フェレル - みる会図書館


検索対象: ユダの福音書を追え
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1. ユダの福音書を追え

もない決定を下した。スイスの法律家マリオ・ロバ ーティによると、「フェリーニは誇らしげに、 『写本のページを傷つけないではがすため』にこの " 技術】を採用することにしたと語った」と いう。その話を聞かされた研究者たちは皆、仰天した。後の調査で、この時の冷凍によって写本 の損傷が一段と進んだことが判明した。 プロバンガス王のフェレルは、フェリーニの期待とはまったく違った理由でアクロンにやって 来ていた。ヴェレスはこう語っている。「フェレルは機嫌が悪く、もうこれ以上何かを買いたが っているようには見えなかった。あとで分かったのだが、 フェレルが不機嫌だったのは、財務顧 問のテレサ・シェカーキーがフェリーニの帳簿操作を見つけていたためだった」。フェレルは、 自分とフェ リーニとの関係については一切コメントしていない シェカーキーがフェ リーニの帳簿操作を発見した時期については裁判所の記録には何も残って いない。ヴェレスは数年後にフリ 1 ダに宛てたメモの中でこう言っている。「二〇〇〇年九月、 シェカーキーは、フェリ 1 ニによる資金運用とパピルス写本の購入方法に問題があることを発見 した。 ( 写本の売買は ) 成立していないのだ」。それから約二年後、フェリーニとフェレルは互い 決 に相手を訴えることになる。フェレルは正しい帳簿を要求するよう訴え、フェ リーニは正しい帳対 簿はすでに提出されていると反論していることが裁判所の記録に残っている。 裁判記録は当事者の合意のもとに封印されていて、フリ 1 ダ・ヌスパーガーチャコスや『ュ ダの福音書』について言及した記録はあまりない。そうした記録から分かることは、フェリーニ とファレルの関係が変質しつつあったということだけだ。シェカーキーとフェレルがアクロンに 28 ろフェリー

2. ユダの福音書を追え

は息子を亡くして苦悩するフェリ 1 ニの姿をウエプサイトで紹介したり、「彼はなかなかべッド へ入ろうとせす、そうかと思うと、目が覚めないように祈っている。などと書いた。またファ ン・レインは、フェ リーニの秘密の金庫の場所を突き止めたとか、彼のウエプサイトと使用人か ら、相当量の情報を入手したなどとも書いている。 リ 1 ニの元支援者で億万長者の美術品蒐集家、ジェー ファン・レインの次の攻撃目標は、フェ ムズ・フェレルだった。ファン・レインはウエプサイト上でフェレルを攻撃し始めた。攻撃材料 になったのは『ユダの福音書』や彩色写本などではなく、トルコから輸入したコインなどの美術 品だった。 一匹狼のファン・レインの攻撃は無謀だった。一方、反撃材料と資金力が十分にあったフェレ ルは、フェリーニとファン・レインの両方に反撃した。フェリーニとフェレルの訴訟合戦に、フ アン・レインは巻き込まれたのだ。二〇〇二年十二月十二日にオハイオ州の裁判所に提出された フェレルの反訴状にはファン・レインの名が記されている。 反訴状には次のように書かれていた。 「フェリーニとファン・レインは、フェレルの人格と職業上の評判を傷つけ、業務を妨げる中 傷記事を出し、フェレルの恐喝を目論んだ」 フェレルはさらにこう主張する。「フェリ 1 ニとファン・レインは、この中傷記事の公開と配 布を止めてほしければ、六〇〇万ドルを支払えと要求した : さらにフェレルはこ、つも主張した。 521 暴露

