子どもたち - みる会図書館


検索対象: 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS
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1. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

子どもと出会い直すとき 印 u E S T ーロ N あなたにとって「子ども」とはどのような存在ですか。純粋で , 無邪気で , 思わす 守ってあげたいと思う存在ですか。それとも , 奔放で , わがままで , 手を焼く存在で すか。愛しくみえたり , 小憎らしくみえたり , 神々しくみえたり , する賢くみえたり ーーーそのような子どもとの出会いから , 私たち大人は何を問いかけられているのでし ようか。 儚さと輝き 次の詩は , 幼い子どもを謡った八木重吉の作品です。 「美しくあるく こどもが せっせっせっせっとあるく すこしきたならしくあるく そのくせ ときどきちらっとうつくしくなる ちいさい童が むこうをむいてとんでいく たもとを両手でひろげてかけていく みていたらば わくわくとたまらなくなってきた」 ( 八木 , 1958 , 96 ー 97 頁 ) 幼い子どもをみていると , 私たち大人は , その未熟さ ( 弱さ ) と根源的な生 命力 ( 輝き ) にふれ , どきっとしたり , ほっとしたり , わくわくしたりします。 幼い子どもには , 生命の儚さと躍動感が同居しているゆえに , 大人の心を揺さ 子どもと出会い直すとき・ 29

2. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

教育的関係性とは ? 信頼 ( ラボール ) の相互探索 Q 凵 E S T ーロ N 子どもとの信頼関係が生まれるか否かは , 教師にとって切実なテーマの ] つです。 教師と子どもとの信頼 ( ラボール ) は , どうしたら形成できるのでしようか。 ある子どもが ( 教師にとって理解することが ) 難しい行動を起こしたとき , 子 どもを厳しく説諭すべきか , 子どもの声を聴くべきか , その子の背中をぐっと 押すような強い指導が必要か , その子にそっと寄り添うような柔らかな指導が 必要か等々ーー教師の悩みが尽きることがありません。ふと気がつくと , 困難 を抱えた子どもを前に 強権主義 ( ソフトまたはハードな管理主義 ) か放任主義 か , という二者択一を迫られている自分に , 何ともいえない違和感を抱きなが ら悩むことも少なくありません。 そもそも , 子どもと教師との信頼 ( ラボール : rapport) は , 教師の一方的な 思いを子どもに押しつけても , 子どもからの自発的な思いを待っていても , 生 まれてくるものではありません。教師の「呼びかけ」に子どもが「応答」した とき , あるいは , 子どもからのおずおずとしたメッセージに教師が感応できた ときにはじめて教育的関係性の萌芽が形成され , 相互の信頼が醸成されていく のです。 たとえば , 教師に対してべタベタな甘えと激しい攻撃を繰り返しながら , 世 界への信頼の糸口を探索し続ける子どもがいます。「信じられるのは先生だけ だ」といって涙を見せたかと思うと , 「何もかも信じられない , 先生も信じら れない」と , とつぜん怒りはじめる子どももいます。あわてた教師が「先生だ けは信じてほしい」と伝えても , それを拒絶する子どももいます。 心理学者のパトナムもいうように このような子どもは , 他者や世界への基 本的な信頼を著しく傷つけられている可能性があります。そのような子どもに 「私はあなたを信じているから , あなたも私を信じなさい」と , 教師から子ど 剛教育的関係性とは ? ・ 131

3. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

い ( してはならない ) というような単純な意味ではないことにも留意しておくこ とが必要です。 子どもが , 教師とは独立した人格として , 尊厳あるいのちを生きる人間であ り , さまざまな人とのかかわり合いのなかで , かけがえのない自己を形成して いく存在だとすれば , そのような子どもの自発性や自主性にどのように働きか ければよいのか。自分にとって他者である子どもの自己活動をどのように呼び 起こせばよいのか。教師や大人にとって必然的に生じるこの問いこそが , 教育 方法における「合自然」の原則の現代的な問いなのです。 生活 ( ライフ ) と教育の結合 「合文化」の原則から , 教えたいことを ( 子どもに ) わかりやすく教えたい , と願ったのがコメニウスでした。「合自然」の原則に立って , 教えたいことは 子どもの人間としての自然 ( 本性 ) と育ちにふさわしい形で教えなければなら ない , と主張したのがルソーでした。前者は , 教科内容研究を重視した教え方 ( 教科中心力リキュラムの開発 ) として , 後者は , 子どもの育ちや発達にふさわし い教え方 ( 子ども中心力リキュラムの開発 ) として探究され続けています。この 2 つの原則を , より高い次元で止揚することをめざしたのが , 近代教授学では , ベスタロッチ ( 第 3 章 ) , フレーベル , ヘルバルトらであり , 現代教授学では , デューイ ( 第 11 章 ) , ヴィゴッキーら ( 第 3 章 ) でした。 もとより , 教え方における「合文化」の原則と「合自然」の原則は , 互いに 相容れないものではありません。 2 つの原則は , 実際には , かけがえのない子 どものライフ ( 生命・生活・人生 : 生きるという営みの総体 ) の質的発展をめざし て止揚・統合されるべき 2 つの機軸として機能しています。 たとえば , ベスタロッチが , 晩年の著作のなかで「生活が陶冶する」 ("Das Leben bildet") といったように , 子どもはその生活のなかで , 生活まるごとを とおして育ちゅく存在です。そうだとすれば , 子どもに何かを教えるという営 みも , 子どもの生活の現実 ( その時代の政治・経済・社会状況や生活共同体の現実 ) や , その生活の実感にふれるものでなければ , 決して豊かには成立しないとい うことになります。 デューイが子どもの生活経験に根ざしたカリキュラムの構築を追求し , クル 2 「教え方」を探究した人びと・ 55

4. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

この教師は , とても悩んでしまいました。明日 , 算数で <() + 0 〉を教えよう と思っていたのに , 子どもたち全員が , その答えは () ( ゼロ ) だと知っている と答えたからです。すでに「正解」がわかっている子どもたちに , 教師は , 明 日 , いったい何をどう教えればよいのでしようか。 指導案をデザインしてみようもしあなたがこのクラスの教師だったら , 子どもたちにとって意味のある「学び」をどのようにデザインしますか。明日のく O + O 〉の授業のプランをどのように構想しますか。あなたなりの指導案を考えてみて ください。 W ロ R K ⑦」 授業構想のカンファレンス この教師は , 同学年の同僚と大学の研 ( 1 ) 「あの子」にとって意味ある学び 究者を交えて , 授業構想のカンファレンス ( 授業の事前検討会 ) を実施しました。 そこでは , まず , このクラスの子どもたちの人生 ( ライフ ) が語られました。 この学級には , 日常生活のなかで寂しさと緊張を抱えながら , やっとの思いで 学校にきている子どもがいました。テストの点数は高いのに自尊感情 (self-es- teem) が低い子どももいました。一人ひとりの顔を思い浮かべながら , この子 , あの子にとって意味ある学びをどうつくるか , クラス全体にとって深みと手応 えのある学び合いをどうつくるか , そのためにどのような授業を構想するのか。 こうしたことが , 同僚や研究者とともに語り合われました。 ②インクルーシプな学び合いカンファレンスは , 具体的な子どものエピ ソード語りからはじまりました。この教師のクラスには , さまざまな特性の子 ーだわりが強く友だちとかかわることが苦手な子どもが どもたちがいました いました。落ち着きがなく , 急に立ち歩いてしまう子もいました。特定の学習 領域だけが苦手で苦労している子もいました。それぞれが抱える生活の背景や 育ちの軌跡 ( 生育史 ) もさまざまでした。どのような特性をもっ子どもでも , そのもち味を生かし合いながら , ともに学び合えるインクルーシブな授業 ( 全 note ☆インクルーシプな授業とは . それぞれの育ちの特性や個性を生かし合いながら , クラスの全員がその這 いや多様性を越えて , 学ひ合いに参加することをめざした授業のことである。 1 50 ・ c H 日 p T E R 1 1 子どもがよく学ぶためには ?

5. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

「自分の果樹園の状態を明らかにしようと思う園丁が , 成熟した , 実を結ん でいるりんごの木だけでそれを評価しようと考えるのは間違っているのと同じ ように , 心理学者も , 発達状態を評価するときには , 成熟した機能だけでなく , 成熟しつつある機能を , 現下の水準だけでなく , 発達の最近接領域を考慮しな ければならない。」 ( ヴィゴッキー , 2()()1, 298 頁 ) たとえば , アサガオの観察をするときに , 私たちは , 何を見ているでしよう か。大きな花でしようか。太い茎でしようか。ひらいた葉でしようか。それと も土のなかにあるはすの根でしようか。ヴィゴッキーだったら , 大切なものを 見逃しているというでしよう。それは , 蔓 ( つる ) の先端の風に吹かれてモゴ モゴと揺れている部分です。この蔓の先端部分は , もっとも細胞分裂の激しい 部分で , まさにアサガオという生命体が環境にふれながら「育ちつつある」部 分です。 一方 , ヴィゴッキーは , 子どもの文化的発達におけるすべての機能は , 2 度 , 2 つの局面に登場すると考えました。最初は , 社会的局面に立ち現われ , その 後に心理的局面に内化されると考えたのです。すなわち , 最初は , 精神間的カ テゴリーとして人びとの間に形づくられたものが , 後に , 精神内的カテゴリー に移行したものとして登場する , とも述べています。つまり , 人間の育ちをと らえるためには , 個人 = 個体としてある姿 (be) と , 仲間 = 共同のなかであり うる姿 (can (e) との間 ( あいだ ) でなりゆく姿 (becomming) をとらえなけれ ばならない , と指摘したのです。 しかし , ただ , 他者とかかわり合えば , 発達の最近接領域が生まれるという ほど単純であるわけではありません。ヴィゴッキーは , 発達の最近接領域を子 どもの情動体験を媒介としたく揺れを伴う自己運動〉として描いていました。 子どもの実感や生活感情にふれて , 子ども自身が「あ , 私の心が動いた ! 」と いう意味創造が内面で起こらなければ , どれほど ( 大人からみて ) よい教育的 な働きかけがあっても , 子どもの育ちは実現しないと , ヴィゴッキーは考えて いたのです。 つねに育ちつつある存在として子どもという人間をみるためには , 子どもが 抱える弱さや立ちどまりに寄り添い , 人間として対等で信頼のおけるピア・パ 40 ・ c H R p T E R 3 子どもという存在 / 人間という存在

6. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

員参加の授業 ) をつくりたいと , この教師は願っていました。 多様な特性 ( もち味 ) のある他者との出会いと学び合いのなかで , 一人ひと りの子どもが自尊感情を回復し , 新たな社会や文化の形成者 ( 創り手 ) として 自立できるように援助していく営みを , 日本の教師たちは , 諸外国の研究と実 践にも学びながら , 学習集団づくり , あるいは , 協同学習の創造というデザイ ンで探究し続けています。この教師も , こうしたデザインで , 明日の授業を構 想しようと考えていました。 学指導案を構想する この授業構想カンファレンスでは , 学習指導要領をていねいに参照したうえ で , 一人ひとりの子どものことを具体的に語り合いながら , 同時に , 教科内容 の文化価値 ( 0 〔ゼロ〕の学問的・生活的意味や , 0 〔ゼロ〕と 0 〔ゼロ〕を加算するこ との学問的・生活的意味など ) を問い直し , それを多様なもち味や個性のある子 どもたちと一緒に学び合えるような授業をどうつくるか , ということが考え合 われました。 はじめ , この教師は , いくつかの可能性を考えました。 【デザイン A 】 <0 + 0 = 0 〉という「答え」をあっさりと教えて確認し , より難 易度の高い次のステップに進む。 【デザイン B 】く 0 + 0 って何だろう ? 〉と , 教師も正解がわからないふりをし て , 子どもに発問し , 学び合い , 最後に〈 0 〉という正解をいわせて終わる。 【デザイン C 】子どもに「 <0 + 0 〉について何か考えてみたいことがある ? 」 とたずね , 新たな問い ( 問題 ) そのものを子どもと一緒に考えていく。 【デザイン D 】くそもそも , 0 + 0 って何だろう ? 〉と , 教師も真剣に考えて学 び直し , 子どもたちが正解にたどり着くプロセスを考える。 どれもありうるが , どれもしつくりこない , と思ったこの教師は , 同僚や研 究者とともに , 次のようなことを話し合いました。 ( 1 ) スモールステップで教える ? デザイン A の場合は , 教科内容の難易度 の順序性をふまえていて , 子どもにスモールステップで課題を着実に解決させ ようとしていくものです。この考え方は , 一般に系統主義の学習と呼ばれる学 びのデザインです。このような学習様式は , 既存の文化価値を教育内容として 2 「学び」のデザイン再考・ 151

7. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

オルタナテイプな潮流 一方 , 日本の教育界には , 戦後間もない頃から ( あるいは戦前・戦後を通じて ) , 困難を抱えた子どもたちの生活と育ちを理解しようと努め , その不安や葛藤を 聴きながら , そのかけがえのない人生のケアと発達援助に従事し続けた人びと もいました。生活綴方教育の運動は , その重要な担い手でした。ほかにも , さ まざまな困難と向き合いながらそれを草の根で支え合うセルフ・ヘルプ・グル ープ , 手づくりの民間の教育研究運動サークル , 教育系・心理系・福祉系など の関連諸学会 , 地域の教育行政機関や研究施設が主催・共催する研修活動など でも , 深い子ども理解にもとづく人間発達援助や生徒指導・教育相談のあり方 が , 真摯に探究されてきました。 1990 年代後半から 2000 年代になると , 教室における日常的な指導や授業が 成立しないなど , いわゆる「学級崩壊」と呼ばれる現象が , 社会的な関心事に なりました。同じ頃 , 学校という社会で , 抱え込んだ不安や葛藤をさまざまな 形で行動化してくる子どもたちのなかに , 発達障がいや特別なニーズのある子 どもたちがいる可能性があることも , 広く知られるようになりました。生徒指 導における教育相談機能やカウンセリング・マインドが強調されたのも , この 時代のことでした。 こうした心理的 , 医療的 , 福祉的な専門性をもっ援助者た 2010 年以降も , ちとともに , 一人ひとりの子どものかけがえのない人生 ( ライフ ) に寄り添い , そのニーズに応じた支援をする基本的な姿勢が , 学校の教師に求められていま す。たとえば , 『生徒指導提要』 ( 文部科学省 , 2010) では , 生徒指導とは , 「一 人一人の児童生徒の人格を尊重し , 個性の伸長を図りながら , 社会的資質や行 動力を高めることを目指して行われる教育活動のこと」だと記されています。 そして , 生徒指導は「すべての児童生徒のそれぞれの人格のよりよき発達を目 指すとともに , 学校生活がすべての児童生徒にとって有意義で興味深く , 充実 したものになること」をめざしていると書かれています。 note ☆生活綴方教育とは . 子どもの生活に深くに根ざした作文 ( 作品 ) とそこに描かれた文章表現をとおして . かけがえのない子どもの人生 ( ライフ ) の理解を深めながら , その生活をまること指導・支援する教育の ことです。 生徒指導と豊かなかかわり合いの育み・ 141

8. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

2 「教え方」を探究した人びと・ 問答法 ( 48 ) タブラ・ラーサ ( 48 ) リべラル・アーツ コメニウスの試み ( 50 ) ( 49 ) 〈合文化〉の原則 ( I ) 〈合文化〉の原則 ( Ⅱ ) ーーヘルバルトの試み ( 52 ) 〈合自 ルソーの試み ( 52 ) く合自然〉の原則 然〉の原則 ( I ) 「新教育運動」の試み ( 53 ) 生活 ( ライフ ) と教 ( Ⅱ ) 育の結合 ( 55 ) w ロ RK ⑦教え方の上手い教師のイメージとは ? 45 w ロ RK ⑧子どもの教育可能性をどうとらえればよいのか ? ・・ 48 49 3 ト d 工ェロ 教育を受ける権利 58 式務教育の転換と教育を受ける権利・ 教育勅語から教育基本法へ ( 59 ) 教育を受ける権利 ( 60 ) 戦後教育改革 ( 62 ) 2 教育の機会均等・ 教育の機会均等 ( 63 ) 教育の無償制 ( 64 ) 障がいのある子 どもの教育を受ける権利 ( 66 ) 5 子どもの権利・ 子どもの権利条約 ( 68 ) 日本の教育の課題 ( 69 ) W ロ RK ⑨教育の無償範囲はどこまで ? 65 ・ 59 ・ 63 ・・ 68 凵ト d 工ェロ 。第物 子どもの学びを支える仕組み 公教育と私立学校・ 公教育の定義 ( 72 ) 私立学校 ( 74 ) 2 文部科学省と教育委員会・ 中央と地方の教育行政 ( 76 ) 1990 年代以降の教育委員会制 度改革 ( 78 ) 5 学習指導要領と教科書検定・ ・ 72 ・・ 75 ・ 79 ⅵ・

9. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

育課程の中心に , 木工 , 金工 , 料理 , 裁縫など , 当時の日常的な生産活動 ( オ キュペーション ) を置きました。それは伝統的な教科で構成される学校の教育 課程の否定でしたが , 教科のなかに含まれる , 人間が長い時間をかけて生み出 してきた知識や技術の価値まで否定したのではありません。デューイが考えて いたことは , まさにその逆でした。子どもたちが測定や線画や地図を読む技術 を学ぶのは功利的な職業訓練のためではなく , 生活のなかで実際に直面する 者々の問題の解決をとおして , 人類の歴史的発展を理解し , 科学的洞察力を発 展させるためであったのです。 デューイが活躍した 19 世紀末から 20 世紀はじめ頃の欧米の学校では , 厳し いしつけが行われ , 体罰なども頻繁に行われていました。授業の方法も , 暗記 や繰り返しなどが中心の型どおりで工夫がないものが大半でした。デューイが 否定したのは , このように教える側の都合を優先し , 子どもたちの自発的な興 味や関心を顧慮しない学校の授業でした。この伝統的な学校教育からの転換は , 「このたびは , 子どもが太陽となり , その周囲を教育の諸々の営みが回転する」 ( デューイ , 1957 , 50 頁 ) という , デューイの著書『学校と社会』 ( 1899 年 ) の有 名な一節に現れています。 池袋児童の村小学校 日本の大正自由教育と呼ばれる教育改造運動も , 国家的な教育目的のための 道徳主義的 , 画一主義的教育という主流に対し , 子どもの自主性・自発性を尊 重し , 生活に即した教育課程の編制を試みた挑戦でした。千葉師範附属小学校 主事であった手塚岸衛 ( 1880 ー 1936 年 ) の自由教育論や , 明石女子師範附属小学 校において及川平治 ( 1875 ー 1939 年 ) が実践した分団式動的教授などが当時注目 を集めました。また , 成蹊小学校 , 成城小学校 , 明星学園 , 和光学園などの私 立学校が開校され , 当時の公立学校では難しかった , 児童中心主義の教育を推 進しました。 なかでも , 「子どものための学校」という点で注目に値するのは , 教育の世 紀社が設立した池袋児童の村小学校 ( 1924 ー 1936 年 ) です。この学校では , 教師 が決めた教材や時間割を子どもたちに与えるのではなく , 何をいつ学ぶかを子 どもたち自身が決定するという徹底した児童中心主義にもとづく教育実践が行 94 ・ CHRPTER7 子どものための学校ってどんな学校 ? 二一一口

10. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

障がいのある子どもの教育を受ける権利 教育を受ける権利は , すべての国民に「ひとしく」保障されなくてはなりま せん。戦前は社会的身分や性別を理由とする差別が , 公式に学校制度のなかに こうした差別 位置づけられていましたが , 日本国憲法と旧教育基本法により , 構造の多くはいちおう取り払われました第 6 章 ) 。しかし , 障がいのある子 どもは , 戦後も長期間にわたって , 教育を受ける権利を著しく制限された状態 が続きました。特に知的障がい児 , 肢体不自由児 , 病弱児は義務教育を猶予・ 免除されることで , 実質的に教育を受ける権利を奪われる状態が , 1979 年に 養護学校教育の義務制が実現するまで続きました。 一方 , 世界的にはその頃すでに , 障がい児のための特殊教育を通常の教育か ら区別するのではなく , 「すべての子どもに特別な教育的ニーズ (specialeduca- tionalneeds) があり , それを充足する権利が保障されるべきである」という考 え方が提唱されるようになっていました。その背景には , 障がい者と健常者が 区別されることなく , ともに生活するのが本来のあり方であるとする , ノーマ ライゼーション理念の普及がありました。 1994 年にスペインで開催されたユネスコの「特別ニーズ教育世界会議」で 採択された「サラマンカ宣言」では , 心身の障がいに限定するのではなく , 社 言語などの面でハンディキャップを負っている子どもたちが 会 , 経済 , 文化 , 教育から排除されることを許さず , それぞれの特別な教育的ニーズに応えてい くべきことが , ンクルシブ ( 包摂的 ) 教の実現という理念として唱えら れました。 日本では , このインクルーシプ教育の理念は , 特殊教育から特別支援教育へ の転換として具体化されました。盲学校 , 聾学校 , 養護学校という障がいの種 別ごとに設置されていた学校は , 2007 年度から特別支援学校として一本化さ れるとともに , 地域の学校に在籍する特別な支援を必要とする子どもたちの教 育に必要な助言または援助などを行うセンターとしての役割も担うことになり ました。 SLD や AD/HD のように , 従来であれば障がいの範疇には含まれな かった比較的軽度の発達障がいや学習障がいも含んで , 子どもたち一人ひとり の教育的ニーズにもとづく自立・社会参加支援を行うことが特別支援教育の目 66 ・ c H 日 p T E R 5 教育を受ける権利