杉原は煩悶していたに 違いなかった。 そうして形もない闇から片足を引きすり出し、現 貴方は、残された者に最大級のしつべ返しをしてひ世に身を置き直すと、城山は今、物言わぬ死者が残 とり先に逝き、今は安らいているのか。安らいてはい していった痛恨の大きさを、生きている者が背負う ないだろう。そう柩に問いかけながら、城山はため息のが人の死だということだけは、受け入れる気持ちに 、よっご 0 の通る隙間もない混沌を味わい、深い闇に包まれた。 私情がなかったというのは大嘘だった。初めから終 祭儀は、信徒てない杉原方の親族に配慮して、感謝 わりまて、個人の感情に無意識に流されるまま、問題の典礼を省いた略式て行われ、共同祈願の後にすぐに に気づきながらも放置した怠慢が、人ひとりの破滅を告別式に移った。 助長した。そのことをしかと認めた後に広がってい 「神のもとに召された杉原武郎さんは、キリストの恵 闇は、特定の罪悪感とか困難といった形のあるものをみによって神の子供とされました」と司祭は述べた。 超えて、人の一生や家族や社会生活の有りようすべて 「今は私たちの手て葬られても、終わりの日に、神は の輪郭をあいまいにし、それらの手応えや意味を溶かすべての義人とともに杉原武郎さんを復活させ、すべ てを新しくして下さいます」 してゆき、人をまったく孤独にして丸裸ぞ虚空に宙づ りにするものだった。終戦の年、防空壕を漠然と押し いて、「私は新しい天と新しい地を見た。以前の 包んていた闇を思い出しながら、城山の意識はしばし天と地は過ぎ去った」という一言葉て始まるヨハネの黙 八歳の子供に戻り、次いて、富士山麓の貸別荘に横た 示録の一節が読み上げられた。城山は子供のころから わっていた間に 見たのと同じ、その後の人生の散漫な何百回も聞いてきたその一節を、今また耳にしながら、 恐走騎灯を見た。そのときどきの果実を順調に採り入れ、自分に呟いた。杉原は神の子供になり、もう死ぬこと 一味わい、楽しみ、感謝してきた平穏な人生が、その下はなく、現世の苦悩もない。今は、新しい天と地があ 夏 るのみ、と。 子供のころから心身にみ込んていた虚空を隠し 年 城山はそうして、杉原が今は神のもとに召された安 続けてきたことを、ちらりと思いやり、唾棄し、再び 蓋をする。 堵と、死者が自分に残した憎しみの両方を我が身に引
章 終 いのは、こうして話をしている間にも、自分を絶え間 なく揺さぶり続けている、〈生きている〉というびり てくれた。 びりするような感覚の出所も同じだった。 ありていに言えば、奄はこうしている今もただ、 苦 合田はしかし、司祭にすべてを話したわけてはなか しいのだと思いながら、「私には、まだ分かりません」 った。申はいるのか、という問いは依然、空気という と合田は応えた。「しかし、考えてばかりいても出口 空気の中に留まり続けていたし、十一月八日からの四 が見つかりませんし、今は、一度本人に会ってみるか十四日間、自分という一人の人間が足を沈めてきた泥 と思っています。彼こそ悩んているてしようし」 沼は、多分永遠にこのままなのだという直感も持ち始 「そうなさるべきだと私も思います。そうそう、大事めていた。しかし、それてもなお、合田は司祭にある なことを忘れてました。合田さん、仕事には復帰出来程度の胸のうちを明かしたのだし、内容はともかく、 そうてすか」 そ - フして自ら、人に向かって何かを心から語ろ - フとし 「お蔭さまて、何とか。心機一転を考えたこともあり ごとい - フことは、自分自身にとって驚くべきことごっ ますが、資格もないし、営業は出来そうにないし。私 た。秋ロのころの自分なら、とうてい考えられなかっ は一生、警官てすよ、多分」 そうして自分の腹の底を覗きながら、合田はなおも 「よろしいじゃないてすか。私も一生、司祭てしょ 架い尼に埋まり続けていたがその尼は敗細に振動し 、 ' 、、り・、、ねドし、れわ←り・ーし 「多分、私は今生まれたばかりて、何もかも怖いのだ ており、ときには大きく揺れ動し と思います。