川を本流とするラ・プラタ水系の流域は、西は ラブラス変換ー・〈んかん LapIace trans- 域とする。領域でラブラス方程式を満たす一一は G(x こ二畍 ) の ( 畍 ) に関する外法線導 関数である。ノイマン問題に対するグリーン関アンデス山脈、東はプラジル高原に達し、その formation 正の実数で定義された関数 f(x) 回連続微分可能な関数を上の調和関数とい 間に広がるグラン・チャコとパンパの平野を含 数 ( ノイマン関数 ) も定義され、同様の積分表 のラブラス変換は、 5 Ⅱ。 + ぎに対し 1 示が成り立つ。三次元以上の場合についても同む。流域面積は三一〇万平方キロに及び、アルゼ 2 ノラグアイ、 ンチン、ウルグアイ、プラジル、。、 〈小林良和〉 様である。 4 ~ 、、を十十 などは、それそれ平面または空間から原点を除ラ・プラタ La PIata アルゼンチン中東ポリビアの各国にまたがっている。〈松本栄次〉 いた領域上での調和関数であり、ラブラス方程部、プエノス・アイレス州の州都。プエノス・ ラブラタカワイルカ Franciscana78 一はにゆら・ で定義される。したがって、ラブラス変換は式の基本解とよばれる。 アイレスの南東五三キ ラ・プラタ川の河口南 Po ミミ b ぶぎミ哺乳綱クジラ目カワ 暑Ⅳ 0 のとき e ー。、 0 ) 、 x △ 0 のとき恒等的に DuS 上で連続で上の各点で与えられた連岸に位置する港湾都市である。人口四五万九〇イルカ科のハクジラ。プラジルのサントスから 0 になるような関数のフーリエ変換とも考える続関数に等しい上の調和関数を求める問題五四 ( 一 0 ) 。独立以来の連邦主義派と中央集サン・パウロ州東部のウバッパ半島沿岸に分布 ことができる。↓フーリエ変換 を、第一種境界値問題またはディリクレ問題と権主義派の政争に終止符を打っため、一八八〇する。体長一・七、淡褐色の海生のカワイル ラブラス変換の性質として、 いう。が滑らかな曲線または曲面のとき、年プエノス・アイレス州の州都と首都を別々に 力で、二年から三年ほどで成熟する。↓カワイ ルカ 〈粕谷俊雄〉 DuS 上で連続で上の各点でその法線導関数定めることになり、両者を兼ねていたプエノ が ()o 上で与えられた連続関数に等しくなるよう に、言 ) 〕Ⅱに、〕ー s デメ 0 ) ス・アイレスは、各州から独立した連邦首都とラ。フラード Pierre Laprade ( 一 0 五ー一九 な上の調和関数を求める問題を、第二種境界なった。新たな州都は一八八 二年ラ・プラタに 三 l) フランスの画家。南フランスのナルポン 値問題またはノイマン問題という。ノイマン問 決定した。アメリカのワシントンをモデルに近ヌに生まれる。モントーバンでプールデルのア 0 = ) ゝ、ミ』 ) Jf( 』ー』 ) ミ』 ) ならば リでアカデミー・カリエール 題の解が存在するためには、与えられた連続関代的都市建設が進められ、国内で初めて公共街 トリエこ通 ににⅡ三、、こ 数の上の積分が 0 になることが必要であるの灯が設置された。同州の経済力を背景に工業、 に学ぶ。一九〇一年アンデパンダン展に初出 で、このことが仮定される。それぞれが有界商業、金融の中心地として繁栄し、ラ・プラタ 年立下空も色いがや に「、ヾミ」Ⅱ 領域のとき内部問題、非有界領域のとき外部 ロ問国立大学や南アメリカ有数の自然科学博物館も 国れりで灰合る緩る 垂曇に , 色いがせ などがあげられる。 題とよばれる。 あり、文化、教育の中心地でもある。一九五一一 がはこがだて根さ 枝にど景んれ羽じ ラブラス変換はヘビサイドの演算子法の正当 外部問題の解に対しては、二次元の場合、を年から五五年まで、ペロン第二夫人を記念して のう。風すかの感 麦 5 緑こるなく描車を ・ペロンと市名を改称したが、。 ヘロン政権 性を証明したものとして電気工学では広く使わ + ↓ 8 のとき有界、三次元の場合、を + は向いうたく 風れ ド x 館にのてよしない流 〈今井圭子〉 + し 8 のとき 0 に収束するという条件を課失脚により原名に復帰した。 れ、 f( ことに、」 ( s ) の表がつくられている。 一術上森つるとげなの がわ Rio de la Plata その使い方を例で示す。 す。これらの条件の下で、ディリクレ問題の解ラ・プラタ日 ラ美の , がれ調りの時 プ彩代穂り広ら基さきな は一意的であり、ノイマン問題の解は定数項を南アメリカ南東部、アルゼンチンとウルグアイ 0 ) + 5 ) + 又もⅡメ ラ油近麦がが見をで動か 又 0 ) Ⅱミ . ( 0 ) Ⅱミ の間にあって、大西洋に向 無視すれば一意的である。いずれの問題も、境 界が級ならば解が存在する。ただしこの条かってらつば状に開いた を解け。 ラブラス変換をとり、前記の性質回を用いる件は、とくにディリクレ問題についてはもっと湾。実体はエスチュアリー 弱めることができる。調和関数の性質から、こ ( 三角江 ) であるが、慣習 れらの解は領域で実解析的である。 的に川とよばれる。湾の長 % に、〕Ⅱ s に」二ー を平面の領域とする。き暑。こ。 ) が さ三〇〇キロ、湾ロの幅二二 に、」Ⅱ s2 に「をーミ。ー 3 より、 (xo,yo)eD を固定するとき 0. の関数とし〇キ。、水面の面積は三万五 : ( s2 + alS + しに、〕 ( s ) て上の調和関数で、一上で連続、上で 0 〇〇〇平方キロある。湾奥に であるとき はパラナ川とウルグアイリ がデルタをつくって流入し (s + 1 ) + ミに、〕 (s) S2 十】 S 十 02 S 十 IS 十 02 ている。川からの土砂の堆 1 せき 2 よって、この逆変換を求めればよい。↓演算 積が著しく、平均水深は湾 子法 ^ 洲之内治男〉を領域上のグリーン関数という。が十分滑奥部で一・二、湾ロ部で ほうていしき Laplace's らかならば、に対するグリーン関数が存在し一二と遠浅で、各所に浅 ラブラス方程式 だえん て、内部ディリクレ問題の解は 堆 ( バンク ) が形成されて equation 一一階線形楕円型偏微分方程式 D2 ミ D2 D2 ミ おり、航路の確保のために 6 D 2 しゅんせつ 。ー G ( き畍 ) ・ f( v)dSG, こ 6 を Dy2 öx2 öy2 Dz2 常時浚渫が行われている。一、 湾奥にはアルゼンチンの首 とをラブラス方程式といい、均一な等方性媒質ので与えられる。ここで f( 畍 ) は上で与えら 都プエノス・アイレス、 、ら定常状態における温度や静電ポテンシャルなどれた境界値であり、 岸にはウルグアイの首都モ 、ふはこの方程式で表される。 ーー G(x こ二畍 ) D ミ ンテビデオがある。パラナ 、らを有界な境界をもっ平面または空間の領 (iv) 1 1 2 1 、 2 793
やねしよ 屋根 ①② ③ 海外の建築物にみる屋根の 形式 せんとう ①尖頭ゴシック様式の大 聖堂にみられる尖頂屋根 フランスシャルトル大聖 堂南尖頂屋根 1160 年 ②ルネサンス期のドーム。 クーボラ ( 円蓋 ) の直径か 42 m にもおよぶサン・ビエト ロ大聖堂。石材のリプが宝 - 物 = 物 0626 年完成 , 、市国 ③ねぎ玉。後期ビザンティ ン様式にみられるネギ頭形 ドームが中心の教会堂を取 り囲む聖ワシリー大聖堂 1561 年完成ソ連 ー . ラを冫お第 - ー 0 ノ、 ⑤ ④ 草、茅、藁などはいまでも農家などに用いら板などが用いられる。亜鉛めつき鉄板には波板 と平板があるが、防錆塗料を頻繁に塗り替えな れており、古く粘土瓦などの一般化しなかった ければならず、近年では仮設建築のようなもの 時代にはごく普通の葺き材料であった。柿は ひのきまき 檜、槙など比較的に水に強いと考えられる本にしか用いられなくなり、カラー鉄板にとって く 材を薄い短冊形につくり、竹釘を使って張り重かわられつつある。カラー鉄板は鉄板にあらか ねるもの、檜皮は檜の樹皮を張り重ねるものじめ塗料を焼き付けたもので、工事現場で塗料 造を 木線成で、社寺、宮殿などに使用されてきた。檜のかを塗るよりも防錆効果に信頼性があるとされて 的曲完わりに杉の樹皮を用いる場合は杉皮葺きとよば いる。銅板は金属板のなかでは最高級の材料 ろくしよう れる。板葺きは、垂木に直接板を並べるが、風で、耐久性に優れ、緑青の吹き出したものに る屋明 れた で板の飛ぶことのないようその上に石を置くこ は独特の風情がある。カラー鉄板と銅板は平板 らつ国 とがある。これら植物性のものは保温性に優れを使用し、防水紙を敷いた裏板上に葺く。葺き 見反中 多は城凍害を受けるおそれもないが、耐久性に乏し方には平葺きと瓦棒葺きがある。平葺きは裏板 へいたん ンに物禁 く、とくに耐火性にまったく欠けるので、現在のとおり平坦に葺き上げる方法、瓦棒葺きは勾 サ帯築紫 では文化財建造物など特別な場合を除いて、市 配に沿って一定間隔に桟を打ち付け、その桟の アのる 学 ( ジ国い 街地で用いることは建築基準法により禁止され上にも板をかぶせる方法で、もとより後者のほ うが雨漏れのおそれは少ないとされている。 ている。なお植物性材料、とくに草や藁は相当 東たっ 厚く葺いても水を透過しやすいので、これらをすれの場合も板の継ぎ目ははぜ継ぎとするため 築なと ・建と徴用いた屋根はおのずから急勾配につくられる。 端を折り曲げなければならず、カラー鉄板では 1 造地特 ゅうやく 粘土瓦は材質的にいぶし瓦と釉薬瓦に大別さ この部分の塗料がはがれ、発錆の原因となるこ 1 一木のが 一の祥 1 檐 国発た とがある。