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検索対象: これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学
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1. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

民の怒りをある程度和らげたおかげで、懲罰的な課税法案への支持は上院で尻すぼみとな った。とはいえ、この事件のせいで、国民は金融業界が生み出した混乱の処理にさらに支 出する気を失ってしまった。 十ーナスの問 企業救済への怒りの核心にあったのは、正義に反するという感覚だった。 : 題が起こる前でも、国民は救済の支持をためらったり迷ったりしていた。国民すべてに害 を及、ほす経済の崩壊を防ぐ必要はあるが、破綻した銀行や投資会社に巨額の資金を注ぎ込 むのはきわめて不公正ではないだろうか。アメリカの人びとはこうした問題を前に頭を悩 ませていた。経済危機を避けるために、議会と国民は意見を一致させた。だが道徳的に言 えば、救済は当初から一種の「たかり」のようなものだと感しられていたのだ。 企業救済に対する怒りは、道徳的荒廃に関する一つの信念から生していた。つまり、ポ ーナスを受けとっている経営幹部 ( また救済資金を受けとっている企業 ) にはその資格が ないという信念である。だが、いったいなぜだろうか。その理由は思ったほど明らかでは ないようだ。可能性のある答えを二つ考えてみよう。一つは強欲にかかわるもの、もう一 つは失敗にかかわるものだ。 みなもと 『ニ = ーヨーク・ポスト』紙の不作法な見出しからわかるように、怒りの源の一つは、 ポーナスが強欲への褒美のように思えたことだった。国民にとっては道徳的に許しがたい 事態である。ポーナスだけでなく救済措置の全体が、強欲な行為を罰するどころか誉めた

2. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

兆ドルもの資産を失った く下がってしまったからだ。二〇〇八年にアメリカの家庭は一一 が、これは、ドイツ、日本、イギリスの年間生産高の総計に匹敵する額だった。 二〇〇八年一〇月、ジョ】ジ・・ブッシ = 大統領は、大手の銀行や金融会社を救済す るため七〇〇〇億ドルの支出を議会に求めた。好況時に莫大な利益をあけたウォール街が、 景気が悪化すると納税者にツケを払わせるというのでは公正とは思えない。しかし、ほか に手はなさそうだった。ウォール街の銀行や金融会社はきわめて巨大になり、経済のあら ゆる部門と複雑に絡み合っていたので、それが破綻すれば金融システム全体が崩壊しかね なかった。「大きすぎてつぶせないーのだ。 銀行や投資会社に救済資金を受けとる資格があると言う者はいなかった。そうした企業 の無謀な賭け ( 政府の規制が不十分だったおかげで可能となっていた ) が危機を招いたの だ。しかし、このケースでは公正であるべきだという配慮よりも経済全体の安寧のほうが 優先された。議会は救済資金の支出をしぶしぶ承認した。 こうした背景のもとで、ポーナスの問題が起こった。救済資金の支払いが始まってまも おおやけ なく、いまや公の施しに頼っている企業の幹部が数百万ドルのポーナスを受けとってい るというニースが流れたのだ。なかでも一一 = ロ語道断なのがだった。この巨大保険会 社は、金融商品部門によるハイリスクな投資のせいで破綻に追い込まれていた。巨額の政 府資金の注入 ( 合計で一七三〇億ドル ) によって救済されたにもかかわらず、は危

3. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

市場の道徳性をめぐる大問題に取り組む必要があることは認めても、その課題に見合う 心配するの 力量がわれわれの公的言説にあるかどうか、読者は疑問に思うかもしれない。 も当然だ。市場の役割と範囲を考え直そうとするなら、ます、二つのやっかいな障害を認 めることから始めなくてはいけない。 一つは、過去八〇年で最悪の市場の失敗のあとでさえ衰えを見せない市場的思考の力と 威光だ。もう一つは、われわれの公的言説に見られる敵意と空虚さだ。この二つの状況は まったく無関係というわけではない。 最初の障害については理解に苦しむ。二〇〇八年の金融危機は当初、市場を無批判に容 認してきたことに対する道徳的な審判だと、広くみなされていた。さまざまな政治的立場 にある人びとが、三〇年にわたって市場を容認してきたからだ。かって権勢を誇ったウォ ール街の金融機関が崩壊寸前の状態に至り、納税者負担による大規模な救済措置が必要に なったことで、市場の見直しが促されるのは確実に思われた。 ( 連邦準備制度理事 徳 道会 ) 議長として、いわば市場勝利主義信仰の教祖の座にあったアラン・グリーンスパンで 場 さえ、「ショックで信しられないような状態」だと認めた。自由市場の自動修正力を信し 市 ( 燔 ) 章ていたのは誤りだったと思い知らされたのだ。市場志向を誇らかに掲げるイギリスの週刊 序 紙『エコノミスト』の表紙には、なかば溶けて液体と化しつつある経済学の教科書が描か ( 四 ) れ、「経済学のどこが間違っていたのか ? 」という見出しがつけられた。

4. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

市場勝利主義の時代は悲惨な終末を迎えた。いまこそ、市場信仰について道徳的に評価 すべき時であり、頭を冷やして考え直す時期のはすだった。だが、そうはならなかった。 金融市場の目を覆うばかりの失敗にもかかわらす、市場全般への信頼はほとんど損なわ れなかった。実のところ、金融危機で信用を落としたのは銀行よりも政府だった。二〇一 一年の調査によれば、アメリカが直面する経済問題の責任が連邦政府にあると考える国民 のほうが、ウォール街の金融機関にあると考える国民よりも多く、その人数には二対一以 ( 囲 ) 上の開きがあった。 金融危機のせいでアメリカと世界経済の大半が大恐慌以来最悪の不況に陥り、何百万も の人びとが職を失った。にもかかわらす、市場について根本から考え直す動きは起こらな ーティ ] 運 かった。それどころか、アメリカで生した最も顕著な政治的帰結は、ティー 動の盛り上がりだった。この運動に見られる政府への反感と自由市場への心酔には、ロナ ルド・レーガンも脱帽するだろう。二〇一一年秋には、ウォール街占拠運動が全米の都市 と世界各地に抗議の声を広げた。抗議運動の標的は、大手銀行と、企業の支配力と、拡大 するいつぼうの収入と富の格差だった。イデオロギーの方向性は違うものの、ティー ティー運動とウォール街占拠運動の活動家たちはいすれも、金融機関の救済措置に対する 怒りの声を民衆に向けて発したのだ。 そうした抗議の声とは裏腹に、私たちの政治生活において、市場の役割と範囲をめぐる

5. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

たえているように思えた。。 テリバティブのトレ】ダ ] たちはみすからの会社、みすからの より多くの利益を求めて無謀な投資に走ることによ 国を、悲惨な金融危機に陥らせた って。好況時には儲けを懐に人れておきながら、投資が無に帰したあとでも、一〇〇万ド ルのポーナスをもらって平気な顔をしていたのだ。 タブロイド紙ばかりでなく、公職にある人びとからも ( もう少し上品な形で ) 強欲批判 の声が上がった。シャーロッド・ブラウン上院議員 ( 民主党。オハイオ州選出 ) は、— ( 幻 ) の行為には「強欲、傲慢、いやそれ以上の問題が感しられる」と語った。オバマ大統領 は—が「無謀で強欲だったせいで財政難に陥っている」と述べた。 強欲批判の問題点は、金融危機後の救済措置で与えられた報酬と、好況時に市場から与 えられた報酬を区別しないことだ。強欲とは悪徳であり、悪しき姿勢であり、利益に対す る過剰な欲望である。したがって、人びとが強欲を称える気にならないのは理解できる。 とだが、救済処置というポーナスを手にしている人びとが、数年前に好況の波に乗ってもっ と多くの報酬を手にしたときよりも強欲だと考える理由はあるだろうか。 し 正 ウォール街のトレーダー、銀行家、ヘッジファンド・マネジャーというのは猪突猛進型 章の連中である。経済的利益の追求が彼らの仕事なのだ。その職業が彼らの品性を損なうか 第どうかはともかく、株式相場に連動して美徳が上下することはなさそうだ。したがって、 巨額の救済資金というポーナスによって強欲に報いることが誤りならば、市場からのご褒

6. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

いくつかの義務や権利は、社会的結 を考えれば良いわけではないとするものだ。つまり、 果とは無関係に尊重されるべきだというのである。 救命ポートの事例だけでなく、われわれがふつうに出会うそれほど極端ではない多くの ジレンマを解決するためにも、道徳哲学や政治哲学におけるいくつかの大きな問題を究明 する必要がある。道徳とは命を数え、コストと利益を秤にかけるという問題なのだろうか。 それとも一部の道徳的義務や人権はきわめて基本的なものであり、そうした計算を超越し ているのだろうか。し 、くつかの権利がこのような意味で基本的ーーーあるいは、自然でも、 だとすれば、われわれはどのようにしてそ 神聖でも、不可譲でも、無条件でもいしカ れを識別することができるのだろうか。そして、何がそうした権利を基本的なものにして いるのだろうか。 ジェレミー・べンサムの功利主義 。ノエレミ 1 ・ べンサム ( 一七四八ー一八三二年 ) のこの問題に関する立場に疑いの余地 あざけ 。ない。べンサムは自然権という概念を「大一言壮語のたわ言」だとして、山ほどの嘲りを 浴びせた。べンサムが創始した哲学は大きな影響をふるってきた。実際べンサムの哲学は、 政策決定者、経済学者、経営者、さらには普通の市民の心をこんにちでもしつかりとっか

7. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

386 中立への切望 宗教は私事であり、公的な事柄ではないというケネディの見解に反映されているのは、 カトリックに対する嫌悪感を和らげる必要性だけではない。一九六〇年代と一九七〇年代 に最も発言力を持つようになる公共哲学も反映されているのだ。この哲学では、政府は道 徳・宗教問題に関して中立で、個人が自由に自分なりの善き生の構想を選べなければなら ないとされる。 二大政党はともに中立の考え方をア。ヒールしたが、その方法は異なっていた。おしなべ て言えば、共和党は経済政策にこの観念を利用し、民主党は社会的・文化的問題に応用し ( 9 ) た。共和党は自由市場への政府の介人に反対だった。その論拠は以下のようなものである。 個人は自由に経済上の選択をし、自分の金を好きなように使うべきだ。政府が納税者の金 を使ったり公共の目的のために経済活動を制限したりするのは、万人が共有するわけでは ない国家公認の共通善の見解の押しつけだ。減税は財政支出より好ましい。なぜなら、ど んな目的を追求するか、自分の金をどう使うかを決める自由が個人に与えられるからだ。 民主党は、自由市場はどの目的にとっても中立だという考え方を拒み、政府による経済 へのもっと大きな介入措置を擁護した。だが、社会的・文化的問題になると、やはり中立

8. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

る す を と 二〇〇八ー二〇〇九年の金融危機に際して人びとのあいだに湧き起こった激しい怒りは、 こ 格好の例である。それまで長年にわたり、株価と不動産価格は上昇を続けていた。その報 し 正 いがやってきたのは、住宅バブルがはじけたときだった。ウォール街の銀行や金融会社は、 章もはや価値を失った抵当権に基づく複雑な投資商品に数十億ドルを注ぎ込んでいた。かっ はたん 第てはふんそり返っていたこれらの企業は、破綻の瀬戸際にあった。株式市場は暴落し、大 こうむ ロの投資家だけでなくふつうのアメリカ人も大損害を被っていた。年金勘定の価値が大き 念を評価しなければならないのだ。 勲章の問題は特殊なケースであり、栄誉と美徳という古代の倫理への先祖返りだと言え るのかもしれない。 こんにち、正義をめぐる議論のほとんどは、繁栄の果実や難局におけ る負担をどう分け合うか、市民の基本的権利をどう定義するかといった問題を扱っている。 こうした領域においては、福祉や自由に関する考察が主流となる。だが、ある経済的な取 り決めが正しいのか間違っているのかという話題になると、われわれは往々にしてアリス トテレスの問題に連れ戻される。つまり、どんな人が道徳的と一一一口えるのか、またそれはな ぜかという問題に。 企業救済への怒り

9. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

圏が何を意味するのかについて見解の相違が表われている。また別の議論には、これらの理 念同士が衝突する場合にどうすべきかについて意見の対立が含まれている。政治哲学がこ うした不一致をすっきりと解消することはありえない。だが、議論に具体的な形を与え、 われわれが民主的市民として直面するさまざまな選択肢の道徳的意味をはっきりさせるこ とはできる。 この本では、正義に関するこれら三つのア。フローチの強みと弱みを探っていく。最初に 扱うのは福祉の最大化という考え方だ。われわれの生きる市場社会にとって、これは当然 の出発点である。現代の政治的議論のほとんどは、経済的繁栄の促進、生活水準の向上、 経済成長の支援に関するものだ。われわれがこうした問題に気を配るのはなぜだろうか。 最も明白な答えは、経済的に繁栄しているほうがそうでない場合よりも、個人としても社 会としても都合がいし 、と信じているから、というものだ。換言すれば、経済的繁栄が重要 なのは、それが人びとの幸福に貢献するからなのだ。こうした考え方を検討するために、 功利主義を取り上げる。功利主義はわれわれがどうやって、そしてなぜ、福祉を最大化す べきなのか、つまり ( 功利主義者の言葉を借りれば ) 最大多数の最大幸福を追求すべきな のかに関する最も影響力の大きい説である。 次に、正義を自由に結びつけるさまざまな理論を取り上げて検討する。こうした理論の ほとんどは、個人の権利の尊重を強調するいっぽうで、どの権利が最も重要かについては

10. これからの「正義」の話をしよう : いまを生き延びるための哲学

たくないのだ。徹底した自由競争やリバタリアニズムを選ぶ人もいない。 このような原理 は、市場経済で得た利益を独占する権利を一部の人びとに与えるが、彼らはこう考えるか らだ。「もしかしたらビル・ゲイツになれるかもしれない。でもホームレスになる可能性 もある。ならば底辺層を切り捨てるシステムは避けたほうが無難だ」 仮説的契約からは、二種類の正義の原理が導きだされるとロールズは言う。第一原理は、 言論の自由や信教の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与えるというものだ。 この原理は、社会的効用や全体の福祉よりも優先される。第二原理は、社会的・経済的平 等にかかわっている。この原理は所得や富の平等な分配を求めるわけではないが、社会で ロ 最も不遇な立場にある人びとの利益になるような社会的・経済的不平等しか認めないのだ。 ン ロ ] ルズの言う仮説的社会契約の当事者が、実際にこの二原理を選ぶのかについては哲 学者のあいだでも意見がわかれる。これらの原理が選ばれるとロールズが考える理由は後 護述するとして、ますはロールズの思考実験が、そもそも正義を考える方法として正しいの かどうかを検討してみよう。一度も実在したことのない契約から、正義の原理を導きだす 平 ことは可能なのだろうか。 章 第 契約の道徳的限界