町 - みる会図書館


検索対象: 日本大百科全書 22
906件見つかりました。

1. 日本大百科全書 22

みず 水 / 文化史 ①バザーリとゲラルディ共作『水』 1 6 世紀フィレンツエバ ラツツオ・ペッキオ水の寓意的表現で , アフロディテ ( ビーナ ス ) がクロノスによって切断されたウラノスの男根の周りに集ま った海の泡 ( アフロス ) から誕生したという神話に基づいている。 中央の貝骰に乗るのが水の象徴アフロディテ , 周りはギリシアの 神々やニンフ , 怪物などがにぎやかに描かれる ②ルルドの聖水。 1858 年に この地の少女ベルナデットがマサビ 工ル洞窟で , 18 回にわたって聖母マリアの姿を見て , 彼女の触れ た岩から泉が湧き出たといわれる。この水は聖なる水とされ , れを求める信徒が毎年多数訪れ , 大霊場となっている。フランス 南西部 ③水売り。水質の悪い所や水量の少ない所では , 水を売る商人を みかける。インド もくよく ④バリ島の結婚式の沐浴。結婚式の直前に新郎・新婦は川で沐浴 する。身体を洗って清潔にするだけでなく , ニ人が川の水により 新しい体になるという意味もある結婚儀礼の一つ。インドネシア ーいむ みす ⑤ゴミソ ( 巫者 ) の水垢離 つがる 津軽地方を中心に病魔退散の 呪法や祈第・論を行うゴミ ソの修行。岩木山の赤倉沢に は不動の滝 , 銚子の滝など行 場があり , 水垢離・断食など の修行が行われる。青森県中 津軽郡岩木町 ⑥水神様。小正月行事の一つ 「かまくら」の雪室の祭壇に祀 られた水神。灯明がともされ , 供物がそなえられる。秋田県 横手市 ⑦宗祇水。室町時代 , 連歌師宗祇は東常縁から舌今伝を受けるため郡上を訪れた。伝授 を終えた宗祇と常縁は湧清水のほとりで別れを惜しんだという。以来この水は宗祇水と名 . はらま人 づけられ , 今日でも清水が湧き出ている。岐阜県郡上郡八繙町 え 0 はら 「男・小 恵利原の水穴 ( 天の三重県志摩郡磯部町恵利原 岩戸 ) 「男 . 小 滋賀県彦根市西今町 十王村の水 滋賀県坂田郡伊吹町大字大清水湧水 白水神社一 . 水 . 京都府京都市伏見区 地下水 伏見の御香水 地下水 磯清水 京都府宮津市字文珠 地下水 大阪府三島郡島本町 離宮の水 みやみす 地下水 兵庫県西宮市 宮水 ぬのひ、、 布引渓流 兵庫県神戸市中央区 兵庫県西南部 千種川 どろドわ 一男 . 小 奈良県吉野郡天川村洞日 野中の清水 和歌山県西牟婁郡中辺路町野中湧水 一屮卩水 . 紀三井寺の三井水和歌山県和歌山市紀三井寺 あめ 天の真名井 鳥取県西伯郡淀江町 てんがわ 島根県隠岐郡海士町 ・ん、よう 「屮っ . 水 . 壇鏡の滝湧水 島根県隠岐郡都万村 一男水 . 岡山県真庭郡八束村ド福田 塩釜の冷泉 「男水 . 岡山県岡山市雄町 雄町の冷泉 「屮卩水 . 岩井 岡山県苫田郡上斎原村中津河 太田川 ( 中流域 ) 広島県広島市 ( 祗園水門、行森川河川 合流点 ) 広島県安芸郡府中町 出合清水 別府弁大池湧水山口県美祢郡秋芳町 「男 2. 山口県岩国市通津 桜井戸 寂地川 山口県玖珂郡錦町 江川の水 「屮卩水 . 徳島県麻植郡鴨島町 つる ) さ 4 し、、みず 「屮ノ水 . 剣山御神水 徳島県三好郡東祖谷山村 「男水 . 香川県小豆郡池田町 湯船の水 「男 2. 、っちぬき 愛媛県西条市 杖の淵 「男水 . 愛媛県松山市南高井 かんの・れすい 一屮卩水 . 愛媛県東宇和郡宇和 観音水 高知県県西部 四万十川 女紬 5 水 . 高知県高岡郡越知町 、、よみ 一屮っ・水 . 生Ⅲ・水ニ水 . 福岡県浮羽郡浮羽町 ふろう 地下水 不老水 福岡県福岡市東区 「男水 . 竜門の清水 佐賀県西松浦郡西有Ⅲ町 きよみず 清水日 佐賀県小城郡小城町清水 「屮ノ水 . 長崎県島原市 島原湧水群 轟渓流 長崎県北高来郡高来町 一屮卩水 . 轟水源 熊本県宇上市宮ノ庄町 ー、・らかわ 「屮卩水 . 白川水源 熊本県阿蘇郡白水村 菊池水源 能本県菊池市 「屮卩水 . 熊本県阿蘇郡産山 池山水源 「屮卩水 . 男世湧水群 大分県大分郡庄内 一男水 . 大分県竹田市 竹田湧水群 大分県大野郡三重町 白山川 湧水 出の山初水 宮崎県小林市 あやドわ 勇ト . 可日 宮崎県東諸県郡綾町 綾川湧水群 ( しまみやのうらだけ 屋久島宮之浦岳流水鹿児島県羆毛郡屋久町、上屋久町河川 男水 . 霧島山麓丸池湧水鹿児島県姶良郡栗野町 清水の湧水 鹿児島県川辺郡川辺町 い , のはなむーしゃー 一旦花樋日 沖縄県島尻郡玉城村垣花川原湧水 注「環境庁水質保全局水質規制課監修「名水百選」 ( 一九八五年刊 ) による しゃ′、ち 町村 町町 311

2. 日本大百科全書 22

* 印は別に本項目があることを示す。なお、日本各地にある「延年」 / 、民俗芸能 / 重要無形民俗文化財指定一覧 ( 昭和六ニ年一ニ月末現在、一四一件 ) 「神楽」「田植踊」などはそれぞれ本項目があるので * 印を省略した 指定年・月・日 保護団体 県 重要無形民俗文化財の所在地 名称 ん 昭和 旭川市、白老郡白老町、沙流郡平取町、静内郡北海道アイヌ古式舞踊連合保存会 み・北海道アイヌ古式舞踊 静内町、浦河郡浦河町、帯広市、釧路市及び阿旭川チカップ = アイヌ民族文化保存会五九・一 白老民族芸能保存会 寒郡阿寒町 平取アイヌ文化保存会 静内民族文化保存会 浦河ウタリ文化保存会 帯広カムイトウウポポ保存会 春採アイヌ古式舞踊釧路リムセ保存会 阿寒アイヌ民族文化保存会 八戸地方えんぶり連合協議会 八戸市、三戸郡 青森ねぶた祭保存会 青森市 弘前市 弘前ねぶた保存会 青森市、弘前市、黒石市、五所川原市、東津軽お山参詣保存会 郡、西津軽郡、中津軽郡、南津軽郡及び北津軽郡 早池峰神楽保存会 稗貫郡大迫町 大償神楽保存会 岳神楽保存会 毛越寺延年の舞保存会 西磐井郡平泉町字大沢 毛越寺の延年 永井大念仏剣舞保存会 紫波郡都南村大字永井 永井の大念仏剣舞 山屋の田植踊保存会 紫波郡紫波町山屋 山屋の田植踊 室根神社祭のマツリバ行事東磐井郡室根村、大東町、千厩町、川崎村、大室根神社祭保存会 船渡市、宮城県気仙沼市及び本吉郡唐桑町 秋保の田植踊保存会 名取郡秋保町 宮城秋保の田植踊 湯元の田植踊保存会 長袋の田植踊保存会 馬場の田植踊保存会 小迫延年保存会 栗原郡金成町津久毛字小迫 小迫の延年 大日堂舞楽保存会 鹿角市八幡平 秋田大日堂舞楽 * 保呂羽山霜月神楽保存会 平鹿郡大森町八沢木 保呂羽山の霜月神楽 男鹿のナマハゲ保存会 男鹿のナマハゲ 男鹿市、南秋田郡若美町 男鹿市ナマハゲ保存会 若美町ナマハゲ保存会 秋田市竿灯会 秋田市 秋田の竿灯 ( 竿灯 * ) 西馬音内盆踊保存会 西馬音内盆踊 * 雄勝郡羽後町西馬音内 六郷町カマクラ保存会 仙北郡六郷町 六郷のカマクラ行事 刈和野大綱引保存会 仙北郡西仙北町刈和野 刈和野の大綱引き 東湖八坂神社崇敬会 東湖八坂神社祭のトゥニン南秋田郡天王町、男鹿市船越 船越町内連合会 ( 統人 ) 行事 ヒヒ 黒川能保存会 東田川郡櫛引町 山形黒川 杉沢比山保存会 飽海郡遊佐町大字杉沢 杉沢比山 谷地の舞楽保存会 寒河江市大字慈恩寺及び西村山郡河北町谷地 林家舞楽 ( 谷地舞楽 * ) 御宝殿熊野神社田楽保存会 いわき市錦町御宝殿 福島御宝殿の稚児田楽・風流 相馬野馬追 ( 相馬野馬追い祭 * ) 相馬市、原町市、相馬郡鹿島町、小高町、新地町及び飯相馬野馬追保存会 館村並びに双葉郡浪江町、葛尾村、双葉町及び大熊町 羽山ごもり保存会 福島市松川町金沢 金沢の羽山ごもり 田島祗園祭のおとうや行事保存会 田島祗園祭のおとうや行事南会津郡田島町 綱火保存連合会 筑波郡伊奈町 茨城綱火 * 青森八戸のえんぶり 青森のねぶた 弘前のねぶた 岩木山の登拝行事 岩手早池峰神楽 * 五五五五五 九五五四 五 一八八三 四 六五五五 〇六五二 一八七 五一・五・四 五四・二・ 五一・五・四 五二・五・一七 五五五五五五五五六五五五五 九七六五 五 五五一五五 二四四九四一八 四一八 ささら 斉唱しながら苗を植える。男たちが簓、太鼓、 笛などを奏し、女たちが恋歌をうたうのも田の 神の心をそそるためで、昔は各地に華麗な芸能 風景を展開したものであった。また、この時期 から秋口にかけては稲の成長のだいじなとき かんばっ で、それだけにこの季節におこりやすい干魃や 暴風雨、冷害、虫害などが人々には恐怖の的で あり、また天候不順から発生する疫病も悩みの きようく 種で、その恐懼の心情から、それらの災厄の原 あらみたま 因を、荒魂の神やこの世に恨みを残して死ん だ人の亡魂のしわざと想定して、それらの荒々 しい霊魂を押さえ鎮める祭りを催した。第一に は穢れを払うことが災厄を寄り付かせぬ因にな はらえ るとして、水辺で祓の祭儀を行うこともあり、 おんりようごりよう てんじく ごずてん また怨霊を御霊と尊称し、天竺渡来の牛頭天 1 」りようえ のう ぎおん 王の力をも借りて京都八坂郷の祇園社で御霊会 を営むことなどもあった。有名な祇園御霊会が これで、御霊を鎮送するのに、山・鉾を連ね、 かね えん 鉦、太鼓、笛をかしましく奏して神泉苑まで練 って行ったのが、のち一段と華やかになって祇 園祭の盛儀を生み、この祭礼の形が諸国に流行 した。鉦・太鼓を打ちつつ大ぜいで踊り跳ねる ことが荒々しい魂を鎮め送るのに効があるとの 理解から、太鼓踊、鉦踊などの類を各地に輩出 させ、念仏を唱えてこの種の踊りを踊れば、な おのこと怨霊鎮送に効があるとして、鉦・太鼓 ではやし立てる念仏踊が盛んに行われた。 秋ロの旧七月一五日の盆は、旧正月一五日と ともに、一年を二つに分ける節日と考えられ、 この時期、祖霊が訪れるとの信仰があり、さら に地境にさまよう無縁の怨霊なども祭りを受け にくるとして、これらを弔い、魂を鎮めるのに 念仏踊をもってすることが普及し、これを基に 盆踊りが各地に生まれた。 はっき一く この盆から八朔ごろは、稲作にとっては収穫 直前のだいじな時期で、そのため豊作祈願の思 いを盆踊りや太鼓踊などに込めて演じることが あり、また、このころから旧八月十五夜ごろ は、本州ならば畑作の収穫祭、九州南部から りゅうきゅう 琉球列島にかけては稲の収穫祭の時期で、そ の収穫を祝う歌舞が盛大に催され、綱引きなど の行事も行われる。旧一〇月前後は本州各地の 稲の収穫祭で、各地とも地域をあげての芸能の きようえん だし 饗宴が繰り広げられる。山車、屋台の練り行 かぐらぶがく 列もあれば、神楽、舞楽、歌舞伎、人形芝居 等々から、夏季演じた太鼓踊などを願成就のお 礼の踊りとして再演することがある。 かぶき 572

