はハマキガ科に似ている。前翅にはいろいろな夫病没。郷里で肋膜炎を病む。医師の勧めで作 ホソバイワべンケイ R ぎ。ぶ数種、日本には本種のみ分布する。〈高橋秀男〉 はんもん dae (Miyabe et Kudo) Ha 「 a べンケイソホソバナミノハナ C ぎこき c ミ・ぎ、・斑紋をもつが、後翅は無紋。おもに北半球に分句。一九二九年 ( 昭和四 ) より松瀬青々に師 けんちょう じぎわ ウ科の多年草。雌雄異株。地際に先端が枝分れミき = Okam. 紅藻植物、ナミノハナ科の布し、日本には四〇種知られている。幼虫は種事、『倦鳥』に投句。三七年青々死去。四二年 するゴボウ状の根茎があり、毎春、多数の直立海藻。赤紅色を呈し、軟骨質の体枝は不規則、 子、花床、茎、根などに潜入する。害虫として第一句集『桃は八重』刊行。四六年 ( 昭和二 または斜上する一年生の花茎を束生する。葉は密に分岐し、やや半球形となる。体高五 ~ 一五注目されているのは、サクラ、スイカズラなど一 ) 『風』創刊、同人となる。翌年同誌の沢木 ひしん 線状披針形で互生する。夏、茎頂に多数の花か 外海浅所に生える多年生海藻で、分布は日各種植物の果実や種子を食べるブドウホソハマ一ちと結婚。以後『冬薇』 ( 一〈当 ) で舎賞、 まん ぎげいてん らなる花序をつける。花弁は淡黄緑色で、雌株本各地と広い。ホソバナミノハナによく似た海キで、ときどきブドウに大害を与える。またク『伎芸天』 ( 一九七五 ) で芸術選奨文部大臣賞、『曼 だら だこっ ワイホソハマキの幼虫は、クワイの茎内を食害 陀羅』 ( 一九七九 ) で蛇笏賞を得た。平淡典雅の作 では目だたない。種子は長さ約二・五ミリで、こ藻にユカリ oc ミミきき、 e e があるが、 〈平井照敏〉 の属の植物としては大きい。日本固有の種で、 ホソバナミノハナには線香様のほのかな匂いがするので知られている。 ^ 井上寛〉風で、女流の第一人者。 女身仏に春剥落のつづきをり 本州中部地方以北の主として火山の高山帯およあることと、末端枝が叉状分岐することから区 卞ソバワダン C 、きミ s 、ミミぶミき・ 〈大場秀章〉 び北海道に分布する。 別できる。 〈新崎盛敏〉ミミ (Houtt. ) Nakai キク科の多年草。同回『細見綾子全句集』 ( 一九七九・立風書房 ) かなづ ほそろぎ福井県北部、坂井郡金津町 属のワダンに似るが、名が示すように、根出葉 細呂木 ホソバウルップソウ〔細葉得撫草〕ホソバノキソチドリ〔細葉木曽千鳥〕 ・ : っふ′、 ひしん ト 4g0 s s ミ Tatewaki ウルップソウ P ぶミき、ミ 0 ミ es Lindl. ラン科のは幅が狭く、披針形で長さ約一五、先は丸みの一地区。旧細呂木村。中世には奈良興福寺領 しよう ねぎわ だえん の河口庄細呂宜郷の地で、室町時代には関所が 科の多年草。葉は根際に集まり、狭卵形または多年草。花茎は高さ二〇 ~ 五〇拜一。通常長楕円を帯び、全縁で薄い。葉柄は細く、径約三 だえん 、セン、幅一一 ~ 四チ 卵状長楕円形で、長さ四 ~ ノ 形の大きな葉を花茎の中途に一枚つけ、その上花序はワダンよりまばらで、黄色の頭花は径置かれた。近世には北国街道の宿駅で、福井藩 きよし ぶぎよう へり 縁に鈍鋸歯があり、肉質で厚い。夏、一〇 ~ 三 の葉は若くて小さい。七 ~ 八月、径約六、、リの黄一・五弩。花期は九 ~ 一一月である。海岸の岩金津奉行所所管の関所が設けられ、加賀国への きょ 〇の花茎を出して円柱形の花序をつくり、多緑色花を十数個開く。長さ約一一の長い距があ場に生え、本州西部から沖縄、および朝鮮半島関門として重視された。↓金津 ( 町 ) 〈印牧邦雄〉 数の淡紫色花を密に開く。包葉は狭卵形で大きる。亜高山の草原または林縁に生え、北海道か南部、中国に分布する。↓ワダン〈森田竜義〉回『細呂木村誌』 ( 一九五三・細呂木公民館 ) だいしようじ りんべん 。萼は膜質で鱗片状。花冠は細い唇形で長さ ら本州の中・北部に分布する。変種コバノトンホソヘリカメムシ〔細縁椿象・細縁亀鷓一万五千分の一地形図「大聖寺」 はんし 一弩。雄しべは二本で、花冠上唇の中部につポソウは花数が少なく、距は上を向き、葉もよ虫〕ミミミ s ~ ミき s 昆虫綱半翅目異ホソロリス slender 一 or 一 s \ 国ト 0 こ s 、ミ・ ー・冖」ゆら′ 全体がウルップソウに似るが、葉がより細 り細い。温帯から亜寒帯の湿原に生育し、北海翅亜目クモヘリカメムシ科に属する昆虫。体長ミ g き s 哺乳綱霊長目ロリス科の動物。一属 〈井上健〉 、花色が淡く、雄しべの付着部が異なる。 道から九州に分布する。 一四 ~ 一七ミリ、体は細長く、全体はほば黒褐色一種の原猿で、インド南部とスリランカに分布 はんもん たいせつ 海道大雪山の砂礫地に生える。 〈山崎敬〉ホソバノキリンソウ〔細葉麒麟草〕で、雄の腹部背面には黄色と黒色の斑紋があする。頭胴長一九 ~ 二六。羊毛状で灰褐色な S & ミミきを L. ペンケイソウ科の多年草。り、そのために飛ぶと一見アシナガバチのよう いし赤褐色の体毛に包まれ、スローロリスより ホソバセセリ〔細羽排蝶〕 ls 。ミき、 ~ にみえる。また、幼虫はアリによく似ている。 も体と四肢が細長く、耳介は大きくて薄く、鼻 毎春、根茎から株ごとに一本 ( まれに二本 ) の きトき s 昆虫綱鱗翅目セセリチョウ科に ひしだえん 〈上原重男〉 ロ部が突出している。↓ロリス 属するチョウ。本州 ( 関東地方以南の暖地 ) 、 直立する花茎を出す。葉は、普通は菱状楕円形エンドウ、インゲン、ダイズなどマメ科植物に へりきよし 寄生し、害を与える。成虫態で越冬し、年二、 四国、九州に分布、普通種であるが産地はややで、縁に鋸歯がある。五 ~ 七月、花茎の先端に ホーソン Nathaniel Hawthorne ( 天 0 四 ひしん ー六四 ) アメリカの小説家。七月四日、マサチ 局部的である。国外では朝鮮半島南部、中国、多数の花を密につけた花序を出す。花弁は披針三世代を送る。日本全土のほか、朝鮮半島、中 〈林正美〉 台湾に産する。はねの開張三七、、リ内外。後ろば形、長さ約七ミリ、濃黄色で、ほば水平に開く。 国、台湾などに分布する。 ューセッツ州セーレムの旧家に生まれる。彼の はんもん ばしょ・つま、 さび」作ロはニュ ・イングランドの地方色にあふ ね裏面の斑紋に著しい特徴があり、日本および中部地方以北の本州、北海道の山地、草原や沢 ほそみ芭蕉俳諧の美的理念。「 細み れんが その周辺にはこれに紛らわしい種はない。普筋に生え、東アジアに広く分布する。よく知らの類縁美の一つ。歌論、連歌論における「細れ、作者自身の清教徒的倫理感、過去に対する しゅんぜい しんけい 通、年一回の発生、六 ~ 八月に出現するが、鹿れるキリンソウは本種の変種とされるが、区別 し」の美と関係がある。藤原俊成、心敬は、特殊な意識はその出身と無関係ではない ( セー よしもと 〈大場秀章〉 児島県あたりの暖地では年二回の発生が記録さ がむすかしい個体もある。 心の「細し」を志向し、藤原定家、二条良基レムは魔女裁判で有名な港町。ホーソンの祖先 には魔女裁判で裁判官を務めた者もいた ) 。四 は、姿の「細し」を志向した。芭蕉の「細み」 れている。幼虫の食草はイネ科のススキ、オオホソバノシバナ〔細葉塩場菜〕 T 、ミ。・ アプラススキ。幼虫態で越冬する。 3 セセリ ぎを s 、、、 e L. シバナ科の多年草。ミサキは、心と姿の両方を止揚した美である。芭蕉の歳のとき父を失い、母の手で育てられたこと、 チョウ 〈白水隆〉 ソウ ( 三尖草 ) ともいう。茎は高さ六 ~ 三〇弟子たちのなかで、「細み」をもっとも熱心に九歳のとき足に傷を負い二年余り家にこもり生 きよりく 、葉は糸状で、茎と同長。七 ~ 八月、総状花説いたのは許六であるが、その許六の「細み」活を送ったことが彼の内省癖を強めたといわれ ホソバンルリンドウ〔細葉蔓竜胆〕 P 、 e こ c ミきき b ミ s Maxim. リンドウ科穂に、三個の心皮からなる基部がとがった袋果論を総合すると、「細み」とは、「閑寂」と絡みる。メーン州ポードン大学を一八二五年卒業、 の多年生つる草。高さ約一・二。葉は対生をつける。ミサキソウの名は、この果実の形に 合った「悲しび」を、繊細な心で味わい、繊細故郷セーレムに戻り、以後第一短編集で世に出 ひしん し、広披針形または線形で先は長くとがり、質由来する。中部地方以北の本州、北海道の高層微妙に表現することをいったようである。従るまで一〇年余り、読書と創作に専念、散歩す ようえき よ薄、。 九 ~ 一〇月、葉腋に白色で淡紫色を帯湿原にまれに生え、北半球の温帯北部、亜寒帯来、対象を把握する心の動きのみが注目されてるにも夜を選ぶ孤独の生活を送る。二四歳のと 〈大滝末男〉 びた筒状花を開く。花冠は萼とともに四裂すに広く分布する。 きたが、心の色合い ( 悲しび ) も、また「細 き、大学生活に取材した冒険ロマンス『ファン ゃぶ る。ススキ草原や林縁の藪に生え、北海道から ショー』を自費出版するが、失敗。その後文芸 ホソバノヒイラギナンテン 0 ヒイラみ」の重要な要素である。芭蕉は、路通の「鳥 ねいりゐ 四国、および朝鮮半島、中国、ウスリーに分布ギナンテン 共も寝入て居るかよごの海」の句を、「此句細誌に短編、スケッチなど執筆。一八編の小品を りんし んする。 ホソハマキカ〔細葉巻蛾〕昆虫綱鱗翅目みあり」 ( 去来抄 ) と評している。〈復本一郎〉集めて第一短編集『トワイス・トールド・ティ そホソバツルリンドウ属はつる草で、花は四数ホソハマキガ科 cochylidae の総称。はねの ほそみあやこ ( 一九 0 七ー ) 俳人。ルズ』 ( 天三七 ) を出版。大学時代の同級生、詩 細見綾子 性、果実は蒴果である。東アジアからインドに開張三〇ミリ以内の小形種を含む科で、はねの形兵庫県生まれ。日本女子大学卒業後結婚するが人口ングフェローから賛辞を受け、着実に作家 5 されき りんし セン 0 ろつう この ろくまく ーっ - 一く
