見方 - みる会図書館


検索対象: お釈迦さまが教えたこと 1
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1. お釈迦さまが教えたこと 1

現象の「自分にとって悪い側面」を見て、「変わってほしい」と悩む ことです。 人間は矛盾しています。たとえ同じ現象であっても、「見方によって は変わってほしくない」し、「見方によっては変わってほしい」のです。 子供が大きくなるのは、見方によっては寂しいことであり、見方によ っては、うれしいことなのです。 問題は「見方」にあるのです。このことを発見していないから、 人は苦しむのです。 0 期待、希望から、苦しみが生まれる 「あのように変えたい」「これは変えたくない」というのは、 期待、希望です。幸福を思い描いて、それを期待しているのです。 こういう「幸福を期待する生き方」は、前向きな生き方だそうです ね ? 実際、皆さんは、「幸せになるために頑張っています」という人 を、すごく明るい人だと思っているでしよう ? 違います。「裏」をしつかり見抜いてください。 この人は嫌だから、苦しいから、幸福を期待して、また苦し す。 て働くのです。この人は、 むのです。 ち構えています。期待、希望という見方は、苦しみのもとなので 現実から目をそらして、何かを期待、希望して頑張ると、苦しみが待 ものすごく不幸なのです。 いまの給料が嫌だから、ポーナスアップを期待して、歯をくいしばっ 仏教では、「期待、希望、願望は捨てなさい」と言っています。 それはこういうわけなのです。 悩むのは、馬鹿げている 24

2. お釈迦さまが教えたこと 1

正しい見方 = 仏教の中論 0 一切の現象に価値はない 仏教は楽観主義でも悲観主義でもありません。 仏教は「中論」を語ります。 こちらが「正しい見方」です。 中論は、ただの「まん中」ではありません。 教えも中論、真理も中論です。正しい見方によるものです。修行 は「中論を実践する正しい道」、つまり「中道」です。大乗仏教 の龍樹などが言っていることとも重なりますので耳にしたことがあるで しよう。 どんな現象でもよいのです。 ペットボトルが現れたということは、原材料としてのプラスチックが 消えたということです。お茶を飲み干すと、容器としてのペットボトル は消えて、処理のやっかいなプラスチックのゴミが生じるのです。 「貧乏な人が宝くじに当たった」という現象は、同時に「豊かさが生 じる」「貧しさが消える」ということです。それが我々には 1 つの現象に 見えるのです。 生まれると同時に、消えています。 消えると同時に、生まれています。 一切の現象は、生でもあり、減でもあるのです。 一切の現象は、「良い」「悪い」の 2 つの側面を半々に持って いるのです。 生命であろうと物質であろうと、現象はすべてこんなものなのです。 ですから、一切の現象は、評価不可能です。良くも悪くもありま せん。俗世間の「苦しい」「楽しい」「幸せ」「不幸」といった 正しい見方 = 仏教の中論 174

3. お釈迦さまが教えたこと 1

世界は変わるが、自分は変わらない ? 0 「私は変わらない」という身勝手な前提 世間一般の人も、一応、現象が変わることを知っています。しかしそ れは「知識として」なのです。「変わるのでしよう ? 知っていますよ」 という感じなのです。それで時々気まぐれに外の世界の現象をとらえて、 悦に入ったり、感動したり、悲しんだり、はかなくなったりしているの です。認識の仕方はきわめていい加減で、身勝手です。まともな 観察はありません。世界を見る目は、著しく公平さを欠いています。 ただの偏見なのです。 どうして我々の観察は偏見になってしまうのでしようか ? きちんと 世界に向き合えないのでしようか ? 最大の失敗は、「自分の無常」を観察しないことにあるのです。 大きな駅では、電車が事故で 1 時間もストップすると大騒ぎになりま す。なぜなのでしようか。いつどこに何が起きても不思議はないでしょ う ? 自分に何が起きても不思議はないでしよう ? それなのに自分が 乗りたい電車が遅れるくらいのことで、なぜ大騒ぎするのでしようか ? すべてが無常だと知っている人は、平静なまま別の手段でさっさと移動 するか、本でも読んで待っているでしよう。 世界に向き合うときに人間が犯す最大の失敗は、自分自身を脇に置い て、外の世界の変化を発見することです。「自分が変わる」という ことは、気にも留めません。何の疑いもなく、「私はそのままで、 変わっていない」「私は無常ではない」と決めつけているのです。それ でひどく見方が偏ってしまうのです。 「あなたずいぶん歳をとったね」 「ウチの旦那はすっかりお爺さんになってしまった」 世界は変わるが、自分は変わらない ? 88

