宗教 - みる会図書館


検索対象: お釈迦さまが教えたこと 1
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1. お釈迦さまが教えたこと 1

なぜ、 サンガの本 〈表示価格は税別〉 久 ) ー「概念」にしばられす 宗「ぎている人間 家 を ーについて 作 賞 4 仏教について 芥 5 色即是空空即是色 6 褝宗と瞑想と科学 7 真理の探究 を長一フ 8 日本と日本人について 界サ ( 「 9 適者生存の論理 仏ナ加「自由」と「規律」 新「正義」とは「悪」とは 悩む F< ( 親は子に何を伝えるべ きか 玄侑師にしてもスマナサーラ師にしても、いうまでもない、立 ( ~ 派なお坊さんである。私はお一一人を佛教の師と仰いでいる。一一紹量的思考と質的思考 , 私が佛教に魅かれるのは、じつは佛教は脳科学のはじまりだ一なぜ不安なのか、なぜ 二苳からである。お経はほとんど脳科学を説いていて、ただ実験な 孤独になるのか 悩む / んて、ヤボなことをしないだけである。佛教という脳科学は、 学 ~ なここみしくみ 5 死に臨む人に宗教は なかなかに深い。 学ぶことが多くて、それがじつに楽しい。こー 1 玄侑宗久 / ・スマナサーラ れからも、お一一人に大いに学ばせていただきたいと思っている。 何が出来るか 養老司氏朝し ISBN 4-901679-13-9 ¥ 1500

2. お釈迦さまが教えたこと 1

っこうです。 問題は、証拠によって仮説を改良するのではなく、仮説を何 としてでも真説にしようとする態度です。現実に学ぶ謙虚さがな いのです。 仮説を立てたら、それが正しいか確かめるために証拠を探さなくては ならないでしよう ? それが現実的、科学的な態度でしよう ? それで 証拠が現れるたびに仮説を検証して、仮説を改良していくべきではない ですか。もちろんデータによって仮説が正しいことがわかれば、それは それでよいのです。 観念だけの人には、こういう当たり前の発想がありません。仮説だけ で踏ん張って、どうやって理屈をこねたら真説、正しい教えになるのか、 と妄想するのです。 だから結局、無茶苦茶です。誰もが邪見 ( 間違った考え ) を作 るだけで、事実を発見できないのです。邪見だから、解脱への 道を示せないのです。 これですべての宗教の問題点を指摘しました。 ブッダの教え、本来の仏教は、これらとはまるで違います。そもそも ブッダご自身は、自分の教えを宗教ともおっしやっていません。 仏教は、宗教のように何の証拠もないものを「信じなさい」「信仰しな さい」とは言わないのです。仏教は、「真理なので、いまここで確かめ られます。自分で確かめてはどうですか ? 」という立場です。仏教を宗 教とは言えないでしよう ? 「ブッダが発見した無常」は、「唯一の真理の教え」です。プ ッダは「無常は聖なる真理である」「いまだかって誰にも発見できなか ったことである」とおっしやったのです。 無常をめぐる諸宗教の失敗 138

3. お釈迦さまが教えたこと 1

と言ったのです。仏教は宗教ではありませんからね。 ところでずいぶん辛口でしたが、仏教は、ヒンドゥー教の修行を否定 するわけではありません。 修行で心の状態を変えて、人間のレベルを超えた経験をすることは可 能です。挑戦と努力に応じた結果が得られるでしよう。 ただ「その修行によって最終解脱を得られるということはない」とお 釈迦さまは言ったのです。だから仏教では、ヒンドウーの教えは完全に は認めないのです。 0 中東の宗教は「天国」と「地獄」の二者択一 中東の宗教では、「神」が現象の世界を創造して、やがて神が決めた 場所で、神が決めた状態で世界を安定させるのです。 キリスト教が提示する「安定した状態」は 2 つあります。神を信仰 する人には「永遠の天国」、神を信仰しない人には「永遠の地 獄」です。 中東にはキリスト教以外にもたくさんの宗教がありますが、いずれも 「永久的な神」と「創造されたもの」は完全に 2 つに分かれていて、同 ーではありません。この点はヒンドウーとは違います。 また 2 つの状態の割り振りは神の気分次第ですから、安定したとは言 いにくい状態にあります。 神の機嫌が変わったらどうなるでしようか ? 怒るは、嫉妬するは、 大量に殺すは、そんなやりたい放題の気まぐれな神が、「すっと君は天 神に対する個人の立場は常に圧倒的に低くて、恐ろしい神に始終怯え う保証もないでしよう。 国でよろしい」ということがあるでしようか ? 天国ごと壊さないとい ることになっています。 無常をめぐる諸宗教の失敗 134