3. 日本大百科全書 22

みんぞく 高岡流綱火更進団 小張松下流綱火保存会 日立市郷土芸能保存会 島山山あげ保存会 日俣自治会 中宿糸操灯籠人形保存会 催馬楽神楽保存会 秩父祭屋台保存委員会 秩父神社神楽保存会 猪保の百八灯保存会 鬼来迎保存会 板橋の田遊び保存連合会 徳丸田遊び保存会 赤塚田遊び保存会 小河内の郷土芸能保存団体協議会 ちゃっきらこ保存会 相模人形芝居保存会 林座 長谷座 下中座 お峰入り保存会 足柄上郡山北町皆瀬川 山北のお峰入り 柏崎市綾子舞保存振興会 柏崎市黒姫町女谷 新潟綾子舞 * 佐渡人形芝居保存会 佐渡の人形芝居 ( 文弥人形 * 両津市、佐渡郡 佐渡文弥人形振興会 説経人形、のろま人形 ) 新穂村人形保存会 弥彦 弥彦神社舞楽灯籠神事保存会 弥彦神社灯籠おしと舞楽舞楽 * 西蒲原郡弥彦村 古志郡山古志村、北魚沼郡広神村及び小千谷市一一十村郷牛の角突き習俗保存会 牛の角突きの習俗 佐渡の車田植 佐渡の車田植保存会 両津市大字北鵜島 糸魚川・能生の舞楽 糸魚川市大字一の宮、西頸城郡能生町大字能生天津神社舞楽会 白山神社文化財保存会 日吉神社奉賛会 根知山寺の延年 糸魚川市大字山寺 青海の竹のからかい 青海竹のからかい保存会 西頸城郡青海町大字青海 高岡御車山保存会 高岡御車山祭の御車山行事高岡市 射水郡下村加茂、下新川郡字奈月町明日及び婦加茂神社神事伝承会 ( 稚児舞の部 ) 越中の稚児舞 明日稚児舞保存会 負郡婦中町中名 熊野神社稚児舞保存会 珠洲市、輪島市、珠洲郡内浦町並びに鳳至郡能奥能登のあえのこと保存会 者田、柳田村、穴水町及び門前町 深瀬木偶廻し保存会 石川郡鶴来町、尾ロ村 尾ロ村東一一口区文弥人形浄瑠璃保存会 能登のアマメハギ・面様年頭保存会 輪島市、珠洲郡内浦町及び鳳手郡門前町 内浦町アマメハギ保存会 門前町アマメハギ保存会 輪島市面様年頭保存会 お熊甲祭奉賛会 青柏祭でか山保存会 鵜甘神社氏子会 賀茂神社睦月神事奉賛会 夷子大黒綱引保存会 天津司舞保存会 熊甲二十日祭の枠旗行事 青柏祭の曳山行事 福井水海田楽・能舞 * 睦月神事 * 敦賀西町の綱引き 山梨天津司舞 * 日立風流物 * 栃木島山の山あげ行事 日保の元服式 群馬安中中宿の灯籠人形 埼玉鷲宮催馬楽神楽 * 秩父祭の屋台行事と神楽 猪俣の百八灯 千葉鬼来迎 * 東京 板橋の田遊び 神奈日 富山 小河内の鹿島踊 チャッキラコ * 相模人形芝居 奥能登のあえのこと 尾ロのでくまわし 能登のアマメハギ 日立市宮田町 那須郡島山町 塩谷郡栗山村大字川保 安中市中宿 北葛飾郡鷲宮町 秩父市 児玉郡美里町大字猪俣 匝瑳郡光町虫生 板橋区 西多摩郡奥多摩町 三浦市三崎町 厚木市、小田原市 鹿島郡中島町 七尾市 今立郡池田町水海 丹生郡清水町大森 敦賀市相生町西町通り 甲府市小瀬町 五五六五五五六五五 二五五 五五 二四七八三七 四四八 五五・一・二八 五一・五・四 五五・一・二八 五六 五一・五・四 五二・五・一七 五四・二・ 五五・一・二八 五五・一・二八 五四・二・ 五七・一・一四 五一・五・四 五二・五・一七 五四・二・ 五六 五一・五・四 五一・五・四 がぜん ついで旧一一月、一二月になると俄然神楽が 盛んになる。旧一一月の霜月は一年中でもっと も太陽の衰える冬至の季節で、それを人や宇宙 の生命力の衰弱のときとみて、その生命力の復 活を図るために神を迎え、神の霊魂の分与を求 める鎮魂祭を行った。そしてまたこのとき、新 にいなめのまつり 穀を神に献する新嘗祭を催し、神の召し上が る米を人もまた頂いて、そのことでも神の御魂 の付与を得た。この鎮魂や新嘗の儀礼として演 じられたのが神楽である。古くは、神招ぎをし っ た巫女が自身神がかりして、わが身に憑いた神 霊を人々に分与する歌舞を演じたものが、しだ ふん いに、仮面・仮装の神に扮した男が神威を示す 舞や足踏みを行って鎮魂の所作とするというふ かま うに変わった。また、釜に湯を沸かし、その湯 を神に献じ、神の息吹のかかった湯を祭場の 人々に浴びせることで魂の再生を図るという、 ゆだて 湯立の行事を歌舞で演じる湯立神楽も各地で盛 んに行われた。こうして衰えた魂を新しく強力 なものに再生させて、人々は新しい年を迎える わけであるが、その年の改まりの季節には、新 しいトシ ( 稲の実りの意 ) を携えた神々が来訪 するとの信仰から、ナマハゲ、カュッリ、トシ ドンなど、仮面・覆面などさまざまの仮装の 神々が家々を訪問して祝言を述べたりする習俗 まんぎい はる が各地に普及し、その習俗を基盤に、万歳、春 ・一まだい′一くまい 駒、大黒舞、獅子舞など、新春のことほぎを各 戸に捧げる祝福芸が職業者によって行われた。 こうして、日本各地は、一年を通じて各種の 芸能で埋め尽くされるわけだが、これら民俗芸 能が各地住民の生活のなかに根を下ろして久し い伝承をみるようになった理由には、祭りに行 う芸能を村落のだいじな成人教育と考えて、青 少年に年齢に応じた役を与え、何日もにわたる 技芸の褓古を通じて、成人たるにふさわしい身 心の鍛練を行う風習が各地にあったことなども あげられる。また、年中汗水流して働かねば満 足のいく生活が与えられない日本の民衆にとっ て、祭りが唯一地域をあげて歌舞に明け暮れる ことの許される機会で、それゆえに生命力に富 んだ芸能が祭りを基盤に生まれたともいえるの である。なお、村落の祭祀のほかに家や講単位 に縁者、信者が集まって小さな祭事の形をとり ながら歌舞を演じる風があり、これも民衆社会 における歌や踊りの育成・伝承の場となった。 〔種類と分類〕日本全国に分布する民俗芸能は 今日もおびただしい数に上る。獅子舞一つをと

