ヤコプ - みる会図書館


検索対象: ユダの福音書を追え
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1. ユダの福音書を追え

使徒たちは別れ ( 伝道のために ) 四つの言葉に分かれた。 ( こうして ) 彼らはイエスの力と平 和の中へ入っていった。 この福音書は、「異論」を唱えているわけではなく、ある特定のキリスト信仰伝承にもとづき 書かれたものだ。 写本の二番目の部分はヤコプに関わる独立した文章で、ナグ・ハマディで発見された『ヤコプ 黙示録 ( — ) 』と呼ばれる文書に類似している。イエスがヤコプに語る題材のひとつが「女性ー とは何かという問題だ。イエスはこう一一一口う。「女性は存在した。だが、最初から存在していたわ けではない」 復活したイエスはヤコプに自分は死ななかったと説明し、自分は「初めから存在していた『父』 から生まれたのであり、初めから存在していたその父の中に存在する『子』である」と言うよう にとヤコプへ告げる。この言明は、『子』が父と同時に存在し、父の一部なのか、あるいは地上 に生まれ落ちた神の子なのかという初期のキリスト教内で交わされた論争を反映している。 使徒のヤコプなのかヤコプという名の別人なのかはともかく、『義人ヤコプ』もイエスと同じ 書 ように最後には迫害を受ける。文章の最後でヤコプは次のように語る。「〔天にまします〕わが父福 の よ、彼らを許し給え。自分たちがなしていることに気がついていないのですー。新約聖書の四福ダ 音書との類似点がはっきりとわかる言い回しだ。 『アロゲネス』の部分は、他の文書と比べてはるかに断片的だ。もとより正式な表題がついて

2. ユダの福音書を追え

単語が多数存在していることから、コプト語とその表記体系が未発達の段階で翻訳された可能性 が高いこと。つまり、この写本の作成時期は三世紀ないし四世紀であり、これは放射性炭素年代 測定法でも裏づけられている。 また、この写本には、『ユダの福音書』以外に、次の三種類の文献が含まれていることも分か っている。『ピリボに送ったペテロの手紙』、『義人ヤコプ』の呼び名で歴史に登場するヤコプに よる、あるいはヤコプの言明、そして翻訳者が『アロゲネス』という題を付した無題の書の三つ 綴られた写本の最初に置かれているのは、『ピリボに送ったペテロの手紙』である。この手紙 の別の写本がナグ・ハマディで見つかっている。『ユダの福音書』の写本に含まれていたこの手 紙は、イエスの使徒ペテロが、親しい友人で同じ使徒のピリポや他の同胞たち、つまりイエスの 弟子たちに宛てて書いたものだ。。 へテロの手紙のメッセージは最後の段落に次のようにまとめら れている。「兄弟たちょ、彼は死からよみがえった。イエスは死を知らぬが、私たちは、われら が母イプの犯した罪ゆえに死する存在となったのだ」 十八行の脱落の後、次の言葉が続いている。 イエスが姿を現し、 ( そして ) こう言った。「あなたがたに平和を、私の名を信じるものには 栄光を。歩き、 ( そして ) 行きなさい。喜びが、そして恩寵と力があなたに ( もたらされる ) でしよう。恐れることはありません。私はあなたがたとともに永遠にいるのです」。そこで、 ろ 60

