ようやく約束の日になり、マフムードはガラビヤの代わりにシャツを着てジョアンナの前に 現れた。彼は運動選手のような体をしたハンサムな男性で、会うとすぐににつこりと微笑んだ。 髪は短く、知的で好奇心旺盛な顔をしていた。とは言うものの、彼の態度は以前よりさらに慎重 だった。地下墓地の場所も、あいまいなことしか口にしない。彼はジョアンナに、洞窟を見つけ るのは外部の人間にはとうてい無理だと言った。古代遺物の管理当局は洞窟の存在を知らす、場 所を知っているのは彼の他、数人の地元の農民だけだという。 マフム 1 ドはますます逃げ腰になっていった。確かにあの文書が見つかったのはカララ山地だ と彼は言い張った。本当の洞窟は、五キロほど が、正確にはジョアンナが行った洞窟ではない、 離れた場所にあるのだという。彼は繰り返し、例の監視官が心配だと口にした。ジョアンナを連 れて行くのはやぶさかではないが、それには報酬をもらいたい。それから、ジョアンナと仲間た ちに、すべての責任を負うと確約して欲しい、という。 おそらく「責任ーとは、この先発生する可能性のあるお金の問題を指しているのだろう。万が 一捕まった場合の弁護士費用、難局を抜け出すのに必要な役人へのバクシーシュ ( 袖の下 ) 、そ して第二のグル 1 プが彼らの「所有物」を侵害したと言ってきた際に払うことになるお金。話が こ、つもつれると、も、つ交渉はまとまらない。 エジプトで正式な許可なしに古代遺物のある場所へ入ろうというだけでも、気の進まない計画 砂 であることは確かだ。通常は八つの別々の許可を、八つの別々の役所から取らなければ、こうし た " デリケ 1 トな】場所へは入れない。そしてミニャー県全土は、まさにそのデリケートな場所
神殿の山を東へ数百メートル行くと、ゲッセマネの園がある。かの有名な「裏切りの接吻、の 舞台となった場所だ。「ゲッセマネ」という言葉は、ヘブライ語の「オリープしばりからきて いる。現在、オリープの古木が生える美しい林は、カトリック教会のフランシスコ会修道士が手 入れをしている。 丘の上にはオリープ山があり、そこからエルサレムの町が一望できる。その一番高いところが、 ユダヤ人の墓地で最も神聖な場所になっている。なぜなら、ユダヤ人は昔から、そこが地上で最 も天国に近い場所であると信じ、肉体を離れた魂はそこからすばやく天国へ行けると信じていた からだ。イエス自身もここから昇天したと言われている。 これら史跡の位置が示すように、ユダヤ教とユダヤ人は、のちにそこから生まれるキリスト教 と非常に近い関係にあった。イエスはユダヤ人であったし、使徒も皆そうだ。救世主というイエ スの地位は、旧約聖書の預言とともに新約聖書で正当化された。イエスが「ダビデの家ーに属し、 べツレヘムを含むエルサレムの南、ユダヤの地に生まれるのは、そのように定められていたから だ。ユダヤ人がそれからのちのちまで「キリスト殺し」として中傷されることになるのは、ユダ の裏切りの悲しい遺産のひとつである。 「たいていの場合、ユダの名は悪魔と同義語だ」と、神学者クラッセンは記している。「時には、 ユダは悪の権化として描かれている。偽善、貪欲、不実、恩知らず、そして、何よりも裏切りの
じこめられた。グノーシス主義のテキストの多くでは、これをソフィア、または知恵と呼んで いる 女神から生れ落ちたソフィアという概念を生み出したのは、古代ギリシャの哲学者たちだった。 彼らは男性神だけでなく、女性神も信じていた。「哲学 ( フイロソフィー ) 」という言葉を最初に 用いたのはピュタゴラスだが、もともとこの言葉は「知恵への愛」を意味する。 プロト・オルトドックス グノーシス派は、女性に神性を認める一方で、ユダヤ教や原始正統キリスト教の教義とは異な り、二神論を信じる。マイヤーによれば、キリスト教グノ 1 シス派は、「アイオーンや、あらゆ る英知と光の聖霊を生み出した、すべてを超越した神聖な至高神と、無能、あるいは最悪の場合 には害をもたらすこの世界の創造主」を別の存在とみなしていた。アーマンもこの点を強調して いる。キリスト教グノーシス派について、彼は次のように述べている。 多くのグノーシス派は、自分たちの住む物質界が、よく言ってひどい場所、もっと一一一一口うなら 邪悪な場所であり、混乱した字宙の一部だと信じている。そして、現世界に存在する霊魂 ( 人栄 間の魂など ) は、現世界にとらわれているか、閉じこめられていると考えている。 マ グ ナ それでも、ナグ・ハマディ文書をはじめとする新たに見つかったテキストは、この悲観的な思 想に希望の光を投げかけている。マイヤーは一一一一口う。「『真理の福音』は、知識の恵みを授かること
