円払った。 午後八時五分前、半田は署の刑事部屋に上がった。 係長には「現場付近、深夜にはけっこう外から人が入 小さいビニール袋を手にそこを出ると、京急蒲田駅 ってきてるようてす。夜の張り込みが必要だと思いま に向かう線路沿いの路地を三百メートル歩く す」などと報告した。シンナー中毒の十八歳は、供述田は果物ナイフのパックを破り、中身をジャケットの が取れないまま病院に入っていた。目撃者の証言もあ ポケットに入れて、台紙はビニール袋に戻した。大、 いまいて、モヒカン刈りぞはなかったと言い出してい て、いつの間にかもう一人の自分が買っていたらし、 。捜査は一からやり直して、明日は住民台帳冷 ~ 果の袋を破り、一口かじってみたが、食えたものて に基づいて不審者の洗い出しをする、ということだ はなかった。それもすぐにビニール袋に突っ込み、そ のビニール袋は一分後には蒲田駅のホームのゴミ箱行 半田はその後、朝から出払っていたために手つかずきになった。 たた昨日の分の捜索差押調書を一件、作成した。そ 半田が空港線のホームに立ったのは、八時五十一分 れを係長に提出し、「お疲れさまてす、お先に失礼し たった。二分後に入ってきた電車に乗り、一つ目の糀 ますーと告げて辞去したのは、午後八時三十四分だっ 谷駅には五十五分に着いた。そこて電車を降りた三、 た。署の玄関を出たとき、この半年の間に身についた 四十人の客のうち、環八に出て萩中の方向へ向かうの 習慣て、誰もいない道路の前後を見た。半年に亘った は約一二分の一。その最後尾からさらに五十メートルほ 行確は、十月三十一日を最後に途絶えたままだった。 と遅れるよう、半田は歩幅を調整した。その間に、ポ ケットの中て果物ナイフのさやを外し、さやは路傍の 崩半田は八時四十分、署から百メートル離れたコンビブランターの植え込みに投げ捨てた。 ニエンスストアのサンエプリーに立ち寄った。雑貨の 飲食店などの明かりがあるのは環八の交差点付近だ 秋 年棚から、台紙ごとパックされた果物ナイフ一本を取り、 けて、萩中の方向へ家路を急ぐ人の姿は、たちまち暗 続いて目に入ったアイスキャンデーの冷凍庫から、袋 い歩道に吸い込まれていった。半田が交差点から歩き 入りのアイスモナカ一個を取って、レジては五百十一一出したとき、二十メートル先に見えている薄明るい電 42 /
の間にやっと回復した受注が明日からどうなるか、一 が辛かった。 刻も早くビール事業本部の報告を受けたいところだっ そんなことをばんやり考えているうちに、時計は六 たか、この場て考えても苛々するばかりだと自分に言時半を回り、さすがにため息が出たころ、やっと外て い聞かせて、努めて頭を切り換えようとした。 靴音がした。城山が腰を上げて居住まいを正すと同時 田 5 えば、人を待っことも待たせることもなかった三 に、ノックもなく開いたドアロに現れたのは青野と、 う秘書て、その口からは挨拶もなくいきなり、「先生 十六年間の企業人生て、唯一の例外は政治家と岡田経 友会だった。それが彼らのはったりなのだと、倉田誠がお見えてすんて」という一言が飛び出してきた。青 吾には重々教えられてきたが、最近、こうした場面に 野は普段から相手の目を見ない男て、腰の低さが身上 自分一人て立ち向かう段になるたびに田 5 うのは、倉田てなければ務まらない代議士秘書てあるにもかかわら 誠吾が長年、こうした屈辱を一人て引き受けてきたのず、この青野は違うのだった。慇懃には無礼が付き、 たし J い - つ、」」・ ' 、つ , 0 端的な無礼には陰険さが付きまとう。永田町の内仰て 倉田本人は、裏の話は事務的な内容以外、つい は人への気づかいなど一文の価値もないと割り切って 度も語らなかったが、腹の中に長年どれほどの怒りを いるように見える、その風貌や人となりは、それなり 溜めてきたことか。それに比べるとこの自分は、日々 の凄味を感じさせるものてはあった。 