ばかりのカぞ手首を擱まれ、引き戻された。 た回転式拳銃一丁が発見されたという報告を聞いた。 「テープがあるのは確実だな ? 」と平瀬は念を押して ホシが電車て逃走したとなれば、京急の全駅て平和 島駅発売の切符の回収をしなければならない。合田は 「おそらく半田修平の声が入ってるてしよう。日之出すぐに手配に走り、それから半日は、奇妙な興奮状態 にテープを提出させて、半田を引っ張りますか。せい の中て黙々と捜査に精力を注ぐことになった。頭のど こかて、半田の任意同行は今日か、明日かと囁く声が ぜい期侍しています」 合田は自分の手首を引き剥がして、踵を返した。青飛び跳ね続けていた。 ルという事態になった今、日之出は、毎日 酸入りビー ビールや世リ Ⅲに対する体面の維持のためにも、ますま す自社が裏取引に応じたとは認められない状况だろう。 敬老の日は、城山にとって久しぶりの休日だっこが、 毎日ビールへの脅迫が始まる前の時点なら、あるいは たまには妻と一緒に花壇の手入れてもという心づもり という期待も出来たが、今となってはもう遅いと合田 は、早朝から吹き飛んだ。午前七時には、特約店経由 は田 5 った。しかも日之出を脅したレディ・ジョーカー ぞ入った青酸入りビールの一報に仰天し、同じくゴル と、毎日を脅しているレディ・ジョーカーは別のもの フの予定を取り止めたという倉田と、いち早く日之出 てある可能生が高いというときに、急いて半田の聴取の商品も自主回収すべきかどうかを電話て話し合った。 を許可する幹部がいるとも思えなかった。 その結果、ことさらに不安を煽らないためにも、とり あえす回収はしないことに決めたが、それも様子見と しかし、そう田 5 う半面、平瀬に投げつけた厭味とは いうことて、電話を手元に置いて、午前中はただ呆然 崩裏腹に、心の底ぞは懲りない期侍が募った。半田が任 とテレビの前にすわり込んて過ごした。 意て呼ばれさえすれば、自分もずいぶん気が楽になる。 秋 それは城山にとって、刻々と己の逃げ道を失ってい 年失いかけている仕事への興味も、あるいは取り戻すき つかけ一にもなるか。も . 知、れたい。 そんなことを思いながら、 く時間になった。同業他社の被っている未曾有の困難 と、消費者がさらされている危険を ~ 則にして、どこに 合田は機捜と合流し、駅のトイレから実弾四発の入っ
路地には結局、三時間一一十分立ち続けた。 半田はそこを後にすると、元の環八通りへ出ていき、 予想に反して、半田修平は結局ウインズには行かす、森ヶ崎バス停横の公衆電話ポックスへ入った。駅前か 夕刻まて外出もしなかった。合田は半日、半田の住むら半田の自宅まての間にある唯一のポックスてあり、 アパートの階段を見下ろせる向かいのアパートの最上城山社長に指定した当のポックスだった。 夜陰てあったし、一一十メートル 近く離れたところか 階の階段口に座っていた。その最上階の一軒は空き屋 ら見ていた合田には、電話をかける半田の表情などは て、もう一軒の住人は夫婦揃って朝から出かけたまま だった。住人の通らない階段ロの手すりの下て半日身分からなかった。電話に要した時間は一分半。相手は をひそめている間、合田は、退屈もなければ何に心を不明だが、少なくとも自宅の女房にかけたのなら長過 ぎる、というところだった。その後、半田はボックス 動かされるというのてもない自分自身を、半田の家に を出て普通の足取りて萩中まぞ歩き、午後九時三分前 つながれて日がな一日することがない飼い犬のようだ にアパートへ戻った。そのとき、五階の自宅には明、 と感じ続けた。 りが灯っており、イトーヨーカ堂に勤めている女房が 午後五時前、突然サンダル履きの半田が外に出てき て、環八通りの方向へ歩き出した。早速隣の空き地のすてに帰っているのが分かったが、五分ほど経ったこ ろ、刑事一一名がちょっと動いてべランダの方へ回った 木陰から姿を現した行確の刑事一一名が、その後を追う。 のて、合田もその後を追ったら、五階から座布団一枚 合田も下へ降り、刑事たちの二十メートル後ろに尾い が降ってくるのが見えた。