ナグ・ハマディは、ナイル川流域にあるすべての上エジプトの町と同じく、灼熱の砂漠に接し ている。夏期の砂漠は、日陰でも気温が四〇度を超す。ナグ・ハマデイから八〇キロほど離れた 場所には、古代エジプトの壮麗な遺跡ルクソールがあり、その神殿や像、新王国時代のファラオ栄 ( 王 ) の墓は、観光名所として人々をひきつけてきた。高くそびえるピュロン ( 塔門 ) や列柱に マ 囲まれた中庭が特徴的なカルナック神殿は、歴代のファラオによって築かれた。 グ ナ ファラオたちはみな、神としての自分の権力を誇示するために神殿の造営事業に取り組んだ。 ナイル川の西岸には、かって、壮大な王墓が並んでいた、有名な王家の谷がある。その壮大さは 第七章ナグ・ハマディの栄光 イエスは答えて言った。「お前は十三番目 ( の精霊 ) となり、のちの世代の非難の的と なりーーそして、彼らを支配するだろう」 『ユダの福音書』
しかも彼は正確な住所を知らなかったのだ。それでも彼は、十六年以上も前にもらった受取証を 持っていた。そこに住所は書いていなかったが、シビルが電話であちこちに問いあわせた結果、 銀行の所在地を突きとめることができた。 銀行のあるヒックスヴィルまでは、ニューヨークからロングアイランド高速道路で三〇分だ。 「でもほんとうに銀行があるのか、貸金庫のなかに何が入っているのか、私たちは何も知らなか った」と後にデダは語っている。 シビルにも分からないことだらけだった。「なぜハンナは、町の中心部からあんなに離れた銀 行を選んだのかしら。理由は分からないけど、貸金庫を借りるのを手伝った親戚だか友人だかの 事情かもしれない」 落ちつかない様子で立てつづけにタバコをふかすハンナは、アレックとともに銀行に向かった。 シビルはショッピングモ 1 ルの駐車場で待っていた。「とにかく待たされたわ。銀行の場所が変 わったとか、そ、つい、つことじゃないと思、つ。 ハンナは銀行の建物を見ても、驚いた顔をしなかっ たから。貸金庫の鍵が合わなかったんじゃないかしら」 シビルの予想は当たっていた。十六年前の鍵では、貸金庫が開かなかったのだ。銀行の担当者幻 ュ は、数日後にも、つ一度来るよ、つに言ったが、アレックとハンナは引きさがらなかった。いますぐ 写本を手に入れたかったのだ。アレックは銀行員に説明した。英語が話せないこの紳士は、貸金 国 米 庫に入っているものを出すためにはるばる何千キロも旅してきたのだ。押し問答の末、銀行は錠 前屋を呼んで金庫を開けさせることにした。デダによると、そのせいで手数料を一〇〇ドルよけ
ナグ・ハマディの写本は、ついに首都カイロに持ち込まれ、そこで有力な古美術商に売られた。 その古美術商は、写本をさらに高い値段で転売しようとしていたが、当局の知るところとなり、 写本は押収された。そして、学者たちの間に、発見の事実が少しすっ伝わりはじめた。 ドレスは次のように述べている。 われわれは確信している。この有名な文書は、修道院などの建造物の遺跡で見つかったので はなく、その一帯の修道院からかなり離れたところにある墓に周到に埋められていたのだ。そ の墓地は、キリスト教徒の墓地として使われなくなってから、ずいぶんたっていたようだった。 写本が壺のなかに入っていたことは、驚くにはあたらない。この国では木材が乏しいため、木 の箱や棚よりも陶器などのほうが安く、人々はたいてい書物や貴重品をこうした容器に保管し ていたのである。 トレスはこ、つ結論づける。 古代の写本の多くは、その出所が定かではない。。 ケノボスキオンから数キロ離れた異教徒の墓地に、わざわざ出向いた価値は十分にあった。 古代の書物が、これほど大量に見つかった正確な場所を知ることができたのだから。この写本 を歴史の正しい位置に置くことができてうれしく思う。また、写本に関するさまざまな仮説も、 詳細にいたるまで裏づけられたのである。 189 ナグ・ハマディの栄光
