キリスト教は、異邦人にも多くの信者を獲得していた。そしてイエスの言葉が広まるにつれて、 ユダの比重がどんどん大きくなっていった。ユダはイエスを裏切った男である。彼はユダヤ人で あり、イエスの福音が普及することを快く思わないユダヤ教のシンボルにもなった。 そしてこのころには、キリスト教会も定着し始め、多種多様な教義をひとつに東ねて、一貫性 を持たせる必要が出てきた。そして多くの宗派がしのぎを削っていた混乱の二世紀、キリスト教 というものに、後世においても納得できる確かな定義を与えた人物が出現する。それが、ローマ 帝国の西のはすれで著述に励んでいたエイレナイオス司教である。 ェイレナイオスの使命は、ガリア地方のみならず、世界各地に出現していたキリスト教集団に、 正統な神学理論の枠組みを与えることだった。ェイレナイオスはその使命を立派に果たした。彼 が基礎を築いたキリスト教教義は、一四〇年後の三二五年、ニカイア公会議で正式に採用された。 キリスト教史に高くそびえるこの人物に関しては、本人の著作が大きな手がかりとなる。ェイ レナイオスの文章は複雑で難解だが、それは何世紀もの間に翻訳が繰りかえされたせいかもしれ弾 ェイレナイオスはギリシャ語で書いたが、その原本はすでに失われており、堅苦しく、扱端 の ア いにくいとされるラテン語訳だけが残っている。また一部はアルメニア語にも翻訳されているが、 ガ こちらもギリシャ語の原文はなくなっている。 ガリアというローマ帝国の辺境の地で、エイレナイオスはキリスト教の混沌とエネルギーを目
その一徹な聖職者は、キリスト教の司教に就任するために東方からョ】ロッパのルグドウヌム にやってきた。ルグドウヌムは「光かがやく者ーという意味で、ケルトの太陽神にちなんで名づ 者 けられた。ローヌ川とソーヌ川にはさまれたこの町は、ローマ帝国の属領ガリアの入り口であり、 端 世界有数のワイン生産地、プルゴーニュも近い。かって征服と領土拡大の要衝とされていたよう 異 、今日でも交通と交易の一大拠点である。現在、ルグドウヌムはリョンと呼ばれ、フランス第ア ガ 二の都市として繁栄している。 4 この聖職者、エイレナイオスは、紀元一二〇年に今日のトルコにあるスミルナに生まれ、二〇 第一一章ガリアの異端糾弾者 イエスはユダに言った。「ほかの者から離れなさい。そうすれば、王国の知恵を授けよう。 お前はそこに達することはできるが、大いに嘆くことになるだろう。」 『ユダの福音書』
第一一章ガリアの異端糾弾者町 第一二章フェリ 1 ニとの対立乃 第一三章風化 第一四章暴露 第一五章パピルスのパズル 第一六章『ユダの福音書』 エピローグ 7
福音とは救済の良き知らせであり、愛、慈悲、恩寵、許し、和解、償い、そして生命につい て記されている。一方、律法は悪い知らせであり、それゆえに福音が必要となる。そこには厳 しい戒律、罪の意識、審判、憎しみ、罰、死が書かれている。律法はユダヤ人に与えられるも のであり、福音はキリストによって与えられるものだ。 一人の神が、旧約聖書と新約聖書の両方で人間と契約するとは考えられない。だから神は二人 いると、マルキオンは考え、復讐に燃えるユダヤの神から人びとを救うために、イエスという新 しい神が現れたのだと主張した。 さらにマルキオンは、イエスはこの物質的な世界に属していないと考えた。もしイエスが神で ある、あるいは神の一部であるとしたら、人間であるはずがない。イエスは人間の姿をしている だけだ。神は死なないし、苦しむこともない。 そんなイエスが、なぜ地上に暮らし、裏切られて死ぬことになるのか ? そんなことはありえ ないというのが、マルキオンの出した答えだった。 いつほう、マルキオン派の対極に位置していたのがエビオン派である。ェビオン派は、キリス ト教がユダヤ教に端を発していることを重視した。ふたたびア 1 マンの文章を引用する。 ェビオン派は、イエスはユダヤ教の聖典の律法や預言を完成するために神がっかわしたユダ ヤ人の救世主だと信じた。また彼らは神の民の一員となるには、ユダヤ教徒でなくてはならな 251 ガリアの異端糾弾者
