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検索対象: 日本大百科全書 24
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1. 日本大百科全書 24

説の立場から、霊魂と肉体とを区別する一一元論しばそのような霊力は血筋ないし家筋をたどっ注目して、自家労働経営が圧倒的に多い従業者業数を全体として増加させてきた。低水準の社 の立場は否定された。しかしいずれの教えにおて伝わるとされる。↓ア一一ミズム〈板橋作美〉四人以下を「零細Ⅱ勤労業者」、自家労働の比会保障や大・中小企業の賃金格差の固定化や最 低賃金法の形骸化などが、中高年齢層の独立 いても、中世以降霊魂の不滅の信仰が強調され、 霊魂不減れいこんふめつ immortality ( 0 ( 重が三五 % 前後を占める五 ~ 九人規模を the soul) Unsterblichkeit (der see ・勤労業者と資本家的企業の中間的存在」と規定 ( 「自家雇用」化 ) や低賃金労働者の「独立開 今日に至っている。↓霊魂不滅〈竹沢尚一郎〉 霊魂し、両者をあわせて小零細企業とよぶ場合もあ業」を促進した要因であった。しかし、一九八 immortalité ()e l'åme) 駕 回ファン・デル・レーウ著、田丸徳善・大竹み (e) 響 〇年代後半からの円高は、労働集約的軽工業品 よ子訳『宗教現象学入門』 ( 一九七九・東京大学不滅 ( Ⅱ不死 ) の概念は、インド思想、ギリシる。 産業別では、製造業 ( 業種としては、出版、の輸出競争力を奪い、貿易摩擦による日本企業 出版会 ) ▽山折哲雄著『霊と肉』 ( 一九七九・東ア思想、ユダヤ教、キリスト教において、哲学 印刷、金属製品、一般機械、衣服、雑貨など ) 、 の海外現地工場化は、下請・孫請企業の困難を 京大学出版会 ) ▽マルセル・グリオール著、的・宗教的に深められたが、そこには二つのタ 不動産業、連輸通信業、卸・小売業に多い。製増大させ、産業の空洞化による零細企業のサー イプが存在する。 坂井信三・竹沢尚一郎訳『水の神』 ( 一一・ 造業における一 ~ 九人の経営は事業所数で七ビス部門やソフト産業へのシフトが取りざたさ 第一は、霊魂は不滅である、なぜなら霊魂は せりか書房 ) 霊魂信仰れいこんしんこう霊魂の存在を信本来的に神的な性質をもっているから、として三・五 % ( 一九会、以下同じ ) 、従業者数で五れるようになっている。産業構造の変動に伴 い、零細企業の存立基盤も大きな転換点に差し じること。また霊魂に関する観念と行為の総インド思想、ギリシア思想に特徴的である。第六・八 % を占め、小売業では四人以下の商店数 たま 称。一般に霊魂信仰は宗教体系全体のなかで中二は、霊魂は本来的に不滅ではないが、神の賜が八二・八 % ( 卸売業では四八・〇 % ) を占めかかっている。 零細企業の「強さ」の特徴は、需要単位の小 心的な位置を占めている。人類学者タイラーは物によって不滅なものとされる。これはユダヤている。 これら ( 小 ) 零細企業は、従業者一〇人以上さな市場を対象に小回りのきく創造的な経営を 万物に霊魂が宿るとする信仰をア一一ミズムと命教、キリスト教に特徴的である。 プラトンは『パイドン』 ( 一〇四 ~ 一〇五の企業と比較すると、自家労働と自己資本を中行うことである。政策的には、金融、税制、共 名し、宗教の原初形態であると唱えた。今日、 心とする個人経営で、経営と家計とが末分離な済制度、経営指導などの助成政策 ( 商工会議所 Q) において霊魂不死の論理的な証明を試みた そのような進化主義的な解釈については疑問視 が満足できす、『バイドロス』『国家』などでも生業的色彩が強く、金融機関等からの資本調達や商工会の経営指導や、これらの機関を通じて されているが、ほとんどの社会で物質的存在と は別の霊魂の存在が信じられていることは確か行った。デカルトは『省察』において霊魂不滅力が弱い。このため、資本装備率や技術水準も無担保・保証人なしで経営改善資金を融資する の証明を心身の区別の証明として扱ったが、力低く、生産性の低い労働集約的経営が多い。経「小規模企業経営改善資金」制度や小規模企業 である。霊魂は大きく人間の霊魂と他の霊魂に 営上の「強さ」 ( 同時に「弱さ」 ) は、「自家労共済法〈一九六五施行〉など ) や分野調整 ( 分野調 分けられる。前者には生者の霊魂 ( 生霊 ) と死ントは『実践理性批判』において証明を断念 〈加藤武〉働力の商品化」 ( つまり事業主の自己雇用 self ・整法〈一九七七〉 ) などの保護政策がよりきめ細か 者の霊魂 ( 死霊 ) があり、後者には動物霊、植し、実践的理性の要請とした。 く展開されることが必要となるだろう。↓下請 employment と家族労働の「雇用」 ) によっ 物霊があるほか、山や川や岩などの非生物体に回プラトン著、田中美知太郎訳『プラトンⅡ 〈殿村晋一〉 哲学①』 ( 一九〈一・岩波書店 ) ▽波多野精一著て、営業収益と事業主を含む家族労働の報酬制工業↓中小企業 もしばしば霊魂の存在を認める。さらに日本の - 」とだま 「時と永遠』 ( 一九四三・岩波書店 ) ▽ジャンケ ( 労賃相当分 ) が家計と直結していることであレイシ〔茘枝〕ト ~ ・、 ~ ・ c ミミ Sonn. 言霊のように非物質的なものにも霊魂ないし超 レヴィッチ著、仲沢紀雄訳『死』 ( 一九天・みる。雇用労働力が存在する場合でも、中高年齢ムクロジ科の小高木。中国南部原産の果樹で、 自然的な力の存在を信じる場合もある。一般に 熱帯地方で広く栽培される。英名ライチデ 者や婦女子ないしは学生アルバイトを含むパ すす書房 ) 霊魂はその宿主とは独立の存在で、ときに宿主 れいさい tchi, lichee. lychee でよばれることもある。 恒例によって一年に一回トなどの低賃金労働で、労働環境や労働条件も から遊離すると考えられ、夢はそのような遊離例祭 やすくに 一般に劣悪である。情報収集能力や販売力も弱高さ一〇 ~ 一五で、低部から多くの枝を張り 霊の経験であるとされることが多い。北アジア ( 靖国神社、護国神社などの特別の神社にあっ く、限られた地方市場や特定の取引先に依存せ出す。葉は四 ~ 五対の偶数羽状複葉。小葉は長 ては二回 ) 執り行われる、神社にとってもっと のシャーマニズムでは、シャーマンの魂は儀礼 ひしよう ざるをえない。 さ一五、幅約四弩、短い葉柄があり、革質 中にその肉体を離れて天上界や地下界を飛翔すも重要な祭祀で、例大祭ともいう。祭日は神社 で、表面は光沢のある濃緑色、裏面は灰緑色。 とくに製造業では、大企業を頂点として中小 ごとの歴史、由緒によっており一様ではない るといわれる。ただし普通の人間が魂を失うと えんすい 病気になったり死ぬと信じられていることが多が、多くは祭神や鎮座にゆかり深いたいせつな企業がその下請となり、零細企業がその二次下枝端に大きな円錐花序をつけ、五〇〇 ~ 一〇〇 く、シャーマンが行う病気治療法の一つは、そ日があてられており、みだりに日時を変更する請 ( 孫請 ) となるという生産構造の階層性が形〇個の花をつける。雌花、雄花、両性花の三種 のような紛失した霊魂を捜し出し患者の体に戻ことは許されない性質のものである。しかし第成され、零細企業は、「自家労働力の商品化」 してやることである。メキシコの南部では、子二次大戦後になり、しだいに日曜・祝日また昼を通じて、上位資本によって「事実上の賃労働 間に変更する例が増えており、信仰の変質を一小者」として搾取の対象とされている。小売業や 供が転ぶと魂が落ちてしまうと考え、子供が転 としごい ぶと親はすぐ子供の耳たぶをつまみ、魂が落ちしている。戦前の神社制度では祈年祭、新嘗祭サービス業では、地域消費者の需要との結び付 〈牟禮仁〉きがその存立条件であると同時に、従業者二人 とともに三大祭とされていた。 るのを防ぐ。また中米のインディオには、人間 以下の経営のなかには、製造業における広範な と特定の動物が魂を共有しているとする信仰が 零細企業れいさいきぎよう中小企業のなか しばしばみられ、その相手の動物が死ぬと人間でとくに小規模なものをさす用語で、各産業分内職者と並んで、低賃金や年金の不足を補う副 のほうも死ぬとされる。人間の霊魂が他の人間 野に広く存在する。産業ごとに条件が異なるた業的、家計補充的性格をもつものも多い に害を及ばすとする生霊信仰もときにみられめ、具体的にいかなる規模以下の企業をさすか 零細企業は、初期投資や資本装備が少なくて はかならすしも明確ではないが、一般に製造業すむ労働集約的工業分野や、消費者の需要と直 る。日本では平安時代の文献に記されているほ ひだ し か、つい最近、あるいは今日まで、飛騨地方のでは常用従業員数九人以下、商業・サービス業結しているため市場開拓費用が少なくてすむ商 シ ごんばだね ( 牛蒡種 ) 、沖縄のイチジャマ信仰では四人以下の企業の多くに当てはまる概念と業・サービス業を中心に、不断の新規参入と休 イ レ など、特定地域に生霊信仰が根強く残り、しば考えてよかろう。自家労働と雇用労働の比率に廃業 ( Ⅱ多産多死 ) を内包しながらも、その企 れ もの にいなめ 317

