科学 - みる会図書館


検索対象: 宇宙論がわかる
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1. 宇宙論がわかる

てあり、内容的には最も総括的な学間てあるから、数学や物理学だけてはどうしても論じ きれない面が残る。 たしかに近代科学以前に比べると、宇宙論において科学の果たす役割は飛躍的にふえ、 現代てはその大部分は科学の領域となった感がないてもない。今世紀に入ってからの特に 物理学の発展は目を見張るばかりて、さまざまの基本的な間題が解決されてきたのは事実 てある。物質の基本的構造が量子力学の発明によって明るみに出され、それに基づいて今 日のコンビューターの開発やその他のハイテク産業の発展があり、それはそれてまた学問 の世界にフィードバックされて新しい学問の進展に寄与するという、ポジテイプな循環が あった。 一見、このままいくと、宇宙はやがて科学てすべて論じ尽くせるのてはないかとさえ思 えるほどてある。すべてを科学の名において説明する、というのはたしかに科学者の究極 の目標とするところてある。 しかし、宇宙やミクロの世界の探究においては特に、一つの「なぜ」を説明すると必ず といっていいほどその前の段階の「なぜ」が新しく登場する。新しい「なぜ」は一つとは 限らない。結局、「なぜ」の連鎖との取り組みが科学者の営みてあるといえる。そして、そ の最後の「なぜ」 ( ヌ こ寸し、科学の世界だけて閉じた答が出せるか否かが問題となる。たと 215 宇宙を考えるとは

2. 宇宙論がわかる

アリストテレスの運動学ては、したがって、真空中における運動はありえないことにな ってしまう。真空中ては何も力が働かないからてある。アリストテレスが真空の存在は認 めなかった論拠の一つが、ここにあった。 アリストテレスの目的論と真っ向から対立する立場が、デモクリトスなどの原子論てあ る。原子論ては無限の空間の中を自由自在に無目的に飛び回る原子がすべててあり、原子 のさまざまな組合わせによってあらゆる構造体が生じ、原子同士の衝突過程がすべての現 象の原因てあるからだ。 今日の科学的宇宙論、それはいうまてもなく主として西洋を源流とする科学に根ざした ものてあり、その西洋伝来の科学は、元をただせばギリシャ哲学の思想に発する。そこて、 その 違いがあるかもしれない。 哲学の専門家てもない筆者が、自分なりに述べてみた。間、 節はご容赦をお願いしたい。 人間原理の宇宙観 以前、『世界は二人のために』という歌があったのを記億しているが、この宇宙は何のた めにあるのだろうかと、「はじめに」ても述べた小学生たちに聞いてみたい気がする。彼ら 2 12

3. 宇宙論がわかる

古代ギリシャの宇宙観 これまて、現代宇宙論に用いられているさまざまなアイデアを見てきた。すぐには信じ 、、。たいものもたくさん含まれている。正直なところ、言っている科学者自身、本当にこん な「奇妙なもの」の実在を信じているのだろうかと思うほどてある。 特に、宇宙の無からの創造の理論における無は人によってさまざまて、検証しようもな しかし筆者は、この状況を肯定する立場をとる。なぜ 形而上学的な感はぬぐえない。 なら、いつの時代においても、新しい科学の分野が発展していくときは、アイデアの飛躍 や、形而上学的な、つまり検証てきそうもない概念が登場するのが常てあったし、むしろ しんし どのようなアイデアを使っても自然を理解しようとする、真摯な努力こそが評価されるべ きだと田 5 - フからてあ一る ギリシャの時代においても、哲学者や科学者はさまざまなアイデアを持ち出して宇宙を 理解しようとした。現代から見ればもちろん幼稚なものもあるが、現在ても深く考えこま せるものも多い。そ - フしたことから、筆者は昔からギリシャ田 5 想には関心をもっていた。 そこて本書の最後に、アリストテレスまての古代ギリシャの宇宙観を、簡単に眺めておく ・世界の種子「アルケー」 イオニア学派 198

4. 宇宙論がわかる

科学的宇宙論の起こり 現代の宇宙論は、前世紀まてのそれと違って科学的宇宙論といわれる。そのわけはいう まてもなく、望遠鏡やコンピューター等の電子機器の発達によって、観測てきる宇宙の深 度がほとんど宇宙の「果て」 ( 原理的に見えうる限界 ) 付近にまて及んていること、また理論面 ても、幾多の高度技術を駆使した検証をクリアしてきたアインシュタインの一般相対性理 論と、物質の理解にとって必須の量子力学をわれわれがもっていることにある。 その科学的宇宙論の起こりは、一九二〇年代とするのが最も適切てあろう。一九二〇年 代になって初めて、わが銀河系外に銀河が存在することや、宇宙が静的なものてないこと などがはっきりとしたからてある。 そして、今日の宇宙論の礎を築いた人といえば、なんといっても、アメリカの天文学者 エドウイン ・ハップルてある。彼の宇宙膨張の発見は、それ以前の静的宇宙アイデアとの 決別を強いるものてあり、その後の宇宙論にとって基本的路線を与えることとなったから てある。彼の発見が、二十世紀最大の発見の一つに数えられるのも当然てある。 ハップルの仕事とその意義について述べる前に、そこに至った経緯を簡単に整理してお 宇宙に星とは違うばやっとした光のしみのようなもの ( 星雲のこと ) があることは、すてに

