バイオテクノロジーの一つとして、染生 ) を応用し、生存能力のある雌性発生 0 高齢者 色体の倍数化が、アユやヒラメなどで実 の子をつくりあげる試みは、新しい品種 験的に進められ、成熟の抑制により増肉 をつくる期間が著しく短縮される利点が 効果を高めることがわかってきた。受精ある。海水魚では、雌性発生をうまく利 卵の温度処理または加圧により、容易に 用することで思いがけない成果が期待さ い ) や 三倍体が得られる点で育種 ( の期待が大れよう。これから二一世紀にかけて、四。「 0 00 0 の きい。また、精子に紫外線を照射して雄億年以上もかけて自然がつくり出した魚 の染色体を遺伝的に不活性化させ、同時より、一段と優れた品種が育成されるに に雌の染色体を倍化する方法 ( 雌性発違いない。 交番の数ほど車椅子トイレを , 福祉のまちづくりをおもしろくする方法 フジ三太郎氏と私 「福祉」を『国語大辞典』 ( 小学館 ) で ひくと「幸福」とある。だから、「福祉 のまちづくり」とは人々を幸福にする街 をつくることになる。しかし、 いまの世 の中、障害児殺しや車内暴力、国鉄ロー カル線廃止など反福祉のことが多いだ から、私は法を活用する。法と 日比野正巳 上を 日比野正巳ひびの・まさみ一九四八年 ( 昭和 新 6 一一三 ) 名古屋市生まれ。七〇年名古屋大学工学部 建築学科を卒業。京都大学と名古屋大学の大学院 を経て、現在、長崎総合科学大学工学部建築学科 助教授。専攻は都市計画。著書に气「学生時代」 様の自動車」 ( 一九八五年四月六日付け ) 倍おもしろくする方法」を学生に書か 熱中宣言」 ( 講談社 ) 、「福祉のまちづくり』 ( 水曜 社 ) 、「パス輸送改善資料集成』 ( 編、運輸経済研 もそうであろう。「乗りやすいドア」に せ、そのいくつかを実行する。たとえば 究センター ) はかがあり、障害者住宅の設計も手 するため、片開き戸ではなく引き戸 ( ス 「住居学体操」とあれば、講義の始めに、 がけている。「日本大百科全書しでは「身体障害 者と交通問題」「点字プロック」を執筆。 ライディング・ドア ) にしてある。これ家を書くように全員で体操する ( 拙著 は住宅でもいえることで、車椅子使用者『「学生時代」熱中宣言』参照 ) 。 は、あの法 ( 川喜田二郎氏が創始し や老人には段差のない引き戸が適してい 一〇倍法は学内だけでなく、外でも試 た情報処理・発想法 ) のまねで、私なり る。あるいは、「駅の長い階段を楽しみ みる。第一六回全国ボランティア研究集 の知的生活の方法をいうのだが、「ほ ; ながら登る方法」 ( 八五年二月七日付け ) 会 ( 八五年二月、山口県 ) の「障害者が もあったりして、おもしろい らかでまじめ」という意味もある。 地域で生きるーー地域での自立の条件」 ほがらかになるためには、マンガが役 というテーマの分科会に助一 = ロ者として参 一〇倍法テスト にたつ。私は『朝日新聞』朝刊連載の 加したときもそうである。分科会のまと 「フジ三太郎」を毎日見せてもらうが、 マンガを楽しむだけでなく、機会をみ めをしたあと、先のテーマに文字を付け そこには作者の福祉時代を見つめる眼を つけては法を実行している。たとえ 加えて問題を出した。 「障害者が地 感じることがある。たとえば「高齢者仕ば、私も大学教師なので、「講義を一〇域で〈一〇倍楽しく〉生きる〈方法〉」。 ヤキ わかリやすい目盛り 1985 年 4 月 6 日付け
ちゅう す 鍮のやかんの尻に、炭火の入った缶を る椅子の店や、じゅうたんに座る古い くくり付け、お茶を温めながら客待ちを店、二階がアメリカや日本のヒッピーた はたご している立売りのチャイは、、 月さな素焼ちのたまりの旅籠屋になっている店な ちやわん の茶碗に注いでくれるが、それは使い捨ど、国によりさまざまだ。 ての牛乳入りの甘いショウガ茶なのだ。 イスタンプールの名所「ピエール・ロ 昔、唐代に、日本の平安京に入った最 チのチャイハネ」は、いわばその終点の せん 初の中国の茶も緑磚茶で、煎じて、ショ 一つだが、明治の中ごろ来日して『お菊 ウガとアマズラ ( ッタの樹液 ) を入れて さん』を書いたフランスの作家 Pierre 飲んだというが、中国の茶が陸路を通っ Loti ( 天五 0 ー一九一一三 ) の置き土産の名のせ おもむき て西漸したなかで、乳臭い飲み方をして いか、それは日本の渋い喫茶店の趣が いるのは、インドとモンゴルとチベット ある。そのチャイハネで出す茶は、今も 地方だけのことなのだ。 昔も変わらぬ中国の緑茶とインドのもの もある紅茶だが、それはいすれも砂糖で シルク・ロードのチャイ 飲む甘いやつなのだ。なかにはそれをそ アフガニスタンからイラン、イラク、 のまま飲んだり、レモンやス。ハイスなど トルコと、シルク・ロードの話題によく を入れる所もあるが、不思議なことに、 出てくるチャイハネ ( 茶店 ) というの 同じモンゴルから続く乳のある世界なの は、昔はのどかなものだったという。今 西南アジアでは、ミルクティーらし いものにお目にかかったことがない のシルク・ロードのチャイハネは、庶民 アフガニスタンでは、サモワール、と が軽い食事や茶をとる憩いの場で、なか にはしゃれてレストランと看板が出てい いっても大部分は。フリキ製の湯沸かしか インドの町の立売りの茶は ミルク入りのショウガ茶だ が、なかなかイカス 291 小事典 ・詩こよっこム 鳥瞰図 別刷ロ絵「富士山」 ( 本巻ページ ) を描いて 友利宇景 皆さんは、雲のない晴れた日、飛行機 くなるということがあります。