リストの最後の日々の様子か述べられていたーーそれも、キリスト教信仰の真髄の一部を揺るが すような内容である。そこでは、裏切り者は英雄であり、イエス・キリストが自らの処刑を計画 したとされていた 9 千八百年前にエイレナイオスが罵倒していた文書の中身と一致している。そ の証拠に、最も驚くべきくだりがあった。自分を裏切るという使命をユダに命じたイエスが、こ う語りかけるの。 「お前は他のすべての使徒の非難の的となるであろう。ユダよ、お前は真の私を包むこの肉体 を犠牲にするのだ」 最初に文書を目にした一人、米国のコプト学者スティープン・エメルは「この文書の内容は、 多くの人々に激しい衝撃を与えるでしよう。信仰の危機を招く可能性さえある」と話す。さらに カッセル教授も言う。「これが今世紀最大の発見であることは間違いありません。これは真に偉 大な発見です。なぜなら、文書はまぎれもない本物なのですから」
をまとめた著者ハ ート・クロスニーは、最初にこの写本の存在と重要性をナショナルジオ グラフィック協会に知らせ、出版の可能性について真剣に検討すべきだと説得した人物である。 約三十年前に発見されて以降、数奇な運命をたどってきたこの文書を、クロスニーは誰よりも熱 心に追い続けてきた。一流のジャーナリストが持っ粘り強さで、写本の発見と修復について、あ らゆる面から精力を注ぎ続けてきたのだ。専門家としての巧みな才能で、ばらばらだったデータ をジグソーパズルのように組み立て直して、私たちに多くの詳細な情報を提示してくれた。 彼の努力がなかったら、これらの情報は永遠に失われていたに違いない。本書では、『ユダの 福音書』の発見から、その後、この写本がたどった運命、最終的に出版にいたるまでのいきさっ を詳しく紹介している。死海写本やナグ・ハマディ文書などの、現代考古学上の重要な発見でも、 これほど詳しい情報が公開されたことはないだろう。 そしてもちろん、最も重要な点は、この新たに発見された写本の内容にある。本書を読んでい ただけば分かることだが、私の最大の希望はかなえられた。この福音書はイエスを裏切ったとさ れる、イスカリオテのユダの視点から見たイエスの物語である。想像どおり、その見解は正典と 認められている新約聖書のものとはまったく異なる。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音 書に登場するユダは悪役だ。だが新たに発見された福音書の中の彼は、英雄である。 ここで思い出していただきたいのは、新約聖書の福音書がすべてユダを悪者扱いしているもの の、彼の裏切り行為に関する詳細については、それぞれの福音書でかなり食い違いが見られる点 だ。最初に書かれたのは、イエスの死から三十五 5 四十年後にあたる紀元六五 5 七〇年ごろに書 15 はじめに
されたと仮定してーー遠い昔にこれらのパピルス写本を所有していた人物が、さまざまな分野に 関心を持っている博学な人間であったことを示唆していた。 コプト語の文書を調べたエメルは、さしあたっていくつかの結論を引き出した。「おそらく新 約聖書のテキスト、つまり正典のテキストではないとすぐに思った。旧約聖書かもしれないと考 えたが、 その可能性は低かった。コプト語だけでなく、ギリシャ語で書かれている可能性があっ た。この写本は四つの写本の中で最も貴重なものだった。四世紀のパピルス写本で、高さおよそ 三〇センチ、幅一五センチ、グノ 1 シス主義の文書が書かれていた」とエメルは言う。 エメルは小さなピンセットを持ってきていた。切手のコレクターが使う種類のもので、「もろ くなっているパピルスを扱うのに最適の道具だ」とエメルは言う。ピンセットを使ってエメルは 最初のページを覗き、めくってみた。 「箱から取り出すとダメージを与える恐れがあったので、中に手を入れて、ピンセットを使っ て少しずつ調べていった。中をのぞいてページを探し、どこか読めそうな場所を見つけ、それが どのような種類の文書なのか、タイトルは何なのか判読しようと思った。。 へ 1 ジ番号が見つかれ ば、それが全体の最初のほうなのか、中ほどなのか、後ろのほうなのか、全体の中のどのくらい の量なのかなど、ある程度の目安をつけることができる。でも、すべてのページを見たわけでは ないし、ページをめくることもしなかった。できるだけ破損を避けたかったので」 エメルは五四ページと五 , ハページの間まで数え、一部のページが失われている可能性があると 考えた。「最初に発見されたときにはおそらく良い状態で、革の装丁やページはすべて残ってい 152