前で堂々としていることのできた唯一の人物である。 『ユダの福音書』の主張に納得できず、神への冒涜とみなす読者もいるだろうが、この福音書 の作者がユダに歴史上の新しい位置づけを与えていることは否定できない イエスの生きた時代に続く百年の間に書かれたことを考慮すると、この福音書は初期段階のキ リスト教信仰やその多彩な活動についてこれまでにない見方を提供する衝撃的な書だ。新約聖書 の四福音書とは異なる伝承に基づいた福音書であり、執筆者はイエスの神性をグノ 1 シス主義の 観点から信じている。新約聖書の四福音書とは異なる出来事が語られるが、キリスト教の基盤を 揺るがすものではない。むしろ、イエスの人格に新たな一面を付け加えることでキリスト教をさ らに強化するといえるかもしれない。 作者が暮らしていた場所は、どことでも考えられる。近東地域のどこか、エルサレム、カイサ リア、アレクサンドリアといった都市で執筆されたのかもしれない。伝承された物語の一部を作 者が伝え聞いたのだろう。この伝承を信じていた人々は、卓越した規範を示し、人それぞれの内 に宿る神へと人々を導いたイエスこそが本物の救世主であると確信していた。この福音書の作者 が、イエスに身を捧げる最も忠実な者として、ユダの側から見た物語を書こうとしたのは明らか だ。ユダに関する " 良い報せ ( 福音 )s を意味する『ユダの福音書』という題名にその姿勢が誇 らしげに一小されている。 め 6
られている。もしそうなっていたら、キリスト教はいまの厳格かっ冷淡なものではなく、もっ とあいまいで、温かみと人情味にあふれたものになっていただろう。 プロト・オルトドックス 歴史を振りかえれば、勝利したのは原始正統派および正統派であり、その解釈や立場が、教会 設立と、いわゆるキリスト教として知られる信仰の広範な伝統を支配した。グノーシス主義的な 発想は、信仰の本流から完全に排除された。ェイレナイオスは、はるか昔に自分の仕事をやりと げていた。旧約聖書と新約聖書の両立が可能になったのは、エイレナイオスの功績である。これ によって正統派キリスト教は、神と人間、物語と信仰要件のバランスを見いだすことができた。 人と神の関係、ユダヤ人と新しいキリスト教徒と古代の預言者の関係を、教会が納得のいく形で 定義できたのである。こうしてキリスト教会は不朽の影響力を獲得し、西洋文明を代表する宗教 として足場を固めた。 グノ 1 シス主義の文書のなかで、エイレナイオスに厳しく糾弾されたのが『ユダの福音書』で ある。 異端者はまたしても、カインの存在は天上の力に由来すると言いはなち、エサウ、コラ、ソ ドム人といった連中が自分たちと結びついていることを認める。彼らはさらに、自分たちは創 造主から攻撃を受けたが、誰ひとりとして傷を負わなかったと付けくわえる。ソフィアは、自 分に属するものを彼らから奪うのが慣わしだった。裏切り者ユダはこうしたことをすべて心得 265 ガリアの異端糾弾者
視していたのに対し、グノーシス派は神を神聖な「霊体」と、邪悪で不条理な霊的衝動に分割し て考えた。 グノーシス派のなかでも、とくにヴァレンテイヌスの教えに忠実だった人びとはヴァレンティ ヌス派と呼ばれるようになった。マービン・マイヤ 1 はこう書いている。 ロゴス グノーシス主義ヴァレンテイヌス派において、キリストと言葉は永遠の存在 ( 霊体 ) であり、 イエスは救済と啓発をこの世にもたらすためにつかわされた。このことは、ロゴスが実体を持 ったという『ヨハネによる福音書』を思いださせる。ただし : : : ヴァレンテイヌス派が提唱し たのは、知識を通じた救済というまったく新しい体系であり、光の王国にいる不可知の父こそ が、プレーローマ ( 生命と存在が充満する領域 ) だという考え方だった。伝統的なキリスト教 徒が、そんなヴァレンテイヌス派の異質性に疑いを抱いたのも当然だった。 ヴァレンテイヌス派は、教条的な宗教運動というよりむしろ知識人の一派であり、寓意を多用 者 して、さまざまな神学的考察にふけっていた。ヴァレンテイヌス本人は能弁な指導者であり、エ ール大学のべントリー ・レイトン教授は著書『グノーシス派の聖典』のなかで、「キリスト教神賤 の ア 学を、異教哲学の研究レベルにまで引きあげた」人物だとしている。ローマ帝国内でも、ガリア ガ からローマ、エジプト、さらにはメソボタミアに至るまで、ヴァレンテイヌス派が点在していた。 こうした指導者は、厳選した生徒だけを教えるのが一般的だが、ヴァレンテイヌス派は地元の教
