こうちょう しほうーーるい腔腸動物門 4 四放サンゴ類 六、体で牛脂などの動物脂肪の主成分であるが、不組成の油脂もある。菜種油はエルシン酸 ( エル かちゅう 花虫綱の一亜綱 Tetracorallia を構成する絶滅 , フ飽和脂肪酸であるオレイン酸、リノール酸などカ酸 ) を含むことで特徴づけられるが、最近品 した動物群。すべて化石種よりなり、サンゴ体 種改良によりほとんど含まない製品が多い。一 のグリセリドは液体で植物油、魚油などに多く ま しわ の表面に皺が寄ったような構造をもつものが多 含まれている。低級脂肪酸と低級一価のアルコ般に食用植物油脂はリノール酸に富み、陸産動 キ < しわかわ し いため、皺皮サンゴ類 Rugosa ともよばれる。 ールのエステルは一般に芳香を有し、果実の芳物油脂は飽和脂肪酸が多い きよう この類は莢の中に最初、背腹を連ねる一枚の軸 脂肪酸組成の違いを反映して、油脂は常温に 香成分として知られているものが多い。高級脂 2 0 セ 3 ア隔壁ができ、ついで側方の腹側寄りと軸隔壁を 肪酸の金属塩を一般にせつけんという。化粧せおいて固体状 ( 脂 ) あるいは液体状 ( 油 ) を呈 つなぐ二枚の隔壁ができる。さらに成長するに つけんとよばれる浴用などに用いられているのする。脂肪酸は食品の味とも関係し、不飽和度 O 酸 5 チ したがってほかに数枚の隔壁ができるが、やが 〈廣田穣〉が高くなると濃厚な味を与えるようである ( た は脂肪酸ナトリウム塩である。 O 肪 O セ 月 O ア て軸隔壁は背側に幅広く腹側に幅の狭い二つの 〔生体内の脂肪酸〕生体内で脂肪酸は、脂肪酸とえばウナギ ) 。短鎖脂肪酸、とくに酪酸が油 め わ℃鎖 O 終長 O 回路によって分解されたり、合成されたりす脂の加水分解によって遊離すると悪臭の原因と 5 隔壁にくぎれ、側方と軸隔壁をつなぐ二枚の隔 7 O O 壁も中央部で二分され、結局四枚の隔壁となる。 る。この回路は、炭素数二つずつの単位で脂肪なる。 サ サ ),/ 、、 O—O ロ 腹側の幅の狭いものは主隔壁、背側の幅広いも 脂肪酸は動物体内のエネルギー源としてもっ 酸の合成や分解を行うので、天然に存在するほ えき のは反主隔壁、側方のものは腋隔壁とよばれ、 とんどの脂肪酸の炭素数が偶数となるのであとも効率的成分であり、トリグリセリドとして この四枚の隔壁でくぎられた四つの莢の内面に る。不飽和脂肪酸は、不飽和一一重結合をつくる貯蔵される。飽和脂肪酸は安定であるが、不飽 それそれ新しい隔壁がつくられる。このことか 和脂肪酸は酸化されやすい。脂質過酸化物は老 酵素の働きで合成されると思われる。 酵ら四放サンゴ類の名がつけられたが、別に同じ 動物には、リノール酸やリノレン酸を合成す化、、動脈硬化などの原因となるという見方 ℃ , 兀出元 o 素解 る酵素がないため、これらの脂肪酸は、植物をもある。天然の不飽和脂肪酸の二重結合はシス 酵分意味で四射サンゴ類ともよばれた。古生代ォル 還 ro 《 . に .. 0 還出 ひっす ひっす 0 鎖成酸 ドビス紀初頭から出現し、シルル紀、デポン紀 食べて補給されなければならない必須脂肪酸で型であり、必須脂肪酸はすべての二重結合がシ o 素 < 合肪 O O O— O ・ 2. 亠糸・酸し日 にもっとも繁栄し、ベルム紀 ( 二畳紀 ) の終わり ス型のときのみその機能を発現する。油脂の水 ある。リノール酸やリノレン酸が欠乏すれば、 じんぞう 化酵肪」は に絶滅。六放サンゴ類と類縁があると考えられ 成長阻害、皮膚や腎臓の障害、受精能力の減退素添加過程で、天然に存在しないトランス型成 5 0 炭補脂た 合 ている。約四〇科五〇〇属数千種が知られ、多 を招く。これは、リノール酸、リノレン酸、ア ( シス型の幾何異性体 ) 不飽和脂肪酸が生成す くの種は確実な標準化石となる。〈内田紘臣〉 ラキドン酸を経て合成される重要な生理活性物る。トランス酸は主としてモノ不飽和酸 ( たと 解 分 しほうしけん裁判官、検察官また えばエライジン酸 ) としてマーガリン、ショー 質プロスタグランジンの減少によるものと考え 司法試験 の は弁護士 ( 法曹三者 ) になろうとする者に必要 トニング中に含まれる。トランス酸は飽和脂肪 られる。 酸 な学識およびその応用能力を判定することを目 脂肪酸は栄養素として重要であり、脂肪とし酸とほば同程度吸収されエネルギー源として利 肪 ヒ日 路 的とする国家試験 ( 司法試験法一条 ) 。法曹三 て体内に蓄えられ、必要に応じて肝臟で酸化的用されるが、多量摂取すると必須脂肪酸要求量 レ O O 者について同一試験を実施している点に特色が ノス酸代謝の妨害やプロスタグランジ に分解される。このとき発生するエネルギーやの増加、、、 9 路路 路 O 奴杜奴社 サ あり、重要性がある。試験は、第一次と第二次 O 十解成 水の量は、炭水化物やタンパク質などの栄養素ン合成の抑制を引き起こす。しかし、日常摂取回サ 5 5 6 ーーー↓分合 の段階がある。 と比較して約二倍なので、動物の栄養貯蔵は主量 ( 二以下 ) の範囲ではこのような影響は無酸 O O 〈菅野道廣〉 ①第一次試験司法試験は、学歴などによる受 として脂肪ないし脂肪酸の形をとる。ラクダの視できる。 し日 月 験資格の制限を設けておらず、第二次試験を受 こぶの中身はほとんど純粋な脂肪酸であるとい 脂肪酸回路しばうさんかいろ生体内で脂肪 けるために相当な教養と一般的学力の有無を判 酸を合成したり分解したりする反応を行う回路ら外れやすくなるが、その仕組みは不明の点が われる。 し。しった定する。大学で学士号を取得するために必要な 脂肪酸は、生体膜の基本的な構成成分の一つである。合成回路は、アセチル補酵素 < からマ多い。不飽和脂肪酸の合成こっ、てよ、、 一般教養科目の学習を修了している者は、第一 で、主としてグリセロリン脂質の形態をとってロニル補酵素を合成するアセチル補酵素 < カん飽和脂肪酸ができてから還元される場合が認 次試験を免除される。必要な単位を履修してい ルポキシラーゼと、アセチル補酵素 < 、マロ一一められる。 いる。これを構成する脂肪酸の種類によって、 分解経路は、おもに脂肪酸のカルポキシル基れば在学中でもよい。旧制の高等学校、専門学 膜の透過性、流動性、外界への適応などが左右ル補酵素 < を材料として脂肪酸を合成する脂肪 〈若木高善〉酸合成酵素とによって触媒される。マロニル補側から炭素二個ずつの単位で次々に切断されて校の卒業生も同様に免除される。第一次試験は されると考えられる。 アセチル補酵素 < となるもので、合成経路の逆第二次試験とは切り離された資格試験であり、 〔食品〕食品中の脂質に含まれる脂肪酸のほと酵素 < は、脂肪酸合成酵素にすでに結合してい 一度合格すればよい ( 同法四条二項 ) 。 んどすべては炭素数偶数個で直鎖の飽和およびる脂肪酸部分 ( 図に R 〔 CH2CH2]nCO で一般反応に類似しているが、異なる酵素系によって ②第二次試験専門科目について、筆記とロ述 不飽和脂肪酸である。炭素数はきわめて広範囲的に示しているが、その最初の形態はアセチル触媒される。そのとき生成するやアセ による三つの試験があり ( 同法六条 ) 、そのす に及ぶが、量的には炭素数一六のバルミチン基 CH3CO である ) に、二個の炭素原子の単チル補酵素は、それそれ呼吸鎖、クエン酸回 酸、炭素数一八のオレイン酸およびリノール酸位を供給する ( 図の反応 ) 。さらに還元 ( 反路によって酸化され、エネルギー産生に寄与すべてに合格して初めて司法試験に合格したこと になる。筆記試験は、短答式と論文式の一一段階 が主要なものである。牛乳脂肪 ( 炭素数四、六応、 z) や脱水 ( 反応 ) を経て、酵素上のる。このほかにカルポキシル基の反対側から酸 ォメガ 化されるの酸化という分解経路や、カルポキシ に分かれている。①短答式憲法、民法、刑法 ーム核油 ( 炭素数脂肪酸部分は炭素数をちょうど一一個分だけ延長 の短鎖脂肪酸 ) 、やし油、 ル基側から一度に炭素原子一個分ずっしか分解の三科目について行われる。②論文式短答式 八 ~ 一二の中鎖脂肪酸 ) や魚鯨油 ( 炭素数一一する。このサイクルを繰り返して、炭素数一六 アルファ ひっす 〈若木高善〉 しない酸化も知られている。 ないし一八になったときに脂肪酸部分は酵素か の合格者に対してのみ行われる。必須科目は憲 〇、一一一一の多価不飽和脂肪酸 ) のように独特な 2 宿十 2 2 〃 + 2 ヒ日 レ : ー守
国では、一八七七年 ( 明治一〇 ) に近代獣医学了者が獣医師の国家試験の受験資格をもっこと状を説いたもので、一三〇一年 ( 正安三 ) 本願免許を必要とする。わが国では、獣医師免許を かくによひたち の教育が行われるようになった。当初、本格的となった。その後さらに八三年五月の学校教育寺三世覚如が常陸国 ( 茨城県 ) の門徒の要請に取得しようとすれば、①学校教育法に基づく大 学において、六年間の一貫した教育を受け、獣 に飼われていた動物は種類の面からも数のうえ法第五五条の改正により、八四年度入学の学生よって起草した伝記を、絵画化したもの。真宗 しんらん からもまだ少なかった。その後、軍隊に必要な から医学、歯学に次いで、大学院修士の過程をの立場からっくられ、親鸞が法然門下の正統で医学の正規の課程を修めて卒業した者、あるい ウマに対する改良が重要となり、乳牛、プタ、 利用しない学部一貫六年制に変更された。↓獣あることを主張したもので、両者の関係が詳し は、②外国の獣医学校を卒業し、または外国で 〈本好茂一〉 ニワトリと、需要に応じて獣医学の対象は広げ医師 く述べられ、他の浄土宗系の「法然絵伝」とは獣医師免許を得た者であって、獣医師免許審議 会が①に掲げる者と同等以上の学力および技能 られてきた。近代獣医学は、農事修学場 ( 現東拾遺記しゅういき中国の伝説を集めた志怪内容を異にする。第九巻の奥書により一三二三 おう 京大学農学部 ) 、開拓使仮学校 ( 現北海道大学 ) の書。一〇巻。作者は後秦時代 ( 四世紀 ) の王年 ( 元亨三 ) の制作とわかる。絵は鎌倉末期のを有すると認めた者が、獣医師国家試験を受験 せいしん せきこ やまと 〈村重寧〉 などで、農学のなかの主要教科として始められ、嘉。三皇五帝から西晋末、石虎の事に及ぶが、 伝統的な大和絵の画風を示す。 し、この試験に合格したうえ、農林水産大臣の かんぎそうしょ 当時は外国人教師によって指導されていた。 人間のうちにあって、免許を受けなくてはならない。獣医師でない者 原本は滅び、現在『漢魏叢書』などに収められ自由意志じゅういし りよ - っしょ・つぎ 獣医学教育においては、獣医師の養成が重要ているものは、梁の蕭綺が再編したものであ自然の因果の必然によって規定されすに自発的は、家畜の診療を業務とすることができない。 いんらん な目的である。この目的に沿うため、獣医解剖 わが国の獣医師数は一九八四年 ( 昭和五九 ) る。内容は奇怪、淫乱な事柄が多く、すべて事 に発動する能力が自由意志である。