0 日本大百科全書 ENCYCLOPEDIA NIPPONICA 201 0 月報 コ笊ニカ通信 1987 年 9 月 第 17 巻・第 17 号 のばる餓死と、それ以上の人々が故国を すて、他国に移住することを余儀なくさ れた。また近くは、一九七〇年に、アメ リカにおけるハイ。フリッド・コーンのゴ マ葉枯病による壊滅的な打撃により招来 された世界的経済恐慌など、多くの食糧 上の危機が訪れた。これらはいすれも限 られた系統から育成された品種に大きく 依存した結果、招来された破局の典型で ある。病原菌に対する研究は常に行われ てはいるが、病原菌も長年の間には突然 変異などによって、新しい型の病原菌が 新生するのであって、恒久的に抵抗性を もっ品種は存在しないことは自明のこと である。したがって、いすれの大凶作も はじめに 遺伝資源とは 破局を招く限定品種への依存 突発的に起こる特徴をもっていたのであ ヨーロッヾ る。ジャガイモの場合も、 遺伝資源の確保の必要性が識者の間で 近年、遺伝資源の問題が提起されてき のものは一六世紀にイギリスがカリブ海 強調されたのは、けっして新しいことで たが、かならずしも正しい認識がなされ はない。その発端は文明の進展に伴う土沿岸から収集した一系統より育成された ていない節がある。以下に、筆者の研究 品種群に依存していた。トウモロコシの 地の開発が、自然植物資源の消失として 対象である「植物の遺伝資源」について 見解を述べる。遺伝資源は生物資源、ま現れたことから、遺伝子の補給源として場合も、限られた系統間の雑種組合わせ を長年の間用いてきた結果である。その たは資源生物と混同されがちである。生野生種の重要性を説く方面から提言され た。栽培植物の起源に関与した祖先野生ような歴史的教訓があるにもかかわら 物資源、または資源生物とは、木材のよ ず、作物の限定品種による栽培の傾向は うに人類に有用なもので、生物全体が直種はまだまだ多くの有用形質をもっ可能 性が多い。しかし、現実は、経済的生産世界的規模で進行している。 接的に利用可能な生物的資材をいう。一 この現象に拍車をかけたのは、「緑の 方、遺伝資源とは、かならすしもそのも 性の追及などから限定品種依存による遺 革命」とよばれるもので、世界的規模で 伝資源の画一化が進められ、それによっ のが直接的に利用されるとは限らない 特定の品種が普及した。その結果、各地 て各地域の在来品種は消滅の傾向をたど が、耐塩性に関与する遺伝子のように、 った。このような、限定品種による依存域の在来品種は絶滅に追い込まれ、とく 有用形質を提供できるか、またはその可 に遺伝資源の補給源の役割を演じていた がいかに危険な末路をたどるかは、幾多 能性をもつものをいう。つまり、遺伝資 それそれの栽培植物の遺伝的多様性の中 の歴史的教訓がある。たとえば一八四〇 源とは、「ある種の遺伝的特性をもった 心地域ーーそれぞれの栽培植物の起源地 年にアイルランドのジャガイモの疫病は 生物体 ( 多くの場合種子 ) 」のことをい 大凶作を招き、その結果二〇〇万人にも域ーーーまでも限定品種によって占められ うのである。 植物遺伝資源の保存と現状 新たな視点からの見直し 田中正武 田中正武たなか・まさたけ 一九二〇年 ( 大正 九 ) 台湾・台北市生まれ。四七年 ( 昭和二二 ) 京 都大学農学部農林生物科卒業。七三年京都大学農 学部附属植物生殖質研究施設長を経て、京都大学 名誉教授。現在 ( 財 ) 木原記念横浜生命科学振興 財団常務理事。遺伝学および栽培植物起源学専 攻。一〇回に及ぶ中近東・中南米遺伝資源探索 行、とくにコムギおよびその近縁野生種の収集 で、国際的に活躍。「日本大百科全書』では多く の栽培植物名項目で「起源と伝播」につき執筆。
こうして、古くて、新しい課題で 一方、末来の課題として、日本で ある利雪をめぐって「利雪文明」さ は利雪の時代を迎えようとしている え構想することができると、『学鐙』 のは、冒頭に述べたとおりだが、リ 禾 ( 一九八六年一月号 ) に書いたとこ 雪というと、積雪地域の問題だと思 ろ、それが『朝日新聞』の「天声人 植物遺伝資源収集保存の重要性がとり おらが自慢のカキの木は消えて われがちだが、 実は、そうではな 」 ( 同年一月九日 ) に取り上げら ざたされ、あるいはセンセーショナル に、またあるいは地味に新聞やテレビな れた。 「村祭のころ ( 九月下旬 ) には思いもよ 2 雪とは関係がなさそうな所で、 どに散見するようになってから二〇年に らす、霜の降るころ ( 十月下旬 ) になっ すでに利雪が実用化されているの 私が、「利雪文明は実現するか、 なろうとしている。日本の対応は出遅れ ても甘味の中に渋が残って食べられな を、これも最近に知ってびつくりし どうか、わからない。わからないか たとはいえ、関係各省庁諸機関の精力的 いまは植えかえられてなくなった ら、やめようと思うか、それとも逆 な取り組みによって、たしかにその面の が、先年まで庭先にあって子供のころに 東京のド真中、銀座にあるデパ に、わからないからこそ、挑戦しょ事業は実務面でも研究面でも大きな前進食べたカキの木は、 いまはどこにも残 をみた。 トの冷房が氷によって行われている うと思うか、そこに積雪地域が二一 っていない。惜しいことをした・ : 」。子 「植物遺伝資源は万国共通の宝」という 供のころだった。そのカキの実は五、六 のである。