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検索対象: 日本大百科全書 10
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1. 日本大百科全書 10

さんさい しらぎ も東北地方では、春先に各種の山菜を野菜とし 海国 ) 、新羅三彩 ( 朝鮮半島 ) 、奈良三彩 ( 日 る。過保護とは、子供の自発性に任せることが て食している。野菜が本格的に栽培されるよう 本 ) 、。ヘルシア三彩 ( 西アジア諸国 ) などが八 必要であるにもかかわらす、手を貸してしまう になったのは室町時代ころからといわれ、山菜 ~ 九世紀につくられた。↓唐三彩〈矢部良明〉養育態度である。過干渉とは、親の考える「よ として分けるようになったのは、野菜の栽培が さんさいいち月のうち三日開かれた い子」の枠組みのなかに子供を縛り付けて、自 三斎市 盛んになってからと考えてよい。また、栽培種 中世の定期市。史料的には平安末期から成立が由に発想したり活動したりすることができない ではあっても、春の七草にスズナ ( カ・フ ) 、ス 認められるが、鎌倉時代には農業や手工業の生状態に陥らせることである。このような状態の せんか しようえん ズシロ ( ダイコン ) が含まれているので、これ 産力の向上、銭貨流通の増大、荘園年貢物の子供は、おとなしく、親たちのいうことをよく らも野草の仲間であったとも考えられる。『万 換貨・銭納などを背景に、全国の荘園、公領に 聞く子供であったり、「内弁慶の外すばみ」で 葉集』巻一に、「この丘に菜摘ます児」と詠 一成立した。三斎市のいわれは、仏教の法会や行あ 0 たりする。それに気づいたならば、過保護 まれているように、山菜は古くから日常食とし 事と関連して市が開かれたことに由来するものや過干渉の養育態度を改めなければならない て食事に取り入れられてきた。平安時代には、 であろうが、中世にはかならずしもそれとかか これが実現されると、子供は友達と遊ぶことを 大宮人は正月子の日に天皇の行幸を得て若菜摘 わりなく、個々の地域の経済事情で市日が決定楽しむようになり、自己主張に基づくけんかを - ごっ・一う みをする習慣があり、光孝天皇 ( 盒 0 ー され、開かれるようになった。市はおもに社寺始める。友人形成の能力が育ったわけで、四、 まんどころじとうやかた ゅ多あをた 4 わでの物し館 は、「君がため春の野に出で若菜摘むわが衣手 門前、水陸交通の要地、荘園政所や地頭館の五歳になると友達との遊びが次々と展開され い彩み穀葬高物 に雪は降りつつ」と摘み草の情景を詠んでい る。友人形成の能力は、小学校二、三年生にな 博近くに開かれた。今日各地に残されている二日 壺唐たもに紀立 る。これも野草が野菜がわりであったと推定で 市、三日市、四日市、八日市など、市開催日に って現れるギャングエージとも関係し、思春期 年はれお墓世国 なごり 万壺ら , 墳 8 京 きる一例である。近年は、栽培種の野菜も人工 ちなんだ地名は、中世三斎市の名残を示すもの における親友形成の能力にも影響する。↓幼児 年くでて東 彩万っ壺れの 的な方法が多く取り入れられたため、自然を求 が多い。↓市 〈佐々木銀弥〉期↓育児 〈平井信義〉 : っちょ・つ 三るくる入も 5 き、ん、いしんけいけ、 める志向から、山菜に興味がもたれている。そ 腔腸動物 三歳児 さんさいじ三歳になるまでの大人と散在神経系 のため、需要を満たすため野草を栽培し、大規よい。鍋物では、香りのよいものを用い、他の子供との親しい関係を基盤にしながらも、友達がもっ神経系で、散漫神経系ともいい、集中神 がゆ 模に供給されるようになり、セリなどのよう材料とともに鍋にする。七草粥のように粥に炊関係を楽しむ状態へと移行する時期であるが、経系の対語である。ヒドラやクラゲなどの腔腸 に、とくに野草というよりは野菜として仲間入き込んでもよい。また、ワラビ、キノコ、コゴ個人差が著しい。情緒が安定し自発性の発達し動物の神経細胞は突起を出し、その突起が互い りしているものも増えてきている。 ミなどを使用した山菜ご飯のような炊き込み飯ている子供の場合には、三歳を過ぎると、積極 に連絡して神経網をつくっている。この神経網 いんと・つ 〔料理〕山菜にはあくを強くもったものがあもできる。加工品としてはヨモギをゆでてよく 的に友達を求め、ともに遊ぶことを楽しむよう は全身に散在的に広がる。ロや咽頭の部分に神 くさもち つくだに いったんゆでて水ざらしをしてから使用しつぶし、草餅にしたり、フキを佃煮にしてきや になる。友達の範囲はまだ狭く、多くは二、三経細胞や突起がやや集中しているが、その分布 ヒ、ド一フ たほうがよいものが多い。あくが残っていると らぶきに、ヤマゴボウのようにみそ漬けにする人の子供とともに遊ぶ。その際、自発性の発達密度にはさほど大きな濃淡の差はない。 渋味などの不快な味が残り、味のよい山菜料理など、各地で加工品がある。また、最近は、山 に基づく自己主張をするから、同じように自発などの神経網では、興奮の伝わり方に方向性が をつくることができない しかし、一方では、菜のゆでたものをパックして、保存ができるよ 性の発達している子供との間でけんかを繰り返なく、いずれの方向にも伝わっていく。これら せきすい うにしたものも出回っている。 〈河野友美〉 しながら、友人形成の能力を発達させていく。 あくを抜きすぎて風味がなくなることもあるの の動物では脳とか脊髄といった神経機能をコン いろゅう ノ で、適度にあく抜きをする必要がある。とくに さんさい陶器に二種以上の色釉を染三歳児は言語発達も著しいので、言語を通じてトロールする中枢はどこにもないので、個体に あくの強いョモギ、ワラビなどでは、木灰を加め分けた加飾陶器の称。この色釉には低火度で友達や大人との交渉が可能となり、社会性の発加わった刺激に対する反応はきわめて単純で、 えてゆでることも行う。木灰がないときは重曹焼ける鉛釉が使われる例が多く、習慣上、高火達とともに、知的能力も発達する。それを援助複雑な行動の発現は不可能である。〈新井康允〉 を用いてもよいが、アルカリが強いので、使い ざんさいぶくろ残肴袋とも書く。懐 度釉を一器に数種かけ合わせても三彩とはよばするためには、できるだけ命令的な圧力による残菜袋 方がよくないと、山菜が溶けてしまうことがあない。鉄呈色で褐釉、銅呈色で緑釉、コバルト しつけをしないように努め、子供の自由な遊び石料理のとき、客をつけられなかったものや、 むこう・つけ る。ョモギの場合は、ゆでてから火を止め、少呈色で藍釉、そして呈色剤のない透明釉が三彩を尊重することである。 食べ残したもの、また魚の骨や、向付に添え うわぐすり ほじそしん 量の重曹を加え、そのまま三〇分ほど放置して陶の基本の釉である。 以上のことを考えて、幼稚園においては、三られた防風、穂紫蘇の芯などの残肴、残菜を入 中国では早くも前漢時代 ( 前一一 0 = ~ 後 0 に から水ギ、らしをするとよい。ワラビでは、木灰 歳児をも対象とした保育が行われており、三歳れておく袋。亭主に気づかれぬよう手早く処理 りくちょう を直接ワラビの上にふり、熱湯をかけてしばら始源的な三彩が試みられ、六朝時代末期の六 児保育の意義は大きい。ただし、三歳児に対しする心遣いが必要。昔は、汁がにじまないよう たもと く密閉して蒸らしてからあく抜きをする。フキ世紀後半には、白色の胎土に透明釉をかけ、緑ては、できるだけ多くの自由遊びが実現できる に油紙などを使って袂が汚れるのを防いだが、 現在は便利なビニルの小袋や、外側を布張りに は、皮をむき、水でよくさらしてあくを抜いて釉を垂らし込む唐三彩の技術母胎が完成し、唐ような保育でなければならない。また、三歳に 朝に入った六九〇年ごろから貴族趣味に合致し なってから第一反抗期に入る子供がいる。そのし内側をゴム張りにした体裁のよい袋などがあ から調理する。 〈筒井紘一〉 料理の種類としては、野菜と同様いろいろのた豊麗な唐三彩が熟成した。以後三彩は終始焼場合には、反抗を十分に受け入れる必要がある。 りよう そう みん 、んさいは , っとノ、、きんも、つろ り、それによって自発性が発達する。 ものに利用できるが、和え物、炒め物、揚げ造され、宋三彩、遼三彩、元三彩、明三彩、 三才報徳金毛録 ファーホワ もし、友人に対する興味が少ない子供の場合 江戸後期の農政家二宮尊徳の著。一八三四 物、汁物、鍋物など各種の料理に使用できる。法花 ( ソーダ水を含む半強化釉を用いた特殊 和え物では、ゆでた野草をゴマ、クルミなどでな三彩 ) などが系譜を連ね、明後期には磁胎に には、自発性の発達を阻害する因子があること年 ( 天保五 ) に成る。尊徳の理論的著作のうち 和えたり、ぬたにする。揚げ物では、さっとあ三彩釉を施す素三彩が流行した。また中国以外を考えなければならない。その阻害因子は、家もっとも代表的なもので、尊徳の独特の哲学的 ばっかい く抜きしたものに衣をつけ、てんぶらとしてもでも、この中国の技法を受けて、渤海三彩 ( 渤庭における過保護または過干渉によっておこ世界観が円の図をもって体系的に示され、その なっ イ ( せキ一 390