へんかん ネコ P. b. きは中形、短毛で斑紋は梅した事務局で、下級機関からの上申文書の受理 しく、カルカッタは金融の中心でもあり、イン 語の影響を受け、成長の過程ではサンスクリッ しんたっ ヘン花状に分裂し、中国東北部や対馬のツシマヤマおよび太政官への申達や、太政官符など太政官 ド最大のビルラ財閥に象徴されるように、、、 ト語、アラビア語、ベルシア語、ポルトガル語、 からの命令の下達の文書の発給事務を統轄した 英語などから多くの語彙を借用している。現存ガル人の工業力はインドエ業力の半分を占めてネコ P. 6. ミ、、ミミミ s は大形、長毛で体色は 行政事務の執行機関。左弁官・右弁官があり、 〈佐々木明〉 淡い黄土色で赤褐色の不鮮明な斑紋がある。 最古のべンガル語文献は一〇世紀中葉の宗教詩 なかっかさ そうとく 単独で生活しおもに夜行性であるが、人里離前者は中務・式部・治部・民部、後者は兵 「チャリア・ギータ」で、初期・中期の文献も べンカル総督丨・そうとく 0 インド総督 ふぎようぶおおくら みな韻文で書かれ、散文が初めて現れるのは一 ・・ーぶんかっ Bengal parti ・れた所では日中も出歩く。地上を歩き回ってネ部・刑部・大蔵・宮内の各四省を管轄下に置 べンガル分割 じゅ き、長官である左右大弁は従四位上相当で、 七世紀後半になってからである。〈奈良毅〉 tion 二〇世紀初頭、インドの反英運動分裂をズミ、ノウサギ、ノロの子、キジ、ライチョ かみ 回 s. K. Chatterji 】 The 9 、をミミミ De ミ・図るイギリス・インド政庁の民族分断策。総督ウ、トカゲなどを捕食するが、本に登ってリス省の卿に次ぐ高官である。 てんむ その起源は天武朝の大弁官にまでさかのばる き e ミ the = トミ ~ ミ ge. 3V0 一 s. ( 19 カーゾン ( 在任天究 ~ 一九 0 五 ) のもとで一九〇一一一もとらえるという。また、人家付近にも出没し たいほう が、大宝令制に定着するまでには複雑な経緯が 70, George Allen 年 Unwin Ltd こ Lon- 年に分割プランの草案ができ、〇五年七月に発てニワトリを襲ったりする。泳ぎも巧みでよく ー ) あったようである。律令文書行政の中核をなす 表、一〇月に施行された。名目的には広大なべ水に入る。一定の面積の縄張り ( テリトリ don) くろうどどころ ンガル州の能率的行政のため、東べンガル・アをもち、樹洞、岩の割れ目、岩の下、茂ったや官であるため、平安時代に蔵人所が設けられ べンガルサルアカゲザル ッサム州とヒ 、・ハール・オリッサの一部を含むぶの中などを休息場とする。繁殖期はツシマヤると頭 ( 長官 ) のうち一人は弁官があてられ じん Bengalese インド べンガル人 し ( ふみひと ) じようしゅ とうのべん べンガル本州に分割するものとされたが、背後マネコなど北方に分布するものは冬で、このこ ( 頭弁 ) 、また文書を起草する史の上首 の西べンガル州とバングラデシュ共和国のイス おづき には従来の永久土地設定を廃止して地租を増額ろ一頭の雌に数頭の雄が集まり、雄どうしは激 ( 官務 ) は実務官僚として重視され、小槻氏 ラム教徒、ヒンドウー教徒の総称。人種 ( イン 〈佐藤宗諄〉 ( 壬生氏 ) が世襲した。 ド・アーリア ) 、言語 ( べンガル語 ) は北インするという財政上の目算のはかに、反英連動のしく戦って雌を奪い合う。南方に分布するもの もっとも激しいべンガルの地をヒンドウーおよ は繁殖期は不定のようで、インド南部では五月弁韓べんかん三世紀中ごろのことを記し ド平原と連続的である。米、ジュートがおもな と - っ に、海南島では三月下旬に、マレーシアでは一一た『魏志』東夷伝にみえる朝鮮南部の種族とそ 作物で、独立運動家チャンドラ・ポースのようびムスリム ( イスラム教徒 ) の各多住地域とい ペんしん ~ 三月と八 ~ 九月に子がみられる。東京で飼育の居住地の名。弁辰ともいう。弁韓には一二の う宗教的尺度で分断し、運動そのものに分裂を に親日的な人が多い。ムガル時代には後進的だ しんかん ばかん 小国があり、西に馬韓の五六国、東に辰韓の一 されていた朝半島産のものは交尾期は四月と ったべンガル人がインド文化を担うようになるもたらさんとする明確な政治的意図があった。 二国があった。馬韓、辰韓とあわせて三韓とい 九、一〇、一二月であった。妊娠期間六三 カーゾンに続く総督ミントー ( 在任一九 0 五 ~ のは、カルカッタが植民地の首都になり、英語 しんち う。弁韓の一二国には首長がいて、臣智、険 リーとともに分九日で、一産二 ~ 四子、普通二子である。子は 教育の中心としてカルカッタ大学が卒業生を大一 0 ) も、本国のインド大臣モー ゅうしやく はんわい 、こつけい 側、樊、殺奚、邑借と称し、大国には四〇 量に送り出す一九世紀後半以降である。イギリ割を既定の事実として認める態度に出た。これ目が閉じているが、体は綿毛に包まれている。 に対して、べンガルのみならずパンジャーブ目は生後一二 ~ 一七日で開く。寿命は飼育下で〇〇 ~ 五〇〇〇家、小国には六〇〇 ~ 七〇〇家 ス支配下で中産階級大量創設の急務にこたえる があり、総じて四万 ~ 五万戸があったという。 、ポンべイ州、南のマドラス州でも分割反対一三年である。近縁種でインド南部に分布する ためべンガル農村のヒンドウーを吸引し、拡大 ヘンガルではムスリム農民サビイロネコ P. 、をき s ~ 、 s は体長三五 ~ 四五穀の育種や養蚕を行い、国内に鉄を産し、 する植民地に拡散させる機能を、カルカッタ大闘争が広がった。。 ー、セン、 韓、減、倭人らがこれを求めてやってきた。ま 尾長一五 ~ 二五と小形である。インド 学が果たしたからである。べンガル人が西欧文も、ある程度この運動に結集された。一九〇五 らくろうたいまう た楽浪、帯ガの二郡にもそれを供給した。歌 から東南アジアには大形のスナドリネコ P. ~ 〇八年の間、テイラク 化を受容し、また民族主義の中核となって、 〈今泉忠明〉舞、飲酒を好み、婚礼の作法には男女で区別が ミ、、ユミ、 s が分布する。 ト・ラーイら急進的民族派の指導で、スワデー 「ペンガル・ルネサンス」の創始者であるラー わん Bay of Bengal イあって、死者には大鳥の羽根を用いて葬送した ム・モーハン・ローイ、ノーベル文学賞受賞者シー ( 国産品愛用 ) 、英貨ポイコット運動などべンカル弯 という。四世紀なかば、弁韓は日本の圧迫を受 ンド洋北東部にある大湾。東はビルマとインド が広範に組織され、民族独立を意味するスワラ タゴールなどの文化人が輩出した。サタジッ 〈浜田耕策〉 ージの目標が掲げられて、インド民族運動史上領のアンダマン諸島、ニコバル諸島、北は・ハンけ、缶那、加羅の諸国となった。 ト・ライに代表される現代・ヘンガル映画もこの へんかんき 0 トランスデューサー に大きな画期が記された。こうした運動への一グラデシュ、西はインドに囲まれ、南西端にセ変換器 文化的伝統につながっている。経済的発展も著 へんかんぐん平面の原点の周りの回 イロン島が位置する。面積一三〇万平方キ。。海変換群 定の譲歩として、一九一一年に分割令は撤回さ かいれし れた 〈内藤雅雄〉底は比較的単調で、東部に東経九十度海嶺が南転移動は平面を自分自身の上に一対一に写す写 北に直線的な高まりをつくるほかは、ガンジス像であり、その全体は群をなしている。変換群 ヘンガルヤマネコ leopard catZ8Prio- 一は・一ゅ・つ 深海扇状地とよばれる深さ一五〇〇 ~ 四〇〇〇はこれを次のようにして一般化したものであ ミきミ s ~ ミ e 哺乳綱食肉目ネコ科の る。ます、を集合とするとき、を自分自身 の平坦面が広がる。湾奥のガンジス・デルタ 動物。インドからタイ、マレー半島、ポルネオ 島、スマトラ島、ジャワ島、フィリピン、中の沖では一〇〇等深線が二二〇キ。ほど張り出の上に一対一に写す写像をの変換という。 っしま 象「をの変換とするとき、変換「に引き続 国、台湾、ウスリー地方、朝鮮半島、対馬までし、かっての陸上水系が沈降した沈水谷がみら いて変換びを行った結果もまたの変換になる 分布する。熱帯から寒帯の平地より標高三〇〇れる。夏には熱帯低気圧が多く発生し、北東部 の沿岸はしばしば被害を受ける。古くから海上から、これをびと一。の積という。の変換の一 〇までの森林や低木林に生息する。体長三六 つの集まり e がこの積に関して群をなすとき、 コ 八三、尾長一五 ~ 四四。体の大きさや色貿易が盛んで、湾岸にはインドのカルカッタ、 ネ マドラス、 ハングラデシュのチッタゴンなどのをに働く変換群という。に働く変換群と は生自 5 地によって著しく変化し、フィリピンの マ 〈中田高〉 して、のなかで意味をもつなにかある概念を 亜種パラワンヤマネコ P. b. ききミは非常港がある。 りつりよう はんもん ガ 変えないようなの変換の全体という形をとる べんかん律令官制の中枢の一つ。 に小形で腹面が純白でなく、斑紋が濃い黒褐色弁官 たいじよ・つ ン めいりよう べ 「おおともいのつかさ」といい、太政官に直属ことが多い。たとえば、が平面のとき、任意 2 で明瞭であるが、台湾や中国のタイワンヤマ ひょう
