問い - みる会図書館


検索対象: 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS
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1. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

い ( してはならない ) というような単純な意味ではないことにも留意しておくこ とが必要です。 子どもが , 教師とは独立した人格として , 尊厳あるいのちを生きる人間であ り , さまざまな人とのかかわり合いのなかで , かけがえのない自己を形成して いく存在だとすれば , そのような子どもの自発性や自主性にどのように働きか ければよいのか。自分にとって他者である子どもの自己活動をどのように呼び 起こせばよいのか。教師や大人にとって必然的に生じるこの問いこそが , 教育 方法における「合自然」の原則の現代的な問いなのです。 生活 ( ライフ ) と教育の結合 「合文化」の原則から , 教えたいことを ( 子どもに ) わかりやすく教えたい , と願ったのがコメニウスでした。「合自然」の原則に立って , 教えたいことは 子どもの人間としての自然 ( 本性 ) と育ちにふさわしい形で教えなければなら ない , と主張したのがルソーでした。前者は , 教科内容研究を重視した教え方 ( 教科中心力リキュラムの開発 ) として , 後者は , 子どもの育ちや発達にふさわし い教え方 ( 子ども中心力リキュラムの開発 ) として探究され続けています。この 2 つの原則を , より高い次元で止揚することをめざしたのが , 近代教授学では , ベスタロッチ ( 第 3 章 ) , フレーベル , ヘルバルトらであり , 現代教授学では , デューイ ( 第 11 章 ) , ヴィゴッキーら ( 第 3 章 ) でした。 もとより , 教え方における「合文化」の原則と「合自然」の原則は , 互いに 相容れないものではありません。 2 つの原則は , 実際には , かけがえのない子 どものライフ ( 生命・生活・人生 : 生きるという営みの総体 ) の質的発展をめざし て止揚・統合されるべき 2 つの機軸として機能しています。 たとえば , ベスタロッチが , 晩年の著作のなかで「生活が陶冶する」 ("Das Leben bildet") といったように , 子どもはその生活のなかで , 生活まるごとを とおして育ちゅく存在です。そうだとすれば , 子どもに何かを教えるという営 みも , 子どもの生活の現実 ( その時代の政治・経済・社会状況や生活共同体の現実 ) や , その生活の実感にふれるものでなければ , 決して豊かには成立しないとい うことになります。 デューイが子どもの生活経験に根ざしたカリキュラムの構築を追求し , クル 2 「教え方」を探究した人びと・ 55

2. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

アヴェロンの野生児 ければ , 環境のみに運命づけられているので もありません。両者の影響を受けながらも , 人間の子どもはつねに新しい自己を創造し続 けています。 このポルトマンの生理的早産説は , 科学的 に厳密な根拠にもとづいているかどうかとい う点では未だ議論ある学説ですが , 赤ちゃん が自分の足で歩いたり ( 2 足歩行 ) , 自律的な 捕食のためにスプーンを使ったりする能力が , 生後 1 年くらいたたないと獲得できないのは どうしてなのか , という問いへの解釈として興味深いものです。 人間の子どもは , 他の高等な哺乳動物と比較してとても「弱い」状態で生ま れてきます。そのことによって , いのちのケアと育み , さらには文化の継承・ 発展へといざなう発達援助のシステムが形成され , 人間は , 遺伝的 , 環境的な 諸要因によってさまざまに条件づけられながらも , 無限の可能性へとひらかれ た存在になりました。 18 世紀末に南フランスでみつかったアヴェロンの野生児 ( 後にヴィクトール と名付けられる ) は , 何らかの原因で人間社会から隔離された環境で育った 12 歳前後の少年でした。この少年は , 医師ジャン・イタールらによって , 献身的 な治療と教育を受けました。この少年の感覚機能に回復のきざしはみえました 言語の習得や社会性の発達は困難を極めました。 もちろん , この少年の場合 , きわめて過酷な環境に適応して生きていたと推 定されるわけですから , 人間という種がもつ可塑性 ( 環境への驚くべき適応の可 能性 ) には驚くべきものがあるということもできます。しかし , アヴェロンの 野生児との出会いとその後の教育 ( 療育 ) は , 私たちに別のことも教えてくれ ているようです。それは , 人間が , 幼いときに , その育ちにふさわしい養育を note ☆「無限」の可能性とは , すべての子どもが , よい指導者に恵まれれば , オリンピックで金メダルをとる ことができる , というような意味ではありません。一人ひとりの子どもが , そのかけがえのない生命 ( い CHRPTERI よい教育ってどんな教育 ? という意味です。 のち ) を輝かせるように成長・発達するという事実に上限はない , だれもその上限を設定することはでき 8 ・ ない .

3. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

ロ H 日 P T E R どんなふうに子どもに接したらよいのか ? ー N T R ロ D 凵ロ T ーロ N 第 能力主義勝 ガイダンス理論自己実現進路指導集団づくり 特別支援教育共生社会生活感情生徒指導生活指導 トラウマ 力感工ンパワーメント いじめ防止対策推進法発達障 強権主義放任主義信頼愛着予期不安安心感学習性無 K E Y W ロ R D S います。 子ども理解と生徒指導という 2 つの観点から探究していきたいと思 を実現することができるのでしようか。この章では , これらの問いを , かわり合い ) とはどのようなものでしようか。また , どうすればそれ 教師と子どもとの教育的関係性 ( より豊かでより思慮深さのあるか ることもあります。 みすからの存在意義 ( レゾンテートル ) にふれる根源的な問いにもな 日常的な問いであると同時に , ときとして , 教師としての生き方や , けるもっとも難しいテーマの ] つです。教師にとってこの問いは , 教師と子どものよりよい関係性とは何か , という問いは , 教育にお 利至上主義社会的受難ゼロ・トレランス方式いじめ 登校拒否不登校過剰適応居場所生活綴方教育 カウンセリング・マインド生徒指導提要自己指導能力 キャリア教育 暴力 学級崩壊 自己肯定感

4. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

自分探し 自分らしい生方 なかなか難しい ほんとうの自分って何 ? 心がはずむと 生生でると 無駄な時間 ? 遊び いまを生きる 温かい 見守りつづけてくれる人 生方を教えてくれた人 尊敬でる人 教育 恩師 就職難 将来のため貧困と格差 社会不安 不安 仕事に就くたの準備 安心 ( 心のおまもり ) をくれた きようだい 家族 生涯の宝もの 友だち一一匸 疲れて緊張した 楽しかった 学校 っくて辛かった 我慢 受験勉強テスト勉強 競争 例 : 私にとっての教育のマインド・マップ 教育学では , 晴默のらちにうことなく身体イて一 + ー、、ている . 自分の知 を闇い直しながら再構築することを「学びほぐし」ぼンラー : 第 : un-learn- ン ing) と「学び直し」 0 リラーニンク 1 : re-learning) と呼ぶことがあります。このプ ロセスを他者と共有することをとおして , 私たちの経験は深く省察され , 教育 的思 .- ( 面 d 6 ⅵ 1 thoughtfulnesq; マーネン , 2003 ) が磨かれると考えられ ています。あなたの「教育」の原風景はみえてきましたか。いま , あなたが描 いているオリジナルなイメージを大切にして , よい教育とは何か , という問い を深める旅をはじめましよう。 4 ・ c H R p T E R 1 よい教育ってどんな教育 ?

5. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

い家庭科の理念は , あまり長くは続きませんでした。 1960 年から 70 年代前半 にかけての高度経済成長期には , 男性が働き , その収入によって家族を扶養し , 女性は家庭で家事・育児を担うという「男性稼ぎ手モデル」が , 日本型企業社 会に適合的な社会モデルとして一般化し , それに合わせて学校での学習内容も ジェンダーによる区別が行われるようになったのです。 ジェンダーを学ふカリキュラム この男女による学習内容の違いが取り払われたのは , 1989 年の学習指導要 領改訂によって , 中学校の技術・家庭科 , 高等学校の家庭科が男女共修化され , 保健体育でも男女別規定がなくなってからです。この変化の背景には , 1985 年に日本政府が国連の女性差別撤廃条約を批准するなど , 戦後 2 度めとなる男 女平等の社会的気運の高まりがありました。 現在の学習指導要領には , 家庭科 ( 中学校は , 技術・家庭科 ) , 保健体育科と もに , 明示的な男女別規定はありません。しかし , 選択という形で , 学習内容 を性差にもとづいて実質的に区別することはできるようになっています。ジェ ンダーの視点に立っと , 「男女で , 学ぶ内容に違いがあってもいいの ? 」とい う問いも浮かび上がってきます。男女で教育を受ける機会や学ぶ内容に差異を 設けることの理由として , 生物学的な性差があげられます。しかし , 生物学的 な性差のある側面を誇張したり , ほんらいは社会的規範であるものを生物学的 な性差であるように見なしてはいないだろうか , と考えてみる必要があるでし しい学習内容を追加することには慎重 対応を目的として , むやみやたらに新 らなくなっています。社会的課題への れるように , 今日の現実にはあてはま 手モデルは , 共働き家庭の増加にみら 日本社会には適合的であった男性稼ぎ 能性をもつものです。事実 , かっての く , 社会構造とともに変化していく可 社会的規範は , 固定的なものではな よっ。 1 1 2 ・ c H 日 p T E R 8 学校では何を学ぶの ?

6. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

column ⑩「はいまわる経験主義」を越えて 戦後の「新教育」では , デザイン c のような子どもの経験を重視する学び が大切にされる風潮が強まりました。経験することで学ふ (learning bydoing) という教授原理は , いまなお重要ですが , 経験しさえすれは何かが学べる , 直 接に経験しないことは学べないというとらえ方が拡大解釈されると , 子どもは 活発に活動し , 何かを経験しているようだが , いっこうにその質が高まらない という「はいまわる経験主義」に陥る可能性があります。そうならないために 必要なのは , 経験の相互探究的なふりかえりです。それを可能にするのは , 多 様な他者の問いを紡ぎ合いながら , 学問的な探究の世界へといざなっていく教 師の質の高い応答的コミュ二ケーションの技量 ( アート ) です。 経験学習などにも継承されています。 しかし , すべての授業でこのような学習環境をつくるのは容易なことではあ りません。教師が指導を控えれば , 子どもが主体的かっ能動的に学ぶ環境がで きるとは限りません。また , すべての子どもが問うべき問いを上手く立ち上げ られるとは限りません。一人ひとりの子どもが問いたい問いをクラス全体の学 び合いで深め合えるような問うべき問いにするためには , 高度な問いのコーデ ィネートや , 質の高い教養の広さと深さが , 教師の側に求められます。 ④子どもと一緒にわかり直しの過程を歩む ? デザイン D の場合は , 教師自 身が , 教えようとしている内容 ( 教材の文化価値 ) そのものをあらためて ( 擬似 的にではなく ) 真剣に学び直そうという姿勢を大切にしています。教師が , 教 科内容の伝達者ではなく探究者として子どもの前に立とうとしています。その ことによって , B の場合よりは , コミュニケーションの不自然さは軽減され , C の場合よりは , 教師と子どもたちとの応答的コミュニケーションが活発に展 開されるかもしれません。 しかし , 教師が格闘しながらようやく獲得した教材の文化価値を強く意識し すぎると , 結局は教師が発見した正解という高みへと子どもたちを誘導するだ けの指導になってしまい , 「教師はとても感動しているのに , 子どもは少しも 感動してくれない」という砂をかむような授業になる心配もあります。その結 2 「学び」のデサイン再考・ 153

7. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

column ①教育学が「応答」すべきものは何か ? オランダの教育学者 , ランゲフェルト (Martinus Jan Langevelt, 1905 ー 89 年 ) は , 『教育の人間学的考察』のなかで , 次のように述べています。 「われわれは教育学が現代の最も悲劇的な焦眉の学問となったことを知 らなくてはならない。われわれは子供が何になり , また何であるように助 けようとしているのか。子供は何のために生き , 何のために死ななければ ならないのか。われわれは何と , また誰と戦い , 何と誰とを守らねはなら ないのか。 『教育学的理論』の統一が求められるのは , 抽象的な研究上の必要から ではない。それを命しているのは , 生活それ自体なのである。 ・・教育学 はさまざまな学問 , 社会的活動及び責任の分野で働いている人々を結集す るところの , 人間的に重大な意義のある活動分野であることが明らかとな ( ランゲフェルト , 2013 , 29 頁 ) 教育学が責任をもって応答しなければならないのは , どのような社会的・個 人的現実なのでしようか。教育学や教育の理論が , 机上の空論とならすに , あ るいは , 安易なマ二ュアルのパンフレットとならすに , 現場の実践と深く結び つきながら発展するとはどういうことなのでしようか。このランゲフェルトの 問いとともに考えてみましよう。 を問わざるをえないのが教育学です。ですから , 教育学には , いつも価値をめ ぐるポリティクスが埋め込まれています。教育的価値をめぐる問い , たとえば , 教育の目的と目標は何か , 教育における倫理とは何か , 教育者としての良心や 思慮深さとは何か , ということなどについて , 事実と叡知を参照しながら問い 直すことが , 教育学に求められています。 note ☆教育学は , 広くは . 教育に関する諸研究 (educationalresea ℃目または educational science) を 指すこともありますが . 伝統的には , ドイツ語のペタゴーギク (Pädagogik : 英語の pedagogy) の相 訳として用いられることもあります。 4 価値探究のポリティクス・ 1 3

8. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

はしがき 0 大学で教育学を専門にしている私は , ときどき , 高校生や大学生に「教育に 関心があるのですが , 教育学ってどんな学問でしようか。自分に向いているで しようか」と尋ねられることがあります。そんなとき , 私はこんなふうに答え ることが多いようです。 「私にもはっきりはわかりませんが , 教育学は人が成長・発達し , 変化して つまび いく過程やその意味を個人に即して詳らかにしようとすることもあれば , その 子の育ちを遊び仲間やクラスメートなどの集団のなかに位置づけてみたり , さ らに視野を広げて経済や政治との関係で考えてみることもできる , とてもエキ サイティングな学問だと思います。そもそも , あなたや私が昨日とは少し違う あなたや私になっているのだということを改めて考えてみるだけでも , 何だか わくわくしてきませんか。そうそう , あなたに向いているかどうかでしたね。 私は教育学を 30 年くらい専門に学んでいますが , ほんとうに知りたいと思う 根本的な問題について , これが答えに違いないと確信できたことがありません。 いまもわからないこと , 疑問に思うことばかりです。ひょっとしたら私の勉強 が足りないせいなのかもしれませんが , 教育学にはそういうところがあるので はないかと思っています。だから , もしあなたが答えを性急に求めようとする 問うこと自体を楽しめるようだったら , きっと教育学が好き タイプではなく , になると思いますよ」。 さて , いまこの「はしがき」を書きながら , 本書が読者のみなさんに問うこ とを楽しんでもらえるような教育学の入門書になっただろうかと不安と期待の 気持ちがないまぜになっています。私たち 2 人の筆者は , 本書で「問い」を投 げかけ , 時には私たちはどう考えるかを伝え , 読者であるあなた自身の「問 い」をかきたて , 必要な知識を共有しながら考えることを楽しんでもらえるよ う努めてきました。 1 人でじっくり考えるのでも , まわりの人と一緒にわいわ いがやがやと意見を語り合うのでも , あなたのいまの生活や好みと響き合うも のがあれば楽しみ方 = 本書の学び方はさまざまであってよいのです。本書がき っかけとなって , もっと教育について考えてみたくなったとか , 教育学という

9. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

う見方もできます。近代社会の成 立や学校制度の拡充が , 子どもを 大人からは独立した存在として認 めようーー子どもは子どもとして めよう という社会的な機運 ロ・い を形成していったとみることもで きます。このような社会環境が生 まれることによって , 子ども時代 に , 子どもらしく生きるというこ とに積極的な価値が見いだされ , その育ちの時機に相応しいケアと 小さな大人 発達援助とは何か , という教育学 ( 出所 ) 中野・志村 , 1978 をもとに作成。 的な問いが生まれるようになった と考えられます。 ルソーは , 子どもは「小さな大人」 ( 大人を小さくしただけの存在 ) ではなく , 子どもという時代を子どもとして , みずからさまざまな困難を乗り越えながら 生きる存在としてとらえ直しました。そして , 子どもの育ちにおける自然の歩 み ( その本性が開花し , その時どきの社会・文化環境のなかで発揮されていく道筋 ) に ついて洞察を深め , その歩みに寄り添う技芸 ( アート ) としての教育を探索し 続けました。 もちろん , ポストマン (2001) がいうように , 今日の新しいメディア環境の なかで , 「子ども期」がしだいに消滅しつつあるという指摘もあります。今日 , 大人が固有にもちえていた情報へのアクセスは子どもでも容易になりました。 その結果 , 子どもと大人の境界が曖昧になり , 大人のような子ども , 子どもの ような大人も増えているという現実をどう理解すべきか , という問いにも興味 深いものがあります。 また , 今日の社会には , 子どもはできるだけ早く ( 効率よく ) 一人前の大人 に育てるべきだという考え方もあります。子どもは未熟で半人前だから , 一刻 も早く一人前にしなければならないという考え方もあります。子どもは大人と 比べてさまざまな能力が劣っているのだから , 一刻も早く有能にすることが教 34 ・ CHRPTER3 子どもという存在 / 人間という存在

10. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

C H 日 P T E R K E Y W ロ R D S みてください。 教育とはどのような教育なのか , という根源的な問いの糸口を探って 観をみつめ直す端緒をみつけてください。そのことをとおして , よい かえり , 教育学の入り口にある基本概念にふれながら , あなたの教育 この章では , これまであなたが抱いてきた「教育の原風景」をふり 多い営みでもあります。ここに教育の難しさと奥深さがあります。 や喜びへとひらかれた営みですが , 人間であるがゆえの不安や葛藤も 文化の創造へといざなう複雑な営みです。それは , 人間としての誇り 教育は , 人間が , 他者のかけがえのない「いのち」を育み , 新たな ー N T R ロ D 凵ロ T ーロ N よい教育ってどんな教育 ? 教育的思慮深さ教化教導いのちのケアと育みポルトマン 生理的早産説アヴェロンの野生児弱さ 共同保育 カ 教 ントイニシェーション社会の持続的発展文化の創造的伝承 育的価値ケイランゲフェルト教育学