「大きな声を出すな」とい た。半田の行き先は、糀谷駅の踏切を渡ったところに う半田の短い怒号と、「競馬と心中しろ ! 」とわめく あるパチンコ屋だった。刑事一一名は半田に続いて中に 入っていったが、 女の声が聞こえ、続いて何かが割れる音が響き、そこ 合田は外に留まった。大した商店も もな い小さな駅前ても、日曜の夕刻はさすがに人通りがて物音は絶えた。 世間並みの夫婦げんかの範囲、と合田は機械的に判 絶えす、見張りは楽だった。自販機て買ったウーロン 茶をひと缶空けて、パチンコ店の喧騒が聞こえてくる断した後、ふと、生理的なものも含めたあいまいな苛
車ても買ったらどうだ、そのぐらいの貯金はあるだろ ウちゃんの野球帽の頭。頭上のモニターから、出走前 のファンファーレと実況の声が降ってきた。 《函館競馬川レース、八甲田山特別一一六〇〇メートル、 返事はなく、半田はもう一度その背をつついた。 十三頭によって争われます》 「ところて、布川と連絡はつくか」 午後一二時一分だった。目の前のヨウちゃんの野球帽 「今日、ここへ来るはすだった。さっき物井さんが探 してたから、来てないのかな」 がモニターを仰ぎ、半田もつられて目を移動させたそ のとき、突然、斜め方向の人垣の脚の間に白いスニー 「もし会えたら、居所を聞いといてくれ。会社を辞め 先週、レデイも施カーが見えた。半田の目は一旦、そちらの方へ固定し、 て、勝どきの従業員寮にもいない。 さっき三階て見たような気がしたのはあれか、ととっ = = カらいなくなった」 さに考えた。分からなかった。十メートルほど離れた 「奧さん、冶った ? ところに立っているそれは、こご真っ白ごとい , フだけ 「植物状態になったら、もう治らん」 少し間を置いて、「だったら、死なせてやった方がて目に刺さってきたのかも知れない。何の飾りもない、 よかったんだ」というョウちゃんの呟きが聞こえた。 ーック。そのスニーカーの上は、生成りのコット ンパンツ。脚の長さからみて、上背があるのは確かだ 半田は話の接ぎ穂を失って、物井は布川と会えたんだ オカ座り込んている半田には、その上半身は見え ろうかと考えた。そこへまた、「半田さんも、⑩ー⑩っ ' 驀、 ことう理由て、 なかった。ただ短時間の間に二度も見ナい か」とヨウちゃんの声がして、「当然だろ」と半田は とヨウちゃんは呻く。 反射的に警戒心が働き、半田は緊張した。 応えた。「ちくしよう : つばいの函館競馬場、良馬場てす。 《明るい日差しがい 物井は布川と会えたんだろうか。 向こう正面、馬場をほば一周いたします。チアズスペ 半田は顔を上げ、当てもなくその辺に目を流した。 という実况の声は、しつかり モニター下の人垣の、スラックス、綿パン、作業ズ、ポ シャル、収まって : : : 》 聞こえていた モニターへ目をやり、また床に目を戻 ーパンなどの脚、脚、脚。革靴やスポーッシュ すと、白のスニーカー。半田は、先ほど高にすり替え ーズやサンダル。散乱した外れ馬券。目を戻すと、ヨ 2 ) 2
義兄はそう呟き、ティッシュの箱を一つ食卓に置い 半田の最後を見届けるために、自分は今しばらく、こ て、また寝間に戻っていった。 の組織に留まろうというところへ、最後は徐々に落ち ついた 再びひとり残されて、合田は、たしかに義兄の言う 合田はそうして、ようやく半田修平への田 5 いに行き 通り、最終的には自分の腹のどこかに収めるほかない のだと田 5 ったが、そう思うと、さらに当面の逃げ場は着き、その顔貎一つを脳裏に田 5 い浮かべた。半田も、 さすがに今夜は悲嘆を感じているだろう。組織の小さ なくなり、またしばらく悲痛の中を行きっ戻りつした。 自分の腹のどこかに収めなければならないのは、一人な歯車の一つてある刑事一名が、己の憤懣を犯罪とい の人間の生身を包んだ炎てあり、想像もっかない苦痛う形て表出させたまてはよかったが、組織の中てそれ が、上司の焼身自殺という事態に化けたことに、半田 てあり、その苦痛を超える人間の意思てあり、その意 が衝撃を受けていないはずはなかった。