こうして生きていることが。一人の人門 ながら、奇妙に生理的てあったり、暴力的てあったり、 のことを昼も夜も考えていることが。人間は、最後は また優しかったりする様々な感情を作り出していた しかも、その一つ一つが今は、苦しみなのか何なのか、 てすか。素月らしいことてはっきりしない。 「今生まれたばかり : ときどき、漫然と胸が締めつけられ歹 すね。と呟いて司祭はからから笑い、それから、自称るような感覚に陥ると、その中に悦楽や心地よさが含 〈生まれたばかり〉の子供のために、短い祈りを捧げ
実に押さえられていた。今回の異物混入事件も、起こ けてはなかったし、城山に何らかの個人的な考えがあ ってはいなかった。膨大な経済的損失もなかった。今 っても、城山もまた、個人の一存ては動けないのは分 かって、こ。 しがた、社長の考えておられることが理解出来ないと 要は、どちらもなすすべがない不毛な対 申し上げたのは、そういうことてす」 峙てしかなかったが、結局最後は、城山が自分の手を 「貴方が何の話をしておられるのか、分かりません」 伸ばして合田の腕を擱み、黙ってそれを押し退ける形 「今朝、白いテープが山王のバス停近くの街灯に貼っ てあったのを、社長はご覧になったはすてす。今夜、 合田は退いた。 城山はそのまま執務室へ入っていき、 社長はまた犯人と接触なさるものと、私どもは見てお振り向いて「明日からは、来ていたたく には及びませ ります。今ここて、相手先の番号さえ分かれば、警察ん」と言い 合田の前てドアは内側から閉まった。 は今から二十分以内に、少なくとも電話に出る人物は その瞬間、合田の方は、すっと胸が楽になったと、 間違いなく押さえているとお約束出来ます , う以外に、自分の気持ちを言い表す言葉はなかった。 「どうか、そこをどいていただきたい 自分ても処置に困る衝動から解放されたという感じだ 「社長のご決断一つて、今から二十分以内に、レデ った。次いて、大きな失態をせずに役目を終えたとい イ・ジョーカーの一人の身柄を拘束出来る、と申し上 う安堵がやって来た。連日、自分の能力の限界を思い けております 知らされつつ務めてきた難儀な役目だったから、未練 「そこをどいていたたきたい などはなかった。もっとほかにやるべきことや方法が 城山は無表情にそう繰り返し、合田は動かなかった。 あったのてはないかという反省は、ここてはとりあえ 恐城山がどう出るか、自分がどう出るのか、一寸先の情す先送りにしご。 皇示も思い ( ないまま、立って、 , 1 ごナ・ごっご。 腕時計の針は、午後九時五分前を指していた。秘書 年企業としての結論はすてに出てしまっているはずの のデスクの電話の、内線の使用ランプが短い間隔て点 今、おそらく裏取引が話し合われるに違いない犯人と いたり消えたりするのを、合田は見つめた。執務室の の接触をここて覆すだけの材科を、合田は提示したわ城山が、片付けなければならない用件のために、あち
ストと落ち合う約束が出来ていたからだった。そこへ をしてるの」という無難な質間から始めた。佐野の返 行ってみると、相手はフロントグリルにスリースター 答は、「記者契約がスポーツ紙一本、あとは単発」と のエンプレムが輝くゲレンデヴァーゲンのそばに立っ いうものだった。スポーツ紙ては経済記事専門て、こ ており、根来の口からは思わす「君もつい のところ、金融破綻間題が身近になっているのて、 という声か出た っこ - フ記事は聿日いているとい - フ。 「それ、厭味てすか」 「今、個人的に取材しているネタはあるの ? 」 「賛辞だよ。参考まてに値段を聞いていいかい ? 」 「どれも今ひとって。だから、根来さんにお会いして るんてす」 「中古。六〇〇万。六十回払い。