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1. 日本大百科全書 24

ろうかげ z < の損傷に基づくもの放射線、薬剤、性変化が現れる。また、糖代謝の不均衡は細胞徐波化などが現れる。 力が低下する ( 精子数減少、精子奇形率の増硎 じゅく 自然物などの影響で QZ<< は種々の変化を生じ にグリコーゲン変性をもたらすことがある。 心臓血管系アテローム性動脈硬化 ( 粥状硬加 ) 。内分泌的にみると、アンドロゲン ( 雄の 4 動物細胞の老化の一般的な特色の一つに、老 化症 ) がもっとも重要な変化である。これは動第二次性徴を調節するホルモン ) の分泌の低下 る。たとえば塩基配列の変化、 QZ< 鎖の切断 - 一うさ や交叉結合などがその例である。これらの多く 化色素 ( リポフスチン Lipofuscin) の沈着が脈壁の脂質増加や結合組織増加による血管変性は三〇歳ころから始まり、年齢とともに進む。 は、細胞のもっ ZZ< 修復機構によって正常にある。リポフスチンは、細胞質に分散する黄色であり、大動脈、冠動脈、脳動脈などにおこるこれに伴って性腺刺激ホルモンの分泌は増加す かりゅう 復するが、修復の誤り、修復機能の不足、修復ないし褐色の顆粒で、とくに心筋と神経細胞に ため、動脈硬化性心疾患や虚血性心疾患、脳血る。アンドロゲン欠乏とそれに伴うホルモンバ ランスの乱れは、男性を早く老化させるといわ 不能な損傷などがあると損傷 Z<< はそのまま沈着が著明に現れる。沈着量には食物因子、と管障害の原因となる。 いしゆく 残ってしまう。さらに QZ<< 損傷率の上昇、修 くにビタミンと不飽和脂肪含量が関係してい ③呼吸器系気道では粘膜の萎縮、繊毛運動のれている。なお、性交の頻度は年齢とともに低 復機能の低下も相まって、損傷 Z< は経時的る。また、食品添加物にも色素含量を増加させ消失、粘膜下組織の線維性変化などが現れる。下するが、性的反応は維持される。 に蓄積されると考えられ、その結果、細胞の老るものがある。このほか、細胞内小器官のなか また、気管支壁の粘膜、筋、腺なども萎縮し、 ⑤結合組織コラーゲン線維とその周囲の基質 くう 化、さらに全身の老化が引き起こされる ()Z で老化に伴ってみられる変化としては、不定形そのため気管支腔は拡張傾向を示す。肺では肺は、老化とともに、全身的にその構造と化学的 < 障害説 ) 。 化、内胞体やクロマチン ( 染色質 ) の出現、染胞面積の減少、機能肺胞の減少、肺胞血管壁の性質を変える。コラーゲンでは分子間および分 遺伝暗号解読の誤りに基づくもの遺伝暗号色性増大、リソゾームの増加、ミトコンドリア肥厚などが現れる。呼吸生理学的には胸壁コン子内結合 ( 架橋 ) が増え、コラーゲン線維の強 解読の誤りとは、 QZ< 鎖上の遺伝暗号の XZ の膨化などが知られている。とくに核の変化プライアンス ( コンプライアンスとは応答の程度が増加する。また、線維芽細胞はコラーゲン << ( リポ核酸 ) への転写に誤りが生じることでは、遺伝情報の老化における役割を一小唆してお度を示す係数 ) が減少し、肺活量および一回換をさらにつくる。グリコスアミノグリカン Gly ・ あり、タン。ハク合成酵素をつくる際などにも誤り、リソゾームの増加は退行的および異化的過気量が減少する。解剖学的には死腔が増加し、 cosaminoglycan < と略す。かってムコ りが生じることがある。通常、一つの誤りは重程の増加と関係していると考えられる。 肺胞気ー肺胞血管の間の拡散能も低下する。こ多糖類 mucopolysaccaride といわれたもの ) 大な細胞機能の障害を引き起こさないし、ま ②生化学的・生理学的変化生化学的ならびにれらの変化の結果、運動負荷時の最大酸素消費とよばれる一群の物質からなる基質は、細胞構 た、誤りを是正する機能も細胞に備えられてい 生理学的変化からみた場合、細胞の QZ< 含量量は年齢とともに直線的に下降する。 築と細胞内外の水やイオンの移動に重要なもの ると思われるが、転写あるいはタン。ハク は加齢ではほとんど変化しない ( なお、 XZ< ④ 生殖腺女子の生殖腺機能においては、老化である。しかし、この基質も、臓器により種々 合成酵素の誤りは、順次他の生化学反応の誤り含量については現在のところ見解が一致してい に伴って器官の退縮、退化、萎縮性変化が現れの老化に伴う変化を示す。 へんとう へと拡大するものと考えられている。やがて解ない ) 。また、酵素活性については、断片的な るが、萎縮性変化は卵巣においてとくに顕著に ⑥免疫系胸腺、扁桃などのリンパ組織は、思 読の誤りの発生する確率は経時的に増加し、最がらもいくつかの酵素について加齢変化が報告おこる。形態的には重量の減少、卵母細胞の減春期以後になると萎縮する。脾重量も六〇歳代 ろほう 終的には細胞機能の障害、老化へと導く ( エラ されている。たとえばアルカリ性ホスファター 少、卵胞 ( 濾胞 ) の減少がみられる。グラーフでは一六 ~ 二〇歳に比べると著しく減少してい ゼの減少、カテプシン増加などである。細胞の卵胞の数は四〇歳ころから約五年間で急激に減るし、リンパ球動員予備能も低下する。免疫グ 老化促進遺伝子に基づくものこれは、 QZ 酵素消費は老化に伴って減少するが、その原因少し、五〇歳代後半には成熟卵胞は完全に消失ロプリンのなかでは、 IgG. IgA の増加、 IgM < 鎖上の遺伝プログラムが直接に老化と細胞のはまだ不明である。尿細管の能動輸送による分する。これらの変化に伴って、エストロゲン の減少傾向がある。また、各種血清抗体価は老 寿命を規定しているとする説である ( プログラ 泌・吸収などの能力は老化に伴って減退する ( 雌の第二次性徴、発情を促すホルモン ) とブ人ほど低値となる。これは、抗体産生細胞の減 少によっている。このように、老化が進むほど ム説 ) 。しかし、現在までのところ、老化促進が、これは細胞数減少の結果であるともいわれロゲステロン ( 妊娠の準備・維持に必要なホル ている。 遺伝子の存在は確認されていない。 モン ) の血中での比率が著しく低下する。こう外来性抗原に対する抗体産生能が低下する反 〔細胞レベルでの老化〕細胞レベルでの老化〔組織・臓器レベルでの老化〕組織・臓器レベしたフィードバック調節の乱れは、閉経に先だ面、内因性抗原に対する抗体 ( 抗核抗体など ) - 」うしん は、形態学、生化学、生理学など、それぞれのルにおいては、神経系、心臓血管系など六つの って月経周期の乱れとなって現れる。また、卵の産生能はむしろ亢進する。つまり、自己抗体 研究領域でみいだされている。 領域において考察が進められている。 巣機能の喪失、閉経は、血管運動神経の不調の陽性率が増加するわけである。また、細胞性 どうき ①形態学的変化形態学的変化としては尿細管 ①神経系形態的にはニューロン数の減少、グ ( 発熱、ほてり、発汗、動悸など ) 、神経的心理免疫能も老化に伴って低下するが、このこと しゅちょう しゅよう 細胞、肝細胞、心筋線維などに混濁腫脹がみ リア細胞の増加、細胞核の縮小と染色性の変的不調 ( 頭痛、めまい、情緒的不安定など ) 、 は、悪性腫瘍の発生率上昇とも関連すると考え こっそしよう られる。これは細胞質内小浮腫を特徴とする細 化、細胞質のニッスル物質の減少、リポフスチその他の身体症状 ( 骨粗鬆症、関節炎、血管硬られている。 胞変性であり、エネルギー遊離機構に起因する ンの沈着、神経原線維の減少などがおこる。ま 化、糖尿、皮膚の変化など ) をもたらす。さら〔個体レベルの老化〕個体レベルで老化をみる はいせつ 細胞内水排出抑制によっておこる ( 顕著な場合た、脳重量が減少し、脳の含水量は八〇歳くら に生殖能力の低下も認められ、四〇 ~ 五〇歳代と、適応反応や尿排泄、体温、代謝などのホメ は水腫性退行性変化という ) 。また、骨格筋や いまで徐々に増加する。さらに生化学的変化とでは、統計上、末熟児出産や幼児死、流・死産オスタシス ( 恒常性 ) の調節能に変化が認めら 皮膚などでは脱水が生じる。これらの老化でしては、シスチン、メチオニン、アスパラギン の危険が高まる。なお、エストロゲンはコレスれる。 は、相対的に細胞外液が増加するが、これは細酸、グルタミンなどのアミノ酸の増加、アセチテロールを低下させ、動脈の硬化性変化を防御 ①適応反応の変化老化に伴って環境変化に対 胞の減少、線維芽細胞などとの置き換わり、細ルコリン活性の低下 ( とくに大脳皮質運動野 ) 、すると主張されている。そのため、月経閉止後する抵抗力が弱まることは、多くの証拠によっ 胞膜の透過性の変化などによるものである。細乳酸脱水素酵素の減少などが報告されている。 の冠状動脈性心疾患には、性差がなくなると いて明らかとなっている。まず、反射行動が低下 胞レベルの老化においては、細胞内代謝の変化 こうした神経系のさまざまなレベルにおける変われている。 する結果、外界の刺激を避ける能力が弱まる。 に伴って、激しい細胞機能喪失が認められる。 化の結果として、運動能力に衰えが現れる。ま 男子では精巣重量は変化しないが、ライディ体内では、体温調節機能がしだいに低下し、ま た、神経生理学的には機能的ニューロンの減 しばしば脂肪沈着がみられるし、細胞内タンパ ッヒ細胞 ( 間質細胞 ) の数が減少し、基底膜と た、酸素欠乏、傷、運動などに対しても生理的 クの変性によってガラス様変性といわれる退行少、自発活動の増加、覚醒反応の減少、脳波の精細管被膜が厚くなる。この結果、精子形成能調整を行う能力が低下する。しかし、ストレス かくせい せん

