社会 - みる会図書館


検索対象: 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS
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1. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

もそも「教育」という権力性や一方向的な働きかけを含むことばを使うべきで はないとの主張を含んでいました。 近年も , 「特定の限られた者だけが利用している」「広い年齢層に対して魅力 的な運営や企画事業になっていない」「単なるスペース貸出になっている」な ど公民館に対する批判が聞かれます。このような指摘に対して , 公民館をより 地域づくりの視点を強調したコミュニティ施設へと転換したり ( あわせて所管 を教育委員会から首長部局に移すこともしばしば行われます ) , さまざまな企画運営 上の工夫を行っている市町村も少なくありません。その一方 , 厳しい地方財政 事情の影響もあって , 職員の削減や活動規模の縮小を余儀なくされたり , 指定 管理者制度を導入して , 公民館運営を NPO や企業に委託している市町村もあ ります。 社会教育の意義 公民館以外にも , 住民の自主的な学習活動 , 文化活動を支援する社会教育施 設として , 図書館や博物館が重要です。それぞれ司書 , 学芸員が置かれ , 専門 的な立場から年齢を越えた広範な人びとの学習を支援しています。近年 , OECD の実施している PISA の結果 , 好成績をあげて世界中から注目を集めた フィンランドでは , 地域の身近な場所に図書館があり , 子どもから大人まで幅 広い年齢層に利用されています。そこでの幼い頃からの読書習慣と学力の関係 から , 地域や学校の図書館の役割があらためて注目されるようになっています。 ただし , 図書館や博物館も国や地方自治体が設置するもの以外に私立の機関 があります。近年はインターネットの発展により , さまざまな代替的な学習機 会が増えています。そうしたなかで , 生涯学習ということばと比べて , 社会教 育には何となく古臭いとか , 堅苦しいというイメージがつきまとうようになっ ているかもしれません。 それでは , 社会教育はもうその役割を終えたと考えてよいのでしようか。た しかに今日では公民館 , 図書館 , 博物館以外にも , 生涯を通じて学習する機会 はたくさんあります。しかし , その機会には地域ごとに格差があるかもしれま せん。さらに民間企業が提供している学習機会のなかには決して少額ではない 対価を払わなければならないものもあり , だれもが気軽に利用できるとは限り 2 社会教育の歴史と課題・ 167

2. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

ほかにも日本では , 高齢者が学習をとおして「生きがい」をもって生活する ことや , 地域の歴史 , 文化 , 産業を学び , 地域の発展や「まちづくり」に主体 的に参加することが生涯学習の意義として奨励されてきました。身近な地域の 環境問題やバリアフリー化などに取り組む NGO や NPO に参加して活動する ことが学習にもなっている場合も少なくありません。 こうした生涯学習の広まりを反映して , 2006 年に改正された教育基本法の 3 条は , 以下のように述べています。 「国民一人一人が , 自己の人格を磨き , 豊かな人生を送ることができるよう , その生涯にわたって , あらゆる機会に , あらゆる場所において学習することが でき , その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければなら ない。」 多様な生涯学本文にあるように , 今日の生涯学習は , カルチャーセンタ ーや通信講座を利用した趣味・教養の学習 , 資格取得目的の学習 , まちづくりを意識 した地域課題の学習など , さまさまな形で行われています。あなたがこれまでに経験 してきた生涯学習をリストアップしてみましよう。 2 社会教育の歴史と課題 Q 凵 E S T ーロ N 日本では , ] 980 年頃から生涯学習という理念が社会に浸透しはじめましたが , それ以前から行われていた社会教育の歴史があります。社会教育とは , どのようなも のでしようか。生涯学習社会といわれる現代では , もはや社会教育は不要なのでしよ うか。 国民教化への反省 彎 ~ キい 1947 年に制定された旧教育基本法には , 当然ながら「生涯学習」というこ とばはありませんでした。その代わり , 家庭や職場で行われる教育など学校教 育以外の教育を社会教育と総称していました。旧教育基本法 2 条は , 1 条に定 2 社会教育の歴史と課題・ 165

3. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

ロ H 日 P T E R 第 っていることについて , もう一歩踏み込んで学んでみましよう。 っても , 教育に対する社会あるいは国家からの要求や期待を背景にも な教育かを考えました。この章では , そうした個人的な教育経験であ 第 ] 章では , 個人的な教育経験から出発して , よい教育とはどん 社会的あるいは国家的な理由に大別できそうです。 はさまざまでしよう。でも , そのさまさまな理由も個人的な理由と , では , あなたは , どうして教育は必要だと思うのですか。その理由 でしようか。 すか。「もちろんです。いうまでもありません」と答えるのではない あなたは「教育は必要だと思いますか」と聞かれたら , どう答えま ー N T R ロ D 凵ロ T ーロ N 教育を社会の視点から考えてみよう デュルケーム 中央教育審議会 識基盤社会 ) K E Y W ロ R D S 富国強兵 社会イヒ宮原誠一立身出世殖産興業 新学力観個性尊重の教育ポスト産業主義社会 ( 知 生きるカゆとり教育全国 キー・コンピテンシー 学力・学習状況調査 ( 全国学力テスト ) アカウンタビリティ平等 ( 教 育の機会均等 ) 協調学習新自由主義 ( ネオ・リべラリズム ) 相対的 貧困率

4. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

0 める「真理と正義を愛し , 個人の価値をたっとび , 勤労と任を重んじ , 自主 的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という教育の目的は「あらゆる 機会に , あらゆる場所において実現されなければならない」としていました。 旧教育基本法において , 1 条に定める教育の目的を「あらゆる機会に , あら ゆる場所において」実現することが強調されたことの背景には , 戦前において は学校教育だけではなく , 社会教育も国家権力による国民の教化手段として用 いられたことに対する反省がありました。政府の政策目的に都合のよい価値観 や考え方を宣伝 , 普及するために , しばしば青年団 , 婦人会 , 町内会などの自 治的組織が利用されました。明治時代から「通俗教育」と呼ばれていたものが 1920 年頃 , 「社会教育」と呼ばれるようになりましたが , その内容は大教宣布 運動 , 地方改良運動 , 教化総動員運動 , 国民精神総動員運動など国策遂行のた めの国民の「思想善導」という性格が色濃いものでした。 自主的な学習・文化活動としての再出発 このような戦前の社会教育に対する反省から , 戦後 , 社会教育は人びとの自 主的で協同的な学習活動 , 文化活動でなくてはならないとされたのです。それ と同時に , 国家の役割は環境整備に限定しようということになりました。社会 教育の代表的施設である公民館は , 住民どうし「顔の見える」組織である必要 から , 都道府県ではなく市町村 ( 教育委員会 ) に設置義務が課されており , 全 国平均でみると , 中学校通学区に相当する地理的範囲内に公民館がほば 1 館は 設置されています。 また , 公民館に住民 , 利用者の代表から構成される公民館運営審議会が設け られています。これは人びとの学習の主体性を尊重する視点から , 公民館運営 に学習者の声を反映させる仕組みとして設置しなくてはならない機関とされた ものです ( 現在は法律が改正され , 任意設置となっています ) 。 このように , 公民館は住民の自主的な学習活動 , 文化活動を支援するユニ クな機関として出発しましたが , その在り方が批判されたり , 改革されたりす ることもありました。たとえば , 1986 年に政治学者の松下圭一は『社会教育 の終焉』を著し , 住民が公民館主事などの行政職員によって「指導」されてい ることを批判しました。この批判は , 住民の主体的な学習活動については , そ 166 ・ CHRPTER12 学校を卒業したら学はなくてもよいのか ?

5. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

い家庭科の理念は , あまり長くは続きませんでした。 1960 年から 70 年代前半 にかけての高度経済成長期には , 男性が働き , その収入によって家族を扶養し , 女性は家庭で家事・育児を担うという「男性稼ぎ手モデル」が , 日本型企業社 会に適合的な社会モデルとして一般化し , それに合わせて学校での学習内容も ジェンダーによる区別が行われるようになったのです。 ジェンダーを学ふカリキュラム この男女による学習内容の違いが取り払われたのは , 1989 年の学習指導要 領改訂によって , 中学校の技術・家庭科 , 高等学校の家庭科が男女共修化され , 保健体育でも男女別規定がなくなってからです。この変化の背景には , 1985 年に日本政府が国連の女性差別撤廃条約を批准するなど , 戦後 2 度めとなる男 女平等の社会的気運の高まりがありました。 現在の学習指導要領には , 家庭科 ( 中学校は , 技術・家庭科 ) , 保健体育科と もに , 明示的な男女別規定はありません。しかし , 選択という形で , 学習内容 を性差にもとづいて実質的に区別することはできるようになっています。ジェ ンダーの視点に立っと , 「男女で , 学ぶ内容に違いがあってもいいの ? 」とい う問いも浮かび上がってきます。男女で教育を受ける機会や学ぶ内容に差異を 設けることの理由として , 生物学的な性差があげられます。しかし , 生物学的 な性差のある側面を誇張したり , ほんらいは社会的規範であるものを生物学的 な性差であるように見なしてはいないだろうか , と考えてみる必要があるでし しい学習内容を追加することには慎重 対応を目的として , むやみやたらに新 らなくなっています。社会的課題への れるように , 今日の現実にはあてはま 手モデルは , 共働き家庭の増加にみら 日本社会には適合的であった男性稼ぎ 能性をもつものです。事実 , かっての く , 社会構造とともに変化していく可 社会的規範は , 固定的なものではな よっ。 1 1 2 ・ c H 日 p T E R 8 学校では何を学ぶの ?

6. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

希望は本当にないのでしようか ? Ⅲ ) 教育や学校をどう変えていけばよいのか ? 作家・村上龍氏の『希望の国のェクソダス』という小説があります。全国各 地でいっせいに集団不登校を実行した約 50 万人の中学生がニュース映像配信 会社 ASUNARO の設立を皮切りにネットビジネスやさまざまな事業を次々と 成功させます。やがて , この元中学生たちが北海道に集団移住して , 住宅と公 園 , スポーツ施設のほかにバイオ研究所 , 農場 , 牧場 , 技術訓練センターなど を擁し , 地域通貨が流通する新しい町をつくるという内容です。「エクソダス」 とは , 旧約聖書で預言者モーセが民族的・宗教的迫害に苦しんでいたエジプト のユダヤ人を引き連れて実行した国外脱出を指すことばです。学校教育をみず から放棄した元中学生たちは , 希望のない国 = 日本からの脱出を果たしました。 国会の予算委員会に参考人として招致された ASUNARO 代表のポンちゃんは , 世界中に向けてインターネットによる中継配信が行われるなか , 静かに「この 国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが , 希望だけがな い」と語りはじめました。 ポンちゃんには , 大人たちがみな自信を喪失しているようにみえ , 反省する ばかりで何も行動できない存在のように映っていました。そして , これまでの 社会の仕組みや生活の仕方がよいものだとはだれも信じていないにもかかわら ず , それらに代わる新しい何かをだれ一人として示そうとはしない大人たちに 対して失望を覚えていました。その感情は , もしかすると , 道路や上下水道と いった社会基盤が未整備で日常生活に必要なものも不足しがちな時代をより豊 かな国や生活を手に入れるという希望を頼りに努力してきた大人たちに対する 羨望の裏返しであったのかもしれません。たしかにその大人たちのおかげで , 日本は物質的・生活的には豊かな国になりました。しかしいまは自信を失い , 何をめざして生きていくのかという指針を示すことができない大人たちが , そ れにもかかわらず子どもたちにはかっての自分たちと同じように学校に通い , 同じように教育を受けるよう強いていることに反旗を翻したのです。 174 ・ c H R p T E R 13 教育と学校の未来はどうなるの ?

7. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

性も高くなります。高校を卒業して大学に進学すれば , そう高まります。 学歴という新しい文明病 こうした可能性はいっ 日本は 1950 年代の半ばから , 第 1 次石油ショックが起きる 1973 年までの約 20 年間 , 年間経済成長率が 10 % を超える高度経済成長を経験しました。この 経済成長と上級学校進学率の上昇は並行して進行しました。そこには , 経済成 長が恵まれた社会的地位や給与を伴う職業をつくり出し , そのような職業をめ ざして , 人びとの進学意欲が高まったという側面がありました。 さらに , 経済成長は労働者の給与を上昇させ , 家庭の教育費負担能力を高め ることで , 進学を可能にする家計的条件を整えることにもなりました。このよ うに , 教育の機会が広く開かれることと , 学校による人材の社会的配分機能が 強まることはコインの両面のような関係であったことがわかります。 しかし , 人びとの進学意欲の高まりに支えられた学校教育の量的拡大は , そ の後の人生により有利となる学校の修了証書 ( 学歴 ) を求める競争へと多くの 人びとを巻き込むものでもありました。入学試験や学校の成績をめぐる競争を 激化させることになったのです。 学校の修了証書が , 人間を人材として社会的に配分する役割を強めるように なると , 私たちが学校で何を学んだか , どのように成長したかよりも , 証書自 体が価値をもち , 重視されるようになるという本末転倒が生じます。イギリス の社会学者ロナルド・ドーアは , その著書『学歴社会一一新しい文明病』にお いて , このような事態が広がった社会にみられる種々の病理現象を学歴病 (di- ploma disease) と呼びました。 この時代の学校では , 教育内容が増え続け , 学問の先端的成果を反映した内 容も積極的に採り入れられました。経済成長と技術革新を支える有能な人材の 育成が急務とされたことを背景にもつ , このような政策動向は教育内容の現代 化と呼ばれました。その結果 , 日本の子どもたちの学力は国内外で高く評価さ れるようになりました。しかし , その一方で , 学んだことと , 実生活のなかで 体験する自然現象や社会的事象とを関連させる力が弱いことや , テストが終わ るとすぐに忘れてしまう「剥落する学力」であることなどの課題も指摘されて 92 ・ CHRPTER 7 子どものための学校ってどんな学校 ?

8. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

悪の数字です。子どもの教育を受ける権利保障を目的に設けられている就学援 助第 5 章 ) の受給者率も , 1995 年度の 6.1 % から 2012 年度には 15.6 % へと 増加しました。これらの数字に現れている貧困や格差は , 子どもの教育の機会 と内容にも格差を生じさせる原因となるでしよう。実際 , 文部科学省の全国学 カ・学習状況調査の結果分析では , 家庭の経済力が子どもの学力を強く規定し ていることが指摘されています ( 耳塚寛明を代表とするお茶の水女子大学グループ が実施し , 2014 年 3 月 28 日に公表された , 平成 25 年度全国学力・学習状況調査と保 護者に対する調査の分析結果 ) 。 教育を通した格差拡大 私たちは教育を受けることを通じて個性を伸ばし , 知識・技術を身につけ , 能力を伸長させますが , 競争を奨励する新自由主義は自己責任を強調し , 格差 や貧困の解消に消極的です。 就学援助を受けている子どもの割合が高い小学校で卒業文集に載せるために 「将来の夢」という題の作文を児童に書かせたところ , 3 分の 1 の子どもは何 も書けなかったといいます。このエピソードからは , 保護者をはじめ , 自分の 未来を思い描くモデルとなる大人が周囲にいない子どもが , 現在の学びにも意 義を見いだせなくなっていることが推測されます。学習に意欲をもてなければ , 学力を身につけることも難しいでしよう。 こうして経済格差は経済的に子どもの進学機会を制限するだけでなく , 学習 や将来への意欲や , 実際の学力形成に格差を生じさせることによっても , その 子の将来を狭めてしまいます。さらに , 学力や学歴の差は , 大人になってから の雇用や所得の差につながり , 貧困の世代間連鎖や経済格差の固定化をもたら すおそれがあります。 子ども自身のカではどうしようもない家庭の経済力が学力格差 , 教育格差の 原因となるような社会は , 決して平等とはいえないでしよう。すべての子ども が将来の社会の形成者として必要となる学力を身につけるための学習を保障し ようとするのであれば , 競争を強める以前に こうした不平等の解消に取り組 むことがあってもよいかもしれません。 24 ・ CHRPTER 2 教育を社会の視点から考えてみよう

9. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

て容易なことではありませんでした。も ちろんイギリスのデイム・スクール ( お かみさん学校 ) のような私塾で , 文字の 読み書きの基礎を学びはじめられる子ど ももいましたが , すべての社会階層の子 どもにそのような機会が提供されていた わけではありませんでした。経済的・教 育的な意味で貧困な状況におかれた子ど もの多くは , 十分な教育を受ける機会も なく , 貧困な生活環境を生きざるをえな い大人になりました。 コメ二ウスの試み ーウス (Johannes A. Comenius, 1592 ー 1670 年 ) は , 「あらゆる人に , あらゆる事柄を ( 全般的に ) 教授する普遍的な技法を提示す のⅳ M 〃 g 〃〃 ) ( コメニュウス , 1962 ) を著 まさにすべての子どもが , 国籍 , 階層 , 性 しました。「あらゆる人に」とは , る」ことをめざして『大教授学』 17 世紀初頭 , 教育学者のコメー く合文化〉の原則 ( I ) ( 出所 ) ハリスン , 1996 をもとに作成。 中世のラテン語学校 ( 鞭がおいてある ) 50 ・ CHRPTER4 教え方は試行錯誤されてきた ニュウス , 1995 ) の冒頭で , コメニウスは , もに教えたいと切望していました。『世界図絵』 ( 〇な & 〃 s Ⅷ襯乃岱 ) ( コメ ために必要不可欠な普遍的な知の体系としてのパンソフィアを , すべての子ど コメニウスは , 戦争の絶えない当時の社会状況を深く憂慮し , 平和に生きる 教える方法でした。 わずかな労力で , あらゆる子どもが , 愉快に , 着実に学ぶことができるように にしながら教え授けるという意味でした。そのための「普遍的な技法」とは , 学ぶ機会を , 単線型の学校制度い第 6 章 ) で , その目的 , 順序 , 体系を明確 において万人に必須共通で普遍的知識の体系であるバンソフィア ( 汎知学 ) を いう意味です。また , 「あらゆる事柄を ( 全般的に ) 教授する」とは , その時代 別 , 経済力の有無 ( 豊かか貧しいか ) 等において決して差別されることなく , と

10. 問いからはじめる教育学 = EDUCATION BEGINNING WITH QUESTIONS

ばならない義務ではなく , 子どもに教育を受けさせる保護者 ( 親 ) の義務を意 味しています。 1 項と続けて読めば , その義務は国家に対するものではなく , 教育を受ける権利をもっ子どもに向けられていることがわかるでしよう。 しかし , 保護者に対して , この義務を負わせるだけでは , 教育を受ける権利 が十分に保障されるとは限りません。たとえば , 教育を受けるのにかかるお金 を負担できない保護者がいるかもしれません。そこで , 教育を受ける権利を保 障するために , 「義務教育は , これを無償とする」 ( 26 条 2 項 ) としています。 この教育に関する憲法の規定を受けて教育基本法は次のように定めています。 「第 4 条①すべて国民は , ひとしく , その能力に応じた教育を受ける機会 を与えられなければならず , 人種 , 信条 , 性別 , 社会的身分 , 経済的地位乂は 門地によって , 教育上差別れない。 ②国及び地方公共団体は , 障害のある者が , その障害の状態に応じ , 十分 な教育を受けられるよう , 教育上必要な支援を講じなければならない。 、わら 2 経済的理由によっ て修学が困難な者に対して , 奨学の措置を講じなければならない。」 教育を受ける権利は , 人種 , 信条 , 性別 , 社会的身分 , 経済的地位 , ( 家柄 ) , 障がいなど , いかなる理由であっても差別されてはなりません。 を , 教育の機会均等の原則といいます。 教育の無償制 門地 これ しかし , 現実には , 教育の機会均等が実現されていない状況がないとはいえ ません。教育の機会均等が実現されず , 教育を受ける権利が保障されない原因 の 1 っとして , 経済的理由があげられます。 たしかに , 高度経済成長期を経て , 日本は経済的に豊かな国になったという イメージがあります。しかし , 近年では長期にわたる経済の低迷と , 全雇用者 の約 4 割を占めるに至った非正規雇用労働者の増加などの労働環境の変化を原 因とする貧困家庭の増大が深刻化しています第 2 章 ) 。家庭の貧困は , 義務 教育ではない高校や大学への進学を断念したり , 中途退学を余儀なくさせられ る子どもの増加につながります。このことは大学進学率をみると , はっきりし 64 ・ c H 日 p T E R 5 教育を受ける権利