金利が今だけ一 セントだったもんてすから」 根来としては、佐野が今、どの程度の取材力を持っ いくら二パーセントても、家庭もあるのに、六〇〇ているかを見極めたいところごっ ' 驀、 オオカ取材はやって 万のローンを組むほどの稼ぎはないはずだと詮索しな みなければ分からない面もあり、実際には、過去の実 がら、根来は、いかにも業界ふうの万年青年の風体が 績を信じるしかなかった。 六〇〇万のべンツも、考え 抜けない四十男の面を窺った。 てみれば月々十万少々の返済なら、飲み代の要らない 男には許容範囲と言え、屋しい金の出入りを想像する 「奧さんと娘さんは元気 ? 」 「女はいっても男よりは元気てすよ。さて、新橋へ出ほどの材科てはなかった。 ↓ 6 ー ) よ - フか」 話を急いているらしい佐野の方から「秘密は守りま 根来は新車なら一〇〇〇万円だという鉄の箱に乗せすから」という型通りの申し出があり、根来は〈東邦 てもらい、存外な乗り心地の悪さに二度びつくりした 新聞は本件に一切関係ない〉〈根来は個人として取材 後、下戸て一滴も飲めない佐野のために、新橋駅近く に協力する〉という条件を追加して、とりあえず合意 は成立した。 の終夜営業の喫茶店に入った。 ちらほらと店内に集うカップルから離れた片隅て、 根来は、証券会社の岡部からもらったファックスの 未明のコーヒーを啜りつつ、根来は「ところて今、何 < 4 用紙一枚をテープルに置し
青酸入りと見られる瓶ビ ールが回収されました。残り 今や半田の中ては、生理的な嫌悪さえ快感になり、興 十八本は、現在のところまだ発見されていません。一奮につながってくるのだ。そしてもちろん、こういう 方、警視庁は今日午前、全警察署の署長を集めて緊急 形て闇のカの一端を見せつけられた本家本元の屈辱よ の対策会議を開くとともに、各署から警察官一万人を りも、まさに今、そのカの前に屈している警察組織に 動員して、商店街などの警戒に当たっており、万一の対して覚える快感の方が、明らかに大きかった。その 事故に備えて市民に注意を呼びかけています : : : 』 こともまた、决感につなかった。し力し、ちょっと目 5 店員が瓶ビールを冷蔵ケースから出しているコンビ 像力を働かせてみれば分かることぞ、今の今、致死量 ニエンスストアや、《当店ては瓶ビールの販売を行っ の青酸に震撼している桜田門の姿以上に痛快なものが ておりません》という貼り紙を貼り出している酒屋のあるか。さらに、今動いているのが偽のレディ・ジョ 映像、『レディ・ジョーカーの非道に対しては言葉も ーカーだと知った暁には、妛田門が受ける打撃は倍に ない』と声を震わせる毎日ビールの社長の顔、『レデ なる。そう考えると、偽物の闊歩もとりあえず悪くは イ・ジョーカーはもはや、無差別殺人を狙う凶悪集団ないというのが、半田の当座の結論ごった。 と認識している。警察庁に捜査を急ぐよう指示した』 「半田、次へ行くぞ」と相方に呼ばれて店を出ると、 と語る首相の顔などが次々に映った。 相方は早速小声になって「今の店の親爺に、青酸て、 ニュースを見ている間、半田は再一一「自分の中に起 どんな味がするのかって聞かれたんだが、あんた、知 こった生理的な嫌悪を確認した。同じ異物ても、無害 ってるか ? , と尋ねてきた。 な色素てなく青酸を入れたらこうなることは、初めか 「何を」 ら百も承知ごっ、驀、 オオカ生理的に青酸というのが受け入 「青酸ソーダて、どんな味がするんだ ? れられなかった自分の神経については、釈明は無用だ リウムだから、塩辛いのかな ? 」 ゃなものよいや。ご、とい、 . フ・ごけ。ごっご。 「飲んだことのある奴に聞けよ」 その一方て、半田は、朝から停止したままだった頭 「とにかく、胃に入ったら終わりだって応えたんたが、 にゆるゆると興奮の靄が立ち戻ってくるのも感じた。 間違ってないかな : 心、 ナ ト