の小さな私置は別にして、いわゆる怒りという感情を 青野は自分の手てドアを開け放ったまま待ち、少し 平坦な企業人生の中てあまり経験してこなかったのだ 遅れてにしげな靴音とともに酒田泰一代議士がせかせ と城山は考えた。レディ・ジョーカーの災禍以来、よ かと入ってきた。政治家の六十五歳は、市井の同年代 崩うやくそれらしい感にたびたび揺さぶられるように よりはるかに血色がよく、足腰もしつかりしているの なって、怒りを抱くというのが実に辛いことなのだと が通例だが、酒田もそうだった。党の三役と大蔵大臣 冫オオこれから会う政冶家にも、 年知ったような大第ごっご。 を歴任してきた最大派閥の領袖という立場の重さより、 その秘書にも、常々抑えがたい怒りを感じてきたが、 権力というゲームが習い性となった躁状態の身軽さを こんな場所へ呼びつけられる屈辱より、この怒り自体感じさせられる。目は憑かれたように虚空を凝視して
レディ・ジョーカー 1997 年 12 月 5 日第 1 刷 1997 年 12 月 20 日第 3 刷 下巻 高村薫 光田烈 山本進 毎日新聞社 東京都千代田区ーツ橋 大阪市北区梅田 北九州市小倉北区紺屋町 名古屋市中村区名駅 出版営業部 03 ( 3212 ) 3257 〒 450 ー 8651 〒 802 ー 8651 〒 530 - ・ 8251 〒 100 ー 8051 発行所 発行人 編集人 著者 ISBN 4 ー 620 ー 10580 ー 5 0 Kaoru Takamura Printed in Japan 1997 落丁・乱丁本はお取り替え致します 製本大口製本 表紙・カバー印刷三興印刷 本文印刷精興社 第一図書編集部 03 ( 3212 ) 3239
田 倉 や中動 振カ 犯受先 模の筋 じ、 ーー 1 っ城田杉 々万商 せ そ 人 り り レ価 の 方 は こらヒ の 力 山は原 向 フ側芝何一口口ま て ガはノしは指て カ ) こひを き と へ 居カ 、攻す笑 た が イ乱 限数き り た と と し 疋を起犯 高買月 い ら 先て つ つ呼ば城 て非重こ を 人 を 力す 、か 。牛勿し ビ シ し 葉 、ね て吸 ら 山返 る た 1 ヒー 7 ョて、に近や る て、は置 倉 く を かち ま し ル すな お く る オ の い海 た田伝の ら証業カ 分 力す る な プて あ 倉て外 か株ー 秒力す な券界 ん は シ し つ 、入 っ田切へ見 い ら を 能 オご ョ よ り いな動 結 ロ 直の た の つ 性 っ さ と ン 。ロ出 め を い 力す 果て、接 り 関 て、 がき て い か 、踏来 た こ先被係 か し あ こ稼調 い引 フ ら た みた な 牛勿ロ 生は り い て 。ん き 出 と う稼 し る をを ま い っ よ 叩 て、返 つ し き の ぐ しも ど す の も て フ か す 取と腹 し た と 私 。百 そ り た 力す り フ の 出 と 同 て、力 がて 引 が建 そ倍なな ら 田 き 同 じ をすあ 犯てす わ フ ぐ ら い た時 よ 急 人て れ な よ ら る 0 がろ ぐ 現の な フ ま い現 い つ よ金な ら る なす の物授 た う授 て と た ら規株機 ら せ らな杉も 糸充 甲、や甦杉な ち し、 と み い原承 っ 原 が 出 な ノレ い白を基業て大る 発かがは知カ て武 う井酌本 ら 田 い変 や と て 、出 と 業田 し 、がわ ん的部ま り し ) さ い おた一張 い本 けんて は がた の す い早 て る ⅱ - 儿 。度 ( っ部士あ 時 顔み去て、 亠統 具 と や か の気 は 出 いた っ方括 り 分 がか は も し の て、 本て ム 、析顔 た面 ち けた な よ の は いた て の 。