心外な結果を 思を受け止めるすべのない組織の現実てあり、その組 織に嫌悪を覚えつつ、辞職する決断をしかねている自迎えて、半田はひょっとしたら自首する可能性もあっ たか、もし自首するなら早い時期だろ - フ。そして、も 分自身だった。そんなに辛いのなら、明日にぞも退職 願を出せば済むものを、それをしかねている自分自身し半田が自首をせず、警察も聴取に動かないときは、 いよいよこの俺自身が腹を括る番だ、というところへ 合田は思い至った。夏の終わりごろからずっと、ばん そして、いったいなぜなのかと自問すると、単純か やり考えていた計画に従って、少しずつ半田を羽発し っ非生産的な回答が二つあるだけなのだ。一つは、ほ てきたが、そろそろ次の段階へ進むときが近づいてき かに何かやりたいことがあるわけてはないという現実 ' 」、し J い - フ、」し」 ' 」っ , 」 0 崩てあり、一つは、自分ても抑えられない半田修平一名 に対する妄執だった。今、自分から半田修平を除いた 特捜本部の出方を見ながら、数日のうちに始めよう。 年ら、金も家族も地位も名誉もない、人生の目標も見通同時に、自分自身の身辺整理もしておかなければ。 そこまて考えた後、合田はやっと寝間に入った。横 しもない、神はおろか人間すら愛したことのない、三 になったまま本を読んている義兄の背中に、「今夜は 十六歳のオス一匹が残るだけだ。そうてあれば、唯一
面々の複雑しごくな顔やひそひそ話てあり、今ごろ日 そういうときは、八月半ばから半田が何かのヤマの聞 之出本社の三十階て中腰て電話の応対に追われている き込みに回っている吉祥寺に、夕方には舞い戻ってく に違いない野崎秘書の姿等々だった。 るところを、吉祥寺駅の北ロて待ち受けるのが、一番 そうして、自分にはどうすることも出来ない所在な 確実なのだった。ひょっとしたら現れないかも知れな いカそのときはそのとき・ごっこ。 さのかたわらて、合田は控えめに、〈これは、レデ イ・ジョーカーの所業なのか否か〉という疑念を招き 半時間ほどバスに揺られた後、午後一時過ぎに合田 寄せ、さらに〈最近の半田は、それほど精力が余って は吉祥寺に着き、一一時間ほどの空き時間を、北口に近 いる顔はしていない〉と、慎重に考えた。この二カ月、 い喫茶店て本を読んて潰した。ほんとうは今日ぐらい 主に土日の競馬通いと、毎夜の帰宅状況などを見張っ署に戻って、山ほど溜まっている事務を少しても片づ てきた限りぞは、半田は十中八九、日之出から取った けるべきだったし、春から落ち続けている強行犯の検 金をまだ手にしていないと合田は見ていたそうだと 挙率も何とかしなければならなかったのだが、この二 すると、 ただてさえ行確を警戒しているホシが、二匹カ月、半田への個人的な執着は別にしても、合田は勤 目のドジョウを狙って動くとは考えられない。元のグ勉な仕事ぶりとは程遠くなっており、その上反省の念 ループから半田が抜けた可能性も含めて、いずれにし 力、ら亠迅いし J 一 ) つにいご。 ろ、半田は今回は関わっていないという方に合田の推 代わりに、時間があれば、学生時代に読んだ古い本 を手当たり次第に引っ張り出しては読み耽ることをや ールへの 半田はやってない。問題は、半田が毎日ビ っていたが、それは、時間潰しというより、自分の頭 恐喝を知っているのか否か、だけた 再三自分にそう を現世てないどこかへ移すための方便という方が正し 言い聞かせて合田は喫茶店をあとにし、今度は駅前か かった。なるべく長いやつを選んぞ、七月には『ブッ ら吉祥寺行きの路線バスに乗った。半田は今日も馬券デンプローク家の人々』と『ュリシーズ』と『大菩薩 を買いに行っているに違いなかったが、最初から尾け 峠』を読み、八月は『カラマーゾフの兄弟』『ジャ ていないと、どこのウインズに行ったか分からない ン・クリストフ』『チボー家の人々』と続いてきて、 264
