仏の姿と仏の徳 ほとけ ところが、仏は迷いの世界という火の宅を離れ、静寂な 林にあって、 「いまこの世界はわがものであり、その中の生けるもの たちはみなわが子である。限りない悩みを救うのはわれひ とりである。」と言う。 仏は実に、大いなる ' 法の王であるから、思いのままに教 えを説く。仏はただ、人びとを安らかにし、恵みをもたら すためにこの世に現われた。人びとを苦しみから救い出す ために、仏は法を説いた。ところが、人びとは欲に引かれ て聞く耳を持たす気にもしていない。 しかし、この教えを聞いて喜ぶ人は、もはや決して迷い の世界に退くことのない境地におかれるであろう。「わが 教えは、ただ信によってのみ入ることができる。すなわち、 仏のことばを信することによって教えにかなうので、自分 の知恵によるのではない。」と仏は言った。したがって仏 の教えに耳を傾け、それを実践すべきである。 いえ 71
人のっとめ ほとけきえ また仏に帰依するときには、人びととともに大道を体得 して、道を求める心を起こそうと願い、 教えに帰依しては、人びととともに深く教えの蔵に入っ ちえ て、海のように大きい智慧を得ようと願い、 教団に帰依しては、人びととともに大衆を導いて、すべ ての障害を除こうと願うがよい。 ぜんごんざんぎ また、着物を着るなら、善根と慚愧を衣服とすることを 忘れす、 いか 大小便をするときは、心の貪りと瞋りと愚かさの汚れを 除こうと願い、 むさぼ 高みに昇る道を見ては、無上の道へ昇って迷いの世界を 超えようと思い、低きに下る道を見ては、優しくへり下っ て奥深い教えへ入ろうと願うがよい。 411 また、橋を見ては、教えの橋を作って人を渡そうと願い、
人のっとめ に与えて、幸せにしてあげます。⑦施しや、優しいこと ばや、他人に利益を与える行いや、他人の身になって考え てあげることをしても、それを自分のためにせず、汚れな く、あくことなく、さまたげのない心で、すべての人びと をおさめとります。⑧もし孤独のものや、牢獄につなが れている者、または病に悩む者など、さまざまな苦しみに ある人びとを見たならば、すぐに彼らを安らかにしてあげ るために、道理を説き聞かせ、その苦しみを救ってあげま す。⑨もし生きものを捕らえ、または飼い、あるいはさ まざまな戒を犯す人を見たならば、わたしのカの続く限り、 さと 懲らすべきは懲らし、諭すべきものは諭して、それらの悪 い行いをやめさせます。 ( 10 ) 正しい教えを得ることを忘れ ません。正しい教えを忘れる者は、すべてにゆきわたるまこ との教えから離れて、さとりの岸にゆくことができません。 わたしはまた、この不幸な人びとを哀れみ救うために、 さらに三つの願いを立てます。 ( 1 ) わたしはこのまことの 願いをもって、あらゆる人びとを安らかにしてあげます。 ぜんごん そして、その善根によって、どんな生を受けても、そこに ちえ 正しい教えの智慧を得るでありましよう。 ( 2 ) 正しい教えの智慧を得たうえは、あくことなく、 443 あわ
実践の道 しかし、これからは、おまえはわたしの思うとおりに動 ほとけ かなければならない。我らはともに仏の教えに従おう。 心よ、山も川も海も、すべてはみなうつり変わり、災いに満 ちている。この世のどこに楽しみを求めることができようか。 教えに従って、速やかにさとりの岸に渡ろうではないか。」 5. このように心と戦って、真に道を求める人は、常に 強い覚悟をもって進むから、あざけりそしる人に出会って もそれによって心を動かすことはない。こぶしをもって打 ち、石を投げつけ、剣をもって斬りかかる人があっても、 いか そのために瞋りの心を起こすことはない。 りようばのこぎり 両刃の鋸によって頭と胴とが切り放たれるとしても、 心乱れてはならない。それによって心が暗くなるならば、 仏の教えを守らない者である。 あざけりも来れ、そしりも来れ、こぶしも来れ、杖や剣 の乱打も来れ、わが心はそのために乱れることはない。そ れによって、かえって仏の教えが心に満たされるであろう つえ 309 さとりのためには、成しとげ難いことでも成しとげ、 と、かたく覚悟しているのである。
実践の道 うず 道を歩いて足に棘を立て、疼きの中から、疼きを覚える のは、もともと定まった心があるのではなく、縁に触れて いろいろの心となるのであって、一つの心も、乱せば醜い ぼんのう 煩悩となり、おさめれば美しいさとりとなることを知って、 さとりに入った人もある。 欲の盛んな人が、自分の欲の心を考え、欲の薪がいっし ちえ か智慧の火となるものであることを知って、ついにはさと りに入った例もある。 とげ みにく たきぎ 「心を平らにせよ。心が平らになれば、世界の大地もみ なことごとく平らになる。」という教えを聞いて、この世 の差別は心の見方によるものであると考えて、さとりに入 った人もある。まことにさとりの縁には限りがない。 349 1. 、仏と教えと * 教団に帰依する者を、仏教の信者とい ほとけ きえ 第 3 節信仰の道