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さつま V 、 サツマイモ コガネセンガン 号 農 サツマイモ①育苗床に種いもを伏せこみ , 苗として切りとる ②芽は種いもの首部から多く発芽する ③ 5 月中旬 ~ 6 月 , 苗を畑に植えだす。茎の節の部分 , 葉柄の 基部の両側から出る根の一部がテンプンを蓄積してイモとなる 、④茂ったつるを刈取り , イモを傷つけないように掘る。掘り上 うげたイモは天日で表面を乾燥させ収納する ⑤原産地での野生種の開花 ( メキシコ , ペラクルス郊外 ) 号 沖縄百号 病気こよ、、 もこ黒斑ができて悪臭と苦味を くろばし もっ黒斑病や、葉に黒褐色の病斑が出る黒星病 などがある。黒斑病は種いもや苗の消毒によっ て防ぎ、黒星病にはおもに耐病性品種を用い る。害虫にはナカジロシタバやイモコガなどの ガの幼虫がおり、薬剤で防除する。 べにあか 〔品種〕大正時代には紅赤、源氏などがよく栽 培されたが、一九四〇年 ( 昭和一五 ) ころから 農事試験場などで組織的な交雑育種によって育 成された品種が普及し始めた。育成品種には農 1 一・一くいも 林一号、二号、高系一四号、沖縄百号、護国藷 などがある。大正時代の優良品種紅赤は、外皮 は鮮紅色で長紡錘形、食味は非常によいが、育 成品種に比べて収量が劣り、つくりにくいの で、育成品種の普及とともに栽培が激減。しか し近年、食味が重視され、ふたたび栽培が増え ている。農林一号は、外皮は赤褐色、食味がよ く、栽培もしやすいので、第二次世界大戦後急 激に増え、現在でもよく栽培されている。高系 一四号は、外皮は鮮紅色で、外観、食味ともに よく、若いうちからいもが太るので早掘り用と して栽培が広がっている。これらのほか、コガ ネセンガンは、外皮は黄褐色で、デンプン原料 用として栽培され、飼料用品種としては、茎葉 といもの両方の収量が多いシロセンガンや・ヘニ センガンなどがある。 〔貯蔵〕いもの品質を保っため、貯蔵の温度と って茎が三〇弩ほどに伸びたころ切り取って苗 湿度を適正に管理することが重要である。貯蔵 とし、畑に挿す。苗の挿し方は斜めや水平などの温度は一三 ~ 一四度 O 、湿度は八五 ~ 九〇 % うね いくつかの方法があるが、畝間六〇 ~ 九〇 がよい。貯蔵温度が低すぎると腐りやすくな そしよく ひょく 株間三〇 ~ 四五垰一とし、肥沃な土地では疎植る。簡易貯蔵法として、深さ一ほどの溝を掘 に、やせ地や早掘り、晩植栽培などでは密植と り、底や周りを藁で囲っていもを入れ、呼吸熱 する。植え付け後一か月以内に除草が必要であを利用して適温に保つ溝式貯蔵などがあるが、 るが、一度茎葉が地面を覆ってしまえば雑草の近年は、加温のできる大規模な収納庫を利用し 発生は少なくなる。収穫は晩秋、茎葉の成長が たキュアリング curing 貯蔵も行われている。 停止したころが適期であるが、一般には一、二 これは、最初数日間、庫内の温度を三〇 ~ 三三 回霜にあって葉が枯れてから収穫することが多度 0 、湿度を九〇 ~ 九五 % にしておき、その 。最近は晩夏から早掘りも行われる。 後、一三 ~ 一四度 O で貯蔵する方法である。 もは傷がつくと腐敗しやすくなるが、この方法 肥料は他の作物よりもカリを多めに与える。 標準的な施肥量は一〇当り窒素四 ~ によると、最初の高温期にいもの傷口にコルク ン酸四 ~ 六キ。、カリ一〇 ~ 二〇キロである。サッ層が形成され、自然治癒 ( キュアリング ) し、 マイモは連作のできる作物であるが、吸肥力が病菌の侵入を防ぐことができ、いもの粘質が高 強いので連作する場合には施肥量を多くする。 まり、甘味も増し、外皮は滑らかになる。 また、堆肥は土壌条件をよくするので、一〇臂 〔生産状況〕世界の栽培面積は約七九一万 当り六〇〇キ。以上は入れるようにする。窒素が収穫量は約一億一四八四万トン ( 一九ハ三 ) で、その 多く、カリが不足すると、茎葉だけが繁茂して九二 % がアジアで収穫される。もっとも収穫量 いもがっかなくなる ( つるばけという ) 。 が多いのは中国で、九五七〇万トン ( アジアの総 たいひ 起源地 ーー伝播経路 サツマイモ / 伝播 わら 175

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る ② ① まつやに めん 年を経たサルは毛に松脂を塗り込んでいるた籬」の訓として「むぎすくひ」をあげ、麺類を 2 め、鉄砲の弾も通らないといって恐れる。サルゆでるための竹器とする。また室町時代中期の 2 納年たれ O 、 (C) し・カ は昔話の主人公として登場することも多く、 辞書『下学集』には、「笊籬」の音に「そう 奉 さるかに いきぎも みそこしなり て描 を 『猿蟹合戦』『猿婿入り』『猿の生肝』などがよ り」訓しいかき」を記し、「味噌漉也」と定 O しか 猿圧な絵 く知られている。 〈大藤時彦〉義している。このはか、江戸時代より以前の古 , みの レ 。る朝と 〔文学〕上代の文献から数多くみえ、『日本書辞書では「笊籬」を、ほとんどが「いか ( が ) 、」うぎよく ) す王獣サ ぶつ 内 を聖る 紀』皇極天皇の巻にも登場する。『万葉集』巻き」と読んでいる。江戸時代中期の方言集『物 おおとものたびと るいしよう - 一 きない け第をす 卦 ( ル内 三には大伴旅人の酒を讃むる歌のなかに、「あ類称呼』には、「畿内及奥州にて、いかき、江 みにくさか えち いずも 願室サ案 野 な醜賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿に 戸にて、ざる、西国及出雲、石見、加賀、越 と玄は道谷 かいふうそう ぜんえちご に墓人への かも似む」の一例がある。『懐風藻』など漢詩前、越後にて、せうけと云」と記す。あるい ' う王ト界家 ろうえいしゅう 者よンプ冥王 に用例が多く、『和漢朗詠集』下「猿」に「猿は、この語は単語の地域差を示すかっこうの例 みこゑけうかふ きのはせお の叫び三声暁峡深し」 ( 紀長谷雄 ) とあるようであったらしく、たとえば『皇都午睡』には 」祠れ一王ペ あけがた の現力弋 に、暁方の峡谷で悲しげに三声鳴き旅清をかき 彦がンイはテ 「 ( 江戸では ) いがきをざる」というと記す。 田人タに 以上の例からわかるのは、日本において水分 猿ねッ面る立てる、というのが類型化していたようであ ③尋④ろ壁い る。和歌の用例はあまり多くはないが、「ましを漉すための竹器に「笊籬」の字があてられ、 ざってい ら」「まし」などの形で詠まれ、『古今集』雑躰畿内を中心とした先進地域でま「 : ゝ ししカき」とよ 庚ルを る に「わびしらにましらな鳴きそあしひきの山のばれ、「ざる」という呼び方は江戸を中心とし おおしこうちのみつね ざらの名 かひある今日にやはあらぬ」 ( 凡河内躬恒 ) のた地域で使われ、近年全国的に普及したという かか」便の ろくじよう 聞ろ神共 ことである。 歌があり、『古今六帖』や『紫式部集』などに まくらのそうし ひゅ よ るとやたる もみえる。『枕草子』には人間の比喩として二 ざるはまた魔除けとしても使われることがあ ざる灯れれ おとぎぞ、つし く寺、そうし 見す提まわ 例用いられている。御伽草子や草双紙などにも った。たとえば江戸では二月八日に門口にざる せいめいせい 通 生行 と 昔話に取材した猿の話がいくつかある。俳諧でをかけた。一説に、、、 さるの目の形が晴明星とい 市 ・はーしレきっ おんみようどう 年月 月 伏 は芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」 ( 猿う陰陽道における魔除けのしるしに似ている 大 そ 県 県 蓑 ) が有名。一別第 〈小町谷照彦〉からだというが、これは、鬼が人に邪視を加え 玉 梨 山 にす回河合雅雄・岩本光雄・吉場健一一著『世界のサようとすると、ざるの目の複雑さに気をとられ みなかたくまくす 猿する祭と祈 ル』 ( 一九穴・毎日新聞社 ) ▽川村俊蔵・伊谷て力を失うからだともいう ( 南方熊楠著『十一一 三表れ宮ふを 純一郎編『今西錦司還暦記念論文集 2 サル支考』 ) 。 〈森谷尅久〉 = 大俗のをま王座事 民塔る刻山た無 社会学的研究』 ( 一九六五・中央公論社 ) サール Saar 西ドイツ南西部、ザール川流 / 申ざに橋せ ル「庚わ塔猿のき 申 さる十二支の第九番目。「しん」ともい 域の地域名。ザール川 Die Saar 、ザール地方 サ①言申②を書 、十二支獣としてサルがあてられる。七月の Saargebiet などの用い方がなされるが、一般 ほだか にザールといえばザールラント Saarland ( ザ 神話では、王となる人物がしばしばサル ( コロで武尊様というお宮の周りを三度逃げ回る。こ異称として用いられるほか、時刻としても用い ひつもと」かもと ール州 ) をさす。フランスとの国境に近い鉱工 。フス属 ) に結び付けられ、メル族では白黒二色れを櫃元、酒元という祭役が追うが、サルが追られ、今日の午後四時を中心とした前後二時間 のコロプスモンキーが神聖視されている。イン い詰められるとその年は豊作という。また、サを「申の刻」「申の時」といった。「申の刻」は業地帯であるため、しばしば両国間の係争地と ルは子供の無事を祈る願掛けとしても信仰され日没に近いところから、物事の盛りを過ぎたこ なった。フランス語名サール Sarre 。↓ザール ドでも神聖な動物とされ、ガロ族では共同体の ラント↓ザール問題 〈朝野洋一〉 るため、妊婦の安産を守るという子安地蔵にく とのたとえとしても用いられ、古くなった衣服 供犠にサルを用いる。またインドネシアのバタ くり猿を奉納したり、子供の背守りにサルをつなどをさしていうことも多い。方角としては、 ク族では、人間とサルの祖先が同じであると考 サルアワビ〔猿鮑〕 giant flat false lim ・ 西から南へ三〇度寄った方角をいい、西南西に pet/8Tugalina を g 軟体動物門腹足綱ス え、食べることを禁じている。このほかマダガける風習もある。 うまや 〈宇田敏彦〉 サルを厩に飼う風習は海外にもその例がみらあたっている。 ソキレガイ科の巻き貝。東北地方や北海道の潮 スカル島でも、サルを殺したり捕らえたりする れ、わが国では鎌倉時代に厩にサルを置いたこざる細く割った竹で丸くくばみをつけて 間帯下の岩礁にすむ。殻は平低な形で、殻長 ことをタブーとし、死んだサルは埋葬するとい たちばなのなりすえ ここんちよもんじゅう 編み上げた容器。漢字では「笊」と書くが、こ 〈加藤泰〉とが、橘成李編『古今著聞集』 ( 一一一禹 ) 巻二 からみると亜方形、胎殻は巻いている。殻長九 しんし そうぜんしん さんのうごんげん ひえ 〇ミリ、殻幅五〇ミリ、殻高一二ミリぐらいに達す 〔民俗〕日吉神社 ( 山王権現 ) の神使とされる〇にみられる。蒼前神はウマを保護する神としれは中国においても竹で編んだ器を意味する。 そうり サルは、山の神としても尊ばれた。猿神信仰もて信仰されているが、厩の祭りには、猿曳きが 別に同じ意味で「笊籬」という語があり、「そる。殻頂から多数の低い放射肋が出て、太い肋 しよう まっ そうぜんきよう てんか - 一うしん この神を祀って『勝善経』を誦し、サルを舞うり」が日本において「ざる」と転訛したもの の間にさらに細い肋を刻む。とくに殻頂から前 みられ、また庚申信仰に基づく「見ざる、聞か さんえんとう であろう。おもに調理材料の水切りに使われる縁に向かう肋は太く、殻の前端に浅い湾入があ ざる、言わざる」を表した三猿塔 ( 庚申塔 ) をわせたという ( 猿屋伝書 ) 。 とね が、そのほかに料理の盛り付け器としても使わる。軟体が赤いのでサルの名があり、色が毒々 狩猟者は、サル ( 去る ) ということばを使う 立てることも広く行われている。群馬県利根郡 かたしな しいので食用とはされないが、薬用になるとい のを嫌い、ヤマノヒト、エテモン、キムラなどれる。 片品村では、九月の申の日に申祭りが行われ、 わみようるいじゅしよう ふん の山ことばを用いるが、岩手県遠野地方では、 平安時代中期の『倭名類聚鈔』には、「笊う説もある。 〈奥谷喬司〉 サルに扮した人が幣帛 ( 神への奉納物 ) を担い ④ / 新コ 帯岸介 3 さる こみの