に比例することが導かれる。これをポルツマン住、一九歳でバージニア州の医師に弟子入りれる。中流域にはバランカベルメハを中心に油 6 ち 〈松本栄次〉 因子とよぶことがある。温度が高いほど、エネし、三年間ほどしてエジンバラへ一年間留学し田が多数分布する。 ルギーの高い状態になる確率が増すのである。 たのち帰国して医業を営んだ。最初の卵巣腫瘍間ロ洞窟遺跡まくちどうくついせき神奈川 まつわ ↓統計力学 〈小出昭一郎〉の手術は一八〇九年で、その後八例に成功した。県三浦市南下浦町松輪にある。海食洞窟内に 十元 また結石手術にも巧みであった。 〈中川米造〉弥生時代中期・後期の生活址と古墳時代 ~ 奈良 真葛長造まくずちょうそう ( 一七九六ー ちょうぎぶろう ン 江戸末期の京都の陶工。本名蝶三郎。延寿軒マクダウエル Edward と exander Mac ・時代の墓地が重複した特異な遺跡。洞窟は東京 ・刀し″し ちょうかんさい マ ー一九 00 アメリカの作曲家、湾に面する海崖の下半に存在、標高約五で、 を号とした。宮川長閑斎を家祖とする楽焼 Dowell ( 天六一 ッ ちやわん レ 洞ロ部幅四、高さ六、奥行推定一六 ( 茶碗屋 ) 九代長兵衛の子であったが、青木木ピアノ奏者、教育者。ニューヨークに生没。八 あかほし ポ の規模をもつ。一九四八年 ( 昭和二三 ) 赤星 米に師事して作陶の手助けをし、のち一八四一一一歳のころからピアノを学び、一六歳のときにヨ なおただ ぎおん レ ーロッパへ渡る。パリ音楽院でマルモンテルに直忠が小範囲を試掘、七一 ~ 七三年に神奈川県 年 ( 天保一四 ) 祇園の真葛ヶ原に陶業を営んだ 工 ことから真葛を姓とした。木米の死去 ( 天三三 ) ピアノを、フランクフルトでハイマンにピア立博物館が洞内前半部を調査した。 ウ ふんかし ののむらにんせい ス 八八八年に帰国後、 弥生時代の層は、洞口付近に焚火址と一を 以後は野々村仁清の倣製を得意とし、色絵陶をノ、ラフに作曲を師事。一 たいせき ク 一八九六 ~ 一九〇四年コロンビア大学初代音楽超す異常に厚い灰が堆積し、奥は砂、灰、貝殻 製して一家をなしたあと、歴代が家業を引き継 め・レ」 - つもり こうざん マ いだ。明治期を代表する陶工宮川香山はその四学部長を務めた。彼の音楽は保守的なロマン派の混じった貝塚状で、銛、離頭銛、やす、あわ 力いばう・ちっ・カいぞく ばっこっ 表すと、この「速度空間」に分子と同数の点が男 ( 五代 ) で、一八七一年 ( 明治四 ) 関東に出様式に根ざし、とくにグリークからの影響が強びおこし、貝庖丁、貝鏃、ト骨など、骨角製 おおた 彼自身リストに認められたピアノの名手で漁具を主体に多彩な遺物が出土した。土器はは 分布することになる。個々の分子は衝突で速度て横浜大田に窯を築き、九六年には帝室技芸員 かめ 〈矢部良明〉あったため、『森のスケッチ』 ( 作品五一 ) など とんど鉢と甕である。したがって、この遺跡は をめまぐるしく変えるが、熱平衡状態では図の に推挙されている。 のピアノ曲に優れたものが多い。また管弦楽曲専業漁民の住居と考えられ、同時に灰の異常な ような点の分布は定常的で変化しないと考えらマクストフ・カメラ Makstov camera れる。イギリスのマクスウエルとオーストリア天体望遠鏡の一種。広角で明るい光学系としてはたいてい標題をもち、組曲第二番『インディ堆積から、製塩もある程度行われた可能性が多 。また、落盤岩塊の間に数か所、改葬人骨の は反射鏡と補正レンズを組み合わせたシュミッ アン』 ( 作品四八 ) はインディアンの旋律を取 のポルツマンはこの分布を調べ、絶対温度が ト・カメラが知られるが、一九四〇年代初めり入れたことで知られている。〈寺本まり子〉埋納がみられたので、一時的に墓地となったこ の気体の場合、分布の密度は とも明白である。 に、ソ連のマクストフ Dmitrii Dmitrievich マクダネル・ダグ一フス McDonnell ど・一う要 せき ーーミ ( 戔第十を ~ + じ Makstov ( 天九六 古墳 ~ 奈良時代の層では、土壙墓、一種の石 ー一九六四 ) がメニスカスレンズの Douglas Corp. アメリカの代表的な大手航 しん、 に比例することを導き出した。襯は分子の質補正鏡と球面の主鏡を組み合わせた広角の光学空機メーカー。一九三九年マクダネル・エアク槨墓、敷石上に遺骸を置き多数の岩塊で覆う ラフト・コーポレーションとしてメリーランド集石墓などの小型墳墓が、洞窟壁面の凹所を 量、々はポルツマン定数である。これをマクス系を考案、これが彼の名を冠してよばれる。シ 州に設立され、六六年マクダネル・カンパニー 中心に営まれ、最少一〇基以上存在する。ただ ュミット・カメラに比べて球面収差の補正では ウエル ( またはマクスウエルーポルツマン ) の 〈大脇直明〉 劣るが製作は容易である。 となり、六七年ダグラス・エアクラフト・カン洞内が狭いため重複し、完存例は少ない。副葬 速度分布則という。これを出すには、ポス はじきすえき ハニー・インコーポレーテッドとの合併に伴い 品は各時期を通じて乏しく、土師器、須恵器数 アインシュタイン統計で粒子に個別性があるとマクソコカネ〔馬糞金亀子〕。 rectus 昆虫綱コガネムシ科マグソコガネ現社名となった。八六年の売上高は一一一六億六個程度を普通とするが、後出の集石墓中に、一 して状態数を数えればよいことが示されてい る。そのような統計のとり方をポルツマン統亜科に属する昆虫。日本各地のほか朝鮮半島、〇六〇万ドル、純益は二億七七五〇万ドルに上る。基だけ挂甲を伴った例がある。古墳 ~ 奈良時代 八五年の売上高構成比は、戦闘機が五三 % 、輸 には洞は共同墓地化し、性格的には横穴に近 計、またはマクスウエルーポルツマン統計とよ東シベリア、中国に分布し、ウマやウシなどの だえん じゅうふん 〈神澤勇一〉 かったと考えられる。 んでいる。気体ではそれは正しくないが、通常獣糞に集まる。体長五ミリ前後の長楕円形の甲送機が二四 % 、宇宙開発システムおよびミサイ ルが一四 % 、情報システムが九 % であった。現マクディア = 、ツド Hugh McDiarmid の気体では、ポース統計やフェルミーデイラッ虫で、黒色で光沢があり、背面は膨らむ。上ば ー一九七 0 イギリスの詩人。スコットラン ねはときに黄褐色で後方両側にやや斜めの黒色在生産中の航空機の機種は、民間機ではー ク統計の分布の式で 9 と O ー川、軍用機ではー新戦闘機のほか ドの富裕な地主の家に生まれ、エジンバラ大学 ( のー交 ) 、窰 1 〕北 e 紋をもつが、変化がある。成虫は春と秋に多い f(e) Ⅱ 1 洋 e マグソコガネ亜科 Aphodiinae は世界に広ー戦闘機、垂直離着陸攻撃機など卒業。第一次世界大戦後、民族精神復活を目的 としてよいほど分母の指数関数が 1 に比べて大 がある。 〈佐藤定幸〉とする文学運動「スコットランド・ルネサン きいために、前記の分布則が成立するのであく分布し、二〇〇〇以上の種類が含まれるが、 ス」の中心人物として活躍。・ダンバーなど がわ Rio MagdaIena る。気体でなく、常磁性体中の微視的磁石や固約半数がマグソコガネ属ぎ d き s の種で、 マグダレナ川 の中世スコットランド詩を模範としつつ、低地 ほとんどがヒトや動物の糞に集まり、日本にも南アメリカ北西部の川。コロンビアのコルディ 体のアインシュタイン模型のように、互いにほ スコットランド語の使用によってのみ真のスコ とんど独立で「区別のできる」微視系の集まり六〇種前後産する。ほかの属の種類には朽ち木工ラ・セントラル山脈とコルディエラ・オリエ ットランド詩の伝統を受け継ぐことができると にいるもの、シロアリの巣にすむものなどがあンタル山脈の間を北流し、カリブ海に注ぐ。全 とみなせる系では、マクスウエルーポルツマン 〈中根猛彦〉長一五四三キ。、流域面積二七万三三〇〇平方主張した。詩集に『酔える人アザミを見る』 り、体形の特殊なものもある。 統計の数え方が正しい。その場合、微視系がと ( 一九一一六 ) など。 〈富士川義之〉 。下流部で最大の支流カウカ川が合流する。 ることのできる状態に番号をつけ、その各状態マクダウエル Ephraim McDowell ( 一七 のエネルギーを。っ ・ : とすると、一つの七一 ー天三 0 ) 開拓時代のアメリカで、世界で最可航区間は一二九五キ。あるが、現在恒常的に水マクティーグ McTeague アメリカの作 しゅよう 家フランク・ノリスの代表作。一八九九年刊。 微視系が・ノ番目の状態 ( エネルギー皀をとる 初に卵巣腫瘍の手術に成功した医師。生まれは上交通に利用されているのは河口より九九七キ。 確率は ージニア州であるが、裁判官であった父とと上流のラ・ドラードまでである。最下流部は延邦訳名『死の谷』。サンフランシスコの歯医者 マクティーグは患者のトリナ・シェップと結婚 もに一三歳のときにケンタッキーの小村に移長一〇五キ。のデイケ運河でカルタへナ港と結ば exp 「ーご、 T 〕 やよい かくば しゅうせきま
にわたって、中小企業労働者や臨時工、社外工 入低燐銑を完全に抑えた。三五年 ( 昭和一〇 ) り」や、商家にみられる「のれん分け」などがの転化を強制された。本源的蓄積のためには、 満州国政府と共同出資の準特殊法人となり、銑それにあたる。いずれも他人の間柄でありなが他方において資本として投下されるべき貨幣財などと比べ、相対的に安定した地位にあるとさ 鋼一貫体制を目ざして拡張を続け、三九年満業ら特定の有力なイエを本家と仰ぎ、それへの奉産の蓄積が必要であるが、これも国家の助成にれた。本エ層は、第一次世界大戦前後、日本資 よって行われた。イギリスの重商主義的政策が本主義が独占段階を迎え、熟練労働者を企業内 傘下に入った。第二次世界大戦後では本渓鋼鉄仕と交換に分家に準する庇護と恩恵を本家から それである。 〈二瓶敏〉で養成、定着させる過程で形成された。第二次 公司に引き継がれ、七〇年代に新鉱区の開発、受ける。 さらに採掘機や高炉の大型化が進み、特殊鋼を 本家のもっ社会経済的な優位が消滅した今日・マルクス著『資本論』「第一巻第七篇第大戦後の高度成長期には、本エに対する能力主 中心とする中国屈指のコンビナートになって いでは、本家・分家間の経済的・協力的機能は個 二四章」 ( 向坂逸郎訳・岩波文庫 / 岡崎次郎義的労務管理が強化され、今日の低成長期に る。↓本渓 訳・大月書店・国民文庫 ) は、人員整理や配置転換、出向などが本エにま 〈岡部牧夫〉人レベルの親族関係に置き換えられているが、 ホンゲイ炭田 ー・たんでん Hongey べ本末の認知や最小限度の儀礼がいまなおみられポンゴ bongo キューバの筒形片面太鼓。で及んでおり、その地位は不安定になりつつあ きようたん 〈伍賀一道〉 トナムの首都ハノイの北東にある炭田。夾炭る地域は少なくない。↓家↓同族〈増田光吉〉木製の胴の上部を獣皮やプラスチックの皮膜でる。↓社外工↓臨時工 びよう ほんごう東京都文京区南東部、東京 層は海岸沿いに、約一五〇キ。にわたって幅広く 回大橋薫・増田光吉編「改訂家族社会学』覆い、鋲ゃねじで固定したもの。大小二つを水本郷 平に並べて連結したものが普及している。大き大学を中心とする地区。文京区の東半部は合併 分布している。これらの理炭地区全体はクワ ( 一九七六・川島書店 ) 以前、本郷区とよばれた。