カオル - みる会図書館


検索対象: アフターダーク
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1. アフターダーク

娼婦が洗面所から出てくる。色あせたジャージの上下に、ゴムサンダルというかっこう。 ジャージの胸にはアデイダスのマ 1 クがついている。顔のあざはくつきりと残っているが、 髪は前よりきれいに整えられている。着古されたジャージを着ていても、唇が腫れ上がり、 顔にあざができていても、美しい女だ。 カオルは娼婦に日本語で尋ねる。「あんた、電話使いたいんだろ ? 」 マリはそれを中国語に翻訳する。「要打屯話喝 ? 〈電話、使いたいですか ? 〉」 娼婦は片言の日本語で答える。「はい、ありがとう」 カオルはコードレスの白い電話機を娼婦に渡す。娼婦は番号を押し、電話に出た相手に、 中国語の小さな声で報告をする。相手が早ロで何ごとか怒鳴り、彼女は短く返事をする。そ して電話を切る。深刻な顔つきで電話機をカオルに返す。 娼婦はカオルに向かって日本語で礼を言う。「どうも、ありがとう」。それからマリに向か って言う。「上有人来接我。〈人がここに迎えにきます。すぐに〉」 マリはカオルに説明する。「迎えがすぐに来るみたいです」 カオルはしかめ面をする。「そういえば、ホテル代もらってないんだよな。普通は相手の

2. アフターダーク

コオロギ「私も カオル「てことは、あの中国人の女の子がこの電話を使ってから、誰も番号押してないよ な ? 」 コムギ「触ってもいませんー コオロギ「指一本」 カオルは受話器を手に取り、一呼吸置いてから、リダイアルのボタンを押す。 呼び出しのベルが二回鳴り、男が電話に出る。早ロの中国語で何かを一一一一口う。 カオルは言う。「あのね、ホテル『アルファヴィル』ってとこのもんだけどさ、今晩Ⅱ時 頃におたくの女の子が客に呼ばれてうちに来て、それでばこばこにされただろ ? で、その 相手の客の写真が手元にあるんだよ。防犯カメラで撮ったやつ。あんたらひょっとして、そ れ欲しいんじゃないかな ? 」 電話の相手は数秒沈黙する。それから日本語で言う。「ちょっと待て」 「待ちますよ」とカオルは言う。「いくらでも」 電話ロの向こうで何かが話し合われているらしい。カオルは受話器を耳にあてたまま、ポ 106

3. アフターダーク

「普通っぱいやつがいちばんおっかないんだよ」とカオルが顎をさすりながら言う。「スト レス抱えてつからな」 男は腕時計に目をやって時刻を確認し、迷わず 404 号室のキ 1 を取る。そして足早にエ レベーターに向かう。男の姿がカメラの視野から消える。カオルはそこで画像を一時停止に する。 カオルは二人に質問する。「さて、これ見てて、なんかわかったことあるかい ? 」 「サラリーマンみたいに見えますね」とコムギは一一一一口う。 カオルはあきれたようにコムギを見て、首を振る。「あのな、いちいちお前に言われなく ても、この時間にビジネス・ス 1 ッ着てネクタイしめてるのは、仕事帰りのサラリーマンに 決まってんだ」 「すんません」とコムギは一一一一口う。 「あの、こいつ、こういうことにけっこう馴れているみたいですね」とコオロギが意見を述 べる。「場慣れしてるゆうか、迷いがぜんぜん見えへんもんな」 カオルは同意する。「そうだよな。すぐにキーを取って、まっすぐエレベータ 1 に向かっ 3

4. アフターダーク

メラがあるかわかんねえからさ」 コムギ「天知る、地知る、ディジタル・カメラ知る」 コオロギ「ほんまに。気いつけなあかんわ」 カオルは五枚ばかり同じ画像のプリントアウトを出す。三人はその顔をそれぞれにじっく りと眺める。 カオル「拡大してつから画像は粗つばいけど、それでもおおよその顔つきはわかるだ ろ ? コムギ「うん、今度道で会ったら、こいつだってちゃんとわかりますよ」 カオルは首をごりごりと音を立てて回しながら、無言で考えを巡らせている。やがて何か に思い当たる。 「お前らさ、あたしがさっき出て行ったあと、この事務所の電話使ったか ? 」とカオルは二 人に尋ねる。 二人は首を振る。 コムギ「使ってませんよー 10 ラ

5. アフターダーク

マリとカオルが人気のない裏通りを歩いている。カオルがマリをどこかに送り届けている ところだ。マリは紺色のボストン・レッドソックスの帽子を深くかぶっている。その帽子を かぶると男の子のように見える。帽子を持ち歩いているのはたぶんそのためだろう。 「いてくれてよかったよ、とカオルは『一口う。「何がなんだかわけがわからないところだった からね」 二人は行きに上がってきたのと同じ近道の階段を下りている。 cd