安い深夜電力を利用して世紀の魅力的存在になるか、どう 国際植物遺伝資源理事会 (lnternational 粒の種子をもち、それほど大きな果実で 夜の間に氷をつくり、それが融ける 力、がかかっている」と書いたの Board for Plant Genetic Resources. 。なカたが、甘さは強く、一年・おきに に、共鳴してくれたのである。 時にうばう熱によって館内を冷房す 略称の理念のもとに、筆者枝もたわわに実をつけて、訪れの早い伊 みの るシステムである。東京電力が開発 こんな挑戦の可能性こそ、利雪の も関連分野の仕事に携わってきた。その那谷の稔りの秋を楽しませてくれた。新 した方法で、「氷蓄熱」とよばれて 最大の魅力である、と私は思ってい 、国の内外の多くの機関や村々を訪 たに植えられたそのカキの木は甘さを発 ね、限りない協力をいただくとともに、 現することができなくて、いま悲しんで る。 いる技術だが、利雪も経済的になり 受けた感銘も多い。ここに数例を記し、 たつのは、やはり付加価値の高い東 ふゅう 甘くて大果の富有や次郎柿がこの地方 あらためて植物遺伝資源収集保存の今日 京か、といささか廡然たる思いがし を考えるよすがとしたい。 に知れわたったのは第二次世界大戦後の アメリカでは利雪の技術として行わないではない。それに、「氷で冷房 れているが、中国では、二千年も前 しています」とい , っと、クリーンな 、単純な作業ながら同じような利 イメージがあって若いギャルに平«¯ というのだから、なおさら 雪を目ざした技術が存在したことは 驚きであり、利雪に関する視野が広東京らしい利雪である。 がる田いがする 余話・植物遺伝資源探索 特徴ある品種を守る各国の努力 飯塚宗夫 飯塚宗夫 いいづか・むねお一九二二年 ( 大正 一一 ) 長野県生まれ。京都大学農学部農林生物学 科卒業。京都大学食糧科学研究所、農林省果樹試 験場、千葉大学園芸学部教授を経て浜松市フラワ ーク公社公園長。植物の遺伝・育種、作物の 起源と進化などの研究に従事。国際植物遺伝資源 理事会理事、同顧問歴任。中・南米、南・東南ア ジアの植物遺伝資源探索収集と保護にあたる。著 書に司植物遺伝資源をめぐる諸問題』 ( 養賢堂 ) ほ か。「日本大百科全書』では果樹類の編集委員。
コ 集 つまりコムギ、イネ、トウモロコシの三 食糧、地域的特殊性、 3 新開発または で つである。これらの作物は全世界の広地基礎的研究の進展のための三つに大別で 市 きる。 オ種域に適応性を有し、また、人類によって イロロ もっとも品種改良が進み、その成果をあ 国際的役割も高い デ来 ン在 わが国の遺伝資源研究 げてきた。しかし、これらの作物はもっ イの ロ とも「緑の革命」の集中を受け、限定品 わが国の遺伝資源の実態がいかにも貧 対モ種が世界的規模で普及し、その結果、各弱で、世界各国に比べてかなり遅れてい デウ ザ生 ント の野 地域の在来品種が急速に消失し、遺伝的るとの言論と報道が社会的に支配してい クの 一フギ 央 画一性が進行している種類でもある。し るが、はたして貧弱であるかという問題 たがって、在来種の確保と、それらの近 にふれておく必要がある。植物遺伝資源 た。在来品種の消滅は、変異性の消失と といわれており、これらの人々の食糧を縁野生種の収集を積極的に実施すること の探索・収集の重要性に関する提言では なって莫大な遺伝子の消失を意味する。 まかなうには、現在の食糧生産の約六〇 がきわめて重要である。第二の対象は、 国際的にもわが国は主導的立場にあっ 以上、遺伝資源の画一性とそれに伴う % 増が必要とされている。しかし、耕作 地域的な特殊性をもっ作物である。第一 た。国際的な遺伝資源の探索・収集・保 遺伝資源の消失の現状は、人類の「食の可能地には限界があり、食糧生産量の増 の対象とされた主要三大作物は、地域に 存・利用を推進する機関として、 歴史」において経験したことのない憂慮大にも限界がある。しかも、さきにみた よってはかならずしも十分な自給の体制 ( 国際植物遺伝資源委員会 ) が発足 すべき事態といえる。 がとりえない ように、遺伝資源の画一性と消失は急速 しかも、しばしば国際的したのは一九七四年であるが、わが国は に進もうとしており、この結果、かって な流通機構が何らかの事情で悪化した場 これに先だって七一年に京都大学農学部 2 新たな視点に立った遺伝資源の研究 経験した世界的な大凶作が起こらないと 合、食糧の供給が途絶する危険もはらん附属植物生殖質研究施設が発足し、野生 先史時代は一五〇〇種以上の野生種を い , っ保障はどこにもない でいる。したがって、主要三大作物以外種を中心とした植物遺伝資源の探索・収 食糧の対象として採集し、有史時代では このような予測される事態を回避する に、地域的な特殊性を活用した作物を確集を活発に実施した。とくに近縁種を含 採集から栽培化に入り、約五〇〇種が野 ため、筆者は、「新しい視点に立った遺保することが必要となってくる。たとえ むコムギ野生種の探索・収集活動は早く きはらひとし 生型から栽培型への転換に成功した。そ 伝資源の研究ーー探索・確保・保存」を ばわが国では、イネ以外にアワ、ソバな から進められ、木原均博士 ( 天九三ー の後、経済作物としての選択がもっとも 強く提唱しこ、。 オし以下に筆者の考えを述 どの雑穀類、北ヨーロッパではジャガイ 六 ) を隊長とする京都大学力ラコルム・ 進行したのが現代である。現在の栽培植 モ、熱帯地域ではイモ類、などである。 ヒンズークシ学術調査が行われたのは五 物は約八〇種、そのうち食糧の大部分は 筆者はかねてより、遺伝資源研究の対第三の対象は、時代的要求 ( バイオテク 五年である。