「雲」や の窓から地上を眺めたことがあるでしょ 「もや」をなくすことだけでなく、たと うか ? どこまでも続く山々、そして水 えば、実際どおりの寸法で描いても山々 田や道路、その道路の上を点として動い の高さが実感できないときに、実寸の数 ている車たち、そして、きらきら輝く小さ倍にして作図することがあります。これ な屋根の連続。どんな人でもこの眺望に は広大な広がりを表現するときも同じ は声も出ず魅せられてしまうでしよう。 で、視野に入るはすのない物を入れたり この眺望を紙の上で絵としてつくりあ して演出します。ここで、最良の資料と げてゆくのが鳥瞰図になります。鳥瞰図 しての「地図」や、「植生図」が登場す は、人間文化のなかに地図が発生したこ るわけです。地図は地上のあらゆる情報 ろから、地図と共存してきた概念で、世を具体的に記号化してそれを集積したも 界を記述するためのたいせつな方法でし のです。その記号を読み取り、特殊な作 近代になってからの鳥瞰図は、正確図法に従って画面にその地域を立体再現 な地図を母体にして表現されます。よく してゆく作業は、あたかも演奏家が楽符 「これは写真を基にして描かれるのです を見ながらその音楽を構築してゆくこと によく似ています。記号を感覚的なもの か ? 」と聞かれますが、これは写真Ⅱ事 実という固定された考え方がいわせた言 に変換してゆくわけです。 葉だと思います。写真というものは、正 絵空事の要素を加えて 実像に迫る 確に現象を写し取るものですが、現象そ のものにはさまざまな「雑音」が存在し 新しい仕事を依頼され、資料としての ていて、本当の物と物との関係や、厳密地図を手渡されたとき、その仕事のさま な事実というものにべールがかけられて ざまな内容により、地図の使い方は変わ ってきます。仕事のなかでもっともたい いるのが普通です。そのよい例が、カメ ラのレンズの精度や「雲」や「もや」と せつなのがこの基本的な内容からくるイ メージ作りです。どこまでの領域を画面 いった自然現象、さらには、位置関係に よって見えなくなったりすることなど に入れるか ? 遠景はどこまで入れる で、広いスケールの景観では、本当の事か ? 山の高さのスケールはどうか ? : こうしたことを仕事の内容に従っ 実関係はカメラによってはなかなかっか まえにくいのです。ところで、この鳥瞰て決定します。先ほど、「絵空事」とし ての要素を取り入れることを話しました 図を制作する場合、不思議なことに絵空 が、ここでおもしろい例をあげてみまし 事としての要素を加えることにより、も よう。以前、北海道の大きなスキー場の っと、より「人間にとっての事実」に近
んは「公僕」、つまり国民に奉仕するこ こうするだけで、おもしろいアイデアが は「バリア」の意味を紹介する文章を書者が安心して使えるトイレが設置された とが仕事だから、車椅子利用者や老人が ことでわかる。確かに、身体的障害をも 出てくる。たとえば、こういう方法が書 困っていたら、トイレの介助をするぐら ア barrier とい , っことばは、わが った人々が外出し、街を移動する機会が いてある。「ガイドマップをつくるとき、 いのボランティア活動はあたりまえとな 増えたのである。もう、失禁の心配をし 国では一部の専門家を除いてはなじみが ほろ酔いコースとかデートお薦めコース る。 なくてもすむからだ。 しかし、そのスペルをみると、 少ない などを載せる」。 トイレといっても、入口の段差 ところで、いまから数年前に車椅子市 = = ロ、 , が bar にあることがわかる。バリ つまり、福祉問題をまじめに考えるだ をなくして手すりをつけた洋式便所でい けでなく、 民全国集会に出席した席でのことだっ ほがらかに考えてみると意外ケード barricade も同じ語根をもつ。 いカら、費用はあまりかからない、、 一人の重度障害者が発言した とユニークなアイデアがひらめくもの いうまでもなく、 ーとは一本の横棒で ト戦闘機数機分で全国各地に設置でき にトイレをつくってほ ある。健常者にとっては、恋人と夜の楽「派出所 ( 交番 ) だ。そういえば、『日本大百科全書』も、 るだろう。もし財政の余裕があれば、自 しい」と。私は、おもしろい提案だと思 しいひとときを過ごす「止まり木」であ 「百科事典を一〇倍楽しむ方法」という った。つまり、その人がいうように、市動洗浄装置付きに奮発しておけば、快便 っても、その一本の棒が車椅子使用者に ガイドブックを添えておけば、本の売れ まちがいなしである。 とってま、ヾ丿 役所や銀行に車椅子使用者も使えるトイ ーケード以上の「障壁」と 行きもぐっと増えるかもしれない ⑦将来性がある。世界でも例をみないほ なってしまう。 レができたけれど、定刻になれば閉まっ バリア・フリー・デザイン どの高齢化社会へ向かっているわが国で てしまう。障害者だってタ方や夜まで買 「バリア・フリー」といっても、なかな は、大いに役だっ。 し物や食事に行くこともある。そのとき、 か一般の人には理解してもらえない さて、「福祉のまちづくり」をテーマ ⑧いまがチャンスである。グリコ・森、水 ノー」と関係することを説明す使えるトイレがなくて困ってしまうの とする私の研究室では、まじめなことも 事件や警察官の不祥事 ( 銀行強盗や殺人 れば、それが「障壁のない設計」だとい やっている。たとえば、寝たきりだった など ) で名誉失墜の警察当局が、国民的 ところが、もしも交番に車椅子用トイ , っことがわかってもらえるだろう。 被爆者・渡辺千恵子さんの自立を目ざし 信頼を回復できる、またとないテーマで レをつくったらど , つなるかトイレ付き 研究室では、公共建築物編に続いて住宅 た車椅子向け住宅、壱岐・老人夫婦の あるから、運動によっては警察もその気 交番の効果はいくつかある。 