ろだということを知るようになるであろう。それが事実、私が受けてきた教育だった。い つもいうことだが、私の世代は教科書に墨を塗った。だから教科書の記述が間違っていれ さらにいうなら、墨塗りを指示したのは、当時の文部省だっ ば、記述に墨を塗ればいし たはずである。行政の継続性をいうなら、いまだって墨を塗ればいいではないか。 いいたいの 文部科学省と名前が変わったから、文部省時代のことはわかりません。そう であろうか。残念ながら教育は私のように還暦を過ぎても、本人に影響を与え続ける。そ の根幹に関わる教科書の墨塗りに、文部省はどういう意見を持っているのか。それ自体が まさに「歴史問題」ではないか。だれがやったことでもない、文部省自体がやったことで ある。そこに明確な解答がなくて、どうして検定ができるのか。大学紛争時代なら、私は 文部科学省に対して、「お前ら、自分のやったことを総括せよ」と迫りたくなる。 私は政府に金を出せとか、なにか要求をしているわけではない。余計なことをやめたら どうですか、といっているだけである。それで損をする人はだれか。検定という些細な権 中力をもっていると思っている人だけであろう。つまり文部科学省のお役人と、それにつな いかに動かし、が たがる人たちだけではないか。こうした些細な権力が、些細であるだけに、 たいものか、それを私はよく知っているつもりである。だからあえていう。 あ 誤解のないようにいうが、私は墨塗りを批判していない。あれはたいへんよい教育だっ
目的のない組織と個性のありか テレビを見ていたら、小学生には反復練習が必要だという主張の人が、校長先生になっ たという報道をしていた。四十四歳の校長で、日本ではいちばん若いという。おかしな話 である。おかしいのは、この人が校長になったことではない。四十代の校長が「若いーと いわれることのほうである。それも「日本でいちばん若い」とは、そもなにごとか。 長年勤めて、順送りで校長になる。それも悪くないから、そうしているのであろう。し というのと、「そればかりだ」とでは、えらく違う。な・せか知ら かし「それも悪くない ないが、この国では「そればかり」になる。「そればかりの元凶はなんだ。 文部科学省だという人も多い。たしかにそれもある。しかしそれだけか。文部科学省は 日本の外にあるわけではない。それなら元凶は文部科学省とそれを成立させている母体、 つまりわれわれ日本人であろう。われわれの作っている社会システム、それを古くから世 日旧 . とい、つ 。世間は順送り、古株の中からポスを選べばいいのである。 集団が命がけで、つまり本気で機能しようとすると、順送りでは具合が悪いことが、突 200
なぜ検定という制度をいつまでも温存しておくのか。最近の教科書に関する議論で、そ れを論じたものを残念ながら見ない。一時、規制緩和ということばが流行した。規制をす ると、一見よさそうに見えるが、長い目で見ればロクな結果にならない場合がある。 無関係なようだが、林業では一時、スギを植えることを国が奨励した。いまになってみ ると、どうにもならない状況が出現している。木材が売れないし、手入れをするには人手 がないし、山はスギやヒノキばかり、食物のないサルやクマが人家に出入りする始末にな った。花粉症はいうまでもない。 教科書を作るのは、民間の業者である。そういう人たちが、われわれがちゃんとやりま すから、国は余計な口出しをしないでくださいというべきであろう。「つくる会」だって、 話が民間だけなら、なんの問題もなかったはずである。どんな歴史教科書を作り、どの教 科書を使うか、それはまさに教師の仕事の範囲であり、学校の仕事の範囲であり、教育委 員会の仕事の範囲ではないか。それを文部科学省があれこれ指図する必要などない。知ら ない人のためにいっておくが、実際に教科書を書くのは、学校の先生方である。文部科学 省が書くわけではない。 この教科書は間違いが多いから、ぜひ使いたい。そういう教師がいたっていい。教科書 を訂正しながら使えば、生徒は活字を頭から信用する癖はなくなり、他人の意見はいろい