この調査隊の木原均博士 三〇種に依存している。なかでも、コム 象とすべき植物を大きく三つのグループ ノロジーへの利用など ) や、特定の利用 ノンコムギの一つの祖先種であるタ ギ、イネ、トウモロコシの三つは人間の 目的 ( 品種改良など ) に応えるためのも に分けている。 ルホコムギの主要分布地域を調査した。 穀物消費量の七四 % 以上に達する。 ます第一の対象は、人類の食物史上少 のである。それは栽培化が進んでいな収集されたタルホコムギはパンコムギの 世界の人口は現在五〇億で、今世紀末 なくとも一万年以上の実績と経済性をも 、自然界の植物ーー特定の野生種であ 直接利用可能な遺伝資源として、アメリ には六〇億を超えるといわれている。現ち、社会的評価に耐えてきた作物であ る。ここでは、遺伝的多様を豊富に確力は一七九点にも及ぶ全系統の分譲を強 在も一部の地域では深刻な食糧難に見舞る。それは、このような歴史的背景を考保することが重要である。 く要望した。その後、五五年に続い われており、このままでは、今世紀末に えるとき、食糧確保にもっとも重要な役 以上、二一世紀に託する植物遺伝資源回以上、西南アジア地域を中心とした調 として確保すべきものは、①世界的主要査が筆者らによって実施された。これら は飢えに苦しむ人はおよそ六億に達する 割を果たしてきた世界的に主要な作物、 を 01 、ツ
る。油価格の低迷はあるにせよ、ココャ 行う一方、拠出金でも協力の度を強めて 間もないころであった。そのころまで、 地域的には均斉を欠く シ以外には生産費が少なくてすむ換金作 きた。しかし、発足当初五年間に固めら おらが山家の誇り、村の評判でもあった れた業務や主課題の配慮において、地域物がほとんどなかったこの島にとって、 カキの木ではあったが、見劣りする小果 「われわれが先祖からうけ継いだ作物の 近隣からのアプラヤシの導入は大成功で 品種や系統、および地球が育んできた野別の傾斜が大きく、日本を含む東アジア で種子が多いために、惜し気もなく伐り あった。 および近隣地域に対する対処は十分とは 倒された。その跡に希望のカキとして富生の作物の原種および近縁種などの遺伝 いえない ボゴール植物園はインドネシアが世界 この遅れは、今日もなお尾を 有が植えられた。数年後、躍る心で賞味資源を、今日のわれわれの生活のために ひいている。しかし、これには加盟に五 に誇る植物園である。その園のほば中央 した大きな果実は多分に渋いものであっ 失わせることなしに、 いつでも利用でき ハⅡにかかる橋のたもとに、 年の遅れを出した日本の専門分野と、そ部を流れる」 るように、人類の子孫と地球のために、 ひときわ高く伸びて天を突くヤシの木が れをとりまく社会情勢、また東アジアの 甘柿も渋柿も幼果のうちはいすれも渋永久に安全に保全してゆく」ことを主目 ある。「この木は一八四八年にアフリカ 複雑な国際関係にも大きな責があったこ 、。、、肥大し成熟するにつれて、甘柿で的としてが国際農業研究協議 から導入されたもので、東南アジアに広 とを、深く、いにとどめなくてはなるま は糖分が蓄積する一方で、渋味成分が不グループ (Consultative Group on ln- く分布するアプラヤシのすべての木の母 ternational Agricultural Research, 略 溶性となり、食べると甘さだけを感じ なる木である」と標示にある。今日、マ る。それが甘柿である。しかし、この生称 00—<?-;) の一機関として発足した 島々を救う一本の木 レーシアの農産物の中で、アプラヤシは のは一九七四年のことであった。この実 理的変化は低温下では十分に進まない。 パプア・ニューギニアのニュー・プリ ィネ、ゴムノキとともに三大作物の一つ 冷涼地の栽培では秋になっても渋味が残践には全世界が手をつなぎ、富める者は となり、一〇〇万ヘクタールに栽培さ テン島は、熱帯雨林が豊かに広がる島と るのはこのためである。伊那谷のような その富を、物ある者はその物を、知恵あ れ、二次産品も多い。このアプラヤシ産 3 して知られてきた。しかし、島のほば中 低温でしかも秋が早く来る地方で、子供る者はその知恵を、遺伝資源のある者は 央部キンべ付近になると一変し、走る道業も、もとはボゴール植物園のあの一本 のころ食べたカキのように渋が完全に不 その資源を、全人類のために、善意のも から始まったという。まさに一本の木、 路の両側に四角に区切られた緑の碁盤の とで出しあうことを前提とした。また、 溶化し、しかも甘さの強いカキの木がも 一粒の種子が、マレーシアからパプア・ 目が整然とした大ブランテーションが展 っている形質は、遺伝的にみてきわめて 収集し保存する遺伝資源は基礎研究に利 ニューギニアにいたる島々の農業を救っ 開する。ア・フラヤシ園である。開園七、 用する場合、無償で分譲するよう決めら 貴重で、育種の素材として利用度が高い たもので、産業上の効果は計り知れない 八年目の園がもっとも古く、山林皆伐の といえよう。その自慢のカキの木は永久れた。 はど大きい こ肖 , んた ) 後を追うようにして植え付けが続いてい —のこの理念に添って、今日 カキばかりではない。モモ、スモモ、 では百余か国、約六〇〇の機関がこれに ダイ「ン、カブナ = ・・・・など個性豊かな地協賛している。それらの主活動分野は、髪 ( 曰遺伝資源の収集保存、保存する遺伝 方伝来の古い多くの品種が保護されるこ ともなく、急速になくなってしまった。 資源の基礎調査と記載、関連諸分野の 開発的研究、研修・教育、国情報宣伝 優良品種が育成され、それが普及すれば などである。 古い品種は消えてゆく。それらがもって 日本はの誕生から遅れるこ いる遺伝的形質は将来のために保存され と五年、一九七九年にこれに加盟した。 るべきでもあった。急速に進んだ近代日 以来、各種委員として、また、探索収 本の変革が遺伝資源の面に落とした影は 集、保存、研修などの諸実務面で協力を また大きい インドネシア , ボゴール植物園内のアプラヤシ。 とびぬけて大きなヤシの木が , アフリカから移 入された「母なる木」である