家、沖縄・土の宿 ( 木村浩子さんが提唱編をつくろうと作業を開始したところで になるだろう。 ある。 ①まちがいなく交番の数ほどたくさんト した障害者と健常者が交流できる民宿 ) 、 こうやぎちょう 以上、思いつくまま書いてきたが、か イレができる。 長崎県香焼町車椅子向けモデル公営住 トイレの話 って「ポストの数ほど保育所を ! 」とい ⑦二四時間使える。交番には閉店時間が 宅などの作品を手がけてきた。 まや「交番の数ほ う運動があったが、い ないので、いつでも使える。 そろそろ、福祉のまちづくりをおもし 最新の成果では、『バリア・フリ ど車椅子トイレを ! 」が新しいスローガ ③わかりやすい。交番がどこにあるか ろくする方法も、「フジ三太郎」の四こ デザイン 公共建築物編』 ( 八五年三 ンになるかもしれない。なにしろ、だれ は、そこの住民ならだれでも知ってい まマンガと同じく「落ち」をつけないと 月、長崎県・長崎県身体障害者福祉協会 る。 にもわかりやすく、費用があまりかから いけない。なににするか迷ったが、やは 連合会発行 ) がある。これは、公共建築 りトイレのエ自にしょ , っ ④安全である。かってのように、車椅子すに、しかも将来性のある国民的スロー 物を設計する際の手引書であり、県内の ガンはそうない。 これこそ「福祉のまち トイレが性犯罪に利用されるという危険 一九七〇年代に発展した「福祉のまち 建築士や建設会社へ無料で配布された。 まひ づくりを一〇倍おもしろくする方法」に や、使用する際はいちいち管理事務所へ づくり 障害者の生活圏拡大運動」 その表紙には脳性麻痺者である永元正夫 値するのではないだろうか さんの絵が彩りを添えているので、「絵は、各地で大きな成果をあげた。そのこ連絡して鍵を開けてもらう、というバカ げたこともなくなる。 とは、多くの公共建築物に段差をなくし 本のようだ」という声も聞かれ、うれし ⑤ボランティア付きである。おまわりさ てスロープがつけられたり、車椅子使用 くなる。この「絵本」の編集後記で、私
こに地震が起こりそうかわからないの はこれにさらに活断層が加わる ) 地震の時間前に著しい傾斜変動の発生をたまた 分密に設置すれば、前兆がとらえられる で、日本中に直前の予知のための観測網起こりそうな所の見当がついたとして まその地域で行っていた水準測量により率は高くなることも明らかである。東海 を張り巡らさなくてはならない。情報処も、これはただ近い将来に起こりそうだ見いだしたこと、一九七八年 ( 昭和五地域の観測網の密度はかなり高いのであ 理の分量からも、また費用の点からも、 というのにとどまる。これでは社会的に 三 ) の伊豆大島近海の地震の数日ないし るが、それはこのような考えに基づいて これはあまり実用的な話ではない。将役にたっ地震予知とはいえない。少なく 一 ~ 二か月前から発生したいくつかの異 来、どこに地震が起こりそうか見当をつ とも数日以内に発生するという程度の精常現象などである。 しかし、筆者の考えによれば、地震の ける方法が、内陸の地震についても何か度が必要であろう。 一般の人は地震の数の多い割合に前兆 前兆をより遠方で記録することも、また ないだろうか。簡単にいえば、それはあ そのためには、よい方法がある。幸い の例が少なすぎるのではないかと考えら は小さい前兆を記録することも、くふ , っ る。イン・サイチュウ in situ のストレ にも大地震の発生するときには、その直 れるであろう。しかし、観測がいろいろ次第で可能だと思う。それに成功すれ スを計測することである。 in situ とは 前に異常 ( つまり、平常とは違う ) 現象と整ってきたのはこの一〇年来のことで ば、日本近海の海底に発生する地震の前 ラテン語で「本来の場所」という意味 が起こる。この直前の異常の「古典」と あるし、今日の観測網で前兆をとらえら 兆も記録することができるし、前兆の実 で、地殻中のストレスをその場で計測す もいうべき事例は、日本海沿岸の地震前 れるのは、観測点から一〇キロないし二 例は急速に増えるに違いない。そうすれ るということである。ストレスの低い所 にみられた地盤の隆起である。これは汀〇キロ以内に発生したマグニチュード六 ば、直前の前兆に関する知識がより組織 せん には当分地震は起こらない。高い所は危 線 ( 海岸線 ) の後退という形で、人間の 以上くらいの地震の、しかも一部である的にまとまってくることも明らかであ る。 ないわけである。 in situ のストレス測 目に、はっきりわかる。この例は四例あ ことを考えれば、実例の集積が少ないの ったといわれている。しかし、これらは 定の方法は技術的に困難で、費用もかさ はやむを得ないというべきであろう。こ 今後の地震予知の進歩は、ますこの点 む。すでに確立された技術と考えてよい 古文書または聞き取り調査によるもの れくらいの地震で陸の部分に発生するの から始まるべきであろう。 か否かも問題がある。要するに、もっと で、本当に信用できるのは浜田の地震は、毎年一、二例である。もっと入念に 場数を踏む必要がある。 ( 一八七二年三月一四日、石見・出雲地実例を捜せば数が増えることはもちろん 方で起こった地震。七・一 ) だけであ である。しかし、非常に整った例、つま 地震予知の基本は るという説もある。たとえ一例だけで り、ある一つの地震について各種の観測 測地測量の繰り返し が、震央距離の近いものも遠いものもい も、このような実例があることは研究者 をたいへんカづけてくれる。 