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さごろも さごろもものがたり ざこっしんけい 平安中期の物 骨盤の後壁から出もに、坐骨神経、ことに圧迫された知覚神経に 坐骨神経 実は光沢のある暗黄色の鱗片で覆われ、球形ま狭衣物語 だいにのさんみ る仙骨神経叢のうちの一本が坐骨神経であり、 沿って感覚の鈍麻と足の背屈などの筋力が低下たは上端が平らな球形で、長さ径とも四。種語。作者は古くから大弐三位 ( 紫式部娘 ) とさ 人体中ではもっとも太くて長い神経である。坐してくる。安静にして寝ていれば痛みはやや軽子は褐色の海綿状コルク質で覆われ、表面は黒れていたが、今日では六条斎院楳子内親王家宣 つば 骨神経は第四、第五腰神経と第一、第二、第三 くなるが、足を伸ばしたまま上に高くあげると色で上方に開口した壺状の球形で、径二・五旨とすることでほば一致している。成立は承 りやく セン 0 仙骨神経から構成されている。仙骨神経叢から坐骨神経が引っ張られて激痛を生じ、診断の決 底面に胚がある。 暦年間 ( 一 0 七七 ~ <D の前後であったと思われ る。 サゴヤシ属には、本種以外にニューギニア、 分かれた坐骨神経は、大坐骨孔を通過して梨め手となる。これをラセグ徴候 Laségue sign じよう とい , っ 状筋の下側 ( 梨状筋下ロ ) から骨盤腔を抜け ソロモン、サモア、トンガ、ニュー ・ヘブリデ この物語は四巻からなり、男主人公の狭衣大 だいたい て大腿の後面に出て下行する。下行しながら大 治療は、安静とともにアスピリンなどの鎮痛ス、フィジー、カロリン諸島に九種一九変種が 将が、従妹の美しい源氏の宮へ思慕の情を寄せ ふしゅ 腿後側の筋肉、下腿と足の筋肉に運動神経を出剤や神経の浮腫をとるためにステロイド剤を投あるが、本種はサゴデンプンをとる代表的な栽ることで全編が貫かれている。ただその恋の思 すほか、下腿の皮膚には感覚神経を出してい 与する。痛みがすこし軽減したら牽引療法で圧培種である。デンプンは幹を割ってとる。全体 いは果たすことができず、彼は「色々に重ねて る。また、下肢のすべての関節にも神経枝が行迫を除去し、コルセットを着用して保存療法をに形がよく、観賞用にもされ、鉢栽培も可能では着じ人知れす思ひそめてし夜半の狭衣」との っている。坐骨神経は骨盤の損傷や股関節の障行う。大部分は保存療法で軽快するが、症状がある。多湿でよく育ち、最低温度は一三度 o で歌を詠み、純粋な愛を貫こうとするが、現実に 害などによって損傷されることが多い。また、重度の場合には椎弓切除その他外科的療法が必ある。 は不本意ながら次々と別の女性との関係をもっ でんぶ 臀部に不注意に注射をすると、坐骨神経の損要な場合も少なくない。 〈里吉営一一郎〉 本種以外で、デンプンをとるものにトゲサゴ に至る。源氏の宮への恋慕を底流にしながら、 まひ ようつい あすかい さがのいんおんなにのみや 傷、麻痺などをおこすこともある。腰椎下部の 三五八責けさごはちづけ福島県の郷土料ヤシ rumphius sago palm, sping sago/M. 巻一では飛鳥井の君、巻二では嵯峨院女二宮、 しゅよう ふじっーのちゅうぐう いつばんのみや 椎間板ヘルニア、骨の疾患、腫瘍などで坐骨神理で、会津地方の名物料理である。三五八の意ミミ斗・ Mart. がある。マレーシア原産で、巻三では一品宮、巻四では藤壺中宮を登場 経の圧迫や傷害を受けると坐骨神経痛の原因と味は塩三、米五、麹八の割合で混ぜ合わせたも幹は前者よりやや低いが、径は六〇の大形ャさせ、狭衣大将との恋物語を展開する。だがそ しっそう もなる。 〈嶋井和世〉 のということ。米を洗い蒸すか炊くかして飯を シで、分げつが多く、葉鞘、葉柄、葉軸全体に の女性たちも、飛鳥井の君は失踪して死に、女 坐骨神経痛ざこっしんけいつう坐骨神経に つくる。これをよく冷ましてから塩と麹を混ぜ無数の長く鋭い刺がある。花や果実は前者同様二宮は出家し、一品宮とは結婚した当初から疎 かめ くもん 沿っておこる激しい神経痛で、大部分は外傷に 合わせて、甕などの容器に入れ密閉して一晩置である。 〈佐竹利彦〉遠な仲であるなど、苦悶の多い恋愛を強いられ ようせんつい よる腰仙椎の椎間板ヘルニアで坐骨神経根が圧 くと三五八漬けの床ができる。これにナス、キサコルスク 3aropcK 、、、 zagorsk ソ連、る。思いがけなく狭衣大将は帝位につき、源氏 迫されるためにおこる。腰椎の変形性脊椎症を ュウリ、セロリ、ショウガなどを漬け込むに ロシア共和国西部、モスクワ州の宗教都市。モ の宮におもかげの似る藤壺中宮との間に皇子を がん 伴っていることも少なくないが、まれには癌のは、三五八床に水少々を加えて容器に敷き、そスクワの北東七〇キ。にある。人口一一万一〇〇もうけるが、彼の心は飛鳥井の君や女二宮など むみよう 転移やカリエス、糖尿病などによる坐骨神経の の上に野菜を並べ、またその上に三五八床とい 〇 ( 一九〈四 ) 。一四世紀前半ランドネジの貴族セを思って晴れるおりがなかったという。『無名 おもし さんみ ぞうし 障害が原因のこともある。壮年の男性に多く、 うぐあいに数段重ね、重石を置き翌日用いる。 ルゲイが、三位一体セルギエフ修道院を建設草子』に「狭衣こそ源氏に次ぎてはよう覚え僘 ぎつくり腰や重い荷物を担いだ拍子に激痛が腰三五八漬けは寒中につくるものをよしとするし、その周りに集落が形成された。ロシアの巡れ」とあるように、早くから狭衣物語』の評 から足先にかけておこることが多い。痛みは寝が、他の季節にもっくる。なお、生野菜に三五 礼地として多数の信者が訪れたので、商業、手価は高い。『源氏物語』の亜流との批評もある がんぐ 返りや中腰、立ち上がりなど体の位置を変える 八床をつけて食べることもある。〈多田鉄之助〉工業 ( 木彫品、玩具 ) も栄えた。現在、ソ連 ときに激しくおこりやすい。激しい放散痛ととゴヤ、ン sago palm, commonsago palm 建 なの 」、ミき、 0 ミき g ・ ~ 、 s Rottb. ヤシ科サゴ の歴史・芸術保護地区 ~ 要も ヤシ属 ( メトロキシロン属 ) の一種。学名のメ に指定されているが、 しん 院模 トロキシロンは芯がある木、サグスは本種の食ギリシア正教の総主 道を 料品のマレーシア現地語名である。マレーシ教、修道僧、神学校の 修院 フ寺 ア、インドネシア、フィリピン原産。幹は株立 学生がおり、復活祭も ギキ ちで、高さ一二 ~ 一五、径三〇 ~ 四〇、幹盛大に行われ、多数の ルス よう・一ん に環状の葉痕がある。幹の根元は斜めに急曲す信者が訪れている。主 る。葉は羽状葉で全裂し、光沢のある濃緑色。要工業は電気機械、家 ひしん 位ウ 小葉は披針形で > 字状に斜め上に着生し、長さ 具、玩具、レンズ製造工 ようしよう ワ の メー、一口田ー、セン 0 葉鞘、葉柄、葉軸のすべてに 業で、玩具博物館があ も 院ク の 刺がない。肉穂花序が幹頂に直立状につき、二る。一九三〇年までセ 生 キ 自〇本以上の花柄に分かれ、それそれ長さ二・五ルギエフ CepPIRB ス築 主花柄は長さ三・五になる。雌雄同株で Sergiev といっこが、 ス年 一雄花と両性花があり、雌雄とも淡褐色の革質でロシアの革命家ザゴル ュ 長さ六 ~ 七 = 、リ、径三ミリ。雄しべは六本、長さ五スキー 3aropcKHli 葯は長さ五、、、リ、雌しべは長さ五 ' 、リ、子房は Zagorskiy ( 一会三ー ス シ かわら ャ下向き瓦重ね状の鱗に覆われ、高さ五、リ。花は一九 ) を記念して改名し サ物 サ 一代に一回開化結実し、大量の果実を結ぶ。果た。 〈中村泰三〉 .3 ご そう うろ・」 りんべん 1

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〈高須正郎〉 % に相当する。この摂取量はほば適量とみなさる。↓通信社↓同盟通信社 ん部に暗褐色で長さ一拜一余りの針が密生すること源として利用される際に、アルブミンと結合し から、獣の粗毛を連想してこの名がつけられた た遊離脂肪酸として血液を介して各組織へ運ばれるが、近年動物性脂肪の摂取量が増加の傾向回時事通信社社史編纂委員会編『建業十有五 にあるので、全量を増加させることなく植物性 年』 ( 一九六 0 ・時事通信社 ) しと思われる。傘は径一〇 ~ 二〇誓・以上、ときにれる。ステロイドとしては、動物では量的には 三〇余りにも達する。傘の中央はすこしくば コレステロールが主成分で、少量ながらすべて油脂の摂取割合を増すことが望まれている。脂 資治通鑑しじつがん中国の歴史書。司縣 し がん ほ / 、トっ むが、平らに開き、上面に大きな牛の角のよ , つの組織の膜構築素材としておもに遊離型で存在肪摂取量の増加は種々の癌発生率を高める原因光著。二九四巻。北宋の英宗の勅を受けて一〇 六五年編集に着手、一九年をかけて八四年に完 となるとして最近注目を集めている。 に反り返った厚いささくれをつける。肉は汚白する。血清中ではエステル型が多い。そのほ 食品中では、食用油脂でもっとも脂質含量が成、神宗に献じた。歴代の事績を明らかにし、 色ですこし苦味を帯びる。茎は太くて短く、暗か、各種のステロイドホルモンや胆汁酸があ 褐色。胞子も暗褐色でほば球形であるが、表面る。リン脂質は種々の成分からなるが、グリセ高く、トリグリセリドとして九五 ~ 九八 % にも皇帝の政治の参考に供する意味で名づけられ ごしゅう た。周の威烈王二三年 ( 前四 0 三 ) から五代後周 は顕著ないばを帯びる。北半球の温帯以北に広 リンに脂肪酸二分子とリン酸化された塩基成分達する。バター、マーガリンも八〇 % 程度含 む。マヨネーズ、ドレッシング、種実類、豚末 ( 九五九 ) まで一三六二年間の史実を編年体で く分布し、秋になるとマツ、モミなどを交える一分子が結合した構造のものがもっとも多く、 めん 記述し、政治、経済、軍事、地理、学術など広 広葉樹林内の地上に列をつくって群生する。