そうした能 こんろん ほうらい 学、動物発生学、獣医生理学、獣医病理学、獣実でないとされる。第一〇巻は崑崙山・蓬 ~ 來山力の存在は、選択とか意志決定の自由として意末現在で約二万六〇〇〇人弱である。このう しわんろうせいあん 日ち、ウシやプタ、ウマ、ニワトリなどの産業動 医微生物学、獣医寄生虫病学、獣医薬理学などなどの名山記である。王嘉は字は子年。隴西安識される。もっとも、スビノザによれば、人門 よ、つ こつけい ようはう の基本のほか、専門課程には、獣医臨床繁殖陽の人で、容貌醜く、滑稽を好んだが、崖に穴 が自由意志をもっと信じるのは行為の真の原因物を専門に診療する家畜病院を開業する者は約 - 一うちょ・つ 学、獣医内科学、獣医外科学、獣医伝染病学な居したり、その言動は奇矯であった。後趙の について無知であることによるので、人間の意二三〇〇人で、産業動物以外のイヌやネコ、 せききりゅう どの臨床獣医学がある。さらに、獣医技術には石季竜 ( 石虎。在位三三五 ~ 三四九 ) の末年、長安に 志や行為もすべて因果の必然によって規定され鳥などを診療する大猫病院を開業する者は約四 しゅうなん いんせい 衛生面に関する知識の必要性も強く、獣医衛生出、終南山に隠棲、その予言はよく当たり、 ていることになる。このように自由意志の存在三〇〇人である。このように産業動物開業獣医 ふけんわいなん 学、獣医公衆衛生学などの教育も行われる。近前秦の苻堅が淮南で敗れることを予知した。後を否定するのが決定論で、現代の科学者や科学師は世界的にも減少傾向がみられている。国家 ようちょう 年、獣医学の専門領域は、魚病学などとして魚秦の姚萇に召されたが、機嫌を損ね、殺され哲学者のなかにも決定論者は多く存在する。 公務員は約七四〇人、都道府県職員がもっとも 〈志村良治〉 類の養殖技術のなかにも広く求められるように だが、自由意志の問題は、もともと理論的で多く約三五〇〇人で、各地に分布している。ほ なった。これは世界的傾向で、比較動物医学と回前野直彬訳『中国古典文学全集 6 六朝・ あるよりも実践的な問題で、たとえばカントに かは、市町村、団体、会社などに属して診療に しての需要にもこたえるべく獣医学の対象も広 唐・宋小説集』 ( 一九五九・平凡社 ) ▽魯迅著、よると、理論的認識の妥当性は因果律が支配す携わる者、診療以外の業務に従事する者など、 げられている。 増田渉訳『中国小説史』全二冊 ( 岩波文庫 ) る現象界に限定されるから、自由の存在は理論またまったく獣医事に従事しない者、その他、 ていか となっている。 また近年では、人間に対する薬物の安全性・ しゅういぐそう藤原定家の家集。的には証明不可能であるが、しかし実践理性は 拾遺愚草 じじゅ・つとうみよう 獣医師の職域は近年広がっているが、食品と 毒性などの検定には、実験用動物がきわめて重「拾遺」は侍従の唐名で定家の官職名。上中下人間が従うべき道徳法則の存在を認め、そこか 要な位置を占めるに至った。マウス、ラット、 の三巻は一一一一六年 ( 建保四 ) に成立し、そのら自然の原因性とは異なった自由の原因性が英しての牛乳、牛肉、豚肉および鶏肉、鶏卵の生 ウサギ、モルモット、イヌ、ネコなど日常的に 後も出家時の一二三三年 ( 天福一 ) まで増補。知界において成立することを確認する。すなわ産のなかで、飼料、防疫、疾病治療、食肉の検 ーし、まが′、 用いられる動物の作出、改良、増殖、管理をは上巻は初学百首から関白左大臣家百首までの一ち意志の自由は、自分自身に対して道徳法則を査などに関する業務が多く、都道府県、市町村 いんカ によう 1 一じゅだい じめ、その実験動物を使用する実験にも、獣医五種の百首、中巻は韻歌一二八首から女御入内課し、かっそれに従うといった意志の自律であ獣医師で診療以外に従事している者は、屠畜場 びようぶ 学的学識と技術が求められるに至っている。 屏風歌の一二種の作品、下巻は四季、賀、恋、 って、この自由は非決定論的な選択の自由ではでの食肉の検査業務を通して、安心できる食品 以上のように現在の獣医学は、食料の生産、雑の部類歌を収める。本集には、十代後半の習なく、道徳法則によって規定された善への自由を食卓に送り届けるような社会性の高い仕事を だる している。 食肉衛生などに携わるだけでなく、医学、薬学作期の歌から、新風開拓に苦心し、世間から達を意味する。 ぶんじ けんきゅう なおヘーゲルは、カントの説く自由はまだ有 への貢献もけっして少なくない。また、人間の磨歌と評された文治・建久期 ( 二会 ~ 究 ) の 各種の薬物が人体に安全で無害であるかどう かを試験するための仕事も増加傾向にあり、養 精神生活に潤いを与えるイヌ、ネコ、小鳥など歌をはじめ、その長い作歌活動の生涯の大部分限的で主観的な意志の自由にすぎないと批判 ペットの飼育家や、競馬・乗馬愛好家が増加しの詠作が集められている。伝本は、①自筆本系し、真に無限にして自由な意志は、即自かっ対殖漁業における魚類の病気に対しての診断、治 れいぜいためおみ たため、それら動物の疾病の予防から治療に及 ( 定家自筆本。冷泉為臣編『藤原定家全歌集』自的にある意志で、それは意志の形で自己を貫療、予防にも獣医師の業務が及ばうとしてい に翻刻。一九四 0 ・文明社 ) 、②来田本系 ( 定家自徹する思考であり、したがって自由とは、実は る。そのほか、家畜法定伝染病や、動物から人 ぶ医療面でも獣医学は活躍している。さらに、 間に伝染する人畜共通伝染病への対策業務、自 獣医学徒の職域は、多くの子供たちを楽しませ筆の草稿本 ) 、③六家集本系 ( 自筆本に後人の認識された必然にほかならないと考えた。↓自 いーれイ ~ い 〈宇都宮芳明〉然保護動物の問題、外国から輸入される各種の る動物園の種々の動物の飼育管理から病気の治増補 ) がある。『拾遺愚草員外』一巻は、正編由 三巻の完成後、早い時期に補足したもので、一 じゅういし動物、おもに家畜の疾病動物やその生産物からの病気を末然に防ぐ検疫 療にまで広がっている。 獣医師 一一三七年 ( 嘉禎三 ) ごろに大部分が完成。巻末の治療および予防を職業とする者をいう。一般業務、動物園の動物や競走馬などを対象とする 第二次世界大戦後、獣医学教育は四年制大学 の藤川百首は後人の追加である。〈有吉保〉 には獣医ともよばれる。わが国では、一八八五業務などの社会性の高い職域でも獣医師は活躍 で行われてきたが、前述のような広範な要求に だじようかん 〈本好茂一〉 、対応する必要から、獣医学教育は大きな転換期回赤羽淑著『藤原定家全歌集全句索引』 ( 一九年 ( 明治一八 ) に初めて太政官布告により獣している。 うまくすし 七四・笠間書院 ) 医免許規則が公布され、この規則による免許を〔歴史〕日本では古く馬薬師、馬医といし 、つにきている。一九七七年 ( 昭和五一 l) 五月、獣 た広く伯楽ともよばれた。もつばら馬の体質診 しゅういことくでん鎌倉末期の得た獣医師だけが家畜の診療業務を行えること ゅ・医師法が一部改正され、獣医学教育は学部四年拾遺古徳伝 じゅ ほうわんしようにん じと修士二年の計六年となり、この六年の課程修絵巻。九巻。茨城・常福寺蔵。法然上人の行となった。現在でも、獣医師となるには獣医師断・治療にあたってきたが、そこには医療と呪 4 、ごっしん あざな
十分な近 cheskaya industrializatsiya 巨大な犠牲を伴ったとはいえ、この工業化方形態としての国家的所有は、各人による生産手と勤労者の疎外を伴うから、直接的社会的所有 8 代的大工業をもちえないままに社会主義に移行式は、工業化を民族的自立の不可欠の前提と希段の利用を保障するためのものでなければならへの移行が必要だとして、労働者の自治と自主 2 した国において、これを計画的に創出する過求する多くの発展途上諸国の間から絶えず信奉ない。さらに、消費財の個人的所有は、剰余労管理が追求されている。また、ハンガリーで や は、一九六八年の経済改革により「規制された ~ 三七年の第一 ~ 第二次五か年計者を生み出している。 〈平泉公雄〉働の搾取形態である利潤や労働力の価格である 市場」を導入し、国営企業のオートノミーが 画を通じソ連で初めて実現され、第二次世界大 E)< ・ノーヴ著、石井規衛・奥田央・村上範明賃金に基づくのではなく、労働に応じた分配に 戦後は五〇年代から六〇年代前半にかけて東欧 他訳『ソ連経済史』 ( 一九全・岩波書店 ) ▽基づくという点で、資本主義下のその私的所有められた結果、企業にも一定の所有権を認め、 諸国、中国その他で遂行された。もっとも、エ 国家の所有権と企業の所有権とが当該生産手段 ・エクスタイン著、石川滋監訳「中国の経とは経済的内容が相違する。 業化完了の厳密な時期確定は困難であり、一般 済革命』 ( 一九含・東京大学出版会 ) ▽ソ連科〔ソ連および東欧諸国における社会主義的所有に重層的に構成されるとみなす見解もみられる 〈西村可明〉 制度の諸形態〕支配的な形態は国家的所有であようになった。 的には国民経済レベルにおけるいちおうの工業 学アカデミー世界社会主義体系経済研究所 編、世界文庫編集部訳『世界社会主義体系』 り、その対象としては生産手段以外に、輸送・ ・Ⅱ・シュクレドフ著、岡稔・西村可明訳 体系の完成をもってその目安としている。ソ連 第一巻 ( 一九穴・世界文庫 ) 商業・金融機関などの諸施設、文化・厚生施 『社会主義的所有の基本問題』 ( 一九七三・御茶の では一九二五 ~ 二六年に革命後の復興過程が完 設、住宅、国営企業の生産物などをあげること 水書房 ) ▽・プルス著、大津定美訳『社 了し、これを踏まえて二五年一二月の第一四回社会主義的所有しやかいしゅぎてきしょゅう sozialistisches Ei- ができる。次に、小農などの小商品生産者が多 会化と政治体制』 ( 一九全・新評論 ) 党大会で経済建設の一般方針として工業化政策 socialist ownership が提起されたが、これに先だちすでに二四年に gentum C()UHaJIHCTHqeCKaf1 C06CTBeH- 数の協同組合に結集されたために広まった協同社△ K 主義的本源的蓄積しやかいしゅぎてき しやかいしゅ ! てキ一げ・んしちくせ一 は、一一三年の「鋏状価格差」恐慌論争の新たな 組合的所有も重要である。協同組合的所有の対 ほんげんてきちくせき 0 社会主義的原始蓄積 HOCTb 、 /sotsialisticheskaya sobstvennost' しやかいしゅギ、と、ついっと , っ 展開として工業化論争が開始されている。↓工 。シ社会主義的所有とは、計画化や労働に応じ象には、農業・林業・漁業における生産協同組社会主義統一党 しやかいしゅ一とういっとう 業化論争 た分配などの社会主義的経済運営を行うための合やおもに日用品を製造する工業生産協同組合 0 ドイツ社会主義統一党 しやかいしゅぎ これまでに実現された社会主義的工業化過程基礎となると同時に、この経済運営を通じて再の生産手段、生産物、文化・厚生施設、消費協社会主義リアリズム においては例外なく、①きわめて高率の工業化生産されるところの経済的意思決定権の全社会同組合の商店や食堂の施設などが含まれる。