3. ユダの福音書を追え

家は、かなりの断片がこのコプト語写本から抜き取られていることに気がついた。 調査の結果、この専門家は、断片のほか、全部で四 5 五ページの『ピリボに送ったペテロの手 紙』と、『ヤコプ黙示録 (*) 』と呼ばれる箇所がなくなっているとフリーダに告げた。『ユダの 福音書』から紛失している部分があるのかどうか、あるとすればどの部分が紛失しているのかは 特定できなかった。この専門家は調査結果を次のように報告している。 七通のマニラ封筒に、このパピルス写本に属していた断片が数十枚すっ入っている。これら の断片の多くは『ピリボに送ったペテロの手紙』か『ヤコプ黙示録 ( * ) 』に属していたもの らしい。写本の中の順序は、この二つの文書が『ユダの福音書』の前に来る。断片の大きさは、 切手大のものもあれば、一〇センチ四方のものまである。マニラ封筒に入ったこうした小さな 断片のほかに、同じ写本に属する、ほば一ページ分の大きさ ( サイズはこのレポート紙と同じ 位 ) の断片が五枚ある。この五枚の断片はギリシャ語の新聞にくるまれていて、うち一枚に は " ヤコプ。という飾り文字が記されていた。 封筒や新聞紙に包まれたこれら数十の断片以外に、写本からはがされたものは一つも残って しオし 、。これらの断片は『ユダの福音書』と同じ写本筆記者によって書かれたもので、パピル スの色と質も『ユダの福音書」と同じだった。 この専門家の結論は難題をもたらした。米国の古美術商フェリーニへの写本の売却はフリーダ ろ 02

4. ユダの福音書を追え

による福音書』 ( 第五章二七節 ) のそれに相当する場面では、収税人の名はレビとなってるが、 ほとんどの学者は、これは同一人物だと見ている。 ユダが『マタイによる福音書』に最初に登場するのは、イエスが「御国の福音を宣べ伝え、あ わずら りとあらゆる病気や患いをいやされたー ( マタイ第九章三五節 ) ときだ。イエスは十二人の弟子 けんのう さず を呼び寄せ、「汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や 患いをいやすためであった」 ( マタイ第一〇章一節 ) 。第一〇章二節から四節は、イエスの弟子の 名を紹介している。「十二人の弟子の名は次の通りである。まずべトロと呼ばれるシモンとその 兄弟アンデレ、ゼペダイの子ヤコプとその兄弟ヨハネ、フィリボとバルトロマイ、トマスと徴税 人のマタイ、アルファイの子ヤコプとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカ リオテのユダである」 イスカリオテのユダが『マタイによる福音書』で主要人物となるのは、イエスのこの世での最 すぎこし 後の日々をつづった部分だけだ。第二六章二節、過越の祭の二日前、イエスは次のように予一言す る。「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられる ために引き渡される」 イエスがオリ 1 プ山の反対側にあるべタニアで、重い皮膚病を患った人シモンの家にいるとき、 ひとりの女がイエスの頭に香油をかけた。居合わせた弟子たちは、これを贅沢で無駄なことだと とがめる。「弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く 売って、貧しい人たちに施すことができたのに』。イエスはこれを知って言われた。『なぜ、この ほどこ

5. ユダの福音書を追え

するのは容易なのです。革の装丁の内部に入っているパピルスの年代も測定します」。古代の革 の装丁は、その多くが中に古いパピルスが詰められている 「ダメージが最小で済む断片を使いたいと思いますーとジャルは説明した。「とはいえ、三つの 文書が同時代に作られたものかどうかも確かめなければなりません。ここにいる方々の反応を見 れば、その事実にあまり疑う余地はなさそうですがね」 ジャルは、試料は少なくとも寸法が五ミリ四方、重さが十ミリグラムはなければならないと言 った。「それだけあれば、十分な試料として使えますー 最終的に、三人は五つの試料を選び出した。 ・外側の革表紙の中に詰めてあったパピルスの一部。 ・箱に収められていた、何百ものパピルスの断片のひとつ。 ・革の装丁の一部と、そこに付着したパピルス ・写本の九ページ ( 『ヤコプ黙示録 (*)D と、その裏側の十ページからの断片。 ・写本の三十三ページ ( 『ユダの福音書』 ) と、その裏側の三十四ページからの断片。 ダルプルが、パピルス写本から試料を切り取ることになった。彼女は余計なダメージを加えな いようにと、メスを使って慎重に、細心の注意を払って断片を切り取ると、それをひとつずつ小 さなナイロンの袋に収めた。 ろ 47 パピルスのパズル

