何かを踏んていたことを強く窺わせるものてす。一人 『暗かったのて分からないが、轢いたかも知れない』 と供述していた。菅野キャップが言った通り、ずばり、の新聞記者が、まったく別の件て数年のうちに二度も 命を狙われるとは考えにく いのぞ、九一年の轢き逃げ その後公安が握りつぶした捜査資料そのものだった。 もう一つも、縦の罫線の入った調書の用紙だっこが、 は、今日の失踪とつながっていると見るべきてす。そ うなると、彼は九一年の時点て何を踏んていたのか、 これは途中の一枚を抜いたと田 5 われる断片だった。 『八八年八月三日の午後一一時に、私は赤坂プリンスのてしよう」 「おっしやる通り、それを解明しないことには、今回 旧館て東邦新聞社会部の根来とう い記者に会いまし の失踪と九一年の轢き逃げ事件を、関連付けて書くこ こ』というくたりかすぐに目に飛び込んてきた。 とは出来ません。関連を書けるか否かは、私どもが今 当時根来は、小野証券が推奨銘柄という形て特定の 後記事にする際の大きなポイントてす」 銘柄の株価をつり上げ、一部の大口顧客に儲けさせた 「私も同じ考えぞす。そこて、この八八年八月三日の 疑惑を掴み、調べ始めていた。そこて、大口顧客の < 午後一一時という日時てす。この時期はちょうど、旧中 氏と小野証券幹部の依頼という形て、この『私』は八 日相銀の中て創業者一族とそうてない経営陣の対立が 八年八月のその日に、根来に手を退くように迫った、 表面化したころてした。この年の十月に、月刊誌が初 そのことを証一一一口しているくだりご、と検事は説明した。 めて、相銀の内紛をすつば抜いています。ところて、 総会屋の『私』は九〇年一一月に、 < 氏に対する別件の この八月三日という日てすが、その日の午後一時から 恐喝容疑て逮捕され、これはそのときの供述調書の一 に・」し」い - フ、」し」、つ , 、 0 一時間、同じ赤坂プリンスの旧館て、旧中日相銀の校 倉という元常務と、竹村喜八という人物と、酒田泰一 「て、これの意味は」 の秘書の青野昭二の三者が会っていたことが分かって 「そちらの内部調査ては、九一年に根来さんが轢き逃 います。竹村は、相銀の創業者一族が後に、田丸善三 げに遭われた時点て、彼が特定の事件について、何か し J い , フ . の仲介て持株を譲渡した相手てす。この顔触れは、後 特別な清報に接していた形跡は見つからない、 の相銀処理の類末を十分に想像させるものてすが、こ ことてしたね ? しかし轢き逃げという事実は、彼が 4 叫
のとき三者の間て何が話し合われたのかは、残念なが 「実は、一一年ぐらい前、私は根来さんから聞いたのて ら分かっていません。それはともかく、これは私の個すよ」と告白して、検事はわずかに微笑んだ。「ほん 人的な勘てすが、あの旧館には正面の出入口一つしか の世間話のついててしたが、九一年に轢き逃げに遭っ そこを通って二組の客が出入りしたのてあれば、 た理由は、自分もよく分からないのだと根来さんは言 根来さんはひょっとしたら、相銀グループの面々とすわれた。しかし、ひょっとしたら、八八年の八月に知 れ違ったかも知れないなと : らないうちに政治家の尻尾を踏んじゃったのかな、と 久保は、八八年夏の光景が目に浮かぶような気がし 少しアルコールが入っての話てしたが。そのと 。調査班の調べぞは、根来が部内て相銀が怪しいと き、私は誰のことかと尋ねましたが、彼は応えなか 言い出したのは、九〇年の春ごろだったことが分かっ ている。八八年夏は、検事の話の通り、小 野証券を探 「それて、この資料を探し出されたのてすか : らせてくれと部長にかけあっていたことも分かってい 「そうてす。証拠にはなりませんか、とっかかりには る。中日相銀の内紛が本格化する以前の八八年夏の段 なるてしょ - フ。