小石川と藍染川の谷 いほうが直径約二〇で、小さいほうはそれよ ン・イエン炭田とよばれ、ホンゲイ炭田はその本源的蓄積ほんげんてきちくせき ursprüng- むさしの に挟まれた武蔵野台地の一部で、本郷台 ( また り数小ぶりである。二つの間の音高差は約四 主要な部分をなしている。良質な無煙炭を産 liche Akkumulation 響資本制的生産を特 また し、埋蔵炭量は約三〇億トンといわれる。その石徴づけるものは、労働力が商品化していること度に調律される。奏者は腰掛けて股の間に楽器は湯島台 ) 上に位置する。かっては湯島の内 炭は最寄りの積出し港ホンゲイから海外に輸出である。すなわち、資本制的生産が行われるたを挟み、両手の指で打奏する。皮膜上の打点をで、その中心という意味の湯島本郷から地名が むら され、昔からホンゲイ炭の名で世界に知られてめには、一方で貨幣および生産手段の所有者変えたり、指の当て方を変えることで音色の変生じたという ( 本郷とは集落の一番本をなす郷 かわやすゅうえっ の意 ) 。兼康祐悦が本郷三丁目の交差点近くで 〈木下重教〉と、他方で人格的に自由で自由に労働力を販売化がつけられる。また、皮膜に圧力を加えて音 歯みがき粉を売り出し、「本郷もかねやすまで 本家・分家ほんけ・ぶんけイエ制度のもとでき、また生産手段から引き離されているため高を変化させるグリッサンドなどの技法も用い 〈藤田隆則〉 られる。 は江戸の内」と詠まれたように、南半部は町家 に労働力以外には売るべき何物をももたないと において、生家を相続・継承する権利をもたな があった。北半部は寺社、武家屋敷地であり、 い次三男、あるいは使用人が、これまで所属し いう一一重の意味で自由な労働者とが存在していホンコ bongo/ 300R 、ミ s ミこき s ほにゆうぐうて、 ていた家の援助によりその家から分かれて新しることが、前提条件となっている。資本制的生哺乳綱偶目ウシ科の動物。アフリカの西部か現在の東大の敷地は、かって加賀藩前田家の屋 く一家を創設した場合、もとの家を本家、新し産は、蓄積と再生産過程のなかで、この前提条ら東部の山地に分布し、深い森林、まれに開け敷地であった。一八七七年 ( 明治一〇 ) 東京大 件を維持・再生産するとともに、ますます増大た森林に生息する。森林生アンテロープ類中最学が設立されてから本郷は東大の別名となり、 い家を分家とよぶ。また、本家の本家、つまり ~ 一・二七、体重一三〇キ。 町も書籍店、下宿など大学に関係深いものが多 総本家や、分家の分家、すなわち孫分家が存在する規模で再生産していくのであるが、こうし大で、肩高一 、医療、理化学用機具などの商店も生まれて する場合もあり、そのほか、本家を共通にするた労働者と労働実現条件の所有との分離は、自 はど。角は雌雄にあり、長さ七六ぐらいに達 みた いる。営団地下鉄丸ノ内線、都営地下鉄三田線 分家を相分家とよぶこともある。地方により多然発生的に与えられたものではなく、資本制的する。体は美しい赤褐色で、十数本の白色の横 〈沢田清〉 くの方言があり、本家については「おもや」生産に先行する歴史的発展の結果として生み出縞がある。つがいか小群、ときに三五頭ほどのが通る。 「もとや」「おえ」「ほんたく」「ほんいえ」「し されたものである。このような、生産手段を資群れで生活し、雄は単独でいることが多い。低一万分の一地形図「上野」「日本橋」 ようや」など、分家については「しんや」「し本に転化するとともに、生産手段に結び付けら木の芽を食べ、高い所のものは後足で立ってと んたく」「あらや」「にいや」「わかれや」「べつれた直接的生産者を生産手段から引き離して賃る。ケニアでは山地の竹林にもすむが、竹は食 か ( べつけ ) 」「でいえ」「いんきよ」などが多労働者に転化し、資本制的生産の前提条件を創用としない。ほとんど夜行性で、夜はやや開け 出する歴史的過程を、本源的蓄積または原始的た所にも出てくるが、日中は密林へ移動する。 く用いられる。 わが国には、かってマキ、ジルイ、イッケ、蓄積という。 体は大きく、ジャンプはほとんどしないが、密 資本制的生産は封建制の解体のうえに発展し林内でもすばやく動くことができる。一産一子 ィットウ、カプなどとよばれる親族組織が存在 し、いまなおこうした呼び名を用いる地域もあていくが、封建制下の土地保有農民をその生産で、子の体色は親より明るい。寿命は野生で一一 〈今泉忠明〉 る。この親族組織が同族組織であり、本家を中手段たる土地から切り離し、賃労働者を創出す〇年前後とみられている。 心として分家・孫分家から構成されるイエの連ることが、本源的蓄積の全過程の基礎をなして梵語ばんご古代インドの言語、サンスク ばんてん 合体である。本家・分家関係はイエの出自関係 いる。この農民からの土地収奪の過程は国によ リット語の異称。造物主梵天 ( プラフマン ) が の の認知に基づく本来の上下関係であり、個人的ってそれそれ異なり、それが各国の資本主義の つくった神聖な言語という意味で梵語という。 と ↓サンスクリット語 ^ 原実〉 な親疎を基盤にする親類関係とは異なる。つま型を形成するが、典型的形態をとるのはイギリ 右 り本家・分家関係は親類関係に比べて永続性をスのみである。イギリスにおいては、とくに一 本エ ほんこう一般に、大企業の生産工程 もつイエ相互間の関係である。 六世紀と一八世紀に二次にわたって土地囲い込 に就労する常用労働者をいい、臨時工や社外工 成 いわゆる分家のなかには本家との血縁関係やみ ( エンクロージャー ) 運動が大規模かっ暴力と対比して用いられる。職員層は本エには含め の 雄 」系譜上の関係を欠く例もある。東北地方の農村的に推し進められた。こうして暴力的に農村をない。従来の本エ労働者は、終身雇用制や年功 ゴ などに多くみられた「奉公人分家」や、有力な 追放された大量の農民は、無産者に転化し、国賃金体系を特徴とする年功的労使 ( 資 ) 関係の ん ン ほ本家の傘下に入って生計の安定を図る「本家取家の浮浪者取締法や救貧法によって賃労働者へもとに置かれ、賃金、福利厚生、社会保険など あいぞめ
べんさい こんこうみようさいしようおうきよう のペンサコーラ海軍航空基地にちなんで命名し 天を登場させたのが『金光明最勝王経』で、 能指数 (—O) で表示されていたが、成人用知炻 〈楠宏〉能検査が開発されたころから、知能偏差値が多 2 弁才天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿た。 く用いられるようになった。知能の発達曲線は や財産を授けると述べている。その図像的表現へンザダ Henzada ビルマ南部、ヘンザ びわ はっぴ 一〇歳代の後半から緩やかになり、中・高年に は八臂または二臂で、身色端厳で、琵琶を持っダ州の州都。イラワディ・デルタの頂点、イラ ワディ川本流右岸に位置する。ビルマ語名はヒ なると横ばいもしくは低下を示すので、各年齢 ことがある。日本では財産の神としての側面が ンダーダ Hinthada0 人口二八万三六五八 ( 一九 ごとの平均値や分布に基づいて、個人の集団内 信仰され、弁財天と書かれるようになり、また まっ 七福神の一つとされた。水辺に祀られることが水陸交通の要衝で、河港は内陸水運の重の位置を示す知能偏差値のほうが、精神年齢や 知能指数よりも合理的で便利であることが認め 多く、また水と関係あるヘビと結び付けられる要な中継地である。この町から南のバセインに られたからである。↓知能検査 ことも多い。わが国の弁才天で有名なのは、滋至る鉄道は、対岸のタラワウへの鉄道フェリー ちくぶ その後やがて、偏差値による表示法は学力検 賀県の竹生島、神奈川県の江の島、広島県のとそこから出る支線によって、ラングーンープ ローム間の鉄道と結ばれる。デルタ地帯北部で査にも適用されるようになった。全国版の標準 厳島 ( 宮島 ) のいわゆる三弁天で、このほか ぜにあらい 鎌倉の銭洗弁天も名高い。弁才天と結び付け産する米やタバコなどの農産物の取引が盛んで学力検査や大学入試の共通一次学力検査の結果 うがじん 〈酒井敏明〉を学力偏差値で示すのはその好例である。これ られる神に宇賀神があるが、宇賀の名がサンスある。 八 さ奉び琵ら 立にはく代色岡 クリット語ウラガ uraga ( ヘビ ) に似るから差値へんさち偏差値とは個人の知能や学によれば、個人の学力が全国的な規模でどの程 造 ~ 院手つ時彩 ~ 鶴 かもしれない。 〈定方晟〉力や性格などについての検査結果が、集団の平度の水準に位置しているかを知ることができる て楽 , に倉造 像し舞で形鎌木 べンサイン benzyne べンゼン系炭化水均値よりもどれくらい上または下に偏っているので、最近では入試の合否の予測のための情報 ざ坐との像る 奈 神宮たでる 5 神 かを、標準偏差を目盛りとして表すものであ源として活用されている。また、教師が作成し 素分子から隣り合う水素原子一一個を取り除いた 天の幡れ奏い % る。その基本型は、 た期末試験で、ある生徒の成績が、たとえば、 才楽穴さをて高文宮構造の反応中間体で、単離することはできな 弁音れ納わ琶れ像重幡 い。たとえば、クロロべンゼンにカリウムアミ 国語で五〇点、数学で四〇点のとき ( 平均点が 国語で六〇点、数学で三〇点のとき ) 、その生 ために使った場合には、債権者が利益を受けた ドの液体アンモニア中での作用、 1 ーフルオ 限度で債権の消滅が認められている ( 同法四七ロー 2 ープロモべンゼンに有機リチウム化合物のであるが、この式によると、目盛りが粗すぎる徒の国語と数学の成績を素点のまま比較しても 九条 ) 。 作用、 2 ーアミノベンゼンカルポン酸のジアゾし、平均値以下の場合にマイナス符号をつけな意味はない。それを比較するには、国語と数学 ければならない。そこでこれらの不便を解消すのそれそれを偏差値という同じ尺度に換算する 〔弁済の充当〕債権者に対する同種の債務が複化などにより生成する。生成した・ヘンザインは るために、次式が用いられる。 ことが必要である。このように、偏差値はたい 数あって、債務者の提供したものでは、全債務アセトンのフェニル化やフランへの環状付加に へん合理的で便利なものであるために、さらに を消滅させるに十分でない場合、特定の債務をよる環状化合物の生成などを行う。 