ろいろ組織的にまとめられている例はな 地震予知研究計画が始まったころは、 太平洋沿岸の地震のみならす、内陸の地 地震直前の 震も含めて日本全国の地震予知の基本と これまでに集積された例をまとめて観 前兆を記録し観測する 目目 7 っ : ーー Ⅱ・レし「、 ) っ 察し、はじめて地震の直蔔 2 なることは、測地測量の繰り返しである てどうやら考えがまとまってくるという と考えられていた。このことは、基本的 日本での直前の前兆に対する例は、機 しかし、それに には今日でも正しい 械による観測を含むと実は何十例も、ま程度である。もっとはっきりいえば、断 片的な知識を継ぎはぎしているのである たそれ以上もある。しかし、そのうちの in situ のストレス測定を加えることが から、いくら組織的にまとめてみようと どれだけが本当に異常と考えてよいか どうしても必要である。 しても、どうしても無理がある。しか しかしながら、再来時間、測地測量の は、大いに問題であろう。もっとも確か し、直前の前兆が記録されることは事実 繰り返しによる地殻の変形の進行、 in であると考えられるものを挙げると、一 situ のストレス測定などによって ( 実九四四年 ( 昭和一九 ) の東南海地震の数であるから、あらゆる種類の観測網を十 〔訂正〕第九巻 5 中のラーオ・カムホームと セーニー・サウワポンの顔写真が入れ替っておリ ます。訂正してお詫びします。 ( 編集部 )
なか んか で目品撮 角お絶者 町にが筆 のりれも ク売これ ラ一、す イヒカい ら、古めかしい花模様の土瓶にお湯を注 た、ロ中からたちまち五体が引き締ま いでいる。ヒンドウ ・クシ山脈の北側 る。カルダモン入りの強いブラックなの では、ソ連のウズベクと同じで、緑茶を そのまま飲んでいる人が多い そして、それから西の中近東、トルコ イランでは、受け皿付きのかわいらし 一帯は、かってアラビアの煮出しコーヒ い小さなガラスのコップに、熱い甘いチ ーに一歩を進めた飲み方の、同じプラッ クのトルココーヒーに、中国のチャイが ャイを入れ、また受け皿に移して飲んだ りする。 っしょになった所だが、それがいすれ イラクでは、、 、飲みはどの白 も乳を拒否して、今もヨーロッパのミル いカップだったか : : : それぞれ趣向が変 クやクリームを使 , っティーやコーヒーに わる。ところがおもしろいことに、そこ 対峙しているわけだ。 は中国の「茶の道」に、古いアラビアの シルク・ロードの茶話も、私の場合は ペドウイン ( 遊牧民 ) のコーヒーがぶつ 結局乳臭くなるのがミソなのだ。昔、中 ずいえんえんばい かる地点なので、町の風変わりなコーヒ 国の食通詩人随園 ( 袁枚、一七一六ー九七 ) 先 ー売りなどにもお目にかかることにな生は、梅の花といっしょに囲っておいた ロンチン る。コーヒー売りというのは、 小さな炭竜井の茶を、日暮れとともにつばむハス 火でポットを温めながら、靴磨きみたい ( 蓮 ) の花の中に入れ、翌朝開くのを待 に道ばたにしょんばりしやがんでいるの って取り出し、それをハスの葉の上の露 や、小鳥の市を当て込んでやってきた男 を集めた水で茶にいれたというが、どだ など、さまざまだが、そのコーヒーがま い私は、「茶」を語れる男ではないのだ。 を第ルを プロジェクトのためのイラストレーショ る方法でした。実際には地球が丸く見え ンを制作したことがありました。そのと るような高さに行かなければ、大西洋の き、そのスキー場の主峰、おそらく高さ河口とアンデス山脈を同時に見ることは は一〇〇〇メートル級で、スキー場の広不可能でしよう。この方法は成功でし さに比較し実寸で描きますと、なんとも た。アマゾン川の源流たるアンデスを描 平らな山になってしまい これではだめ けると同時に、絵にアクセントができ、 だと三倍尺ぐらいにして山々をスケッチ魅力あるものになりました。 したのですが、この山で何度も滑ってい 鳥瞰図を仕上げる プロセスの魅力 るスキーヤーの方が、驚いたことに、 「もっと急な勾配にしないとこの山のス こうして基本的なイメージ作りが終わ キー場としての魅力が表現されてこな りますと、あとは、そのプランに従って い」とクレームをつけてきました。そこ 下図スケッチに入ります。下図の基本 でその理由を尋ねたところ、人間の目に は、等高線を画面に立体的に積み上げた は勾配が二〇度ぐらいの山は外から見る ように描いてゆくのですが、これは、等 と緩やかに感じられるが、実際、スキー 高線に従ってつくってゆく立体地図模型 を履いてその頂上に立ってみると、まる と同じで、これを二次元に絵として再現 で垂直の崖のように感じられるものだと してゆきます。実際はさらに細かなさま 説明してくれたわけです。これは実にお ざまな方法を加えます。さて、描くべき もしろい話で、彼にいわせると事実どお 地域の立体化スケッチが終わりますと、 りにこの斜面を描いてしまったら、スキ 今度は文化としての要素ーー都市、道 ーマニアは来なくなるというのです。そ 路、畑、水田ーーを描き加えて下図を完 こで私はさらにその主峰を高くし、実寸成させます。この鉛筆だけの鳥瞰図も、 の五倍尺にしてをとりました。これ色のついた完成品とは一味違う魅力があ で、スキーマニアの喜ぶ、実感のもてる ります。そして、この上から薄くエアプ スキー場のイラストができたわけです。 ラシによって基本的な色付けをするので それからもう一つのおもしろい例、アマ すが、残りの大半は手による描画になり ゾン川の大きなポスターを制作したとき ます。細い面相筆を使っての作業は、か のことをお話ししましょ , つ。アマゾンⅡ なりの重労働ですが、完成したときの喜 びはそれこそ、鳥になったごとく心軽く の広大な流域を表現したいとのことで、 大西洋の河口を手前にしたプランにしま飛ぶような気持ちです。 こうして地図という楽符から、交響曲 した。しかし困ったことに、この地域は としての鳥瞰図が演奏されたわけです。 緑一色、おまけに起伏が全くない所で、 絵にならないのです。魅力のある絵にす 友利宇景ともり・うけ、 一九四七年 ( 昭和二 るのに行き詰まってしまいました。さ 二 ) 埼玉県生まれ。東京芸術大学デザイン科卒 て、この解決策はなんだったと思いま ー。『日本大百科全書』第六巻 ィ一フストレータ す ? それは地球をもっと巨大化して、 「川」の別刷ロ絵も、氏の作品です。 地平の彼方にアンデスの峰々をもってく かなた