個 COUHaJIHCTHqeCKHH peaJIl 、 13M/ 、 sotsialistiche ・ skiy realizm 芸術創作方法の一つ。一九三 テンボ、②重工業の優先的発展、③アウタルキ的編成のことであり、生産手段の社会的 ( 国家人的所有となるものには、住宅を含む個人的消 二年からソ連で提唱され、三四年ソビエト作家 ー主義、④農業集団化との結合、がその特徴と的あるいは協同組合的 ) 所有や消費財の個人的費財のはか、国営農場や協同組合農場の農民に よる個人副業経営用の生産手段がある。また、 同盟規約で、「ソビエトの芸術文学ならびに文 なっている。その結果、社会主義的工業化はそ所有はその代表的なものである。 れ以前の資本主義的工業化に比べはるかに短い 〔社会主義的所有の確立・内容・形態〕社会主複数の国有企業や協同組合企業が一つの企業を学批評の基本的方法」と規定された。その内容 は、現実をその革命的発展において正しく歴史 期間に達成されたが、そのためには異常に高率義革命により成立した労働者国家は、資本主義所有するという共同所有も存在している。 の資本蓄積が必要とされたのであり、その犠牲から社会主義への過渡期において、生産手段を〔分権化と社会主義的所有〕ソ連で一九三〇年的、具体的に描き出すこと、勤労人民を社会主 国有化し、これに基づいて全社会的規模での計代に確立され、東欧などの社会主義諸国によっ義に向かって思想的に改造し、教育するという も大きかった。 社会主義的工業化のための蓄積源泉として画的生産や消費財の労働に応じた分配を組織して継承された集権的経済管理システムのもとで課題に芸術創造を結び付けること、の二点に要 は、国家的所有は、物質的財貨に対する国家の約される。そのために作家は、国民の生活と伝 は、資本主義諸国からの資本援助が期待できなていく。この過程で生産手段の国家的所有と個 統に深く入り、そのなかの古いものに対する新 かったこともあり、農業からの資源収奪がその人的消費財の個人的所有は、これらの社会主義ほとんど全面的な排他的支配と、この支配に対 しいものの勝利を描き、その勝利を実現する新 主力をなした。異常な低価格のもとで強制的に的な経済的内容を獲得していくとともに、国民する労働者集団の従属とを意味する。このよう 割り当てられる農産物供出がその手段であり、経済に占める社会主義的セクターの支配的地位な国家的所有の欠陥として指摘されているのしいヒーローの創造が要求される。また、この は、第一に、国家の民主的意思形成が一党制な リアリズムは、現在の社会に末来社会に至る歴 農業集団化も、少なくともその当初は、農民の形成を通じて、社会主義的生産の総過程によ わい ( 主として富農、中農 ) の抵抗を抑え、農産物って再生産されたものに転化されていく。そのどの政治システムにおける阻害要因によって歪史的必然性をみいだすという意味で、革命的ロ きよく 結果、両者は、社会主義的生産諸関係を経済的曲されているために、国家的所有からの全人マンチシズムを包含しうると主張された。この に対する国家の支配権を確立するための体制づ 民の疎外があるという問題点、第二に、企業に 方法への道を初めて開いたのはゴーリキーの小 くりであった。また農業集団化は、工業が必要内容とする社会主義的所有として確立される。 労働に応じた分配の原則を実現するためにおいて労働者が自ら主体としてふるまうことが 説「母』 ( 一九 0 七 ) とされ、フアデーエフの『壊 とする新規労働力と土地需要の充足にも大きく は、労働の基準と消費の基準とを統制する強制不可能だという意味で、国家的所有からの万働滅』 ( 一九一一七 ) 、 Z ・・オストロフスキーの『鋼 貢献した。農民ばかりでなく労働者階級もまた 機関としての国家が必要になるから、社会主義者の疎外が労働の場で生じるという問題点第鉄はいかに鍛えられたか』 ( 一九三一一 ~ 三四 ) もこの 最大限蓄積の対象とされ、工業化過程の初期に 三に、国民経済の規模が拡大し構造が複雑化す立場にたっ作品とされる。 は実質賃金水準の低下もしくは停滞が一般的でのもとで国家的所有の形態は不可避となる。こ 社会主義リアリズムの提唱は、作家に高度の あった。最小限の食糧需要を除く消費財の価格の国家的所有が内実として全人民の所有であるると、国家管理機関が詳細な指令を出して企業 ためには、国家の意思が全人民の意思を実際に 活動を管理することが困難になるという問題点 共産主義的世界観や政治的イデオロギーを要求 引上げがそのてこであり、こうして調達された 資金は取引税を通じて国家に集中された。消費反映している必要があり、それゆえ民主的政治である。現在は、大局的にみれば、分権化の方する従来の唯物弁証法的創作方法や、セクト的 システムが必要不可欠になる。このように、社向でこれらの欠陥を克服することが模索されてなラップ ( ロシア・プロレタリア作家協会 ) に 財価格の引上げは住民の購買力を抑制し、重工 いる段階であり、この模索のなかから社会主義対する批判と結び付いていたために、芸術創造 業の優先的発展Ⅱ軽工業の相対的立ち後れを可会主義的国家的所有は、内実としては全人民的 の自立性を擁護する理論としてソ連の多くの作 能とした。以上のような蓄積方式は、社会主義所有であるべきであり、また社会主義的生産諸的所有の新しい形態、新しい考え方が生まれつ 関係をその経済的内容とする点で、資本主義下っある。たとえば、ユーゴスラビアでは、国家家に歓迎された。ソ連以外の国の進歩的な文学 的原始蓄積の必然的結果であったといえる。↓ の国家的所有とは異なる。また全人民的所有の的所有は間接的社会的所有であって、官僚支配 運動にも大きな影響を与え、フランスのバルビ 社会主義的原始蓄積 は、・ : み
が無限責任を負っているから、資本は株式会社 一方、資本主義が発展するにつれて、資本の規模の分類において区分基準として用いられる分類にも用いた。ハロッドの意味での中立性基た んにおけるほど重要な意味をもたず、資本の制度集中化と独占化が進み、資本家階級のなかでも ( たとえば「株式会社の監査等に関する商法の準は、利子率 ( 利潤率 ) 一定のもとで資本係数 は法定されていないが、いちおう財産出資の総独占・フルジョアジーが国家権力を掌握し、国家特例に関する法律」昭和四九年法律二二号 ) 。を不変のままにとどめる技術進歩によって求め し額が資本として取り扱われている。合資会社で独占資本主義が形成される。また、産業資本家なお、株式会社制度の濫用に対し、最低資本金られ、資本係数を上昇させるものは労働節約的 〈宮崎徹〉技術進歩、低下させるものは資本節約的技術進 は、会社に利益がない場合に有限責任社員が配 と金融資本家 ( 銀行家 ) との間でも、産業資本制が検討されている。 〈大塚勇一郎〉 しほんけいすう capital coefflcient 歩とよばれる。↓技術進歩 当を受けたときは、その責任限度額の計算に際家が主要な役割を担っていた時代から、金融資資本係数 ・・ハロッド著、宮崎義一・浅野栄一訳 し、これを出資の履行分から控除する ( 商法一本家が主要な役割をもっ時代へと発展し、金融資本額を産出額で除した大きさをいい、資本産 五七条二項 ) ほか、出資を減少しても一定期間 資本家が資本家階級のなかで優位を占めるに至出高比率ともよばれる。この概念は個々の企業 『景気循環論』 ( 一九六三・東洋経済新報社 ) しほんげんしよう 0 減資 内、従前の出資額による責任を免れえないとしる。このような独占資本・金融資本の支配する または産業レベルに関しても用いられるが、比資本減少 ている点で ( 商法一五八条 ) 、資本が法律上一時代にあっては、非独占の中小資本家は、植民較的利用度の高いのは経済全体についてであっ 資本構成しほんこうせい企業が使用する資 定の意味をもっている。 〈戸田修三〉 、具体的に 地・従属国の民族。フルジョアジーとともに、独て、この場合には産出高は通常、国民所得の意本 ( 使用総資本 ) の構成内容をいし 占資本主義・帝国主義に反対する広範な民主戦味に解される。資本係数は、分母・分子に絶対 は、貸借対照表に表示されている調達源泉によ しほんかかいきゅ、つ capitalist 資本家階級 線に結集する可能性をもつに至り、支配階級と 水準がとられるか増加分がとられるかに応じる区分、すなわち自己資本 ( 資本金と各種準備 class 資本主義社会における支配階級、プル してのプルジョアジーの側から離脱することもて、平均資本係数と限界資本係数とに区別され金の合計 ) と他人資本 ( 社債、長・短期借入金 ジョアジー。資本家階級・プルジョアジーは、 日負債の合計 ) の構成を問題にする。資本構成 〈河村望〉る。また、現実の資本額・産出高がとられる 労働者階級・プロレタリアートに対する搾取にある。↓。フルジョアジー よって存在、発展するものである。資本家すな・マルクス、・エンゲルス著、大内兵か、産出高一単位 ( または産出高一単位の増加を判断する指標としては、自己資本比率 (äd 分 ) を生み出すのに必要な資本額 ( またはそのョ主謬 ) 、負債比率 ( + ロ d 衛・向坂逸郎訳『共産党宣言』 ( 岩波文庫 ) わち資本の所有者は、それによって機械や原料 ▽レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』 ( 岩増加分 ) がとられるかに応じて、それそれ現実 ) などの比率が使用される。 などの生産手段を購入するとともに、労働力、 資本構成が問題にされる理由は、使用総資本 資本係数、必要資本係数とよばれる。 人間の労働する能力を購入して、彼らを労働さ 波文庫 ) 成長理論の分野で先駆的な業績を残した・ が同一であっても、資本構成によって、財務体 しほんきん capital 基本的には企 せることによって生産物、商品をつくり、それ資本金 を販売することで剰余価値、利潤を得る。 業に対する出資者の金銭および現物による拠出・ハロッドは、このような資本係数概念を用質が異なるからである。高成長期には、負債比 いることによって、資本主義経済の不安定性を率が高い ( 自己資本比率が低い ) ほうが有利で 資本家階級が存在するということは、このよ額を意味する。個人企業では、開業時の企業主 もといれ あるが、低成長期には逆になる。また資本運用 , つに、他方で、自分の労働力、労働能力を商品 の拠出額 ( 元入額 ) が資本金とされるが、さら論証しようとした。 いま現実の資本係数をとすれば、現実の成面である資産の構成との関連でいえば、短期借 として売るしかほかに生活のしようがない、すにその後の損益の額も会計上は資本金の増減と 入金が固定資産に充当されるような体質であっ なわち生産手段を所有しない労働者が階級とし して処理される。株式会社では、原則として株長率は、 G=s 、 /C と表すことができる。ただ て大量に存在することを前提としている。この主の拠出額全額すなわち発行済株式の発行価額しは平均貯蓄率である。