6. アフターダーク

ールペンを指にはさんでくるくるまわしている。コムギはそのあいだ、ほうきの柄をマイク : 待ちま に見立てて、思い入れたつぶりに歌を歌う。「雪は降るう : : : あなたは来ないし : いくらでもお : : : 」 すよお : こ出る。「写真、今そこにあるのか ? 」 再び男が電話。 「できたてのほやほや」とカオルは言う。 「どうしてこの番号がわかった ? 」 「最近の機械モノはね、いろいろと便利にできてるんだよ」とカオルは一言う。 男は数秒間沈黙する。「十分でそっちに行く」 「玄関に出て待ってるよ」 電話が切れる。カオルは顔をしかめて受話器を置く。またごりごりと太い首をまわす。部 屋の中に沈黙が下りる。コムギが遠慮がちに口を開く。 「あの、カオルさん」 「なんだよ ? 」 「あいつらにその顔写真、マジで渡すんですか ? 107

7. アフターダーク

なんとかできると思います」 「じゃあいいんだけどさ」とカオルは言う。 「タカハシさんはこの近くで練習してるんですか ? ハンドの練習」 「ああ、タカハシね。すぐそこのビルの地下で朝までじやかじやかやってるよ。のぞいてみ るかい ? やたら一つるさいけど」 「いや、そういうんじゃないんです。ただちょっと聞いてみただけ」 「うん。でもあいっさ、なかなかいいやつだよ。見どころはある。見かけはドジつばいけ ど、中身は意外にまともだ。そんなひどくない」 「カオルさんはあの人とはどういう知り合いなんですか ? 」 カオルは唇を結んで歪める。「それについてはなかなか面白い話があるんだけど、まあ、 本人に直接聞いてみた方がいし ゝよ。あたしの口からくっちゃべるよりはさ」 カオルがバーの勘定を払う。 「あんた、一晩うちをあけて、怒られたりしないの ? 「友だちの家に泊まりに行っていることになってます。うちの親は私のことをそんなに気に

8. アフターダーク

「そういうんじゃないです」とマリは言う。 「じゃ、 いいんだけどさ」 二人は歩き続ける。繁華街から逸れて細い道に入り、坂道を上っていく。カオルは足早に 歩き、マリはそれについていく。 人気のないうす暗い階段を上り、別の通りに出る。階段が 通りと通りを結ぶ近道になっているらしい。 ) しくつかのスナックの看板にはまだ明かりがっ いているが、人の気配はまるで感じられない。 「そこのラプホだよ」とカオルは言う。 「ラプホ ? 」 「ラプホテル。カップル・ホテル。要するに、連れ込み。『アルファヴィル』ってネオンの 看板が出てるだろ ? あれだよ」 マリはその名前を聞いて、思わずカオルの顔を見る。「アルファヴィル ? 「大丈夫だよ。変なところじゃない。あたしがそのホテルのマネージャ 1 をやってるんだ」 「そこに怪我をした人がいるんですか ? 」 カオルは歩きながら後ろを振り向く。「そう。ちっとばかし面倒な話でね」

9. アフターダーク

を三枚渡す。そして言う。 「この近辺の会社で働いているサラリーマンらしい。夜中に仕事をすることが多くて、前に もここに女を呼んだことがあるみたいだ。おたくの常連かもな」 男は顔写真を受け取り、数秒間眺める。格別その写真に興味を抱いたようには見えない。 「それで ? 」と男はカオルを見て言う。 「それでって ? 」 「なんでわざわざ写真くれる ? 「ひょっとして欲しいんじゃないかと思ったんだ。欲しくないの ? 」 男はそれには返事をせず、ジャンパーのジッパーを下ろし、首から吊していた書類入れの ようなものに、二つ折りにしたその顔写真を入れる。そしてジッパ 1 を首のところまで上げ る。そのあいだ彼はカオルの顔にずっと視線を向けている。一時も目をそらさない。 カオルが情報提供の見返りに何を求めているのか、男はそれを知ろうとしている。しかし 自分のほうから質問はしない。姿勢を崩さず、ロを閉ざし、答えがやってくるのを待ってい る。カオルも腕組みしたまま、冷ややかな目で男の顔を見ている。彼女の方もあとに引かな 1 10

10. アフターダーク

男が払っていくものなんだけど、払わないでそのまま行っちまいやがった。ビール代までつ いてる」 「迎えに来た人に払ってもらいますか ? 」とマリは尋ねる。 「うーん」と言って、カオルは考え込む。「そううまくいけばいいけどね カオルは急須にお茶の葉を入れ、ジャーから湯を入れる。それを三つの湯飲みに注いで、 ひとつを中国人の娼婦に渡す。娼婦は礼を言ってそれを受け取り、飲む。唇が切れているの で、熱いお茶は飲みにくいようだ。ひとくち飲んで眉をしかめる。 カオルはお茶を飲みながら、娼婦に向かって日本語で話しかける。 「しかしあんたも大変だよな。はるばる日本まで密航して来て、そのあげくあいつらにこう やってしゃぶられ続けるんだもんな。故郷での暮らしがどんなだったのか知らないけど、こ んなとこ来ない方がよかったんじゃないの ? 」 「通訳しますか ? ーとマリは尋ねる。 カオルは首を振る。「しなくていいよ。ただのしがない独り一言だ」 マリは娼婦に話しかける。「作几夛了 ? 〈歳はいくつなの ? 〉」