0 日本大百科全書 ENCYCLOPEDIA NIPPONICA OI 0 月報 コ笊ニカ通信 1988 年 9 月 第 23 巻・第 23 号 ように、千数百年前にさかのばる 冬に池に張った氷を氷室に保存し、 夏に朝廷に冷凉飲料として献上した ものである。 樋口敬二 ところが、中国では、利雪が紀元 樋口敬ニひぐち・けいじ一九二七年 ( 昭和 (l) 京都生まれ。北海道大学理学部物理学科卒 前一世紀に行われていたことを、最 業。同大学院修了。同大学助教授を経て、現在、 近になって知った。名古屋大学の前 名古屋大学水圏科学研究所教授。「ネパール・ヒ マラヤの氷河と気候に関する研究」で八一年 ( 昭 学長飯島宗一先生が中国最古の農書 和五六 ) 秩父宮記念学術賞受賞。現在、ヒマラ ヤ・チベットの氷河調査と人工氷河など利雪の研 といわれる『氾勝之書』 ( 石声沒 究に従事し、この分野での国際的リーダー。著書 編・英訳、岡島秀夫・志田容子訳、 に氷河への旅』 ( 新潮社 ) 、『地球からの発想 ( 新潮社 ) 、『雪と氷の世界』 ( 岩波書店 ) ほか。 農山漁村文化協会、一九会 ) を読ま れ、雪に関する記載のあるところか ら、私に一冊を贈ってくださったか を約一六年ぶりに改定した答申を行 、その中で、雪害を克服する「克らである。 訳者の岡島氏が北海道大学農学部 今年 ( 昭和六三年 ) は、雪国の長雪」とともに、雪氷を利用する「利 教授である関係もあって、序文に い歴史の中で「利雪時代」という新雪」が強調されることになった。 「わすかな雪の利用を注意深く考え しい時代の幕開きの年として記憶さ この改定を報ずる新聞の見出しに れると思われる。 は、「利雪への転換を提唱」の文字ていることは感銘深い」と述べられ ているとおり、同書には、「冬、雪 豪雪地域には、あらゆる施策を行 が躍っていたが、約二〇年前から が降りゃんだら、地表の雪を保持す 「利雪」を提唱してきた私にしてみ う際に長期計画の基準として尊重さ るために反転しなさい。そして風で ると、いよいよ雪国は新しい時代が れている「豪雪地帯対策基本計画」 ノ、るとい , っ田じいがコりノ ゝ、感慨深いも吹きとばされるのを防ぎなさい」な があるが、昭和三六年豪雪を契機に どと、きわめて具体的に利雪の方法 して策定されたものだけに、雪害対のがある。 が書かれている。 しかし、利雪とい、つ一一一一口葉は新しい 策がおもな内容となっていた。 現代でも、飛雪として飛び去って ところが、本年三月三日、首相の、 - 「ものであっても、日本では雪や氷を た ひむろ ゆく雪を柵によって凹地に溜め、そ 利用した歴史は古く、「氷室」が 諮問機関である国土審議会の豪雪地 の融水を家畜の水源とする方法が、 『日本書紀』に登場するのでわかる 帯対策特別委員会は、この基本計画 利雪三題 ーー雪国の新しい魅力
ケールの現象が重なり合っており、それ イタス ) を区別し、さらに雨雲 ( ニンバ 考えていた人がいた。マンデルプローと 固定観念にとらわれない それのスケールの現象を目的に応じて抽 ス ) のラテン名 ( 生物の学名のようなも いう数学者である。彼は大ブリテン島の ・アナリシスとは : スケール 出することが基本である」と書いてある の ) を提案した ( 天 0 三 ) 。ヒルデブラン海岸線の長さが、地図の縮尺によって変 ( スケール・アナリシスの考え方 ) 。天気 しかし、そのような自然のイメージは 化することに着目した。縮尺率の大きな ドソン Hugo HiIdebrandsson ( 天三ハー 予報に関係するスケールは、新聞天気図 九一一五 ) は、国によって雲形が異なるかど地図ほど海岸線のぎざぎざが細部まで表すでに文学者が指摘していたものであ る。トーマス・マンの小説『魔の山』 ( 一 に描かれた程の広がり ( 総観規模スケ うかを確認するため、世界各国を旅行し現されるので、海岸線の合計が長くな ール ) をもつ。このように、自然を大き 九一一四 ) の主人公であるハンス・カストル る。彼は、分解能によって全体の長さが て、雲形は世界のどこでも同じであるこ 異なるような輪郭線は、正方形などの通プは結核療養所のバルコニーで生命の本さによっていくつかの階層に分け、特定 とを確かめたそうである ( 天七九 ) 。 のスケール ( 地図でいえば、特定の縮尺 質に関する自然科学的な探究を試みるの 常の図形と質的な違いがあると考え、そ 一八九四年には、雲形に関する国際会 であるが、思索をミクロな方向に進めた率 ) だけに着目する視点は、確かに近代 の性質をもっ図形にフラクタルという名 議が開かれ、今日使われる一〇種雲級が 極限で、ふたたび宇宙的視野に戻ってし気象学の発展に役だった。しかし、私 前をつけた ( 一九七五 ) 。そして、フラクタ 制定された。また、雲形と天気の関係を 。いま、特定の縮尺率だけで大気をみ ま , つ。