銅板ではこの心配もなく、その意味 れ、形のうえから桟瓦、本瓦、 ()n 型、スパニッ 中築っ ↓小屋組み↓瓦 シュ型などに分類される。いすれも粘土を成形でも最高級の材料といえる。 ⑤建も 〈山田幸一〉 ↓入母屋↓切妻↓寄棟 し窯焼きしたものであるが、釉薬をかけたもの のほうが色彩を自由につけられ、吸水率も低く屋根裏部屋やねうら・ヘや屋根の裏側にあ できる利点はある。しかし和風建築では一般に り、屋根の小屋組のすきまを利用してつくられ いぶし瓦が好まれ、銀灰色の甍の波は古い日本た部屋。物置やアパートの安い居室として使わ の町並みを飾る風物詩となっており、千数百年れる。下方は天井により区画されている。建物 は本造や鉄骨造の場合が多い。草葺き民家の場 の使用実績を通じて日本人にもっとも親しま れ、かっ信を置かれている。葺き方は各粘土瓦合は、地方によって「つし」 ( 全国的 ) 、「あま」 ひだ とも裏板の上にいったん薄い柿板を敷き、さら ( 飛騨、北陸 ) 、「たな」 ( 東京三多摩 ) などの呼 かわら にその上に葺き土を置いて瓦をのせるのが基準称があり、物置、蚕室などに利用する。瓦葺き である。しかし重量を軽減するため柿板、葺き屋根の場合は、和小屋のままでは利用しがた く、「小屋裏」と称される。まれに登り梁構造 一土を用いず、そのかわりに防水紙 ( アスファル などとして、使用人の居室、物置として利用す トフェルト ) を敷いた裏板の上に桟を打ち、こ れに瓦を引っ掛けるものもある。この種の桟瓦る例もある。採光や通風に限りがあるので、用 を引っ掛け桟瓦という。葺き土、桟打ちのいず途に応じて照明や換気のための設備を取り付け くぎ れの場合も、必要に応じ銅釘、銅線で瓦を固定る必要がある。天井に設けられた簡易扉から、 することがある。 梯子または可動式階段を伝わって出入りする。 天然スレートは、粘板岩の薄板を一定の形に 独立性が非常に高いので、プライバシーを重ん じる現代の人々に見直される傾向にある。 切断して、裏板、防水紙の上に葺くもので、明 なお、古典建築において軒蛇腹 ( コーニス ) 治期の赤れんが建築の屋根に愛用されており、 うろ・一 通常は鱗状の仕上がりとなる。石綿スレートと上に装飾などのためにつくられた壁の部分 ( 中 様もら一なン よばれるものは石綿をセメントで固めた成形板二階にあたる ) をアティック attic といい、 ムとげドもイ レ ラ外上のに で、波板と平板があるが、高級建築にはあまりのちに屋根裏部屋もアティックとよぶようにな ス内仕央成 〈中村仁〉 イ。で中田完マ用いられない。セメント瓦はセメントを粘土瓦った。 ム石。は年ジ 屋根を葺く専門職人。屋 状に成形したもので、使用法もほば同じである屋根職やねしよく 一理は墓さ弡一 わら かわら ンド大廟高タ が、やはり高級建築には用いられない 根は古代から藁や板で葺いたが、瓦を葺く瓦葺 3 イの白たの ④式にれムるド 金属板には亜鉛めつき鉄板、カラー鉄板、銅きと瓦を焼く瓦焼きというエ人が八世紀にはい まうせい
ひろしげ のうきよう 酸ナトリウムが輸血用の抗凝固剤としてきわめ帝国大学の塩田広重がそれそれ膿胸患者、子で、昔ながらの安全性に問題のある注射器によ板の成分採血を実施するというものである。 まくらもと きんしゅ る「枕元輸血」を細々とやっている段階であ〔血液検査〕採血された血液が輸血として安全 て有効であることを発表した。これは輸血史上、宮筋腫の患者に輸血したのが最初とされてい かわいし に使用できるかどうかを確認するために血液検 血液型の発見と並び称される輝かしい功績である。その後、河石九二夫、広瀬信善らによってった。また、輸血もすべて売血による新鮮全血 る。さらに一六年アメリカのラウス p. Rous 輸血が施行されたが、当時にあっては、先駆的輸血であったため、一九四八年 ( 昭和二三 ) に査が行われる。一般的な検査としては ばいどく は東京大学分院において「梅毒事件」 ( 輸血に式、式血液型の判定、不規則性抗体スクリ な危険の多い治療法としてあまり普及しなかっ とターナー J. R. Turner は、クエン酸ナト ーニング ( 選別 ) 、梅毒検査、輸血後肝炎防止 こ。しかし、三〇年 ( 昭和五 ) 一一月、時の内よる梅毒感染 ) が起こった。やがて日本赤十字 リウムに少量のブドウ糖を添加すると、保存中オ おさち のための HBs 抗原検査、肝機能検査などであ 社はアメリカ赤十字社の援助を受け、保存血液 の血液の品質保持の効果はさらに大きくなるこ閣総理大臣浜口雄幸が東京駅頭で凶弾に倒れた の製造を始めた。そして五二年、日本赤十字社る。なお、一九八六年一一月からはエイズ とを発見した。こうして三七年アメリカ、シカとき、輸血によって救われたというニュースに (>) 検査、成人細胞白血病 ゴのクック・カウンティ・ホスピタル Cook よって、輸血は一般大衆の知るところとなっ による最初の血液銀行 ( 後の血液センター ) が , リットルの輸血をして東京につくられた。また、同時期に二〇以上に検査が追加された。これらの検査にすべて合格 た。塩田らは計四〇〇 : , County Hospital に世界で最初の血液銀行が したものだけが輸血として供給される。 創設された。このときの血液の有効期間は一〇開腹手術を行っている。この事件は日本におけ上る株式会社、法人組織などによる血液銀行が なお、献血の際には、血液の生化学検査サー 日間であったという。四三年になるとイギリスる輸血の発展、普及に大きく貢献したできごと誕生し、売血供血者より採血して血液を病院に ビスとして次のような検査も行われる。①肝臓 提供した。これら血液は麻酔、抗生物質ととも のローチット J. F. Loutit およびモリソンでもあった。 に大手術を可能にし、日本医学の復興期にあたや心臓に含まれる酵素を調べて、臓器障害をチ その後欧米では第二次世界大戦を契機に輸血 P. L. MoIIison は、現在一般に使用されてい ェックするトランスアミナーゼ (0 ) 検 の領域は大きな改革期を迎え、戦後に一大飛躍って多大の貢献をした。しかし反面、売血者の る抗凝固保存液液 ) の製造に成功し、 じんぞうひぞう 輸血の画期的な発展へ道を開いた。なお、日赤を遂げたが、わが国では、戦後荒廃した病院環境が悪いこともあり、輸血後肝炎が大きな社査、②腸や腎臟、脾臟などに分布している酵素 会的問題となった。このため民間血液銀行もしで、とくに骨が新生されるときに多くなった 血液センターでは、八四年 ( 昭 準 上 だいに業務を縮小し、ついに六四年、閣議決定り、妊娠しているときにも増加するアルカリフ 和五九 ) まで液を使用し 基 以 血 オスファターゼ ( ) の検査、③一定に保 により、採血や供給は、日本赤十字社を中心と ていたが、八五年からは 採 たれているはすのタンパク比率を調べる総タン する献血で行われることとなった。七三年以 液よりもクエン酸含有量が少な 分内歳も 成リスと ハクとアルプミン・グロ・フリン比 (A/G ) 降、血液確保はすべて献血によってまかなわれ く、 O 液に含まれていない 板 ~ 女 / 0 の検査、④タンパク質が体の中で利用され、尿 ることとなり、現在に及んでいる。↓血液セン リン酸二水素ナトリウムを含有 素として正常に腎臓から排出されているかどう する液を使用している。 かを調べる尿素窒素 (2DZ) 検査、⑤血液脂 〔採血基準〕献血はだれにでもできるというも 液は赤血球の酸素連搬能 上 準 のでなく、供血者の安全確保のうえから、採血肪の一つで、これが多くなると血管系に関連し をより高く保つことができるの 基 血 上 基準が決められている。第二次大戦後、わが国た病気がおこることもあるコレステロール検 で、有効保存期間は < 液と 採歳も 査。このような検査は健康状態のチェックに活 における献血の採血量 ( 一回採血量 ) は長らく 同様二一日間である ( 表 1 ) 。 分 上レ似以内採内 日ヨハ公いョス 成 1 ~ 女 2 ノ / 、リットルであった。しかし、この量は用することができるものである。 二〇〇、リ 〔日本における輸血の始まりと 血 漿歳・ お 全 血 〔血液製剤の種類〕採血して検査が終わった血 4 男 1 1 ^ 0 世界各国に比べても最少量であるばかりでな 0 取一週回 献血〕日本での輸血の始まり を 隔 上 、全血輸血をする場合、あるいは血液各成分液は、全血のままか、あるいは表 3 のような簡 は、一九一九年 ( 大正八 ) 九州 上 の せ内内月 準 を輸血する場合においても、臨床的にみて少量単な遠心操作によって血液各成分に分離され、 帝国大学の後藤七郎および東京 以 上上 上 わ以以か 基 以以内内 であることから、一回に多くの単位数を使用せ各種の血液製剤ができる。すなわち、採血され 血 E E 後る間 月月以以 0 0 採 0 0 血す週 液 る 歳も ざるをえなかった。このことは、患者側からみた新鮮血液を遠心して、ます濃厚赤血球と多血 かか回回血 つん 8 休レ」 4 < bC bC bC っ 0 ・ 4 ワ 上で 加量 、ら 以全 小板血漿に分離する。多血小板血漿は、さらに れば免疫、感染の面から問題のあるものであっ ( し ~ 女 けっしよう ワ 0 ワ 適 月 E 間回 子子子子 g 子子 た。