煮レシチン、ケファリンが代表的である。臓器、肉、チーズ、即席麺、ポテトチップスなども脂 く各分野にわたっている。三〇〇を超える膨大 たり乾かすと黒くなるが、よく乾燥させて保存脳、神経組織はトリグリセリドよりもリン脂質質に富む食品である。ハム、ソーセージ、牛 食とすると香りが高くなる。 を多く含んでいる。卵類にも多い。レシチンは肉、大豆製品などにも比較的多い。同じ食品でな原史料から彼の儒教的歴史観に基づいて編集 乳化性に優れ、食品や医療用に使われる。スフも脂質含量に大きな幅がある ( 牛肉では一・五し、優れた文体で叙述され、中国の代表的な史 類似のコウタケ S. まを、ミ ~ 、 s (Berk. ) S. lto ~ 三〇 % ) 。魚類では天然物より養殖物でかな書である。すでに散逸した根本史料を含む唐 はシシタケよりもやや小形で、傘の中央のくば インゴ脂質は脳、神経組織に多いリン脂質であ り多い。脂質を多く供給する食品は油脂類と肉五代の部分の史料的価値は大きい。南宋末元初 みは深く、しばしば茎の根一兀まで達する。このる。イノシトールを含むものもある。糖脂質は こさんせい の人胡三省が三〇年を費やして作成した注釈は ため、全形はメガホン形で、表面のささくれは動物体内では一般にガラクトースを含んでお類で、全体の六〇 % を占め、卵類、乳類、豆 類、穀類、魚貝類がこれに次ぐ。〈菅野道廣〉本書の価値をさらに高めている。〈柳田節子〉 やや細く、先がとがる。食菌としてはコウタケり、脳の主要な脂質成分である。 のほうが優れている。図しコウタケ〈今関六也〉 じじつうしんしや共同通信社と回田中謙二注『中国文明選 1 資治通鑑』 ( 一九 通常の食用油脂の消化吸収率は九五 % 以上に時事通信社 すいぞう 七四・朝日新聞社 ) ▽頼維勤・石川忠久編 シーシーだん一九三〇 ~ 四〇年代に も及ぶ。脂肪は小腸内で膵臟リハーゼの作用を並ぶ日本の代表的通信社。一九四五年 ( 昭和一一 O O 団 『中国古典文学大系凵資治通鑑選』 ( 一九七 0 ・ 中国国民党の極右を代表した政治結社。藍衣社受け、大部分はモノグリセリドと脂肪酸となっ〇 ) 一〇月、敗戦によって同盟通信社が解散し しだいかぞく しようかいせき たのち、同社にいた有志が集まり、同盟の業務 平凡社 ) とともに蒋介石を中心とする四大家族の政治て胆汁酸ミセルに溶解し吸収される。吸収後、 ちんかふ 支配を支えた。その名前は中心人物の陳果夫・ 小腸粘膜細胞内でトリグリセリドこ し再合成さのうち一般購読者を対象とする専門通信 ( 経済資治通鑑綱目しじつがんこうもく中国の書 なんそう ちんりつぶ 陳立夫兄弟の陳 Ch'en からとったといわれれ、カイロミクロンとしてリンパを経由して血通信など ) および出版業務を引き継ぎ、一一月名。南宋の朱熹 ( 朱子。二三 0 ー一一一 00 ) の著。五 る。対立する組織に対しては公然とテロを行う 液循環系へ入り、リボタンパク質リバーゼによ に株式会社組織の通信社として設立した。当九巻。綱とは朱子が大別した重要事項、目とは ちょうしえん まっしょ・つ とともに、国民党の党組織、新聞・出版事業、り加水分解され、脂肪酸の形で主として末梢 初、同盟の業務のうち新聞・放送各社へのニュ 門人の趙師淵が綱に付した詳しい注で、『資治 ース・サービスを引き継いだ共同通信社との間 通鑑』を彼の儒教的名分論に基づいて綱目に編 農業のための土地投資、農具・種子などを独占組織に取り込まれる。炭素数八、一〇の中鎖脂 に、紳士協定で業務領域を定めていたが、社内集した編年体の史書。『資治通鑑』を簡略化し 的に支配。日中戦争後の内戦で人民解放軍の総肪酸からなるトリグリセリドは膵臟リハーゼや 体制が固まり、業務の拡充が進むにつれ、五九たもので史料的価値は低いが、朱子学の確立と 反攻により崩壊した。↓四大家族〈加藤祐三〉胆汁酸の分泌不良の場合にもよく吸収され、脂 回許濮新著、山下龍三訳「官僚資本論』 ( 一九肪酸として門脈へ入り直接肝臓へ運ばれるの年ごろから新聞通信サービスを開始。七四年七ともに、正統論として重んじられ、日本の『神 のうしようとうき で、よいエネルギー源となる。脂肪は胃内滞留月、共同通信社との紳士協定を解消、「世界の皇正統記』や『大日本史』などの史論に与え 五三・青木書店 ) 〈柳田節子〉 動きを日本へ、日本の声を世界へ」の標語を掲 た影響も大きい 脂質ししつ水に不溶でエーテル、クロロ時間が長く、腹もちがよい 脂肪は糖質やタンパク質に比べて特異動的作 ホルムなどの有機溶媒に溶ける生体成分の総 げ、本格的に新聞・放送各社へのニュース・サ事実審しじっしん①民事訴訟では、裁判所 ービスに乗り出した。一方、 O — Z (Jiji は権利あるいは法律関係の存否の判断を行う。 称。構造的に多種類の成分が含まれる。単純脂用 ( 食物を摂取したときに代謝量が増加するこ Press Overseas lnformation Network) 計画しかし、これを直接に認識することはできない 質と複合脂質に大別され、前者には脂肪、脂肪と。食事をとって身体が暖まるのはこの効果に 酸、ステロイドなどが、後者にはリン脂質、糖よる ) が低く、エネルギー効率が高い ( 第ラ当に基づき、国際化推進の方向をも打ち出し、欧ので、具体的な事実 ( とくに主要事実が重要で り九キロカロリ ー ) 。したがって重労働や強い運米への回線の延長、送受信体制の増強を続け、 あるが、これを認識するのに用いられる間接事 脂質、リボタンパク質などがある。 動時の高エネルギー食にはなくてはならない成ナショナル・ニュース・エージェンシーの体制実、補助事実も重要である ) を認定し、これに 食品分析表では脂質、栄養調査では脂肪とい うように、脂質と脂肪は食品、栄養の分野では分である。エネルギー源としては各種油脂の効確立を進めている。東京の本社のほか、国内に法律を解釈・適用するという方法で行う。この しばしば同義語として用いられる。食品中の脂率にははとんど差はないとみなしうる。脂肪は六支社、四総局、七〇支局、海外に二五支局が法的三段論法の小前提をなす事実認定の分野を せいせんじん 質のほとんどは脂肪であるからである。トリグ動物体内では脂肪組織として皮下、性腺、腎周ある ( 一九ハ五 ) 。 ( フランス ) 、ロイター 事実問題と称する。この事実問題および法律問 ( イギリス ) 、 ( アメリカ ) 、 22-;< ( 西題の双方について審理・判断する審級を事実審 リセリド ( 中性脂肪、あるいは単に脂肪 ) はグ辺、腸間膜などに貯蔵され、エネルギー銀行の ひっす 役割を果たしている。脂肪は必須脂肪酸の供給 リセリンに脂肪酸三分子がエステル結合したも ドイツ ) 、タス ( ソ連 ) 、新華社 ( 中国 ) など海という ( これに対し、法律問題のみを審理・判 ので、食用油脂や動物の貯蔵脂肪のほとんどす源、種々の脂溶性ビタミン (< 、、など ) 外一〇余の通信社と特約を結んでいる。一九五断する審級を法律審という ) 。事実問題につい べてはトリグリセリドである。脂肪酸はすべての担体として重要である。食物の風味とも関係四年九月に中央調査社を設立して以来、調査事ては、当事者の提出した資料に基づいてのみ判 している。日本人は現在一日一人当り五十数 業を拡充しているほか、各種単行本や『時事年断するのが原則であり ( 弁論主義 ) 、これはロ の脂質の構成成分であり、自然界では遊離型は の脂肪を摂取しており、エネルギー比で約一一一一一鑑』『世界週報』『週刊時事』などを発行してい 頭弁論で行われる。事実の認定は事実審裁判所 きわめて少ない。動物の貯蔵脂肪がエネルギー ー ) ゅを ~ 726

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しすい また、隣接している歯あるいは対合関係にあるを防止するためには、炎症歯髄組織を摘出除去 2 試錐しすい 0 ポーリング 酒々井 ( 町 ) しすい ( まち ) 千葉県北部、印旛歯に種類の異なる金属を充填したときに、異種することが必要であるが、炎症の波及の程度に しもう一 郡にある町。下総台地北部にあって、印旛沼の金属の接触により生ずるガルバーニ電流によっ よって処置の内容は異なる。炎症が冠部歯髄の 低地を望む。一八八九年 ( 明治二一 l) 町制施て歯髄炎を生じることもある。 みに限局し、根部歯髄にまで及んでいない場合 てんそく 行。清水が湧く土地の意から、酒の湧き出す井 化学的には、歯に填塞する歯科材料中に含ま には、冠部歯髄のみを除去し、根部歯髄組織を 準 戸の伝説が生じ町名となった。台地上を国鉄成れる酸レジン等によって炎症を生じることがあ保存する「断髄法」が施される。しかし、炎症 基 しよく 図 田線と総武本線、京成電鉄本線および国道五一る。細菌学的には、う蝕 ( むし歯 ) をつくった が根部歯髄にまで広がっている場合には、歯髄 作 ク 号、二九六号が通じる。戦国時代に千葉氏一九細菌がさらに深く進み、歯髄に感染を生じて歯組織をすべて除去しなければならない。このよ まキ一かど 代輔胤は本佐倉の将門山を居城とし、一五九〇髄炎をおこしたり、ときには悪化した歯周病うに全歯髄組織を摘出除去し、炎症が歯周組織 マ のうろう こんせん 年 ( 天正一八 ) に滅亡するまで約一三〇年にわ ( 歯槽膿漏 ) によって歯の周囲から根尖の小孔 に広がるのを防止する方法を「抜髄法」とい たって酒々井の城下町は栄えた。江戸時代にはを介して細菌が感染し、歯髄炎をおこすことも う。断髄法にしても抜髄法にしても、処置が正 析、検査、測定方法、さらに設計、製造、使用、幕府の野馬の放牧地佐倉牧が置かれ、中期以後ある。歯髄炎の原因としてもっとも多いのは、 しく行われれば、一部または全部の歯髄組織を き了れ 1 〕い 包装など広範囲にわたり、総数約八〇〇〇 ( 一九は成田参詣の宿場町としても発展した。成田街 う蝕に継発して生じる細菌感染である。 失った歯でも、歯自身の機能を十分に営ませる じの 会 ) に及んでいる。規格に適合したものには、 道沿いに八〇〇にわたる伊篠の松並本は県指 〔歯髄炎の分類〕歯髄炎は、急性症状の有無に ことができる。しかしながら、ロの中にはおび マークをつけることができるマ定天然記念物であったが、最近マックイムシのよって急性歯髄炎と慢性歯髄炎とに分けられるただしい数の細菌が生息しているため、それら ーク表一小制度 ) 。