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ルネサンス美術 1420 年 , 建築家プルネレスキが , 古代研究 の成果を最初に実現したフィレンツ工大聖堂 の円蓋工事が起工されたころから , 意識のう えでも様式のうえでも , ルネサンス美術は本 格的な開花をみせる。当時のイタリア人は , 古代の正統な継承者の自覚をもち , 祖先の遺 えんカ ( い 273 業を再現すべく , 嫡孑系的な自信をもって「古 代の再生」の運動に取り組んだ。 こうしてフィレンツェのリードの下に始ま ったルネサンスの美術活動は , 15 世紀後半に はミラノ , ベネチア , ローマなど各地に拡散 りようらん し , 百花繚乱の活況を呈した。しかし , 理想 主義的古典主義を結実させたレオナルド・ダ・ ピンチを頂点に ミケランジェロ , ラファ工 ッロ , ティッィアーノらをもって , 盛期ルネ サンスの古典様式はマニエリスムへと移行し , 1520 年代にその幕を閉じるのである。 く上平貢〉 ラファ工ッロ「キリストの変容 1517 ~ 20 年油彩 405X2785 バチ カン絵画館 37 歳で世を去ったラファ工ッロの絶作。 キリストが光輝く姿に変わる「変容」 の場面と , 続く悪魔に憑かれた少年の 物語が同一画面に 8 字形の構図で描か れ , 光の明暗 , 人物の大きな身ぶりで 劇的なものとなっている。こうしてラ ファ工ッロは次代のマニエリスム美術 を用意する

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記録した資料集。危機の現状を広く一般に知ら九五〇年代アメリカのマッカーシズムによる赤の働きかけなど、多様な方法で復権運動が続け 国立公園。面積四四五平方キ。。一九六八年制 〈富田虎男〉 定。国立公園としては新しい自然公園で、山せ、科学者、保護団体、政府当局、国際的開発狩りや日本で行われた共産党員とその支持者のられている。 レッドフィールド William Redfield 岳・森林景観と海岸美の両方を楽しむことがで機関などが保護活動を強化することを目的とす追放がおもな例。 ばつばっ 朝鮮戦争勃発の直前である一九五〇年五月、 ( 一大九ー一会七 ) アメリカの気象研究家。ニュー きる。園名の示すとおり、海岸山脈西斜面は樹る。この本の編集は国際自然保護連合 ヨーク在住の造船技師であったが、職業がらア マッカーサーは共産党を法の保護外に置くこと 齢二〇〇〇年以上のレッドウッド ( アメリカス Z) の重要な活動の一つで、保護調査センター ギ ) の原生林が保存され、世界一といわれる高が、滅びそうな種を生き残らせるための委員会を示唆し、六月六日には日本共産党中央委員会メリカ東海岸に来襲する暴風に興味をもち、一 八三一年、これについての論文を発表した。こ (T)TO) の助言を得て行う。創刊されたのは全員二四名、『アカハタ』編集幹部一七名の公 さ一一二のレッドウッドがここにある。その ほにゆ・つ ほか、六四キロも続く海浜、海からそそり立っ絶一九六六年で、まず哺乳類が、その後、鳥類、職追放を命じ、いっさいの集会・デモを禁止しのなかで、暴風が旋回性の風をもった、移動す はちゅう る風系であることを明らかにし、ハリケーンの 壁などもあり、水泳、釣り、ポートやキャン両生・爬虫類、魚類、植物が逐次発行され、近た。朝鮮戦争開戦とともに公職追放の範囲は、 むせきつい 新聞・放送関係、電気・運輸などの重要産業部場合には中心に風の静穏域 ( 台風の目 ) がある プ、ハイキングなどが楽しめる。〈作野和世〉年、無脊椎動物も加えられた。 レッドⅡ がわ Red River アメリカ 門のすべてに拡大し、九月一日の政府決定によ ことにも注目している。この論文は暴風雨につ 記載内容は、それぞれの種の現況と過去の生 いての世界最初の研究発表である。〈根本順吉〉 合衆国南部、ミシシッピ川右岸側の支流。テキ息分布域、個体数の推定と推移、生存が脅かさ って政府機関や公共部門にまで及んだ。追放指 サスとニュー ・メキシコの州境付近に発し、テれている原因と保護対策などである。当初は種名者は占領軍の示唆や口頭指一小を口実に政府とレッドフィールド Robert Redfield キサスとオクラホマの州境を流れ、アーカンソ が直面する危険度により、①絶滅したもの ex- 経営者の手で決定され、解雇された労働者は米 ( 天九七ー一九五 0 アメリカの人類学者。シカゴ大 ー州を経てルイジアナ州南部で本流に合する。 軍の憲兵や武装警官隊によって実力で職場から学法学部卒業後、弁護士になったが、その後、 tinct 、②絶滅に瀕しているもの endangered せつこう 、ー、キ 0 長さ一六三ノ 上流部は砂岩・石膏層を切る③危険な状態にあるもの vulnerable 、④希少排除された。このようにして、不当に解雇・追人類学に転向してシカゴ大学大学院に入学。同 なもの rare 、⑤不確かなもの indeterminate 放された者は、公務員関係一一七七人。民間産大学教授、人類学部長、北京の清華大学客員教 深い峡谷が一〇〇キロほど続く。下流部は網状流 をなし、沼沢地が多い月 ーの名は、中・下流部 ( 現象としては④までのいずれかの状態にある業一万〇九七二人に上る。このとき、裁判所授などを歴任。メキシコ市に近い村落、テポス たいせき に赤色のシルトが堆積していることに由来してと思われるが、カテゴリーを決めるにはデータ は、占領軍の命令を憲法に優先するものとしてトランで調査を行い、末開社会とも都市社会と 〈永井信夫〉不足で不確かなもの ) 、⑥危機を免れたもの out 身分保全の申請を却下し、労働委員会も審問拒もいえない「民俗社会」という概念を提出し がわ Red River of the レッド日 of danger の六つの区分を設けた。しかしそ否の態度をとった。共産党は内部分裂と混乱のて、従来、未開社会の研究や文明間の比較に限 North アメリカ合衆国、ミネソタ州西部の氷の後、ワシントン条約など国際的な保護対策のために有効に対処しえす、社会党や大多数の労られていた人類学の対象領域を拡大した。彼 河湖に源を発する川。ミネソタ州と西側のサウ観点と同様に、絶対的個体数の多少より、生息働組合もこの不当解雇を傍観した。さらに、一 は、民俗社会と都市社会を両極とする連続体を ス・ダコタ、ノース・ダコタ両州との境界とな 地の環境や種に対する直接脅威の時間的切迫度部の右翼的組合幹部は当局や経営者に積極的に 想定し、連続体上を都市社会に進むにつれ、集 りながら北流して、カナダ、マニトバ州のウイを優先させ、次のような解釈と適用が追加され協力し、日本の労働運動は大きな打撃を被っ団のサイズは大きく、役割の分化・個人化・世 た。↓赤狩り↓マッカーシズム 〈五十嵐仁〉俗化が進行するとして、その著「ユカタンの民 ニペグ湖に注ぐ。全長八五〇キ。。流域面積約一た。それらには、データ不足 insuffciently 一万三〇〇〇平方キ。。河口からノース・ダコタ know ( 現象の確認をするためのデータも不足回塩田庄兵衛著『レッドバージ』 ( 新日本出版俗文化』 ( 一九四 l) でいくつかのコミュニティを 社・新日本新書 ) ▽梶谷善久編『レッドバ この連続体上に位置づけてみせた。さらに彼 州のファーゴまでは夏季に大型船が就航でき、 しているもの ) のほか、無脊椎動物レッド・デ は、一つの文明のなかの伝統を「大伝統」と 沿岸にマニトバ州の州都ウイニペグがある。流 ータ・。フックに使われる新しいカテゴリーとし ージ』 ( 一九〈 0 ・図書出版社 ) 域は、かって付近を覆ったアガシー湖の地域て、商取引によって脅かされているもの com- レッド・パワー Red power 一九六〇「小伝統」とに分け、知識人・エリートなどで ひょく mercially threatened 、脅かされている集団年代以来高揚を示したアメリカ・インディアン保持されていく都市の伝統を「大伝統」、そし で、土壌が肥沃であり、春小麦、大麦、エンバ ク、テンサイなどを産する。 〈大竹一彦〉 threatened community ( サンゴ礁などのよ , つの復権運動で、その名は黒人解放運動の旗印とてそれが村落のレ・ヘルに浸透する過程で変形・ じん Letts Letten イ 再解釈されたものを「小伝統」とした。主著は に、特定地域の生態系すべての生存が脅かされなったプラック・パワーに由来する。レッド・ レット人 ハワーは、インディアンが自らの固有の文化、前記のほかに「テポストランーーメキシコの一 ソ連邦ラトビア共和国の住民の多数を構成するているもの ) 、脅かされている現象 threatened 民族。自らはラトビエシ LatvieSi レッと称す phenomenon ( メキシコオオカバマダラの越冬価値観、生活様式を自らの手で復活し再生する村落』 ( 一九三 0 ) 、『未開社会の変貌』 ( 一九五三 ) など 〈豊田由貴夫〉 る。一フトビア人 Latvians ともい , つ。↓ラトビ のように特異な生物学的現象をもっ種に対する ことを目ざし、アメリカ合衆国と結んだ条約上がある。 ア人 脅威 ) などがある。 や協定上の諸権利 領土権、漁業権、水利回染谷臣道・宮本勝訳『末開社会の変貌』 ( 一九 現在、国際保護におけるレッド・データ・プ権、地下資源権などーーの回復と擁護を具体的 大・みすす書房 ) レッド・ディア Red Deer カナダ、ア ルバータ州南部の河川都市。レッド・ディア川 ックの役割は大きく、たとえばワシントン条約な内容とする「民族自決」運動である。六八年レッドフォード Robert Redford ( 一九 に臨む。人口四万六三九三 ( 一九〈 I)O カルガリ の付属書の記載などに反映されて保護の拘束力 に結成されたアメリカ・インディアン運動 (< 三七ー ) アメリカの俳優。カリフォルニア州 ーとエドモントンのほば中間に位置し、鉄道の に影響を与えるほか、絶滅のおそれのある種と が推進力となって、六九 ~ 七一年のアルサンタ・モニカに生まれる。アメリカ演劇アカ 分岐点であると同時に、この地方の豊かな農畜その保護に関心をもつあらゆる人に必要な情報カトラス島占拠、七二年の「破られた条約のデミーに所属、プロードウェーの舞台に立ち人 産物の取引中心地でもある。大穀物塔があり、源となっている。 〈加瀬信雄〉旅」 ( 連邦政府の違約に対する抗議デモ ) や内気を得、一九六二年に映画界にデビューした。 ジ red purge 赤色追放。務省占拠、さらに七三年のウンデッド・ニー占六〇年代後半以降『タ陽に向って走れ』明日 、か製材、酪製品、石油精製などの工業も発達してレッド・パー 〈山下脩二〉 に向って撃て / 』 ( ともに一九六九 ) 、『追憶』『ステ 共産党員やその支持者またはそれとみなされた拠などを展開した。このような直接行動だけで イング』 ( ともに一九七三 ) 、『華麗なるギャッビー』 っレッド・データ・ブック Red Data 者が、その思想信条や政治的立場を理由に、公なく、七四年の全国アメリカ・インディアン会 ( 一九七四 ) などで代表的二枚目となり、自らのプ 3 れ Book 絶滅の危機に瀕した野生生物の現状を職や企業から不当に解雇・追放されること。一議による「主権宣言」、法廷闘争や国際連合へ スギ へんばう