4. 日本大百科全書 22

一六九八年 ( 元禄一一 ) に類焼し、鍛冶橋門内実績とともに、江戸町人の町奉行に対する願望 政治家の長老として新体制運動に抵抗したが時指定名勝・天然記念物。↓輪島 ( 市 ) が、こうした伝説を生み出した。〈吉原健一郎〉 流に抗しえず、四〇年民政党は解党し大政翼賛町版まちばん民間で営利を目的とした書 ( 千代田区丸の内一丁目 ) に移転した。さらに 会に加わった。四四年小磯国昭内閣に入閣。第店刊行の書籍。勅版、官版、藩版、寺院版に対一七〇二年に呉服橋門内の南側に新番所が建て回所理喜夫・南和男著『町奉行』 ( 西山松之助 編『江戸町人の研究第四巻』所収・一九七五・ 二次世界大戦後の四五年 ( 昭和二〇 ) 日本進歩する。広い意味で私版を含めていう場合もあられ、先の数寄屋橋門内の南番所が新設された 吉川弘文館 ) ため、中番所と称されたが、一七一九年 ( 享保 党総裁となったが、翌年公職追放により辞任しる。日本の書物で本屋の名のあるものは、一六 た。昭和二一年一一月一二日死去。〈鳥海靖〉〇九年 ( 慶長一四 ) 京都の本屋新七刊行の『古四 ) に廃止となる。右の新番所は一七一七年に町触まちぶれ江戸時代に、幕府や各大名 ′、けしようしゅう から領内の町の住民に発せられた法令。幕府領 回松村謙三著『町田忠治翁伝』 ( 一九五 0 ・町田忠文真宝後集』が古く、一六〇八年『五家正宗常盤橋門内へ移転、さらに一八〇六年 ( 文化 まちぶぎよう さん 讃』を刊行した中村長兵衛尉、一六一四年『遍三 ) に呉服橋門内に移転するが、数寄屋橋門内では直轄都市に置かれた町奉行から、支配する 治翁伝記刊行会 ) まちぶぎよう 町年寄まちどしより町奉行のもとで江戸の照発揮性霊集』を刊行した寺町の市右衛門も書の南番所との位置関係は変わらず北番所とよば町々の町人に出された。ただし、厳密には町奉 し てぎり たる きたむら 行が自身の権限で発するものを「町触 ( 手限町 町を支配した役人。奈良屋、樽屋、喜多村の一一一肆と思われ、また仮名抄などに「本能寺前町開れた。 〔町奉行の職務〕町奉行は老中のもとで町の支触 ) 」とよび、老中の命によるものや老中に伺 家が世襲した。大坂ではこれにあたるものを総板」の刊記のあるものがある。漢語では坊刻 いのうえで発したものは「惣私」とよんで区別 配に従事した。旗本のなかから人材が選ばれ、 年寄と称した。大坂で町年寄というのは、江戸版、坊刻本、坊板、坊本などの称があり、坊は そう の町名主にほば相当する。↓江戸町年寄↓町商店をいう。中国では宋代に民間の本屋が現一六六六年 ( 寛文六 ) に役料として米千俵が支した。町触の数が多くなるにつれて、毎年同じ じようしき れ、臨安、福建に多くあった。南宋の臨安のも給されたが、一七二三年 ( 享保八 ) には役高一一一時期や内容の触は「定式町触」ともよばれて 役人 いる。町触の内容は時代とともに複雑になり、 町名主まちなぬし江戸の町々を支配した役のを書棚本、棚本といい ( 棚は小屋がけの意 ) 、千石となり、それ以下の者も在職中には差額が けんか みん まちぶれこんべつあらため まちどしより 己江戸の例をみても喧嘩口論の禁止、火の用心な 人。町年寄の下で、町触、人別改、訴訟の和宋末以後明代までの建安 ( 福県省建寧府建安県支給された。職務内容は江戸市中の町人地支酉 ど種々の規制が行われていたことがわかる。触 解などを行った。大坂では町年寄といった。村麻沙鎮 ) のものを麻沙本といい、麻沙本は校訂に関する全体的な業務である。町奉行のもとに なめししようや が一般に粗雑といわれている。 〈柴田光彦〉は、町人支配機構として町年寄以下の町役人、の伝達は、町奉行所に各町の代表者 ( 町名主や 方の名主・庄屋に相当する。↓江戸町名主 みち がちぎようじ こでんまろう ほんじよ ひきやく 小伝馬町牢屋敷の獄吏、本所奉行 ( のち本所道月行事 ) を集めて申し聞かせるのが原則であ 町役人 町飛脚まちびきやく 0 飛脚 じようび ったが、江戸では一八世紀ころから重要な触以 マチネー matinée 演劇、映画、音楽町火消まちびけし江戸の消防組織。定火役 ) などがある。さらに、寺社奉行・勘定奉行 ひょうじ・よ・つ 会などの昼間興行。ソワレー soirée ( 夜間興消、大名火消など武家方の消防に対する町方のとともに評定所 ( 幕閣の最高合議機関 ) に参外は町年寄役所から通知された。触の通知があ 消防組織。町奉行の監督下に置かれ、いろは四加し、政策決定に参与した。執務は月番交代制ると、各町ではこれを写し取り、重要なものは 行 ) の対。マタン matin ( 朝方 ) から出たこ やもり 自身番屋に張り出したり、家守 ( 家主 ) が地借 で行われ、非番の月には表門を閉ざしていた とばで、中世ヨーロッパの宗教劇上演では午前十八組 ( 初め四十七組 ) で知られる。↓火消 たながり が、継続している訴訟などの業務や相互の協議や店借の町人に読み聞かせたりして徹底するこ 中に行われる特別公演をさした。現在では、通町奉行まちぶぎよう江戸の町々を支配した ないよりあい ともあった。また町支配の名主や家主 ( 町役 常の夜間興行に対して正午過ぎの昼興行をい 幕府の役職。他都市の町奉行の場合には都市名 ( 内寄合 ) を行っている。業務は多忙であり、 ふしみ 、土、日曜、祝日などに行われる。日本ではを冠したが ( 大坂町奉行、伏見町奉行など ) 、市中の治安維持をはじめ、裁判など民政全般に人 ) から確認の連判を出すこともあり、町中連 一九一二年 ( 明治四五 ) 帝国劇場が初めて採用江戸の場合のみ単に町奉行と称した。寺社・勘わたり、上水や新田開発業務に従事したことも判や店連判によって下層の町人への確認も行わ ある。大火にあたっては自身も出馬して現場のれている。しかし、町人がこれを守らないこと した。現在の商業劇場はほとんど昼夜二部制を定両奉行とともに三奉行という。 〔町奉行の沿革〕一五九〇年 ( 天正一八 ) の徳指揮にあたった。他の職に比して在職中の死亡も多く、おりにふれて同一の触が出されること とっており、昼の部はマチネーともいえるが、 もとまさ かっしげ 〈吉原健一郎〉 も少なくなかった。 〈大島勉〉 川家康関東入国以来、板倉勝重・彦坂元正が町率も高かった。 本来の意味は薄れている。 よりき 〔与力と同心〕町奉行所の下僚である与カ・同回吉原健一郎著『江戸の町役人』 ( 一九〈 0 ・吉川 の「御代官」として町支配を担当していたが、 マチネ・ポエティク文学グループ。一 弘文館 ) 、いは、一七一九年 ( 享保四 ) 以降には南北奉行 九四二年 ( 昭和一七 ) 秋、中村真一郎、加藤周彼らは同時に村方の支配も兼ねていた。一六〇 ひでただ たけひこ 一、福永武彦らによって結成。初め各自の詩や一年 ( 慶長六 ) には徳川秀忠の側近であった青所に与カ各二五騎、同心各一〇〇名が配属され町屋まちや民家のうちで、町に建つ商家 ただしげ きよしげ 小説、そしてエッセイの朗読会であったが、し山忠成・内藤清成が町支配を担当したが、これた。幕末には同心の数が増加している。与力はおよび職人の住まい。商家には、商売のための はた 1 」 ろくだか かず、 禄高二百石以下で、上総・下 ( 千葉県 ) でま店や施設をもっ商店、湯屋、旅籠屋、料理屋、 だいに定型詩への関、いを深めていった。その結 も「関東総奉行」とよばれた広域行政官であっ ゅうかく た。町支配の専任行政官の最初は、一六三一年とめて一万石の給地が与えられた。同心は三十遊廓のほか、大家のようにとくに職業をもって 果は第二次世界大戦後の『マチネ・ポエティク なおゆき ぶち かがづめただすみ いない人たちの住まいなどがあり、職人の住ま 詩集』 ( 一九四 0 に示されている。この押韻定型 ( 寛永八 ) の加々爪忠澄・堀直之であるとする俵二人扶持が原則であった。与カ・同心の分掌 きようまう としばん みまわ みよし ただとも 、 2 レ」っ いは、その中に仕事場をもつものが多い は享保 ( 一七一六 ~ 三六 ) 以前には歳番、牢屋見廻 詩の試みは、三好達治の「マチネ・ポエティク説、三八年の酒井忠知・神尾元勝 ( 四〇とも ) と 敷地は間口が狭く、奥行が深いのが普通であ り、町廻りの三種であったが、享保の改革で七 の試作に就て』などによって否定的にしか評価する説の二説が有力である。 ) から五間、 ( 一間は約一 されなかった。なお、このグループは四六年〔町奉行所の変遷〕町奉行所は住居と役宅を兼業務が加えられた。のちには同心のみの業務とる。間ロ三間 じようまち おんみつ ときわ ( 昭和二一 ) に雑誌『世代』を、四八年に同じね、一般に「御番所」とよばれた。常盤橋門内して三廻り ( 定町廻り、隠密廻り、臨時廻り ) 奥行一〇間から二〇間くらいの短冊形が多い。 はこぶね この敷地の形状は、日本だけでなく西欧におい 」リ。ほかにエッセイ集『 1946 ( 千代田区大手町二丁目 ) にあった北番所は一 が確立した。時代が下るにつれて分掌は増加し 『方舟』を干 すきや ても同じである。繁華な通りに多くの商家がひ 〈安藤靖彦〉七〇七年 ( 宝永四 ) に火災で類焼し、数寄屋橋ていく。 文学的考察』 ( 一九四セ ) もある。 わじま 門内 ( 中央区銀座四、五丁目 ) に移転したた 町奉行は市政の直接担当者であったから、町しめき合うことから生まれたもので、西欧では まちの石川県北部、輪島市の一地 町野 これに加えて、城壁を短くする必要上密集する や区。旧町野町。『倭名鈔』の待野郷、中世の町め、以後は幕末まで南番所と称された。常盤橋人の関心も強く、歴代の町奉行に対する風評も しよう ごふく ただすけ かげもと ・」うえいしもときくに ち一野荘の地。流人平氏の後裔下時国家 ( 国の重要の南にあった呉服橋門内 ( 千代田区大手町二丁多い。なかでも大岡忠相や遠山景元には名奉行ようになった。 そそぎ 町屋の姿が明らかになるのは、平安末期の ま文化財 ) があり、日本海沿いの曽々木海岸は国目 ) の番所は当初は南番所であった。しかし、の伝説が生まれ、現在も継続している。彼らの こいそくにあき し も