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ろうしか 理想社会を期待したのであろう。続集は、作者説などもある。要するにはっきりせず、現存のな、感覚を超えた一者で、天地万物の存在に先回『武内義雄全集 5 老子原始』 ( 一九大・角川書 店 ) ▽『津田左右吉全集道家の思想とそ 書物との結び付きで考えれば、戦国中期 ( 前四だって独立自存しており、しかも大きな現実的 によると一六回あるが、六回が公刊されてい の展開』 ( 一九六四・岩波書店 ) ▽楠山春樹著 る。 な働きを遂げている。すなわち「道は一を生 〈尾上兼英〉世紀 ) よりさかのばることはできない。 『老子伝説の研究』 ( 一九七九・創文社 ) じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を 回岡崎俊夫訳『老残遊記』 ( 一九六五・平凡社・東〔書物〕『老子』二編はまた『道徳経』ともよ ろうがん ばれる。上編が「道」の字で始まるので道経、生ず」とあるように、万物生成の根源として老視ろうし 0 老眼 洋文庫 ) じようしかん どうか ろうしかん 0 娘子関 老子ろうし生没年不詳。中国古代の道家下編が「徳」で始まるので徳経で、それをあわ「天下の母」であった。いいかえれば、人間を娘子関 ろうしかんけい industrial rela- 思想の開祖とされる人物。またその著作とされせた名称である。儒教の道徳とは違って、宇宙含む世界の存在はすべて「道」によってこそ、労使関係 それぞれのあり方を遂げている。そこで、万物 tions 資本主義社会における資本と賃労働、 人生の根源とその働きとを表すことばである。 る書物。 じあざな ろうたん こ従ってあるがままに ( 自然に ) ある資本家と労働者との基本的な矛盾・対抗関係、 〔人物〕老鵈ともいう。姓は李、名は耳、字は内容は約五〇〇〇字。現在は八一章に分けられは「道」し , ろくゆう 聘。春秋時代に楚の苦県 ( 河南省鹿邑県 ) に生ているが、これは原初の形ではない。文章は簡のだが、人間は私的な意欲をもってしばしばすなわち労資関係を、近代的な工業化された社 ついくきやくいん まれる。周の王室の守蔵室の吏 ( 図書役人 ) と潔な格言的表現の集積で、対句や脚韻を多く「道」を逸脱する。それが人間の不幸である。会における労働の管理者 ( 使用者、経営者 ) と なり、孔子が訪れて礼の教えを受けたこともあ用い、意表をつく逆説的なことばにも特色があそこで、「ただ道にのみ従って」、人としてのさ労働の被管理者 ( 労働者、従業員 ) との関係に ・一うしよう ことわぎ いんせい った。やがて周の衰微をみて隠棲を決意して西って、民間に広く口誦で伝えられてきた諺やかしらを棄て、ことさらなしわざを避ける「無置き換え、これに労使関係という概念が与えら おもむき かんいんき 方に旅立った。途中、関所で関守り ( 関尹喜 ) 格一言を集めたような趣がある。したがって、為」の立場に身を置き、「無欲」になって、他れるようになった。この用語が日本で普遍化し あらわ ひゅ の請いによって、上下二編の書を著して去った世俗的なことばとともに比喩的な難解な語句も人にぬきんでて自分を顕すようなことをせずたのは第二次世界大戦後のことである。労使関 ・システムに関する が、行方はついに不明であったという。しか多く、古来の解釈も異説が多い。成立はほば戦に、弱々しくへりくだっていくのがよいとす係という用語は、テーラー 公聴会を開いたアメリカの「労使関係委員会」 「無為」 る。「無為にして為さざるなし」 し、この伝説には疑問が多く、それを伝える最国末期であろう。注釈の数もきわめて多いが、 ぎおうひっ The United States Commission on lndustri- ー一一四九 ) の注が現存最古で、無のであればすべてが成し遂げられるのである。 古の資料『史記』の「老子伝」でも疑問を表明魏の王弼 ( 一一一一六 ち かじよう - 一う al Relations ( 一九一一一 ~ 一五 ) に発するといわれ している。孔子の先輩として紀元前六世紀に活哲学としての立場から解釈し、河上公注は治「道」の大きな働きは、その働きの跡を残さな しんちこく い自然なあり方であるから、人はそれを模範とる。だが、その源流はともあれ、労使関係とい 躍した人物の実在性は薄い。今日の学説として身治国の現実的な解釈のほか、養生にかかわる う概念は、経営権という概念とともに第二次大 は、前四七九年没の孔子より一〇〇年ほど後輩神仙道教への傾斜をみせていて、この二つが古して「道」の絶対世界に「復帰」せよともいう こしよう 戦後、労働組合運動を体制内運動として管理し とする説や、架空の人物として実在を否定する注の代表である。日本では河上公注本の古鈔がのである。 とん - 」う そうじ ようとする独占資本の意図を反映して使用さ 〔継承と展開〕『老子』の思想は列子や荘子に 多い。敦煌からは想爾注が も館 と術発見され、古道教での解釈承け継がれたとされる。ただ老子の現実的世俗れ、普及され、普遍化されたといってよい。 扣置件第第 〔産業社会の普遍的存在〕労使関係とはなに をうかがわせる。この後、的な成功主義と荘子の観念的思弁的な哲学とに す < そう げんそう 0 唐では玄宗皇帝の御注、宋は違いがある。漢の初めは老子と黄帝を結び付か。代表的な論者である・・ダンロップは ・一うろう りんきいっ けた「黄老の術」が無為の政治思想として栄書いている。「政治形態のいかんを問わす、あ て岡では林希逸の注が有名で、 第一うぎ ぎしん らゆる産業化した社会は労働者と経営者をつく とくに林の『ロ義』は江戸 え、魏晋のころからは、老子と荘子とが折衷さ を りだす。これら労働者と経営者の地位とその相 淡時代にもっとも広く読まれれた老荘思想の全盛時代となる。なお後漢末か 子紙た。日本の注釈としては太らは、仏教の理解のために『老子』のことばや互関係は、多かれ少なかれ詳細に規定されねば せいけん 老 代 田晴軒の『全解』が優れ思想を借りることも行われ、それに対応して老ならなくなる。産業社会は必然的に経営者と労 明 第〕 , 書国る。なお一九七三年に中国子の神格化も進んできた。初め「黄老浮図」と働者と政府機関の相互関係との複合体として規 去硎をを気を第気ん まおうたい 字 の馬王堆で発見された二種 いう呼び方で黄老と仏教とをあわせて信仰され定された労使関係をつくりだす」。このように 千図 五関の『老子』はほば前二〇〇ていたのが、やがて老子だけをとくに尊崇する労使関係は、「産業社会」では資本主義、社会 年ごろのもので、現存最古ようになって、道教の成立へと続くことにな主義の区別なく普遍的に存在する。この概念の 応子 まっ に老の書写本文である。 る。後漢の帝は晩年 ( 一奎 ) に老子を祀ってもとでは、生産手段の私的所有形態によ 0 て規 条を下をイを イ【、」十耘み請商〔思想〕「老子』の思想の「老子銘」をつくらせたが、すでにそこに道教定された資本主義の搾取と被搾取、支配と反抗 中心は、個人的あるいは政の教祖に連なる老子の神仙化、神格化がみえての対立関係が、「産業化」に伴う分業に基づく 一昨舳下廴誂予第 : 尹描 いる。道教での老子は天地に先だっ無始無終の機能を異にする人々の相互間の関係として把握 りを治的な成功をかちとるため けげん 守説 新第オ琺定忙を の「無為」の術を説き、そ存在であり、太古以来の歴代に帝師として化現される。 関伝 可せ之を気た ~ ・ , 一いを つまり労使関係という概念は、資本主義に固 歩、 , 子のための根拠づけとして考するとされるほか、多くの神怪な説話が付加さ ナいじじよう たいじようろうくんげんげん とうえられた形而上的な根源、れ、太上老君、玄元皇帝のほか種々の称号で有な資本と賃労働との社会的関係労資関係の ・彳 4 を朝ー よばれた。老荘思想として、儒教思想と対抗す本質を隠蔽するものである。労資関係は、その - 一去と「道」を説くことであった。 をた 国つまず「道」とは、「これをる形で、宇宙自然の広がりのなかでの高踏的な形式からみれば、生産手段の所有者である資本 の去視れども見えず、これを聴精神的超脱を開く思想的意義とともに、また道家と、労働力の所有者である賃金労働者とを当 周ち 立けども聞こえず : : : 混じて教の信仰のなかに生きた宗教的意義も重要であ事者とする、労働力商品の「自由な」売買関係 にほかならない。しかし、労働者は生産手段を 4 〈金谷治〉 一となる」といわれるようる。↓道教 な ごかん いんべい