て、 々真能は す 人 彳麦 い ら 下裁難大の い く と の 則 、線 っ 報 と面カ 、の相さ量 し変て、 ど も の カ ( 舌 告残て、 い目 し、 日 これ 言炎し いなす遅 フ こ優 と が と不 オご 聿 し も か 時がか り し イ 合多 つ婉よ こ ) 亡 ノ ま と 其月 れ せ フ く は こ曲 く 、輪こ 目 な す ろ た ン タ 時 、否はな働人郭 を く す 特め が数戻な 間な く 心、 と を か約な士葉男 は年 を っ も 望の コ ム 作な 孑國 癶をな だ杉え っ と た か い け原な 以使のむ 限 、時 の ら か回 き く 杉 な会 野 り と 原 て、 の り っ用間 は っ か 則 崎 の を のた て紙 を ム は け の フ せ 女 、戦 が顔巧ずみ れ機強 癶た 胸 ビ の 風 日 史 ば会化城略 の を 明 はて、山 の な ル欠 ビな し や 日 フ と 一三ロ 0
「しかしばくとしては、貴方の処遇も念頭に置いて、 く見ているかだと城山は感じた。 ことを進めなければならない」 「明日、本人が出張から戻るのて、まずは将来につい ての彼の真意を聞いてみます。彼は日之出を出る腹を 「いや。それには及びません。ここだけの話として、 固めていると私は感じていますが、その場合も、ライ はっきり申し上げておきますが、私は今回、レディ・ ジョーカーに支払った二〇億の責任を取る形て退任す バル他社へ移ることはあり得ないてしよう。彼はそう るのだし、今期の業績に対する責任も負わなければな いう男てはありません」と城山は応えた。 らない 日之出に残ることは考えていません」 「ばくもそう願っていますが、ともかく彼の処遇は、 枝豆のひとさやを手に、臼井はしばし、予想外の状 彼が内部告発文書を撤回するか否かにかかっている」 况に直面したような放心の表情をしていた。 「おっしやる通りてす . 「ここはまず、亠呉方から働きかけをしていたたくのか 「しかし城山さん、それては倉田が承知しない」 一番てしよう」 「それも含めて、彼とは話し合いますが、倉田にして も、内部告発まてしておいて、今さら人の去就に意見 「そのつもりてす」 をする筋合いはありますまい」 城山自身、倉田が、自ら刑事被告人になるに等しい 内部告発に及んだむのうちを、どうしても知らずには 城山はそうはぐらかし、自分も枝豆に手を伸ばしこ。 「ところて白井さん、鯉こくが美味そうだ。煮え過ぎ 済ませられなかった。なにがしかの深謀遠慮があるの ならそれも見極めておきたかったし、晴子の加担が本ないうちに、賞味させていただけませんか」 大ぶりの漆塗りの椀にたつぶり注がれた八丁味噌仕 人の意思なのか、それとも倉田の依頼なのかというこ 立ての鯉こくに箸をつけながら、白井は言った。 崩とも、是非とも知りたかった。 もかく、貴方の件は保留にさせていたたきます。しば 一手元のグラスにはまた一杯、ウイスキーが注がれた らく他言はしないて下さい。頼みます」と。 年「城山さん、貴方はご自身のことをおっしやらないが、 何を考えておられるのかな : : : 」 「それはまあ、おいおい」
女が連れ出されると同時に、男は、助手席を倒し 佐々木は自分の走った道をまったく記慮していないが、 て後部座席に乗り込み、拳銃のようなものを後ろからみなとみらいから丸子橋まぞの所要時間から計算して、 佐々木の首筋に押しつけ直すと、『今から多摩川へ行車はおそらく、西区を北上して神奈川区、港北区、中 く』と言った。次いて、運云席則 ご男 < が助手席原区へと、住宅街を抜けていったと思われる。道順に 側に回って同じように乗り込んてきた。先にタウンエ ついての詳細は分からない」 ースが発進し、それが見えなくなったころ、男 < は 幹線道路の渋滞する時間帯てはないから、わざわざ 』と言い、佐々木は自分の車を発進させた。