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わっふる こま、農奴身分の廃止、地代の減額、者一〇〇余人が捕縛され、その奪回を求めて農ラビア半島に建てた。この運動はその後盛衰を る。掘り上げは六 ~ 七月で、十分乾燥して貯蔵「綱領」し ( する。春植えのものは、冬季に球根が休眠する売買の自由などの要求項目が掲げられ、またこ民は酒田襲撃を企てて蜂起した。数は万を超え繰り返しつつも、一九三二年にイプン・サウド たが、抜刀した開墾士族らによって鎮圧されの子孫によってサウジアラビアを建国するまで ので、寒さの強くない所では放任しておく。鉢の反乱に思想的な影響を与えたジョン・ポール に至った。 には、原始キリスト教への復帰を目ざす宗教改た 植えの場合は矮性種を用い、一鉢に何球かまと みちつね ワッハープ運動はイスラム近代化の先駟をな その後、明治政府は酒田県令に三島通庸を任 めて植える。 〈平城好明〉革の志向が認められるなど、反体制的運動の性 ノヤ し、イスラム世界に与えた影響は大きい。、、 のらん一三格が強い。参加者も農民に限らず、都市の手工命した。農民側もまた戦術をかえ、森藤右衛門 ワット・タイラーの乱 いっき ーア ( イスラム法 ) に基づくイスラム国家実 八一年、イギリスで起こった農民一揆。指導者業者が主力をなした地域もあった。〈松垣裕〉を中心に政府・元老院への建白書提出を繰り返 し、さらに過納金返還など一四か条の訴えをも現の理念はムスリムの宗教・政治運動の支えと ワット・タイラー Wat Tyler ( ? に回ヒルトン・フェイガン著、田中浩・武居良明 ちなんでこの名がある。反乱はまず同年五月に 訳『イギリス農民戦争ーー一三八一年農民一 って裁判闘争を展開し、七八年児島惟謙によるなり、類似した運動がインド、アフリカなどの ケントで発生し、反徒はタイラーを指導者に選 揆』 ( 一九六一・末来社 ) 判決で、農民側は六万一二六五二円の還付金を獲各地で相次いで生じた。それらの運動をワッハ まげもの ープ主義とよぶこともある。それはまた今日イ 得した。わっぱとは曲物でつくった弁当のこと ぶと、六月一三日にはロンドンに進入した。まワットリングス島 とう WatIings た、イースト・アングリア地方でも、修道院所西インド諸島、 ハマ諸島中東部にあるサン・ で、要求が通れば一人わっぱ一杯分の銭が戻るスラム世界に広くみられるイスラム原理主義的 しようえん とされたことから、この名がつけられたとい 運動の源流をなすものでもある。〈小田淑子〉 領を中心に農民が荘園領主の居館を襲うなど、 サルバドル島の別称。↓サン・サルバドル島 、つ ー一九五五 ) Joachim Wach ( 天 〈堀司朗〉ワッフル waffle ワッフルはホットケー 騒乱は各地に広がった。国王リチャード二世はワッハ 同月一四日マイル・エンドで反徒が要求した項 ドイツ生まれの宗教学者。ライブツイヒ、ハイ回鶴岡市史編纂会編『ワッパ騒動史料』上下キ、グリルドケーキと同列のもので、ワッフル デル・ヘルク大学などに学ぶ。トレルチ、ハルナ 荘内史料集一七、一 八』一九〈一・鶴岡市 ) 型という特製の焼き型で焼いた洋菓子の一種。 目の一部を承認したので、帰郷した部隊もあっ ック、ゼーデルプロム、・ウェーバー、 たが、ケント勢は武装を解かず、一五日スミス ▽『ワッパ事件』 ( 『服部之総著作集第五巻』フランスでゴーフルとよばれる。もともとはア メリカで朝食として用いられていたもので、専 フィールドで再度王と交渉した。この会見のさオットーらの影響を受け、ライブツイヒ、プラ 所収・一九五五・理論社 ) ▽佐藤誠朗著『ワッ ハ騒動と自由民権』 ( 一一・校倉書房 ) 用の器具すなわち焼き型は鋳物製で、やや深め なかに、市長ウォルワースは、短剣を手に王のウン、シカゴ大学の教授を歴任した。諸宗教の ー・はイスラム教の一派。の凹凸があり、四つに仕切られている。油を塗 身近に迫るタイラーを見て斬りかかり、頭と首体系的理解に努め、解釈学に基づく宗教理解のワッハープ派 に重傷を負わせた。王が反徒に再会を約して口みでなく、宗教経験とその表現分野 ( 知的・実ワッハープ派とよばれるが、実態は独立の宗派った各仕切りの中に用意した材料を流し込み、 ふた ンドンに帰る間に病院に運ばれたタイラーは、践的・社会学的 ) の連関構造を類型論的に研究というより宗教運動に近い。ムハンマド・イプ蓋をして焼く。この焼き型は、わが国では大正 ン・アブドウル・ワッ、 ノー。フ ( 一七 0 三ー ) の主初期にはまだ珍しく、当時は横浜で買うことが 市長によってふたたびスミスフィールドに連れした。『理解』 Das ) 、三巻 ( 一九一一六 唱に基づき、サウジアラビア建国の基礎となっ できたという。現在では精巧な電気焼き型がで 戻され、そこで首をはねられた。指導者を失っ た反乱軍は壊滅状態となり、やがて鎮圧された。 ミを s ( 一九五 0 をはじめ、数多くの著書が たイスラムの宗教改革運動をい 、つ 〈平井直房〉 反乱の原因は、直接には百年戦争の戦費調達ある。 ンて ワッハープは若いころスーフ のため賦課された人頭税にあるが、提出されたわっぱ騒動わっぱそうどう一八七三年 ( 明 ロれ 治六 ) 末から七八年にわたり、山形県イズム ( イスラム神秘主義 ) に しようない 参は謀 庄内地方 ( 当時酒田県 ) のほとんど傾倒したが、のちにハンバリー の村々を巻き込んで起きた農民騒動。学派に属したイプン・タイミー ー一三一一 0 の著作に共鳴 七一年第二次酒田県が成立し、県官のヤ ( 一一一六三 すべてが旧庄内藩士族に占められた。 し、新しい宗教運動を開始し 翌年八月、政府は年貢米や雑税の石代た。彼の思想は、原始イスラム ワ長 のう 一者市 し、力された革新 ( ビドア ) の 納 ( 金納 ) を全面的に許可したが、酒こ付日 指中 ネ田県はこれを布達せず、農民に従来ど いっさいを否定し、「コーラン の見 揆会 おりの現物納を強制し、用達商人に換とスンナ ( 預言者の範例 ) に戻 コ 画 民世 金させた。当時米価が高騰していたたれ」と説く復古あるいは純化主 右 農 2 め多額の利益をあげ、県はそれを士族義である。聖者崇拝など非イス コ ス の授産事業である松ケ岡開墾などに使ラム的要素を受容したスーフィ 6 ャ ス キ 年チ ノ 0 たという。七三年末より農民は、石ズムを排斥する一方、伝統に安、声「 ( で 代納許可を願い出、さらに過納金返住し無気力に陥ったウラマー 乱ルれ ・ヘ還、雑税廃止要求、役人の不正を追及 ( 法学者 ) をも非難した。一、 の一さ 圜し、県政に批判的な金井質直などの改世紀中ごろ、サウド家のイ。フ、 良派士族や森藤右衛門などの商人、地ン・サウドがワッハープの宗教 イスち ア タミの 一一主が支援して独自の石代会社を設立運動を支持・支援して以来、ワ ス し、金井県と称して酒田県と対抗しょ ープ運動は軍事的に拡大さ ッ北負 ワ ワのを -8 一 うとした。ところが七四年九月、指導れ、第一次ワッハープ王国をア ようたし はうき

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事で一年間ヨーロッパに旅行したのち、実業界ローウエル Robert Lowell ( 一九一七ー七七 ) 廊下ろうか二部屋以上の室を連結する通大型化しても海難は後を絶たない。荒天のため 八三 ~ 九アメリカの詩人。詩人・・ローウエル、女行用の細長い空間。一定の幅をもち、両側が壁の避航や出漁不能による経済的な損失も間接的 で活躍した。東洋への興味から、一八 または建具、戸・室などの開口部によって仕切な浪害と考えられる。沿岸部では、防波堤や港 ~ 二六 ) 外交官の資格で日本に流詩人 << ・ローウエルの家系に属する一人で、 三年 ( 明治一六 きよう 『ウィアリー卿の城』 ( 一九四六 ) でピュリツツアー られる。建物と建物を連結する通路で、屋根や湾施設などが高波によって直接破壊されること 滞在し、日本の人情・習慣・ことばなどを研究 、中世の寝殿造もある。波の力は大きく、一〇〇〇 ~ 二〇〇〇 し、また朝鮮にも旅行するなどして、紀行文や詩賞を受け、第二次世界大戦後のアメリカ詩壇床のあるものは渡り廊下といし わたどの トンものコンクリート塊が高波によって移動した 印象記を四冊著したが、なかでも『能登』 ( 天 の中心的存在となった。初期の詩風は難解で修の渡殿などがこれにあたる。↓回廊 廊下の片側だけに部屋のある場合を片廊下、という報告もある。そのほか、波による漂砂、 九 l) は日本の民俗をよく記している。小学校時辞的だが、『人生研究』 ( 一九五九 ) 以降は平易な口 語調に近づいた。内容も大胆に自伝的、告白的両側に部屋のある場合を中廊下とよぶ。幅は建侵食、沈殿によって海浜が変形し、海岸付近の 代から天文学への興味をもっていたが、九三 年、日本から帰国すると私財をもって天文台ので、シルビア・プラス、アン・セクストンなど築基準法により最小限が規定されている。その土地や道路が失われたり、港が破壊または埋没 してしまうこともある。間接的には、くだけ波 の詩風に大きな影響を与えた。『連邦軍死者に数値は、建物の用途や片廊下・中廊下の別によ 建設にとりかかり、翌年、アリゾナ州フラグス によるしぶきが風によって内陸部に運ばれ、農 って異なるが、よく用いられる寸法は、柱の中 捧ぐ』 ( 一九六四 ) 、『海のほとり』 ( 一九六七 ) 、『ノー タッフ ( 標高一三〇〇 ) に四五・七一メート 心からもう一方の柱の中心までが九〇であ作物や送電線に被害を与えることもある。