5. 宇宙論がわかる

るに、いな、。 金星人の宇宙物理学の教科書が、改訂や修正ぐらいてはすまなくなるのは 受け合いてある。 なせこのよ - フなことを述べたかとい - フと、 地球上のわれわれの場合にも同じことがいえ るかもしれないからだ。われわれは、たとえば、星が一日のうちの半分の時間しか見えな くても、それは大気が存在するためて、星は一日中そこにあるのだということを、科学の カて知っている。月のような所に行けば、昼間ても星がちゃんと見えるわけてある。しか し、もし一日中星が見えなかったとしたら、はたしてわれわれは星の存在を知ることがて きたてあろうか。やはり文明がある程度進んだところて、大気の上に出てみて初めて、美 しい夜空に驚嘆したのてはないだろうか。これはほんの一例にすぎない。現在われわれに は想像すらっかない事柄や存在がたくさん宇宙には秘められていて、われわれの発見を待 っていると考えるのが正しい考え方てはあるまいか はんちゅう ④の間は、科学よりむしろ哲学の範疇に属する問題てある。事実、昔からこの難問に対 してそれなりの答を出してきたのは、哲学者や宗教家てあった。しかし、これはわれわれ の心の奧深いところに生ずる、最も素朴な疑問てはないだろうか。星空を眺め、宇宙の神 秘に感じ入るとき期せずして起こる、ごく自然な心の状態てあると筆者は思っている。宇 宙論学者のなかにも、宇宙はあらかじめ観測者としての人間を含むように意図して創られ はじめに

6. 宇宙論がわかる

プラトンは紀元前四一一七年頃アテネに生まれた、ギリシャ哲学者の最高峰てある。彼の 宇宙創造論によると、世界はデミウルゴス ( 造り主 ) のカて無秩序から秩序へと移らされる ことによって創られた。したがって、タレス以来続いてきた、世界を神によっててなく、 世界の言葉て説明しようとする科学的方法の流れの中に、ふたたび神話的要素が復活した 一」し J にた 6 る プラトンはいろいろとピタゴラス派の影響を受けているが、その一つに算術と幾何学の 重要生を強調したことが挙げられる。プラトンがアテネに開いた学校「アカデミア」の門 に、「幾何学を知らざる者は入るべからず」と大書してあった話は有名てある。しかし、彼 の数学の重視は、それによって科学の間題を解こうというところにあったのてはない。 彼 の主たる関心事は道徳・社会・政治の間題てあり、科学てはなかった。彼は数学がもつ、 ( と プラトンが考えた ) 、精神を向上させて俗界の思考から離脱させ、不変な対象へと目を向けさ せる効能に期待したのてある。 プラトンの最も特徴的な考え方は、感覚の世界と超感覚の純粋世界とを区別することて あった。 , ー 彼よ、われわれの現象世界とは別に、あらゆる完全さを満たした不可視の純粋世 界があり、それこそが真の世界てあって、日常われわれが感覚的に経験する世界は単にそ の真の世界の不完全な写し ( 仮象 ) にすぎないとした。その純粋な世界を、プラトンは「イ 209 宇宙を考えるとは

7. 宇宙論がわかる

筆者はかねてから、本を読んだときにたびたび目にする、「容易にわかるように : とま・ いうフレーズがどうも苦手てあった。理解力が乏しいせいてあることはいうまてもない。 しかし、実際に容易にわかるとは田 5 えないような内容が、このように書かれているケース が結構あったのてある。自分自身のそうした経験は、少しは大学ての講義に役立っている ような気がする。それを、この本を書くときにも活かしたつもりてある。 講談社から現代新書て宇宙論について書くよう依頼を受けたとき、筆者のような浅学な 者がと少々ためらったのてあるが、いろいろとお世話になった編集部の川崎敦子さんと東 京女子大の研究室て科学や宗教や女子大生 ~ の教育などを話しているうちに、筆者がここ て科学専攻以外の学生に物理を講義している姿勢て書けばよいことがわかり、それならば とお引き受けした次第てある。 この本は宇宙論のホットな話題を並べたものてはない。むしろ、宇宙論の基本的な事項 や、それを理解するための枠組み ( 相対論、量子論など ) について、筆者なりにてきるだけや さしく、丁寧に説明することを趣旨としててき上がった本てある。ここに取り上げた事柄 おわりに おわりに 217