仏国土の建設 の留守の間に、悪者と謀ってシャマヴァティーの奥殿に火 を放った。妃はあわて騒ぐ侍女たちを教え励まして、驚き しようよう せそん も恐れもせすに、世尊の教えに生きながら従容として道に じゅん 殉じた。ウッタラーもまた、火の中で死んだ。 はか じじよ きさき ざいけ しんによ シャマヴァティーは、在家の信女のうち慈心第一 ウッ たもん タラーは多聞第一とたたえられた。 2. 釈迦族の王、マハーナーマは世尊のいとこであるが、 きえ 世尊の教えを信ずる心が至ってあっく、誠を尽くして帰依 する信者であった。 コーサラ国の凶悪な王、ヴァイルーダカ王が釈蓮族を攻 め滅ばしたとき、マハーナーマは出ていって王に会い、城 民を救いたいと願ったが、凶悪な王が容易に許さないのを 知って、せめて自分が池の中に沈んでいる間だけ、門を開 いて自由に城民を逃げさせてほしいと頼んだ。 王は、人間の水中に沈んでいる間だけのことなら、わす かな時間であるからと考えて、これを許した。 475
仏の姿と仏の徳 病のあるときには医師となって薬を施して教えを説き、戦 いが起これば正しい教えを説いて災いを離れさせ、固定的な むじよう 考えにとらわれている者には ' 無常の道理を説き、自我と誇り むが にこだわっている者には ' 無我を説き、世俗的悦楽の網にとら われているものには世のいたましい有様を明らかにする。 ほとけ 仏のはたらきは、このようにこの世の事物の上に現われ ほっしん るが、それはすべてみな法身の源から流れ出るもので、限 りない命、限りない光の救いも、その源は法身の仏にある。 いえ 5. この世は火の宅のように安らかでない。人びとは愚 やみ かさの闇につつまれて、怒り、ねたみ、そねみ、あらゆる ぼんのう " 煩悩に狂わされている。赤子に母が必要であるように、人 じひ びとはみなこの仏の * 慈悲に頼らなければならない。 仏は実に聖者の中の尊い聖者であり、この世の父である。 だから、あらゆる人びとはみな仏の子である。彼らはひた ち すらこの世の楽しみにのみかかわり、その災いを見通す智 慧を持たない。この世は苦しみに満ちた恐るべきところ、 老いと病と死の炎は燃えてやまない。 69
人のっとめ このように夫婦として一生を過ごしたよ うに、後の世にも、夫婦として相まみえることができるよ いただ この世において、 あなど きさき 441 ために財物をたくわえず、受けたものはみな貧しい人びと の上にも、もの惜しみする心を起こしません。 ( 6 ) 自分の 持ち物に、ねたみ心を起こしません。 ( 5 ) 心の上にも、物 あらゆる人びとに怒りを起こしません。 ( 4 ) 人の姿や形、 けた戒を犯しません。 ( 2 ) 目上の方々を侮りません。 ( 3 ) 「世尊よ、わたしは、今からさとりに至るまで、 ( 1 ) 受 て、次の十の誓いを立てた。 る者であって、深く世尊の教えに帰依し、世尊の前におい きえ 国王の記、マツリカー ( 勝鬘 ) 夫人は、このさとりを求め しようまんぶにん プラセーナジット ( 波斯匿 ) 王の王女、アョーディャー はしのく を求める心を起こせば、「さとりを求める者」といわれる。 9. さとりの道においては、男と女の区別はない。女も道 く一つの心で生きることができるであろう。」 に施しをし、 * 智慧を同じくすれば、後の世にもまた、同じ ちえ ーっの教えを受けて、同じように心を養い、同じよう 世尊は答えられた。「二人ともに信仰を同じくするがよ せそん うに教えて戴きたい。」
仏国土の建設 だから正しい教えは、実にこの地上に、美しいまことの 団体を作り出す根本のカであって、それは先に言ったよう おうとつ に、互いに見いだす光であるとともに、人びとの心の凹凸 を平らにして、和合させる力でもある。 このまことの団体は、このように教えを根本の力とする から、 * 教団といい得る。 そしてすべての人は、みなその心をこの教えによって養 わなければならないから、教団は道理としては、地上のあ らゆる人間を含むが、事実としては、同信の人たちの団体 である。 3. この事実としての団体は、教えを説いて在家に施す ものと、これに対して衣食を施すものと、両者相まって、 教団を維持し拡張し、教えの久しく伝わるように努めなけ ればならない。 それで、教団の人は和合を旨とし、その教団の使命を果 そうりよ たすように心がけなければならない。僧侶は在家を教え、 在家は教えを受け教えを信じるのであり、したがって両者 に和合があり得るのである。 ざいけ 453
実践の道 りが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。 堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられても ほめられても心を動かさない。 おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれ た勝利である。 正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教 えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。 どんな人でも、もしまことに自分を愛するならば、よく さか 自分を悪から守れ。若いとき、壮んなとき、また老いた後 も一度は目覚めよ。 いか 世は常に燃えている。貪りと瞋りと愚かさの火に燃えてい る。この火の宅から、一刻も早く逃げ出さなければならない。 この世はまことにあわのような、くもの糸のような、汚 れをもった瓶のようなものである。だから、人はそれぞれ の尊い心を守らなければならない。 371 むさぼ いえ かめ