のコムギとその近縁野生種の収集系統は 操」は同じだと謎をかけられた、「十八 世界唯一の国際的保存センターに指定さ 九歳のやや才気ばしった美人」は文之丞 れた。コムギ以外に、農水省農業資源研 を斃した龍之助と江一尸に出奔。芝新銭座 究所のイネ、東北大学農学部のキャベッ の代官・江川太郎左衛門の長屋に住み、 近縁野生種、岡山大学農業生物研究所の 一子郁太郎をもうける。 オオムギの四か所が、国際的な種子のべ 「身を誤ったのはお前ばかりではない。 ースセンターとして活動を依頼されてい この机龍之助もお前のために身を誤っ る。これらの保存系統は ) しすれも、諸外 た、所詮、悪縁と諦めがっかぬものか」。 国のそれと対比して、質と量とも優れた 彼はお浜を斬ってしまう。この「勝気」 ものといえる。 なお浜像には当時の雑誌『青鞜』による ″新しい女〃が投影されているとみてよ おわりに 遺伝資源研究の目標 かろうし、机龍之助の無意識的な女性観 遺伝資源の探索・確保は、それを利用 を規定しているといえよう。 する目的のためにあるのであって、消極 お豊とお君 的な備蓄を目的とするものではない。ま 『大菩薩峠』 ( 一九一三 ~ 一九四一 ) という巨大 あったと思う」と述べる大江健三郎 た遺伝資源の価値は、できるだけ変異が なテクストの特徴としては、ます近代文 (r 夢魂についてし。対照的な評一言の当否 お豊は心中の片割れとして、鈴鹿山麓 豊富に収集されていることが大事なので 学の主流の達成である男性中心主義に対 はおくとして、両者ともに近代文学が不でお浜によく似た女として、龍之助の、 3 あって、総花式に少数個体を収集しても する、女たちの物語の復権、周縁的なト 当に疎外し、等閑に付した領域にスポッ いわば雷の一撃 ( ひと目惚れ ) の対象と 意味がない また、遺伝資源として野生 ポス ( 場所 ) の文学的な発掘、ユートピ トをあてた作品と考えている点で、期せ なった女だが、「あわれ」という古来の 種を収集し、確保するだけでは十分とは アと、「非農業民」 ( 網野善彦 ) たちの漂すして一致したといえるだろう。以下一一一口葉にふさわしい、固有生活的な、宿業 いえない。自然淘汰と環境に適応してい 泊を描いた小説の要素をふくんでいるこ 『大菩薩峠』を彩る女たちのプロフィル の女だろう。目を病んだ机龍之助のため る遺伝的変異性との相互関係は、新しい となどが挙げられるだろう。 を粗描してみよう。 に苦界に身を沈め、彼のために金と遺書 進化と遺伝的多様性を生み続ける。した ここで述べる女性像に関しては二つの を残して自害する。彼女の死のきっかけ お浜 がって、自然集団における野生種の確保代表的な言説を紹介しておく。タイプが は、お君の唄う「間の山節」の旋律であ しゆく′ ) う とともに、野生祖先種の研究など、遺伝描かれているだけで、性格までは掘り下 お浜は介山の描いた数々の、宿業の る。「あゝ、間の山節が聞える、死にた なかんずく 学的考察が重要となってくる。 げていないとし、「就中女の取扱いは 女たちの最初の女人であり、芝居や映画 しっそ死んでしまおうかし ルいーレや 今もっとも求められているのは、広く 不得手と見えて、お豊、お君、お雪など などで最も人口に膾炙した存在だろう。 りようじよく つくえりゅうのすけ 遺伝資源を探索し、可能な限り遺伝的変皆同じような感じを与える」と評する谷作品の冒頭、自分を凌辱した机龍之助 花は散りても春は咲く / 鳥は古巣へ じようぜっろく ぶんのじよう 異を収集し、安全に維持するとともに、 崎潤一郎 (r 饒舌録し。 にむかって、内縁の夫・宇津木文之丞を 帰れども / 行きて帰らぬ死出の旅 ) き一や 遺伝資源の供給源としての自然集団を保 もう一つは、「もっとも魅力的であっ 殺せと囁く「奇怪な女性の心理」を、芥 全する体制を早急に確立することであ た、というより、魂をうばわれるほどで 川龍之介の『藪の中』 (一九 llll) の先駆と 「しーーーでーー・のたび、人を引張って死 る。これは二一世紀を迎える人類のため あったのは、『大菩薩峠』の女性たちの、 捉えたのは平野謙であった。 出の旅へ連れて行きそうな音色。 : : : 死 になすべき、われわれの任務であろう。 多彩な、生きいきした、その有りようで 龍之助によって、「試合の勝負と女の 出の旅ーーで低く沈んで、唄と無限の底 ・こ、さっ 『大菩薩峠』を彩る女たち 女たちの物語の復権 伊藤和也 なかイ - ととしろう 伊藤和也いとう・かすや ( 本名・中里敏朗 ) 一九三二年 ( 昭和七 ) 東京都生まれ。早稲田大学 文学部仏文科卒業。大衆文学研究会、昭和文学会 各会員。文芸評論を発表。著書に气メメント・モ リ』ェビクロスの園』曰ムーサの快楽ーーー文学と 映像のはざまでー』『増補中里介山論』、編著 「マロースロシア・ソビエト文学反古籠』 ( いず れも未来工房 ) など。作家、中里介山の甥。日 本大百科全書』では、「梶山季之」「藤原審爾」 「三好徹」などの作家項目を執筆。 かいぎみ たお
