日本 - みる会図書館


検索対象: まともな人
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1. まともな人

* 二〇〇二年五月八日、中国遼寧省瀋陽の日本総領事館へ北朝鮮の住民が亡命を求めて駆け込 み、中国側の武装警察官によって総領事館敷地内で身柄を拘束された。このとき、日本側の了 解を得ていたという中国側と日本政府との見解が相違し、外交問題に発展した。 * * 二〇〇一年十一月、アルベルト・フジモリベルー大統領は、日本を非公式訪問中に辞任を 声明、ベルー議会は辞任を認めず、罷免を可決した。日本の法務省は、一カ月の調査後に滞在 中の氏が日本国籍を有している旨確認したと発表。 * 他国からの武力攻撃に備える有事関連法案は、二〇〇二年四月に閣議決定。二〇〇三年 六月、与党三党と民主・自由両党の賛成多数によって、武力攻撃事態対処関連三法が成立した。

2. まともな人

国家ーはまれであろう。阿南大使はそれをいやというほどご存じのはずである。大使夫人 は日本国籍を持つはずだが、まだ実質的には外国人扱いをされているに違いないからであ る。顔が日本人に見えなきや日本人じゃない。それが日本共同体の非成文憲法だ。阿南大 使は夫人にそうはっきり言い聞かせたか。そうしていれば、この種のものごとは、もっと 明確になっていたはずである。夫人はとんでもないと反論し、夫や日本を変えようとした だろうからである。 日本が亡命を認めず、その言葉すら使わないのは、共同体の規則を金科玉条にしている からである。日本共同体は死ななきや出られない。それなら岡田嘉子が何年ソ連にいよう が「亡命」ではない。 フジモリ元大統領は日本に亡命したのではない。「もともと日本人」 である。実質的に亡命を許すなら、そういうしかない。。 とうせ戸籍を適当に解釈したので あろう。 それなら北朝鮮の人を追い返せと阿南大使は指示する必要はない。阿南大使のお父上の 時代には、北朝鮮は地図の上で赤く塗ってあったではないか。つまり北朝鮮の人たちは 「フジモリ氏が日本人」であるのと同等に、日本人であるかもしれないのである。よく探 せば、戸籍が見つかるかもしれない。 いや、見つかるであろう。自分に都合さえよければ、 外務省はそういう戸籍を探してくるに違いないからである。よど号のハイジャック犯はど 136

3. まともな人

相変わらず虫の話 万年ほどの間に、南から移住してきたものである。これなら「自然史ーを一冊にまとめや すい。日本にそういう本がないということ自体が、日本の自然の豊かさを示しているとも いえるのである。 それにしても、そういう本があっても、 しいはずである。そういう本が出ないうちに、わ れわれは故郷の日本を徹底的に破壊しつづけてきた。この勢いでは、もはや遅いという時 代が来るであろう。いや、もう来ているのかもしれない。 それでも後世のために、日本列島の自然とはどういうものであったか、せめてそれを書 き残すくらいの義務がわれわれにはあるのではないか。なくなったものを、いまさら嘆い てもはじまらない。しかしこれ以上壊すなという声は、 いまではほとんど圧倒的であろう。 聞こえない人には、それが聞こえていないということは、よくわかっているのだが。

4. まともな人

たと思っている。それ以前の歴史にあんなことはなかったし、それ以後にもない。つまり 墨塗りはきわめて非日本的な、反世間的な行為だった。いまとなってはそれを私は大きく 評価するしかない。なぜならその後の日本社会は、そのていどの乱暴な社会的行為を実行 する覇気も気力も、まったく失ったと見えるからである。それがむしろ私の歴史観である。 検定を廃止することで、いったいなにを恐れているのか。なにも恐れるものはあるまい。 日本の教科書は国民の意見で作られるもので、国民にはさまざまな意見がありますから、 教科書の内容もさまざまです。それでどこがいけないのか。 基本的なことは同じでなければならない。 これは単に世間の規則である。中国も韓国も 日本も、その意味では似たようなお国柄であろう。ある種の考え方について、統一をとら ないといけないと「思っているーのである。アメリカのような国では、端からそれはでき ない。だからむしろ統一見解を普遍的な人権や自由に置く。検定を維持しようとする人た ちは、そこに引っかかっているのであろう。「教科書を自由化すると、どんな弊害が生じ るか、わかったものではない」と。 日本の子どもは一日平均六時間、テレビを見ているという調査がある。それなら文部科 学省はテレビの中身を検定しているのか。考えれば考えるほど、アホか、という気持ちに なる。教科書なんて、子どもに与える影響は一。ハ ーセントであろう。むろんその数字に根

