はイラク、イラン、モロッコなどから姿を消し 、体重一五〇 ~ 一一六〇キ。に達するが、雌はず長毛が発達する。耳は先が丸く、耳介の裏面は量とプライドの大きさによって異なるが、四〇 ~ 五〇〇平方キロである。狩りは普通、夕方から っと小形である。頭骨などはトラに似るが、体基部が黒く白斑がある。体色、たてがみの長さ た。現在ではアフリカの内陸部と、わずかにイ ンド西部のガー森林に残るだけである。草原やっきはトラに比べて胴が短く四肢が長く、腹がや色、腹面の長毛の分布、体の大きさなどは地夜間に行われるが、日中もしばしばみられる。 いくつかの亜種に分プライドの雌たちが協力して獲物を倒すことが 乾いた半砂漠地帯にすみ、アフリカではアカシ締まり、跳ぶことよりも走るのに適する。外観方によって違いがみられ、 けられている。 アの木が散在するサバンナの川沿いの土地に多はトラとまったく異なり、幼獣は暗褐色ないし 多いが、雄が協力することも、自力でとらえる はんてん く、インドでは落葉樹のチークにアカシアなど黒色の斑点があるが、普通、生後半年を過ぎる 〔亜種と分布〕最大の亜種はケープライオン ことも知られる。また、ヒョウ、チーター がまばらに生えている林に生息する。 とはとんど消失する。尾の先端には暗褐色の房、、 . ミきで、正確な記録はないが、 イエナなどの獲物を横取りすることもある。獲 シマウマ、トムソンガゼル、イボイ 〔形態〕トラとともにネコ類のなかで最大で、毛がある。雄は一歳半ごろから特有のたてがみ体長二・四、尾長九〇ほどもあったといわ物はヌー 雄は体長一・六 ~ 二・四、尾長七五 ~ 一〇〇を備え始め、ほかに肘やかかと、胸から腹にもれる。体は黄褐色、たてがみは純黒色で長く肩ノシシで、アフリカゾウの子やスイギュウ、サ よりも後方に達し、腹面にも黒い長毛がある。 イなどをも襲う。走る速さは時速四八 ~ 六〇キ。 ケープとナタールに分布したが、一八五八年か に達するが、追跡距離は一〇〇 ~ 二〇〇であ ら六五年の間に絶滅した。この亜種と並び大形る。なお、一跳びで幅一二、高さ三・六を といわれるのがバ ーバリライオン P. l. 一き超えるという。一頭のライオンは一年間に体重 で、体は暗黄褐色、たてがみは黒毛が多く長く 一二〇キ。の獲物を二〇頭ほど食べ、一度に一三 ~ 二七キ。の食物をとる。 肩を越え、胸から腹にも黒茶色の長毛がある。 北アフリカのノ ヾーバリ地方からエジプトまで分 繁殖期は一般に不定で、子は一年中みられ 布したが、一九二二年ごろに絶滅した。現生する。妊娠期間は一〇〇 ~ 一一六日、一産二 ~ 四 る最大のものは、南アフリカのトランスパール子である。雌親は乾期であれば川辺の茂みなど ライオン P. ~. 守 e 、 ~ ・と、セネガルからナイで、雨期なら小高い岩陰などで出産する。子は ジェリアに分布するセネガルライオン P. l. 体長二〇前後、尾長一〇前後、体重一・一一 一・五キ。ほどで、目はほとんど閉じている。 se ミ ~ で、体長二前後、尾長九五前 後に達する。たてがみはそれほど長くなく、体目は二 ~ 三週間で完全に開き、八 ~ 一〇週間乳 の下面の長毛もない。中形のものは、アフリカ東を飲む。三週間ほどで歩けるようになり、四 ~ ラ 部のマサイライオン P. ~. き ss s 、ウガン五週間で動くものを追ったりじゃれたりし、五 ~ 七週間で雌親のあとをついて歩くようにな 週ダライオン P. 一 . ミ ~ き e と、アフリカ南部 のカタンガライオン P. ~. 60e こ e 、カラる。二歳ほどで独立し、三 ~ 四歳で性成熟す る。飼育下での寿命は二五年である。 ハリライオン P. I. ミ、きで、体長一・九賢 前後、尾長九〇前後である。アジアに分布〔人間との関係〕かってはアフリカからインド する唯一の亜種インドライオン P. 一 . ミ・ にかけて広く分布したライオンも、文明の発達 による草食獣と生息地の減少で各地から姿を消 、も中形で、体長一・九五、尾長八三 ぐらいである。外形はバーバリライオンに似 し、植民地時代には狩猟が加わって分布域はさ ている。個体数は二〇〇頭ほどで、絶滅が心配 らに狭まった。その間にしばしば「人食いライ され、厳重に保護されている。小形のものは、 オン」が出現している。なかでも、一八九八年 アフリカ北東部に分布するソマリライオン P. に東アフリカのウガンダ鉄道の工事キャンプを l. s をミとアビシニアライオン P. 、 . き・襲った二頭のたてがみのない雄ライオンの話 ose ミミで、体長一 、尾長八〇ほどでは、「ツアボの人食いライオン」として有名で 定 、竃一ある。ソマリライオンはたてがみが貧弱で肩にある。このライオンは、工事に従事していたイ は達さず、しばしばたてがみのない雄がみられンド人二八人と数十人の原地人を食い殺したの である。九か月余りして二頭のライオンは射殺 鼻一繁る。アビシニアライオンはたてがみは短いが、 腹面に黒い長毛があり 、ヾーヾリライオノに似 され、標本としてシカゴのフィールド博物館に っている。 陳列されている。野生のライオンは減少しつつ 〔生態〕普通は群れで生活する。群れは、平均あるが、世界各地の動物園などでは繁殖率が高 く、増加を抑えるのに苦慮している。また、日 すると二頭の雄の成獣、六頭の雌の成獣、一頭 の雌の亜成獣、二頭の一歳以上の子、五頭の一本でもペットとして家庭で飼育されることがあ 歳未満の子からなり、プライド pride とよば るが、地方自治体では事故防止などのために 、オ、、い一ま三 れる。ほかに若い雄だけの群れも知られる。プ「動物の保護および管理に関する条例」 ( いわゆ 3 らラ 雌ライドははば一定の行動圏をもち、広さは食物るべット条例 ) を設けつつある。〈今泉忠明〉 ひじ
の上が若き未亡人となってからも、二人の間に性や数の区別がなく、文の構造は英語などに似数年後、若い女優ローズマリーが彼を愛し、そ鎧よろい武具の一つ。甲・介とも書く。お 〈湯川恭敏〉れがきっかけで、張り詰めていた彼の心のバラもに戦陣において、敵の放っ矢や刀・長刀など は内外の障害が絶えない。すべての障害が除かている。 えん 1 」 れたときには、女主人公の心は男君を離れ、彼ヨルバ族・ーぞく Yoruba アフリカ、ナンスが崩れる。妻をはじめ、すべての人を幸せの攻撃から身体各部を掩護するために着用した しょぐそく どう - 一う がん にしようと奉仕生活を送る間に、彼の青春は失もので、胴甲を中心とする諸具足の名称であっ イジェリア南西部からべナン共和国、トーゴ北 岸を希求していた。 かっちゅう すさ た。頭にかぶる兜とあわせて甲冑という。平 女の危機のたびに彼女の意志と責任で生き抜部にかけての地域に居住する黒人種族。推定人われていた。しだいに荒んでいくディックとは ばっ・一う くことを課し、そのつど、心の深層を探り当て口一五〇〇万人 ( 一九七一 (l) 。ヨルバ語を話す。ャ対照的に、精神の健康を取り戻したニコルは新安後期、武士階級の勃興とともに、一〇世紀に おおよろい しつよう 日本の代表的な鎧として完成をみた大鎧は、 ム、キャッサバ、メイズなどを主作物とする農しい恋人をみつけ、彼と別れる。 るなど、執拗なまでの心理追求に特色をもつ、 この作品の執筆当時、作者自身の人生が崩壊騎射戦に対応する甲冑として上級武士の間に盛 女が女の心を描いた特色ある長編物語である。耕民であるが、古くから交易活動をよくし、タ 『源氏物語』の影響下にあり、大きい欠巻をもカラガイを貨幣として用いていた。伝統的に大に向かっていた。また時代的にも、アメリカ社行をみたが、南北朝の争乱を経て、白兵集団戦 ばそく かそっ が戦闘の主体となると、馬側の下卒たちの武具 ちながら傑作と称されるのは、この特色によ規模な都市的集落を形成し、人口の大部分がそ会は一九二〇年代の繁栄から三〇年代の不況に どうまるはらまき ちょうらく 転落していた。そのような「凋落」の悲しみであった軽装の胴丸や腹巻が武将の間にも用い る。なお、これを題材とした絵巻『寝覚物語絵こに居住するという生活様式のために、アフリ が作品全体に潟み出ている。滅びゆくものの美られるようになった。一六世紀の中ごろ西洋甲 巻』一巻 ( 国宝、奈良・大和文華館 ) が現存す力でも特異な都市居住民として知られてきた。 とうせいぐそく しさをたたえ、不思議な魅力をもっ作品であ冑の影響を受けて、当世具足が用いられるよう 〈鈴木一雄〉 ヨルバ全体が政治的に統一されたことはなく、 る。↓寝覚物語絵巻 あづち 〈渥美昭夫〉 になり、大鎧は儀礼的な装具と化し、安土桃山 回阪倉篤義校注『日本古典文学大系夜の寝イフェ、オョ、イジェシャ、イジェブ、オンる。 覚』 ( 一突四・岩波書店 ) ▽鈴木一雄校注・訳ド、エキティ、エグバなど一三世紀から一四世回谷口陸男訳『夜はやさし』全二冊 ( 角川文時代以降一時廃絶状態に陥った。〈渡辺一郎〉 ョロイイソギンチャク〔鎧磯巾着〕 紀にかけて成立したとみられる多数の王国から 『日本古典文学全集四夜の寝覚』 ( 一九七四・ ・一うちょう 学館 ) ▽鈴木一雄・石埜敬子校注・訳『完なる。それらの王国の王はすべて、一人の神話夜への長い旅路よるヘのながいたびじ Long ゝミぎミき ) を腔腸動物門花虫綱六 的始祖オドウドウワの子孫とされるが、政治組 Day's Journey lnto Night アメリカの劇放サンゴ亜綱イソギンチャク目ウメポシイソギ 訳日本の古典夜の寝覚曰 O 』 ( 一九会、会・ ンチャク科に属する海産動物。本州、四国、九 織の構成は、王国ごとに大きく異なる。親族組作家オニールの四幕戯曲。一九四一年作。五六 小学館 ) 夜の果てへの旅よるのはて〈のたび Le voy ・織についても、北部が父系の地域集団を形成す年初演。「オニールの遺書」ともいわれる自伝州に分布する。ウメポシイソギンチャク科のな かで、体壁上端と触手との間に周辺球があり、 色濃厚な作品。ニュー・イングランドの小さな age au bout de la nuit フランスの作家るのに対して、南部は双系的な傾向を示すとい りゅう りんしよく う相違がみられる。