田 5 - フに、もし根来さんが八月のその日 階て、当時の根来が相銀に関心を持っていたとは思え に青野の姿を見たのだとしたら、彼ならきっと、酒田 ず、その関係者の顔をその場て見分けることが出来た の周辺て何かあると勘繰って、後日、ネタ元なり何な とも思えないが、少なくとも青野の顔は見分けられた りに探りを入れたと思うのてす。その辺をそちらて当 はずだった。根来は八五年に、酒田の政治資金の受皿 たってごらんになったら、何か出てくるのてはありま となっている政治団体が、政治資金規正法の届け出義せんか」 崩務違反て摘発された事件を取材しており、金庫番の青 限りなく大きな一歩てあるのは、間違いなかった。 一野昭一一本人の談話を取っているからだ。 広範囲なアンテナと鋭い眼カてどこへても切り込んて 秋 たしかに、検事が一言うように、根来が八月のその日 く根来だったとはいえ、取材の仕方を重々知ってい 年 に青野をまじえた三人の男を見かけたとしう一三 たべテランの社会部記者一名が、いたいなぜ命を狙 いか、可能性はゼロてはなかった。 われたのか、その根本的な疑問に応えを出すのは、今 4 丐
この作品は『サンデー毎日』連載 ( 一九九五年六月十八日号 一九九七年十月五日号 ) を大幅に改稿したものてす。
第四章一九九五年夏ーー恐喝 第五章一九九五年秋ーー崩壊 レディ・ジョーカー下巻 / 目次 22 /
ーも見ました。城山さんは中身はご存じてすか」 「内部告発の主は倉田てはないかと、私も思っていま 「相当な確信犯てすよ。《岡田》から絵画を購入した 「彼てす。彼だという証拠もある。城山さん、ほんと うにここだけの話として聞いていただきたいが、文書 件は時効まて一年あるし、念書一枚ても揃えば、商法 違反て摘発も可能てしよう。それはともかく城山さん、をワープロて打ったのは、御妹さんだと思います」 「杉原晴子、てすか : : : 」 ここだけの話てすが、ライムライトが倉田君を引き抜 、さに、がかっ′しいつな・ 「いや、お気持ちはお察しします。ばくはそうと知っ 枝豆をかじりながら、白井は淡々と用件を明かして たとき、杉原君の経緯もあるし、それほど意外な感じ は受けませんてしたが。ひょっとして貴方、倉田君と しった。城山の方は、仰天した拍子に鯉のひと切れが 喉に詰まって咳き込むはめになった。 御妺さんがかなり親しいことを、ご存じなかったのて 「興信所が彼の自宅の電話を、すっと盜聴してましてすかな : いや、もう一一十年以上になるてしよう。 ね。ライムライトはかなり積極的てす。アジア市場を有名な話てす。しかし城山さん、大人の男女の話に、 今のうちに出来るだけ拡大しておきたい戦略てしよう お互い野暮は言いますまいよ」 が、今のアジア支社を独立させて、そこのトップに倉 もはや仰天を通り越して、城山はただ粛々と聞いて 田君を迎えたいというふうな、そんな話のようぞすな。 いた。しかし、倉田と晴子が一一十年以上の関係だと聞 当然、十年後にはライムライト・ジャパンも、 - フちと に及んて、長年の疑問がひとつ、鮮やかに解けてし まったのは事実だった。晴子が杉原武郎と結婚したの の合弁を解消して、そこに吸収されることになる」 は、そのときすてに倉田に妻子がいたからた、たたそ 崩「倉田本人の意思表明は : : : 」 一「電話ては彼はしきりに《事件の後始末が残っているれだけのことだったのだ、と。倉田が長年、凡庸な杉 年のて》という言い方て、返事を保留している。その原を懸命に引き立ててきたのは、晴子との不倫の後ろ めたさに因るところが大きかったのだ、と。 《後始末》は多分、内部告発文書のことだとばくは思 白井は無地の茶色のガラス瓶のコルク栓を抜いて、 ってますが」 309