なお ・ブック六七ー六八年』 ( 一九六九 ) などの詩集 ルおよび三〇・五メートルの望遠鏡を設置し た天文台を完成、九六年には六一メートル望のほかに、訳詩集『模倣』 ( 一九六 D や、ホーソる。天井高も必要以上に高くすると狭さが強調近年は、釣り、ヨット、海水浴などのレジャー されるので、一一三〇を標準に考えるとよい 活動の際に高波に襲われるという事故も増えて 遠鏡も備えた。彼はまず火星表面の観測に着手ンとメルビルの短編から取材した三部作の詩劇 ^ 桜井邦雄〉 廊下には、部屋と部屋をつなぐ機能のほか、 した。一八七七年の火星大接近の際、イタリア『むかしの栄光』 ( 一九六五 ) がある。〈新倉俊一〉 れん 音や視線、臭いの遮断、通風などの機能もあ隴海線ろうかいせん / ロンハイシェン中国、連 のスキャパレリが火星表面に「カナリ」 ( 水路 ) ローウエル 0 ローエル ( 地名 ) らんしゅう を発見していたが、ローウエルはこれを人工構労演ろうえん勤労者演劇協 ( 議 ) 会の略る。和風住宅などでは、部屋の外側に外部に面雲港ー蘭州間の鉄道名称。延長一七五九キ。 じよしゅう かい・か・つ 造物とみなし、技術をもった生物の存在を仮想称。勤労者のための全国的な演劇鑑賞団体。一して廊下を設けることがあるが、この場合には黄海に臨む連雲港より徐州を経て開封に至り、 らくよう ここより黄河とその支流の渭水に沿って洛陽、 強い日差しを避けたり、雨や雪が直接窓やガラ し、その検証に熱意を注いだ。彼の火星に関す九四九年 ( 昭和二四 ) に結成された勤労者演劇 る知見は一九〇 = 一年までに = 一冊の著作、一枚の協同組合 ( 参加団体五一 ) を前身とし、翌年大ス戸に当たるのを防ぐなど気象条件に対する緩画安、宝、天水などの都市を経由し、椒礙 写真としてまとめられ、広く普及した。また一阪労演が設立され、以後、東京、京都をはじめ衝部分としての機能を果たす。しかし、建物を省の省都蘭州に至る、華北南部を東西方向に横 しん 全国各都市に広がり、新劇公演を支える有力な効率よく使うには、廊下を短くして歩く距離を断する幹線鉄道である。清朝時代の一九〇九年 六年に『惑星の発生』を著し、天王星の摂動に に・ヘルギーとフランス資本によって開業した開 かかわる天体は海王星だけでなく、ほかにもう観客組織として、六五年には五三団体、会員数減らし、建物の面積を節減することが望まし ペんらく フォルクス 。こうした立場から、最近では、とくに廊下封ー洛陽間の汁洛鉄路に始まり、中華民国時代 一〇万に達した。組織としてはドイツの民衆 一つの末知の惑星があることを予想した。この ビューネ 惑星は彼の死後一九三〇年にトンポーによって舞台に倣い、劇団との相互協力のもとに、会費をとらずに、家具その他の配置をくふうして部には主としてベルギーとオランダからの借款に めいおう 発見され、冥王星と名づけられた。〈島村福太郎〉制による自主的な企画運営を行う。一九六三年屋の一部に通路をとり、全体を広い空間としてよって東西方向への延長が進められ、一九三七 年までに連雲港ー宝鶏間が開業していた。第二 活用する傾向が強くなっている。 ローウエル Amy Lowell ( 天七四ー一九一一五 ) 全国労演 ( 連絡協議会 ) が発足、五プロックに 廊下を設ける場合も、単に各部屋をつなぐ通次世界大戦後に宝鶏ー蘭州間の建設が進められ アメリカの女流詩人。マサチューセッツ州の名よる全国組織となったが、七四年以降労演の名 たが、まず天水以東の区間が開業し、天水ー蘭 門の出身で、同じ家系にはジェームズ・ラッセ称にかわって市民劇場や演劇鑑賞会などの名称路としてだけでなく、飾り棚、洗面所を付属さ 州間は新しい中華人民共和国政府の手によって ル・ローウエル、ロバート・ローウエルの二詩が主流となった。八七年現在、加盟一〇三団せたり、すこし幅を広くとって、応接コーナー 〈大島勉〉サンルーム、子供の遊び場、収納スペースなど五二年に開業し、初めて線名のとおり隴 ( 甘粛 人がいる。一九一三年に「イマジズム」の文学体、会員数約二〇万五〇〇〇。 運動に参加し、エズラ・。ハウンドの後を襲って労音ろうおん勤労者音楽協議会の略称。として活用することも提案されている。中廊下省 ) と海 ( 海州 ) を直結することができた。蘭 らんしん 州ではここからウルムチに至る蘭新線と結ば 主導的役割を担う。日本の俳句の影響を受け働く者のための音楽普及を目的として、一九四形式の場合は、両側に部屋が並んでいるため、 らんま た、イメージ中心の詩の運動そのものは、彼女九年 ( 昭和二四 ) 大阪で発足、「良い音楽を安薄暗くなりがちなので、両側の部屋の欄間をガれ、隴海線はその根元にあたる重要幹線の役割 〈青木栄一〉 を果たす。 く聞く」「企画運営を会員の手で」をスローガラスにしたり、廊下の突き当たりに窓をつくっ の名をもじって「エイミジズム」などとよばれ ろうかげんしよ、つ senile change たり、あるいは天井にトップライトを設けたり ンとした。以後、全国各地に波及し、五五年に 老化現象 て短命に終わったが、イマジズムがその後のア は全国労音連絡会議が結成され、加盟一一〇団体、して、とくに採光には気を配る必要がある。両老年化によって現れる変化 ( 老人性変化 ) をい メリカ詩に与えた影響は深く長い。ェイミー自 側の部屋についても、廊下を隔ててどこかへ風う。老化 ( ェイジング ) を進行させる因子は、 会員数一三万に達した。さらに六〇年代にかけ 身は詩集『剣の刃とケシの種』 ( 一九一四 ) で、こ の運動の成果を実らせている。その後は「鍵とて活動の幅を広げ、東京労音の『可愛い女』 ( 一九が抜けるよう通風に留意したい。天窓は、採光・多種多様の機構の相関のうえに成り立っと考え リューサンチェ しての大砲ーー・大扉が開く」のように、日本開五九 ) 、全国労音の『劉三姐』 ( 一九六 = ~ 六四 ) などの通風のために有効な設備である。 ^ 中村仁〉られ、さまざまなレベルでの考察が加えられて 港を扱った叙述的要素の強い作品にも手を染めミュージカルの自主製作をはじめ、『森の歌』労咳ろうがい近世以降、日本では結核の 〔分子レベルでの老化〕分子レベルから老化の ことを労咳とよんだ。↓結核 など合唱運動への参加も目だった。しかし、高 た。こうした作品は二つの文化の出会いという ろうがい波浪のもっ力によって直接発現を考えると、 ( デオキシリポ核酸 ) 点で興味深いが、その後のアメリカ詩の発展の度経済成長などの時勢の変化や、音協 ( 全国文浪害 なかで、彼女は不当に冷遇されているといえる化団体連合傘下の各地音楽文化協会 ) や民音 ( 民引き起こされる船舶や構造物の被害と、侵食やの損傷、損傷 Z< の修復機能の低下、遺伝暗 カかもしれない 〈徳永暢三〉主主義音楽協会 ) などの進出に伴って、七〇年沈積に伴う海岸地形の変形による被害をいう。号解読の誤りなどが年齢とともに経時的におこ 、フ回上田保訳『剣の刃とケシの種 ( 抄 ) 』 ( 『世界以降会員数は減少しつつある。八七年現在、加台風や発達した低気圧に伴う巨大な波浪は、直る。また、老化促進遺伝子の存在が推測される 9 盟約一〇〇団体、会員数約一〇万。〈大島勉〉接あるいは間接的に海難の原因となり、船舶が場合もある。 ろ名詩集大成Ⅱ』所収・一空九・平凡社 ) かぎ ささ にお

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てはだいたい一定である。したがって労働日を なった。しかし総選挙の最中や、直後の三・ 労働取引所連盟が結成され、書記長・ベルー 離職その他雇用の動向を調査するもので、年二 チェをはじめとするサンジカリストの牙城とな五事件などで集中的な弾圧を受け、二八年四月延長すればするはど剰余労働時間は長くなり、 回行われ、年報が刊行されている。 〈吉見義明〉生産される剰余価値も増大するので、資本家は ゼネストによる社会革命を唱える彼ら一〇日解散命令を受けた。 ⑦雇用管理調査 ( 労働省政策調査部 ) 民営企 できる限り労働日を延長しようとする。しかし ろうどうのにじゅうせい Dop ・ 業における労働者管理の状況を調査するものは、労働取引所を末来社会を生み出す核となる労働のニ重性 で、毎年テーマを定めて調査している。例示すべきものと位置づけている。しかし、やがて産 pelcharakter der Arbeit 響商品は使用価労働日の延長には限度がある。それは、労働者 の生理的・肉体的限度によって、さらに精神 ると、退職管理 ( 一九会 ) 、採用管理・退職管理業別組合を中心とした労働総同盟 (0 +) 値と価値という二要因を統一したものである。 の成長に伴って、一九〇二年に連盟はその地域こうした商品の二要因に対応して、その商品を的・社会的限度によって、二重に規定されてい ( 一九会 ) 、採用後の管理 ( 一久七 ) がある。 日る。この二つの限度はきわめて伸縮自在なた ⑧労働災害統計年報 ( 労働省労働基準局 ) 労別部門として合流し、一四年にはの「県生産する労働も具体的有用的労働と抽象的人門 働者災害補償保険のデータから各種の災害統計連」に発展的解消を遂げた。労働取引所そのも的労働という一一つの属性をもっている。これがめ、資本家は肉体的限度ぎりぎりまで労働日を をまとめたものである。なお労働災害動向調査のは、現在でも。ハリやリョンなどで職業紹介業労働の二重性である。上着なら上着というある延長しようとするが、これに対して労働者は、 は、サンプル調査ながら、労働災害率を産業別務を行う労働組合会館として存続しているが、特定の使用価値をつくりだすためには、裁縫労労働力が順当に再生産されるよう労働日の短縮 〈谷川稔〉働という特定の生産活動が必要であり、この活を求めて反対する。こうした労働日をめぐる資 かっての政治的性格はもはやない。 に発表している。 ⑨家計調査 ( 総務庁統計局 ) わが国唯一の年・ルフラン著、谷川稔訳『フランス労働組動は、目的、作業様式、対象、手段、および結本家階級と労働者階級の激しい闘争の結果とし 合運動史』 ( 一九七四・白水社 ) ▽谷川稔著『フ果によって規定されている。こうした使用価値て、法律によって標準労働日が設定された。イ 次別の大量家計調査で、一九六三年以降は拡大 ギリスでは一八四七年に一〇時間労働制が制定 ランス社会運動史』 ( 一九会・山川出版社 ) ▽をつくりだす労働を具体的有用的労働という。 されて、町村を含み、勤労者世帯だけで五〇〇 ・デュビエフ編、、ー 谷月稔他訳『サンディカこれは人間と自然との間の質料変換の過程であされ、一九一九年には総会で八時間労働 〇世帯以上を対象としている。このほか五年に 制に関する条約が採択された。日本では一九四 リスムの思想像』 ( 一九天・鹿砦社 ) って、資本主義社会に限らずどんな社会におい 一回、全国消費実態調査 ( 三か月分 ) が行わ ても不可欠なものである。具体的有用的労働七年 ( 昭和一三 ) 制定の労働基準法で八時間労 ろうどうのうみんとう大正末 れ、二人世帯以上で約四万八〇〇〇、独身世帯労働農民党 〈二瓶敏〉 で三〇〇〇余が調査対象となっている。なお貯昭和初期の左翼無産政党。略称労農党。一九一一は、たとえば裁縫労働と織物労働というよう働制となった。 、質的に相互に異なった生産的活動である EE ・マルクス著『資本論』「第一巻第三篇 蓄・耐久消費財調査も行われ、都道府県別の集五年 ( 大正一四 ) 一二月一日の農民労働党の結 第八章」 ( 向坂逸郎訳・岩波文庫 / 岡崎次郎 社禁止後、日本農民組合 ( 日農 ) 、官業労働総が、いずれも人間の脳髄、筋肉、神経、手など 計もされている。 訳・大月書店・国民文庫 ) ⑩労働組合基本調査 ( 労働省政策調査部 ) 毎同盟の提唱により再組織運動が開始された。翌の生産的支出であり、人間的労働力の支出であ たまひめくらぶ ろうどうぶんばいりつ distribu- 二六年二月一三日のいわゆる「玉姫倶楽部申合ることに変わりはない 。このような労働の具体労働分配率 年六月末現在で行われ、労働争議統計調査 ( 労 働省政策調査部 ) は、争議行為を伴わない労働せ」で日本労働組合評議会、政治研究会、全日的支出の形態にはかかわりなく、量だけが問題 tive share of labour 国民所得のうち労働 に分配される比率をいう。を国民所得、ルを 本無産青年同盟、全国水平社青年同盟の左翼四となる生理学的意味での人間的労働力の支出が 争議を含めて調査されている。 このほか業務統計で重要なものは労働省職業団体のメンバーを排除するとしたのち、日農、抽象的人間的労働である。これが商品の価値の賃金総額、を一人当りの賃金、力を雇用労働 安定局の職業安定業務統計である。〈藤本武〉日本労働総同盟 ( 総同盟 ) 、日本製陶労働同盟、実体であり、その分量が商品の価値の大きさを量とすれば、この分配率住は、 W ミト 回足利末男著『労働統計の基礎』 ( 一九七一一・日本日本労働組合総連合、東京市電自治会など七団規定する。労働の一一重性はマルクスによって初 労働協会 ) ▽労働省大臣官房政策調査部編体が参加して、三月五日に結成された ( 委員長めて指摘され、「経済学を理解するための軸点」 、当レ」ド ) ・つ、つ みわじゅそう としてその意義が強調されたもので、実際にそで表される。は技術進歩の分類やインフレー 杉山元治郎、書記長三輪寿壮 ) 。しかし左翼が 『労働統計年報』各年版 ( 労働法令協会 ) ションの説明などによく使用される。たとえ ろうどうとりひきじよれん個人加盟を通して支部結成運動や排斥反対運動の把握は経済学の全体系を支える礎石としての 労働取引所連盟 めい Fédération des Bourses du Travail を起こして党内に進出すると、一〇月の第四回意義をもっているのである。↓使用価値↓価ば、価格カが労働コストに一定率のマージン川 フラ 〈二瓶敏〉を上のせして決められるとすれば、 一九世紀末フランスにおける労働組合運動中央委員会で日農、日本製陶労働同盟を除く五値 ・マルクス著『資本論』「第一巻第一篇 団体が脱退した ( 日本製陶労働同盟もまもなく の地域的連合組織で、サンジカリズムの拠点。 となる。もし川が一定だとすれば、カの上昇率 第一章」 ( 向坂逸郎訳・岩波文庫 / 岡崎次郎 脱退、日農は分裂 ) 。このため正式に左翼に門 労働取引所は、もともと地方自治体が設置した G(P) は、 訳・大月書店・国民文庫 ) 職業紹介所であり、一八八七年パリとニームで戸を開放し、一二月一二日の第一回党大会で左 G(P) 日 G ( を日 G ( ミ ) ー G(y) ろうどうび Arbeitstag 労働者 開設されて以来全国各地に設立され、一九〇八 翼政党としての路線を確定し、委員長に大山郁労働日 ーそさこかねみつ の一日の労働時間のことを労働日という。資本である。ここでは労働生産性 ( ト ) であ 年には一五七を数えている。本来は労働力市場夫、書記長紐迫兼光を選出した。この時期、一 の安定を目的として設けられた組織であった六支部連合会、一〇六支部、党員七九六七人を主義社会における労働者の労働日は、必要労働り、 G(Y) は技術進歩率を表す。この式は、賃 擁した。このころから党は日本共産党の影響下時間と剰余労働時間とから構成されている。こ金率が労働生産性よりも上昇率が高ければ、物 が、管理運営が労働組合にゆだねられることが じようなん に置かれ、城南小作争議に端を発した議会解のうち必要労働時間は労働力の価値を再生産す価が上昇し、逆の場合には物価が下がることを 多かったため、生成期の労働組合を地域別に結 さんとう 〈大塚勇一郎〉 集する運動拠点となった。それゆえ労働取引所散請願運動、山東出兵に反対する対華非干渉運るのに必要な労働時間である。実際には労働者意味する。 ろうどうほう labour law 曰 Ar ・ は、単なる職業紹介業務にとどまらず、相互扶動、五法律制定要求運動などを果敢に展開し、 はこれを上回って剰余労働を行っており、それ労働法 によって資本家のための剰余価値が生産され beitsrecht バイ資本主義社会において、資本 二七年 ( 昭和一 l) の府県会選挙で一一万票余 , フ助機能 ( 労働災害・失業の補助 ) 、教育機能 に従属せざるをえない労働者の自由と生存権の ( 当選者一三名 ) 、二八年二月の総選挙で一九万る。労働力の価値を生産する必要労働時間は、 と ( 職業訓練、労働者講座など ) を兼ね備え、さ みずたにちょうぎぶろう せんじ , フらにはストライキの支援に力を注ぐ闘争機関で票余 ( 当選者水谷長三郎、山本宣治 ) を獲得所与の生産諸条件のもとでは労働力の価値が不具体的保障ないし人間の尊厳に値する生存の保 障を法原理として掲げる法の総体をいう。 ろもあった。一八九二年にはその全国組織であるして無産諸政党のなかでもっとも有力な存在と変であるがゆえに、一定社会の一定時代におい 501

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いしそれに基づく行動様式。このような思想と 所有せず、したがって、自分の労働力を生産手展を遂げ、労働組合の団体交渉機能は拡大さ組織法 ( 一九五二年制定、七二年改正 ) によっ し段の所有者である資本家に販売し、賃金を取得れ、労働組合運動の企業および職場内への浸て、従業員五人以上の企業には経営協議会 ( 従行動様式は、本質的には資本家階級の利益を代 4 しない限り生活できないという「経済的強制」透、企業内における労働者の権利の拡大が目だ業員代表機関 ) の設置が義務づけられた。団体弁するものであり、労働運動の発展に対抗して つようになった。労使関係論は、このような労交渉事項を除く職場問題を取り扱うが、共同決資本家階級によって労働者階級の内部に持ち込 つを受けている。しかも、資本家による労働力の 消費過程、すなわち資本の生産過程において資関係の深刻化に対応して、経営権の防衛を図定は安全衛生、福利厚生などに限定され、争議まれ、労働者の階級的自覚と労働運動の発展を は、資本家は労働者を指揮・統制し、労働者のり、労働組合を経済主義、さらには協調主義の行為なども禁止されている。イギリスでは第一妨げる。また、労働運動と社会主義運動の結合 が進むとともに、この思想は反共主義とも結び もとに統合し、資本・賃労働関係を永続化せし次世界大戦中、ホイットレー委員会によって、 剰余労働を搾取する。したがって、このような しゅんべっ 付けられる。わが国では、企業別労働組合とい 労資関係を労使関係という概念に置き換えるこめようとする独占資本のイデオロギー、および団体交渉と峻別された、労使の協同による問 う組織的弱点を利用しながら、企業主義と一体 とはできない。 政策的提言を反映したものである。↓人間関係題解決を原則とする労使協議制の導入が勧告さ 〈戸木田嘉久〉れ、工場委員会などが設置された。第二次大戦となって持ち込まれる。独占段階に入ると、帝 〔ニ元性とニ重性〕労資関係を隠蔽する労使関論↓労使協議制 係論では、次のように労使関係の一一元性・一一重回木元進一郎編著『経営会計全書 9 労使関係中から戦後にかけては合同生産委員会が一定の国主義諸国の労働運動の内部に労使協調的潮流 論』 ( 一九七六・日本評論社 ) ▽長谷川博編著発展をみた。ショップ・スチュワード運動の発が形成されるが、その経済的基礎は帝国主義 性が問題にされる。すべての労使関係の基礎を なすのは雇用という経済的関係であるが、この 『現代日本企業と労使関係』 ( 一九〈一・労働旬報展とともに一時衰退傾向をみせたが、一九八〇的・独占的超過利潤にあり、独占資本勢力はそ の配分によって労働者の上層部や労働官僚をそ 雇用関係には二つの関係が含まれるというので 社 ) ▽藤林敬三著『労使関係と労使協議制』年代に入りふたたび増勢に転じた。 〔日本〕日本では敗戦直後発展をみた経営協議の潮流の支柱として意識的に培養している。わ ( 一九六三・ダイヤモンド社 ) ▽ O O 編、日 ある。第一は、雇用条件の決定にかかわる関係 ( 狭義の労使関係 labour relations) である。 