一方、新鮮凍結血漿や血小板の需要の急遠心して濃縮血小板と乏血小板血漿に分離する 血週次 用・ 0 08 4 ・ -4 ~ 1 男 カ 男女男女男女全 2 る 増とともに、血液製剤のすべてを全血採血のみことができる。乏血小板血漿は血小板を含まな 8 に求めると、赤血球の末使用分が多くなるた せ内内てとてあ ~ 戒 0 / 0 1 準 っ 0 ワワ 00 ワ」 板 わ以以い上いた つ以っし め、血漿成分や血小板のみを採取して、残りの 上上 内内あ 較 0 幻 0 幻適準血 ュュ E に月に施 以以上 血 隔か隔実赤血球はその場で献血者に返還する「成分採 本 基採 漿縮 日 上回回血 8 間 4 間回 -4 Ln 0 の 血血 の子の 4 血」の方法も求められるようになった。また、 レト -4 -4 ョス 血濃 で女でに カ 2 b.Q 液成 ム 板 る アルプミンなどの血漿分画製剤はその大部分を 分 る 0 0 歳子子 0 か子子子子 ウ オテ 血上血週 あ ナつ」ワ 1 0 0 6 男女 1 1 ム 男女男女採以採 4 外国輸入に依存してきたが、血液製剤はすべての カ < 中 分月血を ウ 多血血クシ お レ」 分者鮮 成か全血 自国で確保すべしという ( 世界保健機 ナ 量 板 . ー . 結 液 3 , 採 成血ー↓新 ク 素水は 数量 凍 後子後分構 ) の勧告もあり、一九八六年四月、採血基準液供 血 回血 血男血成 水留 球血鮮 採後採板 の大改正が行われた。その内容は、表 2 に示す血 っ 重量ン数隔施採 O を酸酸糖二蒸 : 献血 血乏新れ漿 血血分小 0 赤 比素タ板間実総 保ンンウ酸用 ro 採 全採成血 ように、従来の二〇〇ミリリットルの採血に加え 項回齢重液色清小血間間 厚 血 1 液工エドン射 ク 表 表 事 1 年体血血血血採年年 て、四〇〇、 . ー . リットルの採血と血漿および血小 ゅ - 輸〔血ククプリ注 1 . 053 以上 12.5g / dl 以上 6. lg/dl 以上 15 万 / 川以上 1 週間以上 12 回以内 1 .053 以上 12.5g / dl 以上 419
やぬす 壁体を相互に緊結するものとして構造上も重要る。ドーム、ポールトはアーチ構法から導き出 2 れ棟棟編 な役割を担うことになる。 される屋根形であるが、組積式建築の伝統をも 隅学よ 〔形状〕屋根は陸屋根と勾配屋根とに大別されたない日本ではなじみは薄い。鋸屋根は垂直面 みずた る。陸屋根は水平な屋根 ( 水垂れ勾配、すなわを北面させ、終日光線方向のかわらぬようにす 主ち 1 、、 100 ~ 5 、、 100 程度のきわめて緩い傾斜はるのに便利で、工場建築に用いられるが、反 ろくだに つけられる ) で、もともと降水量の少ない所で面、長い陸谷をつくるので漏水の危険が多い 〔構造と材料〕陸屋根では連続した不浸透性被 寄用いられたもので、中近東などの砂漠地帯では 木の枝を水平に架し、その上に土をのせただけ膜で防水層をつくって水を遮断する。歩行床の 先 の簡単な陸屋根がごく普通にみられる。しかし場合は防水層の上に保護層を置くが、非歩行床 軒 防水材料の進歩によって、日本のような多雨地の場合は置かず、いわゆる露出防水にすること 谷帯でも採用できるようになった。ただし勾配屋もある。一般に露出防水は耐久性に劣るが、い ったん故障をおこした場合の修理は保護層のあ 本に比し雨漏れの危険の多いことは否めず、と くに木造建築に適用する場合は注意を要する。 るものに比し容易である。被膜材料にはアスフ アルト、合成樹脂、金属膜、防水モルタルなど 状 陸屋根は日本では俗に屋上とよばれ、その上を がある。いすれもコンクリートまたはモルタル 歩行できるようにしたものを歩行床、そうでな と いものを非歩行床と、 しし、それぞれ仕上げ材料面を覆うようにして使用するのが通例である 称 が、コンクリートなどに多少のひび割れなどが 種 が異なるが、いずれにせよ水平面であることに 名 の 変わりなく、とくに歩行床では周囲にパラベッ生じても、それに追随しうる柔軟性のあるもの ト parapet ( 屋上や吹抜け廊下にみられる手すが望ましいとされている。アスファルト防水 越の 屋 り壁 ) や手すりが設けられ、外観ではさらに目 は、同材料を含浸させた紙 ( アスファルトルー 屋根ば 配屋ら壁 だたなくなるから、建築意匠上はそれほど問題フィング ) を溶融したアスファルトを接着材と 屋 勾 とならない。 して張り合わせるもので、現在でももっとも信 やもりおお に、の・ 勾配屋根の形状は、その土地の降水量、建物を置きうる防水層とされているが、熱し の構造、意匠または機能などの要請に基づいてが難で、通常は保護層と併用する。合成樹脂に 屋根は単に雨露を防ぐだけでなく、壁、床と決定され、さらにそのうえに葺き ( 仕上げ ) 材は塗布するものとシート状にしたものとがあ の始めをつかさどる神で、門がすべての行動のともに建築空間を囲うものであるから、熱、料の相違が加わって千変万化する。よく知られり、軽量で高い防水性を得るとされ、露出型、 きりらま 非露出型ともに適用しうる。金属膜はアルミ粉 始まりを象徴することから、門の守護神とな音、視線などを遮り、かっ落下物などによる破ているものに、片流れ、招き、切妻、半切妻、 こしおれ よせむねいりもや 末などを塗付して膜をつくるもので、他の露出 り、前彳 ー麦を向いた二つの頭をもっ姿で表され壊に対しても安全でなければならない。また壁寄棟、入母屋、方 ( 宝 ) 形、腰折、マンサード、 の - 一ぎり えんすい とともに外部に露出しているから、建築意匠を円錐、ドーム、ポールト、鋸形があるが、必型の防水の被覆に使用されることが多い防水 た。犠牲などの宗教儀式では彼の名が最初によ モルタルは防水剤を混入した密実なセメントモ ばれ、またローマ暦の一月は彼の名にちなんで決定する重要な要素でもある。とくに日本のよ要に応じて差掛け、越屋根などの設けられるこ ャヌアリウス Januarius とよばれた。神話に うに多雨の地域では、おのずから勾配をもっ屋ともある。勾配は多雨地帯で急に、寡雨地帯でルタルを塗り付けるものであるが、これだけで おいては、ヤヌスは古い時代にラテイウムを支根をつくらざるをえず、さらに壁面や開口を雨緩になるのが自然であるが、積雪地帯では屋根完全な防水効果を得ることは困難で、通常は他 配した王で、ローマのヤニクルムの丘に都市を水から保護するために軒の出が深くなり、した面に雪を蓄えておく必要 ( 雪の層は断熱に有の防水層と併用される。保護層は以上の被膜の 効。また不時に滑り落ちる危険を避けなければ上に軽量コンクリートを打設し、その上をタイ 築き、ユビテルに追放されたサトウルヌス神がって屋根はきわめて目だっ存在となる。すな ル、モルタルなどで仕上げるのが普通である ならない ) から緩にすることが多い。また葺き ( ギリシアのクロノスと同じ ) を迎えた。このわち、ヨーロッパ系の「壁の建築」に対し、日 本の建物が「屋根の建築」と称されるゆえん材料に透水性の小さいもの ( 例、金属板など ) が、被膜補修を容易にするため、取り外し可能 サトウルヌスは、カピトリウムの丘に都市サト わら ウルニアを建設したという。ャヌスの治世は黄で、屋根の勾配を急にし、しかも軒の出を深くを用いれば緩に、大きいもの ( 例、藁など ) をなプロックなどを置く場合もある。 の 勾配屋根の葺き材料には、植物性のものとし 用いれば急になるのも当然である。日本で一般 しても軒先が低くならないように、野屋根と化 金時代で、彼はラテイウムの住民にさまざまな かや こけらひわだ 技術を教え、野蛮な生活を改めさせた。ロムル粧軒を組み合わせる特殊な構法も独自に開発さ的な形状は切妻、寄棟、入母屋で、建物の性格て草、茅、藁、柿、檜皮、板などがあり、鉱物 かわら によって使い分けられる。たとえば奈良時代ま性として粘土焼成瓦、天然スレート ( 石板 ) 、 スに女たちを奪われたサビニ族がローマを襲撃れた。 だいごくでん 一般の建物では屋根は軅体に支えられるものでの最高級建物 ( 宮殿における大極殿、寺院に石綿スレート、セメント製瓦、金属板などがあ しようとしたとき、ヤヌスは熱湯の泉を噴出さ せて敵を敗走させた。このとき以来、戦争中はで、構造的には死荷重の扱いを受け、意匠的における金堂など ) では寄棟、その後の高級建物り、その種類によって下地の構成も異なる。植 たるき は壁と画然と区別されるのが普通である。しかでは入母屋が、通常の建物では切妻が多い。し物性の場合は、垂木に直交する小舞を水平に並 ャヌスの神殿の扉が開かれるようになったと伝 かし方形平面の建物では方形が、円形平面ではべ、その上に葺き材料を重ねる。鉱物性の場合 ^ 小川正広〉 しドームやポールト屋根をもつもの、またはシ えられる。 は、垂木に裏板を張り、その上に葺き材料を置 屋根ゃね建物の上方を覆って外界から居ャーレン構造のような建物では壁体と屋根が一円錐が都合のよいことはいうまでもない。また めいりよう すれの場合も葺き材料が勾配に沿って滑 住空間を区画するもの。狭義には上面仕上げ材連のものとしてつくられ、両者の境界も明瞭腰折、マンサードは屋根裏を居室などにあてるく。い このような場合には、屋根はかえってことができ、洋風建築によくみられる形状であり落ちないようなくふうが凝らされる。 ( 屋根葺き材 ) とその下地部分をさし、広義にでない ふ 半切妻 切妻 越屋根 腰折 / ノノ くたい ( 切妻 ) 庇