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相模国 ) の生まれという。二歳のとき、母が桑の対立から出発するフイヒテ哲学の理論構成は、①生物的存在として生活を営む人間の側降の行動科学は、動機づけや職務満足度という を摘むため木陰に置いたところ、突然舞い下りを、芸術的自我、つまり芸術家の精神構造にも面、②社会的存在として集団的相互作用をする点から、このことをいっそう明確にした。人間 かすが てきた大鷲につかみ去られ、春日神社まで運ば適用する。こうして、個々の芸術家は、そのつ人間の側面、および③主体的存在として意思決関係管理は、このような知見に基づいて、従業 ぎえん れる。たまたま通りかかった義淵僧正に救われど特殊で制約された現象としての作品を創造定をし自己主張する人間の側面の三者をいう。員の健全な心情的条件の形成を通じて勤労意欲 し、その限りで自己およびその創造行為を肯定労務管理は、このような人間としての存在に不 ( モラール ) の向上を図ろうとする施策である。 育てられる。修行を重ねた良弁は名僧となり、 のちに、母の刻んだ観世音菩薩像の練によってする。しかも他方で、これら芸術行為やその所可欠な三つの側面について、組織体の側から諸具体的には、職場のコミュニケーションをよく 母子は再会を果たし、良弁は孝行を尽くしたと産たる美ないし作品は、いずれも精神や美の理施策を計画的・体系的に提供し、それによってするための職場懇談会、自己表現欲を満たすた いう。『東大寺要録』では根本僧正の話として念に本来の普遍絶対性に照らして、単にそのつ組織目的に対する労働力の有効発揮を促進しよめの提案制度、全体的コミュニケーションの手 伝えている。鷲が子をさらう話は古く『日本霊ど特殊で経験的な現象であり、自体的には無価うとするのである。したがって、労務管理の具段としての社内報、上司と部下のコミュニケー 値な仮象にすぎないものとして否定される。こ体的内容は、これら三つの人間的側面に対応すションをよくするための面接制度、健全な心理 異記』『今昔物語集』などに収載されているが、 状態をつくるための専門家によるカウンセリン ここでは親子の奇跡的な再会と縁の不思議が強の無限と有限、普遍と特殊の間の「解消しがたるものとなる。 第一の生物的存在としての人間に対する施策グ制度などがある。全体として意思疎通が柱に い矛盾の感情」「逆説の形式」がイロニーとよ 調され、高僧の逸話としては語られていない たん ばれる。しかしこれによって芸術家は、自己のは、福利厚生と総称されるものである。そのねなっている点に特色がある。 民間では「鷲の育て児」譚として各地に分布し 第三の主体的存在としての人間に関する施策 らいは、労働力の再生産と維持をよい生活条件 創造した美しい作品に対してすら、これにとら ており、東大寺二月堂の杉の由来を説くほか によって促進することにある。具体的には、各は、各種の参加である。参加は、一般従業員を に、さまざまの変化型が認められる。明治にでわれることなく、つねに無限なる普遍的理念へ じようるりぎだゅう きた浄瑠璃義太夫節に『二月堂良弁杉の由来』と超出しようとする自由を獲得する。こうして種の法によって実施を強制されている法定福利組織体の意思決定に関与させ、彼らの主体的意 があり、今日でもよく上演される。↓二月堂良それは「いっさいを見下し、条件づけられたも厚生と、組織体がそれに上乗せして任意に実施思をそこに反映させることをいう。具体的に 〈野村純一〉 ののいっさいを、自己の芸術、徳、さらには天する法定外福利厚生に大別される。法定福利厚は、従業員代表制度、労使経営協議会、目標管 弁杉の由来 ろうばう / ランファン中国、河北省中才さえをも超えて無限に高まろうとする気分」生には、厚生年金保険、労災法定補償、労働者理制度、労働者重役制度、ジュニア・ポード 廊坊 ベキンてんしん 災害補償保険、健康保険、雇用保険、および船 ( 従業員代表による準取締役会 ) などがある。 部の市。廊坊地区の公署所在地。北京、天津両である。 同時代の美学者ゾルガー Karl Wilhelm Fer- 員保険にかかわる使用者 ( 組織体 ) 側の負担分参加の意味を拡大して、従業員持株制、利潤分 特別市に接する。一九八一年、安次県の中心で dinand Solger ( 一大 0 ー天一九 ) も、イロ一一ーをがある。これらは、現在および将来の身体的健配制、経営成果分配制を含めることも少なくな あった廊坊鎮の市街地をもって設置されたが、 〈森本三男〉 八三年安次県の全域が併入された。人口五〇万その美学の中心概念としたが、しかし外見上の康を法的強制によって統一的に確保するととも に、万一それが労働災害等によって損なわれた回森五郎編『労務管理論』増訂版 ( 一九七五・有斐 九五〇〇 ( 一九会 ) 。漢代に安次県が置かれたが、類似にもかかわらず、それはかならずしもシュ 閣 ) ▽島袋嘉昌編著『労務管理』 ( 一九会・中 海河の支流永定河のつくる沖積平野にあり、土レーゲル的なイロニーと同一ではない。またへ際の補償を準備する性格をもっている。いわば 央経済社 ) ▽藻利重隆著『労務管理の経営 ーゲルは、このような浪漫的イロニーを「全面人間存在の下限を確保するための施策とみなさ 地が不安定なためしばしば県城の位置も変遷し みん 学』第二増補版 ( 一九七六・千倉書房 ) ている。元代に東安州となったが、明代に東安的否定の術」として非難している。これを受けれる。したがって、その内容に組織体間の格差 ろうどい 県となり、一九一四年安次県に戻った。小麦、てキルケゴールも、ソクラテス的な本来のイロ は存在しない。法定外福利厚生は、住宅 ( 単身牢問ろうもん牢問ともいう。江戸幕府に トウモロコシ、アズキ、綿花、果物などの農産ニーに対置して浪漫的イロニーを非難してい用、世帯用 ) 、医療保険 ( 医療施設、健康診断おける自白を強要するための拷問の名称。当 つりぜ 〈西村清和〉 など ) 、生活支援 ( 給食、購買施設、被服支給、時、「拷問」とよばれたのは釣責めだけであり、 物や、織物、茣蓙、柳細工などの工芸品を産する。↓アイロニー えび る。 この釣責めに対して、海老責め、石抱き、笞打 通勤サービス、託児・保育施設、家族援護な ろうむかんり labour management 〈秋山元秀〉労務管理 しゅぎ ろうまんしゅぎ <> ロマン主義 ( 日本 ) 組織体が、自己の保有する人的資源の効率的利ど ) 、経済的支援 ( 低利貸付金、社内預金、育ちを牢問とよんだ。拷問は容易に行われなかっ 浪漫主義 ろうまんてき die ro- 用を図るために行う一連の計画的・体系的施英制度など ) 、文化行事、体育・レクリエーシたが、牢問、ことに石抱きや笞打ちはしばしば 浪漫的イロニー 行われた。同一人に対して三十数回も行った記 mantische lronie イ イロニー ( アイロ一一策。類似する語として人事管理があるが、両者ョン ( 施設、活動費支給、企画など ) などを含 〈石井良助〉 ー ) とは、通常の用語としては、皮肉や反語をの区分および関係について、絶対的に支配力をんでいる。これらは、従業員とその家族の生活録もある。↓拷問 ろうもん 0 しかし多くの説の充実を図り、身心ともに健康的な状況の実現楼 意味し、その本質は、当の相手を称賛し肯定すもっ説があるわけではない。 ろう るとみせかけて、内心これをおとしめ否定するは、両者を包括するものを広義の労務管理とを通じて労働の効率化に寄与しようとするもの牢屋ろうや <> 牢 ろうやままさみち ( 天九五ー一突 0 ) 点にある。哲学上の用語としては、古くはソク し、人事管理を人的資源の直接利用に関する管である。その内容と水準は、組織体により相違蝋山政道 政治学者。群馬県生まれ。一九二〇年 ( 大正 し、とくに規模別格差が大である。 ラテスの対話術ないし弁証法にみられる独得の理すなわち労働力管理とするとともに、これと 第二の社会的存在としての人間に関する施策九 ) 東京帝国大学法学部卒業。一一四年『政治学 戦術的態度が「エイローネイア」とよばれた。