つの極論 = 楽観主義と悲観主義 世間の幸福論「得ることは幸福」「消えることは不幸」 得は失である。生は滅である。 「得る」しか見ない人、「失う」しか見ない人・ 楽観主義も悲観主義も「極論」でダメ 第 3 節正しい見方 = 仏教の中論 一切の現象に価値はない すべてに価値はないが、因果法則がある・ 中論の 3 つの真理・ ・・ 177 第 4 節因縁法則こそ人生の操作方法 「私はない」というのは仏教だけ・ お釈迦さまが答えない問い 「私がいる」という実感は何なのか ? 二一口 ・・ 166 ・・ 167 ・・ 168 ・・ 170 ・・ 171 ・・ 172 ・・ 173 ・・ 174 ・・ 175 ・・ 179 ・・ 179

8. お釈迦さまが教えたこと 1

お釈迦さまが教えたこと 1 無常の見方「聖なる真理」と「私」の幸福・ ・・・目次 「ある」から生じる大失敗 第 1 節悩むのは、馬鹿げている 「変わる」から悩む、「変わらない」から悩む ①変わるから悩む ・・ 18 「悩む」→「苦しむ」のメカニズム・ ②変わらないから悩む・ 「苦しみ」の寄せ集めが「人生」・ 「見方」が、悩み、苦しみの原因・ 期待、希望から、苦しみが生まれる あなたは「世界の王」ではありません・ 「わがまま」が根本的な問題・ ・・ 20 ・・ 26 「自分のわがまま」に気づくと、人生はうまくいく 第 2 節知識が不幸の種を蒔く 「ある」は 2 種類・ ・・ 28 「思うもの」が「ある」は、大問題・ 人間は「自分が思うもの」を絶対に譲らない 「思考の争い」「信仰の争い」こそが問題・ 「我が思う、故に正しい」→精神を病む・ 感覚器官→情報を認識→「ある」と勘違い 「変わるから知っている」が正しい ・・ 19 ・・ 22 ・・ 23 ・・ 24 ・・ 25 ・・ 32 ・・ 28 ・・ 27 ・・ 31 ・・ 30 ・・ 29

9. お釈迦さまが教えたこと 1

悩むのは、馬鹿げている 0 「変わる」から悩む、「変わらない」から悩む 人は、いろんな理由で悩みます。 ところが「どうして悩むのか ? 」を考えてみると、たった 2 種類に分 類できてしまいます。 ①「変わる」から悩む ②「変わらない」から悩む のどちらかです。大雑把にみれば、単純なのです。 この 2 つをしつかり覚えておいてください。イライラするとき、息が 詰まるとき、落ち着かないとき、「変わるから悩んでいる」「変わ らないから悩んでいる」と気づいてください。そうすれば、頭が しつかりします。みるみる気持ちが落ち着きます。それで人生は大 丈夫です。 ①変わるから悩む 「変わるから悩む」リストは、次の通りです。 景気が悪くなると悩む。 会社を首になると悩む。 病気になると悩む。 老いると悩む。 好きな人に振られると悩む。 友人関係が悪くなると悩む。 親しい人が不幸になると悩む。 親しい人が亡くなると悩む。 お姑さんが自分の家に住み着くと悩む。 悩むのは、馬鹿げている

10. お釈迦さまが教えたこと 1

第 1 章 「ある」から生じる大失敗 が、鼓膜に当たって消えると、我々は「音だ」と認識するのです。 世界は音で溢れています。ということは、音の振動が当たるすべての ものは変化する、ということです。要するに、世界中のすべてのものは、 絶えず変化しつづけているのです。 ところで「花は黄色い」のでしようか ? 太陽の光では「黄」の花が、月の光では「白」かもしれません。では、 蛍光灯ならどうですか ? 赤い光ならどうですか ? 色はころころ と変わりますね。 私たちの眼には赤外線も紫外線も見えません。人間に見えない光が見 える動物もいます。ですから「人間に見える花の色 = 花の色」で はないのです。 もはや「花は黄色い」とは言えないのです。 「見る」ということは、 こうして成り立っているのです。花はこんな にやすやすと変わるのです。「花が ( 変わらずに ) ある」というのは大 間違いです。錯覚です。 「変わるから見える」 「変わるから聞こえる」 「変わるから嗅げる」 「変わるから味わえる」 「変わるから体で感じる」 が正しいのです。 0 「ある」という錯覚→知識→役に立たない→失敗 我々が持っている「花が ( 変わらずに ) ある」という認識は 35 知識が不幸の種を蒔く