3. ユダの福音書を追え

写本を売りさばくことができたのだ。だがこれは不幸の兆しだった。 稀覯本ディーラーのフェリーニは壮大な計画をあたためていた。『ユダの福音書』を日本で 大々的に紹介しようと考えていたのだ。しかしその前にまずプロバンガス会社の億万長者フェレ ルと売買交渉をしなくてはならなかった。フリーダはビル・ゲイツが購入する可能性があるとい われていたが、 実際に話がゲイツに打診されたことはなかっただろう思っている。ヴェレスによ ると、ゲイツに売ろうという話は出たが、 フェリーニとゲイツが実際に会、つことはなかった。 一方、フェレルは稀覯本の収集に意欲的で、一九九九年には、フェリーニと「フェレル古文書 コレクションを充実させるため。の契約を結んだ。これ以降フェレルはフェ リーニの古美術収集 プロジェクトの出資者になり、コインや古文書、美術品から絵画まで、さまざまな古美術品の売 買で手を組むようになった。 フェレルの助一言もあって、フェリーニは商売の手を広げた。古いコインに造詣の深いヴェレス リーニとヴェ もフェリーニと彼の後援者のフェレルに商売の間口を広げるようすすめた。フェ レスは、英国オックスフォードのアシュモリーン博物館で古代コインを収集する学芸員の紹介で 知り合った。 二〇〇〇年二月、ヴェレスは商談をまとめるためにわざわざオハイオ州に出向き、フェリーニ との共同事業で一儲けをたくらんた。彳し 。麦こヴェレスはフェリーニとの関係で自分が果たした役割 279 フェリーニとの対決

4. ユダの福音書を追え

性があった。 エリーニが返事を遅らせるのには隠された意味があるようにも思えた。実際、一月の終わり から二月にかけ、彼は写本のいくつかを売ることにし、このパピルス写本の価値について思いを めぐらせていたのだ。二五〇万ドルを支払う義務があるということは、この額以上で売却する必 要があった。彼はパピルス写本を分野別に仕分けしておいた。『度量衡学論文』は商談が進んだ のに対し、「パウロの書簡』の方はいったん売却が決まりかけたが、結局はキャンセルされた。 フェリーニとフリーダが関与することになっていたロゴス財団だったが、いつの間にか設立の ーティは、フリーダとフェリ 話があやふやになり、そのうち忘れ去られた。一方、弁護士のロバ 1 ニが手を握ることにメリットはないと考えるようになった。フリーダのためにはフェリーニが 振り出した先付小切手を無効にし、大事な写本を取り戻すことが最優先だと考えるようになった。 フェリーニはいろいろな意味で問題に直面していた。裁判記録によると、フェリーニとフェレ ルは二〇〇一年二月一日付けで別の合意に達していた。彩色写本や絵画など、フェレル所有の美 術品に対するフェリーニの代行権にフェレルが厳しい制限を設けたのだ。 この合意からは、フェレルがフェリ 1 ニに対する信頼を徐々に失くしていったことが読み取れ対 た。後にフェリーニは、脅迫されてやむなく合意したのだと語っている。 ーティは自分もトラブルに巻き込まれるのを承知のうえで、窮余の策に打って出た。情報 をリークしてフェ リーニに圧力をかけることにしたのだ。スキャンダルが売り物のウエプサイ ト「美術品と骨董品」を運営するオランダ人、マイケル・ファン・レインを使うことにしたのだ。 289 フェリー

5. ユダの福音書を追え

「フェリーニとファン・レインは、自分たちの違法行為を止める条件として金の支払いを要求 することで、恐喝をはじめとする犯罪に手を染め、これからも改める気配がないー フェリ 1 ニはこれらの申し立てについて法廷書類で否定した。 本訴と反訴は、二〇〇三年三月八日、裁判所の承認により、フェレル、フェリーニ、ファン・ レイン三名の和解という結果に至った。その和解合意書の中で、ファン・レインはフェレルの名 をウエプサイトから削除することを約東した。さらにファン・レインは、今後二十年間、彼が いかなる形式によっても、フェレル 「運営または作成する」いかなるウエプサイトにおいても、 の名を言及できず、またフェレルに関して「 ( 文書であれ口頭であれ ) いかなる形式の情報発信」 もできなくなった。 この和解合意書に署名したファン・レインは、沈黙を余儀なくされたが、それでも、和解を勝 利ととらえ、裁判の「費用」として一八万ドルを受け取ったとウエプサイトに書いた。正式に和 解したため、この件の詳細は公開記録になっておらず、検証することはできない。その後ファ ン・レインは米国から英国へ戻った。 しかし、ファン・レインはやがて合意書に従いきれなくなる。主要なウエプサイトが閉鎖され たため、彼は他の自己表現の手段を探した。自分自身を抑えきれなくなったらしい。ウエプサイ トをオランダへ移して次々と情報を載せ、頃合を見計らってはジャ 1 ナリストたちに情報を流し た。情報の多くはフェレルの活動に関するもので、ファン・レインは、新聞や雑誌では使われる ことのない、下劣な脅迫文めいた言葉をちりばめてフェレルを痛烈に批判した。 ろ 22