本労働協会訳編・刊『労使関係制度の展開』会の解体ののち、日本生産性本部の主導で一九が国の労働運動においてもこの潮流の影響は強 五〇年代後半から普及が進められ、八四年 ( 昭 く、一九八七年 ( 昭和六一 l) 一一月には労働戦 ( 一九七七 ) ▽・・ダンロップ、・・ これは資本家と賃金労働者の労働市場における 線統一の名のもとに、全日本民間労働組合連合 ービソン他著、中山伊知郎監修、川田寿訳和五九 ) 現在民間企業の約七割に設置されてい 労働力の売買をめぐる経済的取引関係である。 『インダストリアリズム』 ( 一九六一一一・東洋経済新る ( 労働省調査 ) 。設立根拠は労働協約、名称会 ( 連合 ) を結成するに至った。↓労使関係 それは労働組合による団体交渉の対象領域であ ↓労働運動 〈浪江巌〉 は労使協議会とするものが多く、社会的事項 報社 ) り、労働力の取引条件をめぐる経営と労働組合 ろ・つゾ」うかんこう ( 福利厚生、安全衛生 ) 、労働条件事項を除いて老子化胡説ろうしけこせつ老子がインドに の対抗を含むという意味では、両者の利害は対労使慣行ろうしかんこう 0 労働慣行 しやか は大半が通知・説明にとどまり、労使の意思疎行き、釈迦を教化したとか、釈迦は老子の生ま ろうしきようぎせい J01nt con ・ 立する関係にある。第二は、従業関係 employ- 労使協議制 れ変わりであるという説。「ろうしかこせつ」 ee relations, personnel relations である。こ sultation system 団体交渉と区別された労通機関化の傾向が強い。また企業別組合の多い ごかん ともいう。この思想は中国の後漢末ころから道 日本では、団体交渉との区別があいまいとな こでは雇主は経営者、労働者は従業員として現使間の協議の機構。産業別団体交渉が発展し、 りくちょう れ、経営者は事業の方針、計画、統制などの担 企業内に労働組合の基礎組織をもたなかった西る。その実態は、団体交渉と明確に区別されて教徒によって説き始められたもので、六朝か とうそう いるもの三八 % 、団体交渉の事前協議機関三一ら唐・宋の時代に広く流布した。この説の意図 い手であり、従業員はその指示のもとでさまざ欧では、それは、労働組合と異なる従業員代表 まな事務や労働を行う。したがってそこでは、機関を当事者とする企業内での労使間の協議の % 、実質的な団体交渉機能の混在二九 % 、そのは、道教の祖とされている老子が、仏教の祖で 経営者も従業員も生産活動の担い手としてとも場を生み出すことになり、経営参加の一方式と他二 % ( 一九八五年生産性本部調査 ) となってある釈迦の先生であるとか、釈迦の前身が老子 に働く関係にあり、労使協議制によって対立関される。そこでは経営・生産問題、安全衛生、おり、現実的には労働組合の団体交渉権・争議であると説くことによって、道教のほうが仏教 よりも優れた教えであることを主張するもので 係ではなく協力関係をつくりだすこともでき福利厚生など従来の団体交渉を通じては関与で権を制限する役割を果たしているとの批判が強 る、というわけである。 生産性本部は「日本型経営参加」の方式とある。老子がインドに行ったという話は、司馬 きなかった事項が取り扱われることになるが、 せん いんき このように労使関係・雇用関係の二元性・二規制の度合いという点では、協議・提案・通知して労使協議制の拡充を提唱し、七八年には遷の『史記』の老子伝に、老子が関の長官尹喜 に『道徳経』五〇〇〇言を授けたのち立ち去っ 重性が説かれる意義はどこにあるのか。それは説明が中心で共同決定事項は限られ、かっ労働「企業運営労使協議会設置基準案」を発表して 第一に、労働組合を労働市場における労働力商協約締結権、争議権を行使できないという限界その推進を図っている。↓経営参加↓工場委たまま行方知れずであるという記述に基づい せいいき 〈浪江巌〉て、実はその後、老子は西域を通ってインドに 品の取引条件の担い手と規定し、団体交渉の対をもっている。歴史的にも、それは職場からの員会↓ホイットレー委員会 象を労働力の取引条件に限定し、労働組合およ 自主的な労働者統制の運動の抑圧、団体交渉機回木元進一郎著『労働組合の経営参加』新訂版行ったという話につくりかえたものである。西 しん おうふ ( 一九七七・森山書店 ) ▽ヨーロッパ産業民主主晋時代には道士王浮によって『老子化胡経』一 び団体交渉機能を企業および職場内から排除す能の企業・職場への浸透の防止などを意図する 義国際研究グループ編、奥林康司他訳『ヨー 巻がつくられた。この経典は唐代には『明威化 るものである。そこでは、資本の専制的支配と使用者側のイニシアテイプで導入されたもの ・一きよう ロッパの労使関係』 ( 一九会・有斐閣 ) ▽日本胡経』ともよばれた。唐代にはこのはかに、 搾取に対する労働組合の階級的対抗関係は、団で、労使間の意思疎通・協力を制度上の理念に しようげないげきよう 生産性本部編・刊『新環境下における労使協『正化内外経』ともよばれる『老子化胡経』一一 体交渉による「バイの分配」をめぐる対立に矮掲げるものが多い。これに対抗して、労働組合 しようひょう 巻や、北周時代から行われていた『老子消氷 議制の現状』 ( 一九全 ) 肘される。しかも、第二に、その分配源資は、団体交渉の企業・職場レベルへの浸透を図 かいげん である「バイの増大」の問題は、労使協働の場るとともに、労使協議制自体への労働組合の関労使協調主義ろうしきようちょうしゅぎ労化胡経』一巻、あるいは開元年間 ( 七一三 ~ 七四 D せいしよう 働者階級と資本家階級の根本的な利害対立を認 にマニ教徒によってつくられた『老子西昇化 で労使協議制によって扱われ、バイの分配を争与を強めつつある。 う以前にバイの増大を図るための、労働者Ⅱ労〔外国〕労使協議制の設立根拠、名称、機構、めず、労働者が使用者 ( 資本家 ) に協力して生胡経』一巻、もしくは一〇巻本の『老子化胡 働組合と使用者の協調が期待される、というわ機能などは、国・時代によって多様である。西産性向上に努め、企業や産業・国民経済を繁栄経』などが存在していた。『老子化胡経』はし けである。↓労使協調主義 させるならば、利潤の増大とともに賃金・労働ばしば禁断に遭遇したが、種々に形を変えなが ドイツでは、ワイマール共和制下の経営協議会 だいじようこんげん ら元代まで続いていた。元代には『太上混一兀 第二次大戦後、労働運動は質・量にわたる発 ( 一九二〇年法制化 ) の経験を引き継ぎ、経営条件も改善され生活もよくなると説く思想、な わい

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〈福田泰二〉 クという。また、固定節の周りの往復角運動をは鱗茎である。 、フ語学を学んだが、のちにデンマークにナハティ ガルを訪れ体操の指導を受けた。彼は解剖学、するものをレバー ( てこ ) という。ピン結合し りんけいせき珪酸鉱物の一種で、石 鱗珪石 可 d 方 へ矛 / ワ】 ん生理学を学び、体操に科学的根拠を与えた。体た四つのリンクのうち最長のリンクを固定する英やクリストバル石などと同質異像の関係にあ 操を分類して、①教育体操、②兵式体操、③医と、それに隣り合っている二つのリンクは、一る。火山岩、とくに安山岩やディサイトのすき 名式 いんせき 英成 療体操、④美的体操とした。しかし実際には教方はクランク、他方はレバーとなる。これをてまや石基に産するはか、石質隕石の中にもまれ 石・組分系 育、兵式、医療の三部門だけが指導され、教材こクランク機構という。往復運動を回転運動に に存在する。火山岩の空隙部では、無色透明な珪名成晶度重沢痕開の 鱗学化副結硬比色光条劈そ いし白濁した薄い六角板状結晶がみられること の数もきわめて少なく、その運動様式もはなは変えたいとき、またはその逆の場合に利用され る。てこクランク機構でてこの長さを 0 とした がある。このような結晶は、一一七度 0 以上のられている。その際の一般的な意味は、相互浸 だ簡単であった。スウェーデン体操としてもっ とも特色を発揮したのは教育体操と医療体操スライダークランク機構は、蒸気機関、内燃機高温 ( 一気圧の場合 ) で六方晶系の構造をもっ透性を著しく増すことによって生じた国内政治 と国際政治の連繋というものである。内政の外 で、本国スウェーデンだけでなく、ドイツ体操関などに応用されている。リンク装置は運動伝ているためできるのであるが、常温では外形は とともに近代における世界の体操を二分して君達が確実なうえ、多種多様の運動を導くことがそのままで、結晶の内部は低温で安定な斜方晶政化、外政の内政化とよばれる状況がまさに連 臨した。↓スウェーデン体操 〈上迫忠夫〉できるので、早戻り機構、直線運動、平行運系の構造に転位している。もろく、比重が小さ繋政治を表すとするが、それに類することばと いのが特徴である。わが国では産地が多いが、 して国際、国内を結び付けたインターメスティ リングウッドと fred Edward Ringwood 動、間欠運動、自転運動その他特殊な軌跡を与 える運動などに広く応用されている。↓てこク とくに熊本市石神山のディサイトの空隙部に。ハ ック inter ・ mestic との用語すらっくられてい ) オーストラリアの岩石学者。メル せん 〈中山秀太郎〉 ランク機構 ーガス閃石や方解石とともに産するものは世界る。しかし、一方、リンケージは、近年では便 ポルンで生まれ、メルポルン大学で地質学を学 ゅしゆっにゆう ばうえきせい 0 輸出入的に有名である。三連双晶をよくするため、英利な用語としてさまざまに用いられており、そ んだ。一九五六年同大学で学位をとった。ハー リンク貿易制 リンク制 名は、三つ折れを意味するギリシア語に由来すの意味はきわめて漠然としたものになってい ード大学の研究員 ( 一九五七 ~ 五 0 、オーストラ はやしら りんけ「はやしけ」ともいう。林羅る。和名は外形と化学成分からつけられた。↓ る。政治と経済の連繋といった意味に用いられ リア国立大学の研究員、地球物理学の講師、地 林家 〈松原聰〉ることもあるし、また特殊な例では、アンゴラ 球化学の教授 ( 一九六七 ) を経て、 Z<T< ( アメ山を祖とする儒者の家系。