5. 日本大百科全書 22

だ あぶくま 〔社会・文化〕〔教育文化〕儒者田辺希賢は仙台藩主四代伊がある。 第二次大戦後は丸森線 ( 現阿武隈急行 ) 、気仙沼線が開通し、 てつなむら 報道機関は仙台市に集中する。『河北新報』は一八九七年 一九八一一年 ( 昭和五七 ) には東北新幹線が開業し、現在、仙達綱村、五代吉村に仕え、藩の文教に力を尽くし、以来田辺 ようけんどう 台ー上野間は約二時間で結ばれ、県内の産業、文化、観光な家は仙台藩儒学の宗家となった。仙台藩の学問所養賢堂は一 ( 明治三〇 ) に「白河以北一山百文」といわれた東北の振興 らくさい 七三六年 ( 元文一 ) に開かれ、田辺楽斎が初代学頭になつを念願として創刊された。現在、東京、大阪、盛岡に支社を どに大きな影響を与えている。道路網は幹線の国道四号、六 おおっきへいせん せきやまささやずいどう 号のほか、関山、笹谷両隧道で奥羽山脈を横断する四八号、た。一八〇九年 ( 文化六 ) 学頭になった大槻平泉は藩校の拡置くほか、東北地方に五七の総支局や通信部を配している。 このほか、一九四六年 ( 昭和二一 ) 発刊の「石巻新聞』があ 張と学制の刷新を図った。一八一五年には医学館を設立し、 二八六号も整備された。また、蔵王エコーライン、牡鹿コバ こせきさんえい 小関三英らに西洋医学を講じさせた。なお、藩主の一族や有る。放送は、仙台放送局をはじめ、東北放送 ルトラインなどの観光道路も建設され、一九七二年には東北 自動車道の白石ー仙台間が開通した ( 一九八七年全通 ) 。海カ家臣が配された地には郷学が設置された。一六九一年 ( 元 0) 、仙台放送、宮城テレビ放送、東日本放送 わくや ゅうび 禄四 ) に創設された岩出山の有備館のほか、涌谷の月将館、などがある。 運は仙台港が中心で、名古屋港、苫小牧港間にカーフェリー かくだ 亘理の日就館、角田の成教書院などである。一九〇七年 ( 明〔生活文化〕八世紀に多賀城に鎮守府、陸奥国府が置かれて が運航されている。名取、岩沼両市にまたがる仙台空港は、 はこだて いたように、早くから中央文化に接触し、近世には仙台藩が 治四〇 ) 東京、京都に続く第三番目の帝国大学として東北帝 札幌、函館、新潟、名古屋、小松、大阪、福岡、沖縄間に八 航空路が開設されている。なお、八七年、東北地方で最初の国大学が仙台市に設置された。現在、国立二、私立七の大中央文化の導入に努めたこともあって、優れた文化遺産を有 学、国立一、公立一、私立六の短大、国立高等専門学校一一校している。多賀城跡 ( 特別史跡 ) 、陸奥国分寺、同尼寺 ( とも 地下鉄である仙台市営地下鉄が営業を開始した。 に国の史跡 ) はよく保存さ (. 0 「 / 4 ・ - 「 / 一 4 ・ 0 ) 4 8 8 CO LC) っ 0 につ ) マー 0 ) 1 ー 1 ー・ , ー 《 0 0 、 0 《 0 1 - -0 C-D っ 1 0 -. 0 -1 数 0 0 1 ー 1 ー 0 0 CO 0 っム ( 0 ー 0 つ」ー - つ」 1 ー 0 ー ・・ー 0 , ーっこ 0 つ」 0 ・ ) 8 1 ー 0 0 っ れ、多賀城市の東北歴史資 / ー 8 -8 00 一 1 1 咸 , 0 帯 尸 0 LO ー c-D 8 1 00 8 、 ^ 0 ▽▽ ▽▽▽ ▽ ▽ ▽▽ ▽▽▽▽▽▽▽▽▽ 1 っ - -0 っ 0 1 1 1 1 1 世 料館には宮城県の古代の資 合 8 CO 1 ワワ】ワ・ 4 ワ】 -4 8 0 ーワワ 、 .0 -4 8 CO - -0 、ワ 8 -4 00 1 ー 照 1 8 「ーーっ 1 ム 0 》 0 - -0 1 8 8 りん 1 っ 0 1 行ーワん 8 っ 0 - -0 1 1 00 9 、 - -0 料が豊富に展示されてい 0 1 1 0 0 ワワ 1 8 -4 ワ】 -4 ー -4 っ 0 1 ー 00 9 、 っ朝 8 8 0 つん 0 1 ジ 度【っ・ 0 00 ーーワ ~ 8 ー、ー・入 / 、 0 - -0 1 ^ 0 -4 ー 1 ワ】《 0 ー 8 りな -0 っー内ー 8 一 1 - -0 -0 っ 0 0 《 0 1 1 11 1 1 1 りん る。仙台藩ゆかりの史跡と 4 -. 0 00 0 行ーーー 00 LO はちまん / / - -0 8 -4 行 / -4 0 00 一 0 1 ロ 8 -4 00 1 ′ 0 ワ内ー 8 ・ 4 8 8 0 00 ワ 0 1 内ーー 0 LO ワーワ朝ワ】 1 、ワ 0 -4 0 1 1- 00 8 8 8 -4 しては、仙台市に大崎八幡 0 00 ゥー -4 1 1 戸 0 戸 0 ワ 00 り 0 ワ】ー 8 内ー -4 1 8 -4 ワ】 00 戸 0 戸 0 ー 8 8 ′ 0 ワ】 人 ( 2 積 っ 0 -4 4 00 行ー 0 8 0 8 8 0 ワ 1 ワ】 0 -4 0 一 4 8 8 っ 0 ワ】 1 -4 内ー、つ 0 面 、 :.D LO 4 ワん 8 っ 0 へ 0 内 / C-O -0 ^ 0 4 -4 00 - -0 ワ 1 -4 っ朝 -4 -4 、 -4 っ朝《 0 0 4 -4 郎神社、東照宮、青葉城跡、 だいねん ずいほう りゆ、つほう 県 竜宝寺、大年寺、瑞宝寺 ・ 4 ・ 4 ・・ 4 ・つ 0 4 っ 0 4 ・ 4- ・ CO ・ - LO L.n LO LO ・ 4 ・・ っ乙「 / ~ ( 0 図引 ずいがん 成 % 5 1 1 6 0 2 2 4 7 6 4 地索 など、松島町に瑞巌寺、観 らんてい ▽ わ ぎ すま 瀾亭、五大堂、塩竈市に塩 しわ うらてなまみさ りめま とましか み わ しわ たごはだやこしはね 、なひや ままわださやこみうくとつんうせかかがかよがまよくっ ごんりきかりかちみ ぐんわなめさようかよねしなのはもがなのるたしなしとづやとらた 地入竈神社などがあり、大崎八 戸 0 ーっ 1 よ ^ 0 1 00 ・ 1 1 せ、つかしはとはと / よとト みもかやおかもなきおおおもしつもかう 海幡神社本殿 ( 国宝 ) 、東照 0 ワん 1 人 0 8 ワ 0 0 -4 -4 〔ワ 0 0 8 0 ・ 1 00 8 1 4 っ 0 人 は合 0 ワ】 0 、 C.D ・ 4 -0 -0 ワ 00 宀田 - 宮本殿、瑞巌寺本堂 ( 国 村田町郡田 しやかこよ ¯町町水町町町町皹村郡町町町町町町町郡町町町町町町町郡町町郡日町町町町に 町牛郷原館柳駒清迫峰沢成、冫山米町米和田里山越方生北本勝南生瀬上鹿川鹿吉溂山吉桑津 る台 宝 ) 、竜宝寺の木造釈迦如 郡小南栗築若栗高一瀬鶯金志花登迫登東中豊米石南桃河矢雄河桃鳴北牡女牡本志津本唐歌よ仙 0 (. 0 0 4 ・ ロー ) 1 ー つ」 4 0 ) 4 一 0 4 ・ CO 4 ー - 1 ー 8 0 っ 0 っ 8 2 3 Ⅲ来立像など国の重要文化財 4 ー・つ」 1 ー ワ」 4 ・ 0 0 っこっ 0 一う ) 0 っ乙 L.n っ 0 1 ー 0 L.n 「ー 0 ワ」 0 ・ ) (. 0 0 つな 0 0 ~ 月も多い。また仙台市博物館 年 3 ▽▽▽ ▽▽ ▽ ▽ 眸は、伊達政宗着用の具足 1 - ト - ワ・ 4 、・ 4 4 1 ・ 4 ワ 1 0 っ 0 けい 4 っトっ 、 1 8 ワ】 《 0 ワ朝 -4 1 8 ー -4 1 1 っ 0 - - つ、 1 1 1 1 1 1 1 ロ 0 ワ】 0 「ー 1 LO 日 ワ 1 や、慶長遣欧使節関係資 -4 ー 8 1 4 減 行 4 一 4 1 つ CD -4 0 0 1 1 1 ワ 1 1 1 1 1 1 1 1 増料などを展示する。伊達政 施 っ 0 11 0 っ 0 -4 8 8 1 1 1 00 4 木且と 1 人 -4 戸 0 00 宗の仙台出府前の居城地岩 市 調市 勢泉 8 《 0 面 3 幻 1 ワ 1 国 出山町には学問所の有備館 年日 っ【う ) 廾っ 0 ( ー 0 つ」 CY¯) っ 0 CN っ乙っ 0 っ乙 っ 0 っ 0 っ 0 4 4- 図引 ( 国の史跡 ) があり、また 一ヒ O O < 【「 LIJ LL LLJ ロー LL 一に一ヒ O O 地索 覧地索 地方知行制による地方領主 ロ年 ら き ま 6 土 6 人 ゅ よ と ら ま わ まんだく や ままわぬし わ し の城跡や家中屋敷が白石市 村 だじみぬ もりりもりうぎしがぎ かわさやひ にだざま だのがかん やばまづでこだやり在ま 町 おみおみかのやかだつんしまわるおくし がすわ んしおるせろとく つおちばおらばわぐるたたまときやっちゃふろ しふけしなかたい かざししおむしか せ まわわやなあみましみりくたおとおかなおみししまさかたいなとわた 市 胛や涌谷、船岡 ( 柴田町 ) 、 とよま 4 宮岩出山、登米の各町などに 市 市 名 残っており、とくに登米の や城名台巻竈川価石取田賀市沼町田王 , 田河田田崎具森理理元取保城島ケ城府川和郷谷衡美新野崎麻田山本島造出子田谷尻 み・宮市仙石塩古気白名角多泉岩郡刈蔵七柴大村柴川伊丸亘亘山名秋宮松七宮利黒大大富大加中小宮色志松三鹿玉岩鳴遠涌田お家中屋敷とその町並みの保 4 面積 (km2) 237.05 138.57 18 . 38 135.02 184.03 285.94 100.64 147.64 19 .74 145.47 59 . 31 ( km2 ) 35 . 61 20 948 39 . 67 7 914 24.78 20 305 76.77 13 807 53 . 73 35 416 270.98 10 939 72.40 29 263 63 . 82 18 236 5 171 146.58 54.14 17 568 13 . 26 18 106 258.93 27 694 44 . 96 12 031 O まれかた 225.70 18 768 82 .66 10 465 49 . 53 18 053 60 . 43 5 548 っ 0 4 ・つ O O Q O L-n 4 ・ LO 4 ・ L-n 4 ~ L-n 60.71 220.87 177.17 110.32 かん