伝統的宗教は、職能神や自港町の別荘を舞台に、吝嗇で芸術家としては体壁に吸着瘤の列をもっゝミぎミき属に属 セリーヌの長編小説。一九三二年刊。語り手の 医学生バルダミュはひょんなきっかけから兵役然が神格化された人格神に対する祭祀を中核と失敗した俳優の父、麻薬中毒の母、アル中の兄、する。体高は四 ~ 七、体幅は四 ~ 六で、体 を志願、第一次世界大戦に駆り出されて負傷、する多神教であるが、今日では大多数がキリス結核を発病した詩人気質の弟 ( 青年時代の作壁、触手とも褐色系、周辺球はクリーム色であ はギ、ま のろ る。触手は五環列の九六本。隔膜は四環列の四 者 ) の四人家族が、愛情と憎悪の狭間で、互い 戦争を呪いつつ別天地を求めて遍歴の旅に出ト教やイスラム教に改宗している。 八対で、第一から第三環列は完全隔膜となり生 に傷つけ責め合いつつ理解し許し合うという凄 一一〇世紀初頭に、古都イフェで発見された・フ る。しかしアフリカでは植民地支配の醜さをみ ぜっ 殖腺をもつ。本州中部の岩礁海岸の潮間帯上・ せつけられ、アメリカでは機械文明に疎外されロンズ製の人像は、一三世紀ころの作と推定さ絶なありさまが、ある夏の朝から深夜までとい 中部ではもっとも普通にみられ、体壁の吸着瘤 う古典的時間構成のなかでリアルに描かれる。 た人間の形骸をみいだすばかり。絶望したバルれているが、そのアフリカらしからぬ写実的な しようふ は日本産のこの仲間ではもっとも吸着力に優 作風と完成度の高さは、ヨルバ文化の質の高さ作者は家庭の恥部を暴露したこの作品を「血と ダミュは娼婦モリーの純愛をも振り切ってバリ 一九涙がつづった古い悲しみの劇」とよび、死後一一れ、体壁上半には虫体の体壁が見えないほど多 を世界に知らしめた。『やし酒飲み』 ( 一九五一一。 に戻り、医者を開業。場末の貧民街のいじまし くの小石や貝殻片をつけている。 3 イソギン 五年間の上演を禁じたが、夫人の判断で公表さ い日常に身を沈める。戦場以来行く先々に現れ七 0 ・晶文社 ) で知られる異色の作家ェイモス・ 〈内田紘臣〉 る分身ロバンソンの死。俗語を駆使した破格のチュッオーラや、一九八四年 ( 昭和五九 ) に来れた。作者畢生の名作である。〈一ノ瀬和夫〉チャク 文体と、それによってのみ可能なユーモアと詩日した、アフリカ現代音楽の旗手キング・サニ回清野暢一郎訳『夜への長い旅路』 ( 一九五六・白ョロイイタチウォ〔鎧鼬魚〕 armored weasel/ 0 ob 、ミミミミミ硬骨魚綱 水社 ) ・アデも、八六年ノーベル文学賞を受賞した 情と醜悪の調和が、この絶望の書を第一級の文 みず 学たらしめている。 〈高坂和彦〉ウオレ・ショインカもヨルバ族である。↓ヨル寄倍水よるべのみず古社には神前に置く水アシロ目アシロ科に属する海水魚。太平洋側は がめよるべ バ語 〈渡部重行〉甕を寄瓮と、 しし、それに入れた清水を寄倍水と千葉県、日本海側は新潟県以南、長崎県まで分 回生田耕作訳『夜の果ての旅』 ( 中公文庫 ) ▽ そくへん 高坂和彦訳『セリーヌの作品 1 夜の果てへ E)A«・ O ・ロイド著、高部義信訳『ヨルバ族』称し、神霊がこの水に宿ると信じられている。布する。体は延長して側扁し、尾端はとがる。 ふん ( 『世界の民族二熱帯アフリカ』所収・一九鹿島神宮には寄倍水とよぶ水甕が伝存し、摂津吻は円鈍。鰓蓋に一本の強い棘がある。背びれ の旅』 ( 一九会・国書刊行会 ) みたらし すみよし と臀びれは一基で後方に延長し、尾びれに連な 大・平凡社 ) ▽山口昌男著『アフリカの神 ( 大阪 ) の住吉大社では御手洗川を寄倍水とし、 ーーごアフリカ原地語のなかで ・」うぶ かわち こんだはちまん 河内 ( 大阪 ) の誉田八幡では池の名とし、京都る。腹びれが目の下方 ( 喉部 ) にあることが大 話的世界』 ( 岩波新書 ) も有力なものの一つ。ナイジェリアを中、いに、 きな特徴。体の背側は淡い赤褐色で、腹側は白 の上賀茂には摂社片岡社の後方に「よるべの 一〇〇〇万人以上の話し手人口を有する。グリ夜はやさしよるはやさし Tender ls the 体長七〇に達する。大陸棚縁辺部から大 ーンバーグ J. H. Greenberg ( 一九一五ー ) の Night アメリカの作家・・フィッツジェ水」があって、その水の奇特は三世相を現すと くでん 分類では、ニジェール・コンゴ語派のクワ語群ラルドの長編小説。一九三四年刊 ( 決定版一九のロ伝がある。古歌に「神さびてよるべにたま陸棚斜面上部にかけて生息し、機船底引網で漁 るあまみずのみくさゐるまで妺を見ぬかな」獲される。吸い物種、ちり鍋、フライなどで賞 (I)O アメリカ人の精神病医ディック・ダイバ 力に属せしめられている。音韻的には、と、 おうぎしよう いなりみまへ 〈岡村收〉 ーは、スイスの療養所に入院中の富豪の娘ニコ ( 奥義抄 ) 、「稲荷山御前の谷の底ふかみ神のよ味される高級魚である。 > b•o との二重調音子音を有し、アクセントは高 よろいがたかんたくち新潟県西 9 ろ低アクセントで、高・中・低の三段階を区別すル・ワレンと恋に落ち、結婚する。南仏リビエるべの杉の下水」 ( 春葉集 ) などと詠まれてい鎧潟干拓地 かんばら る。 〈菟田俊彦〉蒲原郡の新潟平野中央にあった潟湖群の一つ旧 ラに家を構え、妻のために献身的に奉仕する。 よる。母音は七母音である。文法的には、名詞に ひっせい せん しり かぶと
らん 亜科 産地 種名 属名 ラビアータ , トリアナェ , ボウリンギアナ , 熱帯アメリカ カトレア朝″ん ワルケリアナ レリア砒 アンセプス , パープラータ , プミラ , テネプロサ熱帯アメリカ 50 ソフロニティス So がげ 0 〃″な コクキネア , セルヌア プラジル , パラグアイ 5 エピデンドラム E が〃イ川 シンナバリナム , ファルカタム , ポーパックス熱帯アメリカ 1 000 マスデバリア M 〃 熱帯アメリカ ( 高冷地 ) コクキネア , インフラクタ , イグネア 250 デンドロピウム D の川厖″襯 セッコク , ノピル , フォルモサム , ファレノブシス熱帯アジア ~ オーストラリア , 日本 900 バルポフィラム召″ 0 効んん襯 マメヅタラン , シコウラン , ロスチルディアナムアジア熱帯 ~ 温帯 , 熱帯アフリカ , 南アメリカ 1 000 工リデス夜イ ローレンセ , オドラタム , フィールディンギイ熱帯アジア 20 ドリチス〃 0 な プルケリマ 熱帯アジア 2 ファレノブシス P 0 かな アフロディテ , シレリアナ , ヒ・オラセア , パリッシー熱帯アジア ~ オーストラリア 50 リンコスチリスん坦 os な ギガンテア , レッサ , セレスティス 熱帯アジア 4 ナゴラン & 市〃 ナゴラン 日本 ( 暖地 ) 1 タイワンフウラン T ん厖為加川 4 川カヤラン , ホルモサナム , スプラタム 熱帯アジア ~ 台湾 , 日本 60 アスコセントラム 0 化厩川川アンプラケウム , カーピフォリウム , ミニアタム熱帯アジア ~ 台湾 5 ボウランわィⅳ〃 熱帯アジア ~ オーストラリア , 日本 ボウラン , ムニンボウラン 40 ジンヤクラン厩厖 モナチカ , ストーリエイ , イムシューチアナ熱帯アジア 15 バンダれ コウトウヒスイラン , セルレア , サンデリアナ , 熱帯アジア ~ 台湾 40 テレス カシノキラン G レ 0 〃 カシノキラン , モミラン , カルセオラリス 熱帯アジア ~ 日本 フウラン eo. 万〃召 日本 ( 茨城県から沖縄県 ) , 朝鮮南部 フウラン クモラン T “〃あ第わ , 〃″川 クモラン , フィリフォルメ 熱帯アジア ~ オーストラリア , 日本 アングレカム〃 g 耀“ :u 川 ディスティカム , エバーネウム , セスキペダーレ熱帯アフリカ , マダガスカル 工ランギスのれ刃 gts フスツオサ , ロドスティクタ , ピロバ 熱帯アフリカ , マダガスカル イチョウラン D “なん s イチョウラン 日本 ( 高冷地 ) サイハイラン C 尾川〃 サイハイラン ヒマラヤ ~ 台湾 , 日本 コケイラン 0 尾 0 尾んな コケイラン インド北部 ~ アジア東部 ジゴペタラム / ) gQ 加を襯 クリニタム , ガウティエリ , マッケイ フ・ラジノレ , ベネズエラ , ベルー , / ヾラグアイ ピフレナリア B 劭の ハリソニアェ , アトロバープレア 熱帯アメリカ アングロアれ g クロエシイ , ルッケリイ , ュニフロラ ベネズエラ , コロンピア , ベルー リカステんル アロマチカ , デッペイ , スキンネリ メキシコ ~ ベルー , ポリビア ピクタ , デッペイ , サンデリアナ マキシラリア M ″ア 熱帯アメリカ イモラン E 記 0 効ん イモネャガラ , グイネンシス , サンギネア熱帯アフリカ , 熱帯アジア ~ 日本 シンビジウム 0 初厖市″襯 シュンラン , カンラン , ローウィアナム , インシグネインド ~ オーストラリア , 中国 , 日本 カタセタム朝 s ″ サッカタム , ピレアタム , フィンプリアタム熱帯アメリカ シクノチェス C oc 厖 s べントリコスム , 工ガートニアナム , ペンタダクチロン熱帯アメリカ モルモデスグ襯 0 虎 s イグネア , マクラタム , フッケリイ 熱帯アメリカ ゴンゴラ G の 2g0 辺 アルメニアカ , アトロバープレア , ガレアータ熱帯アメリカ スタンホペア S 〃んの チグリナ , デポニエンシス , インシグニス 熱帯アメリカ プラシア Brassia カウダータ , ロンギッシマ , ベルコーサ 熱帯アメリカ ミルトニア M / 〃 0 〃 ベキシラリア , スペクタヒ・リス , フラベッセンス熱帯アメリカ オドントグロッサム 0 面 og ん 4 川クリスバム , グランデ , ロッシイ 熱帯アメリカ オンシジウム ( 加市″川 バリコサム , ケイロフォルム , フォーペシイ , 熱帯アメリカ セポレタ 種数地生着生性状 30 性 夏 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 花 開り てあ し性性性 ″葉緑葉緑〃 落夏落夏 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 〇〇〇 〇〇 0 1 0 0 0 1 -. 