ーの数字の向こうに、半田はしばし合 ンに元のように吸い込まれ始めた。半田は脇から店 机けるフィー 田の顔を見ていたが、その顔に伴っていたのは、昨日 員が差し出してくるカゴに受け皿から溢れ出す玉をか まての種々の興奮とは質の違う、ただ熱の塊としか呼き込み、足元に積み上げながら、右手はハンドル、左 べない何ものかだった。熱いという感覚のほかにはこ手は受け皿て、目を台に釘付けにした。その態勢て好 れといった感清もなく、もう個別の名 ~ 則も消えた、た 機を逃すまじと右手のハンドルを回し続け、フィー たの一つの顔に感じられた。 ーが止まった潮時も見逃さなかった。さっと切り上げ て席を立ったとき、足元には出玉て満杯の五箱が積み いて半田は、糀谷駅に近い環八沿いの電話ボック ス一つの姿も見た。もちろん、現金授受の指示のため上がっていたが、元手を差し引いた残りの半分の一一箱 を、気前よく相方に分けてやった。 に利用した電話ボックスぞあり、最後の手紙て今日、 景品交換所て換金したのは、半田が一万五千円、相 相手が電話番号を指定してきたポックスだったが、半 「今日はあんた、つきまくってる 田の目の中に現れたそれは、今はたんに、ほかのどの方が一万円だった。 半田自 なあと相手はほとほと感既深げに言ったが、 ポックスてもない、特 ~ 疋のボックスだというだけ、ごっ 身もそう田 5 ったし、いつになく幸福な気分にもなって 半田はそのポックスを額の真ん中に置いてちらり ー、ノ 3 / ノ 二点、そうしていた間にも、自分の身体を と今夜の手順を考え、〈まあ、そんなところだろう〉 と独りごちたが、実は手順というほどの手順てもなか 包んている熱の塊が、今にも燃え出しそうだったと、 うことを除いて。 った。半田はそうして、どこからか湧き出してくる熱 ノ一」の - 「熱い、熱い」と半田は呟き、ひとりて笑っご。 の塊に燃やされるような感じの中て、ハンドルを回す 右手を動かし続け、そのうち、翻り続けていた数字が身体の中て、血を造る臓器の巨大な塊が、熱気球のよ フに膨らんて真っ赤に熱せられている。身体の外へ、 突然止まって 7 、 7 、 7 と並んだ瞬間には、「おお ! 」 と声が出た。 熱せられたガスが噴き出していると思い、半田はただ 電車の騒音にかき消されて、相方には ジャーンと台が鳴り響き、電飾が一斉にびかびか点 可笑しかった。 滅し始めて、玉という玉が、開きっ放しになったゾ笑い声しか聞こえなかったようだった。 426
か。半田を任意て呼ぶ、呼ばないという段階に来た 「静かに という大声き、どれほど追い詰められたか 靴音が廊下を走っていた。 が一つ響いてきたとき、土肥がおもむろに自席を離れ そして、ついに青酸入りビールの騒ぎになった今日、 て部屋を出ていった。 一分後に、土肥は顔を土気色に いよいよ進退窮まったのかも知れないが、ひょっとし 変えて戻ってくると、「本庁の三好警視が、お台場て たら、今夜半田修平が任意て呼ばれたか、あるいは今 日明日に呼ぶことが決まったのが引き金になった可能 焼身自殺したそうだ」と呻いこ。 合田はとっさに、の特捜本部てブッ捜査の責任性もあると思いついて、合田はともかく半田のアパ 者だった三好管理官のおとなしげな風貌を思い浮かべ、 トの様子を確認したいと田 5 ったのだった。 それが火に包まれている姿を思い浮かべ、次の瞬間、 糀谷駅から環八沿いの夜道を急ぎ、萩中のアパート 混乱した頭を一気に貫いた直感一つに飛び上がった。 へ続く路地へ入ると、普段は見かけない乗用車が一一台、 書きかけの書類を引出しに放り込んて、合田は部屋を ヴァンが一台、間隔をあけて道端に止まっているのを 見た。さらに半田のアパートに近づくと、向かいのア 飛び出し、裏口から署を出て駅へ走った。 トの出入り口付近に、普段の行確とは違う人影も 今、脳裏に浮かんてくるのは、の特捜本部にい た三好ぞはなく、五年前の夏、徘徊老人がゴルフクラ見た。半田の自宅のある棟を通り過ぎながら、五階の プて撲殺された事件の捜査本部が品川署に立ったとき、 立ロ屋に明かりがついていること。