うと言ったところぞ、本人にとっての事実てある限り、 ただ明らかだった。「もう、事件の話はしないておこ 消失することはない。 それは、息子を亡くした秦野の うね」と城山は言い、佳子も異論は唱えなかった。 いて、佳子の口から出たのは、「主人 ( こ、とりあ悲しみを省みなかった城山も、同じだった。しかしま えず別居したいとお願いしています。哲史は向こうの 二方ては、こうして大きな痛恨をかかえ、あれこれ ご両親が引き取って下さると思います」という一言だ 悩みぬくとはいっても、所詮小さな人間の小さな心の 中のことてあり、ナオ ' 1 ごみ、、れ、ごけ 3 、し J い - フ一し」も山山来 " な った。田 5 いも寄らなかった話に、城山はすぐには応え る言葉がなく、佳子もただその一言を言うために来た のだというふうに、再び口をつぐんた 別居というのは、さまざまな思いを経てきた末の、 庭に面した居間の肘掛け椅子て、佳子は絵の中に収佳子なりの事件についての結論として聞けば、城山か まったように動かす、咲きほこったポピーを眺めてし ら言えることは何もなかった。子供と別れる母親の心 た。その外貌は実に見る影もなく、黒ずんて萎びた頬情は、男には想像するしかなかったが、哲史はまだ何 は醜く険しいのみだった。先日、母親の晴子が妙に平 も理解出来ない歳だから、母親と当分別れることにな 生を装おうとしていた訳が、今は腑に落ちる。この五 っても、将来に残る影響は少ないと、城山なりに判断 年の間に、佳子は五十年分の歳を取ったのだと、城山した。 は自分に言い聞かせてみたが、自分自身に流れた時間 それにしても城山は今、この二十数年のうちてもっ よりも佳子のそれがはるかに残酷だったという現実を とも注意深く、ただひたすら目の前の一人の女性を眺 納得するすべなど、あるはすもなかった。 めている自分に気づき、驚きを新たにし続けていた。 喝 この佳子は、そして自分は、この先どんな心の居場 この娘が幼かったころから、ずいぶん楽しませてもら オカそのころ自分が 明るい気分にさせてもらっ ' 驀、 一所を見つけられるだろうかと、城山はつくづく思案に どれほど真剣にこの顔を見ていたカたいいち自分は、 年暮れた。佳子にとって、思慮を欠いた自分の言葉一つ が、秦野孝之、その父秦野浩之、そして自らの父を死五十八年の人生ぞ人の顔をこんなふうにじっと見つめ に至らしめたという田 5 いは、他人がどんなにそれは違 たことが一度てもあったか。一度もなかったというの
こんな形にはなっていなかったという明白な事実と、 保身のためてはなく、辞任を考えてみることすらしな 取返しのつかない被害を前に、城山は何よりも、自分かったからだが、それはひとえに死者一一人を庫むむに の全身の骨が砕けて、身体一つを支えきれないような欠けていたためてあり、端的に人間の間題てあり、 脱力感の底に叩き落とされた。その脱力感には、なすそれ以上ても以下てもなかった。 すべもない焦燥や戸惑いや無念のほかに、今ごろにな そうして城山は、この期に及んて、もっと重大な、 ってはっきり分かる自分自身の何重もの無責任と、そ企業トップとしての責任の方は慎重に回避したのだっ れに対する慙隗の念が含まれていた。 た。犯人たちから解放された直後、今後起こりうるあ 思えば九〇年秋、あの秦野という学生と杉原佳子のりとあらゆる災厄を十分に予想していたにもかかわら 間に何があったかを知り、さらに学生とその父親の人す、〈会社のために死ぬのか〉という的外れな思考に 生が結果的に破滅したことを知った時点て、良心のあ堕し、その代償のように〈姪の親子を守らなければ〉 る人間ならば、杉原武郎ともどもこの席に留まっては という結論をひねり出した結果、ほんとうに取るべき いなかっただろう。あのとき、自分がいったいどこま道を踏み外した事実については、思いを馳せるのがい てこの心を痛めたか。今日まて、どれほど深く死者一一よいよ難しくなったというのが正直なところだった。 人を庫んてきたか。また、一度に息子と夫を亡くした しかし、そうして自分の内奧を厳しく分別し、見定 女性の悲痛を、どれほど思いやったか。