八〇年工業標準化法改正に伴い 被害を受けて指定を解除された。米作と近郊農ほか、炎症が生じている範囲によって、一部性の細菌の影響をすべて排除しながら正しく歯髄 外国企業にも適用される。↓規格〈中山秀太郎〉業のほか、工業は江戸時代から続く酒造業が盛歯髄炎と全部性歯髄炎とに分けられる。また、 の処置を行うことは容易ではない。ときとして 泗水 ( 町 ) しすい ( まち ) 熊本県北部、菊池郡んである。中央部の台地は住宅地開発が著し歯髄への細菌の進入によって化膿が生じている歯髄処置後に細菌感染を生じ、残された歯髄や ろくしょ しようえき く、「ちびつこ天国遊園地」もある。六所神社 にある町。一九六一年 ( 昭和三六 ) 町制施行。 か否かで漿液性歯髄炎と化膿性歯髄炎とに分根尖周囲組織にふたたび炎症がおこり、歯の痛 すみしし 町域の中央をほば東西に流れる合志川によっての墨獅子舞は念仏を伴う民俗芸能で県指定無形 けられる。このほか、う蝕の拡大によって歯がみの原因となることがある。こうした現象によ 力いトつ 形成された低地と、これを南北から挟むように民俗文化財。人口一万七四六三。 〈山村順次〉崩壊し、歯髄がロの中に露出した状態を潰瘍性っても、歯を治療するときには、、ゝ し力に消毒が 回『酒々井町史史料集 1 ~ 5 』 ( 一九七六 ~ 広がる台地とからなる。産業の中心は久しく稲 歯髄炎あるいは増殖性歯髄炎とよんでいる。 重要かが理解できよう。 作に養蚕を加味した農業にあったが、近年では 酒々井町 ) 急性歯髄炎では、激しい痛みを伴い、冷水あ 歯髄炎によって歯髄を摘出された歯は、生活 ぜいじゃく 農業自体も変質し、酪農、野菜に重点が置かれ地〕二万五千分の一地形図「成田」「酒々井」 るいは温水を口に含むと、痛みが増強すること歯髄を有する歯と比べると、どうしても脆弱 ているほか、電子部品やコンクリート製造などシスイ 8ScirPus ミきをこミ s Makino 力が多い。一般に、急性漿液性歯髄炎では冷水に となるため、単に欠損部に他の材料を補填した の工場立地もかなりみられる。また、熊本電気ャツリグサ科の多年草。地下に走出枝を伸ば よって痛みが増し、急性化膿性歯髄炎では温水 だけでは、堅いものをかんだ際に破折するおそ 鉄道、それと並走する国道三八七号などは、熊本し、先端に塊茎をつける。高さ四〇 ~ 九〇 によって痛みが激しくなり、冷水では和らぐこれがある。歯に破折を生じると、破折部位によ ~ 三。、リで柔らか 市のペッドタウン化を促す媒体になっている。茎の断面は三角形。葉は幅二 とが多い。歯髄がロの中に露出した状態となっ っては抜去しなければならないこともあり、せ 他方では正月飾りに比定される「正月棚」とよ 花期は夏から秋。浅い池沼に生え、大きなている潰瘍性歯髄炎あるいは増殖性歯髄炎でつかくの治療もむだになってしまう。したがっ かがみ ばれる表の天井から下げた綱に横板を渡し、鏡群落をつくる。日本全土、および朝鮮半島から は、慢性の経過を示すものが多く、冷水や温水て、歯髄を摘出された歯は、かならず金属また もち 〈木下栄一郎〉 餅、ダイダイ、イワシ、ダイコンなどを供え、ろ中国東北部に分布する。 が直接に触れたり、食事のときに物をかみ込んは陶材にて歯冠部全体を覆うような形で修復 そうげ だりしない限り、ほとんど痛みを感じることは し、破折を予防する必要がある。 うそくをともす旧習も残っている。歴史民俗資歯髄しすい象牙質に囲まれた歯の中心部 〈山口守人〉 にある軟組織で、血管と神経に富む。歯髄は、 十 / 、し 料館がある。人口一万一〇九二。 〔予防法〕歯髄炎の多くはむし歯に継発してお そうげ 回『泗水町史』 ( 一九六五・泗水町 ) 象牙質形成と歯に加わる刺激を感受する機能を〔治療〕歯髄は周囲を硬い象牙質に取り囲まれこるため、その予防法の第一は、むし歯にかか 〔地三万五千分の一地形図「菊池」「肥後大津」もっており、一般に「神経」とよばれる部分でているため、一度炎症に陥ると循環障害をおこ らないということにある。すなわち、フッ素の 「来民」 ある。歯の治療の際の強い痛みは、歯髄の神経しやすく、他の組織のような自然治癒をほとん局所塗布、むし歯を引き起こしやすい食物の制 ど期待することはできない。歯髄炎では、炎症限などといった家庭でのロ腔衛生管理を行うと 資水しすい / ツーショイ中国、湖南省中部線維が刺激されて生じる。↓歯〈村井正昭〉 ようすこう が急速に歯髄全体に広がり、多くの場合、激し ともに、定期的な検診を受け、むし歯に罹患し を流れる揚子江水系に属する川。南源の夫夷水雌蕊しすい 0 雌しべ りかん は広西チワン族自治区の資県南部から、また い痛みが生じる。歯髄炎に罹患した歯を治療せやすい部分に予防的処置を施してもらうことで 歯髄炎しずいえん歯髄の炎症をいう。原因 じようま しゃ 西源の赦水は湖南省の城歩ミヤオ族自治県の北 としては、物理的、化学的および細菌学的原因ずに放置しておくと、歯髄はまもなく壊死に陥ある。さらに、むし歯の早期発見、早期治療を しようよう 部から流れ出て、邵陽県で合流、北流して新が考えられる。物理的には、歯に急激に大きな り、壊死歯髄組織中には細菌が増殖し、歯髄腔行うことによって、多くの歯髄炎は防止される えきよう 〈吉野英明〉 化、安化などの県を経て東に折れ、益陽市を過外力が加わって歯周組織が傷害されたり、歯がおよび根管内が汚染されていく。この汚染物質であろう。↓むし歯 りんしこうどうてい しよういん すいみつくかく ぎ、湘陰県の臨資ロで洞庭湖に注ぐ。全長六折れたり亀裂が入ったために生じることもあれの刺激によって根尖部歯周組織に新たな炎症が支水隔壁しすいかくへき 0 水密区画 かん 生じる。これを根尖性歯周炎と 七四キロ。流路の西側は山が迫り、上・中流は嵌ば、歯の治療の際のエンジン使用時の摩擦熱、 いい、急性状態歯髄疾患しずいし。かん歯髄に生じた病変 しやけい 大 ( はめ込み ) 蛇行の峡谷を形成する。柘渓セメントが固まるときの化学反応熱、あるいはの場合には激しい自発痛があり、歯が浮いた感の総称。具体的には、歯髄充血、歯髄炎、歯髄 とう - 一う じゅうてん ダムが建設され、水力発電所がある。桃江県よ熱伝導のよい金属を充填したときにみられるじが強く、物をかむことはもちろん、痛みのた変性、歯髄の壊死および壊疽などである。歯髄 ^ 河野通博〉飲食物の熱刺激等によって生じることもある。 め歯に触れることもできない。 り下流部は船が通じる。 このような疾患 に物理的、化学的、あるいは細菌性の刺激が加 くたみ %D し げ %D hoD すけたね きれつ わ

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しつがい ユダヤ教、キリスト教の宗教・倫理の根本原理 じついん市区町村役場に届け出るこ 行停止という循環障害をおこしやすく、やがて える。湖南省長沙馬王堆漢墓 ( 前一一世紀 ) から実 長さ一一六 餮ン、幅約四〇のものが発見された と ( 印鑑登録 ) により、印鑑証明書の交付を受は歯髄壊死に至ることも多い。このような段階を簡潔に示したものである。『旧約聖書』の しんめいき しゆっ 「出エジプト記」二〇章と「申命記」五章にほ になると正常な状態に回復する可能性は非常に ほか、後世には長さ約二、幅約八〇の大型けることができるようになっている印鑑。一人 のものがある。日本にも伝来した形跡があり、 につき一個に限られ、合成樹脂やゴム印など変少なくなる。したがって、歯髄炎を生じた歯髄ば同じ形で出ている。前文に「わたしはあなた しゅ の神、主であって、あなたをエジプトの地、奴 正倉院に二四弦の瑟の尾部の板が残っている。形しやすいものや、印影の照合がむずかしいも は摘出手術によって早く痛みを取り除き、かっ じ 隷の家から導き出した者である」とあり、この 奏法は箏と同様で、柱を立て、右手で弦をはじのは認められない。また大きさも、二五 : リ四方炎症が歯周組織に広がるのを防ぐ必要がある。 きん く。中国ではかならず琴とともに用いることか 以上や八 : リ四方以下のものは認められない。慣 歯周組織に由来する痛みは、歯髄炎に継発し戒めが、神に選ばれ、すでに救われた共同体へ こんせん ら、夫婦の仲がむつまじいことのたとえに「琴習上は公正証書の作成や、不動産登記など重要て生じる根尖性のものと、歯周病 ( 歯槽膿漏 ) の指針であることが明示されている。まず「あ あいわ 瑟相和す」のことばが生まれた。〈橋本曜子〉 な取引の際に用いられる。これ以外の、いわゆ による辺縁性のものとがある。その発現頻度、なたはわたしのほかに、なにものをも神として イギ Qualität イ 鑑↓印鑑および痛みの強さは、、 しずれも後者よりも前者はならない」として、唯一神への信仰を求める 質しつ quality qualitéる認め印とは区別されている。↓卩 「どのくらい」であるかの規定である「量」証明 〈高橋康之〉のはうが大きい。歯槽膿漏は、炎症面がロの中第一戒、偶像礼拝を禁する第一一戒、神名をみだ に開放された状態となっており、慢性に経過すりに唱えることを禁する第三戒などは、多神教 に対して、質は、「どのように」あるかの規定史通しつう中国、唐代の歴史書。著者は りゅうちき である。量が、つねに尺度のうえで相対的に位劉知幾。景竜四年 ( 七一 0 ) の自序がある。二〇ることが多いため、急性症状を呈し、強い痛み的な古代諸宗教中比類のないものである。つい べんれい で、安息日の厳守、父母を敬うこと、殺人、姦 置づけられるのに対して、質は、ある種の絶対巻、内篇三六篇、外篇一三篇。駢驪体でつづらを生じることは少ない。 しろくぶん どんよく 的な差異を表すものと考えられる。↓量 れ、歯切れのよい四六文、論理は明快である。 歯髄に原因のある痛みは、ロの中に冷水、温淫、盗み、偽証、貪欲の禁止が、いずれも時と 水、甘味料等を入れたときに発現または増強す場合を問わす、命ぜられる断言法の形で示され シーツ 0 敷布 中国古来の史書の構成、叙述を縦横に評論し、 しばせんはんこ 〈清重尚弘〉 室韋しつい中国、南北朝時代、六世紀中周公、孔子、司馬遷、班固らも容赦なく批判ることが多いが、歯周組織に原因のある痛みている。↓モーセ 仏教の術語。迷いと悟りの ごろから唐代まで、中国東北地区を本拠とした し、侮聖の書として非難された。古今正史篇に は、ロの中に入れる飲食物の温度変化、あるい十界 ぎよ ) っ 民族。モンゴル系にツングース系が混血したも は初めて中国史学史を展開し、疑古篇には堯・ は化学的な酸、甘味等で発現することはない。 