代々江戸幕府の儒官石英↓クリストバル石 しゅし りんけいどうぶつ動物分類学上、駐留キューバ軍の撤退とナミビア独立選挙の実 リカ航空宇宙局 ) の月試料の主任研究員 ( 一九として朱子学を奉じ、文教に携った。羅山は徳輪形動物 六 0 、オーストラリア国立大学の地球科学研究 川家康以降四代の将軍に仕えて、和漢の古典のかって用いられた一門 Trochelminthes の邦施をリンクさせたアメリカのリンケージ政策と へんさん 〈青木一能〉 いった用いられ方もある。 所の所長 ( 一九七 0 になった。 解読、故事の調査、歴史の編纂などに携り、上訳。海産の環形動物や軟体動物の初期幼生であ ようえき しのぶおか えき 0 リンガー溶液 地球内部の組成や構造、高温高圧下での相転野忍ケ岡に学問所を建立して朱子学を講じ、幕るトロコフォラ Trochophora ( 担輪子幼生 ) リンゲル液 移の分野で優れた研究を行った。その業績をた政にも関与した。二代鵞峰は経学・史学をよく に、一般体制が類似している動物群という意味リンケルナツツ Joachim Ringelnatz かんらん ー一九三四 ) ドイツの詩人。ライブツイヒ近 たえて、橄欖石の組成をもつ高圧下で安定なスして羅山の業を継承・発展させた。三代岡ので命名され、担輪動物と訳されたこともある。 ( 一公一一 しようへいギ一か ギムナジウム ピネル型の結晶構造をした鉱物に、リングウッ とき、家塾は湯島へ移されて昌平坂学問所とのちに、海浜砂粒帯で腹毛虫類 ( 袋形動物 ) や郊に生まれる。高等中学校を中退した船員あが だいがくのかみ なり、鳳岡は大学頭に任ぜられ、以後林家の原始環虫類 ( 環形動物 ) に新しい形態で中間型りのポヘミアンで、放浪と無頼の生涯を送った。 ド石の名がつけられた。『地球のマントルの組 成と岩石学』 ( 一九七五 ) 、『高レ・ヘルの原子炉廃棄当主が大学頭を継いだ。学問的には、鳳岡以後の動物が次々に発見され、それらの形態や系統マンドリンを背にミュンヘンやベルリンの「文 物の安全処理』 ( 一九七 0 、『地球と月の起源』 ( 一九は徂徠学ほかに押されぎみであった。一八世紀関係が明らかになるにつれ、少なくとも海産腹士キャパレー」を渡り歩き、自作の詩を朗読。 きんぼう 七九 ) の著書がある。 〈千葉とき子〉末錦峰のとき、幕府は朱子学不振の状況を打破毛虫類と輪毛虫類とを同一のグループとして扱『体操詩』 ( 一九一一 0 ) 、『クッテル・ダッデルドウ』 かんせい いたずら すべく「寛政異学の禁」を令した。羅山の血統うことに否定的な学者が多くなった。現在、系 ( 一九一 (0) 、『悪戯読本』 ( 一九三一 ) など、その作品には リンクス 0 オオヤマネコ のりも - り じゅっ は錦峰で絶え、美濃岩村藩主松平乗薀の子述統分類関係の分野では、各国とも輪形動物とい ナンセンスで大胆な道化、センチメンタルな叙 リンク装置ーーそうちいくつかの細長い う分類名は用いていない 〈鈴木実〉情、深い孤独と憂愁が表れている。〈幅健志〉 棒をピン継手で連結し、一定の拘束運動を行う斎が幕府の計らいで林家を継いだ。述斎のと ようにつくられた機械部分。ピン結合のような き、昌平坂学問所は官学となり、朱子学の振リンケージ linkage 生物の二つ以上のそ回板倉鞆音訳『リンゲルナツツ詩集』 ( 一九六六・ 思潮社 ) 回り対偶を両端にもっ細長い剛性の棒をリンク興、学制の改革などの面で成果をあげた。その後れそれ別の形質を支配する遺伝子が、同一染色 、リンク装置はそれを組み合わせたもの の各代は、みるべき業績に乏しい。 ^ 玉懸博之〉体上にあって、それらの形質または遺伝子が相 林県りんけん / リンシェン中国、河南省北 とうろく たい・一う である。リンクの組合せ方、拘束の与え方など りんけい節間のきわめて短い地下茎伴って子孫に伝えられること。連鎖、連関とも端の県。太行山脈の東麓に位置し、山西、河北 鱗茎 いう。↓連鎖 〈黒田行昭〉両省に接する。人口八一万四〇〇〇 ( 一九全 ) 。 により種々の運動を行わせることができる。機 に多肉の鱗片葉が多数ついたものをいう。語の うえでは茎の変態のように思えるが、実体は かっては干害多発地域であったが、一九六〇 ~ 械の各部の運動、その伝達、動力伝達など広く リンケージ・ポリティックス linkage きょ びようじトっ 六九年に全長一五〇〇キロの紅旗渠を建設し、 使用され、ほとんどすべての機械にリンク装置苗条の一型であり、苗条のなかでも茎の占め politics 一般に連繋政治と訳されている。こ しようが る体積はわずかである。タマネギ、スイセンなの連繋政治論を一九六〇年代後半に先駆的に唱潭河の水を引き、干害の防止に成功した。小 は利用されている えたのはアメリカの政治学者ローズノー James 麦、綿花栽培が盛んで、化学肥料、製鉄などの リンク装置の基礎となるのは四節回転機構どでは個々の鱗片葉が茎の全周を包囲し、ヤマ 〈駒井正一〉 ) であり、国内政治体工場もある。 ュリ、クロュリなどでは小形の鱗片葉が多数集 N. Rosenau ( 一九一一四ー で、回り対偶の単節四個からなっている。長さ しゅうれん りんけん visitation 船舶またはその の異なる四個のリンクのどれを固定するかによ まっている。鱗茎は、地上が生育に不適な季節系と国際政治体系が収斂する部分それ自体を臨検 って、いろいろの運動を各リンクに行わせるこ に養分を保持して芽を温存する働きをもち、多分析対象とする理論であった。彼は七〇年代に乗員、乗客に違反行為があると疑われる場合 とができる。最短リンクは、これと対偶する固 くの場合は栄養繁殖の手段ともなる。なお、園入ると自らの方法論の行き詰まりから連繋政治に、軍艦その他の公の船舶が臨検士官およびそ の補助員を嫌疑船舶に派遣、乗船させ、その船 定節に対して完全に回転できる。これをクラン 芸で球根とよばれるものの多くは、植物学上で論を放棄するが、その用語だけは今日広く用い っギ - て さい 無 , 白 ガラス なし * 擬六方 198

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天文台長アラゴフ、ル・ベルらの仕事はただちに出てくるよう 陽系の安定性を証明した。バリ に思われる。しかし、パスツールの四八年の論 の勧めで、台員として水星の運動を計算し、近 日点の移動がニュートンカ学での算定より大き文は、ケクレが炭素原子価の四価性をとらえる いことを発見、その起因はのちに一般相対性理約一〇年前であり、ケクレのペンゼン六員環構 造の提起が六五年であることを考えると、当時 論により解明された。四六年バリ科学アカデミ ー会員、四九年ソルポンヌ大学天体力学教授との化学者が化学構造の意義を的確にとらえてお らす、そのためにバスツールの仕事からル・・ヘ なった。周期彗星の木星による摂動を研究中、 ルらの論文に至るのに約四分の一世紀を要した 天王星の原因不明の摂動を末知の惑星の存在に よるものと計算した ( 一会六 ) 。この予報は的中と考えられる。ようやく七三年にウイスリツェ し、ベルリンのガルレにより新惑星が発見されヌスが光学異性の問題から分子の立体的構造の た。これが海王星であり、「天体力学の勝利」必然性について示唆し、それを具体化する仕事 とたたえられている。 が、二人の若い化学者ル・ベル ( 二七歳 ) 、フ アント・ホッフ ( 一三歳 ) によってなされたの 一八五四年アラゴの後任として台長となり、 クリミア戦争時の暴風禍にかんがみ、ヨーロツである。ル・ベルは、主としてパスツールの分 ハ各地に測候所を設け、最初の天気図を作製子不斉の観念を構造化学的にくみ取り、分子の し、天気予報の体制を敷いた。〈島村福太郎〉立体構造理論を確立した。ファント・ホッフの ル・ベル Joseph Achi11e Le Be1 ( 一〈ほうが二か月ばかり早いが、立体化学建設の功 〈荒川泓〉 ー一九三 0 ) フランスの化学者。アルザス、ペケ績は二人に帰せられる。 ルプローンに生まれる。ファント・ホッフと並回田中実著『近代化学史ーーー化学理論の形成』 ( 一九五四・中教出版 ) び、独立に、立体化学の建設に果たした役割で エコール・ポリテグニク 知られる。一八六五年から六七年理工科大学校ルベルディ Pierre Reverdy ( 天瓮ー一九 に学び、ついでコレージュ・ド・フランス医学六 0 ) フランスの詩人。南仏ナルポンヌに生ま れる。トウールーズで学んだのち 校でバラールに学んだ。その後、エコール・ ド・メディシンのウュルツのもとで有機化学のる。モンマルトルに住み、アポリネール、ンヤ ル神の 界筆 コプ、ピカソらと交わり、文学上のキュビスム のス 指導を受けて研究を進めた。その間、ファン 5 画な 絵か リ代ン ト・ホッフがオランダから留学してウュルツの ( 立体派 ) の代表者の一人と目される。第一次 クや 古ペ ッび 世界大戦中の一九一七年に雑誌「北ー南』を創 もとにきており、半年間机を並べて研究してい ロの た。二人はのちの七四年、同じ年に、それぞれ刊し、戦後の前衛的文学運動の先駆をなす。と ュさ彩 油ス作 くに詩集空の漂流物』 ( 一九一一四 ) に収められた 独立に立体化学の論文を発表することになる。 プ豪 彼らの間でこの問題について討論されるという初期作品は、ダダやシュルレアリスムの詩人た ネと板コし いんせい ことはなかったようである。 ちに高く評価される。一一五年以後隠棲し、孤独 油っ色年児の 引遺ほ 分子の幾何学的構造性の把握への第一歩はすで宗教的な文学生活を送りつつ、『風の泉』 ( 一九 のの 年の麗 一フほ 作華 でに一八四八年バスツールによって与えられて一一九 ) など多くの詩集を発表。また『毛皮の手 サい のる いた。彼は酒石酸ナトリウム、アンモニウム複袋』 ( 一九一一七 ) 、『私の航海日誌』 ( 一九四 0 などの自 イ着る 塩についての観察から、原子配列の不斉が結晶伝的・詩論的ェッセイによって、現代フランス 妻ちく たし 先落て 形では重ね合わせのできない半面像として現の詩に影響を及ばす。象徴主義を超えようとす れヒフ さ格 とくわれ、分子の不斉が光学的活性の原因であることる前衛詩人でありながら、同時に古典主義的傾 頼神 依を成 〈巌谷国士〉 夫珍がをとらえていた。これから、ファント・ホッ向をも保持した。 らリ大ク婚は活 回窪田般彌訳『ピエール・ルヴェルデイ』 (r フ かマ集妻一新て生 , のテるし庭 ランス現代詩四人集』所収・一九会・思潮社 ) マし画コすに家 妃に絵ナ策スな ルーベンス peter paul Rubens ( 一五七七 の華クハビ散ンせ をベ幸 ー一六四 0 ) フランドルの画家。一七世紀バロッ 4 を口 テ庭一で レ、レ穏 ク絵画の代表者。ルーベンスは英語、ドイツ語 ア広た平 のいも 館アなり 読みで、フランドルではリュペンス。資産家の 術王的あン風てら 父が政治上の理由からドイツに逃れていたた 美ス史でヘアしか ルン歴碑ンリ臨れ め、ウエストファリアのジーゲンで一五七七年 プラが念〕ュタ君流 己左 六月二八日に生まれる。父の死後、一〇歳のと ロロ 0 0 す / ) レ・べノレ バリ科学アカデミ