4. お釈迦さまが教えたこと 1

無常の見 スリランカ初期仏教長老 アルポムツレ・スマナサー一フ Alubomulle Sumanasara お釈迦さまが 教えたこと 1 無常の見方気 ~ 〉」・まサーラ〈 税 十 4 1 4 円 0 9 \ 6 5 体 0 1 0 0 0 本 2 9 0 1 4 価 定 無常の見方 ブッダが説く「無常」は、「花が散って寂しい」「親しい人が死んで悲しい」といった 感情的なものではありません。「無常は聖なる真理」。普遍的で客観的な事実 であり、一切を貫く法則であり、幸せに役立ち、悟りに到る智慧の見方なのです 驚くべきブッダの智慧の世界へご案内しましよう。 シリース「お釈迦さまが教えたこと」 釈尊がニ六 00 年前に説かれた教えを、間違いなく伝える シリース「お釈迦さまが教えたこと」では、 すへての生きとし生けるものが幸福に生きるために役立っ 仏教の智慧を、最初期の仏教であるテーラワーダ仏教に学びます お釈迦さまが教えたこと 1 お釈迦さまが・ 教えたこと 10 一 無常の見方 9 7 8 4 9 01 6 7 91 5 2 アルポムツレ・スマナサーラ、、 Alubomulle Sumanasara スリランカ上座仏教 ( テーラワーダ仏教 ) 長老。 1945 年 4 月、ス リランカ生まれ。 13 歳で出家得度。国立ケラニヤ大学で仏教 哲学の教鞭をとる。 1980 年に来日。駒澤大学大学院博士課 程を経て、現在は ( 宗 ) 日本テーラワーダ仏教協会で初期 仏教の伝道と瞑想指導に従事し、ブッダの根本の教えを説 きつづけている。朝日カルチャーセンター ( 東京 ) の講師を務 めるほか、 NHK 教育テレビ「こころの時代」などにも出演。 「希望のしくみ」 ( 養老孟司氏との対談、宝島社 ) 「なぜ悩 むリ ( 玄侑宗久氏との対談、サンガ ) 「自分を変える気づきの 瞑想法』 ( サンガ ) 「死後はどうなるの ? 』 ( 国書刊行会 ) 「ブッ ダの実践心理学アビダンマ講義シリーズ』 ( サンガ ) 「原 訳「法句経」一日一悟』 ( 佼成出版社 ) など著書多数。 日本テーラワーダ仏教協会 http://www.j -theravada. net/ 聖なる真と 「の幸福 サンガ 0 19 0

5. お釈迦さまが教えたこと 1

お釈迦さまが教えたこと 1 無常の見方「聖なる真理」と「私」の幸福・ ・・・目次 「ある」から生じる大失敗 第 1 節悩むのは、馬鹿げている 「変わる」から悩む、「変わらない」から悩む ①変わるから悩む ・・ 18 「悩む」→「苦しむ」のメカニズム・ ②変わらないから悩む・ 「苦しみ」の寄せ集めが「人生」・ 「見方」が、悩み、苦しみの原因・ 期待、希望から、苦しみが生まれる あなたは「世界の王」ではありません・ 「わがまま」が根本的な問題・ ・・ 20 ・・ 26 「自分のわがまま」に気づくと、人生はうまくいく 第 2 節知識が不幸の種を蒔く 「ある」は 2 種類・ ・・ 28 「思うもの」が「ある」は、大問題・ 人間は「自分が思うもの」を絶対に譲らない 「思考の争い」「信仰の争い」こそが問題・ 「我が思う、故に正しい」→精神を病む・ 感覚器官→情報を認識→「ある」と勘違い 「変わるから知っている」が正しい ・・ 19 ・・ 22 ・・ 23 ・・ 24 ・・ 25 ・・ 32 ・・ 28 ・・ 27 ・・ 31 ・・ 30 ・・ 29