6. 日本大百科全書 22

みんぞく 唐津くんちの曳山行事 竹崎観世音寺修正会鬼祭 長崎長崎くんちの奉納踊 下崎山のヘトマト行事 壱岐神楽 平戸神楽 羆本阿蘇の農耕祭事 大分修正鬼会 * 名称 重要無形民俗文化財の所在地 保護団体 佐陀神能 八束郡鹿島町 佐陀神能保持者会 隠岐国分寺蓮華会舞 ( 蓮華会舞 * ) 隠岐郡西郷町大字池田 隠岐国分寺蓮華会舞保存会 大元神楽 * 邑智郡、那賀郡及び江津市 邑智郡大元神楽保存会 白石踊 * 笠岡市白石島 白石踊会 備中神楽 * 川上郡、阿哲郡、小田郡、後月郡、上房郡、新備中神楽成羽保存会 見市、総社市及び高梁市 壬生の花田植保存会 広島エ生の花田植 山県郡千代田町 比婆荒神神楽 比婆郡 比婆荒神神楽保存会 山口 岩国行波の神舞 岩国市大字行波 岩国行波の神舞保存会 徳島西祖谷の神代踊 ( 神代踊 * ) 三好郡西祖谷山村 神代踊保存会 綾子踊 仲多度郡仲南町佐文 佐文綾子踊保存会 滝宮の念仏踊 滝宮念仏踊保存会 綾歌郡綾南町 愛媛伊予神楽 伊予神楽かんなぎ会 宇和島市及び北宇和郡 室戸市吉良川町 御田祭保存会 高知吉良川の御田祭 いざなぎ流御祈保存会 土佐の神楽 香美郡物部村、長岡郡大豊町、上佐郡本川オ 吾川郡池川町、吾日 、高岡郡檮原町、東津野岩原・永淵神楽保存会 本川神楽保存会 村及び幡多郡十和村 安居神楽保存会 池川神楽保存会 多野川岩戸神楽保存会 檮原町津野山神楽保存会 東津野村津野山神楽保存会 幡多神楽保存会 幸若舞社中 文化財福島灯籠人形保存会 博多祇園山笠振興会 戸畑祇園大山笠振興会 細男舞保存会 高瀬荒踊保存会 中野荒踊保存会 宇上手荒踊保存会 唐津市 唐津曳山取締会 藤津郡太良町大字浦字竹崎 竹崎観世音寺修正会鬼祭保存会 長崎市 長崎伝統芸能振興会 福江市下崎山町 下崎山町内会 壱岐郡郷ノ浦町、勝本町、芦辺町及び石田町 壱岐神楽保存会 平戸神楽振興会 平戸市 阿蘇の農耕祭事保存会 阿蘇郡一の宮町及び阿蘇町 豊後高田市大字長岩屋、東国東郡国東町大字岩長岩屋修正鬼会保存会 戸寺及び同大字成仏 岩戸寺修正鬼会保存会 成仏寺修正鬼会保存会 古要傀儡子保存会 古要神社の傀儡子の舞と相撲中津市大字伊藤田字洞ノ上 西都市大字銀鏡 銀鏡神楽保存会 宮崎米良神楽 高千穂地区神楽保存会 高千穂の夜神楽 ( 高千穂神楽 * ) 西臼杵郡高千穂町 岩戸地区神楽保存会 田原地区神楽保存会 上田地区神楽保存会 荒踊保存会 山門郡瀬高町大江 福岡幸若舞 * 八女市 八女福島の灯籠人形 福岡市博多区 博多祇園山笠行事 北儿州市戸畑区 戸畑祇園大山笠行事 八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲築 -= 吉富町大字小太丸 武雄市 佐賀武雄の荒踊 島県 根 岡山 五ケ瀬の荒踊 西臼杵郡五ケ瀬町大字三ヶ所 五五五五五五五五五五五五五五指 四四一 年 一五一五五五 二五二五五月 日 二四三七四 八七一七四四 八五四一 五 二五五 七一八三七四 五五ハハハ五ハ五 七 二四〇五 七四八八八二 八 五八・一・ 五二・五・一七 を背負う獅子頭を奉じて各地を巡回する御師の 6 団体が輩出し、諸国の町や村で獅子を舞わせ、 5 その余興に曲芸や寸劇を演じ、さらに獅子頭の おんながた 女形が芝居の一場面を演じたりする獅子芝居 たぐい だいかぐら の類も生まれた。御師の芸はいまも太神楽の名 で伊勢の桑名に残るが、江戸へ出て寄席芸化し たものに太神楽があり、現在では曲芸を売り物 にしている。ほかにも、農村住民による祭事芸 能として各地に普及している。↓神楽↓獅子 舞 〔田楽芸〕稲作儀礼にかかわって行われてきた 芸能で、新春の豊作予祝の祭りに演じるもの と、田植時を中心に演じるものがある。 ①田遊・田植踊年の初めに、稲の耕作の順調 に進む過程と豊作成就のさまをしぐさや踊りで 模擬するもので、物真似の要素の強いものを田 遊、春田打、御田などと称し、舞踊中心のもの を田植踊、えんぶりなどという。前者は全国に 分布するが、後者は東北地方にもつばら集中す しゅしようえ る。前者では、寺院の修正会と融合して、田 でんがく 遊に加えて田楽や鬼の舞などをあわせて演じる ところもある。②田植の芸能田植に神を迎 さおとめ え、華麗な装いをした早乙女が苗を植え、歌舞 を奏する風習は各地にある。中国山地付近の農 はやしだ 村に伝わる囃田、花田植は、田の神役のサンバ イと早乙女が歌を掛け合い、 男たちが後ろで太 鼓や笛、簓をはやし立てるが、こうした風景は 平安時代中期の『栄花物語』にも描かれてい る。平安末期から都を中心に流行した田楽は、 はやし この田植の囃子が基になったと思われ、寺社に 所属する法体芸人が田楽法師と名のり、囃子の 踊りに曲芸、能などを加えて芸術化した田楽を さるがく つくりあげた。田楽は南北朝時代以後猿楽に押 されて地方へ分散し、現在では正月の修正会に 関連して田遊とともに行われるところが多い ↓田遊↓田楽↓囃田 〔風流芸〕風流は古くみやびと読み、洗練され た都風な美を意味したが、平安時代中期には、 そのみやびを造形化した邸第、庭園、装束、道 具などの美をたたえる語となり、フリュウとよ んだ。そして当時おこった祇園御霊会などに華 ) 」うしゃ 麗な意匠の山・鉾を出し、また豪奢な衣装の練 り衆が囃子を奏し、踊りをおどったりしたこと から、風流は祭りや芸能の称ともなり、これを 契機にさまざまの芸能種目が派生していった。 なむあみだぶつ ①念仏芸南無阿弥陀仏の名号を唱えつつおど ぼんのうげだっ る念仏踊。自身の煩悩解脱と亡魂鎮送の目的で