0 日本大百科全書 ENCYCLOPEDIA NIPPONICA OI 0 月報 コ笊ニカ通信 1986 年 9 月 第 11 巻・第 11 号 う、この話題があまりにもセンセーショ ナルに取扱われてきたため、この技術が 生物に活用されれば、ただちに主要な栽 培植物や飼育動物にもすばらしい新品種 か育成されるであろうとの大きな期待を 抱かせるとともに、とんでもない生物が 生まれるのではないかという不安も与え ている。しかし高等生物では単細胞生物 の場合のようにそう簡単にいくものとは 。まだまだ多くの解決せねばな 思えない らぬ問題が残っているはすである。 細胞融合技術への期待と限界 次に現在話題となっているバイオテク ノロジーの一つに、細胞融合がある。細 題となっている水気耕や野菜工場も同様 最近の科学技術の進歩はまことに目ざ ましく、コンピュータ、ロポット、光フ であろう。このへんで人口増加や自然破胞融合により育成されたポテト ( ジャガ ィモ ) とトマトの雑種ボマトはあまりに アイバー セラミックなどなどの急速な壊に対応した生物資源生産について、真 も有名で、多数の人々が地下部にはポテ 剣に考えてみる必要があるのではなかろ 実用化により、二一世紀を迎えるころに ト、地上部にはトマトが正常にとれると うか。このような意味でまず先端技術と は人間社会がいったいどのようになって 理解しておられるようである。生物はそ いわれるそれらの技術につき私見を述 いるのか、想像だにできないような気が んな簡単なものではない する。そのような先端技術のなかに、筆べ、私なりに考えている生物資源生産に なるほど、細胞融合技術、すなわち異 ついて述べてみよう。 者の専門と関連した分野として遺伝子組 なった種の培養細胞の細胞膜を溶かし、 換えや細胞融合がある。報道関係者はこ 遺伝子組換え技術への それらを融合させた細胞から新しい個体 そってこれらを取りあげ、しかも地球上 期待と不安 を分化させる技術の開発は、高く評価す の人口増加に伴う食糧を初めとする生物 べきである。また融合細胞より再分化さ ・ワトソン、・クリックの研究に 資源生産の将来はまったくバラ色である かのごとき印象を、多くの人々に与えて始まった分子生物学の発展は、その成果せて得られた雑種は、両親である両種の の一つとして遺伝子組換え技術を産ん染色体それそれ二組を合わせもっている いる。現在注目を集めているバイオテク だ。そして、すでにインスリンやインタ ので、大きな期待と興味ももたれる。し ノロジーの技術開発で食糧や自然破壊の かし、ボマトは地下部、地上部ともにポ ーフェロンなど医薬の生産面では実用化 問題が解決され、地球上の人類や動物た テトとトマトの遺伝子をもっており、と されている。また交配育種や突然変異に ちがすべて幸福になれるかのごとくに一一 = ロ もに両者の遺伝子の働き合いによって形 頼ってきた従来の品種改良技術に、新風 われているが、どうも私にはそのように 質が形成されるのであって、地上部また を吹き込んだことも確かである。いつば は考えられない。また、わが国で最近話 バイオテクノロジーと生物資源生産 農業における発想の転換 近藤典生 近藤典生こんどう・のりお一九一五年 ( 大正 四 ) 三重県生まれ。一九三九年東京農業大学農学 部農学科卒業。一九七四年 ( 財 ) 進化生物学研究所 を設立し、理事長となる。東京農業大学名誉教授 ( 育種学研究所所長 ) 。国立遺伝学研究所評議員、 学術会議専門委員。マダガスカル科学アカデミー 会員。理事および地域委員長を務め るなど遺伝、育種、生物資源の分野で国際的に活 躍。「日本大百科全書』では「サポテン」「パイオ マス」ほか多数の項目を執筆。
一九八四、八五年の二年にわたり約五〇不出のわが家の品種という。きくほど ここでは各農家が主食用作物につい 〇〇点のサンプル収集が行われ、その半 分を受譲した。 て一、二の専売品種をもっている。あり ふれた豊産性の一般品種は、広くどの農 家計を支える曲がりャムイモ 家も栽培し、自家用とする。それは売り ャムイモ、タロイモ、サツマイモ、 に出しても多すぎて値がっかない かね ナナ ( 料理用 ) は、パプア・ニューギ一一方、専売用品種は稀少品種として金にな る。この地方の各農家は侵さす侵され アの四大主食用作物である。これらはい すれも遺伝的変異が多く、それそれに思 ず、互いに各専売品種を守って換金作物 として栽培する。日本で栽培するならば いもよらない品種を見かける。 ファーガソン・アイランドはニューギ 問題はないといって分譲されたそのイモ は、字型に曲がったものであった。策 ニア本島の東南方にある島である。島の のない過当競争、はかどらない特産地形 生活は自給自足による。わすかにコプ ラ、カカオを産出する。各農家は換金作成など、過ぎて及ばない日本の現実を思 物にきわめて乏しい。訪ね歩いたその付 近、主食はヤムイモとバナナで、サツマ ィモ、タロイモが続く。とある農家での こと、曲がりくねったヤムイモを見た。 栽培用としては村外不出はもちろん門外 ャムイモの変異 ( バプア・ まとめ 遠い昔から地方地方の文化を支えてき た固有の古い作物、品種の多くを失った 日本。先祖伝来の生活の中に村の生存を かけて村ながらの特徴ある品種を守りぬ く近隣の諸国。