らっこ ラックレール式鉄道 歯形軌条の種類 匚アプト式 にラックを刻んだ特殊なレールを敷設し、この はその逆の運動を得たいときに使用される。↓ 動力によって駆動されるピニオン ( 小歯車 ) を開発・改良が進められ、一九世紀末ごろにもっ レールを水平に、両側からビニオンで押さえっ とも普及した。 歯車 〈中山秀太郎〉 かみ合わせて走行する鉄道。勾配の程度によっ けるようにかみ合わせて走行する。発明者はロ 〔方式〕①アプト式一八八五年にドイツのハ ラックカイカラムシ lndian lac insect て、粘着動輪と併用したり、ラック駆動のみで はんし ルツ鉄道で最初に採用した方式である。薄手のヒャー Eduard Rocher ( 一会 0 ー一九一 0 ) であ \ トミ c 、 lacca 昆虫綱半翅目同翅亜目の走行したりする。アプト式、ストルプ式、 〈松澤正一一〉 ゲンバッハ式、ロヒャー式などがある。普通の鋼板にラックを刻んだ二 ~ 三枚のラックレールる。 ラックカイガラムシ科に属する昆虫。インド、 インドシナに分布し、シェラックの原料となる鉄道は、鋼製のレール上を鋼製の車輪で走行すを、ラックを少しずらして線路の中央に敷設回土木学会編『土木工学ハンドブック』 ( 一九 六七・技報堂出版 ) し、これに対応する枚数のピニオンをかみ合わ 樹脂状の分泌物を出すので商業上重要な昆虫るため、レールと車輪との間の摩擦が小さく、 で、かってはカイコ、ミッパチとともに三大益勾配の征服には弱い欠点をもっている。ラックせて走行する。発明者はアプト Roman Abt ラックワニス 0 セラック レール式鉄道は、急勾配の区間に用いられる方 ( 一会 0 ー一九三三 ) である。↓アプト式鉄道 一フッコ〔猟虎〕 sea 0 ( ( er \ E を d きき・ 虫とされた。台湾にも移入されたことがある。 ほにゆろ・ ②ストルプ式一八九八年にスイスのユングフ哺乳綱食肉目イタチ科に属する海獣。成 雌はやや球形で頭と尾端部が細くとがり、はね式である。 あし こんせき 〔歴史〕もっとも古いものに、 ノ一二年にイ ラウ鉄道で最初に採用した方式である。レール体の頭胴長は一・一 l> 、尾は〇・四。体重は も脚もなく、触角も痕跡的、体はやに状の分泌 し - う - 」う の頭部の大きなラックレール一本を敷設し、そ二五 ~ 四〇キ。。雄は雌よりやや大きい。イタチ 物に包まれている。体の中央辺に多数の小孔ギリスのプレンキンソップ Joho Blenkinsop ( 一大三ー天三一 ) が特許をとった方式がある。これにピニオンをかみ合わせて走行する。他の方に似た体形であるが、頭部は上下に平圧された があって、やに状物質ラックを分泌する。雄に は有翅型と無翅型があり、年二世代のうち、第れは、レールと車輪との粘着力の小さいことを式に比較して構造が簡単なため急速に普及し形で、胴は長く筒形である。ロ辺の感覚毛は長 へいたん 発明者はストルプ Emil Viktor Strub くて目だっ。前肢は短くて小さい。指の間には 一世代は両型が現れるが、第二世代は無翅型だ考慮して、平坦線でも断面が形のレールの直た。 水かきがあるが、器用に物をつかむことができ けである。幼虫は第一齢だけ脚が完全で移動で立面の外側に等間隔の突起のあるレールを敷設 ( 一会〈ー一九 0 九 ) である。 ハンる。後肢は大きく、水かきが発達し、遊泳器官 ③リッゲンバッハ式アメリカ、ニュ きる。多種の樹木を宿主とすることが知られてし、それに前後の走行用車輪 ( 動輪 ) の中間に いる。ラックカイガラムシ科 Lacciferidae (lac 同径の歯形の動輪をかみ合わせて走行する機関プシャー州のワシントン山の鉄道で一八六九年として適応している。尾は平たく、先端はとが に採用した方式である。二枚の鋼板の間に一定る。体色は黒褐色から灰褐色まで個体差が大き insects) の種はほとんど熱帯から亜熱帯にか車を使用する方式であった。しかし、普通の粘 、頭部ほど淡い。年をとるにつれて銀白色に 間隔に、丸棒 ( マーシュ式 ) または角棒 ( リッ けて産し、雌は丸くて、やに状の分泌物に包ま着方式でも、わずかな勾配の走行には支障のな 〈中根猛彦〉 いことがわかり普及しなかった。一九世紀の後ゲンバッハ式 ) を細かく固定した細い梯子状の変わる。綿のような下毛と、太く長い上毛から れる。 。ー・しきてつどう走半になって、ヨーロッパやアメリカで登山の大レールを敷設して、これにピニオンをかみ合わなり、一つの毛穴から一本の上毛と約七〇本の ラックレール式鉄道 行用のレールの中央にラックレール rack rail 衆化に伴い、登山鉄道や山越えの鉄道が次々とせて走行するものである。発明者は丸棒式がア下毛が生える。密に生えた下毛の間の空気の層 が保温の役目をする。 ( 歯形軌条 ) を敷設し、それに対応する車両の敷設されるようになり、改めてラックレールのメリカのマーシュ SYlvester Marsh ( 天 0 三ー ラッコは海生で、岩礁に上ることもあるが、 会 ) 、角棒式がスイスのリッゲンバッハ Nik ・ 軽車に クれ 一関 , れッず県 laus Riggenbach ( 天一七ー究 ) であるが、両者通常は海岸の岩礁域の海の中で生活し、背中を 4 ラっ野 下にして水面で休んだり、泳いだりするのが特 は関連することなく別個に考案された。 横気治入たたず長 線電明輸れっし ④ロヒャー式一八八九年にスイスのピラトス徴的である。その際には頭と前肢を水面に出 4 らさ合少物 . ・越 0 年か用みが念 し、後肢と尾で推進したり体の・ハランスをとっ 鉄道だけが採用した方式である。平鋼棒の両側 挙信ッ使かル記 イてと一道 上印 , ドれンレ鉄 形でかさオク 道 0 急車わニッる 鉄 o が関合ビラか 式配機みののわ 主ぎルる勾気組車枚が 一走は電と関 3 と レを問の式機。こ駅 " 】を礬ク間区初ト同ルる沢 ッ沢の鉄プ〕一い井 ラ井こ国ア〔レて軽 4 0 2 . ストルプ式 3 . リッゲンノヾッハ式 4. ロヒャー式 1 ラッコ〔上〕貝類のほか , 筬動物 , 節足動物を食べる 〔下〕胸の上に子をのせたまま休息する雌親 751
へんけい しゃればんこほん し、刺胞をもった腔腸動物との、また扁形動物遊子方言ゅうしほうげん洒落本。小本一児に対しては、その教育内容を豊かにしてやる って、専制政治を行った。自由民権派は、このよ うずむし うな事態を一握りの有司による専制とよび、有の下等渦虫類との類縁関係を、程度の差はある冊。一七七〇年 ( 明和七 ) ごろ江戸刊。作者田ことのはうが重要だとみなされるようになって 3 し ただのじじい しんやめいだん へつつとうさく きた。すなわち、質的促進をねらう教育方法で 司専制が続く限り国家は崩壊するとして、その にしても認めることでは一般に一致している。舎老人多田爺の正体は『萃野茗談』 ( 平秩東作 たんば ↓クシクラゲ 〈山田真弓〉著 ) にいう丹波屋利兵衛か。丹波屋は大坂の本あって、「拡充法」とよばれている。一般には、 打倒を目ざして運動を展開していった。↓自由 ゅ 民権運動 〈・後 ~ 滕靖〉 有糸分裂ゅうしぶんれつ動植物細胞の核分屋だったが、一七六一年 ( 宝暦一一 ) 以後江一尸特殊学級や特殊学校を編成することによって実 回原口清著『日本近代国家の形成』 ( 一九天・岩裂の一様式をいう。細胞サイクルの期 ( 有糸で文林堂として活躍した。内容は通人ぶった男施される。優秀児たちは普通児から分離され、 がその通を示してやろうと、うぶな息子を連れこれらの学級でより広い経験をしたり、豊富な 波書店 ) ▽遠山茂樹著『日本近代史』 ( 一九分裂期 ) にみられる基本的な様式で、古くは間 七五・岩波書店 ) 接核分裂ともよばれた。無糸分裂 ( 直接核分て吉原に遊んだのはいいが、結局半可通を暴露内容の事柄を学習したりするのである。しか して嫌われ、かえって息子がもてるというも し、この方法をとると、優秀児には優越感を、 ゅうしつどうぶつ動物分類学上、裂 ) に対する語である。無糸分裂では核が引き 有櫛動物 普通児には劣等感を抱かせるし、さらに優秀児 一門 ctenophora を構成する海産の一動物群。伸ばされて一一分するのに対し、有糸分裂では染の。写実と滑を基とする短編遊里小説という けさくひょう いわゆるクシクラゲ類 comb ・」 erries のことで色質 ( クロマチン ) が凝縮して染色体が形成さ洒落本の定型を確立。洒落本評判記『戯作評が将来、社会生活の一員となるうえでかえって ばんはなのおりかみ 、一うちょう こよ多くの問 ある。かっては腔腸動物門のなかに一括され、れるとともに、微小管をその骨格とする紡錘体判花折紙』 ( 天 0 一 l) に「小書いしゃうつけの開障害になるなど、この「分離法」。。 〈中野三敏〉題点が含まれている。そこで現在では、普通学 または分裂装置 ( 紡錘体と星状体からなる ) が山」と称された。 その一亜門とされたことが多く、また現在でも できること、染色体が紡錘体上で両極に一一分し回中村幸彦著『遊子方言評釈』 ( 『鑑賞日本古典級のなかで、自由学習や課外活動を活発に行わ 便宜上そのように取り扱われることがある。 文学洒落本・黄表紙・滑稽本』所収・一九せたり、個別指導を徹底的に施したりして、優 て核分裂が完了することが特徴である。有糸分 有櫛動物という名称は、繊毛の短い横列が小 しつばん 大・角川書店 ) 秀児の優れた能力を伸ばしてやることに重点が 板の上に並んだ櫛板というものをこの動物がも裂は次のような経過をたどる。まず、期 ゅうしゅうじ gifted children 知置かれている。