8. 宇宙論がわかる

ているという、先ほども触れた「人間原理」を唱える人がある。この考え方については、 いずれまた述べるつもりてある。 という一言葉について少し述べておこう。この言葉が日本語として用いら 最後に、「宇宙」 れるようになったのは、それほど古くはない。多分、「世界」よりずっと後だと思う。この えなんじ 「宇宙」なる語の出典は、中国漢時代の古典の『淮南子』て、「宇」は空間全体、「宙」は時 間全体を表すものとされている。 日本語の場合、宇宙にしても世界にしても、これらの言葉は「すべてをその中に含む」 これに という意味内容を表すだけてあって、思想的な内容はまったく表現されていない。 対して、ギリシャ語を起源とする「コスモス」には「秩序」と「美」が、またラテン語を ース」には「統一」とか「普遍」という意味が込められており、それ 起源とする「ユニヾ ぞれに彼らの宇宙というものの考え方を読み取ることがてきる。哲学的にいえば、世界あ るいは宇宙という言葉には、統一と秩序と美て特徴づけられたこの上なき包括的な対象、 という意味が含意されているのてある。 今日の科学的宇宙論といわれる学問が、 ほとんど欧米人の科学者によってつくられてい る点も、案外この言葉に対する意味内容と関係しているのかもしれない。日本にも江戸時 代、天体観測に興味をもった学者はいた。しかし彼らの手からは、観測結果から抽出され

9. 宇宙論がわかる

デア」と呼んだ。彼によれば、宇宙の真理はイデアの世界にこそ求められるべきて、経験 の世界にそれを求めても無意味なことになる。このイデアの世界は永遠て変わることがな 観測者のいるいないに関わらす存在する世界てある。この世界へのアプローチは、た だ純粋思考によってのみ可能なのてあり、観測や実験という手段はとれない。 プラトンは当然、自然科学における観測や実験という方法を退けた。それも、そういう 手段は無益だ ごというにとどまらず、積極的にやめるべきだとし ' 」。なぜなら彼の説によれ ば、観測はわれわれをあざむき、真理から遠ざける可能性があるからだ。 むしろ プラトンは自然科学という意味て、後世に大きく影響を残したとはいい、、。 ' : 。 フレーキになったとさえいえるかもしれない。 そのためギリシャの哲学を大きく二分し、 彼の弟子てもあったアリストテレスによって、のちに批判を受けることとなった。 ・目的論的宇宙ーアリストテレス プラトンがイデアの世界を重んじ、観測や実験的手段を排したのに対して、アリストテ 彼よ動物学という新分野を開 レスは自然界の観察を重視する熱心な実証主義者てあった。 , ー 拓したことからもわかるように、生物学へ深い関心を寄せた。生命体においては、組織の きまま 各部分は勝手気儘にふるまうのてはなく、その生命体全体を成り立たせ、生命体のプラン や目的にうまくそうように機能する。宇宙も同じてあると、アリストテレスは考えた。す 2 10

10. 宇宙論がわかる

宇宙の万象を自然それ自身の言葉によって、しかもなるべく少数の基本的な要素に還元 して説明しようとする、今日の科学的態度の芽生えを見るのは、ギリシャ時代、それも紀 元前六世紀頃、。 キリシャの植民地のイオニア地方に始まるミレトス学派の哲学者たちが最 初てある。ギリシャ時代は哲学的思考の始まりの時代といわれ、代表的思想家のタレスは タレスは、宇宙の万物を根源的物質に還元して考えるやり方を初めて示した思想家とさ れている。当時の神話と哲学の関係は今日よりもずっとデリケートて、今日の意味ての哲 学と神話の区別をそのままあてはめることはてきない。ただ、 , 彼ら思想家による宇宙創造 のシナリオが神話のそれと根本的に違うのは、宇宙の創造をもたらす役割を果たしたのが 神話にあっては擬人化された神々てあるのに対し、田 5 想家のそれは抽象化された物質てあ ギリシャ哲学者の宇宙創造思想のエッセンスは、物質それ自身に生命と成長の能力が宿 っているという、いわゆる物活論てある。世界をある種の「種子」からの成長の結果とと らえるのだ。そのような「種子」、すなわち万物の根源的存在のことをキリシャ語て「アル ケー」という。アルケーは哲学者によって異なるが、もはや他のいかなるものにも遠元て きない最も原初的なものという点ては共通する。アルケーを「水」と考えたのがタレス、 「哲学の祖」と呼ばれる。 199 宇宙を考えるとは