一粒の種子、一本の木が 世界を制する現実もみた。それゆえにほ とんど導入しがたくなった有用野生植物 遺伝資源。の掲げる理想のも と展開する植物遺伝資源収集保存運動は 尊い しかし真に目的を達成するには、理想 を信じて遺伝資源を供出した国々に対 し、さらにそれらの価値を高めた作物と して、善意の還元を施すことの重要性を 思う。そのことによって泣かされる国々 もなく理想は展開されよう。 国外へ採集人を派遣し、長い船旅を経き、カビの力を借りることなく発芽させ ることに成功したことです。この無菌培 て、枯らさすにもたらされるランは驚く ほど高価でしたが、これは日本も同様養法が確立されて、初めて計画的に大量 の苗が得られ、品種改良が急速に進展す で、昭和初期でさえ、ラン一株でりつば な家が建ったといわれますし、昭和三〇ることになりました。 年ころ、カトレアのちょっとよい品種は 高根の花から庶民の花へ バルプ ( 茎 ) 一個が一〇 ~ 二〇万円、シ 一九六〇年になってフランスのモレル ンビジウムのバルプ一個が三 ~ 五万円 がシンビジウムのウイルスに侵された株 ( ちなみに当時の大卒初任給が約一万円 からウイルスのない株を得る目的で、ま 程度 ) で、文字どおり高根の花でした。 だウイルスが侵入していない成長点を取 熱帯の着生ランが導入された初期には り出し、種子同様に無菌培養することに その栽培方法が理解できす、膨大な量の ランが次々に枯れ、イギリスはランの墓成功しました。アメリカのウインバー博 士はこれにヒントを得て、成長点の細胞 場であると非難されたほどでした。追々 その栽培方法も知れ、特異な花の構造も塊を培養液の中で振動させて培養すると わかり、やがてよりよい花を求めて交配 細胞塊が大きくなり、これを細切して培 養を繰り返し、多量に増殖させ、細切し 改良が行われました。 て寒天培地に置けば、それそれ芽と根を ランの最初の人工交配の成功はそんな に古いことではありません。一八五二年出して苗が得られることを示しました。 英国ビーチ商会のジョン・ドミニーは医これをメリクロンと称し、急速に同じ遺 者ハリスの指導でカランセ ( ェビネ属 ) 伝子をもっ良個体を多量に増殖して苗を の交配に成功し、これが一八五六年に開得る道が開かれました。こうして均一な 苗が供給されて初めて計画的生産が可能 花したのが人の手による交配種の最初で になり、かっては想像もっかなかったほ す。ひとたび方法がわかると、人工的に ど安価に大量に生産出荷され、急速な普 より美しく、より栽培しやすい強健な品 種が作出されてランはますます魅力を加及をみるようになりました。近年いうと ころのバイテクの基礎、ビンの中での培 えてきました。また、ランでは種間はお ろか属間交配が可能で、それぞれの属の養はランで始まりましたが、これはラン が高根の花であったことによるともいえ 特徴を活かしたまったく新しい花を作出 ましようか。いすれにせよ、美しいもの することができます。これら新交配種に を求める心が科学を進歩させ、皆が豊か は登録制度があって、英国王立園芸協会 になることはうれしいことです。 へ登録されます。このおかげで交配種の 唐沢耕司からさわ・こうじ一九三一年 ( 昭和 生い立ちを原種にまでたどることができ 六 ) 長野県生まれ。五二年東京教育大学高等師範 るのもランの特徴の一つです。 植物学科卒業。以来、高等学校で教複をとるかた ラン栽培にとっての画期的発展は、一 九二二年アメリカのナドソンが無機塩類わら、ラン科植物の調査・育種を行う。七六年か しよとう に蔗糖を加えた培地に殺菌した種子を播ら広島市植物公園園長。国際ラン委員会常任委員
サポテンはエキゾチックである。 一三二五年のある朝、テスココ湖の島 だが、そのふるさとアメリカ大陸の乾の岩の割れ目に生えたウチワサポテン 燥地の人は、もの珍しさでなく、しつか 一羽のワシが止まり、ヘビをつか りと生活の中にサポテンを取り入れてき み、折からの朝日に翼を広げている光景 た。それがときには歴史にも影を落と が目撃された。アステカの神官は神託に し、思わぬところで、現代にも顔をのそ よる吉兆とし、そこを安住の地と定め、 かせる。 アステカ族は都の建設に入った。 一九八五年九月一九日にメキシコを襲 二〇〇年後の一五一九年に、テノチテ った大地震で、被害を大きくしたのも、 イトランは、スペイン軍を率いるコルテ もとはサポテンが関与していたといえ スによって征服されるが、当時すでに島 ば、大げさすぎるであろうか の周りの湖面は埋められ、面積一三平方 。の都市となっていた。その後スペイン サポテンの因縁 の統治下で、テスココ湖はすっかり埋め メキシコ市の前身はアステカ族が築い 立てられてしまい、その上に現代に至る た都市テノチテイトランである。流浪の メキシコ市が発展した。 民であったアステカ族は、一四世紀テス 今回の地震でビルが崩壊したのは、そ ココ湖の一つの小島に定住するのだが、 の埋め立て地だったのである。もし、ア そのきっかけの一つに、サポテンがあっ ステカ族の都がそこになかったら、コル テスの征服はなく、首都は別の地に建設 多目的植物サポテン その利用の歴史と資源性 湯浅浩史 湯浅浩史ゅあさ・ひろし一九四〇年 ( 昭和一 五 ) 神戸生まれ。兵庫農科大学 ( 現神戸大学農学 部 ) 卒。東京農業大学大学院博士課程修了。 ( 財 ) 進化生物学研究所研究員。農学博士。専攻は細胞 遺伝学、民族植物学。海外三五か国で植物調査 著書に「花の履歴書』 ( 朝日新聞社 ) 、〕。