↓英才教育↓天才〈瀧澤武久〉 っていることによる。八列の櫛板が縦に体のほ Z< 分裂期 ) で合成を完了した核が期優秀児 らせん の前期に入ると、核内のクロマチン糸は螺旋に的能力に優れ、しかもその優秀性が絶えず不変回森重敏・酒井清編『優秀児』 ( 一九六三・誠信書 ば全長にわたって伸び、その繊毛の運動によっ 房 ) て海中を進む。体は放射相称ではなく二放射相巻き込まれ、ソレノイドとよばれる長い円筒状のままであり続ける子供を優秀児とよび、単に の構造からスー パーソレノイドとなり、さらに学業成績が優れているだけの学業優良児とは区憂愁夫人ゅうしゅうふじん Frau Sorge 称である。体が外皮・内皮の二層とその中間の ちゅうはいよう ちゅうこう 螺旋を重ねて染色体となる。それそれの染色体別される。すなわち、一二〇ないし一三〇以上ドイツの作家ズーダーマンの長編小説。一、 中膠とからなり、真の中胚葉が形成されない の知能指数 (—C) をもっ子供をさすが、この七年刊。故郷の風土と素朴な人々の生活を自然 こと、また神経中枢がみられず神経系は網目状はさらに縦裂して互いに接した染色分体をつく であることなどは一般の腔腸動物と共通であるる。一方、中心体は期に複製を始め、期のなかには、知能指数一四〇以上のいわゆる天才主義的手法で描き、作者自身の青春への思いと が、一方で腔腸動物にかならずみられる刺胞を後期には二つに分離して核の両側に位置する。児も含まれる。ターマンによると、優秀児は一耐乏生活を反映した自伝的教養小説。「憂愁夫 第 : つは」・つ 欠いており、そのかわりに膠胞とよばれる特別期の前期になると星状体の形成が始まる。星般に、知能が卓越しているだけでなく、情熱的人」とは伝説上の女性で、その姿を見た者には な粘着性に富む細胞が存在し、また発生中にプ状体は、無数の微小管が中心体から立体放射状で、意志が強固であり、感受性が鋭く、想像力不運が付きまとうという。主人公パウルは子供 のころ、母よりこの話を聞かされ、その姿を見 ラヌラ幼生が形成されないことなど、いろいろに伸びたものである。動物細胞では、前・中期も豊かであり、しかも体力は強健であるという と腔腸動物とは異なった特徴がみられる。有櫛で核膜が消失すると、二つの星状体の間に、多資質を備えている。したがって、社会的適応力る。やがて破産した家を捨て二人の兄が都会に いものでは四〇〇〇本ほどの微小管を骨格とすが強く、将来、社会生活で成功したり、優れた出たあと、一家の中心としてさまざまな逆境の 動物は世界に約八〇種余りが知られている。そ じようじゅ れらの大部分は大洋性で、おもに海流によってる紡錘体が形成される。その微小管の一部は染業績を成就したりする可能性も大きいといわなかで自分の青春も恋も犠牲にして働く。家の 買主に恨みを抱く父が放火しようとするのを阻 運ばれる。数から十数、あるいはそれ以上色体上の動原体とよばれる特定の構造部位に付れる。 〔教育方法〕しかし、優秀児を普通児と同じ仕止するため、やむなく自分の家に放火し、その の体長をもっ比較的大形の動物のなかで、生涯着し、動原体と極を結ぶ動原体微小管となる。 を通じて繊毛をその運動器官としているのはこ紡錘体上では、初めは不規則に配置している染方で画一的に教育していたのでは、能力が十分罪のため弁解することなく刑に服したパウル のろ の有櫛動物のほかにはみられない。ただ、クシ色体が、しだいに紡錘体中央部に集まり、紡錘に発揮できず、欲求不満に陥ったり、怠惰な習は、最後に「憂愁夫人」の呪いを解いて恋人と 〈谷口泰〉 ヒラムシやクラゲムシなど少数の種類では、こ体軸に直交して一列に並ぶと中期である。後期癖を身につけたり危険も少なくない。そこで従結ばれる。 は、染色分体が一本ずつ反対の極に移動する時来、優秀児のために特別な教育方法が施されて回池谷信三郎訳『憂愁夫人』 ( 角川文庫 ) のような繊毛をもった櫛板を成体では二次的に ゅうしゅどうぶつ動物分類学上、 失ってしまっており、そのためこれらでは特有期をよぶ。この移動は、主として極と染色分体きた。まず、「促進法」とよばれ、普通児より有鬚動物 ほふく 門 Pogonophora を構成する動物群。分類 も入学時期を早めたり、短期間で進級させたり一 の動原体を結ぶ動原体微小管束の働きによる。 の匍匐運動がみられる。また、数千の深海に 力いとう - 一う すむもの、また浮遊性のサルバ類の外套腔の中両極に集まった染色分体は染色体胞となり、互して、所定の課程を普通児よりも早く終了させ学上、半索動物、環形動物の貧毛類や多毛類な じようかく いに融合して娘核をつくる。これが終期である方法があげられる。優秀児の家庭での早教育どに近縁な動物といわれているが、まだ系統上 に寄生するヤドリクシクラゲなども知られてい この動物群は世界 の方法も、このなかに含めることができる。確の位置が確定されていない。 る。有櫛動物はつねに雌雄同体で、一般に有性る。この核分裂のあとに細胞質分裂がおこる。 かにこの方法をとると、優秀児の素質の発現がの海に広く分布し、一般に水深数百から数千 生殖のみがみられる。発生の途中でフウセンク植物細胞では、二娘核の間の紡錘体微小管が、 の深海に生息する。 ラゲ状をしたキディッペ幼生となり、その後変細胞を仕切る新たな細胞膜のできる位置を決め促されるし、ターマンが明らかにしたように、 虫体は細長く、体幅〇・三 = 、リ、長さ二〇垰一内 態する。 るために働く。動物細胞では、細胞表層のアク飛び級をした子供は、上級学校でよい成績を収 外のものが普通であって、キチン質の管の中に 有櫛動物が系統上どのようなものから、どのチン繊維によって二娘核の間の細胞質がくびりめるのも、事実である。 しかし知的発達の性急な量的促進についてすんでいる。しかし、一九七七 ~ 七九年にガラ ようにして生じたかについてはさまざまな意見切られることにより、二個の娘細胞ができる。 パゴス地溝帯の水深二五〇〇の深海底から、 〈酒井彦一〉 しか図し細胞分裂 は、今日では疑念がもたれており、むしろ優秀 があり、学者の見解は一致していない 第一つナい - 」がき
雪 / 積雪の外観 じ」 . ぶき せっぴ ①雪庇山の稜線上で地吹雪によってできる異常な吹きだまり。 風下側に張り出して成長する ②サスツルギ南極大陸でのもので , 寒冷なカタバチック風 ( 斜 面下降風 ) によって雪面が削られている。風は写真の下から上に 向かって吹いている ゆき人い新 ③雪饅頭雪は粘着力があるので , 電柱上に積もった雪は電柱の 頭上を覆うように大きく積もる。帽子をかぶったようなので冠雪 ともいう ゆきひも ④雪紐細い物体上に積もった雪が , 独自の粘着力のために垂れ 下がったり , ねじれたりして紐のような状態になる によって得られた雪国生活の明るさも、お金と石油エネルギ囲 ーの莫大な消費でもたらされたことを思えば、将来の見通し はけっして甘いものではない 多雪地帯では、屋根に積もる雪は一平方当り一〇〇 ~ 三 〇〇キ。グラムにも達するので、木造家屋では家がつぶれない ように雪下ろしをしなければならない。新潟県の豪雪地帯で は積雪の高さが軒を越し、屋根の雪を「掘る」重労働とな る。それに対し北海道では、急傾斜のトタン屋根で自然に雪 が落ちるようにしている。新潟県と北海道では、雪の物理的 性質も、住宅をめぐる環境も異なるが、住民の雪への対応に も、伝統を守る生き方と、新しいくふうを求める生き方との 相違がみられるように思う。 雪国の明日を生きるためには、昔からの暮らしの知恵を守 りながらも、雪を知ってその対応を研究し、さらに雪を資源 として活用する道を探り、その災いを転じて恵みとするよう 〈小林禎作〉 積極的にくふうしていくことが必要であろう。 〔人間生活と雪〕雪の文化を発達させたのは、まとまった雪 が年に何回か降る温帯都市の余裕のある住民と、北極に近い ゞ一 ( ( 、当・、、地域の狩猟・遊牧民である。高山に雪の降る熱帯・亜熱帯高 地の住民も雪を知ることがあるが、すこし山を下れば暖かい ので、できるだけ避けたい雪に関する文化を発達させるのは まれである。東アフリカ赤道直下のケニア山やキリマンジャ ロのような万年雪を、雪をまったく知らない平地民が遠望す ると、平地民に雪に相当することばがあっても、遠望してい る雪と雪相当語をつなげられずに、塩などの白いものと混同 することさえあった。 温帯の暖かい地方では山地に短期間、少量の降雪があり、 温帯の寒い地方では平地でも長期間相当量の雪が降る。山地 に降雪をみる地中海東岸で成立した聖書では、雪を純潔と無 垢の象徴としたので、ヨーロッパでも「ホワイト・クリスマ ス」に好ましい意味をもたせるが、北上するにつれて長い冬 面融面ら雪 , が 雪は地見いきな の雪の恐ろしさの意識が強くなるのは、グリムの『白雪姫』 に下てでかとり 期のつどらたが とアンデルセンの『雪の女王』の差にみるとおりである。雪 雪ばな な柔つろ 融くと帯。もこ が降るアジア内陸では、少量の降雪が長期間続く所があり、 のえ道地塊積を えさ 先雪水岳のに面 積雪の下から餌をみつけられる馬、トナカイ以外の家畜が多 春。てる山雪上斜 凸し の面て ければ、初雪とともに暖かい冬期放牧地に移動した。多雪地 ば凹中てり状雪れ くる集しく筒たかる 域では雪質にあった移動具が発達した。古代インドでは雪の えきが下ま円っ吹き くしやろん 雪で水流雪る凍にで 文化は貧弱で、『倶舎論』にヒマラヤ ( 「雪山」パミール高 ⑤に雪に⑥れが風ら 原、ヒンドウー・クシ山脈をさす ) への言及があるだけであ る。「牛の目に届く」大雪の降ることのある中国北部の雪の 文化は、ヨーロッパと同様に発達し、雪を高潔、無垢、さま ばくだい のき