こ住宅街を抜けて、一時間以上かけて多摩川に迪り着い の時点て佐々本は、三人の男しか目撃していないが、 たスカイラインは、万一に備えて主要道路の検間を避 女の供述ては、タウンエースには運転手のほかに、女 主要交差点の Z システムをかわしたに を見張っていた男がもう一人乗っていたということて、違いない 日之出の社長を拉致したときと同じパター 最低四人が拉致に関わっていたことになる ンだ、と合田は田 5 った。 四人目の、と合田はメモに走り書きをした。 「スカイラインは丸子橋を渡り、すぐに左折はせずに 「ところて、スカイラインを運転して多摩川方面へ向次の信号の手前て再び住宅街の路地へ入りこみ、右左 かった佐々木には、助手席の男 < が『次を右折。最初 折をひんばんに繰り返して田園調布、玉堤、野毛と世 の信号を左折』というふうに詳細な指示を出した。多田谷区の住宅街を走った後、第三京浜の高架を過ぎた 摩川を渡るための国道一号や一五号は使わす、いった 辺りて、多摩川沿いの多摩堤通りに出た。そこから五 ん、みなとみらいから一五一号線に出るとすぐ西区の分も走らないうちに、『左折』という犯人の指示があ 恐住宅街に入って、路地から路地へ約一時間十五分ほ 一方通行の狭い路地を道なりに進んていくと、周 オこれは 一走り続けた後、佐々木はようやく見覚えのある東急東囲に民家がなくなった辺りにバス停が見えご。 年横線の電車を見、ほどなく丸子橋という交差点の標識〈砧下浄水場〉のことだと思われる」 を見たと言っている。そこに到るまて、交差点に標識 ちょうど同じころ、砧下争水場の ( 則から逃走した白 / のあるような主要道路は一本も通らなかったために、 のファミリア。とっさにその一件を田 5 い起こしながら、
一一月には、合田刑事を刺した元刑事の公判があった。 がったことて、六月には警視庁の捜査員が現地に入っ 久保も足を運んだが、検察の起訴状朗読に続いて、弁 た。その線はしかし、誠和会の関ケを裏付ける物証が 護側が、被告は強迫神経症及び分裂病の疑いがあると なく、一歩ぞも根来に近づく何かが出てこないかとい いう理由て精神鑑定を要求し、検察も異議を唱えなか う期待は、虚しく終わった。根来史彰と佐野純一の失 ったため、十分て終わってしまった。夏に至るまて、 踪に関与したと見られる呉昌淳については、地検が押 第二回目は開かれていない。同じ二月末、合田刑事は収した大量の資科に当たりはなく、より実行犯に近い 神崎一課長の推薦て昇任試験を受け、本庁の国際捜査 と見られる腹心の猪野賢三は、昨年暮れから行方をく 、ら 6 ーし 4 」↓ま上。ごっこ。 課に警部として異動になった。久保は一度、エレベ ターてばったり出会ったことがあったが、「お元気て そうして七月になると、久保はいきなり食中毒にか すか」と向こうから挨拶があって、恐縮した。 かって二日間入院した。そのとき、病院て吐き気に見 三月二十四日には、全国紙各紙が、レディ・ジョー 舞われていた間にふと、自分は病原性大腸菌に感染し カー事件発生から一年を迎えたことを小さく報じた。 たというより、解決することなく埋もれていく悪の 発端となった逮捕監禁事件の被害者がすてに亡く、終数々にあたったのだということを考えた。 結宣言を残して消えた犯行グループが一人も特定され 久保があたった大腸菌も原因食材が分からなかった ないままぞは、人の意識の上てはすてに過去の事件と が、この一年の間 ( 誘拐や恐喝、強請、詐欺、殺人、 なるのは、やむを得なかった。 失踪、自殺といった形て表に現れた多くの事件も同じ オカそこ 四月の総選挙は、予想を上回る得票率て、与党民守 だった。表面的な因果関係は明らかになっ ' 驀、 党が圧勝した。 にはほんとうの発生源はなかったのだ。巨大証券と大 五月半ば、行方不明だった総会屋の西村真一がマニ手都銀の商法違反事件も、解きあかされたのは個別の 章ラて水死体ぞ発見された。殺しを請け負ったフィリピ事犯の個別のメカ = ズムだけてあり、そのメカニズム どん 9 ン人が逮捕され、殺人依頼を仲介した韓国人貿易商が を動かしている真の駆動装置は見えす、どこに、 割れ、その貿易商と誠和会系暴力団の現地法人がつな な形て存在しているのかも分からない。 辿っても辿っ