新園芸教 室』 ( 八坂書房 ) 、「農薬を使わないミニミニ菜園』 ( 健友館 ) など。ラジオで曰植物暦』を毎 土曜放送中。「日本大百科全書』では各植物の文 化史を執筆。 されたに違いない。 ウチワサポテンにヘビをつかんだワシ が止まった場面は、現在もメキシコの国 章や国旗に描かれている。アステカ族が ウチワサポテンを神託に取り入れたのに は、それなりの理由がある。ノバールと よばれる一群は、若い茎が野菜になる。 オクラのようなぬめりをもち、細かく んでサラダにしたり、煮食する。 アメリカ大陸はトマト、ジャガイモ、 カボチャをはじめ数々の野菜を生んだ が、なぜか緑色の野菜はほとんどない その例外がウチワサポテンで、重要な緑 色野菜だったのである。 サポテンの染料 ノバールの一種のコチニールウチワ は、かってエンジムシを飼育するメキシ コの重要な作物であった。エンジムシは カイガラムシの類で、その雌から得られ るカーミンは、赤色の染料として今世紀 ちょう に化学合成品が出回るまで、非常に重 宝された。 日本にも江戸時代にカーミンで染色さ れた布が伝わっている。三〇〇年前のそ じんばおり の陣羽織が残るが、色はいまも鮮やかな 緋色である。 カーミンの歴史は古く、ベルーでは有 史前から利用され、一 ~ 六世紀のモチー つば カ文化の壺に、エンジムシ採集の状況が 描き出されている ( 写真 ) 。虫をかき落と すための棒と、虫を入れる籠をもった採 集人がサポテンの間に描かれ、サポテン の上には拡大された立体的なエンジムシ が配置されたすばらしい作品である。そ のエンジムシは一見、貝のようで、かっ 3 て日本で展一小されたときは「 かたつむり 象型壺」と解説されていたが、目が二つ 「かたつむり象型壺」 / モチーカ文化 ベルー国立リマ市人類学考古博物館
ないと指摘しているのである。 すら危ぶまれる。これをなんとか食い止 ある。その目的が生物資源の生産である要とする生物資源の生産性を自然のなか でも増大させることができよう。 めねばならない。それには面積的にいち ことから、生態系的生物生産と称したの 農業における ばん大きな自然破壊を行ってきた広い意 である。これらを別の角度からみると、 新しい有用資源生物の探索 発想転換の必要性 複数の生物資源生産を同じ場所で同時に 味での農業の軌道修正、すなわち農業に それには新しい有用資源生物の探究が 行い、全体としての生産性の向上、すな 農業生産の場において、人為的に動植おいての発想の転換が必要なのである。 ます必要で、あわせてどのような人為的 わち支出を軽減し収入を増大させようと 物の形質を私たち人類の利用目的に沿っ 生態系的生物生産の考え方 管理を行えばよいかが重要な課題とな するものであるので、重層的生産という た方向に改良し、生産能力を最高に発揮 こともできょ , っ る。もちろん、主要栽培植物や飼育動物 させ得るモノカルチャー的、集約的な管 そこで考えられるのは植物生産と動物 自然界においても、前記と相似的な考は長い歴史に裏づけられ、育成されたも 理体系が確立されてきた。さらにそこに 生産の有機的結合である。筆者は数年前 ので、現在の農業生産の立場からもっと から遊休空間の利用とか、生態系的生物 え方を展開することができる。すなわ 遺伝子組換え、細胞融合、野菜工場など も生産性の高い効率的な種類であること 生産という一言葉を用いていくつかの実験ち、自然界の生物相は太陽エネルギーを の先端といわれる技術が登場してきた。 利用して成育する植物群を底辺とし、諸を否定するものではないが、観点、すな これらは私たちに大きな期待をもたせる を始めている。既耕地は当然のことなが ものではあるが、すでにみたように、 わち評価の立場を変えてみると、現在は ら、それぞれの目的に沿って十分活用さ種の生物が複雑に組み合わさり、しかも れている。しかし、そのようなところも それらは地史的背景と地形や気象などの野生のものや、かって栽培、飼育されて 定の限界をもっている。 したが現在はほとんど顧みられないと 二一世紀になると地球上の人口は七〇生態系的にみると遊休空間、すなわち時諸環境要因の制約を受け生存している生 か、地域的な品種系統のなかにも、きわ 億を超え食糧危機が必至と考えられ、食 間的、季節的、立体的には空いたニッチ物により構成されている。しかし、自然 めて有用な種類が存在していることに気 工 niche ( 場 ) が多く存在している。こ界では植物群の成育にとってもっとも悪 糧問題が新聞紙上などに大きぐ取り上げ がつく。 れらの遊休空間にそれそれ適した有用な い条件の季節の生産量をはるかに下回る られたのは一〇年近くも前のことであ この観点からの新しい有用資源生物の 量を基盤とし、しかも長い年月の間に起 る。現在人口増加の速度は多少ゆるやか資源生物を組み込んで、生物生産につな げようというのが生態系的生物生産の着 こる諸種の悪条件にも対応できる範囲で探究にあたっては、植物と動物、動物と となったとはいえ、現在すでに五〇億に ほにゆう いっても哺乳動物、鳥類はもちろんのこ 想である。それには従来からの主要栽培 の食物連鎖によって成り立っている。し 達しており、二一世紀には六二 ~ 三億、 たがって、自然界では生態系として密度と、魚類や節足動物など広い節囲の種類 七〇億になるのもそう遠くはない。そし植物や家畜のみに依存するのではなく、 のうちから、それそれの習性をよく知っ はどちらかといえばきわめて薄く、生態 その空間にどのような種類を組み込むか て一〇〇億までは増加するであろうとい たうえで、物質循環と食物連鎖を基調と 系的ニッチェの空きは多く存在している が問題となる。