0 0 8 0 0 L.n 0 0 0 0 ワ】 0 -0 -0 0 L.n 0 0 ワ 0 ^ 0 1 1 00 1 つん 0 0 - -0 0 1 っっ 0 ワつワ】 0 0 1 ワ 00 ワ 1 4 は多少多めに与え、冬の低温期や休眠期には乾 2 きぎみに保つ。 灌水するときは鉢底から十分流れ出るまでた つぶり与える。これは単に水の補給だけでな 、鉢内の古い空気を新鮮な空気と交換し、余 分な肥料などを洗い流すためでもある。 〔湿度〕自生地では定期的な降雨や霧の発生に よって空中湿度が高く保たれている。栽培にあ たっては湿度を七〇 ~ 八〇 % に保つよう心が はみず け、乾きやすいときは葉水を与えるか、株の周 辺、通路などに打ち水をして湿度を高める。 〔通風〕ランは新鮮な空気のもとでよく育つ。 夏期はとくに通風をよくし、葉面温度を下げ、 涼しくする。また冬期閉め切った室内では適当 に換気を行い、 新鮮な空気と入れ替え、室内の かくはん 空気を攪拌して温度の平均化を図ることも必要 である。 〔病虫害〕ウイルス病は致命的である。感染す はん ると生育が悪く、奇形を生じたり、黄色斑のモ ザイクを生じ、組織を壊死させる。感染すると 治すことができず、他の株への伝染源となるの で焼却処分する以外方法がない。ウイルスは、 アプラムシなどの吸汁害虫や植え替え時の器 具、古い鉢や病株を扱った手などから伝染す る。予防として、害虫の防除、器具の消毒、植 え替えには一鉢ごとに手を洗うなどが必要であ る。また、鋏、ナイフなどの器具は炎で焼く か、第三リン酸ナトリウムの三 % 溶液に浸けて 消毒するとよい 黒斑病、炭そ病などカビによる病気は「ダイ セン」水和剤や「オーソサイド」水和剤、「・ヘ ンレート」水和剤などの殺菌剤を散布する。軟 腐病のような細菌性の病気はポルドー液か「ヒ トマイシン」や「アグレプト」などの抗生物質 製剤を用いる。薬品は指定の濃度で用い、罹 びよう 病してからでは遅いので、春から秋の間は月 一、二回定期的に散布して予防に努める。 アプラムシやカイガラムシなどの害虫には 「オルトラン」水和剤や「スミチオン」乳剤を、 ハダニには「ケルセン」乳剤などを散布する。 ナメクジは殺ナメクジ剤をタ方打ち水したあ と、鉢周辺に置いて誘殺するか、夜間八 時に見回って捕殺する。 〔繁殖〕複茎性のカトレア、シンビジウム、デ ンドロビウムなどは株分けする。花をつけるた めにはバルプを三、四個ずつに分け、あまり小 分けはしない。その際、葉のないバッグバルプ はさみ
もんどる 商船の通航の自由、交戦国以外の軍艦の通過おる。島の西側には近代的な新港キリンディニが よび航行の自由が保証される。〈経塚作太郎〉あり、工業地区などを含む新市街が、これを取 文雄もんのう ( 一七 00 ー六三 ) 江戸時代の音り囲むように広がっている。島の南北の海岸は たんば 韻学者。丹波国 ( 兵庫県 ) に生まれる。俗姓中ホテルが林立するリゾート地で、本土側には島 : つけい あざなそうけい 〈赤阪賢〉 側から住宅が延びている。 西、字は僧谿。天文学などにも造詣が深かった まこういんぎよう が、業績の中心は『磨光韻鏡』 ( 一七四四 ) を中心 モンパノキ〔紋羽木〕ゝ、 s ミ とする『韻鏡』研究であり、その後の『韻鏡』、き (). f. ) H. Hein ムラサキ科の常緑亜高 ひしん だえん 研究や「字音仮名づかい」の研究などに大きな木。葉は倒卵状披針形または長楕円形で長さ九 一四、多肉質でビロード状の細毛を密生 影響を与えた。著述は五〇余部に及ぶが、ほか じいそうがくおん のおもなものとして『字彙荘嶽音』『経史荘嶽し、銀白色を帯びる。名は、葉を毛の立った柔 もんば へん せいか 音』『広韻字府』『三音正譌』『磨光韻鏡後篇』らかい綿布の一種である紋羽に見立てたもの。 キ ノ 〈沼本克明〉花は白色で径約四 : リ。果実はほば球形で径約五 『同余論』などが公刊された。 たからじま ン 。海岸に生え、鹿児島県宝島以南から沖縄、 回満田新造著『韻鏡研究史上に於ける文雄の位 モ 置』『文雄の韻鏡南方音説を評す』『文雄の字および台湾から熱帯地方に分布する。海岸の防 風・防潮林、庭園樹によい。材は軽軟で容易に従弟を「わたしのかわいい旦さま」とよん 彙荘嶽音に就て』 (r 中国音韻史論考』所収・ 工作ができ、浮子などにする。沖縄では漁師ので、将来結婚することに決めていた。スペイン 一九六四・武蔵野書院 ) , 愛〕モンバサ Mombasa アフリカ中東部、ケ水中眼鏡の縁によく用いられる。〈島袋敬一〉王、ドイツ皇帝、イギリス王などとの縁談をこ ニア南東部の港湾都市。人口四二万五六三四モンバルナス Montparnasse フランスとごとく無視し、一六七〇年にローザン公爵と ( 一九会 ) 、首都ナイロビに次ぐ同国第二の都市での首都バリ南部、セーヌ川左岸にある地区 ( カ秘密結婚したことはあったが、結局、終生「大 ルチェ ) 。ラスパーユ通りとモンパルナス通り姫さま」として、ベルサイユ宮に君臨すること ある。インド洋上の小島モンバサ島 ( 面積一三 結乗史人な見 になった。また、時の宰相マザランに反発し、 平方キ。 ) と本土にまたがり、橋と堤防で結ばれの交点 ( ロダンのバルザック像が立っ ) を中心 をの歴カ人が 島トの 「フロンドの乱」では反マザラン派の女傑とし とする国鉄モンバルナス駅、モンパルナス墓地 ている。東アフリカでも有数の港湾をもち、イ よう * ~ い サ一町フン人 ボのアイな ンド、東アジア、ヨーロッパ、アメリカとを結 ( 天一一四開設 ) 付近一帯の市街地。名称は、一七てバスチーユ要塞の砲門を開かせ、コンデ公軍 のパリ入城を助けた。八四年に隠退してから、 し人ざ サモー ぶ定期船が就航する。またナイロビを経由して六〇年のモンパルナス通り ( 命名は一九世紀 ) とエち映プまる さらにウガンダに通じる鉄道の起点でもあり、開通以前この地にあった。ハルナッソスの丘にち「回想録』ミéき 0 es を執筆した。↓フロンドの ン土フた反ラされ モ本ぷ客をアどら 〈榊原晃三〉 国際空港も所在する。工業は石油精製や化学工なむ。二〇世紀初頭以降モンマルトルに次いで乱 ものびてんか 前衛芸術家や亡命者たちの多く集まる地区とな紋日もんび物日の転訛で、日常と違った モン・ドール Mont ・ Dore フランス中業などが行われている。 「ドーム」や「クー り、彼らの通ったカフェー 晴の日。年中行事や祝祭日や婚礼、葬式などの 紀一兀一世紀ごろ、東アフリカ海岸部とアラビ 部、ピュイ・ド・ドーム県にある温泉地。モ づぐはる ン・ドール山地中の標高一〇五〇の地にあア半島との交易に携わるアラブ人、ベルシア人ポル」にはいまも観光客が訪れる。藤田嗣治の人生儀礼の行われる日をいう。こういう日に ようにこの街に住み、この街を描いた画家も多は、紋付の晴れ着を着ることが多かったので、 る。人口二〇七四 ( 一九七五 ) 。温泉はローマ時代がここに港を築き、季節風を利用してダウ ( 帆 、。ババン街、プレア街、ドウランプル街など近世以来、紋日という言い方が流行した。明治 から知られ、重炭酸塩、ナトリウム、鉄分、理船 ) で活動した。一五世紀末バスコ・ダ・ガマ は「夜の箱」とよばれる歓楽街。モンパルナス時代以降は、祝祭日に国旗を立てることにな 土を含み、関節炎、リウマチ、呼吸器疾患に効によるインド航路の発見を契機として、ポルト り、祝祭日を「旗日」とよんだのと同類の造語 がある。カジノがあり、ウインター・スポーツガルがこの地に進出した。一七 ~ 一八世紀、奪墓地には、ボアンカレ、ポードレール、モー 〈井之ロ章次〉 ッサン、サン・サーンス、セザール・フランク法である。 〈大嶽幸彦〉回を試みるアラブ人とポルトガルとの間で、何 もできる。 〈高橋正〉モンビン mombin/8Spondias き 0 b ーーかいぎ一九三六年七回も争奪が繰り返されたのち、一八世紀中期、など文人・音楽家の墓が多い モントルー会議 L. ウルシ科の果樹。熱帯アメリカ原産。高 月スイスのモントルーで開かれた、黒海と地中ポルトガルは追い払われた。一九世紀後半からモンバンシ工夫人ーーふじん duchesse さ十数。葉は十数枚の小葉からなる奇数複葉 はイギリスの支配下に入り、一九〇五年までイ de Monpensier, Anne Marie Louise d'Or- 海を結ぶコンスタンティノープル海峡 ( 北から ひしん ポスポラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海ギリス領東アフリカの行政中心地であった。市 léans ( 一六一一七ー九三 ) フランス国王ルイ一三世で長さ約二五。小葉は卵状披針形で長さ八 ~ えんすい 峡により形成。両岸はトルコ領 ) の通過の自由内にはアフリカ人に混じってアラブ人が多数居の弟ガストン・ドルレアンのひとり娘。ルイ一九、先端はとがる。長さ二十数弩の円錐花序 を頂生し、黄白色の小花を開く。果実は単生ま 住し、全住民の四〇 % がイスラム教徒で、各所四世の従姉。通称「大姫さま」 La Grande Ma ・ を決めた会議。海峡制度に関する条約を採択し ばくだい た ( 日本は一九三七年に批准 ) 。この条約で、締にモスクがある。ほかに、イギリス植民地時代 dem0iselle0 若くしてすでに莫大な財産を保たは二、三個が密生し、長さ四 ~ 五。果形は 約国の「海峡における海路の通過および航行の初期、鉄道建設のため導入された労働者の子孫証され、王家における序列によって王国で最重卵形、球形、長円形、洋ナシ形など変異が多 。果面は粗く、濃赤色または濃黄色。果肉は 自由」 ( 第一条 ) が宣言された。平時におけるなどインド人も多く、ヒンドウー教寺院も点在要人物の一人だった。美しい暗褐色の大きな目 商船の通航にはなんらの手続も必要とせず、軍する。歴史的たたずまいを残した旧市街は、モの持ち主で、一〇歳のころからりつばな結婚を微酸性で甘酸つばく、ジャム、ゼリーの原料と 艦に関しては八日前の予告で通航できるが、非 ンバサ島の東側にある。港の近くには一六世紀するだろうといわれた。しかし彼女自身は「けする。種子は長さ一・五 ~ 二。本種に近いコ っして王としか結婚しない」と決心し、末来のガネモンビン S. ~ ミき、 L. も同様に利用され 黒海沿岸国の軍艦の場合一五日前の予告を要求末ポルトガル人が建設したフォート・ジーザス とりで 〈飯塚宗夫〉 ルイ一四世が生まれたときには、この六歳下のる。 される。戦時でもトルコが交戦国でない限り、 という砦の遺跡があり、国立博物館となってい 104