ハンナの記憶では、彼のアパートが窃盗にあったのは、その翌日のことだった。その日の晩、 アパートのドアが大きく開いているのを隣人が発見した。中にあった古美術品はすべてなくなっ きん ていた。ハ、 ノナの私物の金、金の装飾象嵌が付いた高価な首飾り、そしてパピルス写本が入って いた小型金庫も、そのまま持っていかれてしまった。大きな商売を期待して、別々の場所に分散 して隠しておくといういつもの習慣に反して全部を一カ所に集めていたため、ハンナはすべてを 失った。 状況から見て、誰が押し入ったにせよ、犯人はアパ 1 トのことをよく知っている人物に違いな かった。警察が調べたところ、力すくで入った形跡はなかったため、犯人は鍵か、室内に入る何 らかの手段を持っていたようだった。アパ 1 トの建物そのものに、まったく損害はなかった。警 察はその後、カイロの通りに捨てられていた金庫を発見した。扉は開き、中は空つほの状態だっ エジプトの事情に詳しい人の話では、犯人が外国人だけだったとは考えられないという。盗品 「結構ですハンナは舞い込んできた幸運を信じられないまま言った。「その値段でお売りし ますー 金はアレクサンドリアに停泊中のヨットに保管してあると男たちは言った。「すぐにアレクサ ンドリアに行き、金を持って戻ってくる」と彼らはハンナに言った。 124
いない。アロゲネスは、コプト語で外国人あるいは異人種の人物を意味し、七十人訳聖書の作者 が考え出した名前である。アロゲネスは無知と恐れを克服し、天にあって多数の階層からなるグ ノ 1 シスの王国へと入っていく人物だ。 発見された文書の中で最も関心を集めたのは『ユダの福音書』である。マタイ、マルコ、ルカ、 ヨハネの四福音書がイスカリオテのユダについてわずかしか言及していないのに対し、新たに見 つかった福音書は、その表題が示す通り、ユダとイエス、両者の記述で満ちている。イスカリオ テのユダについて述べた個所は二〇もある。四福音書全体でユダについて言及している回数と同 じだ。『ユダの福音書」に描かれたユダ像は、新約聖書に描かれたものとは著しく異なる。魂に 悪魔が取り付いた裏切り者ではなく、イエスが特別扱いした弟子だ。イエスの言葉で「真の私を 包むこの肉体を犠牲に」することをイエスが要請した相手がユダなのだ。 イエスの人物像も同様に異なる。十字架上で苦しみながら死ぬ、苦悶に満ちた人物ではなく、 親しげで慈悲深くューモアのセンスを持ち合わせた教師だ。笑うことで人を嘲るようなことは決 してない。笑うのは教えている最中が多い。 『ユダの福音書』は、一つの対話で始まる。舞台はユダヤの地だが、具体的な場所は記されて エルサレムである必要はない。イエスが祭礼のために集まり、座っている弟子たちを見 出す。過越祭の三日前のことだ。 ろ 62
ハンナ・アサビルはミニャーの出身だが、今ではカイロで成功していた。高価な古美術品を扱 う一流の商人として名が通っていたが、言い値が高いことと頑固な性質でも知られていた。カイ 口にあるいくつかの建物を所有していて、裕福な人々が住むカイロ北東部のヘリオポリスにある アパ 1 トの一室に暮らしていたが、そこも彼の持ち物だと言われていた。彼と取引をしていた商 人たちによれば、、 ノンナは自宅でも商談をしていた。 とはい、ん、 ハンナの住まいは豪華にはほど遠いものだった。当時のカイロに多く見られた建物 と同様に、老朽したアパ 1 トはかっての美しさを失い、街と同じく、すぐにも改修が必要だった。 建物を所有していたかどうかは別にしても、彼の部屋のインテリアも、とりわけ魅力的でも洗 練されているわけでもなかった。狭い玄関は、受付の役割も果たしていた。居間は小さく、クッ ションの硬いソファーが一方の壁際に置かれていた。ソファ 1 の前には長方形のガラス板のテー プルがあって、灰皿にはタバコの吸殻があふれていた。天井からは裸電球がひとつぶら下がって いるだけだった。台所と洗面所は狭くて、ひどく暗いため、ハンナの家を訪れるときは懐中電灯 を持っていく必要があった。 ハンナは、とくに貴重な品々を自宅や自由に出入りできる親族のアパートの隠し場所に保管し ていた。もちろん、場所は誰にも明かさなかった。そうした隠し場所には、古美術品が数点、金 はないのだ。
エジプトの聖アントニウス修道院で 4 世紀の修道士の小部屋を のぞき込む、マキシマス・エル・アントニー神父 ( 右 ) 。 4 世紀にエジプトの別の場所で修道士たちが『ユダの福音書」を ギリシャ語の原典からコプト語に翻訳した可能性がある。 この福音書の写本は、現在のところ 1 点しか確認されていない。 修道院から徒歩で 1 時間ほどの場所にある洞窟は、神秘主義発祥の地に 近いといわれ、ラザロ神父が隠修士として暮らしている ( 上 ) 。