並立する狭義の労務管理においては、文字どお りの組織資源すなわち労働力としての存在以外は、人間関係管理とよばれるものである。一九の任務と対象』を著す。二八年 ( 昭和三 ) 東大 これを一八世紀末から一九世紀初頭におこった ドイツ・ロマン派の理論的指導者フリードリ の人間の諸側面に焦点を置き、それらに関係す二〇年代後半以降の人間関係論は、組織体にお教授、政治学講座担当。三三年創設の昭和研究 このえふみまろ ヒ・シュレーゲルが、芸術家の創造的意識態度る諸条件の改善によって人事管理を背後から有ける従業員の労働効率が、物的・生物的条件会の中心メンバーであり、近衛文麿のプレーン であった。三九年「東亜協同体の理論」を発 ( 例、照明や温度のような作業条件 ) よりも、 まの中核に置いた。これがいわゆる「浪漫的イロ 効にする諸施策を問題にする。ここでは、この やニー」である。彼は、現実の経験主体としての意味の狭義の労務管理について、その内容を説彼ら自身の内的な心情的条件 ( 例、愉快・不愉表。同年河合栄治郎筆禍事件に抗議して東大辞 快のような心理的状態 ) によってより大きく左任。四一年大政翼賛会に入り、翌年衆議院議 、フ個々の「私 ( 自我 ) 」と、これら個別的・経験明する。 労働力としての存在以外の人間的諸側面と右されることを明らかにした。一九五〇年代以員。敗戦後議員を辞職。『中央公論』、政治教育 5 ろ的自我の自体的本質たる普遍的な絶対的自我と きがみ ばさっ もん むち

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りんわい こうした人「間」性の解明である、といえるで 舞われ、八〇九年 ( 大同四 ) には雅楽寮に楽師わゆるメタ倫理学の見方もある。しかし道徳現ルトルによると、人間各自の実存は本質に先だ 〈宇都宮芳明〉 つものとして自由であり、既成の価値にとらわあろう。 が置かれるなど尊重された。その後、唐楽左舞象を他の現象から区別したり、道徳一言語を他の らんじよう に編入され、今日に至る。「林邑乱声」のほ一一一一口語から区別したりするためには、それに先だれずに自由に自己を創造していく行為が道徳的回和辻哲郎著『倫理学』上下 ( 一九六五・岩波書 ぼさつばいろ ばとう 店 ) ▽岩崎武雄著『倫理学』 ( 一九七一・有斐 に善である。普遍的な道徳法の存在を否定し、 か、林邑の八楽として『菩薩』『陪臚』『抜頭』ってすでに道徳とは何かが知られていなければ そまくしゃ りんここたっ かりようびん こんじゅ 閣 ) ▽宇都宮芳明著『人間の間と倫理』 ( 一九 『迦陵頻』『胡飲酒』『蘇莫者』『輪鼓褌脱』『剣 ならない。そうした意味で、倫理学の中心課題そのつどの状況に応じた決断を重視する状況倫 おおっきじよでん 〈 0 ・以文社 ) 気褌脱』をあげるが、大槻如電らのように、後 は、依然として道徳を道徳たらしめている原理理もまた、この立場にあるといえよう。 りようおう まんじゅうらく の探究にあるといえるであろう。 の三曲のかわりに『万秋楽』『陵王』『安摩・ なお付け加えると、普遍的な道徳の存在を認林和りんわ / イムファ ( 一九只ー五三 ) 朝鯡の 二ノ舞』 ( 本来は二曲であるがつねに続けて演〔三つの見方〕ところで、道徳の原理に関してめる第一の見方はギリシア以来の伝統的な見方プロレタリア詩人、文芸理論家。本名は林仁 奏 ) を入れる説もある。 〈橋本曜子〉も、現代の倫理学の内部でいくつかの異なったであり、道徳の歴史的相対性を説く第二の見方植。ソウル生まれ。一九二九年東京に留学、帰 りんりがく ethics 世間で通用して見方がある。 は近世の産物であり、個別的な実存の倫理を重国後三一一年から朝プロレタリア芸術同盟書記 倫理学 視する第三の見方は現代に生じた見方である。長。三五年同盟が日本により強制解散させられ いる道徳をそのまま受容するのではなく、それ その一つは、道徳は人間固有の本性に根ざし しかし、現代ではこの三つの見方が、それそると文学史研究に沈潜。解放直後ソウルで朝鮮 について哲学的な反省を加え、どのような原理ており、したがっていつの時代にも変わらない ていりつ に従って生きるのが真に道徳的な生き方である普遍的な道徳が存在するとみる立場で、その代れなお有力な見方として鼎立しているのが現状文学家同盟を組織、四七年に三八度線を越えて ぼくけんえい 北朝鮮に入ったが、五三年朴憲永につながるア かを探究する学問。あるいは同じことだが、倫表としては功利主義の倫理があげられる。すなである。 わっじ 理学とは、人間はいかに生きるべきかを考え、わち功利主義によると、人間は央を求め苦を避〔人間の「間」の領域と倫理〕日本では、和辻メリカのスパイとして処刑された。中野重治の てつろう 人間らしく生きるためにはどのような生き方をけるという本性をもつ。人間がこうした本性を哲郎が、倫理学は「人の間」としての「人間」『雨の降る品川駅』への応答詩『雨傘さす横浜 ふとう 選んだらよいかを探究する学である、ともいえもつ以上、道徳的によい行為とは、できるだけの学であるとして、独自な体系を樹立した。人の埠頭』 ( 一九一一九 ) は、彼の叙情的プロレタリア げんかいなだ よう。そうした意味では、ソクラテスの場合の多くの快を人々にもたらすか、あるいは人々か 間存在の根本構造は個 ( 個人 ) と全 ( 社会 ) の詩の代表作の一つである。詩集『玄海灘』 ( 一九 三 0 、評論集『文学の論理』 ( 一九四 0 ) ほかの著書 ように、倫理学はもともと哲学と一体であるらできるだけ多くの苦を取り除く行為である。 二重構造であり、それは全の否定によって個が がある。 〈大村益夫〉 が、アリストテレスによる理論学と実践学の区 いわゆる「最大多数の最大幸福」が説かれる成立し、個の否定によって全が全に還帰すると ゆえん 別は、近世以降、哲学内部における理論哲学と所以である。これは、快を求めるという人間の いう、二重の否定連動によって顕現する。道徳回松本清張著『北の詩人』 ( 一九六四・中央公論社 ) ▽現代朝鮮研究会訳編『暴かれた陰謀』 ( 一九 実践哲学の区別として定着し、今日では倫理学自然的本性に道徳の基礎を置く点で、自然主義的善悪に関していえば、個が全を否定して全か は実践哲学として、哲学の一部門とみなされる的倫理学といってよいが、他方第二の立場とし ら背き出るのが悪であり、個が自らをふたたび 五四・駿台社 ) のが普通である。 て、人間は歴史とともに変化する存在であり、否定して全に戻るのが善である。ここには二重臨淮関りんわいかん / リンホワイコワン中国、 ー・・つし当っ あんき 〔道徳を道徳たらしめる原理〕もっともこれと したがって道徳も歴史とともに変化し、永遠不構造といっても、個に対する全の優位が示され安徽省北部、鳳陽県東部の鎮。人口三万四八〇 わいが しんば は別に、レビ・プリュールやデュルケームのよ変な道徳は存在しないとみる立場がある。これているが、しかしこうした和辻倫理学とは別〇 ( 一九会 ) 。淮河の南岸、津浦鉄道の沿線に位 しようり みん は歴史的相対主義の立場であって、実証主義の に、人間を文字どおり「人の間」にあるものと置する。漢代の鍾離県の地で、明代に臨淮県に うに、倫理学は習俗をも含めて道徳を社会的な してとらえ、そうした視点から道徳の原理を探改められ、一七五四年に鳳陽県に編入され現在 一現象としてとらえ、その機能や構造を実証的倫理学や、これまでの道徳はいずれも階級道徳 に至る。寿県に属す正陽関とともに省北部の商 方法によって考察する社会科学であるべきだとであり、階級の利益に奉仕するものだとするマることも可能であろう。道徳的善悪は、人間の こぶかくカ する見方もある。また倫理学は従来の規範倫理ルクス主義の倫理学は、この立場に属するとみ人間に対する行為、自己の他人に対する行為の業の中心地である。清代に戸部課・巡検が置 めいりよう かれて税を徴収したので、県が廃止されたあと うちにもっとも明瞭な形で現れる。とすれば、 学のように、ある種の規範を設定したり根拠づてよいであろう。 けたりするのではなく、もつばら「よい」とか そして第三に、個々の人間のあり方をあらか道徳の原理は人と人とをかけ渡す「間」の領域も旧県城を臨淮関とよんだ。津浦鉄道の開通と 「べき」といった道徳言語の意味や用法を価値 じめ規定しているような普遍的な人間本性は存にあるとみることができる。それをかりに人蚌埠市の発展により、かっての繁栄は失われた 中立的立場から分析し、それらの言語を含む文在せず、したがって普遍的な道徳もまた存在し 「間」性とよべば、道徳の原理の解明にとってが、なお穀物やタバコなど農産物の集散地とし 〈林和生〉 の論理的構造を明らかにすべきだといった、い ないとする実存主義の見方がある。たとえばサ必要なのは、人間本性の解明ではなく、むしろて重要である。 ほうふ 223