もろっこ 配を受けた。七世紀にることになった。一九一二年のフェズ条約で国る。外交でも事前に国会に諮ることなく、条約 6 侵入したアラブ人は、 土の大半がフランスの保護領となり、仏西条約に調印、批准できる。また国教のイスラム教上 0 アラビア語とイスラムで北部リフ地方はスペイン領となった。また一一でも国王は信徒の長として最高権威者である。 0 0 教をもたらし、ベルべ 三年の取決めでタンジールは国際管理の自由港 立法機関は、国民議会の一院制。議員定数は じようい 0 ル人のなかに浸透し土となった。植民地化に対する抵抗は激しい攘夷三〇六名で、二〇六名は直接選挙、一〇〇名は 側ー Q 6 着化した。こうしたな運動の形となり、アプデル・クリムのリフ戦争職業代表として間接選挙で選ばれる。政党は複 0 ー 1 かからベルベル人の国 ( 一九一一一 ~ 一一六 ) に代表されるように、保護領とな数政党制をとっており、憲法同盟 (DO) 、独 ってからも続いた。第二次世界大戦末期からは立国民連合 (XZ—) 、国民民主党、 家が誕生し、八世紀 にはフェズを首都に、 スルタンを中心に独立運動が盛り上がり、フ一フィスチクラルなどがあり、批判勢力として人民 し、ら・し モロッコと西アルジェ ンスは一時スルタンを廃位して傀儡スルタンを勢力社会主義同盟 ( ) 、社会進歩党 ( リアを版図とするイド たてた。しかし運動はいっそう激しくなり、五 ) がある。行政の最高機関として内閣があ 丿ース朝が成立した。 六年三月独立協定が結ばれ保護領条約は廃棄さ り、首相、閣僚は国王が任免する。地方行政は、 ~ 一三世紀にかけれた。続いて同年四月にはスペイン地区、同年三五の県と二つの特別市 ( カサプランカ、ラバ て興ったムラービト朝一〇月にはタンジール地区も主権を回復した。 ト ) がある。各県には県議会があり、議員は選 とムワッヒド朝は、モ 独立の翌一九五七年スルタンは称号を国王挙で選ぶ。司法制度はフランスを手本として整 ロッコ、アルジェリ ( マリク ) と改称してムハンマド五世を名のり、 えられ、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所 ア、チュニジアからイ国名もモロッコ王国と改めた。六一年王が死去があり、このほか公務員の汚職を裁く特別法 べリア半島までを支配すると、皇太子ハッサン二世が後を継ぎ、六一一廷、労使紛争のための調停法廷がある。 下に置くマグレプ統一年立憲君主制の憲法を制定した。ムハンマド五 外交は、親米親西欧で、フランスの影響が強 国家をつくりあげた。世は民族独立の父としてカリスマ性を有してい く、アメリカと基地協定を結んでいるが、ソ連と 一三世紀から一五世紀 こ。 : ハッサン二世の治世となると学生や労働も文化協定などで関係を維持している。イスラ 初頭のマリーン朝はモ者のデモが頻発し、七一年、七二年と王の暗殺エルをめぐる中東問題では穏健派で、サウジア ラビアなどと親密である。アルジェリアとは西 る。生業で人口を維持できず、都市への流出者ロッコを支配域とし、この王朝の勢力範囲が、未遂事件が相次いだ。こうしたなかでハッサン 二世は七五年三五万人を動員し、スペイン領西サハラ問題や国境紛争で対立関係にあり、リビ や外国への出稼ぎ労働者が多い。 現在のこの国の領域としてほば固まった。ワッ タース朝治政下の一五世紀末、イ・ヘリア半島かサハラへのサハラ大行進を行った。西サハラはアとは一九八四年両国の連邦化協定を結んだも ムルャ川以東のモロッコ東部地域は、主とし て標高五〇〇以上の高原からなる。雨が少な らイスラム勢力を駆逐したスペイン、ポルトガ大モロッコ主義と世界的な燐鉱石があることかのの、八六年のイスラエル首相来訪で破棄され くかっては粗放な牧畜や伝統的な穀物栽培、製ルは、続いて北アフリカに侵攻し、モロッコでら長年モロッコが領有を主張していた所で、大た。前述したように西サハラ領有でアフリカ統 紙原料のアルファ草栽培が中心の貧困な地域ではアガディール、サフィを占領した。一五一〇行進の結果、マドリード協定でスペイン軍の撤一機構を脱退し、第三世界では孤立している。 軍隊は、アフリカ最強といわれ、総兵力は国 あった。しかし近年ムルャ川の水利開発が進年フェズで誕生したサアード朝は、スペイン、兵とモーリタニアとの分割併合が決定した。さ み、トリフャ平野では、による近代的な小 ポルトガルを撃退し、他のマグレブ諸国と異な らに七九年モーリタニアの領有権放棄によりモ王親衛隊を含め二〇万五〇〇〇、うち陸軍一五 ロッコが全域を支配している。西サハラ領有に万、海軍七〇〇〇、空軍一万三〇〇〇。空軍は 麦、米、果樹、野菜、サトウキビの栽培が行わりオスマン帝国の支配下にも入らず、モロッコ ミラージュ 1 、 5 など一一九機、ヘリコプ れている。また鉛、亜鉛、マンガンなどの鉱産の独立を守った。そして一六世紀には現在のモよる威信高揚を背景に王制の危機はいちおう回 物の開発も進んでいる。 ーリタニアを含む西スーダンのソンガイ王国を避された。しかし、西サハラの独立を要求するター一〇〇機をもつ。西サハラに派遣されてい 南部サハラ地域は、オート・アトラス山脈南攻略し、これが今日の大モロッコ主義の根拠とポリサリオ戦線が、一九七六年サハラ・アラブる兵は一二万といわれる。徴兵制が敷かれ、兵 麓以南の地域をさす。国土の約三分の一を占めなっている。一六六〇年にはアラウィ朝が政権民主共和国の樹立を宣言し、激しい武装闘争を役は一八か月である。 展開している。同共和国の承認国が急増したた 〔経済〕モロッコは全体としては温和な気候と るが、雨が極端に少なく、南縁はサハラ砂漠のをとり、この王朝が現在まで続いている。 ひょく 一九世紀に入るとヨーロッパ諸国の帝国主義め、八四年モロッコはアフリカ統一機構 ()< 肥沃な土地に恵まれた農業国で、燐鉱石を中心 一部である。全般に遊牧、粗放的な牧畜、ナッ メヤシ栽培などのオアシス農業が行われるが、 的圧力が強まり、モロッコは一八四五年タンジを脱退した。また膨大な戦費と不況のためとする豊かな鉱産国でもある。またフェズ、メ ールのみを開港するという鎖国体制で対応し経済状態は悪化し、一九八一年、八四年と物価クネス、マラケシュなどの古都、タンジール、 オート・アトラス山脈南西麓のスース川下流で カサプランカなどの国際都市、サハラのオアシ た。しかしこれはまもなく崩れ、イギリス、ス暴動が起きた。 は近代的な灌漑農業により果樹、野菜が栽培さ スなどの観光資源に恵まれた有数の観光国とし れる。鉱産物では銅、コバルト、マンガンを産ペイン、フランスと相次いで不平等な通商条約〔政治〕一九六二年立憲君主制の憲法が施行さ する。住民はベルベル系が多く、オアシスにはを結ぶことになった。国内では財政、軍制の近れ、その後七〇年と七二年に改正されたが、基ても知られる。しかし経済構造のうえで、農業 黒人系のハラティーン族も住む。 代化、産業開発が進められたが、それが財政危本は変わらず国王の権限は強化された。国政の生産性の低さ、一次産品への依存、エネルギー 〔歴史〕北アフリカは古くからベルベル人が主機と内乱を招き、かえって国力は弱まった。三最高権威は国王にあり、君臨するだけでなく直資源の欠如という問題を抱えている。加えて近 たる住民であったが、紀元前一一世紀から紀一兀国のうちイギリスはのちに手を引き、モロッコ接統治を行う。すなわち、首相、閣僚、公務員、年は人口急増による食糧輸入増、失業者増、石 後七世紀まで、フェニキア、ギリシア、ロー 事件で介入したドイツの野望も阻止され、最終裁判官、軍幹部の任免を行い、勅令で国会の解油危機以降のインフレ、西サハラ紛争による車 マ、 ハンダルといった地中海北側の異民族の支的にモロッコはフランス、スペインに支配され散、法律の公布、恩赦の授与を行うことができ事支出の影響で、経済はきわめて苦しい状況に ) ◎ 0 l(fw モロッコ レ レ 地中海 ウタ〔スペイン〕 ートウアン リフ脈 ジプラルタル海 タンジー丿 ララチェ ラ′く 28 カサプラン ジャディーダ 2 。 0 ・ 0 メリリャ ズ、ヾ ネ ーメラール ンユ / 工ッサウイラリン鉱 シム トウフ・カル ース / 0 ぐ山プーアルフ 3737 . ア アガディ 0 シディ・イフニ ーンサローテ島 ナリア諸島ドラー フェルテべントウー 西サッ、ラーーヨ、、 サ 300km