5. まともな人

これも地域差が大きく、とくに種類によっては、とりあえす同種とされているのに、西 日本と東日本では、まったく違う形質を示したりする。日本列島の西と東では、ここ千五 かなり違った出来事が起こったからである。 百万年のあいだに、 私が調べているのは、虫のそれもほんの一部だけである。しかし、こうした事例がわか ってくると、日本の自然をもっと知りたくなる。よく日本の自然は豊かだといわれるが、 どれだけの人がそれを実感しているだろうか。どこが、どう豊かなのか。外国人にそれを 訊かれて、明確に答えられる人があるだろうか。 私は墓に人るまでの時間を計算する歳になったが、もし余命があるなら、その疑問に答 えたいと思うようになった。つまり日本の自然史である。自然のなかには、列島の歴史も 地質も、活断層も、植物も動物も、土壌生物も含まれる。もちろん海の生物もである。そ ういうことの概略を知りたいと思ったとき、適当な本がない。自分ひとりで書ける本では ないが、専門家を集めれば、できるはずではないか。 カナダのホテルに泊まったとき、部屋に置いてあった本には、「フリティッシ、 ンビア州の自然史』という表題がついていた。カナダの自然は単調で、大きな樹木といえ ば、スギ、マツ、トウヒ、。フナ、つまりほぼ四種類しかない。一万二千年前までは、すべ てが氷の下だったからである。いまわれわれがカナダで見る動植物のほとんどは、ここ一 巧 4

6. まともな人

るのかもしれない。 とくに滋賀県なら、そういうことになる。中央構造線の西と東でも話 は同じである。越中と越後、つまり富山県と新潟県の境界とはなにか。要するに中央構造 線ではないか。それなら遠州と駿河の境界と同じ意味を持つ。 現代の日本社会はそうした区分をできるだけ「消す」方向に動いてきた。どこにでもコ ンビニがあり、舗装道路が通り、同じようなガソリンスタンドが並んでいる。だから地方 色などというものは、観光目当てに無理に残したものでもない限り、残っていない。現代 風の人間なら、そう思っているはずである。しかし同時に、地方色というものに対して、 そこはかとない郷愁を感じているかもしれない。 虫を見ているとわかるが、「そこはかとない」どころではない。地方によって、虫はが らりと変わる。それはマイマイカブリにかぎらない。 大陸から日本列島が分かれて、約千五百万年ほど経っている。その間に日本で進化した 話虫たちは、おそらくオサムシと似たような地域分化を起こしている可能性が高い。 虫オサムシは飛ばない虫なので、移動性が低い。こうした虫は隔離が起こりやすく、それ らなりに種分化しやすい。ときどきここで紹介するヒゲポソゾウムシも、たぶんそうである。 と 変この虫は日本に十種あまり知られ、ヨーロッパに数十種いるが、朝鮮半島にはいよ、。 いうことは、日本で進化した可能性が高いということである。

7. まともな人

な男に商売をやらせて成功するはすがない。 新聞を読んでいたら、英国紙がイスラエル批判をはじめたという記事があんがい大ぎく 載っている。日本の新聞記事は米国のそれに似るが、欧州の論調が紹介されることは多く ない。ひょっとすると自分でイスラエル批判をやりたいが、能力や影響を考えると、いろ いろ具合が悪くてできない。それなら、ちょうどいいから、英国の記事におんぶしておこ う。そう思っているのかと、疑いたくなる。 三カ月ほど前にテレビを見ていたら、だと思うが、イランの米国博物館を紹介し ていた。建物は前の米国大使館ではなかったかと思う。米国が行った戦争行為のさまざま を、各部屋で紹介している様子が放映されていた。その報道ぶりが日本のメディアの論調 とは明確に違う。イランの態度に対して、日本の報道よりはるかに理解を示している。こ る うした面では、日本は英国よりさらに米国寄りである。さすがに同盟国は違う。 Ⅱ事件の報道もずいぶん下火になった。こうした政治問題には贔屓があるから、う äつかりしたことはいえない。著者が自分と同じ贔屓感覚を持っていれば、読者は安心して 怪読むが、それが違っていると反撥する。そんなことはわかりきっているから、政治には触 頭れたくない。しかしあの事件に関するさまざまな論評でわかったことは、米国贔屓がいま の日本に間違いなく存在していることである。贔屓はケチをつけられると怒る。阪神ファ 12 5