6. お釈迦さまが教えたこと 1

お釈迦さまが教えたこと 1 L 、 2 無常の見方

7. お釈迦さまが教えたこと 1

「生があるから、滅がある」 ( 生がないなら、滅はない ) 「得るから、失う」 ( 得ないなら、失わない ) 「変わるから、現象としてあらわれる」 ( 変わらないなら、現象と してあらわれない ) という具合に。 中論はこの 3 つの真理から成るのです。 正しい見方 = 仏教の中論 178

8. お釈迦さまが教えたこと 1

「執着したり、困ったりする必要は、はじめからなかった」「自分さえ も無常だから、執着は成り立たない」と知る人は、完全なる解脱・ 平安を体験するのです。 世間一般では、「自我を捨てなさい」「執着を捨てなさい」というと、 「かわいそう」「もったいない」と思うのですが、「そもそも、そんなも のは、はじめからない」のです。 世間には「牾り」について煩悩が音をたてて弾けてなくなるような大 それたイメージがありますが、そうではありません。悟りとは「な んだ、自分は成り立たないのだ」と知ることなのです。「いまま で馬鹿でした」と。それで終わりです。 0 無常は無上の真理 一切は無常です。無常は真理です。真理はこれだけです。 「無常」は正覚者 ( ブッダ ) が発見した聖なる真理、この世に比べる ものがない尊い真理です。 物質も心も、ありとあらゆる存在が、無常です。無常だから存在する のです。無常でなければ存在しません。 無常は「存在のある側面を説明する概念」ではありません。「見方に よっては無常ですが、別の側面もあります」ということではありません。 「この花はきれいですか ? 」と聞いたら、人によって見解が違います。 それは人の価値観に基づいた見方だからです。 しかし無常は存在そのものであって、人の価値観とは関係がありませ ん。「私から見れば無常です」ということではありません。 「地球は丸い」というのは客観的な事実であって、見解とは言えませ んね。「地球は丸いと思います」ではなくて、「地球は丸い」という事実 です。理屈としてはこれと同じです。誰かの価値観は一切関係ありませ しようがくしゃ 釈尊の無常はすごい智慧 104

9. お釈迦さまが教えたこと 1

と「時間」と呼んでいるのです。 そのため世間一般の変化、無常は、時間がバラバラです。建て た家が住みにくくなるまでの時間、煮物が腐るまでの時間、自分を年寄 りだと感じるまでの時間、生けた花が枯れるまでの時間という具合に。 煮物を作り置きしておくとします。冷蔵庫に入れても、 2 週間も経っ と腐って食べられなくなります。「食べられる煮物」が「食べられない 煮物」になったのです。それで我々は「変わってしまった」と言います。 我々は、 2 つの状態を単純に比較しているにすぎないのです。 何歳から自分を年寄りと判断するか、一人一人違います。ある人は 50 歳で、ある人は 70 歳で、自分を年寄りだと思う。しかしある人は 90 歳で も年寄りとは思わない。これはもう、ただの個人的な感想にすぎません。 ある部屋に 10 本の切り花があるとします。 5 人に順に部屋に入っても らって、「新鮮な花」と「枯れた花」に分類させるとどうなるでしよう か。同じように分類するでしようか ? きっとばらばらですね。ある人 が新鮮と評価する花を、別の人は枯れていると評価する。ある人は新鮮 別な人は新鮮なのは 3 本だと言う。変化の評 なのは 1 本だけだと言い、 価が主観的なのです。 こうした無常の見方は、事実とかけ離れています。 実際には、煮物は作り終えたときから刻々と同じスピードで変化して います。生まれ落ちた瞬間から絶え間なく老いてゆくことが人 生です。花は常に枯れてゆくのです。 しかし、そうした絶え間ない変化、無常を、我々は見ないので す。見方が、どうしようもなく雑なのです。怠けています。ひどく主観 的です。論理的ではありません。 問題は乏しい観察カ 64

10. お釈迦さまが教えたこと 1

仏教的な見方では、計画は固定するものではありません。原因がわか って計画を立てたとしても、最初から時空関係の条件を 100 % 把握でき ているわけではないからです。期待する結果が出るまで、時空関 係を調べて調べて、計画を調整する必要があるのです。 このようにして計画を実行するなら、成功の可能性はかなり高くなり ます。だから「仏教は勝利の道」というのです。負けません。世間 では「こんな期待はかなうはずがない」とよく言いますが、仏教では 「期待がかなうようにする」のです。 仏教的な計画術 158