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びゅう く、かならずしも量子力学がかっての古典論の謬であるとはいえない。美醜、正不正、善悪 りようしろん quantum theory 一 量子論 の射力のるはせ明生のら作 , ほうちゃく 放酸箱た態合がはこげに に関する理性的な反省がこれに加わるとき、主 ような行き詰まりに逢着しているとはい、 ; 九〇〇年プランクが空洞内の放射のエネルギー 力の青。当状ね死数。挙瓶て 〈田中一〉観的な道徳意識としての良心は普遍的な道徳性 分布式を提唱して以後、物理量の値の不連続性たいようにも思われる。 酸らてるにの重生関うにのつ 青かいす瓶コのの動ま例リ へと形成される。 によって特徴づけられる古典論に対置した試み良心りようしん syneidésis conscien- , 質働とがネみコ波しるカ決は イギフラ 質物がぬ線き重ネのてす酸地 consclence リスンス 「 issen ハ 人間の道徳意識の事実は良心にもっとも如実 が積み重ねられ、やがて首尾一貫した理論体系 tia 物性置死射とじけコっ定青盟余 に表出されている。良心のもっ根源性、個人 道徳哲学の用語。自己の存在および行為につい 性射装が放の同開ネな決が状るすなわち量子力学として完成し今日に至 0 た。 . 射放 , コに このを , にを線窈す古典論に対置したこれらの試みと理論体系全体て、その善悪を感知し裁定する直覚的な働きを性、社会性という面のどれを強調するかによっ 放。はネ間。 数蓋きか観射コ入 て道徳哲学の原理的な構成は微妙にすれてく , るれてるる関のとれ客放ネ介を量子論という。このうち量子力学以前の試み コいた出いす態箱たすがは 〈加藤信朗〉 人間はその認識と行動によって世界のうちのる。↓理性 ネて当がてと状 , つい観際観全体をとくに前期量子論という。現在では量子 りよ , っしんてきへいえききょ につに気じのがなの主実と客論は素粒子、原子核、天体、原子・分子過程、多くのものとのかかわりのうちに置かれてい良心的兵役拒否 へい、え一きょひ 中入瓶蒸閉は死るにか る。このかかわりが自己のものとして認知されひ 0 兵役拒否 のががのを率とあか死なし観量子流体、固体、磁性などの研究、量子光学、 箱瓶線リ蓋確生でらか経れ用主 量子電磁気学、量子力学の基礎論の展開など、 るところに人間の自己がある。この自己認知の猟人日記りようじんに 0 き 3ar1HCKH OXOT ・ 量子現象 ( 量子論の対象とする現象 ) に関する働きが自己に顕在化しているものが自己意識で HHKaZZapiski ohotnika ロシアの作家ツル 広範な分野として発展している。これらの分野ある。自己意識において意識されるのは、ただゲーネフの、二五の独立した短編からなる小説 自己が自己であるという空虚な自己の形式では集。一三編は一八四七 ~ 五二年に発表され、 を総称して量子物理学とよぶことがある。 プランクの分布式以後、アインシュタインなく、自己のかかわる他のさまざまなものの意〇年新たに三編を追加、現行のものとなる。作 は、振動数レの光のエネルギーがエネルギー量識であり、この他のさまざまなものへとかかわ者はこの作品によって散文作家としての地位を 子ぎ ( んはプランク定数 ) の値をとると仮定っているものとしての自己の意識である。しか確立した。中部ロシアのオリヨール地方を舞台 ハンターが道中で見聞したことをスケッチ して光電効果を理解することができることを示し、これが自己の存在であり、自己の行為であ カ 酸し、ポーアは、水素原子内電子の軌道として古るということが顕在的に意識されるときに、自するという形式をとる。農奴体制下のロシア農 青 典論が与える連続無限個のうち、軌道の作用己のうちにはこれを自己自身のものとして認め民の生態がきわめて写実的に描かれ、背景をな 質 ( 連動量を運動の一周期にわたって座標で積分ることを是認したり、拒否したりしようとするす美しい自然と相まって、全編に詩情が漂って 物 いる。この書を読んでアレクサンドル二世は、 性したもの ) がプランク定数の整数倍になるもの第二の自己の声がおこってくる。これが良心の 農奴制廃止を決意したといわれる。農村小説の 放のみが電子の定常状態として現実に存在すると声である。 それは①顕在的な自己意識を前提にしたうえ先例としてはグリゴロービチの作品があるが、 考え、水素原子の安定性と放射吸収される光の スペクトルを導いた。ハイゼンベルクはこのボで、平常は意識されない自己の深層からおこるそれは過酷な農村の現実描写に優れるものの、 ーアの原子模型から出発して一九二五年量子力声であり、②自己自身の善悪にかかわり、これ暗すぎて救いがない。同じ田園小説にしても、 量子的状態では状態関数の重ね合わせが可能 を裁定する声であるという特徴をもつ。自らなフランスのジョルジュ・サンドの小説は、農村 であり、古典的状態は正準共役の物理量の値の学の行列表示すなわち行列力学に到達したが、 が美化され、理想化されすぎて、現実を離れた 組で表現しうるものである。したがって、測定この理論では物理量が直接ある基礎的な素量すした行為が自己自身のものであることを拒みが たいということ、また、その自己のなした行為牧歌的なものとなっている。『猟人日記』の特 なわち量子の整数倍として与えられるのではな 観測過程のどの段階でどのような条件のもとに 、座標と運動量の間に与えられた新しい関が悪いものであるとき、これを自己のものとし色は、現実をまともに見つめながら、しかもな この移行が行われたかを量子力学的過程の結果 係、つまり交換関係という量子条件に基づいてて認めることを是認しがたいという二つのことお叙情性を失わないところにある。農民のうち として示すことが観測の理論の内容であるが、 にある高貴な品性や、優れた才能や、民間伝承 によって、自己のなした悪なる行為において良 現在まだ十分な解決をみていない。一九八〇年導き出されている。一方ド・プローイは一九二 心の声はもっとも先鋭に意識される ( 良心の呵の詩的世界について語ることにより、かえって 三年電子にも波動性のあることを予測したが、 に一つの例について町田茂と並木美喜雄がこの しやく ことを示した。先ほどのネコの例でいえば、放シュレーディンガーは二六年この電子の波動性責 ) 。それゆえ、良心とは表層的な自己にはか農奴制がどんなに人間を疎外する非人道的なも ならずしも意識されていない深層における自己のであるかを、強く印象づけたのである。この 射線を受けて毒瓶が壊れるという客観的過程にを電子がポテンシャルの作用を受けている場合 に拡張して波動力学に到達した。ここでは物理の、善への本性的なかかわりの意識であり、直なかの一編『あひゞき』は二葉亭四迷の名訳で よってネコの状態は生と死の状態関数の重ね合 〈佐々木彰〉 わせから、いずれか一方に量子力学的に変化し量がプランク定数を含んだ演算子になってお覚である。それは深層において自己を形成する知られる。 たのであって、この変化は主観に基づくものでり、エネルギーや作用の非連続性は結果として自己の核であり、自己を人格として形成する。回『猟人日記』 ( 工藤精一郎訳・新潮文庫 / 佐々 木彰訳・岩波文庫 ) ▽『あひゞき』 (r 二葉亭 。↓オブザーバブル↓行列力学↓量子導き出されている。その後、行列力学は波動力人間が本性上、善にかかわるものであり、道徳 四迷全集 1 』所収・一九六四・岩波書店 ) 論 〈田中一〉学と同一内容を有することが示された。量子物意識をもっていることの事実は良心において与 りようしんのじゅう liberté de 回朝永振一郎著『量子力学的世界像』 (r 朝永振理学と総称されている多方面の発展については えられている。良心を失うとき、人間は自己の良心の自由 consclence Gewissens freiheit イ 一郎著作集 8 』一九全・みすず書房 ) ▽中嶋冒頭で述べたとおりである。しかしながら量子内面を失い、表層だけの抜け殻となる。 とは西欧一六世紀末、カトリックとプロテスタ しかし、良心は社会的に形成されるものでも し貞雄著「量子の世界』新版 ( 一〈・東京大学電磁力学のように場の量子論には理論そのもの ントの宗教戦争の時代に、被支配者側に信仰の に固有な難点を蔵しており、量子論の次の理論あり、社会的な道徳意識としての事実性をもっ 出版会 ) ▽田中一著『量子の素顔』 ( 一九七六・ よ大月書店・国民文庫 ) ▽天野清著『量子力への模索がたびたび行われたが、量子力学を超 ( 社会は国、集団、家などさまざまでありう自由を容認する寛容の条令のなかで用いられた ふか える理論はまだみいだされていないだけでなる ) 。それゆえ、良心による善悪の裁定が不可用語。各自が宗教の事柄に関して、自己の良心 り・学史』 ( 一九七三・中央公論社 ) 〔図 E 〕シュレーティンガーのネコ 0 0 157