7. 日本大百科全書 22

まちゃふ かかえとびにんそく がちようじ 主や月行事の代理人として判を押すなどの行給金や衣類の支給、抱鳶人足の給金や衣類、上げることでまかなった。対外的には強力な傭芸術に題材をとる詩も含め、彼の作品はその軽 やかさと感覚性だけで評価されがちだが、背後 為も行われていた。このため、町代を廃し、か自身番入用 ( 茶、炭、油、ろうそく、夜番増人兵軍「黒軍」を率いてポヘミア、オーストリ ちょうちん はし 1 、みずか 1 一 ア、シレジアにまたがる中欧帝国を築く。他にある、とくに後年の深い思索的傾向も考慮さ 足賃、紙帳面、筆墨、提灯など、梯子、水籠、 わりに物書 ( 書記 ) を置くことが許され、四 ~ おけ とびぐち ひょうしぎ 五町ないし一〇町に一人、または名主支配の範鳶ロ、番手桶、鉄棒などの修理費、拍子木、細方、コルビナ文庫設立など学芸の振興にも努れねばならない。ほかに弟アントニオとの合作 ちやわんつけ による『ラ・ローラは港へ』 ( 一九三 0 ) など数編 囲での採用ならばよいとされた。しかし、実体引、茶碗、附木、灯心など消耗品 ) 、ごみ捨てめ、コルビヌス Corvinus という文人名をも としては町代と同様の所業を行うものも多く、 銭も含まれている。さらに、臨時の入用としつ。今日でも「正義の王」として親しまれてい の韻文劇がある。アカデミー会員。〈有本紀明〉 ちんじゅ りゅうどすい のちには書役仲間などもっくられている。 て、祭礼の供物料、鎮守入用、竜吐水や火の見る。 〈家田修〉マチャード Antonio Machado ( 天七五ー やもり やぐら おとこだて 一九三九 ) スペインの詩人。セビーリヤに生まれ、 〔月行事〕町の家持町人ないしは家守 ( 地主の櫓入用、自身番屋や木戸番屋の修復入用、捨町奴まちゃ。こ男伊達、かぶき者ともい いきだおれ ゅうきよう 差配人 ) が毎月順番で町政事務を担当した。事て子の乳代、行倒人の入用、道路修理費、水 う。江戸初期、江戸市中を横行した遊侠無頼マドリードに移り教育を受ける。一時バリにも といますふしん げんなえんぶ 務所は自身番屋とよばれ、本来は家持町人自身道の樋枡普請代、下水浚い代、出火のときの弁の徒。大坂落城後、元和偃武の時代となり、幕滞在。処女作『孤独』 ( 一九 0 三 ) は甘美な世紀末 みずためおけ かんせい モダニズム が詰めて執務を行っていたが、のちには月行事当代、水溜桶入用なども徴収された ( 寛政期の府の政策に不平を抱き反抗して出現した旗本奴的憂愁と近代主義の影を残す。これは一九〇七 かつば が担当するようになった。月行事の職務は町政南伝馬町の例 ) 。こうした費目は、町によってが、偏狭な異装で市中を闊歩し横暴なふるまい 年『孤独、回廊、その他の詩』 ( 邦訳『寂寞』 ) 全般にわたり、町名主のもとで町の管理運営に若干の相違があったが、地主・家持層に面積割をした。とくに一七世紀中ごろ、旗本奴が多く と改訂される。いっさいの装飾性を去り、「精 まぐち あたっている。 り、間ロ割りなどの方法で賦課されたのであの組をつくり、水野十郎左衛門を首領として庶神の深い鼓動」に耳を傾ける詩人の姿勢があ ろうぜき 〔町入用〕町の運営の費用は、地主・家持からる。また公役銀を納入する町もあり、同様な方民に乱暴狼藉を行ったことは有名。これらの暴る。同年カスティーリヤ地方のソリアにフラン 徴収される町入用であり、支出としては、国役法で徴収された。 虐行為に対抗するため町人の味方として発生ス語教師として赴任、まもなく結婚。代表作 など幕府に納入する金銀、祭礼の入用、神仏へ 『カスティーリヤの野』 ( 一九一 (l) の契機となっ 月行事は町の五人組から交代で選出された。 し、庶民擁護のため活躍したのが町奴である。 みそかぜに こんきよう の初穂、町年寄への晦日銭、名主の役料、時の右の町入用をみれば、月行事の職務の大体が理「弱きを扶け強きを挫く」の標語に従い、仁侠た。荒涼とした風景、それに投影されるスペイ まりさら ふしん ばんずいいんちょうべえ 鐘の維持費、堀浚い賃、上水普請の分担金、火解できるが、このほか町内への触の徹底、治安のために働いた。始祖は幡随院長兵衛で、旗ンの運命、妻との愛と死別の苦悩が荘重な叙情 消の纏入用など多岐にわたった。また、書役の維持、罪人の一時留置なども行っている。ま本奴の首領水野と激しく対立抗争した。これがの調べで歌われる。『新詩集』 ( 一九一一四 ) は民衆詩 た、町々への各種諮問に対する回答や町からの侠客の初めとされる。 の短句型を用いて、内的省察を表現、新しい詩 けんか 下げ架をいひたの 訴訟、喧嘩などの仲裁なども業務に入ってい 大勢の人夫を抱えていて、武家への人入れ業境を開いた。ほかに二人の仮想の詩人、哲学者 のひを裾とをつ 家ロ代の , 目送 た。また、寺社門前町などで、名主を見立てるを行ったが、そのためには統率できる器量が必 に擬した内省的散文集と兄マヌエルとの合作に 武し月物す人を . とく , 着出て舌雀 / ど戸 能力のない町々では、町名主のかわりに月行事要で、義理人情に厚く、約束を重んじ節操を尊なる数編の韻文劇がある。三六年のスペイン内 な多え , をし生 い者が蓄みい尻をの 持と称し、町名主と同様の職務を行う場合もみび、頼まれれば命を捨てても顧みざる気概をも戦では共和政府側につき、難民とともに国境を 人を込け装頼宣 , 公げり上異無師 られた。これらの町では、月行事持名義の家作っことを誇りとした。そのほかに町家の用心棒、越え、三九年亡命先の南フランス、コリュール けんか 収問奉ひそ剃ねた もあり、その店賃で町政運営費を調達する場合 喧嘩の仲裁などの役割も果たした。しかし多くで生涯の幕を閉じた。スペインで最高の詩人の 町中級頬くはっき菱 ばくち 〈有本紀明〉 もみられた。しかし、幕府は町名主支配を指導は定職がなく、博奕と喧嘩を事として、遊里や芝 一人に数えられる。 したため、こうした町々は減少していく傾向に居町を徘徊する無頼の一面をもっていた。旗本回鼓直訳『寂寞』『カスティーリヤの野』 ( 『世 も ひたい あった。 界名詩集大成南欧・南米』所収・一九六一一・ 〈吉原健一郎〉奴の風俗をまねて、はでに抜きあげた額や、紅 みうらすそ 回吉原健一郎著『江戸の町役人』 ( 一九含・吉川 平凡社 ) 絹裏の裾のはねる着物、六方詞をいう独特のこ 弘文館 ) とばを使い、良民を苦しめることもあるので、 さん Machhapu ・ マチャプチャレ山 マーチャーシュ ( 一世 ) Måtyås 一 ( 一四庶民から敬遠されたりもした。これらの弊害の chhare ネパール・ヒマラヤ山脈中央部、ガ 四 0 ー九 0 ) ハンガリー国王 ( 在位一四大 ~ 九 0 ) 。父ため、幕府も本腰を入れて江戸市中の治安を整ンダキ地区にある鋭峰。標高六九九三。ポカ えるべく、 は対トルコ戦で名をはせたワラキア貴族出身の 一六五四年 ( 承応三 ) からたびたびラの村からほば真北に約三〇キロ、東西に連なる フニヤディ・ヤーノシュ Hunyadi Jånos ( 一三町奴の掃討に乗り出し、一六八六年 ( 貞享三 ) アンナプルナ山群のアンナプルナ山第三峰 ( 七五 会 ? ー一四五六 ) 。人文主義者で後のエステルゴム の大検挙により町奴の姿は消えた。〈稲垣史生〉 璧 ) から、南に張り出した尾根の南端にそび 大司教ビテーズ・ヤーノシュに養育され、思想 える。南峰と北峰とがあるが、高度はほとんど マチャード Manuel Machado ( 天七四ー 的影響を受けた。中小貴族に支持されたフニヤ 一九四七 ) スペインの詩人。セビーリヤの生まれ。同じである。この双峰があたかも魚が跳ねてい ディ派と、大貴族と結び付いた国王ラディスラ アントニオ・マチャードの兄。大学で文学を専るようなので、ネパール語で「魚のしつば」を ウス派との争いから、一時プラハに連れ去られ攻、マドリード、 リで文学的ポヘミアン生活意味する「マチャプチャレ」の山名をもつ。一 るが、国王の急死後、一四五八年にシラージ・ も経験している。早くからアンダルシアの民衆九五七年、イギリス隊が西方ルートで尾根に取 ミハーイの大軍と中小貴族の支援を得て即位。性と優美さに根ざした詩を書いている。彼の詩りつき、北峰直下五〇まで達したが、あと登 大貴族排除のため司法・軍制改革を断行。まの洗練された貴族的雰囲気はフランスの象徴主不可能として引き揚げた。いちおうこれが初 ふうび モダニズム た、中小貴族、市民、外国人から登用した官僚義、さらに当時一世を風靡していた近代主義の登頂と考えられている。ネパール人にとって神 による国家行政を始める。これらによる歳出増影響による。『たましい』 ( 一九 (0) 、『カンテ・ホ聖な山で、ネパール当局はこれ以後登山許可を 〈金子史朗〉 1 は、従来大貴族の手中にあった王国収入を取り ンド』 ( 一九一二 ) はその代表的な例。多彩な歴史、与えていない。 必彡 / ク彡 し ' / ド、ロ まとい ものかき たす よう