他方、必要資本係数てはならない。以上の点から、自己資本比率は ように、生産手段から自由な労働者階級が存在の総額が資本金 ( 法定資本 ) とされる ( 商法一一を 0 ( 一定 ) 、適正成長率 ( 資本の完全稼働を五〇 % が望ましいとされてきた。実際には日本 することによって、単なる貨幣の所有者ではな 八四条ノ二第一項 ) 。一九八一年 ( 昭和五六 ) ちょうど許すに足るほどの所得の成長率 ) を儀企業の平均は二〇 % 程度で非常に悪い状態にあ 〈森本三男〉 とすれば、 Gw=s/Cr である。この二つの式かる。↓資本コスト い資本家階級の存在が初めて可能になるのであの商法改正前は、額面株式の場合、額面金額が cost Of capital る。資本家階級と労働者階級との関係は、この資本金とされ、発行価額との差額 ( 額面超過額ら次のことがいえる。もしも現実の成長率 e が資本コストしほんー、 ような敵対的関係であり、労働者階級の闘争が Ⅱプレミアム ) は資本準備金とされていたが、適正成長率よりも大であるとすれば、必要資企業が使用資本のために負担する価値犠牲。自 己資本の資本コストは配当であり、他人資本 発展するにつれて、資本家階級は、これに対抗近年の時価発行増資の一般化に伴いこの処理は本係数 0 は現実資本係数よりも大きくなり、 問題とされ、その発行価額全額を資本金とする資本不足の状態がおこる。このとき企業家は投 ( 負債 ) のそれは支払利子である。使用資本が するために、ますます政治権力に依拠して、支 これら両種の資本によって構成されている場合 配階級としての自らの地位の存続を図ろうとすことに改正された。しかし、株式の発行価額の資を増大させてこの不足を補おうとするものだ には、資本構成に応じて総資本コストは異なっ 二分の一までの金額 ( ただし額面株式についてと考えるならば、その投資増加はさらに e を高 るのである。 近代市民革命当時にあっては、プルジョアジは券面額、設立に際して発行する無額面株式にめ、 e 、間の乖離をますます大きなものにしてくる。それは次の式で算出される。 てしまう。逆に現実の成長率が適正成長率より 謬Ⅱロロ凵メ丁 + 言 A 凵メ〒 ーは、旧制度、封建社会の国王・諸侯 ( 第一身ついては五万円を超える部分であること ) は、 そうりよ 分 ) および貴族・僧侶 ( 第一一身分 ) に対する市資本金とせず資本準備金とすることが認められも小さい、すなわち現実資本係数が必要資本係 民 ( 第三身分 ) として、土地所有の支配に基礎る ( 同法二八四条ノ二第二項 ) 。このように資数よりも大であれば、はますます縮小し、 から乖離してしまう。したがって成長率が一定 いま配当率一〇 % 、利子率八 % とし、自己資 を置く政治権力を打破して、自由・平等を原理本金となる額は株主の払込額の全額とは限らな いため、会計上は資本金と資本準備金の合計額の値をとりうるのは、現実資本係数が必要資本本比率が五〇 % ( < 状態 ) と二〇 % ( 状態 ) とする市民社会を実現することを目ざして闘っ ( 払込資本 ) が重要である。しかし、商法上資係数にたまたま合致したときに限られる。しかの場合について総資本コストを比べると、状 た。しかし、。フルジョア民主主義革命の成功に よって政治権力を獲得した・フルジョアジーは、本金は登記され ( 同法一八八条二項 ) 、物的会しその可能性はきわめて小さく、偶然に支配さ態では一四 % 、状態では一〇・四 % となる。 市民としての自由・平等・友愛を無産階級 ( 第社たる株式会社において会社債権者に対し最低れる。こうしてハロッドは経済の不安定性を論数字上は負債の多いほうが有利にみえるが、不 限の担保として維持されるべき金額を意味すじたのであるが、この不安定性の問題は「ナイ況期ないし低成長期には配当率が下がるから、 四身分 ) にまで拡大し、徹底させることに反対 逆の結果になる。資本コストは、現在使用中の し、民主主義を形式的なものにし、その制度的る。したがって、商法は資本金の減少 ( 減資 ) フ・エッジ問題」とよばれている。 を厳しく制限する。また、資本金は株式会社の ハロッドはまた、資本係数概念を技術進歩の資本についてのみならす、将来使用する資本に 形骸化を図るに至った。 げんし
1 よ《 0 -4- 0 っっ 0 尸 0 っ乙 数 数 教育の場を設ける必要があるが、医療や福祉と 6 っ 0 、 .0 っ 0 戸 0 -4- 「 / (X) 「 / っっー 0 ワワ編 11 っ 0 刑法が暴行罪につき「暴行を加えたる者人を 、 1 1 よっ 0 4- ワ」「 / 十疋 -9 っ c•0 00 -0 11 っこ ノイー -0- 、 1 0 ・つ 0 、 1 LO CD 数 0 11 ワ】 t— 11 「ー ~ し 一体となっての教育も必要である。 , 1 CD , フ傷害するに至らざるとき」 ( 二〇八条 ) と規定 t—-— 00 、 1 童 童 〔分離教育と統合教育〕障害児を健常児と分離 しているところから、傷害罪の故意に関し、 生 よ 児 表 童 して特殊学級や盲学校、聾学校、養護学校など 児 し傷害の故意を要すると解する故意犯説、⑦暴行 11 -4 ・・ 4 -8 11 4 ・ ( ー 0 で教育する方式を分離教育、普通学級で健常児 罪の結果的加重犯であるから、暴行の故意があ 4 4 ・′ 0 CZ) 9 人ひ及 5 3 6 る 数 11 っつ」「、 よ学 と一緒に教育する方式を統合教育 ( インテグレ 校学 れば足り、傷害の故意を要しないとする結果的 お 在 数在 ション integration) またはメインストリー 加重犯説、③故意犯が原則であるが、結果的加 - 三ロ 数 他者現 諸 級 の ム main ・ stream という。障害児 ( 者 ) を健常 重犯でもあるとする折衷説、の三説がある。こ 虚そ 学 予和 児といっしょに教育することは、教育内容や方 殊既調 のうち、従来の通説・判例は結果的加重犯説に 由体 猶昭 殊 由体 弱自身害 特 法の違いなどのため困難な点が多く、伝統的に たっていたが、今日では、むしろ③の折衷説が 校年基 弱自身 校薄不 , 障義年 害害学 分離方式がとられていた。しかし、最近になっ 薄不 校校学神体弱複哮 4 中学 通説的見解となっている。この折衷説によれ児 分神体弱視聴語緒 害 1 分学学護精肢病重計就四 表 て、障害児を一般の学校へ入学させる動きが現 ば、傷害罪が成立するためには原則として、傷 障〔区盲聾養 区精肢病弱難言情小注 れてきた。普通児といっしょに教育を受けるこ 害の故意を要するが、暴行の意思で人を傷害す る場合も刑法第二〇八条により本罪にあたるも〔教育機関・教育課程〕障害児 ( 者 ) の教育のその基準が示されている。障害児教育の各領域とによって、障害をもっ子・もたない子の仲間 についてはそれそれの項目があるので、ここで意識、共同意識、連帯意識を育て、相互理解を 場としては、盲学校、聾学校、養護学校 ( 精神 のと解される。 は障害児教育全般に関して、その課題のいくっ深め、遊びや生活学習の経験を豊かにしていこ なお、刑法には、傷害罪につき、次のような薄弱、肢体不自由、病弱虚弱、重度重複 ) など うとするものである。それなりの効果はある の特殊教育諸学校があるほか、一般の小・中学かをあげておく。 特例がある。まず、刑法第二〇六条は、傷害罪 または傷害致死罪の犯行現場において、単に校のなかに、弱視、難聴、言語障害、精神薄〔早期教育〕障害児を早期に発見し、早期に治が、障害児を一般学校で教育することは問題も やじうま 弱、病弱虚弱、肢体不自由、情緒障害のための療や指導を行うことは、障害児 ( 者 ) 教育の重また多い。障害の種類や程度など障害児側の条 「勢を助ける」行為、たとえば、弥次馬的にこ とばや動作で声援を送る場合を、傷害現場助勢特殊学級がある。さらに軽度のものは、一般の要課題の一つである。早期教育とは就学前教育件、地域社会の条件や一般学校側の条件が十分 に整っていることが必要である。また、障害の ・中・高等学校の普通学級のなかで、特別なあるいは幼児教育と同じと考えてよい。障害児 罪として、一年以下の懲役または一万円以下の の種類によっては早期教育の重要性や必要性に重いものほど、特別な指導や施設設備が必要で 配慮のもとで教育が行われている。一般的に、 用法第二〇七条は、 罰金に処している。次に、」 障害の程度の重い子供は特殊教育諸学校で、軽多少の差はあるが、多くの障害で早期発見、早ある。統合教育がよいか分離教育がよいかは、 「二人以上にて暴行を加え人を傷害したる場合 その 個々の障害児に即して考えていくべきで、個々 い子供はト ' / 学校や中学校の特殊学級または普通期治療や指導は、どうしても必要である。 にて傷害の軽重を知ること能はず又は其傷害 の障害児の発達のそれぞれの段階で必要な機 〔職業教育〕障害児 ( 者 ) 教育の最終目標は、 を生ぜしめたる者を知ること能はざるときは共学級で教育することになっている。 あら 関、組織、施設、設備、人というような諸条件 特殊教育諸学校では、一般の小学校、中学校彼らが職業を身につけ、社会的に自立できるよ 同者に非ずと雖も共犯の例に依る」と規定して うにすることである。障害児の適性の発見と職を考えなければならない。むしろ多様な教育の に準じる教育を行うことのほか、心身の障害に いる。これが「同時傷害」であり、同時暴行に 場を用意する問題として考える必要があり、ど より人を傷害した場合を、立証の困難さを考慮基づく種々の困難を克服するための必要な知業分野の開拓が今後の重要課題である。 して、傷害の共同正犯として処罰する特例であ識、技能、態度および習慣を養うことを目的と〔高等教育 ( 大学教育 ) 〕一九八〇年 ( 昭和五ちらか一方をという二者択一的な問題と考えな いほうがよい。重要なことは、将来社会の一員 五 ) を取り上げても、一般の高等学校からの大 した内容が付け加えられている。したがって、 る。なお、暴行につき意思の連絡がある場合に は、刑法第六〇条の共同正犯として処理され特殊教育諸学校の教育課程は、各教科、道徳、学進学率は約三八 % に達したが、盲学校や聾学として自立していける障害者を育てることであ る。 〈名和鉄郎〉 特別活動のほか、養護・訓練という特別の指導校からの進学率は三 ~ 五 % にすぎない。教育のる。↓統合教育 以上のほか、障害児 ( 者 ) 教育の課題として、 ーしょ , つ、がいじ ( ー ) や ) キ、よ、つい′ 領域を加えて編成される。養護・訓練とは、児機会均等からいって、大学教育を受ける能力の 障害児 ( 者 ) 教育 障害児 ( 者 ) 教育の「教員養成」の問題や、障 障害児 ( 者 ) 教育とは、心身に障害をもっ児童・生徒の障害の状態を改善し、または克服すある障害者は、高等教育を受ける機会を与えら 害児 ( 者 ) 教育のために感覚代行のための「補 れるべきであり、障害者の大学進学を妨げてい 童・生徒の教育をいう。