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ビットリオ・エマヌエレ二世記念堂がある。無 かんそくもともと無人釈書『アリストテレス詩学註解の書』 ln ま , 要地に通じる道路としては、イタリアを南北に ロポット観測 地点での観測を意味する。テレメーター観測の ミミ、。ミ。ミをミぎ e 、をミミ s 縦断する高速道路「太陽自動車道路」 ( アウト名戦士の墓もある白大理石でつくられたその巨 一つとみることもできよう。たとえば無線ロポ ( 一五四 0 を出版した。スカリジェルのように詩ストラーダ・デル・ソーレ ) があり、ローマー 大な建物は、ローマ市民から「世界最大のタイ ット雨量計は、電話線が利用できない山地など における有用性を重んずる立場とは逆に、現実ナポリ、ローマーフィレンツェを結んでいる。プライター」あるいは「クリスマスケーキ」と に設置し、電波によって基地観測所や中模倣による快のみならず修辞や文体などの技法鉄道網は、第二次世界大戦直後に完成したテル よばれている。その建物の背後に、ローマ発祥 継所に雨量のデータを送信する。有線ロポット による央を重視した。 〈浜下昌宏〉 ミニ駅を起点に、幹線がイタリア各地に、またの地として有名な七つの丘の一つカンピドリオ 気象計とよばれる測器は、雨量のほか風向風速ローマ ( 市 ) Roma イタリア共和国の首国際列車がヨーロッパ各地に発しており、近隣の止がある。・ヘネチア広場の西側に、かってム ッソリーニが官邸とし、そのバルコニーから民 や気温、日照時間のデータを電話線で観測セン都。イタリア中部、ラツイオ州の州都で、ロー 都市との連絡線も付設されている。空港は、南 ターに伝送する器械で、センサーや変換器それマ県の県都でもある。英語名 Rome0 市域 ( コ西約三六キ。のフイウミチーノにレオナルド・ 衆の歓呼にこたえたベネチア宮殿があり、現在 に送信機で構成される。地域気象観測での主要ムーネ ) の面積は一五〇七・六平方キロで、イタダ・ビンチ国際空港があり、国内線および国際は美術館として利用されている。広場から北に 測器である。海洋気象プイロポットは、海底の リアの都市のうちでもっとも広い。人口二八一一線が発着する。また、南東約一五キロにチアンピ向かって長さ一五〇〇のコルソ通りが延び、 だえん アンカーに連結したプイに取り付けた観測装置万六四八八 ( 一九会 ) 。人口密度一平方キ。当り一 ーノ空港があり、主として国内線に使用され楕円形のポポロ広場に至る。この広場にはアウ グストウス帝がヘリオポリスから持ち帰ったオ からの情報を得るためのもので、遠距離になる 八七五人はイタリアでもっとも高い。市内に面る。 ため短波が使用される。↓気象観測 ^ 篠原武次〉積〇・四四平方キ。のバチカン市国があり、カト 〔産業〕ローマは消費的都市の性格が強く、産・ヘリスクが立ち、ローマの北の門とされるポポ せいしんげか ロ門がある。コルソ通りには、ローマでもっと 0 精神外科 リック世界の宗教中心地ともなっている。ま業は郊外に存在する中小規模の機械、自動車の ロホト = 、ー ー五一 ) た、古代のローマ時代から続く古い歴史を反映車体、鉄道車両、自転車、オートバイ、繊維、も交通量の多いコロンナ広場があり、そこには ロホナー stefan Lochner ( 一四 00 ころ ドイツの画家。ポーデン湖畔メーアスプルクに 食品加工などの工場がみられるにすぎない。市マルクス・アウレリウス帝によるゲルマン遠征 して「永遠の都」と称される。↓バチカン市国 ぞうがん 〔自然・気候〕地中海の一部をなすティレニア内には皮革製品、銀細工、宝石、象眼、モザイのオペリスク ( 高さ三〇 ) が立っている。そ 生まれたと推定される。一四三〇年以来ケルン に住み、ここで市参事会員として生涯を終え海に注ぐテべレ川が市内を貫流し、市域は河口 ク細工、彫刻、鋳金、製本、ファッション関係の広場に面して、総理府となっているキジ宮殿 がある。 た。彼は繊細優美なケルン画派を代表する画家から約一一五キロ上流の平野と止陵地帯に広がってなどの小規模な伝統的手工業が存在する。農地 コロンナ広場から東にトリトーネ通りを抜け で、この画派で名前の伝わっている唯一の存在 いる。ローマ発祥の地であるテべレ川左岸はローマ市域にかなり広く存在するが、疎放な トリトンの泉」のある・ハルペリーニ 放牧地が多い。農産物の大部分は、ラティーナると「海王 でもある。彼の表現分野は広く、細密画『ダル ( 東 ) の旧市街は、カンピドリオ、パラティー きとうしょ ムシュタットの祈疇書』からケルンのドームをノ、アベンティーノ、エスクイリーノ、クイリ の農業集散地やフイウミチーノの干拓地で行わ広場に至る。この広場の近くに、国立絵画館と れる集約的農園のほかに、イタリアの各地から なっているバルペリーニ宮殿がある。その付近 飾る大祭壇画に及んでいる。もともとケルン画ナーレ、チェリオ、ビミナーレの、標高五〇 のバル・ヘリーニ広場からポルゲーゼ公園に抜け 派の技法はフランドル絵画に影響されてモダン内外の七つの丘に囲まれた洪積台地からなる丘供給されている。 ローマの労働人口のほとんどが官公庁関係、 るピンチャーナ門までをベネト通りとよぶ。こ であるが、同時に「つばみのように初々し い」陵地帯に位置している。最高点はモンテ・マリ と形容される聖母の顔に象徴されるように、オの一三九。東にアベニン山脈、北東にサビ建設業、手工業、商業、サービス業などに従事の通りはローマ第一級の繁華街として知られ、 している。とくにローマのもっとも重要な産業ホテル、航空会社、カフェーが並んでいる。ポ 虔な宗教感情の表出に特色がある。彼の場合も ーネ丘陵、東部にアルバーノ丘陵が控えてい る。 ルゲーゼ公園は一七世紀につくられ、ポルゲー フランドルの影響による生彩ある表情や精密な である観光サービス業は、「永遠の都」ローマ すうききよう 気候は地中海性のため温暖であり、夏は気温の歴史的遺産とバチカン市国の存在によるとこゼ家出身の枢機卿コレクションを中心にしたポ ディテール描写もさることながら、名作『バラの ルゲーゼ美術館や馬場などがある。この公園 籬のマドンナ』 ( ケルン、ワルラフーリヒャルツ が高いが湿度は少なく、冬は零下四度 0 以下にろが大きく、国の内外からの観光客・巡礼者が は、ローマの中心に位置し、広大な敷地で緑も 美術館、図膨バラ ) にみるように、魂の深い安ら下がることは少ないが、トランスモンターナと年間一〇〇〇万人以上も訪れ、ホテルや商店な ぎをたたえた聖母や天使像に神秘主義的ともい よばれる北風のために天候が荒れることもあどの観光関連産業を潤し、ローマの経済を支え多く、市民の散策、憩いの場となっている。 える宗教感情が表現されている。〈野村太郎〉る。降水量は九 ~ 一二月にもっとも多く、年降ている。 ル・ヘリーニ広場からシスティナ通りがあり、こ の通りの行き着くところにトリニタ・ディ・モ 〔市街〕ローマは、その発祥の地であるテ・ヘレ ロポリス一 0 をミ h 周辺の地層とは調和的水量は六五三ミリである。月平均気温は一月が で、中央部がくばみ盆状に湾曲した貫入岩体。 一度 0 でもっとも低く、七 ~ 八月は二四・ 川左岸にある七つの丘を中心につくられた旧市ンティ教会がある。その前のスペイン階段を下 かんらん 盆状岩体ともいう。岩石は橄欖岩、微量の酸性五度 0 でもっとも高い。年平均気温は一六 ・一街と、皇帝アウレリアヌス ( 在位一一七 0 ~ 一一七五 ) のりると「小舟の噴水」のあるスペイン広場に出 時代につくられた市壁の外側に広がる新市街かる。この広場からコルソ通りに至るのがコンド 岩を伴う斑糲岩質のもので、結晶分化岩体であ度 0 である。 ることが多い。ニッケル、クロムなどの金属鉱〔交通機関〕市内あるいは近郊を結ぶ主要な交らなる。テべレ川の右岸にカトリックの総本山ッティ通りで、衣類や装飾具を売る高級品店が 床を伴うことがある。カナダのサドベリー岩体通機関は、市電・市バス公社 (<+<0) とロで教皇庁の所在地であるバチカン市国、二世紀並んでいる。 ・ヘネチア広場から南東にフォリ・インペリア は著名である。