まずナショナルジオグラフィック協会と、その関係者に感謝したい。この本を書くことで、 歴史上の大発見である貴重な文書を世に紹介することができたのは、彼らのおかげだ。写本は日 の目を見ることで、歴史的な役割を果たしたと言える。 具体的に名前を挙げると、ナショナルジオグラフィック・ブックスの発行人ケヴィン・マー ロイ。彼はこの企画で実に大きな役割を果たした。また編集者のジョン・ペインとエレン・ビ 1 ルは、本作りの作業を手助けしてくれた。 テレビ番組のほうでは、エグゼクテイプ・プロデューサ 1 のジョン・プレダーがすばらしい才 能を発揮した。ジェームズ・バラットは、有能なプロデュ 1 サーとして、限られた時間のなかで 執筆作業もこなした。ナショナルジオグラフィック・テレビジョン・アンド・フィルムの副社 辞 長、マイケル・ローゼンフェルドは、細やかな感受性と知性、能力をあわせもっリ 1 ダ 1 だった。謝 プロジェクト全体が滞りなく進んだのは、マリアン・カルペッパーの鋭いビジネスセンスの賜物 謝辞
かないことになりますから」 「フェリーニはすべてを用意していました。彼の家へ行くと、フェリーニは屋敷の中の立派な 書斎で、大きなテープルの上に写本を置きました」 「テープルの上のその写本をチラッと見ると、ページはバラバラになりそうだったし、小さな 破片が舞い上がっているようでした。ばう然としました。お金をかけて、大変な戦いをして、し かも全部取り戻しているのかどうか分からないのですから。弁護士を引き連れて商品を取り戻し ーティをはじめ、タ たことなど、これまで一度もありませんでした。私の周りにはマリオ・ロバ フト・アンド・ステッティニアス弁護士事務所の弁護士たちがいて : : : ものすごく緊張しまし た」 「みんなとがめるような目で私を見ました。『これで全部か ? 』と聞かれて、私はおずおずとう なずくだけでした。コプト語やギリシャ語で書かれた古文書の内容など、私に分かるわけはあり ません。一枚だったか何枚だったか、書類に署名しましたが、正確なことは憶えていません。そ のうち荷造りが始まり、私は写真を撮りました」 ーティとフリーダはクリープランドの郊外の大きな百貨店で荷造り用品を買って 前の日、ロバ おいた。二人は写本をスイスに送り返すのに万全の準備をしておいた。 荷造りが終わると、フェリーニがシャンパンで祝おうと言った。その場に残っていた全員がシ ャンパンを飲んで乾杯した。「シャンパンは生ぬるくてすつばく、ますかったわーと、フリーダ は振り返る。 294
あとになって考えると、これだけ重要な歴史的価値をもっ文書がしまい込まれ、事実上、忘れ 去られていたというのは想像しがたい。それもロングアイランドの真ん中にあったというのだか らなおさらだ。だが、 写本の所有者にとって、それが貴重な所有物であるのは、そこに書かれて いる内容のためではなく、それがもたらす金のためだ。これはハンナが戦い、苦しみ、神に祈っ て手に入れた文書だ。 した。ガプリエル神父がそこにつてがあったからだ。コプト人社会とは関連のないヒックスヴィ ルは、ロングアイランド高速道路の側にある、わりと裕福な町だ。 ハンナは仲間と連れだってショッピングセンターの中にあるシティバンクのヒックスヴィル支 店に出かけていき、そこに口座を開いた。銀行の記録によれば、写本は貸金庫三九五番に収めら れ、一九八四年三月二十三日に開かれた。コロンビア大学でバグナルが写本を鑑定する四日前だ。 ハンナが記した住所は、ジャージーシティ、ウエストサイド通り四三七番となっていて、これは 聖マルコ・コプト正教会の住所だ。ハ、 ノナとエジプト人の友人は自ら金庫の鍵を持っていき、そ れからまもなくそれを持ったままエジプトのカイロへ帰っていく。 こうして、イエスの裏切り者としてこれまでののしられてきた使徒ユダを褒めたたえるような、 初期キリスト教史に驚くべき新解釈を与える可能性を秘めた宝物は、ロングアイランドの中心に ある、銀行の金庫に人知れず納められた。 2 1 1 煉獄