障害児教育は障害の種るために必要な知識、技能、態度などを養い 償工学」の分野など、解決すべき多くのことが 心身の調和的発達の基盤を培うことを目標とする条件を取り除く努力をしなければならない。 類によって、視覚障害教育 ( 盲、弱視 ) 、聴覚 ろう ある。 〈佐藤泰正〉 障害教育 ( 聾、難聴 ) 、言語障害教育、肢体不る指導領域である。内容は間心身の適応、⑧感障害者が一般の大学に進学することと同時に、 障害者のための大学をつくることも、高等教育回佐藤泰正編『障害児教育小事典』 ( 一犬一・協 自由教育、病弱虚弱教育、精神薄弱教育、情緒覚機能の向上、 0 運動機能の向上、⑩意思の伝 ちょうふく 同出版 ) ▽同編『障害児教育概説』 ( 一九全・ を受ける機会を多くする方法である。 障害教育、重度重複障害教育などに分かれる。達、をもって構成されている。↓養護・訓練 学芸図書 ) 〔重度重複障害教育〕重度重複障害とは、①二 現在わが国の特殊教育諸学校および一般の このうち、言語障害教育と情緒障害教育は障害 しようかいしようせつ中国のロ語 ・中学校に設けられている特殊学級の数は表つ以上の障害をあわせ有する者、②重度の精神 章回小説 の治療がおもな目的になるが、その他の障害に 小説で、回を分けた構成をとるもの。ロ語小説 1 ・ 2 のとおりである。↓視覚障害教育↓聴薄弱児、③自閉症や自傷行動など問題行動が著 ついては、障害が固定しているので、その教育 そう は宋代に盛り場で流行した講談の台本を、印刷 をいかに行うかが中心になる。いずれにしろ、覚障害教育↓言語障害教育↓肢体不自由教育しい障害児、④かなり遅れた精神薄弱で、かな ↓病弱虚弱教育↓精神薄弱教育↓情緒障害教りの問題行動をあわせもっ障害児である。わが術の発達にしたがい読み物として出版したのが 心身の障害の状態や発達段階、特性などに応じ えんげん 国の障害児教育のなかでもっとも遅れているの淵源であるが、その際、語り終わるのに何回も てよりよい環境を整え、その可能性を最大限に育 障害児 ( 者 ) 教育の対象となる者の障害の種が、この領域である。重度重複障害児の発達をかかる題材を、読み物としても第一回、第二回 伸ばし、可能な限り積極的に社会に参加する人 と区分したのが形式として定着したものであ 促し、その能力を十分に伸ばすためには多様な 類と程度については、学校教育法施行令などに 間に育てるための特別な教育を行うのである。 あた 72 110 720 442 184 94
しようか 〈荻野富士夫〉 ところで終わる。 一に希釈する。離乳食の場合はこれを一時中止た。元和の一国一城令 ( 一六 ) によって支城の囲 し、母乳やミルクだけにする。嘔吐のある場合多くは破却されたが、新しい領国経営の拠点と 回『城下の人』 ( 中公文庫 ) しようかふりようしよう食物の には入院して輸液を必要とするので、小児科医して、城地の選定は軍事的条件よりも交通・経 , 億歌序 消化不良症 館序 おうと 物の 消化が順調に行われないために下痢や嘔吐をおの診察を受けてその指示に従う。中毒症状のあ済面が重視されたものの、多くは山丘と河川を 立と るときは一刻も早く入院して治療を受ける必要防御的に利用した平山城が構築され、市街地の こす場合をいう。おもに生後から二年間ぐらい 国歌っ がある。 ^ 細田四郎〉 造成が行われた。それらは土地の強制収用、河 の乳児や幼児にみられ、入院治療の必要なこと ・炊憬者女北と氿ひ じようかまち戦国期以降、大名の居道の付け替え、街道の城下への繰り入れなど、 もある。成人では軽症で簡単に治癒することが城下町 のの 5 易作多い。栄養摂取は、食事栄養素の摂取、消化吸城を中心に形成された都市で、大名領国の首都自然的景観の大改造を伴うものであった。城下 コ居表 白代収、体内に入ってからの中間代謝の三段階に大としての性格をもつ。幕藩体制の解体によっての大半は武家地で占められたが、軍事上の配慮 縦人の から、上級家臣の屋敷地を城の郭内あるいは近 消滅したが、近現代の主要都市のほとんどは旧 別されるが、乳児期には消化吸収機能に余裕が おうせい の時 くに固め、その周囲に中・下級家臣を配し、足 なく、反面、成長発育に伴う体内の代謝は旺盛城下町を母胎としている。 ( のであるので、ちょっとした食事摂取の過誤や消〔戦国期〕南北朝動乱期、在地領主は軍事施設軽などの組屋敷や寺社地は町屋を隔てた場末や やまじろ しゅんけん 年の彼 化吸収の障害から代謝障害を引き起こしやすとして峻険な山頂や丘陵などに山城を築き、城下周辺部に配置するのが一般であった。 ねごや いえのころうとう (. 0 こ「つ なお兵農分離による全家臣団の城下への集住 、下痢や嘔吐などの消化器症状ばかりでな麓の居館 ( 根小屋 ) の周辺に家子郎党の屋敷 、代謝性アシドーシス、二次的他臓器感染、集落を形成したが、彼らは平時には農耕に従事は、領主・武士層の軍事的・日常的な必需品の じん 腎障害、循環障害などの全身障害をおこし、意する態勢にあり、町屋の発達はみられなかっ生産と流通を担当とする商工業者の存在を必然 た。室町期に至り守護大名領国制の展開に伴とした。地子免除など領主の種々の優遇策によ 識障害、けいれんなどの中毒症状を現してく 昭尋巻 い、かっての国府や水陸交通の要地に守護所を って領外から誘致された商工業者に加え、領内 る。このような重症の消化不良症を消化不良性 ぎいまちぎいむら 設け、守護町を形成したが、居館の周囲に一部の在町在村の商工業者も城下に強制移住させ、 ま恩愛之供れ花邯が中毒症という。 松近文 〔原因〕消化不良の原因は、①食事の過誤としの給人の土居屋敷を巡らした屋形町であった。都市と農村との社会分業Ⅱ商農分離が行われ とうりよう なお守護町のうち戦国城下町に進展しえたのた。初期の町割にあたっては、業種別に棟梁 しようかどうべんとう松花堂とて過量の食事 ( ミルク ) を与えたとき、濃厚な 松花堂弁当 するがふちゅう ふちだか いう器を用いた弁当の一つ。器は縁高の四角の調乳、質的に偏りのある食事、不消化な食物、は、今川氏の駿河府中 ( 静岡市 ) 、武田氏の甲とか商人頭といった統率者を通じて屋敷地が割 ・一うふ すおう り当てられ、同業同職集居を特色とした。商人 箱形で、かぶせ蓋がついている。中には十字の離乳期の不適切な食事などがあげられる。②腸斐府中 ( 甲府市 ) 、大内氏の周防山口 ( 山口 こくちょう ぶんご 仕切りがある。ご飯、煮物、焼き物など区別し感染症としては、細菌 ( サルモネラ菌、赤痢市 ) 、大友氏の豊後府内 ( 大分市 ) 、島津氏の薩町としての石町 ( 米屋 ) 、塩町、肴 ( 魚 ) 町、 ま やおや りよくのう 青物町 ( 八百屋 ) 、紙屋町、職人町としての鍛 菌、病原大腸菌、。フドウ球菌、緑膿菌 ) やウ摩鹿児島 ( 鹿児島市 ) などがある。このように て盛り分けられるので、味がほかに移らない だいく こんや 冶町、大工町、紺屋町などの町名が旧城下町の この器の形態は、江戸初期の真一 = ロ僧で、また文イルスなどによるものがある。③腸管外感染症守護の戦国大名化がみられる一方で、守護代・ な ) 一り しようじよう いんとう ・一くじん としては、感冒、咽頭炎、気管支炎、中耳炎、国人層のなかから成長した戦国大名は、前代の都市に多いのは、その名残である。とくに職人 人、画人、茶人でもある松花堂昭乗の考案と ひらやまじろ じんう 〈河野友美〉腎盂炎などのあるときにみられる。④高温・高山城から比較的低い平山城へ移って城郭の規模町の場合、町役免除の特権と引き換えに、その いわれている。 ちょうほう じようかのひと軍人・諜報活動家湿によるうつ熱は食欲減退、消化機能の低下をを拡大し、専門武士団を常置するとともに、領生産を優先的に領主の需要に振り向けることが 城下の人 しんしゆっ いしみつまきょ ( 体質異常、すなわち滲出性体質、ア国経営・軍事力強化のために近隣の市町を吸収義務づけられていた。また商人町の場合も、商 ー一九四一 l) の自伝四部作の第一招く。 6 石光真清 ( 一会ハ 部。嗣子真人の編により、著者自身の生活記録レルギー性体質、神経症体質などが背景にあるし、遍歴の巡回職人を御用職人集団に編成する業助成策として特定町に専売特権 ( 町座 ) が付 など、物資調達態勢の整備に努めたから、一六与された例が多い ときにおこりやすい とともに「「日本」自らの生活史であり、また 城下町の本町人とは、このような成立期に屋 〔症状〕おもな症状は下痢で、排便回数も多世紀後半には漸次城郭の周辺に町場が形成され 東亜諸民族の歴史の歩」を示すものとして、一 た。とはいえ、戦国期の城下町は士庶の居住区敷割を受けた者たちであり、これらの町人が生 。下痢便は水様から泥状で、つぶつぶやねば 九五八年 ( 昭和三一一 l) から五九年にかけて、本 書および『曠野の花』『望郷の歌』『誰のためねばの粘液が混じることが多く、色調は黄褐分も明確でなく、商業も市町による定期市の段み出す新たな需要に応じるための町人がこれに し』が刊行された。本書の前半は、熊本藩士の色、緑色、白色などいろいろで、不快な腐敗臭階にあり、家臣団も支城を単位とする車事編成追加されて城下町の発達がみられた。すなわ が強いこともある。一般症状としては食欲不がとられており、本城下への集住は限定され、ち、このような領国経営の核とする都市計画 家に生まれた著者の目に映じた文明開化の波に しんぶうれん まんろう なお農村に居住する者が多かった。近世城下町も、前期における城下町への流入人口の増加に 弄される士族階級の人々、神風連の志士との振、不機嫌、軽度発熱、体重は増加停止ないし よる市域の拡大とともに、同業集居の原則は崩 の先駆をなすのは一五七六年 ( 天正四 ) 織田信 交流や乱の実相、西南戦争における悲惨な戦闘減少する。腸管外感染症を合併するときは高熱 おうみあづち 状況や戦禍のなかの人々の生活などが、両親やとなる。下痢による脱水のため、皮膚は乾燥し長の近江安土であって、地子免除に加え、楽れ、平和の長期化による軍需の減退は、手工業 周辺の人々への暖かな追憶とともに叙述されて弾力性を失い、腹部は鼓腸により膨隆する。市・楽座、関所の撤廃などを令して商工業者の生産の内容を変え、特定町の専売特権も消滅し ていった。そして初期的な門閥町人による少数 る。後半は、上京して陸軍士官学校に進み、近脱水と腎障害によって尿量が減少し、重症では誘致を進めたが、短期間で終わった。 衛連隊の尉官として軍人の道を歩む経緯が簡潔意識障害、けいれん、循環障害などの中毒症状〔近世城下町〕兵農分離を伴う本格的な城下町支配にかわって、新興の問屋商人を中心とする とよとみ につしん 遠隔地商業組織が一七世紀後半から一八世紀前 の設営が行われたのは、豊臣政権以後である。 に描かれ、大津事件や日清戦争出征、台湾におもおこる。 〔治療〕軽症では吐き気がなければ母乳はそのとくに徳川政権確立後の諸大名の配置転換に伴半にかけて形成された。もっともひと口に城下 けるゲリラとの戦闘などの場面はとくに生彩に って、領主権力による城下町の建設は一七世紀町といっても、領主の所領規模の広狭や地理的 富む。ロシア研究の必要性を痛感し、軍の了解まま与えるが、湯冷ましゃ番茶を与えて水分を げんな 前半 ( 元和 ~ 寛永期 ) に全国的規模で行われ立地条件によって領域経済に果たしえた経済的 補給する。人工栄養のときはミルクを約二分の を得てウラジオストクに留学の第一歩を記した ぶた この ふもと いちらくざ かんえい さっ かな