4. お釈迦さまが教えたこと 1

第 3 章 悟らなくても役に立つ 俗世間の無常は、仏説ではありません。「邪見」です。 0 宗教も「変わらない何か」に拠って立っ 普通の説法をちょっと聞くと、テーラワーダ仏教 ( 上座仏教、上座部 仏教 ) も大乗仏教も、言っていることに大きな違いはありません。 しかしテーラワーダ仏教以外は、お釈迦さまが発見した無常 を語ってはいません。大乗仏教でも「変わらない何か」を概念とし あらやしきぶっしよう によらいぞう しんごんみつきよう だいにちによ て必ず作るのです。阿頼耶識も仏性も如来蔵も、真言密教でいう大日如 来も「変わらない何か」なのです。そうしたものと比較して、「無常だ」 「誰もが死ぬ」と言っているのです。 大乗仏教のお坊さんのなかには、私よりずっと話が達者な方もいます。 立派で、丁寧で、上品で、私のように人が嫌がることは何一つとして口 にしません。それで、いかにして元気に生きるか、といった皆が喜ぶこ とはたくさん話してくれます。 ただし大乗仏教のお坊さんは、心を清らかにすること、執着を捨てる こと、そういうことを強調しません。 無常についても話すのですが、そのときは永遠の仏性、如来蔵と対照 して語るのです。 宗教の世界では、超越的な観念としての神様、仏様を「何か」の比較 対象として話をします。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などでは、 永遠不滅の絶対的な神と比較して、「世界は変わるのだ」と語るのです。 「モノに執着してはならない」とも言う。「神が天国で待っているのだか ら」と。 つまり宗教家も知識人も一般人も、同じ失敗を犯しているの です。誰も彼もが「変わらない何か」と比較して、「何かが変わった」 と言っているのです。俗世間がしたり顔で語る「変わる」「無常 世界は変わるが、自分は変わらない ? らい

5. お釈迦さまが教えたこと 1

第 3 節無常をめぐる諸宗教の失敗 なぜ現象は変化する ? 変化はいつか終わる ? ヒンドゥー教の実家論 ・・ 129 ・・ 130 ・・ 132 中東の宗教は「天国」と「地獄」の二者択一 説一切有部は「現在、過去、未来は同じだ」と説く・ 大乗仏教はブッダの教えを骨抜きにする・ 仮説をごり押しして真説にする愚かさ ブッダは、仮説を立てずに調べていく・ 第 4 節ブッダは因縁ですべてを説明する ・・ 134 ・・ 135 ・・ 136 ・・ 137 ・・ 139 因縁で説明できないことはない 仏教は「自分に関する因縁の説明」・ 「因」は原因、「縁」は条件はめ知識 ) すべては「結果」であると同時に「原因」・ 無常は想像を絶するほど多次元的 変化そのものが世界の姿・ すべては一時的で相対的・・ 無常の世界の予測術 ・・ 147 ・・ 145 ・・ 146 世界は法則通りに変化するので予測可能 予測能力は因果法則の理解しだい 占いは宗教の予言より当たるが、無視すべき ・・ 140 ・・ 141 ・・ 142 ・・ 143 ・・ 144 ・・ 147 ・・ 148 ・・ 149