南アフリカ共和国にも多数のロ ーマ電鉄会社 (< 0 0 < »-a ) の経にハドリアヌス帝が墓としてつくり、その後教 ろう 1 一く ーリ通りが延びており、その右側に古代ローマ 皇の住居、牢獄と変遷を重ねて現在は武器博物 ポリスの存在が知られている。下部の地層のた営するバスと市電である。地下鉄は、テルミ一一 とうきよく わみ、基盤の運動による地層の撓曲が主要な ( 終着 ) 駅経由で郊外のチネチッタとバチカン館として利用されているサンタンジェロ ( 聖天の政治・経済の中心地で公会場であったフォ 成因と考えられる。↓火成岩 〈矢島敏彦〉市国に近いオッタビアーノとの間、およびテル 使 ) 城、最高裁判所などがある。旧市街は、市ロ・ロマーノの遺跡がある。その通りの到達点 ミニと副都心エウルのラウレンティーナとの間 に巨大な円形劇場コロセウム ( コロッセオ ) が 内の交通の結節点であるベネチア広場を中心に ロホル一アロ Francesco Robortello ( 一五 がいせんもん リの凱旋門など多くの 一六ー六七 ) イタリアの人文主義者。アリストテ の二路線がある。市街地と周辺近郊を結ぶ道路多くの道路が放射状に広がっている。ます、・ヘある。それと並んで、 ちゅう ろレス『詩学』の校訂および最初の本格的な註に「オリンピック環状道路」があり、国内の主ネチア広場の南側に、イタリア王国の初代国王他の凱旋門の原型となったコンスタンテイヌス 6 はんれい しやく

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りんうん リン ( 黄リン ) 元素記号 P 原子番号 15 原子量 30.97376 融点 44 . 1 ℃ 沸点 280.5 ℃ 比重 1 . 82 結晶系立方 元素存在度宇宙 ()i 106 個当りの原子数 ) 1 .27X104 ( 第 16 位 ) 地殻 1050PPm ( 第 10 位 ) 海水 60 gg/dm3 ぎんさ 〔人体とリン〕リンは人体に約一 % 含まれ、無 師・プラントによって尿を蒸発した残渣から度 O 以下の蒸気は分子からなり、これを超え 単体が遊離された。暗所でリン光を発し、空気るとへの解離がおこる。赤リンは空気を絶っ機質のなかでカルシウムの約二 % に次いで多 とくに骨に多く、体内のリンの八〇 % 近く に触れるとひとりでに燃え出すという珍しい性て黄リンを四〇〇度 0 に数時間加熱してつく 質が注目された。語源は、・ キリシア語の phos る。赤リンには六種類の変態が知られる。市販が骨の形成成分として存在する。残りのリンは 品は無定形であるが、結晶性のものに紫リンが体全体に分布し、重要な生理作用をもってい ( 光 ) + phorus ( 運ぶもの ) によっている。骨 を原料としてリンを得る方法が発表されたのはある。黒リンは黄リンを非常に高い圧力下に熱る。体液中のリンはリン酸塩として存在し、体 およそ一〇〇年後であった・・シェー するか、水銀を触媒に黒リンの小結品を加えて液の調節に重要である。さらに細胞内では核 一三〇 ~ 三七〇度 0 に八日間黄リンの蒸気を熱タンパク質やリン脂質の構成成分であり、エネ してつくられる。黒リンは層状構造で、熱・電ルギー代謝においては ( アデノシン三リ 〔存在〕天然には単体として存在せず、酸素と ン酸 ) としてエネルギーの産生に直接関係して 化合したリン酸の誘導体としてみいだされる。気を導く性質がある。 りん いる。糖質、脂質の分解にはリン酸塩が必要で おもな鉱物は燐灰石 Ca5 〔 FI()O 、 )3j であ〔性質と用途〕赤リンと黒リンは空気中で安定 る。また、動物の骨や歯はおもにリン酸カルシであるが、黄リンは空気中でリン光を発して酸あり、各種の補酵素の構成成分でもある。ほと る 化されるので水中に蓄える。発火点は、黄リンんどすべての食品に分布するが、とくに穀類、 ウムであり、生物体には複雑な有機リン化合物 橋すンン る督一い が約六〇度 0 、赤リンが二三〇度 0 である。黄豆類に多い。食品からの摂取が容易なので欠乏 ( 核酸など ) として含まれ、生命に重要な役割 け監 をもっている。 リンは二硫化炭素、べンゼン、エーテルなどにや不足はみられない。摂取にあたってはカルシ を・の カ 、 ) ・ド寅 ウムとのバランスがとれているほうが望まし 〔製法〕昔は骨灰を硫酸で処理してリン酸をつ溶けるが、赤リンと黒リンは水、二硫化炭素に ン ビはネ 一般にカルシウム対リンの比率は一対二、 くり、木炭などと乾留してつくった。現在、エ溶けない。化学的反応性は黄リンがもっとも大 デ左ギ ないし一対〇・五がよい。日本人の食生活では 業的には燐鉱石に珪石とコークスを加え、電気きく、黒リンがもっとも小さい。黄リンはハロ 歳で映画界入りし、フィルム編集の仕事を経て 炉中で一四〇〇 ~ 一五〇〇度 0 に強熱し、発生ゲンと激しく反応するが、赤リンは熱しなけれ穀物の摂取が多いのでリンが多くとられてい するリン蒸気を水中に導いて凝縮させると、 ば反応しない。また、水酸化アルカリの濃溶液る。しかし、穀物中のリンはフィチンという形一九四二年監督となる。ノエル・カワードの戯 と熱するとき、黄リンはホスフィン PH3 と次で存在し、消化吸収が悪く、過剰摂取の問題は曲による『幸福なる種族』 ( 一九四三 ) と『陽気な 2Ca3(P04)2 十 6S6 ~ + 10C ーーー 6CaSi03 十 IOCO + P4 亜リン酸塩を生じて反応するが、赤リンは反応ない。しかし、加工食品においては、調整用幽霊』 ( 一〈噐 ) 、そして妻子ある医師と人妻の短 おう い恋を描く『逢びき』 ( 一九四五 ) で名声を博し、 としてリン酸塩類の使用されることも多く、ま のようにして黄リンが得られる。 しない。赤リンも硫黄と熱すれば硫化物をつく た、非吸収性ではあるが、キレート化合物の性その後もデイケンズの映画化『大いなる遺産』 〔リンの同素体〕おもな同素体として黄 ( 白 ) り、多くの金属と直接反応してリン化物をつく ( 一九四六 ) や『オリヴァ・ツイスト』 ( 一九四七 ) な 質をもっポリリン酸塩なども使用されている。 リン、赤リンおよび黒リンがある。それそれ多る。また、黄リンと赤リンは濃硝酸によってリ ど、イギリス映画らしいじみな秀作を数々発 形で、無定形のものなど一一種類もの変態が知ン酸を生じる。黄リンは猛毒である ( 経ロ致死したがって、加工食品を偏って食したときに グラ 0 は、リンの摂取が多くなることもありうるが、表。『旅情』 ( 一九五五 ) で・ヘネチアを舞台にアメリ られている。同素体のおもな性質を表に示す。量〇・一ム 黄 ( 白 ) リンは無色 ~ 黄色のろう状固体。純粋 黄リンはリン酸およびリン酸塩、赤リンなど通常の食べ方では大きな問題となるほどのことカのオールドミスの恋をロマンチックに描いた さっそ 〈河野友美〉あと、『戦場にかける橋』 ( 一九五七 ) 、『アラビアの なものは無色で、市販品 ( 九九・九 % 純度 ) がの製造原料や殺鼠剤として、赤リンはマッチのはない リーン Sir David Lean ( 一九只ー ) 第ロレンス』 ( 一九六一 D 、『ドクトル・ジパゴ』 ( 一九 わずかに黄色なのは、表面に赤リンの膜を生じ製造、リン青銅などの製造、リンを含む医薬・ たからであるといわれるが確かではない。黄リ 農薬の合成などに用いられる。リン酸塩は合成二次世界大戦後のイギリスを代表する映画監六五 ) と国際的な大作に転じ、スペクタクルを絡 〈守永健一〉督。ロンドン南郊クロイドンに生まれる。二〇めたスケールの大きな人間ドラマを展開して、 ンは液体でも固体でも分子からなる。八〇〇洗剤、肥料としての用途が広い。 世界的巨匠の地位についた。一九五七年度、六 し 金る 二年度のアカデミー賞の作品賞と監督賞を受 , あ子 で発 ン色沢格 中を 体の溶 賞。その後の作品に『ライアンの娘』 ( 一九七 0 ) 、 灰光墨状 導常不 気光い 『インドへの道』 ( 一九会 ) がある。 ^ 宮本高晴〉 黒鉄属石層 良通に 空ンな りんうんも紅雲母あるいはリチア雲 ン 鱗雲母 し 媒 圧華 母ともいし 、リチウムを主成分とする雲母の一 菱 で発 気昇体溶 ン 中を 導の溶 種。六角板状の結晶をすることもあるが、普 色結 良常不 気光い -8 -4 11 赤紫体 不通に 空ンな 0 2 0 . 赤 方 っ 0 , 素水気光化 0 向 立日 ン炭 空ン酸 紫珠方 」へ示 5 8 ン ゼ化溶溶たリしる ・炎真白一 Z 単幻 2 、、ー 色系 0 8 しン硫易難つで発れ毒 体 日 --; なべ二 にに晶中をさ猛 名式 一口 英成 性度 性 母 . 組 の ? 7 チ 観 点重電解 定 性 雲名学 ン 外 沸比導溶 安 毒 一フ - 0 ア区 鱗学化 けいせき 日 融点 44 . 1 。 587.5 。 2 . 69 毒 無 毒 無 4 副成分 結晶系 硬度 比重 色 光沢 条痕 劈開 187