また、生産の過程におけ うのが大方の見方である。ところで人類 と考えるのが妥当である。とくに、季節し、どのように組み合せ得るかを考えて が地球上で生存していくためには、森林る雑草や病虫害対策は、現在、機械や化 選ばなければならない 。また、大規模な 学物質によりなされているが、物質循環的にみれば、植物性資源があり余ってい 植生が一定面積保持されていなければな 灌漑とか埋立工事は行わす、乾燥地や沼 らないはすであり、諸種の要素を基礎に と食物連鎖を踏まえ、それらもある程度るとみることができよう。そこで、この 沢、湿地帯など、すでにある土地を利用 ような条件を考慮し、空いたニッチェに まで解決できるような資源生物を選び、 試算された開発してもよい面積は、四二 して生物生産につなげるようなものでな 億ヘクタールであるとされている。しか生産につなげることも合わせ考えなけれ資源生物を導入するとか、成長のごく初 ければならない。その場合、先にもふれ ばならない 期の段階を一定期間人為的に管理し、そ し、現在すでにそれをはるかに上回る四 たように生産される資源の活用の様式や の後を自然にゆだね、あり余った資源を このような考え方はある環境のなかで 五億ヘクタールを超えており、森林消失 これでは野の生産相互の生態系的組み合せ、いうな活用させる。また、植物の成育の低下す経済価値をも、あわせ考えて行うべきで の速度は止まりそうもない。 ある。 る季節を人為的に管理すれば、人類が必 生の動物はもちろんのこと、人類の生存れば人為的に生態系を構成させることで
0 日本大百科全書 ENCYCLOPEDIA NIPPONICA OI 0 月報 コ笊ニカ通信 1988 年 5 月 第 21 巻・第 21 号 島の南岸から西岸にかけて発達する多島 海に多産するシナハマグリであるが、外 見のみならす分類学上もきわめて近縁 で、これに目くじらをたててまがいもの 呼ばわりする必要はなかろう。一部の業 者は、ストックのため輸入後地蒔きにさ えしていると聞くから、近い将来には次 世代の国産シナハマグリか、ことによっ たらハマグリとの交雑種も生じかねな アカガイやアサリ等も同様に大量に 輸入されている。これらは貝殻付きの場 合は紛れることはないが、東南アジア方 面の貝を素材とした″アサリ〃の水煮等 は、大衆食堂のシーフードとして用いら 国土の狭いわが国では、きわめて生産ナーの写真ぐらいでしか見なかったエキ の限られる畜肉 ( とくに牛肉 ) の輸入を ゾチックな食べ物が、日本でも安直に手れるが、これはアサリと科を同じくしな がら別種 ( イヨスダレガイ等 ) であっ めぐって、生産国との間に政治経済問題 に入るようになった。海産物でいえばア をおこしているのは周知の事実である。 メリカ産のストンクラブやオマールエビ ひところ新聞までにギ、わした″チリア 日本はこれまで、生産量の低い陸上動物 ( ウミザリガニ ) などがその代表である。 ワビ〃は文字どおり羊 ( アワビ ) 頭狗 タンパクにかわり、大幅に海からのタン 貝類の輸入も最近非常に盛んである ( ロコガイ ) 肉の例で、最近では素材は ハク資源に頼り漁業国日本として知ら が、甲殻類はど目をひくものが少ないこ ロコガイと明記してあるものの、煮貝や ともあり、また業界のほうでも従来から れ、最盛時には全世界の海洋生産の四〇 スライスなどになっているほか、中華料 の国産のものとなるべく紛らわしく目だ % を日本ただ一国で漁獲していた。その 理に入ってアワビに似た衣をまとってい たぬように売り込んでいる気配もある。 結果、廡業技術は日本においてもっとも る。もっとも、本物のアワビの類も最近 ここでは、それらを暴き立てることを目 多様であり、かつ高度の発達を遂げ、こ はオーストラリア等からの輸入も多く、 しかに魚食日本人 の面においては現在でももっとも先進国的とするのではなく、 それらはロコガイほど縁遠くはないが、 であり続けている。 が外国にまで貝類資源を求め、知らぬま 品質上国産アワビ類より落ちるのはひが にわれわれがロにしているかの実態をみ しかし、最近の領海・経済水域の設定 目であろうか。もっとも驚かされたの ようというのである。 などの世界情勢は他国の沿岸でとりまく は、中央市場で北米産のアワビを見たと る日本漁業をもはや許さす、ジョイン 〃青い目〃の貝類 きで、あたかもトコプシぐらいの小形品 ・、、ヘンチャーの推進や、生産国からの であったが、北米西岸ではアワビ資源保 多くの識者は市場に出回っているハマ 一方的輸入が盛んになってきたのも無理 護のうえから厳しく大きさの制限を設け グリの大部分が韓国産であることは、よ からぬことである。また「一方ではいわ ているはすなのに、どのようなルートか く知っている。それらの多くは、朝鮮半 ゆるグルメ。フームで、従来は外国のディ 輸入貝類の実態と問題 ー・・ー魚食日本人の資源探求ーー 奥谷喬司 奥谷喬司おくたに ・たかし一九三一年 ( 昭和 六 ) 北九州市生まれ。一九五四年東京水産大学卒業 後、水産庁東海区水産研究所、国立科学博物館動 物研究部研究室長を経て、現在東京水産大学教 授。理学博士。専門は軟体動物の分類、生態、資 源。〕。日本大百科全書」の編集委員で、軟体動物 ( 貝類、イカ・タコ等 ) 全項目を担当執筆。著書 には貝類図鑑類も多いが、イカ類の研究では国際 的に著名な学者の一人。