イロとの連絡は最小限に抑えられた。 やがてハンナのコレクションにあったさまざまな収蔵品が、ヨーロッパの市場に出回り始めた。 いくつかの事実から売買の中心はアテネだと判明した。後に、盗品はますスイスを通過したか、 何らかの方法でそこへ最初に到着したのではないかという推測も出てきた。返却するには、ます 盗品を見つけて回収し、一カ所に集めて保管する必要があった。 回収に尽力するクトウラキスが連絡をとった人の中に、ジャック・オグデン博士がいた。オグ きん デンはロンドンの著名な宝石専門家で、まだ三十代半ばだったが、金や貴重な宝石類に関しては 世界で最も優れた専門家の一人と見なされていた。オグデンが書いた『宝石の考古学』が、カリ フォルニア大学出版と大英博物館出版局から近く出版されることになっていた。当時、オグデン はロンドン中心部にあるデューク街セント・ジェームズに自分の宝石店を持ってした。 ; 、 ' 誠実で法 律を遵守し、きわめて思慮深い人物との評判があったオグデンは、後に国際宝石連盟会長を務め ている。 「一九七九年頃、エジプトの金細工の古美術品が、いくつかヨーロッパの市場に出回りました。 まずアテネへ運ばれ、それからヨーロッパ各地へ送られたのです」とオグデンは語る。オグデン によると、このエジプトの金製品の流出は、一九二〇 5 三〇年代に貴重な金の古美術品がエジプ トからこぞって持ち出され、世界各地の市場に出回ったときの状況と似ていた。当時、アレクサ事 窃 ンドリアのギリシャ人は政府当局に迫害され、その多くが貴重で価値ある所有物の大半を国外へ 持ち出したのである。
のように美しいヒンノムの谷におりると、そこでもう一つの谷、キドロンの谷が合流する。この 二つの大きな谷が、丘の上の古代エルサレムの中心部を周囲から区切っている。ダビデの町 伝説の王ダビデが治め、ユダヤとイスラエルの二王国を統合し、エルサレムを都に定めた この谷間から、北の神殿の山へ向かう斜面にある。 真昼の太陽があらゆる色を焼き尽くし、町は岩の黒色をのぞいて、焦げ茶色に染まっている。 ここに、はるか昔に壊された最初の神殿 ( 第一神殿 ) の壁があったとされている。ダビデの息子、 ソロモンが建てた神殿だ。 この丘を多くの人が歩いた。イエスもその一人だ。言い伝えでは、その谷をおりたところが、 アケルダマ。聖書が書かれた時代のアラム語で「血の畑ーを意味する。福音書によれば、ユダは 自責の念からここで自殺した、ということになっている。 有名な聖地はだいたい、この近くにある。アケルダマから険しい坂を登るとシオンの丘。最後 の晩餐があったとされる場所だ。この有名な晩餐を記念して、十字軍によって建てられた建物の 中の一室がその晩餐の間に定められている。 さらに八〇〇メートルほど行くと、第二神殿の外側の城壁が残っている。ヘロデ大王が、イエ スの時代にユダヤ教の総本山として建てたものだ。第二神殿は「至聖所」のある壮大な建物だ。 宗教指導者が律法について論争したのも、イエスが両替商をののしったのもここだ。神殿の西側 の城壁は現在、ユダヤ教の最も重要な聖地となっている。紀元七〇年のローマ人による神殿破壊 の記念碑的存在だからだ。 79 イエスを裏切る
はならない。見えない力に背中を押されているような気がしてきた。いまにして思うと、いろい フリーダは大きく息をついてこう言った。「私は神に導かれていた ろ失敗もあったけれど : のねー ークウェ 写本の正式な所有者となったフリーダは、運転手つきの車を用意して、メリット・ イをひた走り、コネティカット州ニューへプンをめざした。そこにはエール大学と大学付属のバ ィネッキ稀覯本手稿図書館がある。バイネッキ図書館は、世界で最も古い第一級の文書を所蔵し ており、そのコレクションにはニューヨークの稀覯本ディ 1 ラ 1 、・・クラウスを通じて購 入したコプト語で書かれたパピルス写本も含まれていた。 バイネッキ図書館で、フリーダは主任学芸員の一人、ロバート・バブコック教授に会った。彼 女が最初に写本の一部を買ったのも、バブコックのすすめがあったからだ。フリーダは図書館側 にその気があるなら「格安で譲る」と言って、写本をバブコックに預けることにした。 「ほっとしました。ここの人たちにまかせておけば、まちがいないと確信していたから。私は 結果を待つだけでした。あの写本にはいったい何が書いてあるのかしら」 数日後、フリーダがスイスに戻るその日になって、バブコックから連絡があった。 「よく覚えています。ケネディ空港に向かうタクシーのなかで、携帯電話が鳴ったんです。出 とても てみたら、バブコック教授が興奮しきった声で叫んだの。『フリーダ、これは大変だー 貴重な文書だ。すごいぞ、ユダだよ。写本の最後にユダの名前があったんだ。これは大発見だ ! 』」 バブコックは、この写本は『イスカリオテのユダの福音書』ではないかと言った。 242
キリストの死後、その生涯の物語と教えは中東一帯に広まり、 キリスト教最初の信者のコミュニティーや教会が誕生した。 世界最古のキリスト教会のひとつ、聖カタリナ修道院も シナイ山にある ( 上 ) 。シナイ写本 ( 左上 ) は 350 年頃につくられた ギリシャ語の聖書で、最古の新約聖書全文が収められている。 数世紀の間に、どれだけ多くの古代文書が失われ、消えていったか、 誰にも分からない。だがシリア写本 ( 左下 ) は違う運命を 背負うことになった。 5 世紀につくられたこの羊皮紙の福音書は、 8 世紀に上から重ね書きされたため、元の文字か読めなくなってしまった。