ごけ寉忍しご麦、その 会議室の黒板前の端に座っていた三好の顔だった。そ まま五十メートル進んぞ交差点まて出た の顔が鮮明になるにつれ、当時の三好が品川署の刑事 半田も女房もすてに自宅に戻っている、と合田は判 断した。普段の帰り道にあれだけ住人のものてはない 崩課長だったこと、そこぞ半田修平の直接の上司だった ことが明確につながった。かっての部下てある半田が車が並んていたら、現職の刑事なら不審を抱く。半田 ・人 が帰宅した麦に、今夜もしくは明月に備えて新たな行 事件の重要参考人に挙がった時点ぞ、警察内部ての三 好の立場がいカ ( 英し こ隹し、ものになったかは、今となっ 確班が出てきたのだとしたら、やはり任意同行が決ま ったと見るべきかも知れなかった。神崎がいよいよ決 ては想像がつく。どれほど陰湿な圧力かかかっていた 対 9
き出してみせた。物井と同じ、馬連て①⑦⑩のボック からず、表情なども見えなかった。車椅子の娘を横に ス買いごっご。 置いて、布川の方は頭を垂れていたが、新聞を見てい 「昨日、俺も悩んだんだ。⑦番を落とすか、入れるか るのてもなく、もうすぐ始まるレースを見るつもりも ってな。たしかに、①か⑦か⑩のどれかが来る、せ、き ないのか、人垣が散ってしまった石段を動く様子はな 、刀↓ノ っと」半田はひとりて喋ったついてに、肩を揺すって ヘッヘッと笑った。 刑事たちの目もあったし、物井はその場ては近づく 一一カ月ぶりぐらいに会う半田は、少し興奮している ことはせず、そのうち布川の方からスタンドへ来るか ようにも見えた。物井には、そのむ境や身辺がどうな も知れないと考えて、急いて馬券売場へ引き返した。 混雑した売場に並んて馬券を買った後、パドックの方っているのか、推し量ることは出来なかったが、かえ ってざわざわした胸騒ぎも覚え、落ちつかなくなった。 へ振り返ると、布川と娘の姿はまだ同じ場所にあった。 と、やっと一言聞いて 「そっちは大丈夫なのか : 馬券を手に一一階スタンドへ上がる階段を上る途中、後 みると、半田は「ああ」と応える。 ろから「おい ! 」と声をかけてきて、横に並んだのは 「布川がハドックにいた : 半田修平だった。物井は思わず「いいのか」と囁き、 「ああ、見た」 半田は「ああ」と短く応えて、ひょいと自分の馬券を 「ロ、きいた ? ・ 見せた。枠連の①ー⑧て、相変わらす平凡な賭け方だ った。物井も自分の馬券を見せた。半田はそれを覗く ファンファーレが鳴り出し、話はそこまてだった。 ゃいなや腕時計を覗き、「先に行ってくれ」と言い残 コースの向こう正面のスタート地点て、最後の一頭が 崩して、馬券売場へ駆け戻っていった。 一発走五分前のスタンドはすてにいつばいて、物井は発馬機に収まるのが見えた。物井も半田も、群衆に混 じって自然に首を伸ばし、スタートの一瞬を見た。 年立ち見の男たちに混じって通路に立った。ほどなく、 少し緑がくすみ始めた芝コースを、十四の色とりど 「失敬、失敬 , と言いつつ人込みをかき分けて戻って りの帽子が揺れながら入り乱れ、流れ出した。短いレ きた半田が横に割り込んてきて、買い直した馬券を突 38 /
立ちに駆られた。計算外の事件の展開に神経をすり減会が開かれ、合田は生まれて初めてヴァイオリンの音 を聴いたが、そのとき演奏されたのが二十五番のト長 らしているとはいえ、半田にはなお、掃除や洗濯をし てくれる女房がいて、気が向けば夫婦の営みもやって調のソナタだった。その演奏会の後、母親に「あれ、 ハへし と言うと、次の日には母親が心斎橋の楽器店 いるのかと思うと、普段はあまり気にしたことのない 自分自身の身辺の所在なさに、ちょっと意識が飛んだ に連れていってくれ、洟垂れ小僧は幼稚園児ぞも弾け る八分の一サイズのヴァイオリンを手にしており、そ のかも知れなかった。 合田は八潮の団地へ帰る道々、半田と自分を比べ続の次の日には、阿倍野のヴァイオリン教室に入れられ ていた けることて、半田の存在をなおも自分の身に引き寄せ 学校の宿題や勉強と、友だちとの遊びを差し引いた 続けたカ実にほかに考えることかないとい - フむ身の 残りの時間て、細々と続けていただけだったが、七歳 現状だった。