「小き、いとき」 , んい , んない」世界は ルの性質を客観的に表現するフラクタル 論じる「雲学」 ( ネフォロジー nepholo- 「大きさがわからないほど大きな」世界る視点に疑問を感じている。それは、自 (y) という学問も生まれた。しかし、空次元という量を導入した。ところが、雲 と同じようなものではないか。彼は自分然の一面しかみていない気がするのだ。 もフラクタルの一種だったのである。 を見上げて観察できる範囲は限られてい この懐疑は、ジャック・モノー Jacq ue の内側に大きさの異なる何百人もの自分 積雲の輪郭はもくもくと膨らんでいる る。三〇〇〇キロメートルに及ぶ大気の渦 L. Monod が 『偶然と必然』 ( 一九七 0 ) の がいて、毛布にくるまり、月光を浴びた 巻の動向を予測するには、あまりに視野が、一つの膨らみをよく見ると、小さな なかで、「火星人が地球人のコンピュー アルプスの高原で、顔をほてらせ、自然 か狭い。それゆえ、無線電信の発明とと膨らみがたくさん集まっている。小さな タの働きを理解しようとする場合、 *0 科学の探究を行っている幻想的なイメー 膨らみの一つにはさらに小さな膨らみが もに、天気図による天気予報が始まると を分解して細かく調べる方法を原理的に ジを、いに思い浮かべるのだ。 集まっている。というぐあいに、際限も 雲学は急速に廃れてしまった。 もちろん、これはトーマス・マンの空不可能と考えたら、果たして正しい理解 なく凸凹が重なっているのだ。この性質 ひゅ 雲の「フラクタル ができるだろうか」という比喩で示した 想である。マンデルプローの仕事は、地 が海岸線と同じなのである。 次元」の研究 形や雲形など自然の一面に着目した科学懐疑と似ている。私の気象に対する興味 最近の気象学会では、雲のフラクタル は、大気の営みを小さな現象から大きな である。両者はまったく異なっているよ 私は、そのような事情をまったく知ら次元を問題にする研究発表が見受けられ うに思われるかもしれないが、私は、一一現象までできるだけ本当らしく自分の頭 るが、それを聞いて、三〇年前に、もう なかった学部学生のころ、人間の目によ のなかに再構築することである。そのた って主観的に区別する一〇種雲級を客観少ししつこく雲形の輪郭を調べるのであ〇年間、地球物理学に親しんできて、少 めには、できるだけ固定観念にとらわれ なくとも地球に関する科学は、文学者の ったと悔まれた。 的に表す方法がないかという問題に興味 ない自由な気持ちで自然を観察してみた 作業と似ているような気がしてならな それはともかく、彼は、海岸線や雲だ をもった。そこで、雲の写真集にあるさ い。「風景画を描くとき、木や家や畑で 。その理由は、厳密科学と異なり、完 けでなく、多くの自然界の形がフラクタ まざまな雲の輪郭をトレーシングペー はなく、小さな青い四角やバラ色の長方 全な実証ができない点にある。極端にい ルの性質をもっことを指摘した。そうい ーに写し、そのパターンの特徴を客観的 えば、人間にできるのは、地球の不完全形や帯状の黄色があると思って絵を描き われてみると、自然界の構造全体が無限 に抽出する方法がないかとあれこれ考え なさい」といった印象派の画家モネのよ なイメージを頭に描くことだけなのだ。 に繰り返すマトリヨーシカ ( 大きな人形 た。しかし、よい案が思い付かす結局あ うな気持ちで雲を見たら、なにか新しい 最近の気象学の教科書には、「大気現 の中に小さな人形が入っているロシアの きらめてしまった。ところが、同じころ 視点が生まれそうな気がするのである。 象には、空間的・時間的にさまざまなス こけし ) のように田 5 えてくる ( 一九六七 ) 、ヨーロッパで同じようなことを
一九八四、八五年の二年にわたり約五〇不出のわが家の品種という。きくほど ここでは各農家が主食用作物につい 〇〇点のサンプル収集が行われ、その半 分を受譲した。 て一、二の専売品種をもっている。あり ふれた豊産性の一般品種は、広くどの農 家計を支える曲がりャムイモ 家も栽培し、自家用とする。それは売り ャムイモ、タロイモ、サツマイモ、 に出しても多すぎて値がっかない かね ナナ ( 料理用 ) は、パプア・ニューギ一一方、専売用品種は稀少品種として金にな る。この地方の各農家は侵さす侵され アの四大主食用作物である。これらはい すれも遺伝的変異が多く、それそれに思 ず、互いに各専売品種を守って換金作物 として栽培する。日本で栽培するならば いもよらない品種を見かける。 ファーガソン・アイランドはニューギ 問題はないといって分譲されたそのイモ は、字型に曲がったものであった。策 ニア本島の東南方にある島である。島の のない過当競争、はかどらない特産地形 生活は自給自足による。わすかにコプ ラ、カカオを産出する。各農家は換金作成など、過ぎて及ばない日本の現実を思 物にきわめて乏しい。訪ね歩いたその付 近、主食はヤムイモとバナナで、サツマ ィモ、タロイモが続く。とある農家での こと、曲がりくねったヤムイモを見た。 栽培用としては村外不出はもちろん門外 ャムイモの変異 ( バプア・ まとめ 遠い昔から地方地方の文化を支えてき た固有の古い作物、品種の多くを失った 日本。先祖伝来の生活の中に村の生存を かけて村ながらの特徴ある品種を守りぬ く近隣の諸国。一粒の種子、一本の木が 世界を制する現実もみた。それゆえにほ とんど導入しがたくなった有用野生植物 遺伝資源。の掲げる理想のも と展開する植物遺伝資源収集保存運動は 尊い しかし真に目的を達成するには、理想 を信じて遺伝資源を供出した国々に対 し、さらにそれらの価値を高めた作物と して、善意の還元を施すことの重要性を 思う。