言 ( SS ) Ⅱ なお、。 性格検査やその他の得点の表示法として広く用 ヘンゼン環から隣り合わない ( メタ位 定めてその債務の弁済にあてることを弁済の充 10 いられるようになった。 当という。債務のなかには担保のついたもの、あるいはパラ位 ) 二個の水素原子を取り除いた 〔「偏差値」問題〕ところが、いわゆる「偏差 つかないもの、期限のついたもの、つかないも構造の中間体も、広義のべンザインとして扱わすなわち、目盛りを一〇分の一にし、平均値に れる。 〈徳丸克己〉位置する個人の偏差値を五〇としている。得点 値」問題として、学力偏差値が厳しく批判さ のなどがあり、どの債務の弁済にあてるかは、 債務者・債権者の利害に関することとなる。こ ペンサコーラ Pensacola アメリカ合衆の分布が正規分布 ( 釣鐘のような形 ) の場合にれ、今日の教育のゆがみを引き起こした原因の 一つのような言い方がされている。学力偏差値 の弁済の充当は、当事者の指定で決定できる国、フロリダ州北西端の港湾都市。人口五万七は、たとえば偏差値七〇以上には上位からの ・二八 % が、そして四〇以下には下位からの によれば ( たとえば共通一次学力検査を例にと が、この指定がなかった場合につき、民法は補六一九 ( 一九八 0 ) 。天然の良港をもち、メキシコ れば ) 、全国的規模での同じ尺度で評定できる 一五・八七 % が含まれる。 充的な規定を設けている ( 四八八条 ~ 四九一湾とペンサコーラ湾の間に位置するサンタ・ロ なお標準偏差とは、得点のばらっきの程度をので、合格者のそれを調査し集計することによ 〈竹内俊雄〉 ーザ島が防波堤の役目を果たしている。漁業が 条 ) 。 り大学間の格差は明らかになり、それが大学の 弁才天べんざいてん仏教における智慧、弁盛んであったが、メキシコ湾岸の石油を利用し示すもので、次式によって示される。 ランク付けに利用されることは事実である。ま 舌、技芸の女神。略して弁天。また妙音天、美た合成繊維、化学製品の工業が発達してきた。 た、学力偏差値が広く用いられるようになった 音天、大弁才功徳天ともいう。サンスクリット 一五五九年にスペイン人による最初の集落がでⅡ 油 DA ころから、学力だけで学校や個人を評価する傾 き、その後フランス、イギリス、スペインと所 語サラスパティー Sarasvati の訳。もとはヒ ここでの記号は、合計することを意味する。向や知育偏重の気運に拍車がかかったことも事 二一年合衆国領となった。ペ ンドウー教の神。サラスパティーは「水を有す属が変わり、一八 ンサコーラ海軍航空基地の所在地。〈菅野峰明〉そこで標準偏差は、個人の得点と集団の平均値実である。しかし、その責任を偏差値に帰すこ るもの」を意味する女性名詞で、アーリヤ人が さんみやく Pensa- の差 ( 偏差 ) の二乗和を集団の人数で割った値 とは妥当ではない。偏差値自体は個人が集団内 東漸するとき、各地の川をよんだ名であり、ア ペンサコーラ山脈 フガニスタンのカンダハル地方の古名アラコシ cola Mountains 南極大陸の南緯八四度、西を開平して求められる。標準偏差は、得点の分で占めている相対的位置を表示するだけのもの アもそれに由来するとされ、インダス平原やガ経五度を中心に、南北約三〇〇キ。に分布する山布が正規分布の場合には、最高点と最低点の差であり、要はその活用の仕方であって、偏差値 の誤った用い方をしたことのほうに責任が問わ ( 範囲 ) のほば六分の一に相当する。 ンジス平原にもこの名の川があった。プラーフ塊群。標高約二〇〇〇で、北部のデュフェッ 検査結果の表示法として偏差値が用いられるれるべきである。このこととは別に、偏差値は ク岩体 Dufek Massif は多くの有用金属を含 マナ文献ではことば ( バーチュ Väc) の神と ようになったのは知能検査が最初であろう。知得点が正規分布することを前提として考察され され、ウバニシャッドでは音楽神とされた。ヒみ、鉱物資源上注目されている。一九五六年一 能検査の結果は、従来、精神年齢 (><) や知たものである。ところが、学業成績 ( 学力 ) ンドウー教のこれらの概念を受けて仏教に弁才月一三日アメリカ海軍機が発見し、フロリダ州 いつくしま 1 十 50
へび ヘビ ヘビの鱗 ヘビ特有の蛇行運動によるが、この運動によるあり、胴の太いクサリへビ類やニシキヘビ類で効な保護色となっている。しかし、体色は変化系統的な祖先型を知ることはむすかしい。最古 の化石は南アメリカのパタゴニアにある白亜紀 力学的な力の合成で前進するとともに、肋骨のは体を伸ばしたまま腹壁を波打たせる何匐運動せす、性別による色彩変異も少ない。一般にヘ 後期の地層から発見された全長約二のディニ ビは性質が温和で、毒ヘビですら原則として自 先端を支持物に押し付けて起伏運動する。このであり、砂漠にすむサイドワインダー C きミ ~ 、 s cerastes やッノクサリへビ 0 き s s cerastes 衛以外に人間を攻撃することがない。多くの種 リシア Di' ミ嵶などで、現生のアニリウス科 とき、筋肉で肋骨と連結する腹板は、複雑な地 は特有の横ばい運動を行う。海生のウミヘビでは頸部や胴を膨らませ、尾を激しく振って威嚇 Aniliidae と近縁である。現生のヘビは主とし 形に対応して連続的に歯止めの役割を果たし、 て頭骨や脊椎骨の相違によって次の三群 ( 下 角張った両端で横滑りを防いでいる。好んで木は尾部が著しく側扁してひれ状となる。毒ヘビする。 に登る種類では腹板の両端が角張り、これを樹のサンゴヘビ属、ミなどは鮮やかな標〔系統と分類〕ヘビはトカゲ類を祖先として一一一目 ) 一一科に分類される。 はんもん 1 メクラへビ群地中生活をするミミズ型の小 皮にひ ? かける。蛇行にもいくつかのタイプが識色 ( 警戒色 ) をもつが、大半は色彩斑紋が有畳紀に分化したと考えられるが、化石が少なく 形種。頭部から尾部まで円筒形の同じ太さで、 行コは運と類 尾がきわめて短い。頭部以外は同大の細鱗に覆 蛇アピいえピる なるヘば支へすわれ、腹板は分化しない。多くの種では腰帯と 一的す毒横をキ匐 後肢の痕跡が小骨として残る。世界の熱帯・亜 本りむに枝シ匍 = 基たすうの = り 熱帯に分布し、全長約一〇 ~ 三〇。メクラへ るー ) にレ小かめ、 ビ科 Typhlopidae 約一八〇種は上顎にのみ歯 、せは漠るつピっ ら伸砂ねくへゅ があり、ホソメクラへビ科 Lept0typhlopidae ねり い亠毋に くたいび う約五〇種は下顎にのみ歯をもつ。これに対し、 にめな跳は重よ アメリカミミズへビ科 Anomalepididae 約二 , ののる 左を速らも胴せ〇種は両顎に歯があり腰帯の痕跡を欠く。 を胴りがの。た 胴 , まな性う打 ムカシヘビ群頭骨の構造が原始的で、多く けはあけ上行波 の種にはつめ状の後肢痕跡がある。世界の熱 向種 , っ樹をを にいめをい動壁帯・亜熱帯に分布し、ヘビの最大種アミメニシ 前短た点長運腹 をくう 2 細りでキヘビ、アナコンダ E ミ冐、きミ、をは 頭太行のに渡ま じめ大形種が含まれる。半地中性で原始的なア , がを体端枝ま ニリウス科六種、キセノベルティス科 XenopeI ・ 。 ( は体動になた ど , 運地カうし tidae 一種、ウロベルティス科 Uropeltidae んが式砂体よは とるン 。る伸四三種、水生のヤスリへビ科 Ac 「 ocho 「 didae はすオするれは のをイやす流体三種、および大形のボア科 Boidae 六五種の ビ動デりをて 五科が属する。 へ運一滑動しは ③ヘビ群頭骨の構造などの進化が進んだ一群 ウ で、毒ヘビを含む現生種の大部分が属する。分 牙 布域はヘビ亜目全般と同じで、大半が全長一 ~ 7 ⑤ 一一、適応放散してさまざまな形態に分化して いる。①ナミヘビ科 Colubridae 日本産無毒 ヘビ ( メクラへビを除く ) の全種をはじめ、現 動 生へビの総数の三分の二ほどが含まれる。腹板 可 はよく分化し腰帯や後肢の痕跡はまったく認め 牙 5 管牙られない。一部の種が上顎後方に溝牙をもち、 ④管 ⑦さらにそのうちの少数が毒性の強い危険種であ る。②コプラ科 Elapidae コプラ、サンゴへ ビ、ウミヘビなど約二三〇種が含まれる。上顎 ③・ フ 前部に溝牙を生じ、すべてが毒性の強い危険 コ 種。神経毒が主成分である。③クサリへビ科 牙牙 Viperidae 約一八〇種が属し、ピット器官を 後冓 もっマムシ亜科と、これを欠くクサリへビ亜科 委類やトゲオマムシ亜科に分類される。上顎前部に 可動的な管牙をもち、毒性の強い危険種が多 。出血毒が主成分である。 体 腹板 尾下板肛板 ヘビの運動 基本的な蛇行 ヘビの頭部 アコーディオン式運動 0 、一当くをや 鼻孔 上唇板 日 I 横ばい運動 頭頂板 額板 毒ヘビのタイプ ( 頭骨と毒牙 ) 牙 毒 毒腺 ① ④ 枝渡り運動 ② 0 ③ の