生類の生存や境地を一〇種類として、中国天台 よ こうあんれい しゅんう - 一う′」う ちぎ さんだっ のという。初め興安嶺の東に拠っていたが、隋舜・禹の禅譲は簒奪であったと断じている。歯周組織による痛みは、歯に触れる、咬合力が宗の祖智顗が教義としてまとめた。十法界とも ちくしよう 代にしだいに勢力を広め、唐代にはその領域はそのためあまり読まれす伝承を絶っていたが、 加わる等の外力が働いたときに発現あるいは増 いう。迷いの生存は地獄界、餓鬼界、畜生界、 みん あしゆら かせい ばんれき 黒竜江 ( アムール川 ) ・松花江の合流点からモ明の嘉靖 ( 一五二 ~ 六六 ) 、万暦 ( 一毛三 ~ 一六一九 ) の強がみられる。したがって、歯髄による痛みと阿修羅界、人間界、天上界の六種で、ここの生 とつけっ ンゴル高原の突厥に接するに至った。中国と交 尸に宋板本が発見され、翻刻されて陸深本、張歯周組織による痛みとを鑑別することはむずか存はその行為の業によってそれそれの世界に転 ちょうていし ろくどうりんね 易を行うことが多かったが、 ときには、突厥、之象本、張鼎思本などができ、注釈には郭孔しいことではない。歯髄炎では歯髄を除去する生するので六道輪廻という。悟りの境界は声 えん おう もん きったん いけん - 」うしゆくりん えんがくどくかく ばさっ 契丹などとともに中国北辺に侵入した。しか延の評釈、王惟倹の訓故、黄叔琳の訓故補、抜髄法を、根尖性歯周炎では歯の中にある根管聞界、縁覚 ( 独覚 ) 界、菩薩界、仏界の四界 しん きいん ろくばんししよう し、統一国家を建設するには至らなかった。唐浦起竜の通釈などがあり、清代には紀昀の『史を清掃・消毒する根管治療法を、歯槽膿漏ではで、あわせて六凡四聖ともいう。これらの世界 、一うえい もうごっ 代、興安嶺の西にいた蒙兀室韋の後裔が、チン通削繁』が通行した。↓劉知幾〈増井経夫〉歯のかみ合せの調整、動揺している歯の固定なや境地はインドの仏典ですでに説かれている ギス・ハンの出たモンゴルである。〈護雅夫〉回増井経夫訳『史通』 ( 一久一・研文出版 ) どというように、それぞれに対応した適切な処が、天台智顗は、すべての生存を十界で代表さ 歯痛しつう歯の中の歯髄と歯を保持して置を施せば、歯の痛みを消退させるのにさほどせ、仏界以外は迷いと苦しみの世界や不完全の いる歯周組織の疾患が原因となっておこる痛みの時間はかからない。 〈吉野英明〉悟りであるが、十界おのおのが互いに他の九界 っゅしゅうりん を総括して歯痛という。 しつがい梅雨や秋霖の時期に降雨日を含み具備しているから、十界の生存であるす 湿害 しよく しゅじよういっさいじようぶつ 歯髄に由来する痛みとして、まず、う蝕 ( む数が異常に多くなると、湿度が高まり、日照不べての衆生は一切成仏すると説く。これを十 し歯 ) がある。むし歯を放置すると、歯の崩壊足が加わって農作物などに被害が出る。これを界互具といし 、あわせて百界とし、一瞬間の心 ながあめがい が徐々に進み、歯髄組織に炎症がおこって痛ん湿害または湿潤害といし ときには長雨害とい のうちに三千の世界が具しているという天台一 ねんさんぜん だり、むし歯の欠損部に食物がかみ込まれて歯うこともある。収穫期のムギなどは穂発芽を生念三千説の基となる。それは仏にも本性として 髄が刺激され、しみたり痛んだりする。また、 じてもっとも大きな被害を受ける。またこうし悪は存するが悪は行われず、地獄にも仏性はあ ぞうげ まん むし歯によってエナメル質がなくなり象牙質が た環境下ではムギ、野菜、果樹などに病害が蔓るが、悪の行為のみで、仏性は発現しないこと えん 露出すると、象牙質を介してさまざまな刺激が延し、その収量や品質に大きな影響を与える。 〈塩入良道〉 を根拠とする。 歯髄に加えられ、歯髄の痛みが生じてくる。象受精期の果樹などは交配を阻まれる。そのほか しつがいけんはんしゃ膝蓋腱を 膝蓋腱反射 だいたい 牙質に加わる刺激としては、冷水あるいは温水金属類の腐食、有機物の腐敗、屋外労働の障害 たたいたとき、この腱が付着している大腿四頭 等を口に入れたときの温度差、歯を削るときのなどの誘因となる。一九六三年 ( 昭和三八 ) と筋に反射的に収縮がおこることをいう。腱をた 刺激、チョコレートその他の甘いものによる刺七七年はともに湿害の大きな年であった。↓気たくことによって、それにつながる筋肉が伸び 激などがある。なお、歯肉が退縮して、歯根が象災害 〈安藤隆夫〉ると、その筋肉の中の筋紡錘 ( 伸展受容器 ) が じっかい Decalogue 神がシナイ山興奮して収縮という現象がおこる。膝蓋腱反射 露出した場合にも、同じような刺激によって痛十戒 せきずい みを生じることがある。歯髄に炎症 ( 歯髄炎 ) 上でモーセを通してイスラエルの民に授けたと は脊髄反射の一種で、ただ一個のシナプスだけ が生じると、歯根の先端付近にある小孔からの される十か条の戒め。二枚の石板に刻まれてい が関与する単シナプス性の伸張反射であり、反 み循環を受けている歯髄は、充血↓うつ血↓血たといわれ、「モーセの十戒」ともよばれる。 射の中枢は脊髄の第二腰髄と第四腰髄の間にあ 8 ちょうさまおうたい しきふ 瑟長沙馬王堆一号漢墓出土 ( 中国 , 湖南省 ) ずい ないへん そう のうろう じつぼっかい かん

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さらいえ ばん 一三、一四世紀のキプチャ 「盤」の字が使われた。これは、古代中国の殷は材料、「瓜盤」 ( 『日本書紀』 ) 、「水盤」 ( 『江さの基準になった。このほか、とくに北九州に サライ Sarai おいて盛んに生産され、「皿山」という地名をク・ハン国の首都。サライは宮殿の意。新旧の 代 ~ 戦国時代 ( 前一六 ~ 前三世紀 ) には青銅製家次第』 ) は用法の例である。 さつま 二つがある。旧サライはキプチャク・ハン国の の浅く平たい器があり、盤とよばれたことによ 現存品にみると、たとえば正倉院の一一彩大皿残す所が多い。全国的には瀬戸、九谷、薩摩な さいしきようえん こうだい 創始者バトウが建てたもので、その遺跡はポル る。これは食器ではなく、祭祀や響宴のとき は径一二七ン前後、高台のない平底で、唐三彩のどが主産地であった。一方では国産品とは別 に手を洗う水を受ける器として使われた。現在影響を受けた奈良三彩とよばれるものである。 に、中国からの輸人品が高級品として珍重されガ川下流域のアストラハン市に近いセリトレン わん 〈森谷尅久〉 ノエ村にある。しかし、有名なのはパトウの弟 でも多数の盤が他の青銅器とともに発掘されて当時の皿 ( 盤 ) と鉢・椀の基本的な違いは、浅た。 ずい ベルケが建てた新サライであって、その遺跡は いる。食器としては隋から唐代にかけて銀製の 深のほかに高台の有無であったらしい。高台は 皿は食事には欠かせないものの一つである。 寺 ) んさい くボルガ川河畔で、旧サライよりも上流の一支流 もともとは手のひらにのせたり、木の葉、薄 盤が完成した。一方で陶製の三彩が現れ、それのちに成形後につける「つけ高台」になり、さ そう から陶磁製が主流となり、陶磁製の盤は宋代に らに初めから高台をつけた形に成形する「削り 削った木片などが使われ、現在でも、手のひらアフトバ川河畔のポルゴグラード市の傍らに位 完成をみた。この中国で使われた盤の字が、日高台」に発展した。 に漬物をとってのせ、茶を飲むとか、ホオノキ置する。新サライが首都となったのは第九代の 本において古くは食器や盛り付け器である「さ 中世においては絵巻物などの絵画資料に皿の の葉、ササの葉、ハランなどを皿がわりに使 , っウズベク・ハンのときである。サライ市は一三 こともある。日常食器としての皿は、料理を盛九五年にティームールの車隊に破壊され、一 ら」の漢字として使われた。古辞 ( 字 ) 書には姿をうかがうことができる。餓鬼草紙』にし びわ おしき 「盤」の字を項目として出すものが多い 琵琶を弾く男の姿を描くが、男の前に、折敷に るとか、取り分けるのが目的で、目的別の食器五、一六世紀にモスクワ大公国の侵入によって たかっき 日本語としての「さら」は、『正倉院文書』 のせた高台付きの小皿、高坏にのせた食物を盛としての皿は、かなり種類が多い。日本では、廃墟と化した。新サライは一八四三 ~ 四七年に てんびようほうじ だいはんにや 初めて発掘され、その後の発掘によって、キプ 中の天平宝字八年 ( 七六四 ) の「大般若経料雑物った小皿、酒器のような高台のない小皿と、三とくに料理の一種ごと別々の皿に盛る風習が強 き一らさんじゅう 納帳」に「佐良卅ロ」とみえるのが早い例種類の小皿が置かれている。また『後三年合戦 いので種類が多い。まとめて料理を入れる大皿チャク・ハン国時代の宮殿、モスク、手工業工 じようへい おうばん であろう。また承平年間 ( 九三一 ~ 九三 0 成立の絵巻』には、武士が山盛りの飯、いわゆる皖飯から、中皿、小皿、とり皿、調味料を入れるお場、水道装置遺跡のほか、銅鉄製品、陶磁片、 わみようるいじゅしよう 字書『倭名類聚鈔』には、「盤」の字に「佐を食べている光景が描かれているが、その横にてしよ、焼き魚を入れる細長い皿や、形も円形ガラス器、農産物、皮革製品が大量に出土し、 良」の訓をつけ「器名」と解説している。現用は副食物を盛ったと思われる小皿が置かれてい だけでなく、角形、多角形のものがある。西洋当時の都市生活、物質文化、商工業の姿をよく 〈佐ロ透〉 皿では、肉皿、パン皿、スープ皿、小皿といっ 伝えている。 の「皿」の字は、中国では『説文解字』に「飯る。この副食物用の食器の例は他にもみられ、 たものがあり、耐熱性のグラタン皿のような特 食之用器」と記すように、食器の一種であった当時の小皿の用途がわかる。これら中世におけ サライエホ Sara 」 evo ューゴスラビアの る皿は大部分が酒杯を大きくした程度の小皿殊なものもある。また、各自が取り分けること連邦構成共和国の一つであるポスニア・ヘルツ が、日本では平安末期の字書『類聚名義抄』に エゴビナ共和国の首都。ューゴスラビア中部、 も出る。皿の表記は中世からしだいに優勢となで、素焼が多いようである。あるいは塗り物やが多く、大皿がよく使われる。このはか、ケー 木地の皿も使われた。桃山時代には陶器の皿がキ皿、飲み物用カップの受け皿などがある。中ポスナ川支流ミリャッカ川河畔の標高約五九〇 り、江戸時代までには盤にとってかわった。 