は、地域保健サービスとしての乳幼児健康診 感染する条件がそろったときに、一時期を画し 万五〇〇〇人組 ) によって、村ごとに農民を集のような制度に大きな変更が加えられるのは、 りかん 団農場に加入させる政策を、一九二九年末から一九五〇年代後半、とくに六〇年代になってかて多数の罹患者が続出するもので、集団発生と査、学校における健康管理・保健教育としての もいう。赤痢、腸チフス、泉熱など経ロ感染す定期および臨時健康診断、職場の健康管理とし 急速に「上からの革命」として展開した。そのらである。 主たる契機は調達問題に求められるであろう。 最近では、このソ連の集団化が、工業化のたる伝染病によくみられ、原因としては学校給ての健康診断などがある。特定の疾患の早期発 一九三〇年初めには、主要な穀作地帯ではほばめの蓄積にはたして寄与したのかどうかという食、仕出弁当、井戸水などに病原体が混入した見 ( 無自覚のうちに発見する ) を目的とした検 一年間で、その他の穀作地帯では二年間で集団ことが西側では論じられている。すなわち、集場合が多く、上水道の汚染で数千人の住民が赤査を主としたものとしては、結核検診、胃検 診、子宮癌検診などが集団的に行われている。 化を完了することを指令した。このような急速団化のもとで農場外の販売量が増えたとして痢に集団感染した例もある。また、飛沫感染に な運動の展開は、十分な準備活動を伴っておら よる集団感染例としては、空調用の冷却水にレ集団検診は個別の健康診断よりも能率よく多人 も、農業および農村への工業からの投入を差し す、多くの行きすぎが犯され、とりわけ家畜の引かなければならないという指摘である。この ジオネラ洋を。ミ菌が繁殖し、その飛沫感数を扱えること、 X 線装置などの検査機器をバ と亠こっ 大量屠殺が起こった。一九三〇年三月には、こ 計算は、決定的にこの計算における価格に依存染による在郷軍人病の集団発生事件が有名であスなどで運ぶ方式によって、医療機関に乏しい ^ 柳下徳雄〉地域や職場にあっても実施が可能であることな れらの行きすぎと誤りを指摘した「成功によるするが、ソ連のある経済史家は、農村から引きる。↓水系感染↓在郷車人病 げんわく どの利点が多いため、広く行われている。↓健 しゅうだんきはん group norm 眩惑」というスターリンの論文が発表され、一出された余剰がかならずしも農村に投下された集団規範 〈平山宗宏〉 康診断 時的にこの連動にプレーキがかけられたが、同投入を上回ってはいないと主張し、これを根拠集団メンバーが、メンバーとして期待されてい 年秋からこの運動は再開され、三三年の飢饉を に西側の研究者のある者は、集団化は工業化をる行動を行おうとするときに準拠するところ集団行動しゅうだんこうどう group behav ・ ior 集団メンバーが集団の存続発展のために 乗り越えて、三四年には大部分の地方で集団化妨害した、あるいは集団化は反生産的であったの、メンバーに共有されている行動基準ないし は完了した。この結果成立したコルホーズの体と主張している。 意識をいう。集団メンバーが集団規範を共有す行う行動、およびその行動の総体をいう。この 日のコミュニケーシ ような集団行動は、集団メンパーが集団におい 制は、一九三五年のコルホーズ模範定款におい 〔その他の社会主義国における集団化〕東欧諸ることによって、メンバ門 ていちおうの制度的枠組みが与えられた。 ョンは容易となり、他のメンバーの行動が予測て担う地位・役割によって規定される。地位・ 国では、第二次世界大戦後、ます土地改革が行 役割のシステムは集団の存続発展に必要な要件 この間にコルホーズへの機械やトラクターのわれ、一九四八年のコミンフォルムのユーゴス可能となる。 ところで、規範には、団体規約のように明文を満たすように形成される。 供給は、その量がまだ十分でなく、それらの操ラビア批判を契機に、各国で農業集団化が開始 集団の存続発展に必要な要件として、まず第 化されたフォーマルなものから、慣習や仲間同 作要員もまた十分ではないという理由で、国家された。それは全体としてソ連の集団化に範を 一に、外的環境への適応行動があげられる。す が集中して所有し、操作要員付きでいくつかのとるものであった。スターリンの死後、一九五士の暗黙の了解といったようなインフォーマル コルホーズの作業を請け負う機械・トラクタ六年にスターリン批判が開始されるまでは集団なものに至るまで種々の形態がある。また集団なわち、集団は環境から必要な諸資源を調達し ・ステーション (>+*T)) によって行われる化のテンポも緩み、ポーランド、ハンガリーでの全メンバーに適用される規範もあれば、集団たり、外部社会に向かって集団目標についてア ようになり、またそこがコルホーズを統制するは集団農場の解散が認められたりしたが、その内のある下位集団にのみ適用される規範もあピールしたりする行動をしなければならない センター ( 政治部、一九三三 ~ 三四年 ) 後六〇年代初めまでに、ポーランドとユーゴスる。たとえば企業集団には、メンバー全員に適第二に、集団は集団目標の達成をできる限り効 用される規範から、経営者、中間管理者、労働率的に行いうるように、分業システムや管理シ としても利用されたは一九五八年に廃ラビアを除いては、ほば集団化を完了した。 止され、機械類はコルホーズに売却された ) 。 中国においては、一九四九年の革命後、土地者のそれそれに適用される異なる規範に至るまステムを構成し、それに基づいてメンバーに課 模範定款にみられるコルホーズ制度は、主要改革、段階的農業協同化 ( 互助組、初級合作で、複数の規範が存在しており、それらの規範業を配分しなければならない。第三に、分業・ な共同の圃場からの農産物は、国家に一定の割 社、高級合作社 ) を経て、農村の行政機関と協は相互に自律していたり、ときには対立したり管理システムの有効性を高め、その正当性をメ ーに認識させ、メンバーの仕事への動機づ 合または量を相対的に安い価格で供出 ( 義務納同組合とを合体した ( 政社合一 ) 人民公社が形さえする。 ーによって守られるのけを促進するために、目標や仕事に対するメン 集団規範が集団メンバ 入 ) し、またのサービスに対しては現物成されたが、その後、人民公社は解体され、現 ーの理解を求めなければならない。メンバ は、彼らが規範から逸脱した行動をしたときに で支払い、経営用の必要を満たしたあとに残余在は、協同組合的な土地所有は残されているも は制裁が加えられて、欲求が充足されなくなる が自発的に仕事をするかしないかは、メンバ のの、家族請負経営の形態がかなり普及してき があれば、そのメンバーの労働すなわち作業に 対する点数制 ( 作業日 ) に応じて現物あるいはている。↓コルホーズ↓個人副業経営↓人民ことを知っているからである。集団規範への自身が仕事に対してどの程度の自律的な意思決 〈荒田洋〉人々の同調的行動は、集団秩序を維持すると同定をもっているかどうかに依存する。もちろ 現金で分配されるというものであったが、その 時に、人々の欲求を充足させるのである。しかん、仕事の物理的条件や人間関係、そしてリー 水準は低かった。一方各農家は、その屋敷付属回溪内謙著『スターリン政治体制の成立一 ダーシップのあり方も重要である。そして最後 三部』 ( 一九七 0 ~ 〈 0 ・岩波書店 ) ▽・レヴィ し集団規範は、けっして一定不変ではなくて、 地において個人副業を認められ、その生産物は に、以上のような集団行動のあり方をメンバ ン著、荒田洋訳「ロシア農民とソヴェト権状況に応じて、たとえば環境の変化や人々の欲 自家消費のほか、コルホーズ市場という市場で カ』 ( 一九七一一・末来社 ) ▽・Ⅱ・ダニーロフ求の変化に対応して変化しうるのである。↓規に伝達する学習システムが重要となる。集団の 自由価格で販売することが認められた。そして 著、荒田洋・奥田央訳「ロシアにおける共同範↓集団 〈佐藤慶幸〉存続発展にとって必要な集団行動は、以上の四 実質的にコルホーズ農民の所得のかなりの部分 は、個人副業経営から得られたものであった。 体と集団化』 ( 一九七七・御茶の水書房 ) ▽・集団検診しゅうだんけんしん多数の人々をつの行動に集約できる。↓集団〈佐藤慶幸〉 ・ディヴィス著、荒田洋・奥田央訳「社会集めて診察や検査を行い、疾患・異常を発見し回末永俊郎・池内一・水原泰介編『講座社会心 またコルホーズ農民にはパスポート ( 国内旅 理学 2 集団行動』 ( 一九大・東京大学出版会 ) 主義的攻勢ーーソヴェト農業集団化・一九二 て早期治療につなぎ、地域や職場集団の健康水 オ券 ) が発行されなかったので、コルホーズから 九ー一九三〇上』 ( 一九〈一・御茶の水書房 ) 、つ自由に脱退することはできなかった。こうした 準を高めることをいう。広く健康状態を診断す集団婚しゅうだんこん複数の男性と複数の しゅうだんかんせん伝染病や寄生る目的の内科的診察と一般的な臨床検査 ( 貧女性が同時に婚姻関係にある婚姻の形態。群婚 9 ゅ・状況に置かれたコルホーズ農民は、共同の農場集団感染 ひまっ しの労働には意欲を示さない傾向がみられた。こ虫性疾患が、水系感染や飛沫感染など集団的に血、尿などの検査 ) を組み合わせたものとしてともいう。 (-) ・モルガンがその著書『古代社