タ行 大学紛争 36 , 174 対テロ戦争協力 87 『ダーウインの危険な思想』 27 高橋尚子 116 , 2 。 3 脱ダム宣言 61 , 1 ラ 7 田中真紀子 54 , , リ 5 田中康夫 59 , 地球温暖化問題 46 , 106, 巧 6 「地球温暖化論への挑戦』 156 地方交付金ラ 9 「 D N A でたどるオサムシの系 反復練習 200 『反米という作法』 16 ラ 『非聖戦』 ヒューマン クト ファーフ・ノレ フセイン フッシ・ユ フランクノレ フロイト 文化大革命 95 ゲノム・フ。ロジェ 121 30 21 ラ 46 , 77 , 209 127 , 166 33 , 181 217 「「文明の裁き」をこえて』 統と進化』 統一理論 29 東郷平八郎 151 2 01 ナ行 長崎幼児誘拐殺人事件 日朝首脳会談 171 保育園 亡命 97 ノレコ月ミ 119 , 226 ーロ事件 リ 6 メンデルの法則 森喜朗 42 , 51 17 2 21 126 4 ラ , 68 , 日本医師会 日本国憲法 『日本らい史』 『人間科学』 脳死巧 62 193 63 124 文部科学省 ( 文部省 ) 200 ヤ・ラ・ワ行 靖国神社 193 , 216 『唯脳論』 29 有事関連法案 137 ユダヤ人 126 , 134 , 218 らい予防法 44 , 63 橋本治 178 派閥ラ 2 阪神・淡路大震災 18 188 ハンディキャップの原理 99 冷戦 22 , 95 ワー / レド・カップ 湾岸戦争 113 『羅生門』 リ 9 230
「非ー常識に見える。だから「女は非常識」となるのである。同様にして、私もしばしば 非常識である。 非常識だろうがなかろうが、女性も人間のうちである。しかも人間の半数以上を占めて いる。さらに高齢化社会ともなれば、年齢が高くなるほど、女性が増える。日本の世間で は、偉い人はたいてい年寄りだから、それならいまや、女性の常識のほうが、むしろ世間 の常識ではないか。 女性という基準でいうなら、女性の大使の名前なら、私のような素人だって挙げること ができるくらいに、外務省には女性大使は少ない。東大の女性教授と似たようなものであ る。それが閉鎖的な環境でなくて、どこが閉鎖的だというのか。遠山文部科学相は女性だ が、元文部官僚でトルコ大使だった。外務省の出身ではない。 男ばかりが集まって人事の話をする。そういう世界を、じつは私は徹底的に不健康と見 なす。田中外相はそうした世界と、どんどん喧嘩すればしし おたがいに薬になるはずで ある。おかげで外務省は明治における創設以来、はじめて自分のことを客観的に見るよう になるかもしれない。 新聞雑誌がこの事件を上手に報道できないのは、記者自体が組織に属することをもって 仕事としている人たちだからであろう。そういう人たちほど、世間の常識にしつかりはま
養老孟司 ( ようろう・たけし ) 1937 年 ( 昭和 12 年 ) 鎌倉に生まれる . 62 年 , 東京大学医学部を卒業後 , 解剖学教室に入 る . 東京大学大学院基礎医学専攻博士課程 修了 . 95 年東京大学医学部教授を退官 . 96 年より北里大学教授 . 著書ー形を読む」 ( 培風館 , 1986 ) 「からだの見方」 ( 筑摩書房 , 1988. サントリ 『唯脳論』 ( 青土社 , 1989 ) 「カミとヒトの解剖学』 ( 法蔵館 , 1992 ) 『身体の文学史』 ( 新潮社 , 1997 ) 「毒にも薬にもなる話」 ( 中央公論社 , 1997 ) 「人間科学」 ( 筑摩書房 , 2002 ) 「「都市主義」の限界」 ( 中公叢書 , 2002 ) 一学芸賞 ) レ : ヵの壁」 ( 新潮新書 , まともな人 中公新書 7 刀 9 02003 年 ◇定価はカハーに表示してあ ります。 ◇落丁本・乱丁本はお手数で すが小社販売部宛にお送り ください。送料小社負担に てお取り替えいたします。 2003 ) URL http://www.chuko.co.jp/ 振替 00120 一 5-104508 編集部 03 ー 3563 ー 3668 電話販売部 03 ー 3563-1431 東京都中央区京橋 2 - & 7 〒 104 ー 8320 発行所中央公論新社 製本小泉製本 カバー印刷大熊整美堂 本文印刷大日本印刷 発行者中村仁 著者養老孟司 2003 年 11 月 20 日 4 版 2003 年 10 月 25 日初版 Printed in Japan ISBN4--12 ー川 1719 ー 6 C1210