えんぎしき おりべ に位置する。人口二七万一〇〇〇 ( 一九七 I)O すでに平安時代中期の『延喜式』には、さま しだいに生産を増し、織部・志野などの窯には国料理は、大皿からいきなり箸でとって食べる か、自分の小皿にとることが多い。皿の材質とセルビア人、クロアチア人が多い。工業は、た ざまな種類の盤の名称が記されている。銀盤、名品が生まれたが、なお貴重品であり、一般に しゅしつ しては陶磁器が多く、このはかガラス、金属ばこ、じゅうたん、缶詰、せつけんなどの軽工 木盤、土盤、陶盤、瓷盤は材料を表す。朱漆盤は素焼の小皿が主であった。 陶磁器の皿が普及するのは江戸時代になって ( アルミニウム、ステンレスなど ) 、プラスチッ 業が主体である。ローマ・カトリックの大司教 は仕上げを、高盤、大盤、枚盤、片盤、麻笥盤 しゆく とうわん ク、紙など多くのものが使われる。皿には、座、東方正教会の大主教座、ユーゴスラビア国 は大きさと形状を表す。また、陶坑盤、粥盤、から、とくに一七世紀以降のことである。九州 ありた かーししょ′、 後盤、下食盤は用法を表す名である。このほかの有田焼は、その製品の大半が皿で、大皿 ( 径白、色付き、絵のついたもの、飾りにくふうし内最高位のイスラム寺院があるが、住民の三五 たものなどさまざまであり、特殊なものとして % はイスラム教徒。科学芸術アカデミー、総合 の用例では、「しろがねの御さら」 ( 「紫式部日 一尺 ) 、中皿 ( 五 ~ 七寸 ) 、小皿 ( 三寸 ) という は、金属 ( 銀など ) に彫刻を施したものや、大大学などの教育研究機関もある。ローマの駐屯 記』 ) 、「白銅大盤」 ( 『大安寺資材帳』 ) 、「鉄大きさの基準があり、これが全国的な皿の大き がら さわち 地であり、浴場跡などの遺跡が現存する。その 皿に細かい柄を入れた高知県の皿鉢など非常に 盤」 ( 『観世音寺資材帳』 ) 、「青瓷ノ盤」 ( 『今 〈河野友美〉 後スラブ人の居住地となるが、一五世紀にトル 豪華なものもある。 昔物語集』 ) 、「こんるりの御皿」 ( 『十訓抄』 ) 庫 文 青 5 、 、基一泉 東 金前 じっきん 磁皿 ( ニ彩大皿 ) 径 37 . 5cm 奈良時代奈良正倉院宝物 1 につ 白瓷皿径 15.25 11 世紀愛知県三好 町黒笹 90 号窯跡出土名古屋大学文学部 考古学研究室 白磁連花文盤定窯径 27.0cm 11 ~ 12 世紀 色絵岩牡丹図皿鍋島尺皿径 30.85 17 世紀後半東京栗田美術館 265

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定四庫書第 ゅ定四琿公 ' ち 化させることをとくに熟成とよぶ。熟成温度は歴、書の内容、批評を記した、いわゆる「提シコタンソウ〔色丹草〕 S ミ。 自己受容器 じこじゅよ , つき propnoceptor cherlerioides D. Don var. 、 eb ミミ S 、 i 、 e S 生体自身の状況を知るための受容器。通常、姿一度 O くらいがよいとされる。マグロ、プリな要」を冠した。その際、その内容が清朝に都合 勢と運動に関係する機械受容器をいう。骨格筋どは氷詰めにし、硬直が解けて少時経過したく の悪いものは、一部分を削り、あるいは禁書に (Engl. et lrms. ) Hara ユキノシタ科の多 し。しよく分枝して多数 指定した。初め四そろいをつくり、紫禁城中の年草。根茎は細く横こよ、、 の長さ変化および張力に応じた反応を示す筋紡らいが味がよい。この際、ヒスチジンなどうま あんぐうぶんさく けん ぶんえん 錘と腱紡錘は自己受容器の典型である。これら味のあるアミノ酸や、イノシン酸などの核酸系文淵閣、円明園離宮の文源閣、奉天行宮の文溯の枝を地上に出す。葉はヘら形またはくさび形 ねつか ぶんしん 一三弩の花茎に で、密につく。七 ~ 八月、三 ~ い閣、熱河避暑山荘の文津閣に蔵した。その後、 の受容器は、筋肉が伸長に応じてただちに収縮のうま味物質が増加する。自己消化の度合 よ・つしゅう ぶんかい する伸長反射と腱反射 ( これらを自己受容反射 は、核酸とその変化した物質との比率でみる揚州大観堂に文匯閣、鎮江金山寺に文宗閣、二 ~ 一〇個の花を開く。花弁は五枚、白または 、 ) うしゅう ぶんらん という ) をはじめ、各種の反射に関係して姿勢値などが用いられる。塩を使用する塩蔵品も自杭州聖因寺行宮に文瀾閣を建てて一部すっ所淡黄色で、濃黄色と紅色の細点がある。雄しべ の維持と運動の制御に重要な働きをする。自己己消化が進むが、酵素の多い内臓などを材料に 蔵させた。現在『四庫全書』のうち一三〇種余は一〇本。子房は上位。高山の岩上に生え、中 しゅうちん 受容器には、平衡器である内耳の前庭器や昆虫加えて積極的に自己消化させるものに塩辛など は『武英殿聚珍版叢書』として出版され、ま部地方以北の本州、北海道、および千島列島、 からふと がある。 の毛板なども含まれる。 〈村上彰〉 〈河野友美〉たほかは『四庫珍本』として初集から一一集ま樺太 ( サハリン ) に分布する。名は、色丹島で 〈若林三千男〉 自己消化 じこしようか生体が死後、自己の事後設立じごせつりつ会社が営業のためにで出版されている。なお提要は『四庫全書総目発見されたことによる。 わむろ 保有する酵素により、自体の組織が分解してい 使用すべき財産として予定していたものを、会提要』二〇〇巻にまとめられ、中国学術の体系色丹島しこたんとう北海道東部、根室半島 のさつぶ くことをいう。食品の種類によっては、自己消 〈川越泰博〉納沙布岬北東約七三キロの沖合いにある島。北東 社成立後に会社が譲り受ける契約をすること。 を概観できる。 じこそうかん autocorrelation ー南西方向に長く約二七キロあり、幅は一〇 ~ 一 化でうま味の出てくるものが多い。ほどよく自財産引受の脱法手段となるため、商法は会社成自己相関 二キロ、面積二五五平方キ。。行政区画としては第 己消化を行わせることを熟成とよぶこともあ立後二年内に、会社成立前から存在する財産である変数の系列中において、個々の変数値が一 一一次世界大戦前から根室支庁色丹郡色丹村とさ る。自己消化で働く酵素は、プロテアーゼ、 営業のため継続して使用するものを、資本の一一定間隔を置いて相互に関連をもっこと。系列相 れ、形式上はそのまま現在に至っているが、戦 ーゼ、アミラーゼなど各種のものがあるが、〇分の一以上の対価で取得する契約をするに関ともよばれる。たとえば、変数の系列 XI, 後はソ連の施政下にある。北東端に中心地色丹 肉類や魚類などのように、プロテアーゼの働く において (XI,XI + し) (X2, は、株主総会または社員総会の特別決議を要す X2, しやこたん (Xi, Xi+k). ・として、々間隔 ( 斜古丹ともいう ) があり、戦前は根室と定期 場合が多い。自己消化は酵素作用であるため、 るものとしている ( 商法二四六条、有限会社法 X2+k), びようち 〈戸田修三〉 ごとに変数間の組合せをつくったとき、組み合船で結ばれていた。南西端には錨地ノトロ、 温度、、食塩などの条件によって影響を受け四〇条三項 ) 。 あなま る。通常自己消化が早く進むと、細菌類による子午線しごせん天球上で、観測者の天頂をわされた二変数の間に、各組に共通な系統的関西岸には錨地穴澗がある。戦前の人口は八六一 えきてい 腐敗も同時に進行しやすい。また、うま味のほ 通る大円は「垂直圏」とよばれるが、この垂直連があるとき、この変数系列は々次の自己相関 ( 一九四一 I) 。全島で小学校五、郵便局一一、駅逓一、 うも味が荒くなる傾向がある。そのためゆっく圏のうち「子の方向」 ( すなわち北 ) と「午のをもっといわれる。この二変数の組合せにつ無電局一が置かれていた。住民の大半は漁業に て、 XI, X2, 従事し、コンプ、貝類、サケ・マス、タラなど り自己消化を進行させるので、低温 ( 肉類、マ方向」 ( すなわち南 ) とを結ぶものを「子午線」 北方領土 ^ 渡辺一夫〉 グロ ) にしたり、強く塩をしたり ( 魚類 ) する という。天体は日周運動により一日に一回 ( と ・との間の相関係数をとったもの漁業に従事した。↓ ことが多 - い 囮二〇万分の一地勢図「色丹島」 きには二回 ) 、子午線を垂直に横切る。これをのは、々次の自己相関係数とよばれる。 この自己相関は、とくに線形の計量経済モデ 肉類のなかでは、牛、豚、羊などは、自己消「子午線通過」、あるいは「南中」などとよぶ。 シコタンハコへ S 、ミ、 ~ 、 sc さ、 化により、核酸系物質が増加するとともに、ア子午儀・天頂儀・子午環・写真天頂筒などの望ルにおいて、残差 ( 誤差 ) 項に系統的な関係が Pall. ナデシコ科の多年草。茎は株立ちとな ひしん り、高さ約一〇弩。葉は広披針形で質はやや厚 ミノ酸も多くなり、さらに筋肉が軟らかく、食遠鏡は、この南中時に天体を観測して、恒星の存在しないかどうかの検討について重要とな く、緑白色。夏、径約一・五の花をまばらに べておいしく感じるようになる。肉類を自己消位置や惑星の動き、天球に対する地球の姿勢、る。いま、一つの線形モデルを Yt " 40 十】 X 十 42 、イ 2t 十・ ・十 X ミ十に つける。花弁は白色で五枚、深く二裂する。本 時刻、地球上の観測点位置などを決定する。こ イ ~ れき を最 れらの研究を「子午線天文学」とよぶ。 として構成し、係数象象の 州中部と北海道の高山の砂礫地や崖地に生育 小二乗法で推定したとする。この場合、推定さ し、千島、カムチャッカ、シ・ヘリアにも分布し 地球上では、北極点と南極点を通る大円をい 〈三木栄二〉 、ある地点を通る経線をその地点の子午線とれたそれぞれの係数・象の が真の値ている。 の も いう。ロンドンのグリニジ天文台を通る経度〇であるとみなされうるような望ましい統計的性自己中、い性じこちゅうしんせい egocentrism あかし 度の経線を本初子午線、日本の明石 ( 兵庫県 ) 質をもっためには、確率変数″が、險像事象を客観的に第三者の立場、あるいは複数の て れ を通る東経一三五度の経線を日本中央子午線と ・の間で相互依存の関係にあっ 視点から分析・認識できず、主観的に、自分の 〈中嶋浩一・市川正巳〉てはならない。すなわち、変数″の系列には自立場、あるいは固定した一つの視点だけから分 蔵院称する。 しんけんりゅう 博四庫全書しこぜんしょ中国、清の乾隆帝己相関のないことが確認されなければならな析・認識する認知・思考の仕方をいう。心理学 そうしょ 〉淵宮欽定の一大叢書。七万八七三一巻 ( 巻数には異 それを事後的に検証する一つの方法として者の・ピアジェは、児童の思考はこのような ・ ( 文故 しゆいん の立同がある ) 。朱篤の建議によって、一七七二年ダービンーワトソン比とよばれる検定値があ性格をもっと考え、自己中心的思考と名づけ 中国 城 から一〇年間に、永楽大典本、朝廷蔵本、官選る。この値の大小によって残差項に一次の自己た。さらに、右の特徴のほか、自己の行為や操 禁ヒ 作についての内省・反省や、相対的関係判断が 紫本、各省採進本、私人進献本、通行本などか相関が存在するかどうかを検討することができ ら、当時集められるだけの重要な書籍を集める。↓自己回帰↓計量経済モデル↓最小二乗不可能であること、知覚的に際だった特徴にこ 書 全 〈高島忠〉 て、経、史、子、集の四部に分け、これを校正法↓ダービンーワトソン比 だわり総合的判断に欠けること、矛盾意識がな 庫 そがい 四 いことなどの特徴を指摘した。分裂病、ヒステ 7 じこそがい 0 疎外 し、善本をつくり、浄写させ、各書に著者の履自己疎外 日な五 きんてい