久保の頭はこの二時間、行方の分からない根来の調公にはならなかった実行犯一一名の素性も明かされた。 査こど , フ手をつける力とい - フことたけて、一不ごっこ。 その一一名は在日韓国人の暴力団組員て、事件の二週間 菅野キャップから調査班に加わるよう命じられたとき前に偽造旅券て入国した韓国安企部の人物と接触した は意気込みしかなかったが、冷静になってみると、意 のを、公安が確認していた。事件当夜については、実 気込みを上回る不安や、気の重さや、なにがしかの興 は轢き逃げの目撃者がおり、その証言から絞られた犯 奮が一斉に襲ってきて、一課長室を出たころには、昼人一一名を警察は早くから特定していたが、そうした事 飯も喉を通らないような気分になっていた。 前の経緯から立件は見送られた、ということごっこ。 その朝、久保を含めて調査班に指名された四人の東 次いて久保たちは、根来が失踪直前に、某証券新聞 邦記者は、千鳥ケ淵の公園に集合して、菅野から事態 の編集長に託したというリストのコピーを渡された。 の概要を説明されたのだった。集まったのは久保のほ この正体は、国内十八社を数える証券会社の営業マン か、同じ警視庁クラブから二・四課担当の金井、そし と、投資顧問会社やファイナンス会社を装った誠和会 て、いずれも地検詰めが長かった遊軍のべテラン記者系の岡田経友会、及びグループの十一一社を抱え る秘密の投資クループだということだった。リストに 二名だった。久保以外の三名はみな経済事件のプロだ ったが、菅野の話を聞くにつれ、それも当然だと思う は、もともと個々人の氏名の記載はなく、根来が自分 ぞ書き込んだらしい氏名が、そこに並んていた。久保 菅野の話は、久保にとっては、メモを取る手が震え はもちろん、真っ先に、二十四番という番号のついた たほどの内容だった。説明はます、久保がまだ仙台支 ( 株 ) ジーエスシーの代表取締役、菊池武史の名前に 崩局にいた時代に世間を騒がせた小倉運輸・中日相銀事目が行き、思わず腹の中て〈何てこった〉と呻いご。 一件の経緯から始まったが、当時、噂だけはあった元大 続いて、根来と接触があったという六十あまりの人 年蔵大臣酒田泰一の、事件への関なを裏付ける証拠の一物のリストも渡された。どうしてこんなものがという 端を、根来は擱んていた可能性があるという。また、 ところだったが、考えてみれば、右翼団体、日教組、 それが故と思われる九一年の轢き逃げ事件について、 労働組合、自由法曹団、解同、総聯、民団、宗教団体 32 )
いと自覚しつつ、不快な動揺を味わい続けた。天寿を 刑事を任意て呼ぶとなれば、場所は菊屋橋の警視庁分 全うした死てなく、人生半ばて暴力によってもたらさ室か、半蔵門会館辺りの一室だろうが、どこにしろ人 れた死は、なおさらだった。 の出入りの少ない日曜日を選ぶということは大いにあ 、り . 日し」田 5 - フし」、 義兄にはあえて廩重に応えたが、最悪の事態は初め 万一の期待をもたざるを得なかった。 から予想がっしオ日 、ご。第夜義兄が電話を受けたという 時 萩中の路地へ入ると、ひとまず付近の様子に神経を 刻からすぞに九時間以上経った今、遺体はどこかてす集中して、ゆっくり歩を進めた。行確の連中は、早朝 てに冷たくなり始めている。薄明るくなっていく車窓 はいつも、萩中第二アパート の向かいに並ぶ住宅 の外の空を眺めるともなく眺めながら、『もう死ぬこ の棟と棟の間、もしくは公務員住宅の棟のどこかにい 悲しみ、叫び、苦しみもない』 という黙示 る。その朝も、半田の住む第二ア。