三年がかりで書いていた教科書が出版された。「人間科学』という表題である ( 筑摩書 房 ) 。そもそも大学での講義がそういう課目になっている。 教科書ができてしまったら、気分が変わった。長い間の借金を返したような気がする。 借金を返したら、気になることがなくなった。それがなくなったら妙な気分である。 ものを書く動機のかなりの部分 なにか書こうと思っても、とくに書きたいことがない。 が、私の場合は気持ちの引っかかりにあることがよくわかる。なにかが弓つかかっている から、それが原因になって、ものを考えるらしい。それがないと、なにが起こっても、ま あこんなものかと素直に思っている。素直にそう思ったのでは、なにも論評することがな 教科書ができたといっても、じつは来年で私は大学をまた定年である。定年後も働けな いわけではないが、年寄りがいつまでも場所をふさぐのはよくない。そう思って来年から 働かないことにすれば、一年しか使わない教科書を三年がかりで書いたことになる。こん 多頭の怪物の心がわかるか 124
昨年末はタイで過ごした。タイ国南部のプーケット島で相変わらず虫捕りをしていた。 プーケット島は砂浜の多い保養地として知られる。しかし中央に標高五百メートルほどの 山もあり、一部が国立公園に指定されている。だから虫も、それなりにいろいろいる。保 養客にはドイツ、オーストリア、北欧の人たちが多い。太陽のない冬を過ごさなければな らない地方の人には、明るい陽光に満ちた浜辺は、ほとんど天国に見えるはずである。 虫を捕らない時間は、もつばら考えごとをしていた。「差異と同一性ーという問題であ る。昨年はこの主題で私的シンポジウムを開催した。そこで出なかった結論を出そうとし て考えていたら、プーケットではあっという間に自分なりの答えが出てしまった。なんの 努力をしたわけでもない。することが他になかっただけである。ところが日本にいると、 不思議にものが考えられない。 大学に行っても、いわば雑用ばかりで、たちまち考えられなくなる。学問は人間関係で しかし世間では人間関係に関わる用件がほとんどである。いまでは大学も完全に 現代こそ心の時代そのものた
環境を守れ。これはイスラム教徒がジハー ドを叫び、アメリカ政府が人権を叫ぶのと、 じつは似た話ではないのか。ただイスラム教やファンダメンタリズムという背景ではなく、 科学という、それとは別な背景が使われたというたけである。私はそう思っている。それ に対して「科学的ではない」というのは、それで正しい。ただ政治になった段階から、環 境問題は必ずしも科学ではなくなったのである。 さらにいうなら、科学もまた人間の所業であり、その意味では政治と似たものである。 「科学的に正しい」などということばを、私はほとんど聞きたくない年齢になった。科学 の論理は単純だから反駁もしやすい。専門家どころか、むしろ馬鹿でもわかるものを、科 学というのである。 ともあれ石油を使い続ければ、いすれ埋蔵量が底をつくことは、、 月学生でもわかる理屈 である。いわゆる環境問題の基底には、具体的には〒ネルギー問題がある。それなら代替 エネルギーがあるかというなら、いまのところ有効な手段はない。だから原発が問題にな る。これがさまざまな問題を抱えていることは、 いうまでもない。そこで環境的には緑の 維持を図り、石油消費の節約を図る。それで生き延びていれば、そのうちいい智慧が浮か ぶかもしれない。それが現代のせいぜいの智慧なのであろう。温暖化論の推進者は、原発 関係の科学者だという指摘がなされているが、そうだろうと思う。ともかく原発があまり 158
がわかる。日本全土に分布する、マイマイカブリというオサムシがいる。成虫も幼虫もカ タッムリを常食としている。カタッムリに頭を突っ込んで食べているので、マイマイカブ リという名前になった。北海道にはエゾマイマイカブリ、東北北部にはキタカ・フリ、東北 南部にはアオマイマイ、関東ではヒメマイマイ、それより西はホンマイマイ、佐渡のはサ ドマイマイなどという名称がある。色や形がそれそれ若干違っていて、地域によってこう いう区別ができる。 大澤省三、蘇智慧、井村有希の三氏による『 z でたどるオサムシの系統と進化』 ( 哲学書房 ) という本が出た。高槻の生命誌研究館で行われた研究である。マイマイ 力、、フリの アの Z を調べると、こうしたマイマイカブリの地域差が、形態 とは別に、きれいに示される。それは系統関係を反映している。系統とは、どれとどれが、 どのくらい親戚関係にあるか、ということである。 これを見ると、日本がいかにみごとに、異なった地方に分かれているかがわかる。東北 虫は三つの地域に分かれるが、最北部は北海道と一致する。残りの二つは、おそらくマイマ らイカブリが二つの小島に由来することを示す。つまり北と南に二つの、後に東北になる島 変があったと考えられる。それそれの島に分かれ住んだマイマイカブリは、やがて本州の成 立とともに、地域的に接してしまう。島がくつついてしまうからである。ところがミトコ