6. お釈迦さまが教えたこと 1

の見解です。観察すると、誰でもそのように発見できるのです。すべ ての宗教の世界では、限りない無常の世界に我慢できず、何か安定した 変わらない実体を欲したのです。宗派仏教の人々も、残念ながらその例 外ではなかったのです。 0 大乗仏教はブッダの教えを骨抜きにする 哲学的な大乗仏教は、「無常はどうにもならない状態だから、 本来すべては空だ。何もないのだ」と考えて、ブッダの説いた 教え、解脱まで「空」にして否定します。ブッダの教えを骨抜き にするのですよ。 日本の皆さまに馴染み深い「般若心経」は、ブッダの言葉では ありません。あの経典は真理を語るのではなく、すべてを否定 しているだけです。何の役にも立ちません。 あらゆることを否定すると、どうなりますか ? 「否定ということまで 否定する」と、もう「黙るしかない」でしよう ? それは高尚な思想 ではなく、思考停止という退廃です。そこから智慧が生まれること はありません。 大乗仏教の哲学は、この欠点のために、痛い目にあっています。それ で葬式仏教などと呼ばれるようにまでなってしまったのです。 あらやしき 大乗仏教には「阿頼耶識」という思想もあります。阿頼耶識は認識 不可能な潜在的な意識で、顕在的な世界とのつなぎ役を果たしているそ うです。すべての認識できる現象は無常ですが、認識不可能な阿頼耶識 はあるというのです。それがこの世のカラクリで、現象世界を成り立た せているのだと。 しかし当然、「認識不可能なものをどうやって発見、認識した のだろうか ? 」という疑問が湧きますね。当たり前ですが、そんなこ 無常をめぐる諸宗教の失敗 136

7. お釈迦さまが教えたこと 1

どうして先が知りたいの ? 0 儲け話にしか興味なし 予測能力とは、「こうなるんだな」と「何かの未来を洞察する能力」 です。仏教でも予測能力は「生きていくうえで必要な能力」だ と考えています。 一方、世間が評価する予測能力は、そのほとんどが経済関係 です。つまり「儲かるのか ? 」は誰でも気になるし、それを当てられる と重宝されます。「値上がりする株を教えてくれるなら、こんなにあり がたいことはない」ということです。 経済の世界では、ある程度有効な予測方法が発明されています。「今 年の製造業の景気はまずまずでしよう」といった予想はそれなりの根拠 に基づいたもので、大きくはずれることは少ないようです。 経済以外の予測には、人はあまり興味がありません。自分の将来、健 康については占い程度です。「私はいっ結婚できるの ? 」と気になる女 の子が、占いに凝ったりしますね。 0 宗教の予測は当たらない 宗教の世界には予言がたくさんありますが、当たったためし がありません。 世紀末の大騒ぎを思い出してください。日本中が大騒ぎしたでしよう。 突如として世の中に出てきた世紀末専門の新興宗教もありました。 当時いちばん人気があったのは「ノストラダムスの大予言」ですが、 やつばり何事もなかった。そもそもあの人は予言しているわけではない し、正気で調べてみると、予言としてはすべてハズレだとわかります。 普通に読めば、ただの「詩」ですよ。詩人の妄想です。 どうして先が知りたいの ? 114

8. お釈迦さまが教えたこと 1

第 4 章 無常の世界の予測術 無常をめぐる諸宗教の失敗 0 なせ現象は変化する ? この章の最初に「仏教は、予測能力を生きていくうえで必要な能力と 考えている」と言いました。 そこでここからは「無常の世界には管理するものがないのに 計画できるのか ? 予測可能なのか ? 」という問題について、答 えていきます。 その前に「無常とは何か ? 」について、もう少し踏み込んでみましよう。 なぜオニギリ 1 個を 2 日、 3 日机の上に置いておくと、腐りかけるので しようか ? なぜ現象は変化するのでしようか ? 現象は、そのままでは安定していられないから変化するので す。これが答えです。 もう少し詳しく説明しましよう。 心と物質は、常に不安定な状態です。「不安定な状態 = 安定に向 かう状態」です。それで別な状態に変わります。それでもその状態も不 安定で、さらに変わってしまうのです。そのようにして生命と宇宙は、 変わり続けるのです。これがすなわち無常です。 ニュートンの物理法則でも、物質が安定を目指して動いていくことが わかるでしよう ? ポールを転がしても、永久に動き続けることはあり ません。それは安定に向かっているということなのです。「こちらでよ ろしい」という感じで。 ポールはいずれ停止します。それでもポールが安定したわけではない のです。静止しているように見えますが、それは我々が地球という乗り 物に同乗しているからです。地球はすごいスピードで動いているので、 129 無常をめぐる諸宗教の失敗