らはつき とう lsla de Rapa れたカレリアからの難民が多く定住した。バイラバヌイ島 ャンネ水系の南端にあたり、陸上交通路も集中 Nui チリ西方の南太平洋上の孤島ィース する交通の要衝。家具、金属、食品、繊維、ガター島の別称。ラバヌイとは大きな島の意 れ ラスなど多様な工業が立地している。毎年二月である。↓ィースター島 にスキーの国際競技会が開かれる。夏には湖水ラバ丨プ rabäb イスラム諸国を中 型こ 地方を訪れる観光客でにぎわう。〈塚田秀雄〉 心に広範囲に分布するリュート属弦鳴楽器 はっげん 音 キ イ谷 の総称。弓奏ラバープと撥弦ラバープとに 一フバテラトミミ e ミアオイ科ラバテラ ッ 属の総称。本属植物中、もっとも多くつくられ大別される。 ラ さお クれ るのはハナアオイト . 、こミ es 、斗 L. である。 弓奏ラバー。フの代表は、長い棹が胴を貫 イわ 」アフリカ、シリア原産の耐寒 カ政権が保守化した結果、党と政府の職を解任南ヨーロッパ、ヒ いて脚棒として下に突き出したスパイク・ スと の、 . された。 〈木戸蓊〉性一年草で、花容、草姿はムクゲやフョウに似フィドル型で、北アフリカ、西アジア、東 ゅ弓 ク ' ラ ラバッキ・プラン一九五七年一〇月二る。日本には明治に渡来し、一般にはなじみの南アジアにみられる。木、ヒョウタン、ヤ の イ ン 日、国連総会の一般演説でポーランド外相ラバ ない花であったが、最近ヨーロッパの改良種が シの殻などでつくられる共鳴胴の形は長方 ウ ッキ A. Rapacki が行った提案。内容は、東紹介され、栽培されるようになった。グラナダ形、半球形、逆三角形とさまざまで、表面 西ドイツが同時に同様な行動をそれぞれ自国領種は四倍体品種で、高さ一、大輪の濃桃色花には羊や水牛の皮膜が張られる。弦 ( おも ラ わいせい 域内でとることに同意すれば、ポーランド国内を開く。シルバーカップ種は矮性種で高さ五〇 に金属製 ) の数は一 ~ 三本で、奏者は脚棒 ひぎ における核兵器の生産と貯蔵の禁止を受諾する 大輪桃色花で多花性である。モンプラン種を膝や床の上に置いて垂直に構え、馬の尾毛なミ当 2 E き ~ ・、ミミなどは不朽の金字塔 用意があるというもの ( 第一次ラバッキ・プラ 〈関寛治〉 も矮性で高さ四〇、純白色花を開く。開花はどを張った弓で擦弦する。また北アフリカにである。 はしゅ ン ) 。彼は翌五八年二月に関係各国に覚書を送夏で、四月に播種するが、暖地では秋播きでも は、木製舟形胴をもっ短い棹の弓奏ラバープ回関寛治編訳『現代の戦争と平和の理論』 ( 一九 付し、非核地域として、ポーランド、東西ドイ よい。ビニルポットで育苗すると、根傷みしな ( 二本の羊腸弦 ) もみられる。 七 0 ・岩波書店 ) ▽坂本義和・関寛治・湯浅 〈山口美智子〉 いのでよい ツのほかに、チェコスロパキアを含める詳細な 撥弦ラバープには、中央アジアの突起胴で長 義正訳『戦略と良心上』 ( 一九七一一・岩波書店 ) い棹をもっタイプと、アフガニスタンや南アジ 案 ( 第二次プラン ) を提示し、さらに同年一一 ▽広松毅他訳『囚人のジレンマーーー紛争と協 一フバト Rabat 北アフリカ、モロッコの首 月には、非核化と通常兵力の削減を連結させる都。同国北西部、大西洋岸の。フー・レグレグ川 アのくびれ胴で短い棹をもっタイプとがある。 力に関する心理学的研究』 ( 一九盒・啓明社 ) 0 ド・ラバル 構想 ( 第三次プラン ) を示した。西側諸国の反河口左岸に位置する。人口四三万五五一〇 ( 一九 前者には五 ~ 六本の旋律弦、後者には三 ~ 六本ラハ 応は冷淡で、この構想は結実しなかったが、中 会三 ハ I)O 一二世紀ベルベル人のイスラム国家ムワ ヾレ Pierre LavaI ( 一 ー一九四五 ) フラ の旋律弦、二 ~ 四本の持続弦、一〇本前後の共ラ / 欧非核化構想の最初のものとして、その意義は ッヒド朝により建設された。ラバトとは兵営を鳴弦が張られ、どのタイプも小さな木製プレク ンスの政治家。オーベルニュ地方の貧家に生 大きい 〈山田陽一〉 〈石本泰雄〉意味し、当初は軍事拠点であった。その後一時 トラム ( 義甲 ) で撥弦される。 まれ、苦学して法律を学んだ。弁護士として名 をあげ、一九一四年の総選挙で下院議員に当 ラハティ Lahti フィンランド南部の都衰退したが、一六六〇年アラウィ朝の王都としラバポート AnatoI Rapoport ( 一九二ー たんたいせき 市。湖水地帯南端を走る端堆石丘サルバウスセて再興された。モロッコの南北を扼する要地で ) アメリカの数学者、心理学者。アメリカ選。社会党内では最左派に属したが、一九年の ルカの北側斜面に位置する。一九世紀に都市とあることから、一九一二年フランス保護領の政平和研究の開祖として・ポールディングとと総選挙で落選すると社会党を去り、しだいに右 なったが、第二次世界大戦後に急成長した。人庁が置かれ、統監のリョテ将軍により旧都の南もに著名。ロシア生まれ。一九二二年渡米し、傾化した。下院議員 ( 一九 = 四 ~ 一一七 ) 、上院議員 ロ九万四四六七 ( 一九会 ) 。大戦後ソ連に割譲さ にヨーロッパ風市街がつくられた。王宮があ二八年帰化。ウィーンでピアニストとして活動 ( 一九一一七 ~ 四 0 ) を務め、その間、公益事業相 ( 一九 り、政府の省庁、外国公館が集中し、国の政したのち、シカゴ大学で数学の博士号を得、ミ 一一五 ) などを歴任し、三一 ~ 三二年には首相を務 治、外交の中心都市で、独立後人口が急増してシガン大学で研究した。『戦争・ゲーム・論争』めた。その後世界恐慌下の三五年六月ふたたび いる。新市街には、ビルや南欧風住宅が並び、 Fights, Games, を 6 ミ、『囚人のジレン首相となり、国内ではデフレ政策、国外ではナ 公園や並木道も整備され、美しい都市景観をみマ』 P 。ミ ) D ミ 3 ミのような名著もそこチス・ドイツに対抗するための親イタリア政策 せている。ムハンマド五世通りに沿って官庁、で生まれた。その後トロント大学で数学と心理を推進した。しかし、おりからのエチオピア戦 議会、オフィス、銀行などがあり、中心地域と学を講じ、ウィーンの高等研究所所長を経てト 争ではムッソリーニの侵略政策を黙認したとし なっている。その南西には王宮、大学がある。 ロント大学に戻った。現在同大学に「平和科学 市北部の海に臨む段丘上には、城壁に囲まれたカレッジ」 College of Science for Peace を 、ハッサン アラブ風の旧市街メディナがあり 開設し、実証平和研究も制度上応用が可能にな せんとう イ モスクの大尖塔、ウダイヤのカスパ、博物館、らない限り平和をもたらしえないと論じて、制 オ びよう ムハンマド五世廟など名所が多い。川を挟み対度化を含む広範な平和理論を展開している。著 ナ 岸には古都サレがあり、ラバトと一体化してい 書は多いが、『戦略と良心』 S 、、ミ e ミミ C ミ・ る。工業では繊維工業のほか伝統工芸も盛んでをミミ、『 Z 人ゲーム理論』 ~ ・ ) ミ ラ テ ある。国際空港が近く鉄道、道路の結節点で、 T 0 、『クラウゼビッツ戦争論』 C use を・、 2 〈藤井宏志〉 ラ物資の集散地でもある。 をま、『人工環境の中での紛争』 Co ミ ~ を ・。みッ戸卩 ラ′、ノレ 784
える。 〈平井直房〉する逸話も多い。八重崎による箏の手 」八四 ( 一〈〈 = ) 。同国の政治、文化の中心地で、 しんうきふね 〔八重皮樺〕 B ミ ~ 、ぶ付けは、松浦検校作曲の『新浮舟』 めぐ ん中央官庁、大学、研究機関などが集中していャエガワカンバ ながめ ちぎりたま い ~ る。経済的地位はドウアラのはうが高いが、ヤ斗ミ、 Pall. カバノキ科の落葉高木。コオ『宇治巡り』『四季の眺』「末の契』『玉 うてな ウンデはカカオ栽培地域の中心地で、内陸におノオレともいう。高さ一五以上になる。樹皮の台』『四つの民』など、菊岡検校作 かじまくらかつら ける物資の集散地である。街はすれにビール、 は灰色、粗く縦横に割れてはげる。葉は菱状卵 曲の「磯千鳥』『今小町』『楫枕』『桂 一さ お ながら たばこ、カカオなどの工場があるが、工業は盛形で、やや小形である。堅果に翼がある。中部男』「笹の露』『茶の湯音頭』『長等の みやまじし んではない。農村地域からの人口流入が続き、 地方の山地と北海道北東部の低山地に分布し、春』『舟の夢』『御山獅子』『タ顔』な ラ 住宅不、ぎ《 0 。周 0 部」出身方別 0 純林を 0 く 0 。名」、」げ樹皮幾重」、』、光崎検校作 00 「、 00 』『 = 一津一、キ ク 密集した居住区があり、高層化の進む官庁街、り上がって幹についていることによる。別名の山』、石川勾当作曲の『新青柳』『八重・ ごろも 商業区とは対照をなしている。町の基礎は、一 コオノオレは、全体がオノオレカンバに似る衣』など多数に上る。門下に松崎検、」 八八八年ドイツ領時代に熱帯降雨林を切り開い が、葉がやや小ぶりであることによると思われ校や光崎検校などがいる。〈板垣圭子〉 ひしん てつくられた。一九二一年以降、四〇 ~ 四六年る。 〈菊沢喜八郎〉 ノ重崎屋源六やえざきやげんろく生没年不六 ~ 八枚が輪生し、狭い披針形で長さ一 えっちゅう セン 0 チ 輪生する葉のうち、腋から枝を出す一一枚が を除きフランス領カメルーンの首都で、六〇年八重咲きやえざき花弁または花弁のよう詳。一七世紀末、江戸時代の越中国 ( 富山県 ) たくよう の独立後も引き続き首都となった。 3 カメル にみえるものの数は植物の種類によってほば の売薬行商人の最初と伝えられる人物。富山の本当の葉で、ほかは托葉が葉状になったもので まさとし 〈門村浩〉定しているが、それらの数が正常なものに比べ薬売りは富山藩二代藩主前田正甫 ( 一六四九 ー一七ある。五 ~ 六月、葉腋や茎の先に多数の小さい きょ , ってい Yaoundé て多くなっている奇形を八重咲きといい 、とく 0 六 ) が始めたとされる。正甫は売薬の中核の花をつける。花冠は径一ミリ、黄緑色で四裂す ャウンデ協定 はんごんたん に園芸植物において、その例が豊富である。正「反魂丹」を松井屋源右衛門 ( ? ー一七一七 ) ら薬る。果実は二つの球がくつついたようになって Agreement 一九六三年七月、アフリカのカ かぎ メルーンの首都ャウンデで、 O ( ヨーロッ 常の二倍程度のときを半八重、著しく多いとき種商人に製造させ、反魂丹は手代や行商を業と いて、二つに割れ、鉤状の刺により衣服などに ハ経済共同体 ) 加盟六か国とフランス連合に属を八重とよぶこともある。