たびに指導的発言をした。文化大革命で打倒さを死亡させたことは、現在では広く知られてい であることから、燃料としての石炭にとってかで、新婚旅行など夫婦の旅行を対象とし、グリ わり需要は飛躍的に増大したが、一九七三年の ーン車利用を前提に、特急、急行、グリーン料れたが七七年名誉回復して、以後、党中央委る。本書は、作者自身の体験、生き残りの証 第一次石油危機後の石油価格の高騰に伴い、最金、指定席料金なども一一割引である。ただし学員、文芸界連合主席、社会科学院顧問等の要職一 = ロ、精力的な調査結果を駆使して、想像を越え 近では燃料としての石炭が徐々に復活しつつあ割はない。ワンポイント周遊券は、周遊指定地 に復帰。七九年の第四次文学芸術界代表者大会るその地獄図絵をもっとも具体的、包括的に る。↓石油 しかも強烈な芸術的迫力をもって再現した歴史 〈難波征太郎〉を一か所とし、七日間有効で、鉄道管理局の判では、戦後の文芸政策全般について、自己批判 ちくぜん ^ 丸山昇〉的文書である。ソ連社会主義はすでにレーニン しゅうゆうかん筑前福岡藩黒田氏の断によって国鉄利用キロ基準などが緩和されてを含む総括的報告を行った。 修猷館 しゅうよういいんかい土地収用時代から収容所体制に支えられていたという立 藩学。一七八四年 ( 天明四 ) 、前年の藩命によ 収用委員会 り士風刷新を目ざし、福岡城の正門外に設立。 均一周遊乗車券ワイド周遊券、ニューワイ法に基づき土地収用裁決等について独立して職場から、著者は共産主義イデオロギーを完膚な えきけん 貝原益軒の学統を継ぐ竹田定良とその子孫門弟 ド周遊券、ミニ周遊券がある。ワイド周遊券権を行使する合議制の準司法的行政委員会。都きまで糾弾し、それがいかに人間をゆがめるか が朱子学を講じ、東学問稽古所・修猷館と称し は、北海道、東北などの国鉄が指定する自由周道府県に置かれ、委員は七人で、公共事業の用を論ずる。単なる反ソの書ではなく、現代にお ろなんめい た。同時に開学した徂徠学派の亀井魯 ( 南冥 ) 遊区間では国鉄の鉄道、バスに自由に乗降で に供するため土地を必要とする起業者と、当該ける権力、思想、人間の恐るべき関係に文明史 かんとう 〈江川卓〉 の西学問稽古所・甘棠館を、九八年 ( 寛政一 き、特定出発地から周遊する旅客に対し均一運土地の所有者その他の関係人との間の土地収用論的な思索を促す書といえる。 〇 ) に併合し、学生一一〇〇人が常時出席してい 賃で発売される。ただし、特急や急行の寝台、 ゃ損失補償に関する争いを、中立の立場で公正回木村浩訳『収容所群島』全六巻 ( 一九七四 ~ 耄・ 新潮社 ) た。藩士の一一歳以上の子弟はかならず学ぶべ 指定席、グリーン車を利用する場合は別途料金に審理し、最終的には裁決によって解決する。 - 叮ロじゅうようびじゅっひん一九三 きものとされ、漢学、和学を授け、藩費をもっ が必要である。ニューワイド周遊券は、北海その審理は裁判に準じて公開され、当事者には 重要美行口ロ て経営された。春秋両度、藩主が臨席して、学道、四国、九州の三地域の旅行を対象に発売さある程度まで口頭で意見を述べる権利が与えら三年 ( 昭和八 ) 公布の「重要美術品等ノ保存一一 生の経書会読が行われた。庶民の入学は許されれるもので、出発地から自由周遊区間までの往れる。ただし、裁決のための会議は公開しな関スル法律」によって認定された美術品。旧国 委員の任期は三年で、身分保障があり、法宝に準ずる価値のものとされていたが、五〇年 なかった。維新後、一八七〇年 ( 明治三 ) 洋学復に、国鉄のほか航空機や長距離フェリー を加えるなどのことがあったが、同年中にすべ鉄なども選択できるのが特色。ミニ周遊券はワ定事由に該当する場合のほか罷免されることは ( 昭和二五 ) の「文化財保護法」の制定ととも にその認定の制度は廃止された。しかしこれら て廃された。名称は、学制以降の県立中学校イド周遊券の縮小版で、自由周遊区間の範囲が ない。委員会の事務を処理するため、事務局が 〈阿部泰隆〉名品の海外流出などを防ぐため、先の法律はい 〈木槻哲夫〉狭くなっている。↓乗車券 〈佐藤豊彦〉置かれる。 ( 現高等学校 ) に残る。 じゅうようし陽子一個と中性子一個まなお有効である。五〇年当時八二三七件あっ 回文部省編・刊『日本教育史資料三巻八』回種村直樹著『種村直樹の周遊券の旅』 ( 一九重陽子 ( 一公九 ) ▽笠井助治著『近世藩校の綜合的研 会・実業之日本社 ) とが結合してできた原子核の呼称で、デューテたなかから価値の高いものを重要文化財に組み ロンともいい、重水素原子の核をなす。結合工入れる選考が続けられてきたが、まだその指定 究』 ( 一九六 0 ・吉川弘文館 ) ▽石川謙著『日本終油の秘蹟しゅうゆのひせき Extrema にあずからないもの ( 約七〇〇〇件 ) が、現在 学校史の研究』 ( 一九六 0 ・小学館 ) ▽井上義巳 Uncti0 一冖テカトリック教会の七つの秘蹟 ( サネルギーは約二〇〇万電子ポルト ( 質量欠損に 著『福岡県の教育史』 ( 『都道府県教育史』所クラメント sacrament) の一つ。現在は「病直すと重陽子質量の約〇・一 % ) である。これも重要美術品として存続している。〈村重寧〉 じゅうようぶんかざい日本にあ 収・一九八四・思文閣出版 ) 人塗油の秘蹟」と改名された。昔は臨終を迎えは平均的な原子核の結合エネルギーに比べて非重要文化財 しゅうゆうけん正式には周遊割引乗ている病人に授けられたが、現代では重病人な常に小さく、重陽子では陽子と中性子が比較的る有形文化財のうち、とくに重要とみなされた 周遊券 車券という。国鉄が一九五五年 ( 昭和三〇 ) に らだれにでも与えられる。司祭は病人の目、緩く結合していることを示している。陽子二個もの。「重文」と略称される。一九五〇年 ( 昭 和二五 ) に制定された「文化財保護法」に基づ 発売を始めた割引乗車券の一つ。対象は一般観鼻、ロ、耳、手、足に聖香油を塗り、病気の治あるいは中性子二個の原子核は安定に存在しな き、文部大臣が、絵画、彫刻、工芸品、考古資 いので、質量数 ( 陽子の数と中性子の数の和 ) 光旅行客で、国鉄が指定する観光地を旅行して癒と罪の許しと神の恩恵を願う祈りを唱える。 この秘蹟を受ける前に、司祭に自分の罪を告白二の原子核は重陽子だけである。このことは、料、建造物などの遺品中、芸術上・学術上など 出発地に戻ることなどを発売の条件とし、この こっかい の見地からとくに価値の高いものとして指定し 間の国鉄および連絡交通機関の乗車船券を一冊 ( 告解の秘蹟 ) し、聖体の秘蹟を受けることが同種核子間に働くカよりも陽子と中性子の間に にまとめてある。 勧められる。プロテスタントではこれを秘蹟と働く力のほうが強いことを示している。重陽子たものをいう。一九四九年の法隆寺金堂の火災 ↓告解の秘蹟↓サクラメンでは、陽子と中性子のスピンは平行になっておを機に、かっての「国宝保存法」などにかわっ ①普通周遊乗車券一般周遊券、グリーン周遊は認めていない。 〈門脇佳吉〉 り、また、全体の形はほとんど球形だが、わずてこの制度が成立、同時に従来の国宝はすべて 券、ワンポイント周遊券などがある。一般周遊 だえん しゅうよう / チョウャン ( 一九 0 〈 ) 中かに楕円形に変形している。重陽子は天然の水重要文化財と改められた。一方その後も、これ 券は、国鉄の鉄道、航路、ハイウェーバスを一一周揚 〇一キ。以上利用して、二か所以上の周遊指定地国の文芸理論家。本名周起応。湖南省益陽出素中に約〇・〇一五 % 含まれている。↓結合工以外のものから新たに選考して重要文化財が追 〈坂東弘治〉 加指定されている。これら重文のうち、さらに ( 沖縄など全国一四の特定周遊指定地の場合は身。大夏大学卒業後日本に留学、一九三〇年帰ネルギー しゅうようじよぐんとう Apxvme- 重要と認められたものが今日の新国宝である。 一か所 ) を旅行する場合とし、有効期間は一か国して左翼作家連盟に参加、前後して共産党に 収容所群島 シャン、イ 月。割引率は、国鉄の鉄道と航路の運賃が一般入党。三〇年代中期にかけて上渺の党員文学者き「 PYJlar/Arhipelag Gulag ソ連の作家重要文化財 ( 国宝もその一部 ) はかならず管理 の責任者が定められ、また所有者や現状を変更 の中心として活動、三五年以降抗日統一戦線をソルジェニツインの記録的文学作品。「一九一 二割引、学生割引三割引、国鉄パスは一般一割 ろじん 引、学割二割引、会社線は原則として一般、学目ざし「国防文学」を唱えたが、魯迅にそのセ七ー五六・文学的考察」の副題をもつ。一九七する際には許可を必要とするが、同時に国から クト的作風を厳しく批判された。日中戦開始三 ~ 七五年にパリで全三巻が刊行され、作者のその保存に関する補助を受けることができる。 よ割とも約一割引である。一般周遊券のモデルコ 〈村重寧〉 ↓文化財保護法 ース版がルート周遊券で、人気観光地を選び、後、延安に赴き、文化運動の要職を歴任。解放国外追放の直接の契機となった。スターリン時 えききよう じゅうよく『易経』を解釈し、易の理 ゅ・出発から帰着までの乗車船券が割引でセットさ 後も党宣伝部副部長として文化分野の政治的責代のソ連が数百万もの人間を収容所に隔離し、十翼 たんでん 論を述べるところの「彖伝」 ( 上下 ) 、「象伝」 じれている。グリーン周遊券は一般周遊券の変型任者の地位にあり、戦後の思想キャンペーンの劣悪な条件下で強制労働に従事させ、その多く 595
監理料を考えておく。建築主の予算に対応するのが、建築工 鉄骨造 ( 鋼構造 ) は、形鋼などの鉄骨 ( 重量型鋼 ) を柱上の条件にかなった場合に効果的である。しかし、コンクリ ート造の横に鉄骨造が接するような組合せでは、地震によっ 事費 ( 建設会社の請負工事見積金額 ) である。その一致をみや梁として、ポルト接合や溶接で軸組式構造とするもので、 るためには、建物の広さ、高さ、仕上げ条件、工事範囲につ細い部材構成では、鉄筋などの斜材 ( 。フレース ) を加えて構て、揺れ方が異なるための被害が生じないよう、別個の構造 いての変更や、支払い条件を含む話合いを重ねる。物価上昇面に剛性を与える必要があり、太い部材のときは不要で、ラとしておく。 構造別の比較をすると、経済性では、かっては、重量鉄骨 で予算を増す必要も生することがある。 ーメン ( 剛接 ) 構造になる。 く造、コンクリート造が高く、プロック造や木造は安かった 〔構造〕主体構造として、材料別に、木造、鉄骨造、コンク 肉厚四・五い以下の軽量型鋼を用いる軽量鉄骨造の多 リート造、。フロック造、それらを組み合わせた混構造があは、パネル化され、プレハプ ( 組立式 ) とよばれる。鉄骨造が、鉄骨やコンクリート施工の技術が普及し、本材が貴重に ばうせい なったため、あまり変わらなくなっている。むしろ、設備や る。各部構造として、建物の部位別に、基礎、柱・梁、床、の鉄骨は、すべて工場で防錆や接合部の準備が済んで、プレ 壁 ( 外壁、内壁 ) 、天井、屋根がある。防災別に、防火、耐 ハ。フ的になっている。鉄骨造は不燃防火構造であるが、耐火インテリアのレ・ヘルで差がある。 安全性比較では、すべての構造は同じ地震の強さに対応し 火構造がある。構造に近いことばとして、構成法を示す構法被覆材によって耐火構造となる。 がある。工法は、施工法を示すことばである。 鉄筋コンクリート造 ( コンクリート造 ) は、現場で鉄筋をた構造計算になっており、同じはすであるが、安全性や耐久 じくぐみ 木造は普通、柱と梁を組み立てる軸組式 ( 架構式 ) 構造で組み、型枠で囲い、コンクリートを打ち込んで硬化後、型枠性では、やはり、コンクリート造が大、鉄骨造が中、木造が 小となる。 あった。このうち、壁体の作り方として、柱と柱の間を土塗を外し、表面を仕上げた一体式構造である。この現場打ちに しんかべ おお 〔設計・見積り・工事契約・確認申請〕〔設計〕設計者 ( 建 り壁でふさぐ真壁、柱の内外面を板壁で覆う厚い中空の大対し、工場生産のコンクリートパネルを現場で組み立てるの こやぐみ を組立式鉄筋コンクリート造 ( コンクリート・プレハプ ) と築家 ) は、建築主の依頼により、提示される条件をもとに、 壁、屋根を支える小屋組として、太い丸太梁をかけ渡す和小 0 , っ 建築主と家族の生活観を理解し、将来像を含めて、予定され 屋、三角形 ( トラス形 ) に組む洋小屋があり、真壁に和小屋 で和風構造、大壁に洋小屋で洋風構造とした。 