6. ユダの福音書を追え

レスは、フェリーニのことを話し、何か売り物がないか尋ねた。すでにエール大学が二の足を踏 んでいると感じていたフリーダは、コプト語の写本の話をしてみた。 エール大学が購入をためらっている今、フェリ 1 ニが関心を示したのはまさに渡りに舟だった。 フェリーニの資金は潤沢だった。少なくともフリーダはそう聞いていた。彼なら写本を高く買い 取ってくれそうだった。 プル 1 ス・フェリ 1 ニは、イタリア人と米国先住民の間に生まれ、オハイオ州のケント州立大 学を卒業していた。一時はオペラ歌手をめざしたこともあったが、才能がないと諦め、稀覯本や ルネサンス期の写本の売買を手がけるようになった。やがてこの業界で頭角を現し、米国の中西 部を拠点とする稀覯本ディーラ 1 として名をなした。ヴェレスによると、フェリーニは評判のよ い稀少本のディーラーで、古文書を修復したり展示する博物館を見つけ出す腕は一流だという。 リ 1 ニの上得意 フリーダはヴェレスから、億万長者のマイクロソフト会長ビル・ゲイツがフェ で、よく古美術品を売っていることなどを教えられた。フリ 1 ダは、ヴェレスの判断を信じた。 これは自分にとっても写本にとっても、絶好の取引になると確信した。 ヴェレスはフリーダに、フェリーニにはジェームズ・フェレルという有力な支援者がついてい ることは黙っていた。フリーダが直接フェレルとかけ合い、値段を決めて売りさばくのではない かと懸念したからだ。フェレルはやはり米国の中西部を拠点とする裕福な実業家で、骨董品や美 ーリ州リバティーに本社を置く、世界屈指のプロバンガス会社フ 術品の収集が趣味だった。ミズ エレルガスの最高経営責任者だった。フェレルは父親から引き継いだ事業を拡大し、会社は一九 276

7. ユダの福音書を追え

を、フリ 1 ダにメモで残している。 二〇〇〇年二月十八日 フェレルとフェリーニのチームと共同事業に取り組むため初めてオハイオ州のアクロンに到 着。私がってを使って物件を見つけ、フェレルが購入資金を出し、それをフェリーニが売るの 同じ年の九月、ヴェレスはフリーダが着く二、三日前にアクロンに到着、フェリ 1 ニと福音書 リーニはこの取 の猛勉強をする。その詳細をヴェレスがメモで残している。それによると「フェ 引にすっかり舞い上がっていた」とある。 ヴェレスとフェ リーニは有名なクリー リーニは商談を有利に進めるための戦略を練った。フェ プランド美術館に何人か知人がいた。古美術担当の学芸員であるマイケル・ベネット博士をはじ め数人の美術館の要人がフェリ 1 ニのもとを訪れ、フェ リーニとヴェレスも美術館を訪ねている。 ヴェレスはフリーダが帰ったあともアクロンに残った。彼はメモの中でこう書いている。 「フェレルがやって来て写本を調べるのを見届けるため、アクロンに残る。二人がこの写本を まとめて購入してくれればいいのだが」 こ「最初の言葉計画」という暗号名をつ フェリーニの計画は大胆だった。彼はこの新しい商談。 リーニは二〇〇二年初めまでに同プロジェクトを立 けた。二〇〇〇年秋に作成したメモで、フェ 280