9. お釈迦さまが教えたこと 1

第 5 章 死を認めれば幸福になる を手に入れたい」などと、計画を立てたりもするのです。 しかし本当は、「私は変わるのだから、計画を立てても意味が ない」のです。瞬時に別人になっているのです。我々が生きているの は、田中さんが働いて、太郎さんがお金をもらい、次郎さんが そのお金でご飯を食べるような世界なのです。変わらない自分は いないのです。 こんな中国の教訓話を聞いたことがあります。 土地がほしくて仕方がない人の前に、神様が現れて言いました。 「太陽が昇っている間に走って最初の地点に戻ったら、走って囲んだ 土地をお前にやろう」 その人は日の出と同時に走り始めて、ご飯を食べるのも惜しんで走っ て、広大な土地をなんとか円でつなぐことに成功しました。 ところがその瞬間、死んでしまった。 広大な土地を得る自分は、いないのですね。 「自分が変わらずにいる」と思うから「得る」ことが成立する。しか し、「変わらない自分はないので、得ることはできない」というオチで す。 この「変わらない私がいる」というのが、「人類最大の間違 い」「極端な間違い」なのです。 あらゆる概念、思考、哲学、宗教、すべてがこの間違いを犯 しています。 民族争いも宗教争いも、すべてこの間違いに端を発します。 仏教を勉強すると、この間違いを犯しません。だから頭が良いのです。 すぐに問題を見抜きます。 10 年研究した専門家の話を、 言でひっくり 返せます。専門家と言われる人も、すっと畑仕事をしてきたお年寄りに はかないません。簡単に言い負かされて恥をかいてしまいます。「世界 183 因縁法則こそ人生の操作方法

10. お釈迦さまが教えたこと 1

お釈迦さまは、ひたすら「真理」、すなわち「超越的な智慧で発見し た客観的な事実」を語りました。 ブッダの「真理」は、神秘的なものではありません。文化も時代も次 元も超えて、普遍的に正しい客観的な事実です。だから誰もが、いまこ こで、すぐに確かめることができます。本当に、この本を読みながら確 認できるのです。 仏教は理解し、実践するものです。信仰は不要です。仏教には「世界 を支配する神」も「永遠不変の魂」もありません。その意味で、仏教は 宗教ではないのです。仏教は、まさに「仏陀の教え」なのです。 仏教は、あなたが幸福に生きるために役立つ、論理的で実践的な「心 の科学」です。日々の暮らしに役立つ教えであると同時に、究極の幸福 である「悟り」「解脱」にまっすぐ続く道でもあります。 真理を体験することが、すなわち「悟り」。「悟り」は絵空事ではなく、 いま、あなたに、その可能性があるのです。そのための方法をこそ、お 釈迦さまは残してくださったのです。 「天上天下唯我独尊」。すなわちブッダの「私は生命の一番である」と いう高らかな宣言。仏典には記録されていませんが、テーラワーダの国 でも、生後まもないお釈迦さまの言葉として広く知られています。 実際、ブッダの卓越した智慧は、人間の域をはるかに超えています。 それはこの本を読み進むうちに、おわかりいただけることと思います。 「なるほど、この方は桁違いだ」と。 しかし、そのように超越的な知性を示しながら、お釈迦さまのお話は、 誰にでもわかるものです。高い知能指数も、難しい専門知識も一切必要 ありません。慈しみ深きブッダは、一切の生命の幸福を願われた。母の 4