ほうしやかがくぶんせき radio- 用語が広く使われていたが、現在は放射とよぶの尾は、太陽と頭とを結ぶ直線上、太陽から遠る。マルクス主義法学は、法を経済的土台によ放射化学分析 ことに統一されている。放射は波動性と粒子性ざかる方向を向く。この現象は太陽光の放射圧って客観的に制約されるイデオロギー的上部構 chemical analysis 放射性核種から発する 〈阿部龍蔵〉造の一部として位置づけることによって、数々放射能を測定することによって行う分析をい という相補的な互いに相反する二面的な性質をのためである。 う。放射性核種はそれそれ異なる半減期と放射 の分析視角を提示している。さらに近年に至っ もっているが、波長が短くなるにつれてしだい ほうしやかいがく sociology 0f 法社会学 しわゆるても、いわゆる現代法現象に直面して、それを線の種類およびエネルギーをもっているので、 law 法哲学、法史学などとともに、、 に粒子性が顕著になる。放射線という場合に これを測定することにより核種の確認や同定が は、放射のなかでもとくに波長の短い x 線、基礎法学の一部門をなし、法をそれ自体として解明するための理論枠組みの提示がさまざまな 立場から試みられている。たとえば、ドイツのでき、放射能の強さの測定から核種の量を求め 線に高エネルギーの粒子線を加えたものの総称ではなく、社会現象、社会構造との関連におい ルーマン、アメリカのセルズニック、フランスることができる。各種の核種が共存したまま測 であると一般に考えられている。放射発生の機て考察し、法の機能や実態を客観的に明らかに 定できない場合には、種々の方法で各核種に分 のカルポニエらをあげることができる。 構は、モデルとして固定点を中心として荷電粒しようとする法学分野である。 すえひろいずたろう 日本の法社会学は、末弘厳太郎を先駆者と離して行う。核種の量は一般にきわめて微量で 法律学は、伝統的には法解釈学として、現行 子が振動したり円運動をしたりしている場合 たけよし かいのうみちたか や、高速度で走っている荷電粒子の軌道が曲げの法 ( 実定法 ) をいかに解釈し運用すべきかをし、戒能通孝、川島武宜、渡辺洋三らによっあるので分離操作に担体 ( 化学的性質が同じか られたり、減速あるいは加速されたりする場合研究する実践的、実用的な学問として営まれてて、継受された「近代的」法典と現実に存在すまたはよく似た物質 ) を使用するのが普通であ 〈高田健夫〉 などを考えて、それらの周りにできる電界・磁きたが、その教義学的性格に飽き足らず、法をる「前近代的」な法慣行・法意識とのすれの究る。 ほうしやかぶんせき radioacti- 界を古典電磁気学の方法で計算をするとうまく 社会現象の一部として客観的に認識しようとす明が、大きなテーマとされてきた。理論的に放射化分析 ーおよびマルクス主 vation analysis 非放射性の試料に高エネル いく場合がある。いわゆる電波、マイクロ波のる人々によって、法社会学が提唱された。モンは、エールリヒ、ウェーバ アルファ , 島武宜によっギーの粒子、たとえば中性子、陽子、住粒子、 市動放射、チェレ テスキューやイエーリングらを先駆者に数えあ義の影響を強く受けてきたが、 発生やシンクロトロン放射、リ ガンマ ンコフ放射などである。しかし、原子や分子のげることもできるが、本格的には二〇世紀初頭てアメリカの行動科学的アプローチが導入され線、光子などを衝撃させて、試料中の諸元 〈名和田是彦〉素から核反応によって生成された放射性核種の の自由法運動を担ったエールリヒやカントロウて以来、多様化している。 内部から放出される放射 ( 広義の光 ) の場合に 放射能の特性とその強さの測定から、その元素 は、原子、分子に放射を加えた全体を一つの系ィッツらによって創始された。エールリヒは、回川島武宜著『日本人の法意識』 ( 岩波新書 ) の確認、同定、定量を行う方法。一九三六年に ▽渡辺洋三著『法とは何か』 ( 岩波新書 ) ▽ と考えて統計力学的に取り扱おうとすると、古裁判規範にすぎない国家制定法に対して、現実 ハンガリーのヘペシーらによって始められた。 碧海純一著『法と社会』 ( 中公新書 ) ▽エー 典統計力学の一つの柱であるエネルギーの等分に社会を規律している行為規範としての「生け ルリッヒ著、河上倫逸、・フー。フリヒト訳近年原子炉が利用しやすくなったので、そこで 配則が破れ、また原子、分子内に存在する安定る法」に注目すべきことを説き、法社会学の理 『法社会学の基礎理論』 ( 一九会・みすす書房 ) 多量に発生する熱中性子を照射して試料を放射 したエネルギー準位は一般にはとびとびの値を論的基礎を置いた。アメリカでもほば同時期 ▽・ウェーバー著、世良晃志郎訳『法社会化することが多い。放射化分析は、化学的にき 、法規範の単なる解釈的操作に不満ないし不 もち、それらの間の遷移の際に電磁波が放出さ 学』 ( 一九七四・創文社 ) ▽渡辺洋三著『法社会わめて近い元素でも、生成する核種の放射能の 信をもつ人々によって法社会学の基礎が築かれ れるとしなければ観測結果がうまく説明できな 特性が異なるので、化学的に非常に似た元素の 学と法解釈学』 ( 一九五九・岩波書店 ) いことが明らかとなり、これが量子力学の誕生た。最高裁判所判事のホームズ、カードーゾ、 ほうしやかがく radiochemistry 混合物の分析や同位体存在率の測定に利用され の大きなきっかけとなったことは科学史上重要 リアリズム法学のフランク、ルーウエリン、プ放射化学 ているのをはじめ、多元素の同時定量ができ、 である。原子、分子からの電磁波放出には自発ラグマティズムを導入して社会学的法学を提唱放射性物質を研究対象とする化学の一分野。一 したパウンドなどをあげることができる。 八九六年フランスの物理学者べックレルにより試料が見かけ上なんらの破壊も受けないため 放射と誘導放射があり、後者を応用したのがレ 、文化財のような貴重試料の分析にしばしば 〈石黒浩三〉 ーザーである。 その後、法社会学は、具体的な法現象の社会放射能の現象が発見されてから、放射性元素に 〈高田健夫〉 ついての多くの化学的研究が行われ、一つの大利用されている。 学的調査研究と、その方法的基礎をなす理論枠 ほうしゃあっ radiation pressure 放射圧 しやきゅうしけん borax きな分野となり、その総合と体系化に伴い、一 組みとの双方にわたって豊富な成果を生み出し ホウ砂球試験 物体に当たって吸収または反射される電磁波が 物体の面に及ばす圧力。とくに電磁波として光てきた。その過程で、マリノフスキーらによっ九一一年ごろイギリスの物理化学者ソディによ bead test 溶球試験の一つで、金属塩類の定 って命名された。おもな研究対象は、天然にお性分析を行う際の予備試験として利用される。 を考える場合には光圧とよばれる。音響学の分て人類学的分野が導入されたことはとくに注目 される。理論枠組みの構成のうえで重要な学説ける放射性核種の生成・分布、人工放射性核種ますガラス棒の先端につけた白金線の先を曲げ 野では、音波に拡張して、音波の示す圧力に対 としては、マックス・ウェーバ ーの法理論とマ の生成、放射性核種の分離生成、放射性核種をて小環をつくり、この部分にホウ砂 Na2B407 ・ しても同じ用語を使用する。放射圧は、初めイ 10H20 をつけてバーナーの炎で三五〇 ~ 四〇 ルクス主義法学がある。ウェーバーは、①法解含む化合物の性質、核反応の化学的諸効果たと ギリスのマクスウエルが理論的に予言したが、 〇度 0 に熱すると、ホウ砂は結晶水を失い、さ 一九〇三年ロシアの・ z ・レーベデフが実験釈学が法文の規範的に正しい意味を探究する実えば反跳効果、放射性核種の利用などである。 らに強熱すると八七八度 0 で融解する。これを 放射性核種の検出・定量などをそれらの放射 的に確認した。電磁波は干渉、回折など波とし践的価値判断的学問であるのに対し、法社会学 線を利用して行うことが多いので、きわめて微冷却すると環の中で無色ガラス状の小塊 ( ホウ ての性質を示すが、その反面、粒子としてもふは法規範の存在によって人々の行動が事実のう えでどのように方向づけられるかを探究する経量でも取り扱うことができるが、またその反面砂球 ) となる。これに試料の金属塩類をつけて るまう。この粒子は光子とよばれ、振動数レの 電磁波では、ぎのエネルギー、大きさす、 c 験科学であるとして、両者の学問的性格の相違放射線を取り扱うので、特殊な装置が必要な不酸化炎あるいは還元炎でふたたび加熱融解する めいりよう の運動量をもっ ( んはプランク定数、。は光を明瞭にした点、②法を強制機構によって保便さもある。放射線を取り扱うが、それが目的と、ホウ砂球は金属元素に特有な色に着色す る。この色を判定することによって金属元素の 障される秩序として、習俗や慣習から法を分かではないので、放射線化学とは関係はあるが、 や速 ) 。また、運動量の方向は波の進行方向と一 〈中原勝儼〉定性分析ができる。酸化炎で加熱融解する場 し致する。このため、光子が壁に吸収あるいは反っ概念的基準を明確に提起した点、③近代法の明らかに異なった分野である。 合、多くの金属は酸化物 ( 二価金属イオンの場 3 , フ射されると運動量変化が生じ、壁に力を及ばす特殊に合理的な性格を比較史的な広い視野にた回河村正一著『放射化学と放射線化学』 ( 一九 ま 合 ) となり、さらにメタホウ酸塩を生じる。還 3 含・通商産業研究社 ) ことになる。これが放射圧の原因である。彗星って分析した点、などに巨大な功績が認められ
ぼつりぬ のプランクトンに分布。④型菌まぐさ、動 道本線穂積駅付近に広がる。繊維工業、土石製回中川善之助補訂『やさしい法学通論』 ( 一九ら受けた君主絶対主義の立場にたっ憲法論を唱 六三・有斐閣 ) ▽「新訳論語』 ( 講談社学術文え、台頭しつつあった民権学派の憲法理論に対物の死体、鯨肉に分布。⑤型菌動物の死体 造業などをはじめ、工業もかなり発達。岐阜、 に分布。⑥型菌魚貝類や海生哺乳類に分 して強硬な反対論を展開した。旧民法の施行に 名古屋方面への交通の便がよく、町外通勤者が ほろ ー一九一一六 ) 法あたっては「民法出デテ忠孝亡プ」という論文布。⑦型菌肉類に分布。⑧型菌土壌に 多い。近年人口増加が著しい。人口二万七三五穂積陳重ほづみのぶしげ ( 一会六 やっか しげとお 〈上島正徳〉学者。八束の兄、重遠の父。宇和島 ( 愛媛県 ) を発表 ( 天九 l) して、施行延期派の旗手とな分布。日本にはウシやウマに中毒をおこす Q-3 型 回『穂積町史史料編』二冊 ( 一九七七、大・穂積藩士重樹の次男に生まれ、藩校を経て大学南校り、民法に家長権尊重を盛り込ませることに大菌とヒトに中毒をおこす型菌の分布が多くみ られる。とくに型菌は北海道、東北地方の海 に学ぶ。一八七六年 ( 明治九 ) イギリスおよびきな役割を果たした。その間、貴族院議員、宮 ドイツに留学。帰国後、八一年東京大学法学部中顧問官などの重職を歴任した。主著『憲法提岸地帯の土や河川、湖水の泥土からみいだされ 囮二万五千分の一地形図「岐阜西部」 むろと 〈池田政章〉ている。↓ポツリヌス菌食中毒〈曽根田正己〉 最御崎寺ほっみさきじ高知県室戸市の室戸講師、八二年から一九一二年 ( 大正一 ) まで東要』上下 ( 一九一 0 ) 。 しんごんぶぎん キ、んしよくちゅ , っ 岬南端の台地にあり、真言宗豊山派に属する京大学ならびにそれが改組あるいは改称されたホッラムシャフル Khorramshahr イホッリヌス菌食中毒 みよう ラン南西部、フーゼスターン州の港湾都市。