8. まともな人

中の人間が世界を渡り歩くわけではない。渡り歩くから普遍的だというわけでもない。人 間は多少とも部族的で、ユダヤ人もその例外ではない。部族性が欠けていたなら、すでに 「ユダヤ人ーは存在していないはずである。部族性が部族性を批判するから、私は政治や 外交を好まない。 日本国首相が日本国のために殉じた人を祀るのは部族的である。部族が部族の習俗を維 持することは、部族がある以上は当然である。いまだに生け贄を捧げているというのなら ともかく、話はすでに死んでしまった人のことである。 ここにも部族問題が露呈している。日本の世間では、死んだ人は人ではない。 日本の世 間は死者をただちに仲間から排除することで成立している。死者を隠語でホトケと呼ぶ。 告別式で塩を撒く。ただちに戒名を与える。そうしたことをよく考えたらわかるはずであ る。そのかわり東郷神社になり、乃木神社になる。 ちゅうたっ 本「死せる孔明生ける仲達を走らす」。逆に中国では、死者もまた人であり、したがって政 の治の対象となる。それが祖先崇拝にも通じる。それならまさしく文化摩擦が生じておかし て しくない。だれを「人ーと見なすか、つまり仲間と見なすか、それが部族の根底をなしてい 族るからである。 死者を人と見なさない。 これは日本世間の原則だが、きわめて特異な原則であることに にえ 219

9. まともな人

、、。競馬ウマ十三頭を買う金があるのだから、抗議の根拠を録音し、テレビ・カメラを 使い、その情景を録画するくらい、なんでもあるまい。 あのビデオでは、中国側の警官は門扉にしがみつく女性を必死で引き離そうとしていた。 あれを見る限り、中国側がいかに懸命に「ウィーン条約を守ろうとしていたか」、それが わかる。 さらに日本側の主張にとどめを刺すのが、漫然と帽子を拾っていたあの人物である。あ の光景を見れば、その十分後かなにか知らないが、条約違反だなどと現地の総領事館がま ともに抗議したとは、とうてい思えない。中国側は日本側が謝意を表したと述べたが、そ うに決まっているではないか。そう、 しいたくなる。 そもそも侵人した人物たちが、爆弾を抱えたテロリストだったら、中国側は総領事館を シェシェ 守らねばならない。命がけでやってくれているのだから、謝謝くらいいって当然ではない か。それが総領事館側の当時の本音であろう。 それなら日本政府は、なにを正式に抗議したかということになる。中国政府はそこは大 人だから、あんな事件は首脳が頭をつきあわせて論しるような問題ではないという態度を とっている。日本のメディアははじめから水掛け論になるだろうと書いていた。客観的証 拠をさらに探す気など、頭からないのであろう。 13 2

10. まともな人

なにか強硬手段に出ようと思えば、とたんに陳情が飛んでくる。あそこで商売をやってい るから、いついつまでは待ってくれませんか、といったたぐいの話。それを聞いて私も感 想を申し上げた。なるほど日本の外交はきわめて筋が通っている。なにより個人の利害優 先。なかでもとくに外務官僚の都合優先。これくらい筋の通った、わかりやすい話はない。 それならそれでいい。 そう本音をいえばいいのである。個人だって日本国民の一員なの だから、その利害で動くことは、小なりといえども、ともかく国民のためであることには 違いない。そういう利害の集積が、日本全体の利害になるわけである。それより俺の都合 をもっと優先してくれという人が他にいれば、そこから議論が始まり、競争がはじまる。 そういうことを一切隠して、田中外相ではお国のための仕事が滞るなどといわれても、ま ったく理解できない。素直にいえば、俺の仕事が滞るということであろう。それならそう いやあいいだろう。なにも天下国家を持ち出すことはあるまし 、。どうせ相手は女子どもし ゃないか。 私はべつに外務省には利害関係がない。外務省のお世話にもなったが、頼まれた仕事も した。それはそれでチャラであろう。昨年の八月はロンドンにいて日本大使館と領事館の 前を毎日通過した。いちおう公用を抱えていたから、ご挨拶に寄ろうかと思ったが、関係 ないだろうと思ってやめにした。帰ってから、仕事を頼まれた官庁に、大使館には挨拶ナ