10. 日本大百科全書 10

との結合体である。ロドプシンはその一つであ性化する。太田母斑は思春期の女子に多い。眼 せ修復能検索では見かけ上、異常が検出できある種のホルモンや光が与えられると葉緑体に 〈飯島道子〉瞼部や頬骨部に好発し、褐青色斑を呈する。多 ない異型色素性乾皮症でも、現在、種々の方法なる可能性をもっている。デンプンの合成と窒る。 をピつ、 ) そ くは片側性で、まれに両側性もみられる。蒙古 で QZ< 修復機構に別の異常があることが解明素同化の作用がある。 色素沈着しきそちんちゃく生体内に色素が 白色体はプロプラスチドとよく似ているが、病的に出現して褐色や黒褐色などを呈すること斑は出生時に仙骨部に認められる青色斑で、一 しされつつある。治療は、極力日光の直射を避 け、悪性腫瘍の早期治療を行う以外、現在のとカロチノイドをもたず、遺伝子レベルで葉緑体をいう。色素変性もほとんど同義に使われる。般に小児期には消退する。 〈土田哲也〉 ②後天性色素沈着症①肝斑いわゆる「し ころ有力な方法はない。 になる能力を失った色素体で、ホルモンや光を生理的に存在するメラニンやヘモジデリンなど 色素性母斑しきそせいばはん母斑細胞母斑与えても葉緑体にはならない。デンプン合成との色素が異常に増大したり、出現する場所が異み」とよばれるもので、三〇歳以後の女子に好 と同義に用いられる場合が多いが、メラニンを窒素同化を行っており、根や茎の内部などにみ常な場合、あるいは生理的に存在しない色素が発する。前額部や頬骨部に認められる点状ない じようカく もっ母斑の総称として、太田母斑 ( 眼上顎褐られる。これらの色素体は、ミトコンドリアと出現する場合がある。ここでは先天性と後天性し斑状の褐色斑で、月経時や妊娠時に増悪す へんべい に二大別して述べる。 る。②老人性色素斑中年以後に顔面や手の背 青色母斑 ) 、青色母斑、扁平母斑などを含める並んで少量ながら核とは別の遺伝子をもち、独 じゃくらんはん こともある。↓母斑 〈川村太郎〉 ①先天性色素沈着症①雀卵斑いわゆる面などの日光暴露部にみられる母指頭大までの 自にタンパク質の合成を行う能力をもってい きよう がんけ 〈佐藤七郎〉 「そばかす」であり、眼瞼部や頬部 ( はお ) に境界がはっきりした褐色斑で、ときにいば状に しきそたい光合成を行う真核生物のる。 色素体 細胞に特有の構造体で、プラスチド plastid 色素タンバク質しきそ。ーしつ複合タン好発する。アワ粒大から半米粒大の不規則な形隆起する場合もある。まれに悪性化もみられ る。 〈山田清〉 ともいし 、内外二枚の単位膜からできている。 バク質の一つで、天然の状態において、ある特の褐色色素斑で、思春期に目だつようになる。 その形態上、機能上の特徴から葉緑体、黄色定の色素と結合しているタンパク質の総称。動遺伝形式は優性遺伝である。②遺伝性対側性色色素沈着性化粧品皮膚炎しきそちんちゃ ・一くひしよう くせいけしようひんひふえん 0 黒皮症 体、エチオプラスト、プロプラスチド、白色体植物の細胞および体液に存在する。色素を含む素異常症小児期より発症する。手足や手足の などに分けられる。葉緑体はクロロフィルをも 補欠分子団 ( 複合タンバク質の非タン。ハク質部 指の背部、前腕および下腿の伸側にかけて点状シキソトロピー thixotropy 振動や攪 はん って光合成を行っている細胞の色素体で、クロ分 ) によって色調や生理的機能が異なり、次のないしは網状の褐色色素斑と脱色素斑が混在す拌によってゲルが流動性をもっゾルに変化し、 ロフィルのほかにフィコキサンチンをもってい る。末端ほど症状が強い傾向にあり、優性遺伝放置するとふたたびゲルに戻る現象をいう。チ ように分類することができる。 クソトロピーあるいはチキソトロピーとい , っこ ①ヘムタンパク質鉄ーポルフィリン錯塩とタを示す。③網状肢端色素沈着症小児期から思 るものは褐色体、フィコエリスリンをもってい ようへん ともある。以前は揺変といったこともある。 るものは紅色体とよばれることもある。いずれンバク質との結合体。タンパク質とヘムとの結春期にかけて発症する。手足の背部、ときに前 べントナイトの懸濁液や油性のペンキ、ある も内側の膜から形成されたチラコイドがたいへ 合比は一対一、一対二、一対四などさまざまで腕や肩にかけてアワ粒大で、やや陥凹を伴う褐 いは酸化鉄肌や水酸化アルミニウムのコロイド ある。天然に広く存在しており、重要な生理的色斑がみられ、進行とともに融合して網状を呈 んよく発達している。 に少量の塩化ナトリウムを加えたものなどでよ 葉緑体はクロロフィルのはか、補助色素とし機能をもつ。へモグロビン、ミオグロビン、チする。優性遺伝を示す。以上① ~ ③の各疾患に いぎなぎ 対する治療としては、遮光、カバーマークなど く認められる。日本の神話にある伊弉諾・伊弉 てカロチノイドを含んでいるが、なんらかの原トクロム、カタラーゼ、ベルオキシダーゼなど なみのみこと ばはん がある。④母斑いわゆる神経櫛 ( 神経堤 neu ・冉尊の国づくりの段は、このシキソトロピー 因でクロロフィルが合成されず、あるいは分解がある。 ral crest ともいい、神経節や色素細胞を分化の最古の記載であると思われる。 されて、カロチノイドの色が目だつようになっ 金属錯化合物金属錯イオンとタンバク質と これとよく併記されるものとしてダイラタン の結合体。銅タンバク質と鉄タンパク質があする外胚葉性細胞集団 ) 起源細胞系のもので、 ているものを黄色体という。これはクロロフィ へんべい シー dilatancy がある。粉粒と水の系に急激 ルがないために光合成を行わず、チラコイドもる。前者の例にヘモシアニンがあり、後者の例次のような色素沈着症が含まれる。扁平母斑は ひぞう にはフェリチンがある。フェリチンは脾臟、小 思春期以後に好発し、胸部や肩甲部に小児頭大 に外力を加えて変形をおこさせると、表面付近 ほとんど消失している。黄色体は果実や花びら かんげき せきとう までの境界がはっきりした淡褐色ないし褐色斑の水が内部の粒子間隙に吸い込まれて固くなる の黄色ないし赤橙色の目だっ組織の細胞に含ま腸粘膜、肝臓などに存在し、生体内での鉄の貯 れている。黄色体は古くは有色体あるいは雑色蔵や消化の際の鉄の吸収に関与すると考えられを生ずるもので、片側性にみられ、ときに有毛現象である。波打ち際の砂を踏んだときなどに ている。 性のもの ( べッカー Becker 母斑 ) もある。観察されるが、近年、地震の成因モデルに応用 体などとよばれたこともある。 ③フィコ色素タンバク質ビロール誘導体とタ色素性母斑は、小形のものに対しては俗に「ほ されて注目を引くようになった。高分子溶液を エチオプラストは、本来は光が当たって緑色 くろ」とよばれているもので、大きさはダイズ流動、攪拌する際に抵抗が増大する ( 固くな ンパク質の結合体。紅藻植物の紅色を示すフィ になるはずのものが、光が当たらないためにク らんそう コエリトリン、藍藻植物の藍色を示すフィコシ大までであり、褐色ないし黒褐色調を呈し、扁る ) ことを同様にダイラタンシーとよぶことも ロロフィルの合成がおこらず、白色の状態にと 〈山崎昶〉 どまっている細胞の色素体 ( もやしが好例 ) でアニンなどがある。これらは葉緑体中にクロロ平ないし半球状に隆起する。大形のものは、出多い ある。正常ならチラコイドになるはずの膜成分フィル、カロチノイドに伴って含まれ、光合成生時より存在する場合があり、はっきりした境式台しきだい室町時代から江戸時代の初 とおざむらい 界を有する黒褐色、扁平隆起性局面で、剛毛をめにかけて、主殿あるいは大広間と、遠侍あ は細い管の塊 ( プロラメラ・ボディ ) となっての補助色素と考えられている。 ④フラビンタンパク質補欠分子団として、フ有する場合もある。ときに表面が乳頭状、いば るいは玄関との間にあって取次ぎの儀礼が行わ いる。しかし、光が当たると急速にクロロフィ ラビンモノヌクレオチドまたはフラビンアデ一一状を呈する場合もある。 れる場所を式台とよんでいる。その建物の中に ルが形成されるとともにチラコイドが発達し、 ンジヌクレオチドをもつ。すべて酸化還元酵素 治療は、小形のものは切除か電気凝固、大形 は、取次役の控えている部屋もっくられる。一一 正常な葉緑体となる。 おうしよく しゅ のものは切除か植皮術を行う。若年性黒色腫は条城の一一の丸御殿に式台の遺構がみられる。江 プロプラスチドは、盛んに分裂を行っているとしての作用をもち、黄色酵素ともよばれる。 小児期に好発し、成長も速い。淡紅ないし淡紅戸時代には、客の送迎に際して礼をするために 細胞に含まれるクロロフィルをもたない色素体アミノ酸オキシダーゼ、キサンチンオキシダー 褐色の半球状隆起性小結節である。青色母斑は玄関先に設けた板敷きを式台とよんでいること で、形が小さく、またチラコイドの発達が悪ゼなどがある。 が多い。この形式は、明治以降の和風住宅にお く、これ自体分裂を繰り返している。なお、少 6 カロチノイドタンバク質カロチノイドとタ顔面や手足の背面に好発するアズキ大までの青 〈平井聖〉 ンパク質との結合体。ビタミン < とタンバク質色ないし青褐色調を呈する小結節で、ときに悪ける玄関に受け継がれている。 量のカロチノイドをもっている。この色素体は カたい