いが、大曳にあたる材は梁とよぶ。しかし、こ トル ) とともに、同社の事業内容は大きく変化す回『清史稿四八二巻』▽『清代樸学大師列伝 年間のアメリカの歴史を、一二人の主要人物の 六巻』▽『清代七百名人伝七編』▽章炳の場合は梁を束で支えられないので、さらにそ 連命を通して描く巨大な絵巻模様の小説。断続るに至った。八六年の粗鋼生産高は九六〇万ト / の下に大梁または桁を直交させてこれを受け 麟著『兪先生伝』 ( 『太炎文録初編一一巻し し交錯する物語の合間合間に、 新聞の切り抜だが、同期売上高に占める比率はわずかに二四 ▽梁啓超著、小野和子訳『清代学術概論』る。大梁などを用いるときは元の梁をとくに小 き、流行歌などをコラージュ風に扱う「ニュー % にすぎなかった。その結果、石油・ガスの六 梁という。コンクリートスラブの上に根太を固 ス映画」、この時代の「有名人の小伝」、作者の〇 % 、そのほか一六 % に比べて鉄鋼会社として ( 平凡社・東洋文庫 ) 思索を叙情詩風につづる「カメラの眼」の三種の実態を失うに至ったことを反映し、八六年七床ゆかま or 建築空間の下方を区画する定し、その上に床板を張るものは転ばし根太と の中間章を挿入するなどの実験的手法が用いら 月、社名を・・スチールからコーポ部位をいい、人間はこの上面でもろもろの生活よぶ。転ばし根太の床は仮小屋などで一時的な れている。ここには歴史を動かすパワーをもっ レーションに変更した。同年の売上高は一四〇活動を営むことになるので、床は自重のみなら床を設けるときにも応用され、この場合は地表 英雄は登場しない。逆に、すべての人物は歴史億ドルに上ったが、欠損も一五億九三〇〇万ドルにず、その上にのる人や器具の重量 ( 積載荷重 ) に根太にあたる材料を横たえ、それに床板を打 にもてあそばれ、飲み込まれる平均的人間で、達した。 〈佐藤定幸〉を安全に支える構造でなければならない。床のち付けるだけである。 〔床板〕床板は、その表面をそのまま仕上げ面 もっとも簡単なものは地盤面をそのまま床面と 革命家たちでさえ偉大さの獲得はタブーで、ド TQ ニューズ & ワールド・リポート ューエスーーアンド U. S. News WorId し、またはこれに密着して床を設定する場合でとする場合と、その上に畳、じゅうたんなどを ス・パソスの筆は卑俗な人物たちの描写にもっ たたき よせぎ たてあな とも冴える。だが、ときとして不快でさえある Report アメリカのニュース週刊誌。一九一一一ある。古代の竪穴住居の床は前者、三和土でた敷き、あるいは寄木やフローリングプロックを じゅばくりよ ( この日常的映像は、不思議な呪縛力をもって三年創刊の「ユナイテッド・ステーツ・ニュー たき固めた床は後者の例で、これらは土間床と張るなど仕上げ材を別に用いる場合とがある。 〈平野信行〉 読者に迫ってくる。 ズ』と四〇年創刊の『ワールド・リポート』を総称される。現在、土間床をつくる場合は割栗床一般の性格から摩耗が少なく清掃が容易でか 地業などによって地盤を固め、必要に応じて防っ美麗なもののよいことはいうまでもないが、 回並川亮訳・・ <J 全六冊 ( 新潮文庫 ) 合併して、四八年一月から現誌名で発行してい ューエスーー United る。『タイム』『ニューズウィーク』とともに一一一水処理を施し、その上にコンクリートを打設しその床の使用法によっておのずから強く要求さ ・・スチール States Steel Corp. アメリカ最大の鉄鋼メ大ニュース週刊誌の一翼を担うが、部数がいち各種の仕上げをする。しかし、床のもっとも一れる性質がある。たとえば洋風建築では土足の けたはりねだ ばん少ないためか、強烈なライバル関係にある般的な形は、地盤から離して桁、梁、根太など ままの使用が多いので耐摩耗性がとくに必要 ーカー。一九六五年ユナイテッド・ステーツ・ の横架材を縦横に組み合わせて床組みをつくで、水洗可能なものが求められることもある スチール・コーポレーションの子会社スチ前二誌とは距離を置いてみられることが多い ール・カンバニーがデラウェア州法人として設 データ重視による資料的価値の高さと記事の簡り、その上に水平に床板を張るものである。床が、和風住宅では脱靴するのが普通であるか ら、耐摩耗性よりもむしろある程度弾力性に富 立され、翌六六年ユナイテッド・ステーツ・ス潔さ、それに図表の巧みな処理には定評があ組みは木骨または鉄骨もしくはその併用によ チール・コーポレーション ( ニュー り、床板は木材のほか各種成型板 ( プレキャスみ肌ざわりのよいものが要請される。前者に適 ・ジャージる。八六年下半期の販売部数は号当り約一三八 〈星川正秋〉 合したものとしてコンクリートまたはセメント トコンクリート版、軽量コンクリート版など ) 、 州法人 ) を合併し、新会社となった。ユナイ万部。 しん テッド・ステーツ・スチール・コーポレーショ ー一九 0 六 ) 中国、清末の鉄板またはそれを溝形に加工し、そこへコンクモルタル、タイルまたはモザイクタイル、石張 兪ゆえっ ( 一全一 せつこう りまたは人造石とぎ出し ( テラゾー ) などがあ ンは一九〇一年、アンドリュー・カーネギー 学者。曲園と号す。浙江省徳清県の人。一八五 リートを埋めるようにしたものも用いられる。 そうこくはん り、後者に最適のものとして畳がある。板張 ・・モルガン、・・ムーアの三つの資〇年 ( 道光三〇 ) の進士。曽国藩の知遇を得てなお床を鉄筋コンクリートとしたものをとくに かんりん ゆかばん 本グループによって支配されていた一一の鉄鋼翰林院編修から河南学政に任じられたが、三八 床版 ( スラブ slab) とよんでいる。スラブをり、カーベット、ゴムタイル、リノリウム、合 成樹脂タイルなどはその中間的な存在である。 会社の企業合同を通じて、世界最初の「一〇億歳で致仕し、あたかも太平天国に続く国家存亡も含めて床組みを組む場合、床は単に生活空間 り・一うしよう くたい 特殊な床として、体育館などでは振動を驅体 の世情をよそに、李鴻章らの援助のもと講学、の場を提供して荷重を支えるだけでなく、軅体 ドル会社」 ( 資産総額が一〇億ドルを上回った会 に伝えないための振動吸収床、病院の手術室な 社 ) として、ニュー ・ジャージー州で設立され読書、著述の生活を送って長寿を全うした。主 ( 建物の本体 ) を水平に緊結する重要な構造部 どでは静電気の滞留を防ぐための電導床などが 著の『群経平議』『諸子平議』各七巻および材でもある。 - 一うゆう 当時、同社は国内の鉄鋼生産能力の約六五 % 『古書疑義挙例』七巻などはすべて、高郵の王 〔床組み〕床組みは一階床と二階以上の床とで要求される。また床組みまたはコンクリートス ねんそんいんし ラブの中にあらかじめ温水用配管などを組み込 を占める一大鉄鋼トラストであり、トラスト結氏すなわち王念孫・引之父子の成果を継承発展は多少構造が異なる。一階床の場合、床板は一 成による独占利潤の獲得をねらった典型的企業したものであると自負している ( 『春在堂全書定間隔 ( 木造の場合は四五メートル以下 ) にんでおき、床面全体を暖房するくふうも古くか 合併として歴史的に有名である。だが、その録要し。しかし、その学はむしろ後学の第詒横架された根太の上に張るが、根太のスパンら行われている。 へいりん 後、一九二〇年には四対三というきわどい票差譲、王先謙、章炳麟をまって発展した感があ ( 支点間の距離 ) が大きくなるときは、その下〔歴史〕世界各地とも床は地表またはそれを掘 おおびき で最高裁の解体判決を免れたことも影響して、 る。才気と余暇にまかせての著作量は清代随一をこれと直交する大曳 ( 大引 ) で受け、地盤上った土間床に始まるのが普通で、ときにその表 たまいし に置いた玉石 ( 人頭大の自然石。現在ではれん面に石を敷いたり石灰プラスターを塗ったりし アメリカ鉄鋼産業における同社のシェアは漸次とうたわれ、『春在堂全書』四八〇巻を残すが、 これは、前記の主著のほか詩詞、 随筆、筆記、 が、コンクリートプロックなどを用いることがているが、生活水準の向上と建築技法の進歩に 低下していった。第二次世界大戦後、外国、と より床は漸次地表より上に設けられるようにな くに日本と諸国の進出に押されてそのシェ戯曲、通俗文芸の評論、日本漢詩の選集 ( 『東多い ) の上に立てた束でさらにこれを受ける。 アはますます低下し、その業績も振るわなくな瀛詩選』『東海投桃集』 ) など、雑多な内容か一階床の仕上げ面までの高さは四五メートルる。とくに日本のように多湿の地域では床を地 しちきよう 以上とし、かっ床下は密閉せす通風をよくする盤より離し床組みを組む構造が早くから行われ った。トリガー価格制度その他によって、輸入らなっている。さらに『七侠五義』のような どうたく 鉄鋼との競争の緩和を政府に実行させる一方、通俗小説にも筆を染めるなど、総じて該博な知ことを建築基準法で規定しているが、もとよりている。香川県出土と伝えられる銅鐸 ( 一 さみだ おうせい スチール自身も鉄鋼産業以外への多角化に識と旺盛な好奇心とを頼んだ快楽主義者であっ これは湿気を嫌うためで、日本のような気象条世紀 ) や奈良県の佐味田宝塚古墳出土家屋文鏡 たと評してよいであろう。なお、現代の文芸評件の下では当然の処置である。一階以外の床組 ( 四世紀後半 ) に鋳出された家屋図には、すで カよって危機を回避しようとしている。八一年に ゅへいまく そうそん にそのような高床をもっ建物がみられ、登呂遺 3 〈宮内保〉みでも床板と根太との関係は一階床と変わらな ゅ・実現したマラソン石油の合併 ( 買収総額六二億論家兪平信はその曽孫である。 じよう ころ