のカウンターに置いてやるのよ、 : 、、 へ三好の自殺という事態が発生した結果、今日になっ ーししカ日之出が裏取 ても任意同行はない。要は、少なくとも今現在、警察 引に応じたことを自首という形てばらすのは、日之出 は自分を逮捕したくないとい - フことだろ - フ。ならば、 ビールとの約束を破ることになる。あの城山とやらは、 ともかく約束を守ったのだから、それを一方的に裏切 逮捕したくない人間を、逮捕せざるを得ないようにし てやるか るようなことは、気持ちの上てはしたくなかった。 自首というのはどうだろ - フ。今ごろになってもまご、 ては、自首がだめなら、別件ての現行犯逮捕。これ 呼ぶの呼ばないのと警察が揺れ動いているのは、端的 が一番てっとり早い、と半田は簡潔な結論を出した。 に、ほかにろくなネタがないということてあり、そう窃盗ても痴漢ても何てもしてやるが、出来れば、警察 ならば、仮に自首しても、仲間については黙秘と否認 が一番困惑するような方法を選びたかった。加えて、 を通せば済む話だった。自分自身については、仲間に この自分が楽しめる方法てあれば、なおさらいし だ具体的なアイデアはなかったが、それを考えるだけ 被害が及ばない程度に、《犯人しか知りえない事実》 とやらを一つ二つ話してやれば、送致ぐらいは出来るてもしばらく退屈せずにすむというものだった。 自分自身の身辺整理については、問題はなかった。 この想像は楽しかった。たとえば今、この足て蒲田女房との関係清算は、最後の最後に「俺がレディ・ジ ヨーカーだ」と告げたら、一発て片づくことだし、整 署へ戻って、「俺がレディ・ジョーカーだ」と名乗っ たとしたら。半田は競馬新聞に目を落としたまま、し理が必要なほどの個人の荷物もなかった。財産もなし。 、よし独りてにやにやし続けた。 「俺がレディ・ジョー 車もなし。一千万ほどの定期預金は、万一の場合、初 カーだ」か。受付のカウンターをバンと叩いて、もう めから慰謝料として女房に渡すと決めていたから、こ 一言いってやるか。「昔の上司が自殺したんなら、今れも解決済み。 の上司も死にやがれ」と。 そして、そうしたすべてと引き換えにしても余りあ るような快楽が、この先自分に残されているのだと想 しかし、金の始末という点て、その空想は行き詰ま った。自分の取り分の四億円を、ダンボールごと警察像すると、それだけても半田は自分が満たされている ガ 6
「録音などしておりませんが : : : 」 とまて筒抜けになっているとは予想外だったが、 城山 「ウォークマンを使って録音なさったはすてす。私ど はなおも、自分自身が二つの人格に分かれているかの もは、そういう証言を得ています」 よ , フに冷静ごっご。 「証言の出所は存じませんが、私は個人の用件を人に 覚語のほどの窺える神崎の表情を眺めながら、城山 話すはすもないし、録音もしておりません」 は自分の立場上、今ここて警察の言い分を認めること 「ては、今社長がおっしやったように、過去一二回の電は出来ないという理由だけて、「録音はしていませんー 話てお聴きになった声は、このテープの声とは違うと 「おっしやることが理解出来ません」と、形ばかりの いたしましよう。その上て、私どもは社長が携帯電話否定を繰り返した。 てお話しになった相手が、間違いなくこのテープの声 そうして城山が一通り否定し終わると、神崎はその の主てないことを、確忍しなければなりません。なせときを待っていたように、「ここからが、私どもの本 なら、このテープの声の主は、レディ・ジョーカーの 題てす」と改まった。 一員と目されている重要参考人てあり、なおかっ、過 「今から、一つご提案いたしますのて、よくお考えに 去三回、社長がおか ( ナになったのと同じ日時に、公衆なった上て、今夜午後六時まてに、私宛てに電話て返 電話を使用して、どこかと接触していたと思われるか事をいたたきたい」そう前置きすると、神崎は簡潔な らてす」 言葉遣いて、一言一言を繰り出してきた。 城山は、自分がこうして今、警察から問い詰められ 「私どもは、御社のテープを必要としています。もし ていること自体に動揺はなかった。