8. 日本大百科全書 22

、ハ川に四本の棒を立て、そ には宇宙の二大原理としての水と山の対立の観念が強く、た獄に落ちるといわれ、その場合 ず み・とえばインドのアッサム地方のガロ族では山と川の争いの神れに戒名を書いた布を張り、通行人に水をかけてもらうとい かんじよう 言が、ベトナムには山と海の争いの神話がある。日本の海う流れ灌頂を行う。セレベス島のトラジャ族では近親相姦 幸・山幸の神話もその一例である。この対立はときに男と女があった場合、水牛、豚、鶏を川の中で犠牲にし、血の混じ った水中で、近親相姦を犯した当人だけでなく他の村人も皆 の対立に結び付き、ガロ族では山は女と、川は男と結び付い 水浴をし、近親相姦の穢を落とす。バリ島でも近親相姦は村 ている。ただし、ベトナムのように、逆に山は男性原理、水 川の水で清める。ま ( 川、海 ) は女性原理を表すこともある。日本の昔話の「お全体を穢すと考え、浄化儀礼を行い、 ばあ 爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に」という文句た、水浴ではないが、ヌエル族では殺人者は水を崇拝しなけ みそぎ も、同様な解釈も可能であろう。アマゾン流域のデサナ族ればならない。↓禊↓あらう↓洗礼↓沐浴↓水垢離 ほうじ、よう は、食物を男性的なものと女性的なものに分類し、両者を混〔呪的な力をもっ水〕生命をはぐくむ水は、農耕、豊穣、 じゅ かんつう ぜて料理することは姦通のようなものだと嫌う。山でとれる性などに関する呪的な力をもっとされることも多い。日本を ー - にゆ・つ・ はじめとして、豊作を祈願したり収穫に感謝する農耕儀礼 唖乳動物、鳥、アリ、特定の果実は男性的食物、魚、カメ、 は、しばしば水の神への崇拝を伴っている。鹿児島県徳之島 卵、畑の作物は女性的食物であり、また煮たものは女性的と がんたん では元旦の早朝に花米を川の水面に落としてその年の豊凶を され、肉も水で煮ると女性的食物になる。ここにも山とⅡ ( 水 ) の対立、およびそれと男と女の対立との結び付きがう占い、麦の収穫後、稲の収穫後に川に行って水神に供物をす はっすいせつ る。中国、雲南省のシーサンバンナのタイ族は正月に水節 かがえる。 〔聖なる水、清めの水〕汚れを落とすことができる水は、多 ( 水かけ祭り ) を行う。このとき、若い男女は好きな人に水 くの社会で、抽象的な意味でも汚れをとることができると考をかける。日本では、結婚儀礼の過程で、あるいは翌年の正 月に婿や嫁に水をかける「水祝い」という風習がある。これ えられている。すなわち、水で洗うことによって、さまざま もく。よく けがれ な穢を清め ( 沐浴 ) 、清浄で神聖な状態にすることができるは、同時期に若者たちが性的な物体を新婚の家に運んでいく とされる。とくに流れる水、つまり川の水が用いられること風習もあることから、タイ族の例とともに、水が性的豊穣を が多い。『新約聖書』によればヨハネはヨルダン川の水で洗表していると解することも可能である。また、水、とくに神 礼を始め、ヒンドウー教徒はガンジス川で身を清める。日本聖な川や泉の水が病気を治すという信仰も広くみられる。ス いすず コットランドでは牛のジステンパーを治すためにレンガとい の伊勢の五十鈴川も同様の例である。水による清めの目的に う聖石を浸した水を飲ませた。ヨーロッパには病気治しの水 は、宗教儀礼を行う前、またその最中に、俗の状態から聖の の信仰が各地にみられ、とくに復活祭などの聖日に飲むと効 状態に変えるための場合と、なんらかの理由で穢れた状態に き目があるとされる。↓水祝、 なったときに、それを普通の状態に戻すための場合がある。 水はまた魔除けの力があると考えられる。ヨーロツ。ハでは 第一の例として、インドネシアのバリ島で、祭りの前に、祭 りに使う道具類を清めることや、誕生、削歯、結婚などの通魔女は川を渡れないと信じられた。世界各地に、妖怪や死霊 過儀礼の前に、祭司が水を振りかけて清めることがそうであに追われた者が何かを投げ捨て、それが山や川に変形して難 たん る。ヒンドウー教、ラマ教の聖地であるカイラス ( ガンディを逃れるという呪的逃走譚があるが、その際に投げるものは ふもと たいてい石と水と櫛である。これらの例は、水が分断の力を セ ) 山では、麓のマナサローワル湖で身を清めてから、カイ みずごり もっと理解することもできる。生者の世界と死者の世界を分 ラス山を回る巡礼の儀礼を行う。日本の水垢離もこの部類に さんず ける三途の川の観念も広くみられる。北アメリカのテムム 入る。また日本の裸祭で水をかけるのも、一つには清めるた めである。第二の清めの例としては、出産、月経、死、あるニ・ヨクート族の神話でも、死んだ妻を追った男が、川の所 いは重大な罪を犯したことなどによる穢を払うためになされで妻に、生者はこの川を渡れない、といわれる。決別の際に る。メキシコの高地マヤ族は出産後三日目に川で体を洗って酌み交わされる水杯も同様に解釈しうる。さらに、水は占い ニューギにも用いられる。水面を凝視して占う方法、水中に何かを投 清める。それまでは十字架に祈ることはできない。 ニアのアラベシュ族では、妻が出産後、夫は神聖な池で水浴げ入れてその浮沈で占う方法などがある。ポリネシアのタヒ して穢を落とす。アフリカのヌエル族では死者の持ち物は水チ島では、盗難事件のとき、穴を掘って水を入れ、水面に映 で洗って清める。日本で、出産時に死んだ女性は、血の池地る姿から盗人を特定した。メキシコの高地マヤ族は、病気治 せ 水 / 名水百選 ノ / ノヒヒ、 幵ム見 所在地 名称 羊蹄の噴き出し愑水北海道虻田郡京極町 北海道利尻郡東利尻町 甘露泉水 北海道千歳市蘭越 ナイベッ川湧水 とみた 青森県弘前市大字紙漉町 富田の清水 青森県南津軽郡平賀町大字唐竹湧水 の水 一男・小 龍泉洞地底湖の水岩手県下閉伊郡岩泉町 「男水 . 金沢清水 岩手県岩手郡松尾村寄木 「男・小 宮城県栗原郡高清水町 清水 広瀬日 宮城県仙台市 一男・小 秋田県仙北郡六郷町 六郷湧水群 「屮卩水 . 秋田県湯沢市字古館山 カ水 月山山麓湧水群山形県西村山郡西川 一屮卩水 . 山形県東根市羽入 「男水 . 西山麓湧水群福島県耶麻郡磐梯町 「屮卩水 . 福島県耶麻郡北塩原村 小野川湧水 やみぞ 「男水 . 八溝川湧水群 茨城県久慈郡大子町 いずる 「屮ノ水 . 出流原弁天池初水栃木県佐野市出流原町 しさつじんざわ 一男水 . 栃木県塩谷郡塩谷町上寺島 尚仁沢湧水 用水 群馬県甘楽郡甘楽町 蜘雌堰 甬を水 . 箱島湧水 群馬県吾妻郡東村大字箱島 一男水 . 埼玉県大里郡寄居町 布川・日本水 熊の清水 千葉県長生郡長南町佐坪字滝ノ上湧水 一屮卩木 . おの道・真姿の池東京都国分寺市西元町 湧水群 東京都青梅市 御岳渓流 「男・小 盆地湧水群神奈川県秦野市 瀑布・河川 の滝・滝沢川 神奈日 丿県足柄上郡山北ー りゅう 龍ケ窪の水 新潟県中魚沼郡津南町 とどの 男水 . 杜々森湧水 新潟県栃尾市西中野俣 黒部川扇状地湧水群富山県黒部市、下新川郡入善町湧水 あなれたん 一男 . 小 富山県中新川郡上市町 穴の谷の霊水 富山県中新川郡立山町 立山玉殿湧水 ・フり・り 瓜裂の清水 富山県東礪波郡庄川川 一男・小 弘法池の水 石川県石川郡鳥越村字釜清水 こわーうど 古和秀水 石川県鳳至郡門前町 甬ク水 . 御手洗池 石川県鹿島郡田鶴浜町 一男 . 小 福井県遠敷郡上中町 - 瓜割ノ 男水 . お清水 福井県大野市泉町 福井県小浜市神宮寺 鵜の瀬 「男水 . 山梨県南都留郡忍野村 八ヶ岳南麓高原水群山梨県北巨摩郡長坂川 はくしゅうおじら 山梨県北巨摩郡白州田 白州・尾白川 一屮卩 2. 猿庫の泉 長野県飯田市羽場 わさびⅢ水群長野県南安曇郡豊科町、穂高町湧水 ひめがわ 一男・小 長野県北安曇郡白馬村 姫川源流水 一男・小 宗祇水 ( 白雲水 ) 岐阜県郡上郡八幡町 長良川 ( 中流域 ) 岐阜県美濃市、関市、岐阜市河川 養老の滝・菊水泉岐阜県養老郡養老町養老公園内湧水 「男 . 小 静岡県駿東郡清水町 柿田川湧水群 木曽川 ( 中流域 ) 愛知県大山市ー可児川合流点 三重県四日市市智積町 一男・小 智積養水 ようてい かんろ にしさんろ ( 310

9. 日本大百科全書 22

キ、存がよい。近世の街道交通にかかわるものとしては、奥州街道『斎太郎節』とともに県の代 宮城県 / 略年表 やや浜街道、および奥羽山脈越えの脇街道の一つ七ケ宿街道の表的民謡である。 かみとぎわ 旧石器時代岩出山町座散乱木遺跡、古川市馬場壇遺跡 年中行事としては、一月一 み・上戸沢、下戸沢 ( 白石市 ) には旧宿場町の街村形態が残ってお たけ第一ま ありかべ かんなり おおひら 縄文時代白石市松田遺跡、七ケ浜町吉田浜貝塚、小牛 り、大衡村には街道の松並木が、また金成町の旧有壁宿本陣日の塩竈神社と岩沼市竹駒神 がんたん たかしみず 田町素山貝塚 ( 早期 ) 、七ケ浜町大木囲貝塚、 社への元旦詣での風習があ ( 国の史跡 ) や築館町、高清水町の本陣跡などの旧観が残り、 鳴瀬町宮戸島貝塚、石巻市沼津貝塚 ( 前期ー どんと はなやま り、大崎八幡神社の松焚祭 仙台藩花山村番所跡 ( 国の史跡 ) も当時の姿をとどめている。 晩期 ) まごめ 弥生時代仙台市南小泉、多賀城市桝形囲、塩竈市崎山 ( 一月一四日 ) 、塩竈神社の帆 馬籠 ( 本吉町 ) は一六〇六年 ( 慶長一一 ) ごろより約三〇〇年に とうや 囲などの遺跡 ( 中期ー後期 ) わたり仙台藩の砂鉄による製鉄の行われた地で、炯屋とよば手祭 ( 三月一〇日 ) と、みな 古墳時代名取市雷神山、小牛田町京銭塚、名取市山囲、 と祭 ( 八月四、五日 ) 、竹駒 れる製錬場の跡が各所に残っている。初期の製鉄従事者には 涌谷町追戸、丸森町台町などの古墳 はつうま キリシタンが多く、神社の神体など十字架をかたどった鉄製神社の初午祭 ( 旧暦二月初午七 0 九和銅 = 巨勢麻呂、蝦夷を討伐 おいのか 七 = 四神亀一多賀城に陸奧国府、鎮守府が置かれる、木ノ 品が多く残されているが、異教の禁以後弾圧を受け、狼河の日から七日間 ) 、牡鹿町黄 おおかご わらとうわ 下に国分寺、国分尼寺建立 原 ( 東和町 ) や岩手県の大籠 ( 藤沢町 ) とともにキリシタン殉教金山神社の五月の初巳大祭、 だし にしかみざわ 九駄一障奧守百済王敬福、黄金を献す の地となった。狼河原に近い西上沢では、奥州キリシタンの栗駒町の栗駒山車まつり ( 七 耄四宝亀五大伴駿河麻呂、蝦夷を討伐 じゅあん 中心人物で、異教徒禁令に従わなかった後藤寿庵の墓碑が発月下旬 ) 、石巻市の川開き 天 0 一一蝦夷反乱、按察使を殺し多賀城に侵入 たな まいや 合一延暦一一 0 坂上田村麻呂、蝦夷を討伐 見されている。米谷 ( 東和町 ) には、荒鉄を精錬し、武具を製作 ( 八月一、二日 ) 、仙台市の七 ばた おかじ 一三田村麻呂、鎮守府を胆沢城に移す 八日 ) 、松島 した御鍛冶屋敷跡がある。このほか、国指定史跡には名取市タ祭 ( 八月六 とうろう こがねやま たじり 一 0 至永承六安倍頼時反し、前九年の役起こる ( ー一 0 六一 l) の雷神山古墳、涌谷町の黄金山産金遺跡、田尻町の木戸瓦窯町の灯籠流し ( 八月一五日 ) 、 一 0 会永保三後三年の役起こる ( ー一 0 八七 ) じようのさく みようのだてかんが 跡、中新田町の城生柵跡、古川市の名生館官衙遺跡などがあ鳴子町のこけし祭 ( 九月七 ~ 一一大治承一一角田市高蔵寺阿弥陀堂建立 あみだ ぎぞう 一一兊文治五源頼朝、奥州征伐 る。また角田市高蔵寺の阿弥陀堂および阿弥陀如来坐像、築九日 ) 、築館町の薬師まつり 館町双林寺の薬師如来坐像、牡鹿町の十一面観音立像などが ( 一一月上旬 ) などはいずれ一 = = = = 陸奥守北畠顕家、多賀国府に入る 一吾一 = 大永二伊達植宗、陸奧国守護となる も郷土色豊かな民俗行事であ あり、いずれも国の重要文化財に指定されている。 一吾一六天文五伊達稙宗、塵介集を定める うたまくら 宮城県で特筆すべきは、古来歌人に親しまれた歌枕の地る。仙台の七夕祭は他地方の 一天九天正一七伊達政宗、蘆名氏を滅ばす おおとものやかもち すめらぎ あずま 一九政宗、米沢より岩出山に移る の多いことであろう。大伴家持が「天皇の御代栄えむと東七夕祭りと同様の伝習に加 ききん みちのくやまくがね 一六 0 一慶長六政宗、岩出山より仙台城に移る なる陸奥山に金花咲く」 ( 巻一八 ) と詠んだ地は『万葉集』え、この地方が冷害や飢饉に たけ 九松島五大堂完成 一六 0 四 のなかでもっとも北の地といわれる。宮城野、末の松山、武悩まされることが多かったた 一六皂 一一一大崎八幡神社造宮なる おだえ まのかやはら 隈の松、野田の玉川、緒絶の橋、真野の萱原などの歌枕があめ、田の神信仰とも結び付い 一四松島瑞巌寺方丈の上棟式 ド・。し・よう 一八支倉常長ら遣欧使節出発 ( 一六一己帰国 ) たものといわれるが、現在で り、芭蕉の『おくのほそ道』の句碑も多い ほういんかぐらししおどり 一空六寛永三 川村孫兵衛重吉、北上川付替工事を完成 民俗芸能では法印神楽、鹿踊がよく知られている。法印 は観光的な七夕行事となり、 とめ やまぶししゅげん 九仙台藩の江戸廻米始まる 神楽は牡鹿、桃生、登米、本吉の各郡で行われ、山伏修験の例年二〇〇万人以上の観光客 一三政宗没、家臣一五名殉死 神楽が農民たちによって受け継がれている。石巻市の「牡鹿を集めている。 一奕 0 万治三三代藩主伊達綱宗、幕府に逼塞を命しられる ( 伊達騒動の発端 ) 法印神楽」、仙台市の「大崎八幡神社の能神楽」は選択無形次に宮城県の衣食住につい 民俗文化財。鹿踊は本吉、栗原、名取、柴田、宮城などの諸てみてみよう。伝統を引き継 = 宅一寛文一一河村瑞賢、東廻航路を整備 かわまえししおどり けん 一六九一元禄四岩出山に学問所有備館設置 郡で行われており、仙台市宮城地区の「川前鹿踊・川前剣ぐ衣服としては、高級絹織物 一七一一六元文一仙台藩学問所養賢堂開設 ひら 舞」は選択無形民俗文化財。田植踊は県内各地にあり、仙台の仙台平と八ッ橋織、藩士や 一大 = 一天明三大飢饉。仙台城下に打毀起こる あきう 一大六 六林子平『海国兵談』を著す 庶民の婦女子が自家用につく 市秋保地区の「秋保の田植踊」は国の重要無形民俗文化財に 一会〈明治一戊辰戦争、仙台藩降伏 指定されている。このほか、国指定重要無形民俗文化財に金った地織木綿があったが、後 . おド・さま 一全 0 三亘理領主伊達邦成、家臣ともに北海道に開拓 成町の「小迫の延年」、気仙地方の農耕行事「室根神社祭の者については、その染色技術 移住 しぐれ マツリバ行事」がある。民謡では『さんさ時雨』『遠島甚句』が常盤紺形など藍染めの手法一全 四仙台県、一関県設置 さいたらぶし しおがま やまうた 五仙台県を宮城県と改称 『斎太郎節』『塩釜甚句』『秋の山唄』『わしが国』『松島甚句』として伝えられるのみであ しふおり 九現在の宮城県域となる。一関県は岩手県に統 などがあって東北地方の他県と同様に豊富である。とくに格る。白石地方に伝わる紙布織一〈実 合される は絹糸と紙糸 ( 和紙 ) とで織 調高い祝い唄の『さんさ時雨』は漁村で愛好される勇壮な つきだて わき じんく がねやま て はつみ はせくらつわなが 祭服 ( 支倉常長 の請来 ) 重文 仙台市博物館 ↓荷陀茹来坐像 重文 角田市 高蔵寺 一ッ 1 縄文鉢 小半田町山前遺跡出土小牛田町教育委員会 嶐国分寺薬師堂重文仙台市 450