一フンディーニ Francesco Landini ( 一三拌や懸濁の原因としては、地震を引き金とする ン・ルーベスに生まれる。ポルドーの演劇学校死後はむしろ、古今の著名人の対話を空想して 6 ー九七 ) イタリアの作曲家。フィレンツェ海底地すべり、砕屑物の斜面上への供給が過剰卒業後バリで舞台出演のかたわら、一九〇五年つくりあげた散文の異色作『架空対話集』五巻 で またはフィエーゾレに生まれる。幼いころ天然となり不安定になること、波の影響などがあげ ハテ映画にデビュー。〇九年にはパテ社と専属 ( l<l 一四ー一一九 ) の著者として知られている。時代 契約を結び、一〇年からは脚本、一一年からは としてはロマン主義に属するが、その深い古典 、ら痘のために失明したが、音楽の勉強に励み、一られる。 ぶどう 三六一年にはフィレンツェのサンタ・トリニタ 乱泥流は斜面を流れ下るときに斜面を侵食監督も兼ねて、『マックスとキナ入り葡萄酒』的教養と伝統的詩風のゆえに、時流から離れた 〈上島建吉〉 修道院のオルガン奏者となり、死ぬまでフィレ し、海底谷をつくることがある。斜面を流れ下 (一九 (I) など二、三百本の作品に出演、第一次一種特異な位置を占めている。 ンツェで活躍した。ランディーニは一四世紀イ って平らな深海底に達したとき、速度が十分速世界大戦前の最大の喜劇映画スターとなった。 藍銅鉱らんどうこう azurite 各種銅鉱床 タリアにおけるもっとも重要な作曲家で、一四 いと海底面上の半固結状態の泥岩を侵食し、フ フロックコートにシルクハット、白手袋に籐の の酸化帯中に他の銅の二次鉱物、とくにくじゃ 世紀前半につくられ始めたマドリガーレやカッ ルートマーク flute mark という扇形のくばみステッキといっただて男スタイルや、その軽妙 く石とよく共存し、原則的に初生銅鉱物を伴わ しやだっ チャなどの多声歌曲も手がけたが、同時代のフを形成する。乱泥流の速度が徐々に小さくなっ洒脱な演技はチャップリンにも影響を与えてい ない。多量に産すると銅の鉱石鉱物となる。藍 ランス音楽の影響を受けた多声歌曲であるバラてくると、砕屑粒子を保持できなくなり、粗粒る。やがてしだいに人気が衰え、二度の渡米も色、ガラス光沢で岩絵の具の原料として用いら ータを多数作曲し、この分野の代表的な存在と なものから順番に海底上に定着させるために、 大きな成功には至らす、パリで神経衰弱のためれる。単斜晶系、化学組成式 Cu3(C03)2(OH)2 して知られている。 〈今谷和徳〉級化層理を形成する。シルト・粘土サイズの粒自殺した。 〈武田潔〉で、くじゃく石とともに空気中に存在する程度 さいせつ せんせい 乱泥流らんでいりゅう未固結の砕屑粒子が子は、乱泥流の速度がかなり小さくなっても、藍田らんでん / ランティエン中国、陝西省中の炭酸ガスの圧力で生成されるが、くじゃく石 せいあん けんだく 水中で攪拌され懸濁し、周囲の水よりも密度の海水中に保持されるため、長時間かかって級化部の県。西安市に属す。人口約五三万 ( 一九公 I) 。 よりやや酸性条件下で生成領域をもっことが実 たいせき らんかん 高い状態となって、重力の影響で水底斜面を流層理を示す砂岩の上に堆積する。 県政府所在地は藍関鎮。西安の南東郊外、河験的に確認されている。自形結晶は柱状、六角 しゅうなんさんろく れ下り、平らな水底面上に広がる密度流のこ 乱泥流によって堆積した地層はタービダイトの上流、終南山山麓の黄土台地上に位置する。板状、六角短柱状など。塊状集合をなす場合は ぎよく しい、この付近の山で後二者の集合からなる。おもな産地は静岡県河 と。普段は水流が弱いために砂粒などの砕屑物 turbidite とよばれ、典型的なものは下部よ玉の美しいものを藍と、 が運搬されない深海底などへ、大量の砕屑物をり、①級化層理部、⑦下部平行葉理部、③斜交それを産するところから県名ができたという。津鉱山、新潟県三明鉱山などが知られる。↓く しんれい 運搬する。海底だけでなく湖底でもおこること葉理部、④上部平行葉理部、⑤泥質部の五つに県の南東より藍田関を通って秦嶺山脈を越えるじゃく石 〈加藤昭〉 道は、関中より湖北へ至る要路の一つである。 が知られている。海底斜面上での砕屑粒子の攪分けられ、プーマサイクルとよばれる。タービ 一フンドシュタイナー Karl Landsteiner ダイトは級化層理を示す砂岩層と泥岩層がリズ平野部では小麦、トウモロコシなどを、山地で ( 天天ー一九四三 ) オーストリアの病理免疫学者。 はアプラギリ、ウルシ、薬材などを産する。 ミカルに互層する厚い堆積物を形成する。フリ 一八九一年ウィーン大学を卒業して医師とな じよ、つげ ) 一しんじ あん ッシュとよばれる地層の一部はタービダイトで上下悟真寺、水陸庵などの史跡があるほか、 り、ワイクセルバウム教授のもとで病態生理学 ある。↓フリッシュ 〈村田明広〉 一九六三 ~ 六四年に発見された洪積世 ( 更新を専攻した。一九〇一年に、ヒトの血液を同種 ランテコンボラ山ーーさん BukitRante ・世 ) の人類化石は、藍田原人として有名であ血球凝集反応で、 <20 ( 0 はいまの O ) の三 kombola インドネシア中部、スラウェシ島る。 〈秋山元秀〉群に分類して、血液に個人的区分のあることを 南西部のマカッサル半島基部にそびえる山。ポ藍田原人らんでんげんじん Lantien man 発表し、〇二年に型も発見した。その後の研 ーニ湾の湾奥の町パロポより南西四〇キ。に位置中国の化石人類。一九六三 ~ 六四年に陜西省藍究と相まって、従来副作用に悩ませられた輸血 する。別名ランテマリオ Rantemario 山。標田県で下顎骨および頭骨破片が発見された。発法が、安全に行われるようになった。一一年か 高三四五五で、スラウェシ島の最高峰であ掘は中国科学院によって行われ、チョッピンら一九年まで彼はウィーン大学教授を務めた。 さんろく ・一うだき グ・ツール ( 敲打器 ) などが伴出した。時代は 一三年招かれてロックフェラー研究所所員とな る。山麓部にはコプラ、コーヒーのプランテー り、アメリカに帰化した。一九二七 ~ 二八年 ションが発達するが、中腹以上は原始林に覆わ五〇万 ~ 六〇万年前とみられ、周ロ店遺跡の北 に、レウイン P. Lewine とともに >Z 式血一 れている。一九〇九年、オランダの探検隊が初京原人より古い がんか みけん 〈上野福男〉 登頂した。 眼窩上隆起が著しく発達し、眉間で左右の隆型を発表し、四〇年には、ウィーナー A. S. りん らんてつこう含水燐酸第一鉄鉱物の起が連続している。眼窩の後方で頭骨は大きく Wiener とともに、アカゲザル rhesus mon ・ 藍鉄鉱 たいせき ) リットルと推 key の血球とヒトの血球に共通な抗原のある 一つ。堆積岩中に団塊をなし、また熱水鉱脈、狭まる。低頭で脳容積は七八〇、、 , きゅうし 花崗岩ペグマタイト中などにも産する。自形結定され小さい。左右の下顎第三大臼歯が先天的ことを発見した。 rhesus の頭文字をとって、 に欠如しているが、この時代のものとしてはき 晶は平行四辺形の断面をもった板状、柱状ある これを賄因子と名づけ、大部分のヒトは因子 きゅうか わめて珍しい。 、は針状をなし、しばしば球顆状集合をつく 原人段階に属するが、北京原人をもち + 、まれにこれをもたないヒト一がある より一段と原始的である。 〈香原志勢〉ことが判明した。三〇年、血液型発見の業績で る。わが国での主産地は栃木県足尾鉱山の熱水 鉱脈中や、愛知県犬山市のチャートの脈中で、 ランドー Walter Savage Landor ( 一七七五ノーベル生理学医学賞を受け、その他多くの内 ー天六四 ) イギリスの詩人。短気で争い好きな外の賞や大学名誉学位を受けた。〈古川明〉 ともに良晶を産した。英名は、この鉱物の発見 者でイギリスの鉱物学者ビビアン J. G. Vivi ・性格からオックスフォード大学を追われ、生涯ランドスペルク PPHI ・ CaMYHJ10- 〈加藤昭〉 an にちなむ。 を放浪に費やしてフィレンツェで客死。処女作 BHM JIaHnc6epI ・ ZGrigoriy Samuilovich の長編物語詩『ジー バー』 ( 一七九 0 をはじめ、 Landsberg ( 天九 0 ー一九五七 ) ソ連の物理学者。 ランデール Max Linder ( 天 ロシアのポログダ生まれ。一九一三年から二年 フランスの喜劇俳優、映画監督。ジロンド県サ多くの詩や戯曲を書いたがあまり認められず、 藍鉄鉱 学名・英名 vivianite 化学組成式 Fe?34 (As04)2 ・ 8H20 副成分 Mn2 + , Mg, Fe3+, Zn 結晶系 単斜 硬度 比重 2 . 71 色 光沢 ガラス 条痕 劈開 一方向に完全 * 空気中で直ちに青変 その他 藍鉄鉱愛知県春日井市西尾町産 ( x0.4 ) かくはん 3 7 せんせい と - っ