現実には、 めたことにより、城山はようやく自分に課せられた山 日々の多ににかまけて、つい忘れかけていたほどぞ、 ほどの責務に立ち戻る理性を得て、先ほど要点を走り こたぐり寄せたのたった。 自分が誘拐されてやっと思い出したような有り様だ 書きした自分のメモを手元 ( 喝 メモには、〈株価・株主対策〉〈特約店・酒販店対策〉 城山は今、少なくとも九〇年秋の時点における自分〈消費者対策〉〈マスコミ対策〉〈社内対策〉〈関連会社 策〉と、並んていた。 城山は、その一つ一つについ 年の無責任については、たしかに納得した。五十八年の対一 人生て、これほど確実に、深く、何かを納得したのは て内訳を書き足す作業を始めた。 初めてのことだった。九〇年に辞任をしなかったのは、 〈株価・株主対策〉 ①市況判断。盟対応方法の選
たところかレディ・ジョーカー・ごったとい - フのは、 今となっては自分てあって自分てなかったような、夢 のような気分だつご。 しかし、その夢ももう、たしかに終わりかけていた。 十月七日土曜日の昼過ぎ、物井は四カ月ぶりに東京 この腹の中にいる悪鬼とともに戸来の村へ帰ると決め た今の自分は、この四十年の競馬場通いの日々にいた、 一年前、仲間たちに 競馬場の二階スタンドに座った。 どの自分とも違う自分だった。さして希望もないか、 レディを加えた六人が、いつも固まって座っていた場 絶望もしておらす、今は実に、出口があろうがなかろ 戸たた。今日あたり、半田が何とかして接触してく うが、時間が勝手にどこかへ運んぞいってくれると思 るのてはないかという予感もあったが、 冷たいプラス フ。ごごし、使い途がなくても金を諦める気はなく、 チック製のべンチに座って、曇天の下に広がるコース それぐらいの気概は達観のう を眺めると、むしろレディ・ジョーカーの懸案はすみ刑務所へ行く気もない。 ここに座って競馬を見ちだろうとうそぶいて、物井はスタンドの喧騒や人い やかに流れ去った。弋わりに、 きれとともに、秋の空気を胸に吸い込んだ。 るのもあと数回だと思うと、この四十年近い年月がほ 物井は、その日はもともとメインレース一本に絞っ んの一日の長さだったように感じられ、人生は短いも ていたが、それまて二時間も三時間も一つところに座 んだなという月並みな感慨に包まれた。 り続けていると腰に来る。そろそろ次のレースぐらい 思えば、この場所ての四十年、喜々としていた日の から、その気になったら馬券を買ってみるかと思い 己億は一つもないが、とくに 絶望していた日もない あらためて新聞を開き直した。 9 レースは例の、三歳 崩何となく出口のない息苦しさは感じていたのだろうが 馬十四頭の昇級戦。睹けるかどうかは別にして、将来 一わずかな小遣いを手に家を逃げ出して競馬場に来たら、 秋 - とりあえず目先のレースのことしか考えなかった。た 有望そうな若駒の馬体を見るのは悪くはなかった。ま 年 すは昨夜の続きて、馬柱に記されている父母の血統や、 だそれだけの繰り返して、大して踏み外すこともなく やって来たにしては、昨年秋にひょいと一歩踏み出し前走と前々走の脚質を再確認し、追いきりのタイムに がら、いざ帰宅して妻の顔を見ると、さすがに気が重 、刀学 /
「ところて、杉原の様子はどんなふうてしたか : : : 」 ープそのものが、レディ・ジョーカー事件の発端だっ 、、し J い , フ一 ) し J 、刀 「いつも通り、穏やかな表情て丁重な受け答えてし いずれにしろ、城山も倉田も、杉原が自殺した理由 倉田は足元のコンクリートに向かってため息を吐 は重々承知しつつ今ここに座っているのだと思い至る き、「どうもーという一言を残して遺族の元へ戻って と、合田はあらためて冷え冷えとした空気を吸い込み、 なるほどこれが組織の中の個人の死なのだと納得し、 合田がそこまて見た限りては、杉原の自殺は日之出 ロビーの方へ振り返った。 にとって、青天の霹靂てもなく、かといって予想出来 たとも言えないといった徴妙な印象だった。