六月一一十三日深夜、提出していただけるなら、その内容をそちらの都合に あの合田刑事に電話番号を明かしたとき、城山は矛盾合わせてカットしていただいて結構てす。こちらは、 した衝動に駆られたというよりは、そのうち真実が明声紋鑑定に必要な長さが確保出来れば、それて十分て らかにされて自分自身の気持ちが楽になる日を、ひそすのて、内容まては関知しません。また、そういうテ かに期待していたのだと自分のし理を分析することも ープが存在したことは、一切調書には残しません。従 出来た。さすがに、当の三回の電話を録音していたこ って将来、不測の事態て公になることはないとお約束 340
今の今、犯人が潜んているような恐布に襲われ、合田 門扉越しに、城山は「中に入りますか」と尋ね、合 は思わず身を縮こめながら、足元に置いていたスー 田は「ここて結構てす。すぐ済みます , と断った。門 ーのビニール袋と楽器のケースを拾い上げオ 扉をはさんて、合田はまっすぐに城山の表情のない目 白テープが犯人の仕業てある確率は、たしかに万に を見、「今は、私人としてお目にかかっていますーと まず言った。 一つかも知れなかったが、万に一つの事態の責任を取 らされるのは、現場なのだった。もし社長が狙撃され 「職務に関係のない話だということてすか」 てもしたら、合田には防ぐ力はなかった。どうせクビ 「そうぞす。私は今朝、午前七時半に山王一一丁目バス になるなら、被害を発生させてクビになるより、被害停に着きました。そのとき、バス停の東側三メートル 、、、、、こ決まってした を防ぐ努力をしてクビになる方力しし ( 、、 のところにある街灯の支柱に、白いビニールテープが それ以上その場て思案するだけの忍耐もなく、合田貼ってあるのを見ました。幅二センチ、長さ七、八セ は意を決して電話ボックスを出た。楽器のケースを抱ンチのテープてす。その後、社長と奥様をお迎えして え、スー ーの袋をぶら下げて、山王一一丁目の路地を 一一度目にバス通りに出たとき、その白いテープがなく 一六番地へ急。、 く今しがたの田 5 いとは裏腹に、自分なっているのに気づきました」 はやはり刑事には向いていないのだろうかと自間し続 そうして話しながら、合田は、五十センチほど離れ て相対している城山の目の動きを追い、城山の方も徴 時刻はすてに午後九時を数分回っており、ひんしゅ 動もせずに合田の目を見つめていた。 くを買うのを覚語て、城山宅のインターホンに、至急 「一日中、そのテープの一件が気になっていましたの ナしことがあるのてと告げこ。 恐お舌しし ' 、、 一言《今、出て、早朝にバス停付近て清掃奉仕をしていた男性を探 一ます》と城山本人の応答があ「た。やがて、着流し姿して、テープを見なかったかと確認したところ、午前 年の本人が玄関から顔を覗かせ、門扉の外に立っている七時四十五分ごろにその男性がテープを剥がしたこと 男の姿恰好を用心深く窺った後、傘を開いて十数メー が分かりました。男性が一日外出していたのて、確忍 トルのアプローチを近づいてきた。 が取れたのは午後八時過ぎのことてす」
手元て鳴り出した遊軍席の電話を取った。千葉の佐倉 く千葉工場が赤いビールの出荷元になったという事実 市へ、カルト教団信者の実家へ取材に出掛けていた言 を考えるなら、工場長への取材はまあ、順当な取材活 者ごっこ。 《やっと親に会えましたよ。原稿はハイヤ動の一端と言えた。 ーの中から送って、今から八千代の例の取材先へ向か 「根来さん ! 談話、取り直しました」という一声と います。最終版まてには何とかします。事件の方、進ともに、その辺から飛んてきた原稿一枚へざっと目を 展は ? 》 走らせ、その原稿を今度は後ろのデスク席へ回して 十ノ , 、 まだ時間はあるから、そんなに焦らな これて識者談話の全部 ! 」と声をかけてから、 くても、 根来は警視庁クラプへの内線電話へ手を伸ばした。そ 《適当にやります。