6. ユダの福音書を追え

べきだと思っている」とバグナルは批判する。もちろん、ロビンソンは、すでに一九八四年五月 にバグナルがこの写本を調査し、その存在を十分に承知していることなど、想像すらしていなか った。 新たに発見されたパピルス写本に何が書かれているのか、ロビンソンにははっきりとは分から なかった。だが、 もし写本のうち二つが『ヤコプ黙示録』と『ピリボに送ったペテロの手紙』で、 すでにナグ・ハマディで発見されたものと瓜二つか類似したものだとしたら、三つ目の文書 内容ははっきりしないが、「ユダーの名が記された文書にも、ナグ・ハマディ文書と同様の内容 が含まれるに違いない。 写本を手に入れるため、ロビンソンはさっそく行動を起こした。問題のコプト語文書はどこか らともなく忽然と現われーー・そして謎のままに、スイスの夜の闇に消えてしまった。だがいずれ、 どこかに再び姿を見せるのは間違いないだろう。誰よりも早く、その場所を突き止めて、手に入 れなければ。彼はぜひともこの写本の最初の定本を出したかった。古代の文書を扱う世界では、 最初の定本の出版こそがやり遂げる価値のある業績であり、学術的な名誉をもたらすというのが、 彼の持論だった。 まずはこの新たな発見について、コプト学界に発表することを決めた。写本の行方について手 がかりとなるような反応が出るか、見きわめたいと思ったのだ。ただし発表は、あくまで慎重に 抑えた方法でなければならない。 彼はのちに次のように書いている。「一九八四年に初めて、私はこの文書の発見のことを、地 2 18

7. ユダの福音書を追え

ジャルが作成したグラフは、以下のような結果を示していた。 ・外側の革表紙の内部から採取したパピルス【放射性炭素年代一七九六年。補正後の実年代は 紀元二〇九年で、プラスマイナス五八年の幅を持つ。 ・箱の中の半端なパピルス【放射性炭素年代一六七二。補正後の実年代は紀元一二三三年で、前 後四八年の幅を持つ。 ・表紙の革とそれに付着したパピルス〕放射性炭素年代一七八二。補正後の実年代は紀元二二 三年で、プラスマイナス五一年の幅を持つ。 ・写本の九ページ、『ヤコプの書簡』〕放射性炭素年代一七三九。補正後の実年代は紀元二七 九年で、プラスマイナス五〇年の幅を持つ。 ・写本の三十三ページ、『ユダの福音書』】放射性炭素年代一七二六。補正後の実年代は紀元 二七九年で、プラスマイナス四七年の幅を持つ。 「これほど一貫性のある結果が得られるのは非常に珍しく、胸がわくわくする思いです、とジ ャルは一言った。 箱の中の半端なパピルスの断片は、明らかに文書の一部ではないため、除外することができる。 この断片の年代は全体として、補正後の数値を見ると、他の試料の放射性炭素年代測定によって 示された時代よりかなり古い ろ 50

8. ユダの福音書を追え

ーティが裏切ったと非難している。ヴ れたあと、ファン・レインは釈放された。後に彼は、ロバ 1 ティが美術商たちと結託して自分を逮捕させようと エレスによると、「ファン・レインはロバ したと思い込んだ」という。 それは真実ではなかったが、史上最も有名な裏切り者をめぐるこの物語には、多くの裏切りが 付きまとった。 一方、二〇〇五年一月二十一日、米国の裁判所はファン・レインに対し、一五万七三七七ドル 九八セントという高額の支払命令を追加した。 一方、ファン・レインは数週間以内に、写本の写真とチャールズ・ヘドリックの翻訳をはじめ、 『ユダの福音書』について知っているかぎりの情報をウエプサイト上に公開することに決めた。 二〇〇六年のインタビューで、ヘドリックは翻訳の一部をファン・レインに提供したが、公表 の許可は与えていないと語った。「ばかなことをしたものだ」とへドリックは言った。 フリーダをはじめ、『ユダの福音書』プロジェクトの関係者にとって幸いだったのは、公表さ れた文書が難解なコプト語の引用で、グノ 1 シス派の天国、アロゲネス、異民族について書かれ ていたことだ。一般には分かりにくかったため、マスコミもほとんど注目しなかった。さらに重 大な点は、実はそれが『ユダの福音書』ではなかったことだ。 実は、チャールズ・ヘドリックが翻訳したものの大部分は、写本から抜き取られた四分の一に あたり、『ユダの福音書』『ヤコプ黙示録』『ピリボに送ったペテロの手紙』とは別のものだった。 記述の内容はアロゲネスというグノーシス派の一人に焦点が置かれていた。その文書は数カ月前、