自社の役 員の自殺という事態に直面した場合、通常ならもっと 「主は皆さんとともこ 噴出しているだろう狼狽が、この場に欠けているのは 「また司祭とともこ 端的に、日之出の幹部にはこの事態にい くらか思い当「マタイによる福音」と司祭の声が響いた たるふしがあったとい - フことごっご。 杉原の訃報から四十時間。さまざまな人間がさまざ たしかに、三十五人もいる取締役のうち、死を選んまな顔を見せ、それぞれに何事かその場に必要な言葉 だのが事件の渦中にいる城山や、売上減の責任を負う を発していったが、その一つ一つを城山はほとんど思 べきビール事業本部長の倉田てなく、平取の杉原だっ い出せなかった。社葬はもちろん、身内の葬儀も断固 たことは、その死がほかの誰てもない、杉原個人が負受け付けずに密葬を言い張った青子の言い分を、どう っていた何かによるものだということを物語っていた いう経過て自分が了承したのかも定かてなかった。思 ならば、九〇年テープか。たった今、倉田の口からも えば、青子は当初から茫然自失というよりは、よもや 年出た九〇年テープに関して、杉原はなお渦中の人だっ そんなことは城山には想像出来なかったのだが、何事 たということか。すなわち、個人あるいは会社が、今 か瞬時に田 5 い定めてしまったような静けさて、少なく なお外部から恐喝を受けているか、もしくは九〇年テ とも城山の前て泣き崩れるということもなかった。
由を、私は聞きたい」 は、ほかの取締役と比べても、むしろ己の感情をよく 「長年、《岡田》との交渉を一任されていた者として、 抑え、個人の意思表明を避けて結果だけ出すことから 田丸善三と一対一の交渉をした末に、潰されたのは私《魚雷》と呼ばれてきた男だった。仮に、積もり積も の顔てす。田丸は、一〇億と引き換えに交わした念書 った感情がここへ来て爆発したのだとしても、その感 を一方的に反故にして、社長てある貴方をゆすってい 情の核心は、倉田自身が今しがた語った言葉の中には 」も - に生 ~ 、さ と感じた。この三十年、 る。それも、レディ・ジョーカー事件に乗じて、てす。含まれていない、 レディ・ジョーカーの背後には、《岡田》か誠和会が てきた城山の直感だった。話し方、語彙の選び方、声 いる。彼らが毎日ビールを脅し始めたのも、株価や市の調子等々から、城山には明らかだった。 場の影響を考えれば、結果的に、日之出への圧力をか この自分に、倉田は真意を打ち明ける気はないのか けるためだったとも考えられる。そんなことはロが裂二十年以上晴子との不倫を隠してきたほどの男だから、 どんな けても外には言えないか、この私はいったい、 それも当然か。城山は当惑と失望を同時に味わいなが 思いて今日の状況を受け止めたらいいのてすか。要は、 ら、この取りつく島のない男の外壁を、どう崩すこと 九三年の《岡田》との決着自体が無意味だったという が出来るか、迷いに迷った。 ことなのてす。その無意味な念書に、 一〇億を支払っ 「個人の意思を通して、貴方は次にどうするつもりな たのは私てす。一対一て相対してきたからこそ、これのてすか」 は私個人の感情の問題てす。あえて筋とは言いません。 「手のうちを明かすわけにはいきませんが、私も会社 感情てす」 に対する責任がありますから、二つだけお話ししてお 崩 いや、違う。この男はたしかに感清の話をしている きます。一つは、《岡田》の刑事告発を可能にする環 が、それてもなお、慎重に本意を迂回して、もっとも 境が、偶然、うちとは関係のないところて整いつつあ 秋 るということてす。この好機を逃したら、《岡田》摘 年らしい理屈を並べているのだ、と城山は感じた。たし かに、長年《岡田》との交渉を一任されてきた者とし発の機会は二度と来ません。その機を慎重に見計らい ての不本意は感情の問題に帰するだろうが、この倉田 ながら、私は自分のやるべきことをやるつもりてす。