そのことによって泣かされる国々 もなく理想は展開されよう。 国外へ採集人を派遣し、長い船旅を経き、カビの力を借りることなく発芽させ ることに成功したことです。この無菌培 て、枯らさすにもたらされるランは驚く ほど高価でしたが、これは日本も同様養法が確立されて、初めて計画的に大量 の苗が得られ、品種改良が急速に進展す で、昭和初期でさえ、ラン一株でりつば な家が建ったといわれますし、昭和三〇ることになりました。 年ころ、カトレアのちょっとよい品種は 高根の花から庶民の花へ バルプ ( 茎 ) 一個が一〇 ~ 二〇万円、シ 一九六〇年になってフランスのモレル ンビジウムのバルプ一個が三 ~ 五万円 がシンビジウムのウイルスに侵された株 ( ちなみに当時の大卒初任給が約一万円 からウイルスのない株を得る目的で、ま 程度 ) で、文字どおり高根の花でした。 だウイルスが侵入していない成長点を取 熱帯の着生ランが導入された初期には り出し、種子同様に無菌培養することに その栽培方法が理解できす、膨大な量の ランが次々に枯れ、イギリスはランの墓成功しました。アメリカのウインバー博 士はこれにヒントを得て、成長点の細胞 場であると非難されたほどでした。追々 その栽培方法も知れ、特異な花の構造も塊を培養液の中で振動させて培養すると わかり、やがてよりよい花を求めて交配 細胞塊が大きくなり、これを細切して培 養を繰り返し、多量に増殖させ、細切し 改良が行われました。 て寒天培地に置けば、それそれ芽と根を ランの最初の人工交配の成功はそんな に古いことではありません。一八五二年出して苗が得られることを示しました。 英国ビーチ商会のジョン・ドミニーは医これをメリクロンと称し、急速に同じ遺 者ハリスの指導でカランセ ( ェビネ属 ) 伝子をもっ良個体を多量に増殖して苗を の交配に成功し、これが一八五六年に開得る道が開かれました。こうして均一な 苗が供給されて初めて計画的生産が可能 花したのが人の手による交配種の最初で になり、かっては想像もっかなかったほ す。ひとたび方法がわかると、人工的に ど安価に大量に生産出荷され、急速な普 より美しく、より栽培しやすい強健な品 種が作出されてランはますます魅力を加及をみるようになりました。近年いうと ころのバイテクの基礎、ビンの中での培 えてきました。また、ランでは種間はお ろか属間交配が可能で、それぞれの属の養はランで始まりましたが、これはラン が高根の花であったことによるともいえ 特徴を活かしたまったく新しい花を作出 ましようか。いすれにせよ、美しいもの することができます。これら新交配種に を求める心が科学を進歩させ、皆が豊か は登録制度があって、英国王立園芸協会 になることはうれしいことです。 へ登録されます。このおかげで交配種の 唐沢耕司からさわ・こうじ一九三一年 ( 昭和 生い立ちを原種にまでたどることができ 六 ) 長野県生まれ。五二年東京教育大学高等師範 るのもランの特徴の一つです。 植物学科卒業。以来、高等学校で教複をとるかた ラン栽培にとっての画期的発展は、一 九二二年アメリカのナドソンが無機塩類わら、ラン科植物の調査・育種を行う。七六年か しよとう に蔗糖を加えた培地に殺菌した種子を播ら広島市植物公園園長。国際ラン委員会常任委員
は地下部に一方の種の形質のみが現れる 種類に限界があるだけでなく、全人類の 一第 食糧を満たすための技術とはとうていな と考えるのは非科学的といわざるをえなョ「 ) , したがってもし地下部はポテトで地 り得ないことは明らかである。 上部がトマトというものを望むなら、接 で 場 近代農業における ホテトとト ぎ木を行う以外方法はない。。、 工 エネルギー収支 マトは同じナス科の植物であるから、そ 野 れほど縁の遠い植物ではないので簡単に れ バイオテクノロジーとか先端技術、 野 さ ふいちょう 接ぎ木ができる。そのような接ぎ木実験 置 菜工場などと吹聴している人々は、わ 几又 はすいぶん前に行われ、できたポテトと が国の農業がエネルギー収支でどのよう 、ど 会ス トマトはともに小き、くなってしま、 になっているかを知っておられるのであ のタ レ ちらもまったく価値 ( 実用性 ) のないも ろうかもっとも生産が高いとされて 県と のとなることが証明されている。 いる水田稲作ですら、収穫物であるお米 茨上 もみがら また、細胞融合法を用いればどんな種 に殻、稲わらを加算しても約〇・四六 マ の間でも雑種が得られるかというと、必 で畑作が〇・六をやや上回る程度となっ すしもそうま、 。しかないであろう。細胞融 ているのである。 博れ 万さ 合ができ、融合細胞が増殖したとしても 農業技術の発展は確かにすばらしい 学培 再分化が可能でなければならない。そこ しかし、化学物質による環境汚染や地カ には再分化の条件と両種の遺伝子が働き るほどわが国のように生活レベルの向上異であり、これを見た人々も驚嘆された の荒廃を招いているばかりでなく、エネ 合いながら統制のとれた発生、すなわち した社会において、カイワレダイコンの ことであろう。しかし、あれだけの施設 ルギー収支においてもマイナスとなって 器官形成が完全に行われなければ、雑種事業は確かに企業として成り立ち、しか にはどれだけの経費がかかり、施設のラ いるとすれば、たいへんなことなのであ 個体は得られないはずである。 も事業としての面白味はあるのであろ ンニング経費はどの程度であるか、それ る。なぜならば、植物資源生産こそエネ いすれにせよ、すべての研究方法には つ。