10. 日本大百科全書 24

( 皇帝 ) ニコライ二世に対する請願行動ので政府はウィッテの主張をいれてふたたび譲歩 君主制の下に進められた鉄道建設と重工業の育 ロシア革命 かくめい PYCCKafl PeBO- ために首都ベテルプルグの冬宮を目ざした労働し、一〇月一七日、「十月宣一 = ロ」を発布して、 成は、急速な工業化と高い経済成長をもたらし Rus- 5 ニ H 工 Russkaya Revolyutsiya 智 た。それを可能にしたのは、フランスを筆頭と者とその家族に、軍隊が一斉射撃を浴びせ、多人身の不可侵、良心・一言論・集会・結社の自 Slan Revolution 材ス する膨大な外資の導入と、人口の八割以上を占くの死傷者を出した事件である。司祭ガポンに由、立法権のある国会 ( ドウーマ ) の開設、制 〔革命前のロシア〕 める農民から徴収した穀物の「飢餓輸出」であ率いられたこの行進は、首都ベテル。フルグのエ限付きの住民の選挙参加を認めた。また大臣会 議議長 ( 首相 ) の職が新設されてウィッテが任 「一九〇五年革命〕血の日曜日 / 日露戦争った。しかし、二〇世紀初頭の恐慌はロシアの場のゼネストのなかで行われたものであり、こ と革命の開始 / 十月宣言と革命の波経済成長の矛盾を表面化させた。 の「血の日曜日」はストライキ運動への弾圧で命された。 及 / 国会をめぐる闘争 一九〇〇年末から〇一年にはキエフ、ペテルあった。以後、「血の日曜日」に対する抗議ス これを機に、十月宣一一一一口を受け入れて反政府連 「再編と第一次世界大戦〕ストルイピンのプルグ ( 現レニングラード ) などの学生運動が トライキは全国に波及し、とくにポーランドと動から手を引く自由主義者と、それを拒否する 改革 / 第一次世界大戦の開始 活発となり、街頭での市民、労働者との共闘を バルト海沿岸地方では激烈なストライキと街頭革命派との分解が始まった。カデット党 ( 立憲 〔二月革命」首都の二月革命 / 臨時政府の生み出した。また農奴解放令の発布 ( 一会一 ) 以デモのなかで多数の死傷者を出した。↓血の日民主党 ) は、十月全国ゼネスト中に創立大会を 成立 / 臨時政府とソビエト / 第一次連来平静であった農村でも、四〇年ぶりに一揆が曜日↓ツアーリ 開き、国会を通じて政治的自由のための合法闘 立政府 / 七月闘争からコルニーロフ反頻発した。同じころ、ロシア化政策に反対する〔日露戦争と革命の開始〕ロシア軍は一九〇五争と立憲君主制を目ざす方針をたてた。また、 乱へ フィンランドやポーランドなど諸民族の反抗も年二 ( 三 ) 月、陸戦最大の決戦となった奉天のより与党的な立場から十月宣一一一一口を支持する「十 〔十月革命〕ソビエトの革命化と「十月武激しくなった。 会戦で敗れ、五月にバルチック艦隊が日本海海月党」 ( オクチャプリスト ) も結成された。↓ 装蜂起」 / ソビエト政権の樹立 大衆運動の活発化と並行して、政党の組織化 戦で全滅した。これは政府批判をさらに激化さ十月宣言↓カデット↓十月党 十月全国ゼネストは、一〇月二一日に終結し 「内戦と干渉戦争〕プレスト・リトフスク が進んだ。一八九八年に結成されたロシア社会せた。五月には、ストライキの波がふたたび高 たが、ストライキの過程で同月一三日に成立し 条約の締結 / 全面的内戦の開始 / 革命民主労働党は、一九〇三年に国外で第二回大会まり、また四 ~ 六月には、農村でも農民が地主 と反革命の抗争 / 革命の終結 を開き、ポリシェビキとメンシェビキの二分派 に対して、地主地での労働に対する報酬の引上たペテルプルグ・ソビエトは、ストライキ終結 「ロシア革命の影響〕世界への影響 / 日本を生み出しつつ、組織的な革命運動に乗り出し げと借地料の引下げを要求、村ぐるみの闘争に 後も活動を続行した。そのイニシアテイプの下 た。一方、変革の担い手をプロレタリアート、 立ち上がった。六月に起こった黒海艦隊の戦艦に、右翼からの防衛のための労働者の武装、検 への影響 〔ロシア革命の研究史〕ソ連・欧米 / 日本勤労農民、革命的・社会主義的知識人に求めるポチョムキン号の反乱は、反乱が軍隊をも巻き閲出版条例の空文化、八時間労働日の実力実施 〔レーニンの「四月テーゼ」〕 党も、革命的なナロードニキのサークルを込んだことで社会に大きな衝撃を与えた。このなどが行われた。農村では、九月から年末にか ナ、ヨーロッヾ ・ロシア中央部を中、いに、土地 基礎に、〇一年末に結成され、専制に対抗するようななかで、中央工業地帯の繊維工業都市イ ロシアに起こった二〇世紀最大の人民革命。 手段として「戦闘団」を組織、〇四年七月、大ワノボ・ポズネセンスクで、五月一二日から七を要求する一揆が激化した。一〇月から一一月 にかけて、クロンシュタット、セバストボリ、 二日間にわたり、軍隊の弾圧にもかかわらす全 革命によって成立した政権が、史上初めて社会衆運動の弾圧で名高い内相プレーベ BqqecJlaB 主義国家の建設を目ざし、そのことによって世 KOHCTaHTHHOBHt1 一・ lJ1eBe7VyachesIav Kons ・市ゼネストが打たれた ウラジオストクなどで水兵を中心とした反乱が 界の反資本主義・反帝国主義連動に大きな力を tantinovich Pleve ( 天四六 起こった。 ー一九 0 四 ) の暗殺を頂点 ここでストライキ参加企業の労働者の代表に 反撃の機会をねらっていた政府は、一二月三 与え、世界史に巨大な影響を及ばした。 とする多くのテロ活動を行った。また自由主義よって構成された「代表者ソビエト」が、全市 日、ペテルプルグ・ソビエトの議長トロッキー 革命は、広義には一九〇五年革命と、一九一者たちも、〇三年にはゼムストボ ( 地方自治 ストライキ委員会として生まれた。この「ソビ 七年の一一月革命および十月革命とからなり、前 会 ) の反政府的地主層がゼムストボ立憲主義者エト」とは会議、評議会を意味するロシア語でを含む代議員を逮捕、ソビエトは壊滅した。 者を第一革命、後者の二つをあわせて第二革命同盟を、〇四年には自由主義的な知識人と地主あるが、以後、この語は人民権力の機関をも意れに対し、モスクワ・ソビエトは一二月七日に ほっ・キ一 ゼネストに突入、九日にはこれを武装蜂起へと ともよぶ。このうち十月革命は、ソビエト政権が非合法結社解放同盟を結成し、立憲政治を求味することばとなる。 八月六日、政府は選挙人資格を制限し、法案転化したが制圧され、革命は鎮圧された。ゼ不 を樹立し、今日のソビエト連邦の誕生につながめる活動を開始した。↓ポリシェビキ↓メン シェビキ↓ TJ ↓ナロードニキ ストを背景とした武装蜂起はバルト海沿岸地 ったため、狭義のロシア革命ともいう。 の審議権だけをもつ国会の設置を発表、一定の なお、ここでいう二月革命、十月革命は、当 譲歩を示した。それと同時に、革命情勢に対応方、カフカス、グルジアにも繰り広げられた。 一九〇五年革命 またシベリア、黒海沿岸などの辺境地域では、 時のロシアで公式に用いられていたロシア暦に するため、日本との戦争の終結を急ぎ、ウィッ 従ったもので、西暦ではそれそれ三月と一一月〔血の日曜日〕一八九一年のシベリア鉄道起工 テを派遣、七月二八日 ( 八月一〇日 ) 、ポーツ 地方権力の全面的な空洞化と、それにかわって にあたるため、三月革命、十一月革命ともいわ によって極東への本格的な進出を開始したロシ マス会談を開始、八月二三日 ( 九月五日 ) 、ポ共和国を称する人民権力の一時的な萌芽がみら ーツマス条約に調印した。↓日露戦争↓ポチれた。 れる。二〇世紀ではロシア暦に一三日を加えるアは、満州 ( 現中国東北 ) を目ざす日本と衝 ョムキン号の反乱↓ソビエト制 〔国会をめぐる闘争〕政府は国会開設に向け、 と西暦になるが、ロシア暦は一九一八年一月末突、一九〇四年一月 ( 西暦二月。以下同じ ) 、 りようよう で廃止され、西暦にかえられた ( なお以下の記 日露戦争に突入した。しかしロシアは遼陽、 〔十月宣言と革命の波及〕しかし革命の波は、十月宣言の譲歩を限定することに力を注いだ。 一〇月七日に始まるモスクワーカザン鉄道の労一九〇六年四月一三日、ツアーリは妥協的なウ 述も、一九〇一 ~ 一八年一月末まではロシア暦沙河の陸戦で敗れ、〇四年一二月 ( 〇五年一 ようき一い ィッテを罷免、二三日に国家基本法 ( 憲法 ) を 力に従ったが、適宜 ( ) 内に西暦を示した ) 。 月 ) には旅順要塞が陥落した。一九〇五年革命働者ストライキを契機に、全国主要都市のスト あ の発端となる「血の日曜日」事件は、この敗戦ライキへと拡大、革命は最高潮に達した。八時公布した。そこでは、ツアーリは、国家評議会 革命前のロシア し による政府の権威の失墜のなかで起こったので 間労働日や民主的諸権利、普通選挙による憲法 ( 貴族院にあたる ) と国会によって制限される ろロシアにおいて、一八九〇年代、無制限専制ある。これは、〇五年一月九 ( 二 (l) 日、ツア 制定会議の招集などがその要求とされた。ここ「最高専制権力」をもつものとされた。地主、 5 エスエル いつぎ