10. 日本大百科全書 22

みやぎ った高級織物であったが、現在はその技術を残すのみであげをよくとどめている。明治一〈〈 = 一五仙台城二の丸、雷火のため大手門を残し焼失 わかやなぎかや おうみ 一九仙台に第一一高等中学校 ( 旧制第一一高校 ) 設置 る。若柳蚊帳は衣料原料の麻を用いて珍重されたが、近江期の洋風建築もしだいに姿を とよま 110 東北本線、郡山ー塩釜間開通 蚊帳に押され、大正期以後衰退した。 消し、登米町の登米尋常小学一〈全 うーめん 天〈九 一一一一仙台に市制施行 白石市には風土の特色を生かした饂麺の特産があり、岩出校は当時の数少ない建築物と しみどうふ 一〈九七 三 0 「河北新報』創 山町の凍豆腐は冬季乾燥気候を利用したもの。一般家庭用のして国の重要文化財に指定さ 三一常磐線開通 もち 食べ物としては、大豆の青豆をつぶして餅につけて食するずれている。農家建築では、屋一九皂 四 0 東北帝国大学創設 一九一〈大正七仙台市に米騒動起こる んだ餅と、干しはぜでだしをとり、凍豆腐、かまばこ、セ敷林に囲まれた茅葺き屋根の 一空〈昭和三仙台放送局放送開始 リ、ダイコン、サケの腹子を用いてつくる正月の雑煮などが ヒロマ型家屋が一般的で、名 八三陸沿岸に大津波襲来 特色ある郷土食といえよう。 取、官城両郡には田字型の間 一九 = 一六 一一東北興業株式会社設立 一九 土蔵造の商家が多く残っているのは古川市および村田町取りのものがみられる。屋根 二 0 仙台市大空襲 よせむね ーン台風来襲 で、とくに村田町は在郷商人と地主の町として当時のおもか は一般に寄棟であるが、養蚕一九岩 一一六北上川一帯、国土総合開発特定地域に指定 が盛んだった県南部の地方で かぶと 一九至 一一七第七回国民体育大会、宮城、山形、福島の三 地興水きのもし吉 倉振 , でヘ在と町 は半切妻の兜屋根がみられ、 県会場で開催 とめ 穀産漑い戸現地わ和 の米灌注江 , 作 ~ 大 三一一仙台空港開港 また北部の栗原、登米の地方一九 いりもや 県は , をのは米 一突 0 三五チリ地震津波、三陸沿岸を襲う は藩水力て地のる には入母屋造がある。煙抜き 野台治につ給数れ 三八仙台湾臨海地域、新産業都市に指定 平仙め張か供有ら近用に破風がつけられることが た拡。の国知付 一九七一 四六仙台新港開港 仙帯の田た米全て岡多いが、登米・本吉地方では 一九茜 四九東北歴史資料館オープン けせん 気仙大工の手になる、棟の上亳〈 五一一一宮城県沖地震発生。東北自動車道県内全通 しんし 宅 一九全 五七東北新幹線開業 に神祠をのせたような堂々た 一九会 五九女川原子力発電所営業開始 る破風が人目をひく。門構え 一九全 六一一「未来の東北展」開催。仙台市営地下鉄開業 としては北部に多い長屋門 ちゅうもん ( 中門 ) が目だっ。門の片側または両側に納屋、作業場など米町の八坊戻し、鳴子町の弁慶笈掛け松・判官松などがあ かなん なごり を設けた間口が一〇間 ( 約一八 ) 以上もある白壁の建物でる。河南町の笈入りの柳は、義経が武運を祈った名残の木と ずいしんひたちばうかいそん 伝える。義経の随身「常陸坊海尊」は、義経・弁慶が討ち死 ある。これら伝統ある農家建築のうち、旧中沢家住宅、口 家住宅、旧佐藤家住宅、我妻家住宅などが、国の重要文化財にをしたとき釣りに出かけており、不思議な老人より珍魚を ちそう せいえっ に指定されている。 〈長谷川典夫〉馳走され、それ以来不老長寿の身になった。名を清悦に改め さかのうえのたむらまろ あおそ どうくっ 〔伝説〕「坂上田村麻呂」将軍に関する伝説は東北地方に多ていたが、青麻神社 ( 仙台市 ) の洞窟にこもると告げて去っ あずまえびす いが、当県も例外でない。田村麻呂は、東夷の強豪「アテたという。伝説では義経は東北の各地を漂泊したと伝えてい ルイ」と一〇年にわたった死闘を繰り返した。アテルイは伝る。義経の身替りになって死んだのは「相目小太郎」で、そ やま かんなり 説上では「大竹丸」の名で登場する。大竹丸は、侵略者の大の墓は金成町判官ノ森にあるという。 おののこまち 和朝廷の遠征軍に多くの損害を与えた。鬼神もしのぐすさま 「小野小町」の伝説も多い 小町の生誕地は鳴瀬町の小町 じい奮戦ぶりから鬼になぞらえられたが、ついに討たれ、斬原、その墓は古川市新田の小町塚といわれている。松島町に おにこうべ さくらわたりど られた首は空中高く舞い上がり、落ちた所がのちに鬼首ある「桜渡戸」は、ト / 町が老残の身を養った所という。ま たた ずいがん ( 鳴子町 ) の地名となった。大竹丸の祟りを恐れて田村麻呂た柴田町の観音堂には小町の持仏が祀られている。瑞巌寺門 まっ とみやま こうれんにのきば が観音を祀ったのが松島町の富山観音であるという。そのほ前町には「紅蓮尼と軒瑞の梅」の伝説がある。親同士が約束 えみしづか だんののだけ ばていせきみそ か、蝦夷塚、将軍壇、篦竹、花立て壇、将軍馬蹄石、禊ぎ清した結婚で女が嫁いでくると、男はすでに死んでいた。女は ばぎゅうめま くどく おばさま 水、色の清水、鏡ケ池、赤沼、馬牛沼、馬塚、小迫観音、尼になり、梅の木に歌を詠んで語りかけると、梅は歌の功徳 まいの 第しようどう くどく 舞野観音、古将堂などは蝦夷征伐ゆかりの地といわれてい によって花を咲かせたり、咲かせなかったりしたという功徳 よしつね ほうがん たん こづる 亠る。ついで多いのは「義経伝説」で、いわゆる判官びいきか譚である。「水辺の伝説」も広く分布している。仙台市小鶴 くら たん いちはさま あやし わかさのどて ら生まれた貴種流離譚である。栗駒町の鞍掛け石、一迫町の「小鶴ケ池」、仙台市愛子の「小鶴ケ池」、中田町若狭土手 あきうしずかごぜん ちごづかとよ ひとみごくう の弁慶石、仙台市秋保の静御前腰掛け石、松島町の児塚、登の「お鶴明神」などは人身御供に結び付いた伝説である。利 4 べんけい かやぶ あがつま まらぐち 社鹿法印神薬石箞市