半田と自分がともに持っているもの、と もに持っていないもの、半田が持っていて自分が持って四分の二サイズになり、十歳てフルサイズの楽器が 弾けると先生に言われたとき、母親はどこから工面し ていないもの、半田は持っていないが自分は持ってい てきたのか、和紙に包んだ三十万円を先生に差し出し るものを、合田はこれてもかと思い浮かべ、頭の中に て、意気暢々と「これて、一番いい楽器を買ってやっ 半田にはないが自分にはあるも 並べ続けた。とくに、 の、というのがなかなか見当たらず、自宅に戻って風て下さい」と頼んだ、そのときの母の顔を合田は今も はっきり覚えていた。当時、所轄の警らの平巡査だっ 呂に浸かりなカらもまだ、考えていた 父親にはもちろん内緒だっこ。 そうして最後は、そうだな、俺は楽器が弾けるなと、 、こ、目 5 象よっ 半田さん、あんたも同年代なら、ご 崩合田はどうてもいい答え一つに堕して、ヴァイオリン くだろう ? テレビをつけたら、「こんにちは、こん 一を持って公園に出たのだった。その夜は、気分のおも 秋 にちは、世界の国から」という万博音頭が流れ出して 年むくまま、軽やかなモーツアルトのト長調のソナタか きた、あの時代だ。庶民の子供は、野球の本革のグロ ら弾き始めた。 ープ一つだって、そう簡単には買ってもらえなかった。 もう一一一十年以上前、教会の集会所て小さな慈善演奏
翌七日、いつもの封書は、いつものように警務から宅捜索ぞは放火につかったマッチやライターなどが発 半田の机に回ってきた。当初、合田からの定期便は毎見されていなかったし、この後の予定がどうなるか、 日欠かさず蒲田署に宛てられていたが、この半月は、 その時点てはまったく分からなかった。現場て足痕跡 萩中の自宅に届くこともあり、一定はしていなかった。ても採れればよし。採れなかったら、半田たち現場は、 現に、昨日の四十通目は自宅に届いたが、四十一通目 さらに地どりに走ることになる。捜査本部は立ってい は署に届いたのだ。 なかったが、もし立つようなら、上がりは早くて午後 半田は、遅い昼飯時にそれを開封した。『十一月七 八時。解散は八時半。 日午後九時、電話乞ウ。三七五一ー九二一 x 迄。コノ ざる蕎麦一枚をかきこむ間 ( 半田は機械的にそう 番号ヲ忘レテハイマイ』とあった。半田はそのとき、 した事務的な計算を巡らせたが、実際には、枝葉を これが最後だなと思いながら、昨日まてとはうって変次々に落とす形ぞ簡潔しごくの結論を出しただけだっ わった冷静さて短い文面に目を走らせ、すぐに畳み直 た。午後八時半なら間に合う。もしその時刻を過ぎる して封筒に戻した。半田自身、とくに意識したわけてようなら、職務の途中放棄だ、と。その際、事態の流 はなかったが、指定されている日時が今夜だったこと 動性の想定は一切省略したが、そのことにとくに違和 ぞ、もはや隠微な楽に浸るより具体的な時間調整の 感もなかった一方、初めからする必要のなかった時間 ( 靠訊Ⅸへ、は自然に多一丁したとい - フところ。ごっこ。 調整にいっとき頭を巡らせた己の矛盾に、田 5 い至るこ 実際、その日は早朝から、多摩川縁の西六郷て放火ともなかった。ポケットの中て鳴り出した受令機のイ と見られる不審火が三件続き、うち一件ては逃げ遅れャホンを耳に入れ、《ホシは現在のところ記應不明瞭 崩た幼児の死者が出ていた。エナ 見昜て近所の無職の男が目 にして、供述が取れる見込みは薄い。よって各班は、 一撃されていたのて、署に任意て引いたのよ、 ーしいが、呂直ちに持場の聞き込みを再開すること》という強行系 秋 - 年律も回らないシンナー中毒の十八歳て供述どころては長の声を聞くと、半田は蕎麦湯を一口啜ってそそくさ なく、昼過ぎに応急処置のために一旦病院へ運んだと と店を出た。 ころだった。その間に急いて昼飯を食ったのだが、家 そして、十分後の午後一一時過ぎには、半田は相方と 423