8. ユダの福音書を追え

やってきた時、その場に居合わせたヴェレスによると、二人の間は険悪になっていたという。 「フェレルはフェ リーニに不信感を抱き始めていて、どんな儲け話を聞かされても信用できなか っただろう」 フェリーニは写本の売り込みに手を尽くした。米国のコプト学者ロビンソンを支援していたノ リーニが売り込みを図った一人だった。 ルウェーの古美術収集家、マーティン・シェーンもフェ シェーンはフェリーニに、かって一九八三年にロビンソンの意を受けてコプト学者のスティープ ン・エメルがジュネープに派遣された際の、商談のなりゆきを詳しく話した。さらにシェーンは、 一九九〇年、カイロの古美術商ハンナが九八万六〇〇〇ドルほどで写本を自分に売ることを合意 していたとも伝えた。一九九〇年十二月にニューヨークで最終合意書を交わすことになっていた のだが、商談そのものが湾岸戦争のせいで取りやめになったという。 シェーンはフェ リーニに、写本の中身がきちんと揃っているか確かめてほしいとも言った。シ エーンはフェリ】ニから写本を安く買い叩こうと着々と手を打っていたのである。シェーンの提 示したこの金額はフェリーニがフリ 1 ダ・ヌスパーガ 1 Ⅱチャコスに約東した金額より百五〇万 ドルも低く、これではフェリーニは大損をすることになる。 フェリーニは財政的に苦しい立場に立たされていた。彼は数十万ドルに達する借金を抱えてお リーニは数カ月後、当 り、写本の売却が頼みの綱だった。取引成立の祝杯を上げたばかりのフェ のフリーダと彼女の弁護士のマリオ・ロバ 1 ティと非難し合、つことになる。シェカーキーがアク ロンを訪れた数日後、ヴェレスはフリーダに連絡を取り、フェ リーニとフェレルの関係がこじれ 284

9. ユダの福音書を追え

プトロス ( 仮名 ) ーーエジプトの村人 フリーダ・ヌスパーガー = チャコスーースイスの古美術商 ガブリエル・アブデル・サイード師・ーー米国のコプト教会司祭 ハンス・ 0- ・クラウスーー米国の稀覯書ディーラ 1 ジョアンナ・ランディス ( 仮名 ) ーーエジプト・アレクサンドリアの住民 ロンヤー バグナルーー米国の古典学者 マーティン・スコイエンーーノルウェーの古美術収集家 ブルース・フェリーニーー米国の古美術商 ウィリアム・ヴェレスーー英国の古美術商 ジェームズ・フェレル , ーー米国の古美術収集家 マリオ・・ロバーティーースイスの法律家 マイケル・ファン・レインーー英国の古美術関係のウエプサイト主宰者 スイスのコプト学者 ロドルフ・カッセル フロランス・ダルブル スイスの古文書修復家 チャールズ・ヘドリックーーー米国のコプト学者 バート・・アーマン、ー・米国の古代キリスト教学者 < ・・ティモシー ・ジャルーー米国の科学者 ( 炭素の放射性同位元素による年代測定の専門家 ) 21 本書の登場人物

10. ユダの福音書を追え

カッセルが同僚のグレゴール・ウルストと、福音書とは別に写本のなかから発見したもので、厳 密にいうと『ユダの福音書』に属するものではなかった。 つまりファン・レイン自身がだまされていたのだ。 その後、彼は、『ユダの福音書』だと信じたこの部分を、英国のテレビ局に放映させ、 彼自身がテレビ番組に出て、朗読した。「これは現存する唯一の『ユダの福音書』で、カトリッ ク教会によって二〇〇〇年間公表を差し止められていたものです。私はこの翻訳を持っており、 今ここですべてを公開しますー ファン・レインは煙草を指にはさみ、胸の高さほどあるキリスト像にふてぶてしくも気安く腕 を回して、写本のアロゲネスに関する記述の大部分を読み上げた。残念ながら、注意して聞く者 は誰もいなかった。その翻訳はあまりに分かりにくかったのだ。はそのシーンに番組終了 のテロップを流すことにした。ファン・レインは、自分が朗読したものが『ユダの福音書』では ないことを知るよしもなかった。 ファン・レインの武勇伝にはまだ後日談があった。彼は米国の裁判所が下した判決を公然と無 視し、一向に意に介していないことまでロにした。 フェレルの弁護士による告訴のあと、二〇〇六年一月二十七日、オハイオ州の裁判所が強制捜 査を許可した。裁判所は「裁判所命令に従うことを軽々しく拒否し続けたかどにより、ファン・ レイン氏を捜査し、侮辱罪で告発した」 ろ 31 暴露