じゃあ》と電話は切れた。記者は、 の手元にまた一枚、匿名の手書きのファックスが回っ たまたま八千代にある毎日ビールの千葉工場の工場長てくる。それにも目をやる。 の妻と親戚関係にあり、これから工場長の家に行って、 時間的に見て、現場の記者は取材の追い込みに走っ 周辺取材という形て、事件についての本音の感想など ている今の時刻、クラブのボックスに残っているのは を聞き出す役目を負っているのだった。 サブかキャップのどちらかしかいなかったが、電話に その工場長は技術畑一筋の人物らしいが、三十五歳出たのはキャップの菅野本人だった。《はい、警視庁 になる息子が人権擁護団体の活動に熱心な弁護士て、 クラブ ! 》と、少しテンションの上がっている声が応 被差別部落問題にも詳しいというような事情から、警えた。 視庁クラブの菅野キャップから直に、工場長に当たっ 「根来てす。うちの岡崎が今、八千代の工場長の家へ 崩てみてくれ、という 依頼があったのだ。公安筋に近い 向かいました。浦和支局にいたころに、その手の話は 菅野ならてはの着眼点というより、おおかた公安筋か かなり勉強してきた奴だから、間題はないと思います。 秋 年らの依頼という方が正しいかもしれなかったが、日之それから、毎日ビールの元総務部長の河村幸一。九二 出ビール恐喝の原点にちらついていた被差別部落の影年に商法違反て摘発されたときの部長てす。その河村 を今回も捜そうとする当局の狙いは別にして、ともか と思われる人物からの匿名のファックスが今、こちら 「はい、
第一京浜に面した署の玄関前には、久々に報道陣の 徐々に固めてきた自分の腹をそうして確認し、また同 脚立が並んており、それを避けて産業道路側の裏口か 時に、〈今ならまだ引き返せるからな。よく考えろよ〉 ら中へ入ったら、袴田刑事課長と本庁一一課の管理官が と自分に呟 ( オ 午後四時前、合田は改札から溢れ出してくる乗客の立ち話をしているところにぶつかった。一一人は特捜本 中に、半田の姿を確認した。その十メートルほど後ろ 部にいない人間に注意を払う余裕はない様子てすぐ 行確の刑事一一人の顔も見た。改札に近づきながら 目を逸らせ、合田は黙礼だけてその横をすり抜けて三 確認した半田の表情は、一目て普段と違うのが分かる階へ上がった。他ならぬ安西の引っ越しを優先して、 硬さて、こいつはあらかじめ織り込み済みだったのてその日は午前中の休みを取り、午後から聞き込み現場 へ直行すると届け出てあったが、すぞに午後五時七分 はよい、事件の一報はニュースて知ったくちだと合田 則という、結構な時刻だった。 は判断した。・、 たとすれば、半田の腹は今、さぞかし穏 やかてはないだろう。自分の知らないところて誰かが 刑事部屋には、記録係と知能係が一人ずつ、盗犯係 が二人、そして土肥課長代理の五人しかおらず、土肥 勝手にやった犯行に激昂し、余計な火の粉が飛んてき はしまいかと法えて、気分的にこれからますます追い 以外の全員が電話番に追われている最中だった。鑑識 詰められるのは必至だった。今なら落とせる、今すぐ が三人とも出払っている上、マル暴と強行係が一人も 任意て引くべきだと当てもなく考えながら、合田は半残っていないのは、端的に、今日に限って事件の発生 カタタいし」い - フ , ) し」。ごっこ。 田の後ろ姿を見送り、入れ違いに改札を通ってホーム とっさにますいなと田 5 いながら部屋に入ると、土肥 へ上がった。 がすかさず手招きをよこした。 署へ戻る電車の中て、合田はさらに二十ページほど 「いやあ、今日はヒマてなあ : : : 。午前中、相和信金 読み進み、アントワース・チボーがジャックの残したの大森西支店て強盗未遂。ホシは逃げて、客一人が軽 傷。大森南の労災病院ぞ劇薬の盜難。中富小学校裏の 一粒種のジャン・ポールに一瞬弟の面影を見るところ アトて男女の変死体。午後からは一一時間の間に五 ぞ、大森町駅に着いた電車を降りた。 266