あったと言われている。 第二の見解は、イスカリオテは地名ではなく、最後までローマ帝国に抵抗した過激なユダヤ人 集団、熱心党 (Sicarii) に由来するとしている。紀元七四年、ローマが再びこの地方を征服した とき、最後の砦マサダで集団自決したのはこの熱心党だ。 新約聖書に記されているユダの裏切りの逸話に関しては、四福音書ごとに長さや細部が多少違 う。ひとっすっ詳しく見ていくと、互いによく似ているが、大きな違いもある。 新約聖書の中では、『マタイによる福音書』が最初に書かれたものだと長い間信じられてきた。 今日では、学者はそれを疑問視している。『マタイによる福音書』には『マルコによる福音書』 から抜き出したような、よく似た箇所があり、『マルコによる福音書』が先に書かれたのではな いかというのだ。それでも、『マタイによる福音書』は新約聖書のどの版でも、四福音書の最初 に載せられている。 初期のキリスト教史から見て、『マタイによる福音書』はもともとへプライ語かアラム語で書 かれていたと考えられるが、数世紀を経て現在に伝えられている『マタイによる福音書』の原本 は、ギリシャ語だったようだ。『マタイによる福音書』の原本の写本は、聖ヒェロニスムが発見 し、ラテン語に翻訳したと言われている。マタイ自身については、あまり知られていない。 タイによる福音書』第九章九節には、彼は徴税人、あるいは役人として登場する。「イエスはそを こをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従い なさい』と言われた」という記述があるし、『マルコによる福音書』 ( 第二章一四節 ) や、『ルカ
守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。彼らは喜 び、ユダに金を与えることに決めた」 ( ルカ第二二章三 5 五節 ) 『ヨハネによる福音書』は、四福音書のうち一番最後に書かれたものと言われている。この福 音書は、互いに共通する部分の多い、いわゆる共観福音書には含まれず、独自の資料にもとづい て書かれたと思われる。『ヨハネによる福音書』は、ユダとユダヤ民族全般を最も激しく糾弾し、 ユダヤ人を真の信者とは切り離してとらえている。これが書かれた一世紀末か二世紀には、イエ スの物語がユダヤ人を改宗させるために語られていた時代はすでに終わっていて、もっと広い範 囲の聴衆に向けられていた。その頃までには、救世主としてのイエスは、非ユダヤ人の土地でも 多くの人に受け入れられていた。 『ヨハネによる福音書』でユダが最初に登場するのは、第一二章。イエスがべタニヤへ行く、 過越祭の六日前だ。ここでは、そのときイエスが死者の中からよみがえらせたラザロの話が紹介 されている。マリアとマルタの姉妹の家で、香油の一件はだいぶ様子が変わっている。ユダは香 油の価格についてマリアに問う。「弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言 った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか』」 ( ヨハネ 第一二章四 5 五節 ) すでに見てきたが、 イスカリオテのユダは使徒の金庫番を任されていたので、彼がこの儀式の 代価をすぐにはじき出したとしても、何の不思議もないたが、ここでの語り手は彼の発言をさ げすみ、手厳しく非難している。「彼がこう言ったのは、貧しい人々の事を心にかけていたから
ロビンソンはまた、欧米人 歴史と神学の研究で大きな価値を持っ文書であることは間違いない がその貴重な文書を目にしたのはジュネープでの会合が最初で最後だったと ( 実際には違ってい たのだが ) 思いこんでいた。文書を所有したいと強く願ったのも、彼の立場ならもっともなこと だろ、つ そうしたロビンソンの思いには、彼がナグ・ハマディ文書を整理し、編集するうえで指導的な 役割を果たしたことも関係があった。米国の学者の間では、彼をこの分野の第一人者とみなす傾 向が強かった。だからこそル 1 トヴィヒ・ケーネンはジュネープで実施する調査の話を、最初に ロビンソンに持ちかけたのだ。 名声も専門知識も備えたロビンソンが加わってくれれば、学識の点だけでなく、パピルス文書 を買い取るうえで財政的な力にもなると考えたのである。 この分野を取りしきっているのは自分だというロビンソンの自負は、のちにライバルたちを憤 慨させる。とりわけスイスのコプト学者ロドルフ・カッセルは、肩をすくめてこう言い放っ 「ロビンソンは、すべてが自分のものだと思いこんでいる。まったく手に負えない男だ」 米コロンビア大学の古典学者ロジャー ハグナルにとっても、ロビンソンの態度は決して愉央 なものではなかった。 ハグナルは四世紀エジプトのパピルス文書を専門とする著名な学者で、その著書『古代末期の エジプト』は、この分野の古典とみなされている。「ロビンソンは、ナグ・ハマディ文書の研究 の第一人者は自分だとの自負が強く、エジプトで発見された四世紀の文書はすべて自分が所有す 217 学者たちの追跡