〈中村仁〉 0 呼び鈴、。フザー、インターホン、照明具などをぐり戸をつけることもある。 もろもりき①大外記中原師守の日立した。大人向けの作品では、ユーモアとペー り師守記 〔日本建築の門〕わが国の門の所在はすでに神 記。一三三九 ~ 七四年 ( 暦応二 ~ 応安七 ) にわソスあふれる『犬になりたくなかった犬』 ( 一九セットすることが多いので、施工に際しては、 も ひこほまでみのみこと 〈佐藤凉子〉事前に明確に打ち合わせを済ませておいたほう 話のなかにみえ、彦火火出見尊が海神の宮に たるもので、六四巻からなる。南北朝時代の重五七 ) が有名。 ろ 日ーーレ がよい。近年は、塀の一部が門柱がわりにな至ったとき、扉のある門があったという。 要史料。師守が局務として関与した政務、北朝回久米穣訳『ジャミーとアワジンのバレンラン ごだいご ド脱出作戦。 ( 一〈・評論社 ) ▽角邦雄訳り、門柱いしいものをとくにつくらない形式の家格、あるいは区画の重要度により規模に格差 方の動向を詳しく記述し、後醍醐・光厳両帝の ものが住宅などで見受けられる。 があり、単に出入口をあけるだけのものから、 「犬になりたくなかった犬』 ( 文春文庫 ) 葬儀、天竜寺供養などの記事も貴重である。原 昔は門扉といえば、木材か竹材が使われた空間の両端に柱を立てるもの、さらに屋根をか 本は、大半は国立国会図書館にあるが、内閣文文もん穴のある銭貨を数える単位。唐の開 もんめ わせだ おし - 一うじ が、昨今の主流は金属製である。木造の扉の価けるものなど多種多様である。木造建築のた 庫 ( 押小路家古文書 ) や早稲田大学にも若干所元通宝一枚の重さが一匁であったところから、 はしらま さん 蔵されている。刊本として『史料纂集』に含まわが国でもそのまま銭一枚を一文と呼称するよ格がたいへん高いためと、雨露にさらされるこめ、正面の柱間の数と戸口の数で規模が表さ さんげんさんこ うになったといわれ、銭一〇〇〇文をもって一とによる傷みが早く、保全が困難なためであれ、三間三戸、三間一戸、一間一戸などとよば れる ( 一一冊 ) 。②大外記押小路師守の日記。 一七二九 ~ 三七年 ( 享保一四 ~ 元文一 l) ・四〇貫と称する。中世までの貨幣はほとんど銭中心る。開閉方式には、片開き、両開きがあるが、れる。 へいちゅうもん 〔種類〕①屏中門塀重門とも書く。二本の 年 ( 元文五 ) にわたり、自筆本一五冊が内閣文であったが、江戸時代に至って貨幣制度が整備開き戸の施錠は、門扉そのものが開放的なもの 門柱だけのものは略式で、本来は本柱間に扉を 〈山口隼正〉 されると、金・銀貨幣に対する補助貨幣的な存が多いため、なかなかむすかしい。夜間はとく 庫に所蔵されている。 かぎ めき 毛呂山 ( 町 ) もろやま ( まち ) 埼玉県南部、在となり、それまでの銅製にかわ「て鉄製の銭に鍵がなければ開けられない形式にしたほうがつける。貫も屋根もなく、たすきの組子を入れ よい。自動車が出入りするような大きな開口部た二枚の扉を吊るが、この様式ができたのは鎌 も鋳造されている。 間郡にある町。一九三九年 ( 昭和一四 ) 毛呂、 かわかど には、折り畳み形式のものが手軽である。大き倉時代ごろと推察される。 また実際生活では、銭一貫は九六〇文とし、 山根の一一村が合併、町制改称。五五年川角村を よち・一う おごせ ②冠木門二本の本柱の上部を貫でつなぐもの な扉を開き戸にする場合は、門柱に負担がかか 編入。東日本旅客鉄道穴高線、東武鉄道越生線一〇〇文も九六文で一〇〇文として通用させ、 ちょうひやく ちちぶ とくに一〇〇文の場合のみ長百とよんでこれるばかりでなく、門扉そのものもゆがんで変形で、中世以降、主として武家屋敷などに用いら が通じる。町域の西部は秩父山地、東部は入間 おっぺ 台地、台地の北部に越辺川、南部に高麗川が東を区別している。これは、一〇〇文は五の倍数する可能性が大きいので、ガイドレールを床にれた。 くぎめき ③釘貫門本柱上部に二本の貫があり、冠木門 流し沖積平野が広がる。養鶏業、とくに採卵がでしか分割できないのに対し、九六文の場合は埋め込み、この上を車が通るようにし、扉がぶ ら下がるのを防ぐ必要がある。 同様屋根はない。神社や住宅をはじめ町の木戸 三と二の倍数で細かく分割が可能であることか 盛んで、県下有数の鶏卵出荷地となっている。 かま くろやま 門扉のデザインには、鉄パイプ製のもの、板や関所などに用いられ、平安時代の文献にすで 西部の山地一帯は黒山県立自然公園に属し、鎌ら、九六文のほうが少額流通貨幣として使用に からど しくや 北湖や宿谷の滝があり、ハイキングコースにな便利であるためといわれる。明治四年 ( 天七一 ) 張りのもの、木で格子状に組んだもの、唐戸状にみえている。 むなかど ④棟門「むなもん」ともいう。本柱二本のみ の新貨条例ののちも、一時期一〇文で一銭に通のもの、金網張りのものなど多種多様あるが、 っている。東部は都心から五〇キ。圏にあるう たび 水平に桟があるものは、足掛り、手掛りになっ で屋根を支えたもので、本柱を冠木でつなぎ、 え、八高線、越生線と交通も至便であるため、用させたこともある。また、足袋底の長さを測 おばりめばり その上下に男梁・女梁を直交し、男梁上ら 台地上は大規模な住宅団地として開発が進んでるのに、一文銭を並べて数えたところから、足て乗り越えられるので避けたほうがよい またむなぎ いずもいわ ゃぶさ 木製扉の場合でも、傷みを少なくすることは股と棟木を置き、男梁の先端に権を置いて屋根 おり、人口も増加した。出雲伊波比神社は流鏑袋や靴、靴下などの履き物の大きさの単位とも たっちゅう をかける。寺院の塔頭や公家の住宅などに広 馬で知られ、本殿は国の重要文化財に指定されなったが、この場合の一文は尺貫法の八分 ( 約できる。たとえば、門扉の上に屋根をつける。 く用いられ、平安時代の絵巻物に多くみえる。 〈中山正民〉 〈棚橋正博〉屋根をつけないならば、扉そのものの上端に銅 一一・四拜一 ) に相当する。 ている。人口三万四四六七。 あげつち どばん ⑤上土門棟門の屋根を水平な板で葺き、上に もん敷地への出入口。垣や塀などに通行板や亜鉛鍍板で覆いをかぶせる。あるいは白木 回『毛呂山町史』 ( 一九天・毛呂山町 ) どど はんのう のままではなく塗装を施す。こうして、直接木土を置いたもの。屋根の土止めとして妻に湾曲 のためにあけられた開口部をさす。門は、開口 囮二万五千分の一地形図「越生」「飯能」 ひらから みかた した関板を立てるので、平唐門に似た外観を示 諸寄もろよせ兵庫県北西部、美方郡浜坂部を遮断すると同時に、必要に応じて開閉でき材が風雨にさらされるのを防ぐことによって、 し、室町時代の武家屋敷に多用された。 扉を長もちさせることができる。鉄製の扉も、 町の漁村。近世には諸国の船が回航してにぎわる必要がある。 ひかえ しきやく よっあし ⑥四脚門四足門ともいい、本柱の前後に控柱 二年か三年に一回くらいかならずべイントを塗 人間が出入りするための門は、開口の間ロは 、現在は沖合漁業で活気を呈する。湾内は いそまま を四本立て、屋根を設けた門。一般に本柱は円 一内外なので、ほとんどが片開き式の開き一尸り替えること。開き戸式と引き込み式があり、 「雪の白浜」とよばれる白砂の磯で、湾外に ちょうつがい うみこんごう は景勝地海金剛や浜坂海中公園がある。↓浜坂タイプである。昨今のマイカー時代を反映し、開き戸式では、じようぶな丁番をつけること柱で控が角柱となり、扉は本柱間につく。 やくい がポイントになる。 ⑦薬医門正面に本柱を立てて扉をつけ、背面 ( 町 ) 人の出入りする門と車の出入りする門とを区別 にだけ控柱を立てて、本柱と控柱を同じ屋根の 門扉は相当に重量があり、風圧も受けるの モワット FarIey McGiII Mowat ( 一九一一一する例が増え、折り畳み式の門が車用の門とし ) カナダの作家。オンタリオ州ベルビルて多く利用されている。乗用車が入るには少なで、事故が起きたりしないよう注意する必要が下に収めるもの。 ・一うらい くさび ⑧高麗門本柱上に切妻屋根をかけ、扉を開い くとも二・五ぐらいの幅が必要であり、前面ある。扉に緩みが生じた場合は、楔を打ち込ん 生まれ。陸軍大尉、野外生物学者などを経て作 ~ 二門を後退させだり、角に補強用の字型、 e 字型の平板金物たときに扉がぬれないように背面と控柱と本柱 家となる。小さなときから親しんできたカナダの道路が狭い場合には、一 ますがた をあてがって緩みを直し、ポルトでしつかり締の両端に小屋根をかけたもの。城郭の枡形の一 極北地方を舞台に、厳しい自然のなかで誇り高ると、車の出入りが容易になる。 門は門柱と門扉とからなる。門柱の材料としめるようにする。通常、開き戸の場合には、水の門や大名屋敷門に用いられた。 く生きる人々や動物を主人公にした冒険物語、 かがみ やぐら ⑨櫓門城の枡形の二の門。石垣間に鏡柱を立 動物文学を数多く発表している。『ジャミーとては、石、鋼材、れんが、コンクリート、コン平にかんぬきを通して戸締まりをすると同時に てて扉を吊り、この扉ロの上から両側の石垣上 アワジンのバレンランド脱出作戦』 ( 一九五六 ) でクリートプロックなどがあるが、いずれも垂直風圧に耐えるようにする。引き戸の場合には、 がね に立てないと扉を吊ることができなくなるので掛け金や上げ落とし錠を用いる。このほか、片までに櫓を設けて城門とした。一の門の高麗門 カナダ総督賞 ( 児童文学部門 ) 、アンデルセン とは九〇度方位を変えて直角の方向に立つ。 引き、引き分けの扉もあり、これらに開きのく 佳作賞を受け、児童文学作家としての地位を確注意が必要である。門柱部分には、郵便受け、 きた だいげき こう ) 一ん かぶき