しかし、カイワレダイコンのために らの経費を入れて一個のトマトの原価が ルギー収支においてプラスであるべきで おのすと限界のあることを承知している 消費される莫大な量の種子は、ダイコン幾らになるか試算してみただろうか。さ あるのに、工業の発展に伴う二酸化炭素 必要があるのである。 の花が結実したもので、実際は土や水や らに、投入されたエネルギーに対し、収増加に、農業まで拍車をかけることにな 太陽を利用して生産されているのであ穫物はエネルギーとしてどれだけになっ るからである。 先端技術の経済性 る。このような問題を忘れて論議が展開 ているかというエネルギー収支を計算し 地球の周囲を取り巻く一一酸化炭素の層 これらとはカテゴリーを異にするが、 てみただろうか されている点に気づかないとすれば、農 はすでに限界を超え、その温室効果で地 昨今大きな話題となっている技術に水気業に対してたいへんな考え違いの見方が 珍しければいくら高くても売れるとい 球上は温暖化しつつある。アメリカの環 耕や野菜工場がある。そしてそれらは農 されるようになるに ( 理いない う感覚は、経済力のある社会以外では通 境保護局は二〇四〇年ころには約二度 業においていまや土や水や太陽はいらぬ また、科学万博のわが国の政府館に展用するものではない 0 、二二世紀までには五度 0 も上昇し、 という印象を一般の方々に与えつつあ 示されたトマトは巨大に育ち、しかも一 このように考えてくると、水気耕や野その結果は極地の氷の溶解につながり、 る。そしてその代表例としてカイワレダ 万二〇〇〇個の果実を結果させていた。 菜工場の技術開発も限られた地域におい 海の水位が徐々ではあるが高まり、全世 イコンがクローズアップされている。な トマトがあのように育っことは確かに驚ては有効で価値はあろうが、利用できる界の農耕地の大半が水びたしとなりかね 7
り、アフガニスタン、イラン、イラク、 ーズも、すぐ異常発酵をするので、魚と で、モンゴルにいたる広い地域にさまざ にしている部族や、ヒッジをトラックに 遠くシリア砂漠に続く乾いた内陸一帯同様にます強い塩をして保存したに違い まな形で分布している。 乗せて移動するものや、物資の運び屋に いまも家畜と共に水草を求めて移動 オしいまもギリシア、トルコから中近 アラブでジャミエード、アフガニスタ なっているものなど、その姿はさまざま する遊牧民がいる世界だが、この地域で東一帯で常食される、白いヒッジの乳の ンでクルート、チベットでチュルピーな たが、いすれにしてもその固い乾燥チー かて つくられ、かって漢人が乾酪とよんだの ピックルド・チーズ ( 塩漬けチーズ ) が どというのも乾妨豆腐と同じだが、それ ズが、いまも永い変わらぬ暮らしの糧に はギ、かい は、いまの日本の西欧型チーズとはつく それだが、辛いものは中辛の味噌程度は家畜の乳の端境期 ( ヒッジの場合は秋 なっていることは、あまり知られていな り方も見てくれも風味も違う、遊牧民独 で、塩分は一〇 % を超える。調理用には の交尾期から五か月 ) に備えた保存食な マルコ・ポーロが『東方見聞録』 ' 特の保存用チーズだったのだ。 水で塩出しをして使ったりするが、これ のだ。トルコ、シリアからモンゴルに、 書いた「幻の粉ミルク」がそれだが、そ も日本人があまり知らないチーズの世界たる内陸一帯は、普通、生乳をそのまま れは小刀で削って粉にして、お茶や水に 大陸放牧民のチーズ だろう。 飲用にはせず、必す一度発酵乳にしてか溶いて冬の飲料にしたり、調理用のソー チーズは、西南アジアのどこかで誕生 そして一方、家畜と共に移動するその ら飲用や加工用にする、いわば世界の酸スなどにひろく使われる。 し、数千年以上の歴史をもっ古い加工食地方の遊牧民が考えたのが、水を切った 乳圏だが、それらはます発酵乳からバタ ォルドスの旅で気づいたのは、耳にし だんご 品だが、初めは自然にできる乳のカード カードに塩を加えて、団子のように手で ーオイルをとった後の脱脂酸乳でつくら た日本のファッション食品とやらのチー れる。 をタネにして、乳を固めてその水気を切握ったり、うすい型に詰めたりして天日 ズだが、それは遠い地球の向こう側のフ ったものだったろう。 で乾し上げる方法である。それは移動に 内陸の遊牧民の中には、レンネットを ランスのものになる。 その後いつごろかは不明だが、やはり適した、軽量でしかも保存性の強いもの使ったフレッシュ・チーズを夏の交易品 西南アジアで、子ヒッジや子ウシの胃袋 を乾したものを水 ( ホェイや食塩水 ) に 漬けて得られる抽出液に、大量の乳を固 める強い力があることが発見された。そ れが凝乳酵素 ( レンネット ) だが、その カードのチーズ作りは、おもに西欧など の定着牧畜民の間に伝わった。 ヨーロッパのチーズの醍醐味は、その 自然の乳酸菌と凝乳酵素の働きのほか 、寒冷なその土地その土地の独特の細 菌や酵母、カビなども一役買った、天与 たまもの のいとなみの賜物だが、それは偶然や模 倣のわずかな好結果を、手さぐりで守り 続けてきた、驚くべき永い伝承の技なの ところが、炎暑の乾燥地帯では、いず れの方法でとったカードの水を切ったチ 遊牧民の乳製品 〔上〕ヨルダン。写真左上の紙コップに入っ ているのはヨーグルトのラバン。右上の袋入 りはラバンを水切りした調理用のラプニ 下右はさらにプレスして少し乾燥させたフレ ッシュチーズのジュプン。下左はラバンを鍋 の中で加熱してカードをとり、塩をまぶしな がら手で握って、天日で風乾した保存用チー スのジャミエード 〔下〕アフガニスタン。テントの上でクルー ト ( アラブのジャミエードにあたる ) を風乾 している遊牧民。写真は、いすれも筆者撮影