また、萼が花冠と同する八重崎屋源六らによって、初め中国・九州ついて散布される。北海道から沖縄の、人家の ゃぶ するアフリカ一八か国との間に締結された協形同色となった場合には花冠が二重になったよ 地方に売り広められ、やがて全国に販路を拡大近くの藪、畑などに生える。アジア、ヨーロッ ふたえ ツッジ類、した。↓富山の薬売り 〈内田謙〉 定。アフリカ諸国の独立に伴い、これら諸国に うになるため、二重咲きともいし 〈福岡誠行〉 アフリカに広く分布する。 対して融資や贈与などの経済援助を行うとともキキョウなどにみられる。 ャエザクラ〔八重桜〕サトザクラの八重〔文化史〕ャエムグラの名は『万葉集』の巻一 やヘむぐら をや 一次産品に対する関税や輸入制限の撤廃な 八重咲きの多くは雄しべの弁化によるもので咲き品種の通称で、ボタンザクラともいう。四 一に二首詠まれ、「八重六倉おほへる小屋」な ど特恵関係を樹立し、貿易の拡大と相互の利益あり、弁化した雄しべは、縁や先端などに葯を月中旬から下旬に大形の美しい花を開くものが どと、自分の家を卑下する描写に使われてい な 1 」り えぎよう やヘむぐら を図ることを目的とした。六四年六月に第一次つけて雄しべの名残をとどめていることも多多い。よく知られるものにフゲンゾウ ( 普賢る。恵慶法師は「八重葎茂れる宿の寂しきに人 しゅうい ャウンデ協定が五年間の期限をもって発効し、 し八重咲きの花には、雄しべだけでなく雌し象 ) 、カンザン ( 関山 ) 、イチョウ ( 一葉 ) 、シ こそ見えね秋は来にけり」 ( 拾遺和歌集 ) と詠 その後六九年七月に更改されて第二次ャウンデ べも弁化するなどして、本来の花の機能を失っ ョウゲッ ( 松月 ) のほか、淡黄緑色花を開くウみ、秋に茂るヤエムグラを取り上げる。現在の ふねん 協定となったが、七五年一月失効した。しかして不稔性となるものも多い。キク科のヒマワリ コン ( 鬱金 ) 、ギョイコウ ( 御衣黄 ) などがあャエムグラは越年一年草で、春には繁茂する その内容は、七五年二月にイギリスの加盟した などでは、周辺に舌状花が並び、中央部一帯をる。↓サトザクラ 〈小林義雄〉が、夏に枯れ、秋は目だたない。『万葉集』に むぐらふ 拡大 ( ヨーロッパ共同体 ) 九か国とイギリ は、単にムグラも「牟具良生のきたなき屋戸」 筒状花が占めるような頭状花序が正常である八重洲やえす東京都中央区、東京駅東側 ス連邦諸国を加えた O (African. Caribbe ・ が、筒状花の多く、または全部が舌状花の形との地区。徳川家康に仕えた、漂着のオランダ人 ( 巻四 ) 、「牟具良はふいやしき屋戸」 ( 巻一九 ) an and Pacific アフリカ、カリ・フ海および太なる場合がある。これが八重咲きである。ドク高級船員ャン・ヨーステンの屋敷があり、それと、ヤエムグラ同様に用いていることからし 平洋 ) 諸国四六か国との間に結ばれたロメ協定ダミでは、花序の下位の四枚の包 ( 包葉 ) だけ がなまって地名となった。東京駅東口を八重洲て、いにしえのヤエムグラは特定の植物ではな へ発展的に継承された。↓ロメ協定〈秋山憲治〉 が大形で白い花弁状となるのが正常であるが、 ロというが、第二次世界大戦前までは裏口で貧 く、重なりあって茂った雑草とする見方があ 八重垣 . 神社やえがきじんじゃ島根県松江市多数の包が花弁状となるものがあり、これをャ弱だった。戦後、外堀が埋め立てられ、一九五る。また、秋に茂るクワ科のカナムグラをあて すさのおのみこと いなだひめのみこと しゅんこう 佐草町八雲床に鎮座。素盞嗚尊、稲田姫命をエドクダミとよぶ。 〈福田泰二〉四年 ( 昭和二九 ) 鉄道会館が竣工、大丸デパ る説もある。 〈湯浅浩史〉 おおなむちのかみはいし あいどのあおはたさ ートが入り、いまでは西口の丸の内口を超すにヤ工ヤマコクタン〔八重山黒檀〕・ 主祭神とし、大己貴神を配祀し、相殿に青幡佐八重崎検校やえざきけんぎよう ( 一七七六 ? いずも いくたそう じうた くさひこのみことまっ へんばう 久佐日古命を祀る。本来の社名は『出雲国風天四 0 江戸後期の生田流箏曲・地歌の演奏家、ぎやかさに変貌した。地区は東京駅と日本橋、 os き s 、き (Willd. ) Bakh. var. b さ・ どき えんしき いちな 土記』や『延喜式』にみえる佐久佐社であり、 作曲家。都名壱岐之都 ( 三保一かといわれるが京橋の間にあり、多くのビルが並んで都心の一 (Rottb. ) Bakh. カキノキ科の常緑中高 佐久佐日古命を祀っていたが、のちに合祀され不明 ) 。一八一五年 ( 文化一一 l) 検校登官。浦部を形成している。↓東京駅 〈沢田清〉木。リュウキュウコクタンともいう。分枝が多 だえん たらしい八重垣社が中心になった。近世には藩崎検校 ( 一七七六ー一会 0 の門下で、京都において⑩一万分の一地形図「日本橋」 く、樹皮は黒色。葉は倒卵形または倒卵状楕円 - 一と かわらぎき さんげん しれつきようせい しれつふせい 形で長さ三 ~ 六、革質である。花は三数性で 主の崇敬も厚く、現在は主祭神の神話にあやか師と河原崎検校などが始めた地歌三絃曲に箏の八重歯やえば 0 歯列矯正 0 歯列不正 り縁結びの神として信仰を集めている。旧県手付けをつける作曲活動を受け継ぎ、「京流手ャエムグラ〔八重葎〕き s ュ・雌雄異株。果実は楕円形で長さ約一。沖縄、 ごともの 社。例祭一〇月二〇日。国重要文化財の板絵着事物」または「京風手事物」といわれる新様式ミミ L. var. 三き e 、ミを (Wallr. ) Hayek および中国大陸南部、台湾、インド、マレーシ 色神像三面は、もと本殿内部の壁画であった。 を完成させた。彼は京都の地歌三絃曲の大半にアカネ科の一年草または越年草。茎はよく分枝ア、ミクロネシアに分布する。庭園樹として植 りよう やまたのおろち ちみつ 境内の鏡の池は、稲田姫命が八岐大蛇の難を逃箏の手付けをし、両者の音楽的な融合を図っ し、四稜がある。稜に生える下向きの刺が、他栽され、心材は黒色で緻密な高級材で、三味線 さお れたおり、飲料水として用い、姿を映したと伝た。また、地歌三絃奏者菊岡検校との競演に関物に絡まって伸び、六〇 ~ 九〇になる。葉はの棹に賞用される。 〈島袋敬一〉 へり ひし えき 1 12
〈厚木淳〉 こ上演を重ね、延べ一六五万人の観客を動員してる。 モーリシャス Mauritius しじゅ 年年 ) バレ もりしたようこ ( 一九哭ー っ 0 っ 0 森下洋子 し不滅の金字塔を打ち立てる。紫綬褒章、文化功 〈向井爽也〉 ーナ。広島市に生まれる。幼時から洲和みち 労者など多数受賞。 あさみ たちばな 推 ス 子、橘秋子にバレエを学び、牧阿佐美バレエ 回『森繁自伝』 ( 中公文庫 ) のり - 」 もりした美濃国 ( 岐阜県 ) で漉かれ団に入って、大原永子とともにバレエ少女とし 森下 レ年年 8 -4 4 万万キ 0 9 8 スス ( し 8 8 0 00 , た和紙の一種。この名が初めて文献に現れるのて人気を博した。一九七一年 ( 昭和四六 ) 松山 とうぐうおんしやさんき 0 イン語ス 0 1 1 C•D 0 人 ハレエ団に移籍。七四年にバルナ・バレエ・コ ( ( 6 一教 は、京都北野神社の『当宮御社参記』の一四五 2 8 ル一フルャ加 2 0 シ = ルル・、財ウム 七年 ( 長禄一 ) 二月二五日の日記で、それ以降ンクールで金賞を獲得し世界の注目を浴びた。 トオⅱリドド むぎ 恥貶人 % 一語レ一億出入ンス 0 0 -4 の日記類にもしばしばみられる。岐阜県武儀郡その後、アメリカン・バレエ・シアター、ロン なかほら ス ⅡⅡ輸輸ヒイ ワ 1 4 1 ・ポ英クモ 1 中洞村西山口荘の四組 ( 森下、杉下、西洞、中ドン・フェスティバル・バレエ団、モーリス・ ャ 率 シ 野 ) のなかの森下の原産であるため、この名がベジャール・バレエ団のゲストダンサーとして 語 度加 当 密増言 ある。コウゾ ( 楮 ) を原料とする厚手の紙で、活躍。・プフォネスや・ヌレーエフと踊っ 民人易教 積ロロロ都要貨 古くから傘紙に用いられ、一六〇三年 ( 慶長た「黒鳥」や『ドン・キホーテ』のパ・ド・ド 国い貿宗 モ面人人人首主通 につば ウは有名である。夫は松山バレエ団芸術監督の 八 ) 刊の『日葡辞書』にも採録されている。の 〈市川雅〉 アフリカ南東部、マダガスカル島東方八〇〇カル島、インドから多数の奴隷を移入して、サ ちには傘紙のことを森下と俗称するようにもな清水哲太郎。バレエ みやま やまがたあおなみ トウキビのプランテーションが発展した。最初 キ。のインド洋上にあるモーリシャス島を中心と り、たとえば山県郡青波村 ( 現美山町 ) で漉か回森下洋子著『バレリーナの情熱』 ( 一九会・大 はフランス東インド会社が植民地経営を行った する国。モーリシャス島東方五五〇キ。のロドリ 和書房 ) れる紙は青波森下とよばれた。この技術は隣国 もりしまくらた ( 天六ハ ー一九四三 ) 薬ゲス島および北方洋上のサンゴ礁群 ( アガレガが、一七六七年からはフランス政府が直接支配 の三河国 ( 愛知県 ) にも伝えられ、現在では東森島庫太 あすけ 理学者。医学博士。岐阜県出身。帝国大学医科諸島、カルガドス・カラジョス諸島 ) を含む。するようになった。しかし、一八一〇年にイギ 加茂郡足助町にある「足助屋敷」で漉かれてい リスが占領し、一四年のパリ条約でイギリスの る。 〈町田誠之〉大学卒業。助手となり一八九三年 ( 明治二六 ) 面積二〇四五平方キ。、人口一〇一万二〇〇〇 八三三年 ( 一九会推計 ) 。人口密度は一平方キロ当り四九五人領有権が確定された。イギリスは、一 もりしたうそん ( 天九 0 ー一九六五 ) 編ストラスプール大学薬理学教室に留学、シュミ 森下雨村 ちゅうみつ ーデベルク教授に師事、マチン塩基ストリキニで、アフリカでもっとも人口の稠密な国であの奴隷解放ののち、アフリカ人にかえてインド 集者、翻訳家。