ハートから二十メー 録の言葉を、合田は何度も思い浮かべた。 トルほど距離を開けて、 >--æ住宅と公務員住宅を隔て 糀谷駅て電車を降り、シャッターが閉ざされた早朝 る道路の脇に、それらしい二人の姿を見た。のんびり の商店街を通り抜けて環八通りへ歩きだしながら、合 した様子て一人はタバコを吸い、一人はゴルフのスウ 田は自分の手が届く範囲の現実問題を考えた。秘密の イングの身振りをしていた。それを横目て確認して通 投資グループのリストを通して、間接にレディ・ジョ り過ぎながら、合田は〈今日、という線はないな〉と ーカー事件とつながっていた記者一名の失宗は、当然 田 5 った。もし任意同行が予定されているなら、行確の 特捜本部も承知しているはすだった。 連中は不測の事態に備えて、もっと近い距離て待機し ていなければならない。 すぞに自殺者一名、行方不明者一一名。闇の力が動い た結果の記者の失踪ならば、毎日ビールへの事件波及 そうか、今日はないのか。ぞは明日だな。そう自分 と併せて、特捜本部もいよいよ半田修平の聴取へ踏みを納得させて、合田はいったん萩中第一一アパートが見 出すか、否か。今日か、明日か、数日後か、時期の予えなくなるまて進んだところて、道端のガードレール 想はつかないが、聴取自体が行われないとい - フことは に要をひっかけてタ、ハコをくわ・んた。 今日はないと分 かったとたん、初めから今日だという根拠はどこにも あり得ない。合田はほばそう確信していたし、現職の 298
警護の件は、社内事情だということて、どうかご理解 城山はふと、若いころの倉田に似てると思ったが、 下さい」 ともかく十分な思考力と粘り強さを兼ねそなえた合田 そうして電話を切ってから、城山は、すぞに済んだ ことだと胸のうちぞ処理済みにしようとしていた合田は、間違いなく将来有望な人材てはあった。それが本 心だったから、今夜の形ばかりの三行半によって、警 の顔を、あらためて少し呼び戻すことになった。 察内部ての本人の成績に傷をつけることになったのて 合田という刑事については、共 》にいた短い期間を通 はないか、若い刑事の将来に響きはしないかと、今も して、意識したりしなかったりだったが、最終的には そのことは気になっていた いや、要は自分の判断が 初めのころよりずいぶん見方が変わった。城山の目に は、合田は独立心旺盛なタイプてはなく、組織の中て正しかったのか否か、城山自身が確信をもてないてい 生きるのが合っている人間だった。鍛錬も出来、規律る、ということごった。 合田が「二十分以内に犯人の一人を押さえている」 に馴染み、柔軟な適応力もある。しかし、個人の思考 力や判断力も備えているため、埋没を要求する組織のと真剣に繰り返した、その言葉に嘘はなかったに違い 中てはなかなか難しい場面もあるだろうと、城山は察ない。現に城山は、犯人の一人と電話て五分近く話し ていたのだから、電話番号を明かしさえすれば、警察 してきた。それが、五月の雨の日曜日の夜、突然自宅 には少なくとも逆探知は可能だったことだろう。複数 に現れた合田てあり、あるいは今夜、執務室の前に立 いる犯人の一人ても押さえられれば、事件の姿がもう ちはだかった合田だった。上司からさまざまな指示を 少しはっきりし、企業としての対処の仕方もあったか 受けて動いていたのは明らかだが、中には実現の難し い注文や理解に苦しむ注文もあったことだろう。それも知れない。 そうした正当な解決の方向を選択するだけの余裕が、 を懐に隠して自分に相対していた合田はしかし、まだ 、だけにちょっと戦略を欠き、総合的な計算が足もはや日之出にないのかと自間すると、応えはノーだ った。まだしばらくなら耐えられる 6 裕を残して、日 らなかったというのが城山の感想だった。もう少し 之出が選択した裏取引の結論は、ぞは絶対に得策なの 戦略的な思考があれば、今夜のような出方はしてい 140