カどく botulism ポツリヌス菌に汚染された食 寺。四国八十八か所第二四番札所。室戸山明帝国大学 ( 一公六 ~ ) および東京帝国大学 ( 天九七 ぎようとう こん 1 ) うちょうじ 品中で菌が増殖し、同時に産生された毒素を経 ールーン川とシャッタル・アラ。フ川の合流占 ~ に ~ ) の教授。フランス法が盛んであった当時に 星院と号し、行当岬の金剛頂寺 ( 真言宗豊山 ひがしでら にしでら 派 ) を西寺というのに対し、東寺という。本おいて、イギリス法・ドイツ法を移入し、創世位置し、対岸にアバダーンがある。人口一四万ロ摂取することによっておこる食中毒をいう。 一一くうぞうばさっ 六七〇九 ( 一九七六 ) 。イラン縦貫鉄道の起点で、発生はまれであるが、致命率の高い細菌性食中 尊は虚空蔵菩薩。八〇七年 ( 大同一 l) 空海の開期にあった日本の法学界に大きな影響を与え どうくっ た。また、法理学講座の開設者としても有名。同港の貨物取扱量はイラン最大である。高温多毒である。生体内で増殖することははとんどな 創といわれ、台地の下の洞窟は若き日の空海が 汚染されたソーセージや缶詰、または塩漬 湿の地で、周辺にはナツメヤシ畑が多い。イラく、 修行した霊跡として知られる。その後盛衰はあ旧民法典を施行すべきか否かの法典論争におい あしかがたかうじ け食品中で増殖する。産生される毒素の抗原性 ったが、室町初期、足利尊氏により土佐 ( 高知ては、延期論を主張、同法典の延期後は、富井ン・イラク戦争中、一時イラク車に占領され、 によって < からまでの七型に分けられ、この 県 ) の安国寺に指定され、江戸時代には土佐藩政章、梅謙次郎とともに法典調査会の主査委員多数の民衆が死亡したため、「血の町」の意の うちヒトに中毒をおこすのは、、、の フニーンシャフルと改称したが、現在は旧称に 主山内氏により再興。本尊虚空蔵菩薩像は空海を務め、新たな民法典 ( 現行民法典 ) の起草に 〈岡﨑正孝〉四型のみである。 自刻と伝えられる秘仏で、寺宝には本造の薬師あたった。晩年には枢密院議長をも務めた。著戻っている。 によらい がっこう 日本では大部分が型中毒であるが、型や きん CIos 、、ミミ・ 書に『法律進化論』 ( 一九一一四 ~ 一一七 ) 、「隠居論』 ( 天 如来・月光菩薩像、もと岩屋内に安置されてい ポツリヌス菌 こよいりん はんか 型もみられる。北海道や東北地方の海岸の砂 、ミ ~ 、ミ (van Ermengem) Bergey ミミ . た石造如意輪観音半跏像 ( 以上三点、国重要文九一 ) 、「五人組制度論』「五人組法規集』 ( ともに 〈淡路剛久〉 バチルス科の一属の細菌で、ポツリヌス食中毒中に型が広く分布しており、これに汚染され 〈勝又俊教〉一九二 ) などがある。 化財 ) がある。 かん ー一九五一 ) 民回『隠居論』 ( 一九大・日本経済評論社 ) ▽『法窓をおこす。グラム陽性、両端鈍円の桿菌で、大た魚貝類を原料とする「いすし」によってしば 穂積重遠ほづみしげとお ( 一会三 の 2 かーしげ しば発生する。一九五一年 ( 昭和二六 ) 北海道 きさは四 ~ 六メートル x 〇・九 ~ 一 夜話』 ( 岩波文庫 ) 法学者。東京生まれ。陳重の子。一九〇八年 てんむ ー七一五 ) 天武天 ートル。細胞の末端部に卵円形の胞子を形成すで初めて型中毒がみられ、八六年までに九〇 ( 明治四一 ) 東京帝国大学法科大学卒業。同年穂積皇子ほづみのみこ ( ? べんもう しよく こうでん る。偏性嫌気性で、周鞭毛をもち、活発な運動件余発生しているが、おもに型で、一九六九 同大学講師、一〇年同助教授。一二年 ( 大正一 ) 皇の第五皇子 ( 続日本紀薨伝 ) といわれるが、 年には型、七六年には型による死亡例があ 民法および法理学研究のためドイツ、フランス 一〇人の天武の皇子中出生順では八番目と推定を行う。生育温度は二〇 ~ 三七度 0 、は六 ~ からしれんこん そがのあかえ おおぬのいらつめ 八である。胞子は耐熱性で、嫌気的条件で菌体る。近年では、八四年に熊本市の「辛子蓮根真 およびイギリスに留学。一六年帰国、同年教授されている。母は蘇我赤兄の娘太娘。生年 れいき となり、民法講座および法理学講座を担当。数は未詳だが、薨年の霊亀元年 ( 七一五 ) に五〇歳外毒素を生産する。この毒素によって食中毒が空パック」が原因となった型による集団発生 多くの著書・論文があるが、とくに民法の身分と考える説によれば、六六六年 ( 天智天皇五 ) 引き起こされる。培養は、普通、寒天で生育す ( 三十数例 ) が話題になった。このときには一 一人の死亡者が出たが、 < 型菌の毒素は既知の 法の領域に多くの業績を残し、後の身分法学に生まれ。七〇五年 ( 慶雲一 l) 知太政官事、七〇るが、十分な嫌気的条件が必要である。 毒物中もっとも強い毒性 ( 青酸カリの三十数万 ポツリヌス菌の自然界での分布は地域によっ 多くの影響を与えた。四三年 ( 昭和一八 ) 定年六年右大臣となり、七一五年一品に昇叙。同年 たじまのひめみこ 退職後、四四年貴族院議員となり、四九年 ( 昭七月に没した。異母妹但馬皇女との激しい恋愛て差異がみられる。また、菌型と分布に関して倍 ) をもっている。 〔症状〕潜伏期は平均一二時間で、まず汚染食 も、まだ不明の点が多いが、通常は、生産する は有名。『万葉集』に四首の短歌を残しており、 和二四 ) には最高裁判所判事となる。著書は おしんおうと 『民法読本』 ( 一九 = 七 ) 、『親族法』 ( 一九三 0 ) 、『離縁但馬皇女の死を悲しむ「降る雪はあはにな降り毒素の抗原性によって、 ~ (-) の型に分類され品の非特異的症状として悪心、嘔吐、下痢など よなばりゐかひ の胃腸症状がみられ、続いて頭痛やめまいを伴 ~ 四七 ) 、そ吉隠の猪養の岡の寒からまくに」はとくに哀る。① < 型菌野菜、果物、肉類に分布。② 状と縁切寺』 ( 一九四一 D 、『相続法』 ( 一九四六 まひ 〈稲岡耕一一〉型菌肉類、飼料などに分布。③型菌湖水った全身の違和感があり、急激に特有の麻痺症 『新民法読本』 ( 一九四 0 など多数。〈淡路剛久〉切。 状が現れる。すなわち、眼症状として弱視、調 ( 天六 0 ー一九一 (l) わが 穂積八束ほづみやっか どう・一う がんけん 節麻痺、複視、斜視、眼瞼下垂、瞳孔散大、対 国で近代を代表する法学者。法学者で枢密院議 えん の ) かーしげ 光反射遅延などがみられるほか、発語障害、嚥 長を務めた穂積陳重の弟で、四国宇和島藩の国 ( 下障害、耳鳴り、難聴、呼吸困難などの球麻痺 学者の家に生まれる。藩校明倫館に学び、上京 症状が現れ、分泌障害として唾液や汗の分泌が して一 八三年 ( 明治一六 ) 東京大学法学部を 著明に減少し、ロ腔粘膜の乾燥や汚灰白色の舌 卒業し、その翌年からドイツに留学してシュル めいりよう 苔などがみられる。体温正常・意識明瞭のま ツェ、一フ ーバント教授らの教えを受けた。帰国 ま、重症の場合は呼吸不全で死亡する。 後、八九年に帝国大学教授となり、憲法学の講 〔治療〕ます過敏症のないことを確かめてか 座を担当したが、ドイツ留学中にラー じよう 穂積陳重 まさあき 穂積八束 だえき ・はにゆ・つ ぜっ 585
ほあびん たイスラム軍を、トウール Tours とボアチェ五六年ローマに降伏し、紀元後五世紀に西ゴー の関係があり、びはゼロから〇・五までの値をのうちにちょうどた回おこる確率かは の中間地点で撃破した。↓トウール・ボアチェト族が占領した。五〇七年クロービスが征服 ( Ⅱ 0 , 1 , とる可能性がある。ゴムのようにに比べて Pk Ⅱ 20 、 ( 1 ー、 ) デ し、フランク王国領となった。七一一三年のトウ の戦い で与えられるが、もし力が小さく、〃が大き が小さい物質ではびはほとんど〇・五になる。 ール・ボアチェの戦いでイスラム教徒の侵入を 百年戦争下の一三五六年九月、ボアチェ南東 しかし結晶のような弾性的異方性をもった物質 く、 2 Ⅱが大きくも小さくもないとすると、 の原野で英仏軍が対峙。エドワード黒太子指揮撃退してカロリング朝の領土となり、ボアチェ ではかならすしもびはゼロから〇・五の間にな前記の加に対して次の近似式 伯に統治された。七世紀末と九 ~ 一〇世紀はア 下のイギリス軍は一万数千人、フランス王ジャ るとは限らない。。、 ホアソン比を求めるには、直 e-ÄⅡ 0, 1 , ン二世の軍勢はその四倍といわれる。有利な地キタニア公領、一二世紀後半と百年戦争中はイ 接に伸びと縮みを測定する場合と、他の弾性率 やり 形を占めたイギリス軍は、長弓隊と槍隊を段型ギリス領。一三六九年シャルル五世により、フ から計算する場合とがある。 〈和田八三久〉が成り立つのである。 〈高橋伸夫〉 ランス王国に併合された。 ボアソン分布 P(D を折れ線グラフで表すに組み、側面に騎士隊を配して待ち受けたが、 ボアソン分布ーーぶんぶ Poisson distri- いしゆみ はんナ、 ーし BOhr radius bution R>O として と次のようになる。スが整数であれば、加は ジャンは弩隊と騎士隊を混成して弩隊の活動ポーア半径 △ 2 ー 1 のとき単調増加で、Ⅱ 2 ー 1. Ⅱ 2 のを不能にし、加えて後続の重装騎士隊の大半に水素原子の基底状態、すなわち水素原子が通常 e ・ンⅡ 0,1 , 2 , とき最大値をとり、 >i で単調減少である。下馬を命じて攻撃のリズムを狂わす結果を生んとっているもっともエネルギーの低い安定な状 だ。結局、フランス軍は二五〇〇人の死者を出態の広がりの程度 ( 通常、水素原子の第一軌道 Ⅱ 1 であるスが整数でなければ加は し、ジャン自身とその末子フィリップを含む多半径 ) を示し、で表す。プランク定数カを から、、こは確率分布 ( 離散型 ) である。こ で割ったものをカ、にを単位電荷、川を電子の いい、 P(D で表で単調増加で、Ⅱ、〕で最大値をとり、 k> 数の者が捕虜となって敗戦。ジャンの長子シャ の確率分布をボアソン分布と 、リに質量としたとき、ミ ~ の長さをいい牟 ルル ( 後の五世 ) はからくも戦場を脱出、 す。