本名岩太郎。高知県生まれ。早 せだ ン鉄の生体内変化を研究。九八年帰国後、新設る。首都はモーリシャス島北西岸のポート・ル人労働者を導入し、一八六〇年ごろには、イン 稲田大学英文科卒業後、博文館に入社。一九二 ド人は全人口の三分の二を超える二〇万人に達 〇年 ( 大正九 ) 雑誌『新青年』を創刊して編集の京都帝国大学教授に就任、医科大学部薬理学イス。 せきさん 長となり、海外推理小説の翻訳を多数掲載する講座を創設。漢薬石蒜塩基リコリンを発見、薬〔自然〕国土の九二 % を占めるモーリシャス島した。第二次世界大戦後の一九四七年に自治が と同時に日本の作家の育成にも努め、江戸川乱理・生理作用研究の基礎を確立した。京大医学は、レュニオン島からセイシェル諸島に連なる認められ独立運動が高まったが、インド系とク 歩、小酒井不木、甲賀三郎らを同誌で紹介して部長、京大名誉教授。京大薬学科創設の貢献者マスカリーン海嶺上に噴き出した古い火山島でレオール系 ( フランス人と黒人の混血 ) との対 〈根本曽代子〉ある。全体に溶岩に覆われた緩やかな高原地形立から難航した。しかし、六三年の選挙でイン 推理小説の興隆に大きく貢献した。フレッチャである。 まんぞうてい もりしまなから <> 万象亭 で、海岸にはサンゴ礁が発達する。気候は南東ド系の労働党のラムグーラム政権が 、オップンハイム、クロフツなどの翻訳もあ森島中良 貿易風に影響されて、南岸や東岸では年降水量樹立され、六八年三月イギリス連邦内の自治国 として正式に独立を達成した。 が一二五〇ミリ、山地では五〇〇〇ミリであるが、 〔政治・経済〕独立後もインド系とクレオール 西海岸では七五〇いに減ずる。気温は全般的に 高く、月平均気温は一 ~ 四月は二五度 O に達す系の対立が続き、一九八二年の総選挙では、ク るが、その他の月は一九度 0 で、六 ~ 九月は比レオール系のモーリシャス闘争連動 とモーリシャス社会党 ( T) ) によるジュグ 較的冷涼で乾燥する。また、一 ~ 三月にはサイ ノート左派連合政権が誕生した。しかし、 クロンに襲われる。湿潤な地域には森林がみら の内紛、の離反などにより、八三年同 れるが、その他の地域は草原やサバンナとなっ るている。自然植生は低地にのみ残り、平原のほ政権は崩壊し、ジュグノート首相はを脱 退しモーリシャス社会主義運動 (>(f)ä) を結 とんどは耕地化されている。かっては飛べない 鑑 ハト目の大鳥ドードーの存在で有名であった成して、同年の総選挙で勝利した。八七年の総 年 選挙でも同首相の率いる、、モー が、一七世紀末に絶滅した。 3 人 界 リシャス社会民主党の保守連合 〔歴史〕一五世紀にはアラビア人やマレー人の 世 4 年 船乗りが訪れ、一六世紀にはポルトガル人が短が、など中道・左派連合に勝利し政権を 期間滞在した。一六世紀末にオランダ人が植民維持している。政体は立憲君主制でイギリス連 を試み、奴隷を導入して黒檀を伐採したが、一邦に加盟、議会は一院制で定数七〇人、任期は 七一〇年に撤退した。一七一五年にフランス人五年である。外交は非同盟を基調とし、独立以 前にイギリスに割譲させられ、現在アメリカ軍 が本格的な植民を開始し、アフリカ、マダガス フウンド島 57 。第 0 ラット島 モーリシャス 霍マ r. ルー岬 マンズ レ・デュ・レンバル 。 0 / ヾンプ ポート・ル p ポ -r ノ・ ふ要く ン・ド・フラック ・ヨご工ール・ 30k シ マフン 1 : 1 , 500 , 000 リビエール・ノ : シュド・ウェスト マープール 20 。 30 ' S ーイヤック わ 成 構 ロ男女 圦呂 男年 年 0 ) 4- (T) ′ 4- 0 ・ ) 内 (T) 内 3 ・ 0 ) 月 4 ・ 0 ) ・ 4 ・ 4 44- 「 / 「 / ( 0 ( 0 L-n Ln 月瞽 44 っ 0 C'¯) つ」っ」 48 千人 こくたん
やし ヤシ / 分類表 亜科・族 ( 連 ) ・おもな属 掌状葉 オウキ、ヤシ亜科 Borassoideae 6 属 49 種 ・オウギャシ族 ( 連 ) Borasseae オウギャシ属おの s 然 オオミヤシ属ん 0 た コウリバ亜科 Coryphoideae 33 属 384 種 ・コウリバ族 ( 連 ) Corypheae コウリバ属 C の厖 コウリバヤシ = コリファ サバル属 / ガノヾノレ ピロウ属んな / 0 〃〃 ビロウ ワシントンヤシ属示〃 g ん〃 ワシントンヤシ ・ヒトッパクマデヤシ族 ( 連 ) J0hannesteijsmannieae ・シュロ族 ( 連 ) Trachycarpeae カンノンジュロ属 R な カンノンチク シュロ属 T 襯〃ゆ然 シュロ = トウジュロ チャポトウジュロ属 C 〃電電川カ s チャポトウジュロ ウロコゴヘイヤシ亜科 Lepidocaryoideae 3 属 24 種 ・ウロコゴヘイヤシ族 ( 連 ) Lepidocaryeae テングヤシ属 M 〃″ テングサケヤシ 羽状葉 トウ亜科 Calamoideae 22 属 700 種 ・トウ族 ( 連 ) Calameae トウ属朝 / の〃 ラフィアヤシ属〃が〃 ・サゴヤシ族 ( 連 ) Metroxyleae サゴヤシ属 M 川 / 0 〃 サラッカ属 / 砒℃〃 フェニックス亜科 Phoenicoideae 1 属 14 種 ・フェニックス族 ( 連 ) Phoeniceae フェニックス属 ( = ナツメヤシ属 ) Phoenix サトウナツメヤシ , ナツメヤシ , カナリーヤシ アレカ亜科 Arecoideae 131 属 1400 種 ・アレカ族 ( 連 ) Areceae アレカヤシ属員尾 キャベッヤシ属 E ″い加 サケミヤシ属、ん s 立〃 ショウジョウヤシ属 Cy 加 s / 靃ない ダイオウヤシ属の 0 〃 タケヤシ属 C ル ) / 濯 0 ゆ トックリヤシ属 Mascarena ホ工ア属〃 0 れ℃ 作成 : 佐竹利彦 代表種 ヤェヤマヤシ ュスラヤシ 亜科・族 ( 連 ) ・おもな属 ヤ工ヤマヤシ属、立ん〃 ュスラヤシ属員尾 / 10 〃 / 0 がに〃え ・キリハヤシ族 ( 連 ) GronophyIImeae ・マガホヤシ族 ( 連 ) Linospadiceae ・ヤハズヤシ族 ( 連 ) Ptychospermeae ・マガクチャシ族 ( 連 ) CIinostigmeae マガクチャシ属 C 〃〃 os 〃 ・ヒメタケヤシ族 ( 連 ) Dypsideae ・アンデスロウヤシ族 ( 連 ) Ceroxyleae ・コプタネヤシ族 ( 連 ) Oncospermeae ・クワズヤシ族 ( 連 ) Oranieae ・ウスパヒメヤシ族 ( 連 ) Geonomeae ・タケウマヤシ族 ( 連 ) lriarteeae ・テープルヤシ族 ( 連 ) Chamaedoreeae テープルヤシ属 C 川ゐ尾〃 テープルヤシ = チャマエドレア ・マーケザスヤシ族 ( 連 ) Pelagodoxeae ニセダイオウヤシ亜科 Pseudophoenicoideae 1 属 7 種 ニセダイオウヤシ族 ( 連 ) Pseudophoeniceae クジャクヤシ亜科 Caryotoideae 4 属 69 種 ・クジャクヤシ族 ( 連 ) Caryoteae クジャクヤシ属 C の 10 / 4 クロッグ属尾〃 g 々 ゾウゲヤシ亜科 PhyteIephantoideae 1 属 13 種 ・ゾウゲヤシ族 ( 連 ) Phytelephanteae ゾウゲヤシ属尸の / ゆ厖 s ココヤシ亜科 Cocosoideae 32 属 660 種 ・アタレア族 ( 連 ) Attaleae オルヒ、クニヤシ属 0 愈〃 ・ステッキャシ族 ( 連 ) Baetrideae モモミヤシ属 G ″〃た / 〃襯 ・アフリカアプラヤシ族 ( 連 ) EIeideae アフリカアプラヤシ属 Elaeis アメリカアプラヤシ属 C() 川こ 0 ・ココヤシ族 ( 連 ) Cocoseae ココヤシ属 CO 夜バ スジミココヤシ属員尾び〃 s な″川 チリーヤシ属女 プティア属お″ プラジルヒメヤシ属 M な川 CO にを襯 ーパ亜科 Nypoideae 1 属 1 種 パ族 ( 連 ) Nypeae パ属第加 代表種 オウギャシ オオミヤシ タコヤシ クジャクヤシ アレンガ = クロッグ , サトウヤシ アメリカゾウゲヤシ トウ ラフィアヤシ サゴヤシ , タイへイヨウゾウゲヤシ サラッカヤシ ノ、ノ、ス ? シ モモミヤシ アプラヤシ コロゾナット ココヤシ = コフラ ジョオウヤシ = アレカストラム = プ ラジルヒメヤシ チリーヤシ プティア ヒメヤシ ピンロウジ = アレカヤシ アサイヤシ サケミヤシモドキ = ジェセニア ショウジョウヤシ ダイオウヤシ タケヤシ トックリヤシ ホ工ア = ケンチャヤシ ッノ、六 ? シ なっている。同属異種の交配性には有無の二種 があり、たとえばフェニックスは交配しやす く、ワシントンヤシ、ホェア、トックリヤシな どはほとんど交配しない。 花弁の色は白、黄白、桃、黄、黄緑、緑、 青、紫、桃紫、褐色などじみである。花序には むち 花柄が小枝に分岐するものと、枝のない鞭状の ものとがあり、一花序に一本だけのものがあ る。雌雄同株でも雌雄別々の花序を発生する例 ( アフリカアプラヤシ、ニッパヤシ ) もある。 同一花序でも花軸によって両性化、雄花、雌花 を別々に着生するものもある。 〔果実〕果実は房状に着生する例が普通で、開 花と結実が間断なく連続するものと、年一回の もの、一生に一回のものがある。果実の構造は じん 被子植物として種皮と果皮からなり、種皮は仁 と種皮からなる。種皮は外種皮と内種皮からな り、木質か厚膜組織のものが多く、果皮は外果 皮、中果皮、内果皮 ( 核 ) からなり、内果皮は 木角質の厚いものになり、種皮と区別のないも のもある。普通は内果皮を種子と通称する。仁 は担と胚乳からなり、胚は子葉、幼芽、幼根か らなり、胚が内種皮に内接し、種皮と内果皮に 珠孔がある。中果皮には糖分を含むものがあ り、種子にはタンパク質、糖分、油脂が含まれ ている。 〔利用〕熱帯民族の生活にはヤシは密接な関係 がある。中近東では六〇〇〇年前からナツメャ シの糖分の多い果肉 ( 中果皮 ) が食料として利 用され、現代でも菓子、果糖、アルコールなど の用途に供される。ココヤシやアフリカアプラ ヤシなどの胚乳から多量の良質な油脂 ( コプ ラ ) が得られ、工業用、せつけん、マーガリン などに利用される。また数種のサトウヤシ類か らは、花柄に切り傷をつけ、切り口から出る樹 とうみつ 液を煮つめ、乾燥して糖蜜、砂糖を得る。量の 多少はあるが、ヤシ全般に砂糖を含み、採集法 さえ案出できれば、量的にはサトウキビの及ば ないほどである。↓やし油 〈佐竹利彦〉 工業原料としてはプラジルロウヤシやグレナ ダロウヤシなどの葉からロウ、サゴヤシの幹か らでんぶん、ラフィアヤシの羽片やオウギャシ の葉柄から繊維、トウからは籐、キリンケッ ( 麒麟血 ) の樹脂から赤色のニスや染料がとれ る。キャ・ヘッヤシ、アメリカバルミット、オウ しんよう ギャシの芯葉はプラジルなどでは生鮮野菜であ り、缶詰にもされる。サラッカヤシ、トウ、オ 159