9. ユダの福音書を追え

一九四五年にナグ・ハマディで写本が発見されると、初期キリスト教研究に新たな波が起こっ ート・ア 1 マンの『失われたキリスト教宗派』やマービン・マイヤ 1 の『グノーシス派の 発見』、エレーヌ・ペイゲルスの『禁じられた福音書』 ( 二〇〇三年 ) など、優れた研究書が次々 に出版された。興味深いことに、ベストセラーとなったダン・プラウンのミステリー小説『ダ・ ヴィンチ・コード』 ( 二〇〇三年 ) の筋立てにも、その余波が見られるのである。 それまで知られていなかったグノーシス主義の原典も含め、ナグ・ハマディ文書の発見は、学 者たちに新たな文献を豊富に与えた。そのなかには、『トマス福音書』『真理の福音』『ヨハネの アボクリュフォン』『ピリポ福音書』『ヤコプ黙示録 ( * ) 』、さらには『ピリボに送ったペテロの 手紙』などが含まれていた。それらの文書を復元し、整理して、解読し、意味を理解する。この 作業は数十年に及んだ。文書の多くは傷みがひどく、断片的にしか翻訳できない。復元や翻訳の 過程では、大勢の学者の努力とその知識で失われた部分を何とか埋めていく作業が不可欠だった。 多くのグノーシス文書がきわめて難解なのには、ほかにも理由がある。「福音書。という言葉栄 はあるものの、物語として語られていないのだ。 マ その多くは、旧約・新約聖書に出てくるような物語は含まれておらず、イエスが裏切られて、 グ ナ 十字架にはりつけられて復活するという、イエスの最後の日々を記しているわけでもない。その 大半が対話から成り立っていて、ときには、復活したイエスと弟子たちのあいだで交わされた会

10. ユダの福音書を追え

限られた時間の中でエメルは丹念に調べ、かなりの情報を得ることができた。写本は明らかに 重要なものであった。自分の目の前にあるものの正体が徐々に明らかになっていくにつれて、彼 は心臓の鼓動が高まっていくのを感じた。彼は何世紀もの時代をさかのばり、はるか昔の見知ら ぬ人が筆写した文書にふれているのだった。エメルは後に次のように語っている。 「たまたま運良く、タイトルが書かれてあるべージが目に入った。コプト語のタイトルは、『ピ リボに送ったペテロの手紙』という意味のものだった。それもグノーシス主義の文献で、ナグ・ ハマディの写本にも入っている。最後のほうにある文書も一部は判読できた。短いものだった」 「その文書の内容は自分がよく知っているもので、ナグ・ハマディ文書Ⅷに入っている『ピリ ボに送ったペテロの手紙』の写しであることは明らかだった。これで、グノ 1 シス主義の既知の 文献が二種類入っていることは分かったが、さらに見ていくと、ジャンル、つまり文章の種類は 見慣れたものだが、判読できる範囲で判断する限り、内容については少なくとも自分は聞いたこ とのない別の文書が入っているように思われる部分に出くわした」 エメルは報告書の中で、次のように詳しく記している 古写本には少なくとも三種類の文書が入っている。その一つは、バー ジョンは異なるがナ グ・ハマディ文書 ( Z o) Ⅷ ( 2 ) に入っているものと同じ『ヤコプ黙示録 ( ) 』、もう一 つも、ナグ・ハマディ文書 ( Z o Ⅷ ) に入っているものと同じ『ピリボに送ったペテロの手 紙』である。 154