太い柱と梁で構成するラーメン式コンクリート造は、平面る敷地と環境に最適の造形表現とするために、設計図書を作 最近、住宅産業で増えている木造には、アメリカやカナダ計画に融通性があり、柱のかわりに壁で構成する壁式コンク成し、工事を監理して実現を図る。 リート造は経済的になる。壁式の場合、梁の幅は壁厚と同じ 設計は、構想を練るスケッチの段階に始まり、基本的な概 から伝わり、ツーバイフォーといって、二弩 x 四の厚板断 面を基本とする製材を骨組としたパネルで、床・壁・屋根をで、すっきりする。鉄筋コンクリート造は、それ自体で耐火念 ( コンセプト ) を示す基本設計を経て、具体的な実施設計 に至る。最初のスケッチは、外観の特徴であったり、大まか 組み立てる簡易な壁式一体構造がある。これは、太い断面が構造となっている。 打ち放しコンクリートは、ほかの仕上げを加えすに、コンな輪郭の平面であったり、部分的な思い付きであったり、脈 必要なときは厚板を重ねる。またフィンランドから入り、小 あぜくら 絡がないようにみえるが、頭のなかでは住宅全体と各部の立 丸太の角材を横に組む校倉風の壁式組積造が別莊用にみられクリート独特の素肌を表現するもので、耐久上コンクリート る。木造は、外壁と軒裏を、不燃材のモルタルや金属板で仕の厚さを一増し、型枠も吟味し、入念にコンクリート打ち体的な空間のイメージを具体化しようと検討し、アイデアの 取捨選択を行っている創造行為のたいせつな時期であり、設 上げれば防火構造となる。いずれにせよ、木造のよさは、暖している。 補強コンクリートプロック造 ( プロック造 ) は、基本寸法計者が自分のためにする仕事である。 かみのある肌合いが目に触れるところにある。 やがて基本設計に進むと、設計意図が、具体的な形や寸法 が高さ一九、長さ三九垰一、幅一〇、一二、一五、一九の れ 。フロックを成型し、鉄筋を挟むように、モルタルで積みながのなかで立体的な位置関係を占めてくる。これは設計者が建 「お分 ~ の部 ら、コンクリート打ちして壁体とする簡便な組積造で、基礎築主に示して案として決定するために行う。 がり。よう 焼る 設計内容を建築主が理解するには、模型や透視図 ( パ と梁 ( 臥梁 ) のコンクリート造で上下から挟むようにする。 延あ ス ) が有効である。実施設計に入ると、基本的な変更はむす 床と屋根はコンクリート造にしないで木造にすることもでき かしくなる。これは建築工事の内容と、できあがりの目標 る。。フロック造の塀にも、規準がつくられているが、鉄筋が 分 を、建築工事業者に示すものである。 基礎とつながっていないと、地震で倒れやすくなる。 部線線 設計図のうち確認申請に必要なものは、建物概要のほか、 。フロックの積み方には、れんが積みのようにすらしていく あ境 ゃぶめじ たて れ地路 E 設計図書として、付近見取図 ( 案内図 ) のほか、意匠図とし 破り目地と、竪目地の通る芋目地があり、いずれも積むとき そ隣道 5 に、モルタル目地幅一を加えて、高さ一一〇垰一、長さ四〇 て、配置図、各階平面図で、敷地の条件、建物の規模構造に の ふせず 焼 の割付け寸法となる。関東大震災で被害を受けたため、日本より、立面図、断面図が加わる。また構造用として、伏図 延 では、れんが造などの組積造やコンクリート造で無筋のもの ( 基礎、各階床、小屋 ) 、構造詳細図、構造計算書が加わるは オ < 図 か、室内仕上表、日影図その他が必要になる。 はごく小さな規模しか建てられない かなばかり 意匠図は、ほかに矩計 ( 基準的な断面詳細 ) 、展開図、天 混構造とは、コンクリート造の上に木造をのせたりする組 ゅ 合せで、構造的な特徴である閉鎖性と開放性が、外観や居住井伏図、屋根伏図、建具表、各部詳細が加わる。 かべ 1 階 3m 家 平 ニ階建て 〔図 B 〕地階の定義 井 天 地階 地盤面 h % H 床 537
ー ) に現れている。記憶素子の 、 very large scale integrated circuit の せ 記憶容量に比例するビット当りの , フ略 ) とよんでいる。 ゅ . 〔歴史〕集積回路は、主としてアメリカにおけ価格の年次変化をみると、年次が しる宇宙用・軍事用機器の電子回路の小型・軽量進んで量産の効果が出ると、ビッ 化が動機となって開発された。小型・軽量化に ト単価は確実に下がっている。し は、小さな部品を高密度で組み立てる必要があかし、同じ集積度のものを生産し り、このために全回路を分離しやすい部分に分ていては、単価の低下がやがて飽 け、それぞれを標準化した形状の基板上に組み和してくる。したがって、一チッ 立てることが行われた。しかしこの方法では、プに集積する素子の数を増して、 抵抗などの回路部品と基板とを別々につくって 一チップ当りのビット数を四倍に 組み立てるために、ト / 型・軽量化はもちろん量すると、ふたたび単価の引き下げ 産化にも限界があった。この限界を破るため、 が大幅に可能となる ( 図 n)0 立ロ 以上のように、年々一ビット単 絶縁基板上につけた膜を加工し、抵抗や配線な 路 回 どをつくる膜—O が、さらに膜—O の配線上に価を確実に下げていくには、数年 の トランジスタやダイオードなどを取り付けたハ ごとに集積度の高い— O を開発 路 し、一チップに集積する素子数を イプリッド—0 が、第二次世界大戦の終了直後 回 主貝タ から一九六〇年の間に開発され完成された。 増して、一チップ当りのビット数 一方、半導体によって抵抗だけでなく、トラを増加する必要がある。一九六〇 コ ンジスタやダイオードなどもできるようになっ年以来の製作された記憶素子のチ 導 半 ス た。このため、トランジスタの発明から五年後 ップ当りのビット数の推移をみる の一九五二年にイギリスで半導体—0 の出現が と、一チップ当りのビット数は六 ポ 予言され、五九年アメリカのテキサス・インス〇年から七五年の一五年にわた イタ ツルメント社によって試作き、れた。このよ , つに り、年率約二倍の割で増えてい路 して生まれた半導体は、最初、集積化するる。しかし、その後は増加の割合回 積工 が減って、二年で二倍程度になっ ための制限から、回路の最適化設計がむすかし 集 ている ( 図 0 ) 。 く、製造条件の厳しさから歩留りが低かった。 〔動作原理と製法〕集積回路で重要な働きをす品相互間の分離は、主として以上の方法によっ G0 ・—O の回路部品の分離は、酸化膜を使うこ したがって価格は著しく高くなったが、 価格よ ともあるが、ハイホーラ—O と同じよ , つに るものは半導体である。とくに半導体—0 におている。薄い絶縁物を半導体で挟んだ状態は、 り性能を重視する軍事用、宇宙用の電子機器に いては、トランジスタから抵抗までのはとんど コンデンサーと同じ構造ともなり、逆電圧を加接合を使うことが多い ( 図 Q)O ます採用された。のち、回路と製造プロセスが の回路部品は半導体によってつくる。半導体えた接合はコンデンサーとしても使うこと 半導体—0 は単結晶製造、ウェハー処理など 改良されて歩留りが上がると、一括多量生産に を主要工程とし、さらにマスク製造工程を加 より価格が下がって新しい需要が次々と生まれは、添加する不純物によって形半導体 ( 電子ができる。 るようになった。 によって伝導がおこる半導体 ) と形半導体 バイボーラ半導体集積回路では、高比抵抗の え、多くの作業を経てつくられる。単結品製造 ( 正孔によって伝導がおこる半導体 ) となり、 形半導体を基板として用い、その中にトラン 工程では、シリコンの原料である珪石から純粋 日本ではアメリカのような宇宙開発や軍用へ ジスタ、ダイオード、コンデンサー、抵抗などのシリコンを取り出して単結晶とし、それを切 の需要はほとんどなく、経済性を重視する民需それぞれ添加する不純物量によって伝導度が変 ーとする。 に頼っていたので、本格的に—o の生産に取りえられる。形半導体と形半導体を接して作の回路部品をつくるが、このとき、形基板と断、研磨して基板のシリコンウェハ かならず形半導体層を介ウェハー処理工程では、あらかじめつくられた 組んだ一九六六年 ( 昭和四一 ) ころから七〇年用させるのが接合で、または各部品との間には、 と二つの接合を組み合わせるとバイボーラトラ在させ、その層と基板とでできる接合で各マスクをウ工、 ノーにあわせ、種々の加工を施し ころまでは、各社とも赤字に悩まされて生産は ンジスタができる。接合は、形半導体側 部品を電気的に分離する。半導体—0 では、回てパターン形成をして—0 チップとする。これ 伸びなかった。日本で集積回路普及の端緒とな ったのは、電卓 ( 電子式卓上計算機 ) とテレビを正極となるようにすると電流がよく流れ、逆路部品を同時につくるところに特長があり、抵を組立て工程で組み立て、配線、封止をし、検 抗もトランジスタも同じ手間でできる。したが査工程を経て、製品として出荷される。 ジョン受像機への採用である。前者用は六九にすると電流は流れないので、ダイオードとな る。また逆方向に電圧を加えると電流が流れな って、トランジスタの一部を抵抗、コンデンサ 〔特徴〕集積回路の一般的特徴として、小型・ 年、後者用は七二年ころから生産が順調に伸 い状態は、接合の形半導体と形半導体 、ダイオードとして使うこともある ( 図 2)0 軽量で消費電力が小さいことがあげられる。そ び、七五年には、半導体—0 の生産額がトラン との間に薄い絶縁物を挟んだ状態と同じことに OTJ ・ 0 では、結晶表面の酸化膜を利用の結果、集積回路を採用すると、応用機器も小 ジスタを追い越している。 して O TJ トランジスタをつくるので、抵抗、 なり、二つの半導体が同一の結晶として連なっ 型・軽量で低消費電力となり、しかも安価とな 集積回路は、同じチップを多くつくればっく る。このもっともよい例が電卓である。電卓は るほど、また、同一チップに集積する素子の数ているにもかかわらず、電気的には分離されてコンデンサーも表面につくることが多い。しか いる。半導体では一個の半導体チップの中し、ダイオードはバイボーラ—0 の場合と同じ一九六四年ころにはトランジスタ、ダイオード を多くすればするほど、素子当りの単価が下が に多くの回路部品が組み込まれるが、これら部ように、基板内の接合を利用する。 などの個別半導体を使っていたが、六八年には る。そのもっともよい例が記憶素子 ()0 メモ アルミニウム電極 酸化膜 、 - 層層 層層 n 層 n + 層 p 基板 ( b ) ダイオード シリコン糸吉晶 ( c ) 抵抗 アルミニウム電極 ( a )npn トランジスタ 酸化膜 p 基板 ( e ) 抵抗 ( d ) タイオード 〔図 E 〕 MOS 半導体集積回路の回路部品 ア丿レミニウム アルミニウム ゲート ゲート n 基板 p 基板 ( a ) P MOS トランジスタ ( b )N MOS トランジスタ シリコン糸吉晶 ( f ) コンデンサー n 基板 ( c )C MOS トランジスタ 多結晶シリコン 酸化膜 アルミニウム けいせき n 反転層 ( e ) 抵抗 p 基板 ( d ) コンデンサー 5 1 8