レビ局が続々と登場し、現在、ローカル民放ラは、積乱雲の下にできた冷気塊が地形の影 、ふ一フ・アル。フ F 「 000 ュ 0 Cé「 00 La H ・ ジオ局が三〇〇〇余局、ローカル民放テレビ局響を受けて川沿いに進むためと考えられて っ pe ( 石禹ー一〈 = 〈 ) スイスの政治家。ロシア のエカチェリーナ二世に孫のアレクサンドル が六〇〇局弱乱立している。は全国放送 いる。移動速度は普通二〇 ~ 四〇キロメート あ ルであるが、ときとして五〇キ。メートルを ( 一世 ) の教育をゆだねられた。フランス革命を依然として独占し、ラジオ三系統、テレビ三 ら に共鳴し、ベルンに支配されていた故郷ポーを系統の放送を行っている。の大株主は産超えることもある。界雷は寒冷前線に沿っ 独立州にさせるために、故国スイスへの干渉を業復興公社株式の九九・五五 % 所て何個も発生するので、全体としてみれば フランスの五執政内閣に求めた。フランスがス有 ) で、運営財源は受信料と広告収入である熱帯より広い幅にわたり、数百キ。メートル も進行する。 イスへ侵入してから故郷に戻り、ヘルべティアが、広告放送は総放送時間の五 % 以下と定めら ひょう れている。 〈田村穣生〉 雹も雷雨に特有な現象で、とくに春雷に 共和国を樹立させ、閣僚となった ( 一七九〈 びよう 0 ハンセン病 多い。直径数メートルの氷の塊で、農作 (0)0 閣僚を追われたのち、政敵の策謀によりら ナポレオン一世に対する謀反の罪を着せられ、 ー・・とう Raiatea 南太平物に大きな被害をもたらす。落雷のほかの ライアテア島 いんせい フランスに逃亡した。一八一四年まで隠棲して洋、フランス領ポリネシア、ソシェテ諸島西部もう一つの雷災である。↓雷〈三崎方郎〉 いたが、ウィーン会議ではポーの自立とスイス にあるリーワード諸島の一島で火山島。南北一一 タカール大学回教研究所員とな 雷雨 らいう rp03a/Groza ロシアの劇ネガルに亡命、、、 の利益を擁護するために活躍した。三〇年には六キ。、東西一六キロ、面積一九四平方キ。、人口約作家 < ・ Z ・オストロフスキーの五幕戯曲。一 たが、八〇年に亡命の地で病没した。一三世 七月革命の影響下に自由党を率いてポー州の民六四〇〇。最高峰トーマル Toomaru 山 ( 一 0 八五九年作。夢見がちな乙女カテリーナは、見紀にマリ王国を建設した名君スンディアタ王の 〈森田安一〉 三一一 ) 。高い山々と周囲のサンゴ礁の海は映画ず知らずの男のもとに嫁ぎ、因習と頑迷に凝り 主化を図った。 伝説を素材とした伝承文学「言葉の主』 ( 一九大 ) しゅうとめ めんば ぐうわ ヾリ・ハイ島になそらえられ、固まった婚家で姑の叱責と面罵に耐えなが が絶筆となった。ほかに宗教的寓話小説「王の ) インド『南太平洋』の / 一フィ Satyajit Ray ( 一九一二ー の映画監督。文学者を父にカルカッタに生まれ北東岸の中心都市ウトウロアにはその名のホテら、愛のない夫に心のよりどころをみいだすこ栄光』 ( 一九五四 ) と「アフリカの夢』 ( 一九六六 ) があ 〈大島襄二〉 とができず、恋人にかけた期待も裏切られ、絶 り、詩的なイメージの美しさがその魅力となっ る。絵画を学び広告会社の美術部に勤務、社用ルがある。 〈土屋哲〉 らいう電光や雷鳴を伴う風雨現象。望の果てにポルガ川に身を投げて死ぬ。作者ている。 で渡英の際『自転車泥棒』を見て感動した。ま雷雨 は、この女主人公を自殺にまで追いやった偽回さくまゆみ子訳『アフリカの子ーー少年時代 強い上昇気流によって生じた積乱雲 ( 雷雲 ) に の自伝的回想』 ( 一九八 0 ・偕成社 ) 伴っておこる。強い上昇気流をおこす原因の違 善、迷信、残忍なロシア社会を、深い真実と詩 からい いによって熱雷、界雷、渦雷の呼び名がある情のなかに描き出し、激しい憤りを込めて告発ライエル Sir CharIes LyelI ( 一七九七ー天 が、実際にはこれらの原因が複合する場合が多している。 〈野崎韶夫〉七五 ) イギリスの地質学者。スコットランドの 回米川正夫訳『雷雨』 (r ロシア文学全集肪』所インノーディーに生まれる。オックスフォード ①熱雷夏季の日射によって地面が強く熱せら 収・一九五九・修道社 ) 大学で法律を学ぶ。のちに地質学に興味をも にゆうどうぐも らいうん積乱雲の俗称。入道雲ともち、業務の合間に地質学を研究した。ロンドン れると同時に、上空に寒冷な空気が流入する雷雲 いう。また、しばしば雷を伴うので電雲とい 大学キングズ・カレッジの教授、ロンドン地質 と、下層の空気は強い浮力を与えられて上昇す イ る。 う。夏の午後、にわかに空が黒くなり、しばら学会会長となる。一八三〇 ~ 三三年に「地質学 くすると、一陣の冷風とともに雷鳴がして激し原理』を著し、ハットンが唱えた学説を「斉一 た『河』のインド・ロケでジャン・ルノアール ②界雷寒冷前線の突入によって暖気が急激に い雨になり、三〇分もすると通り過ぎてしまう説」として提唱し世に広めるとともに、地質学 監督に会って奮起し、私財を注ぎ込んで「大地上空に押し上げられる。 に近代科学としての光をあてた。ダーウインは のうた』 ( 一九五五 ) を発表、これがカンヌ映画祭 ③渦雷低気圧や台風では風が周辺から吹き込天気の変化は、雷雲のしわざである。発達中の 雷雲は空にそびえて雄大な感じを与えるので、進化論を提唱するにあたってこの著作の影響を で受賞し世界の注目を集めた。続いて『大河のむので中心部で上昇気流となる。 ばんどう たんば 坂東太郎 ( 関東 ) 、丹波太郎 ( 関西 ) などとよ 強く受けたが、ライエルもまた後年ダーウイン うた』 ( 一九五 0 、『大樹のうた』 ( 一九五九 ) と三部作 雷雨の大きさは普通、水平方向に数十キロメー ばれることがある。北アメリカ中西部でも規模の影響を受けた著作『古代の人間』 ( 一会三 ) を を完成。さらに『大都会』 ( 一九六三 ) 、『チャルラトル、鉛直方向には対流圏の頂部 ( 圏界面とい ータ』 ( 一九六五 ) 、『遠い雷鳴』 ( 一九七三 ) の三作がい う。高度は一〇 ~ 一五キ。メートル ) に達する。の大きな雷雲が発生し、しばしば竜巻 ( トルネ著している。終生熱心な自然観察者であり、老 〈木村龍治〉 いても野外調査を捨てなかった。また、自然を ード ) を伴う。↓積乱雲 この高度での気温は零下二〇度 O 以下であるか ずれもベルリン映画祭で受賞、以降も『チェス をする人』 ( 一九七七 ) 、『家と世界』 ( 一九会 ) などをら雲粒は氷結している。積乱雲の後部では激しライエ Camara Laye ( 一九天ーハ 0 ) ギ一一観察してその記述にとどまるだけでなく、それ かじゃ から説をたてることをつねに心がけた。世界的 い降雨に引きずられて冷気が下降し、雷雨時に アの小説家。鍛冶屋の子に生まれ、回教学校か 発表している。これらの作品は、インド独自の 〈木村敏雄〉 な地質学の指導者であった。 らコナクリエ業高校を卒業、技師になるために 題材によりヒューマンなテーマと詩的な写実表よく経験される一陣の冷風となる。またこのた ほにゆ - っ 現で高く評価される。↓大地のうた〈登川直樹〉め雲の下に冷気塊がたまるので、局所的な高気フランスに留学。苦学と貧困、孤独と不安にさ ライオンま n \ P を斗 e き一き哺乳綱 いなまれながら郷愁の思いを小説に託した回想食肉目ネコ科の動物。かっては熱帯降雨林とサ 圧部ができる。これが雷雨の通過時には一時的 ライ 0 レイ ハラ砂漠を除くアフリカ全域、アラビア半島、 な気圧の急上昇となり、自記紙上に鼻の形に似的自伝『黒い子ども』 ( 一九吾「邦訳名「アフリ —ライイタリア放送協会 Radiotele- 力の子』 ) によって、アフリカ人最初の本格的ギリシア、小アジア、インドまで広く分布した visione ltaliana の略称。一九二四年にラジオた曲線を描くので、これを「雷雨の鼻」とい 放送が始まって以来七四年まで、イタリアのラ 小説家としての地位を固めた。帰国後「個人のが、紀元前一〇〇年ごろにギリシアで滅んでか ジオ、テレビ放送を独占していた特殊な株式会 関東地方の夏季には北西の山岳部に熱雷が発自由」をめぐってセーク・トーレ大統領と意見らは各地で減少し、一九世紀にはケープ、ナタ 社。七四年以降ローカル民放ラジオ局およびテ生し、南東に進行するのが普通である。これが衝突、自宅拘禁状態に置かれ、一九六五年セ ール、アルジェリアで絶滅し、一一〇世紀前半に 1 ライエル 672