一定期間における事故の発生件数、放射性「ツで単調に減少する。ボアソン分布 P(D の 5.29177249 x 10 と m の大きさをもつ。 物質から一定時間内に放射される粒子の数、そ平均値はス、分散も、 / に等しい。母関数は帰還して王政の立て直しを図った。〈堀越孝一〉 古典力学を用いて水素原子の広がりを導き出 の他ボアソン分布で表される多くの例がある。 彎 ( 7 ごであり、特性関数は exp(i(eit ホアチュール Vincent voitu 「 e ( 一五九七 〈古屋茂〉 ー一六四 0 フランスの作家。サロン文学の創始すことができるとすれば、この広がりを表す長 まれにおこる現象の生起回数の分布がボアソンある。 分布で近似されることは、次のように説明され ホアチェ Poitiers フランス中西部、ビエ者といわれる。ランプイ工夫人のサロンでそのさの次元を有する量が、質量および電荷の組合 才気によって中心的存在となった。優雅で気のせによって表すことができるはずであるが、こ ンヌ県の県都。人口八万二八八四 ( 一九〈一 I) 。 る。すなわち、確率力の事象が回の繰り返し ちょうじ しやだっ 利いた書簡、軽妙洒脱な詩し こよって時代の寵児れが不可能であることを容易に示すことができ リの南西三二九キ。、クラン川に臨む。旧ボアト ・なアア様 ラ宀邑フボク る。デンマークの理論物理学者 Z ・ポーアは、古 となった。これらは女性に対するみやび (pré・ ゥー州の州都で、司教座、控訴院、大学が置か 豊たかス ciosité) な礼法の模範とされ、また洗練された典力学に基づいた電子の軌道にプランク定数を ム。し , ネすれている。この地方の行政、文化、商業の中心 ダ院施面マ示 地であるとともに、歴史的な建造物が多いこと文体により、バロック的な誇張を一掃するのに用いた軌道選択の条件すなわち量子条件を付加 寺を正口を 貢献した。アカデミー会員。死後『作品集』して水素原子の広がりを表すポーア半径を導い チトン彫ド一特から観光地ともなっている。従来は農畜産物の 印 ( 一六五 0 ) が出版され多く版を重ねた。↓ランプた。実際の場合には川のかわりに陽子の質量 ア一ラ飾一ウの集散地であったが、電気機械、ゴム、機械、 ポノグ装サト式 〈福井芳男〉 と川とで表される換算質量″を用いねばならな イ工夫人 刷、窯業などの工業が発展し、人口増加を促し 。また水素原子の高いエネルギー状態はポー ている。 〈高橋伸夫〉 ホアチン〔 ) ) ツメバケイ 〈田中一〉 〔歴史〕ガロ・ローマ時代にリモーヌムとよば ボアトウー Poitou フランス西部の歴史ア半径の整数倍の広がりをもつ。 ーーぶんか東南アジア完新 れ、四世紀には主要な司教座都市となった。 一的地方名、旧州名。大西洋岸に位置する現在の ホアビン文化 ハンデ地方からべリー地方まで広がり、パリ盆世 ( 沖積世 ) 初頭、中石器時代または前期新石 二世紀にイギリス王領に吸取されたが、王妃ア リエノール・ダキテーヌは夫王と別居して当地地とアキテーヌ盆地を結ぶ鉄道・道路交通の要器時代とされる文化。ベトナム、ハノイ南西の 地。東部は中心都市であるボアチェ周辺部でオホアビン Hoa ・ binh 省 ( 現ハソンビン省 ) の に宮廷をつくり、「恋愛法廷」を開き騎士文化 石灰岩山地で一九二〇年代に数十か所の遺跡の ( 高 ) ・ボアトウーとよばれ、西部はバー のサロンを築いた。百年戦争初期、英仏両軍が 激突したボアチェの戦い ( 一三五六 ) の戦場は、当 ( 低 ) ・ボアトウーと名づけられて一般に起伏に発掘を行ったフランスのコラニ M. Colani が ・ボアトウーが 明らかにした文化で、彼女はこの文化を三期に 市南東のモーベルチュイ Maupertuis の台地富んで標高が高い。現在、 である。宗教改革時代には、新旧両教徒の流血ほばバンデ県の範囲に相当し、オー・ボアトウ区分している。その後、東南アジア大陸部を中 ーにはドウー・セープルとビエンヌ両県が含ま 心に多数の遺跡が発見・調査された。その多く の衝突がみられたが、古くからカトリック信仰 どうくっ は洞窟・岩陰遺跡で、淡水産の貝の層を伴うも の拠点であった。サン・ジャン洗礼堂 ( 四世れる。アルモリカン山地と中央高地に挟まれ、 紀 ) 、ノートル・ダム・ラ・グランド寺院 ( 一主としてジュラ紀層からなる平野・止陵地であのが多いが、スマトラ島には海産貝の大貝塚も 二世紀 ) など、ボアトウー ・ロマネスク様式のる。海岸に沿う地帯の北部はプルターニュ地方存在する。 石器の多くは、手ごろな礫を打ち欠いて刃を 〈千葉治男〉の湿地帯が広がり、南部はボアトウバン湿地が 教会建築が多い つけた礫器、礫斧で、一端を研磨して刃をつけ ーーのたたかいフランス広がる。農牧業を主産業とする。石灰質土壌に ボアチェの戦い くばみいし 中西部のボアチェ Poitiers で行われた戦闘。 は穀物農業地帯が広がり、粘土質の荒地では牧た原始的な磨製石芹、凹石、砥石、骨角器も 二つある。①七三二年一〇月、フランク王国の畜業が行われている。 存在する。いくつかの遺跡で土器片の出土も報 9 告されているが、確実な伴出例はないといって 2 ピクタウエス族の居住地であったが、紀元前 宮宰カール・マルテルが、スペインから侵攻し 1 れつきれきふ れき
まぐろ マグロ 三コシナガ タイセイヨウマグロ ロクロマグロ 三ミナミマグロ メノヾチ 0 キハダ 期が終わり、森林がしだいに拡大する時期にあるのに対して、後者のグループは亜熱帯から熱 たり、森林に適応した文化といえる。細石器も帯域に主として生息する。メバチは両グループ みられるが、この文化の特徴として、木材伐採の中間的とされるが、また温帯から熱帯にかけ せきふ 用および木材加工用の石斧の出現があげられて広く分布する性質をもっている。 る。動物の骨や角でつくられた骨角器も数多〔形態〕表層性の魚としてマグロ類の体色は背 ぐんせい い。旧石器時代の群棲動物の狩猟中心から、採部が黒みがかった青色、腹部は銀白色を呈す 集、漁労、狩猟のバランスのとれた生活に変化る。種類により体側面に黄みを帯びたり、ひれ していったことが確かめられる。標準遺跡はデが鮮やかな黄色を示すものがある。 ひそう 〈藤本強〉 各種類でひれの長さや体型の肥痩度に若干の ンマークのマグレモーゼ遺跡。 差異があるが、高速遊泳に適した紡錘形の体形 マグロ〔鮪〕 tuna 硬骨魚綱スズキ目サバ 科に属するマグロ属の魚類の総称。属名のをもっことがマグロ類に共通した特徴である。 き s はギリシア語で「突進」を意味する鱗が小さく体表が滑らかなこと、第一背びれ 語に由来する。マグロ類は、魚体が大きく遊泳をその付け根にある溝に畳み込んだり、体側の 力に優れ、分布域や回遊範囲が非常に広大なこ胸びれをこれに沿ってあるくばみに接着できる とが特徴。カジキ類は、マグロ類とは別類であ構造も、遊泳の効率化に役だっている。大きな きようじん るがマグロ類と同様な特徴をもち、肉質も似て体を推進させる尾びれは、広く二叉し、強靱 いることから、日本では俗にカジキマグロともで、これに関係する体側の筋肉や尾柄部の腱が よばれている。ヨーロッパやアメリカでは、マよく発達している。マグロは体密度が比較的大 きいので、体が沈下しないように、うきぶくろ グロ類に近縁のカツオをマグロの仲間としてス キップジャックツナ skipjack tuna と呼称すの働きのほか、胸びれによる揚力を得るために る。シビはマグロの古名であるが、地方名とし絶えす泳ぎ続ける。連続遊泳のために効率のよ いのは赤色筋 ( 血合筋 ) であり、マグロは体側 ても使われる。メジはマグロ類の若齢魚の呼称 である。 の赤色筋が発達している。血合筋の働きで生じ 〔種類・近縁種〕マグロの祖先は、熱帯地方のた熱を静脈から動脈に効率よく伝える毛細血管 沿岸域に生息していたサバに類した魚で、その網組織が発達しているため、マグロの体温は周 なかから外洋域に分布を広げ進化してきたものりの水温より高く保たれる。温度が高くなると とされている。サバ、サワラ類、ハガッオ、イ筋肉の働きは促進される。クロマグロやビンナ ソマグロ、ソウダガッオ、スマなどもマグロ類ガではこの機能の発達程度が高く、温帯域の低 い環境水温にも適応している。 と近縁で、これらは沿岸や近海にすむが、カッ 〔生態〕マグロ類は各種類とも産卵場所は水温 オは外洋域に分布する。 マグロ類は七 . 種が知られている。クロマグロ約二四度 0 以上の亜熱帯・熱帯の海である。産 T. 、ミナミマグロ ( インドマグロ ) 卵場がもっとも北にあるクロマグロでは産卵期 T. ミ cc = 、ビンナガ T. ~ 、メバチは五、六月と短いが、亜熱帯の海で産卵するビ ンナガでは夏を中心とした約半年、熱帯域が産 T. 0 ~ sus 、キハダ ( キワダ ) T. ミミ、 es は 一、ヾ太平洋・インド洋・大西洋に分布する世界共通卵場であるキハダでは周年にわたり産卵が行わ 種であるが、コシナガ T. 、をはインド洋かれる。一尾の産卵数は魚体の大きさにより異な るが一〇〇万 ~ 一〇〇〇万の単位である。卵は カ ら西太平洋、タイセイヨウマグロ T. ミミ ナ は西大西洋のみに分布する。後二種はほかのマ直径約一ミリの浮性卵で、受精後ほば一昼夜で孵 ン しぎよ 化する。孵化仔魚は約三ミリで、仔魚期はプラン ビグロに比べて小形 ( 体長数十 ) であり、分布 も沿岸性である。クロマグロはもっとも大形でクトン生活を送る。マグロの仔稚魚は頭部やロ 体長一一を超えるが、ビンナガを除く三種も最裂が大きいのが特徴で、稚魚期から魚食性が現 近くになる。ビンナガは最大体長約れ、幼期の成長が速い。幼魚期の生態はよくわ ・三で五種のうちもっとも小形である。分かっていないが、共食いなどにより幼魚期まで 類学的に、クロマグロ、ミナミマグロ、ビンナの減耗は大きいとされている。体長数十に達 とうしょ ガの三種、キハダ、コシナガ、タイセイヨウマした若年期のマグロは、陸縁や島の近くに分 グロの三種がそれそれ類縁関係が強いとされて布し ( キハダ、クロマグロ、ミナミマグロな おり、前者が亜熱帯から温帯域にかけて分布すど ) 、また大小の群れをつくって表層を遊泳す 8 うろ・一