8. 日本大百科全書 24

れいすい とうしょ の る。鉄道全羅線の終点であり、沿岸島嶼を連絡 成 する海上交通の中心地でもある。〈張保雄〉 生 せつこう / リーショイ中国、浙江省南 例 一麗水れいすい 咼 4 わ、つ、」、つ の 部、甌江の中流域に位置する市。竜泉渓と好渓 ム との合流点にある。人口一七万一九二三 ( 一九 かっそう ずい れキ 会 ) 。隋代に括蒼県が置かれ、唐代に麗水県に せんかれい ン 改め、一九八六年市となった。県の北部を仙霞嶺 離 ス 2 から会稽山に至る山地が、南部を洞官山から括 レ - 蒼山に至る山地がほば北東から南西方向に走 ガ 日 オ る。米、茶、柑橘類、タバコなどの農産物のほ塊 月 -. 0 / は木ロ か、甌江の上流域で産する木材、アプラギリ、 令図調 油茶、竹などの林産物の集散地。〈林和生〉 ぐ ) △印水塊れいすいかい cold water ・ mass 海 だえん いて自己蒸発以外の方法は適用できす、このよ 洋中の一様な水塊の中に孤立して存在する周囲し、円形または楕円形をしている場合が多く、 ろ、旧日本海車の大演習の際に発見され、宇田 みちたか より温度の低い水塊をいう。水平・鉛直両方向半径は約一八〇キ。メートルになることもある。 道隆らにより調査研究が行われた。↓黒潮 うな冷却装置を広く冷水塔とよんでいる。 黒潮続流域、暖流域、大西洋のガルフス 〔原理〕温度の高い水を温度・湿度の低い大気 に相当の大きさを有し、ひとたび出現するとそ陸岸と黒潮との間に形成されるが、冷水塊が出 に接触させると水の一部が蒸発する。その際、 の存続期間も長い。代表的なものとして紀州沖現すると黒潮の本流は冷水塊の外 ( 南 ) 側を、 トリーム ( 湾流 ) 域 ( とくに湾流がハッテラス くまのなだ の熊野灘や遠州灘にできる紀州沖冷水塊があこれに沿って大きく迂回・蛇行して流れるよう 岬沖を離れてからの東方域 ) で、比較的大きな蒸発に必要な潜熱を水自身より奪うこととなる る。 になる。冷水塊域の水温は海面で周囲より約五冷水塊が形成されることがある。これら冷水塊ため、残った水の温度は低下する。このこと しおのみさき 紀州沖冷水塊は潮岬の南ー南東、一〇〇 ~ 度 0 、四〇〇層で約一〇度 0 低い。溶存酸素は紀州沖冷水塊に比べると規模が小さく、存続は、液体の自己蒸発に共通な原理であるが、水 このような冷水の蒸発潜熱は他の一般の液体に比して大きいた 二〇〇キ。メートル沖の岸と黒潮との間に出現量は表層以外では少なく、透明度も低くて二〇期間も数週間 ~ 数か月と短い。 以下である。冷水塊は全体と塊 ( 暖水塊も同様 ) の生成は、黒潮や湾流の蛇め、比較的少量の水の蒸発によって大量の水の して大きな渦状をしていて運動行により北側の冷水 ( 暖水塊の場合は南側の暖冷却が可能である。また、水の蒸発操作である せつり 方向は反時計回りである。この水 ) が切離されることによる。これら孤立冷ため環境汚染などのおそれはなく、開放的な条 ゅうしよう うず 号 レ 冷水塊は冷たい中層水の湧昇 ( 暖 ) 水塊は渦 eddy, vortex とよばれるが、 件下で工業的に実施できる利点がある。 ゼ 〔装置〕大気と水との接触を効果よく行わせる により形成されたものである。近年では環 ring という学者もいる。 ン じゅうてん 工 これは ( 温度ー塩分 ) ダ 紀州沖冷水塊がなぜ形成されるのか、また形ため、中空あるいは格子その他の充填物を詰 翼るイヤグラムを黒潮域と冷水塊域成されないのかは定説がないが、本州南沖の海めた装置内で水を噴霧・落下あるいは流下さ 水てとでつくってみると同じ温度、底地形が黒潮の流れ方に与える地形効果が大きせ、ここに大気を送風・接触させて自己蒸発を 塩分を示すところが、冷水塊域 いと考えられている。冷水塊については今後、促す。気流を水流に対向して下方から送ること が多く、装置形状が塔型となることが多いの ではかなり浅くなっていること人工衛星やプイを使った観測面と、シミュレー かと ほ地からもわかる。 で、一般に冷水塔とよばれているが、気流を水 ション技法を駆使した理論面から、その生成・ 港の 紀州沖冷水塊はひとたび形成消滅の原因探究が期待されている。〈半澤正男〉平方向に送る方形のものも少なくない 入光 もっとも簡素な形式のものは、温水を噴水ノ △印水工れいすいこう / ロンショイチャン中国、 出観されると数年から一〇年近くに わたり存続し、また出現の周期湖南省中部の市。資水の中流域に位置し、湘ズルによって大気中に噴霧させ、自己蒸発しな , 公 がら落下する水滴を開放貯水地に貯えて再利用 漁国 港立は約一五年ともいわれる。この黔鉄道が通じる。人口 = 六万五一〇〇 ( 一〈 ) 。 は上ため紀州沖の黒潮の流路は冷水一九六一年、新化県の一部に市制が敷かれ一するもので、冷水池とよばれている。 ^ 河村祐治〉 港海 れいすいまさっ民間に古くから伝 麗塊があるときは南に大きく迂回時廃止されたが、六九年に市制を復活した。ア冷水摩擦 しやくこうざん 地閑 ンチモン鉱山として有名な錫鉱山があり、石わる健康法の一つで、冷たい水につけたタオル して東進し、存在しないときは 街 やきん てめぐい 市じ まっすぐに東進するという二つ炭も理蔵する。また、冶金、化学などを中心とや手拭を絞って、体をよくマッサージ ( 冷水マ と通 〈河野通博〉 ソサージ ) することをいう。マッサージは、手 港でのモードがある。以前は前者のする工業も発達している。 る余 まっしよう 場合、「黒潮異変」などとよば令水塔れいすいとう cooling tower 発電や足の末梢から中枢方向へ皮膚表面をこする 訓 3 れたが現在では、両者とも本州 所や化学工場では、大量の冷却水が使用されてようにし、摩擦熱で皮膚が赤みを帯びるように なるまで続ける。これによって、生体は皮膚か 南方海上における黒潮の安定し いる。常温より五 ~ 一〇度 0 温度が上昇しただ の らの刺激を受けることとなる。また、手が力強 た二つの異なった流れ方という けの工業用水をそのまま排出してしまうことは と 韓ん ( 山見方が定着している。紀州沖冷不経済であり、省物資の立場からも循環再使用く動くことによって、筋における熱産生量が増 9 、水釜 麗が水塊は一九三三年 ( 昭和八 ) ご される。この排水の冷却には、特別の場合を除加し、体温も高まってくる。冷水摩擦は、乾布 3 1 4 58 。 W 00 冷水域 暖水域 1 9 0 年 6 月第 6 日 湾流 ( 暖流 ) の大きな蛇行によって , 北方の冷たい水が大きく南下 6 月 1 7 日 南下した冷水が切離 6 月 1 8 日 切離された冷水が 冷水域と結合 , ふたたびもとの 冷水渦 たくわ

9. 日本大百科全書 24

りんばせ リンパ節 リンパ節と血管の関係 ハ節のリンパ組織内を流れていく間に機械的に ざまである。リンパ節へはその表面から数本の 血液一立方 ' 、リ中に一五〇〇 ~ 二五〇〇個あ林伯渠りんはくきょ / リンポーチュイ ( 天 る。 リンバ管 ( 輸入リンパ管 ) が進入し、その進入濾過されるとともに、リンパ内に含まれている 一九六 0 ) 中国の政治家。湖南省生まれ。日本の リンパ球は骨髄内で造血幹細胞からっくられ東京高等師範学校に留学中、中国同盟会に加部とは反対側の表面からは一 ~ 二本のリン。ハ管異物や有害な細菌などは大食細胞によって取り きようせん しんがい てリンパ芽球となり、成熟して一部は胸腺を入。帰国後、辛亥革命に参加。一九二一年の中 ( 輸出リンバ管 ) が出ていく。リンパ節の構造込まれ、リンパの浄化が行われる。 えき 通ってリンパ球となり、胸腺とリンバ節の傍国共産党創立に参加。二五年広東政府農民部は細網組織 ( 細網細胞と細網線維 ) からなり、 人体の代表的なリンバ節は頸部リン。ハ節、腋 一南網の目の中にはリンパ球が充満している。リン窩リンパ節、鼠径リンパ節などで、これらのリ 皮質領域に分布する。また一部はプルザ相当器長。二六年北伐に加わり、二七年の八 しゅちょう しようほうき 官 ( おそらく腸管リン。ハ節 ) を通ってリンパ 昌蜂起にも参加。二八年ソ連に赴き中山大学 ハ節の実質の表層部は皮質とよび、中心部を髄ンパ節は細菌感染時に腫脹肥大して、圧痛と ろほう 球となり、リンパ節では濾胞、髄質に分布すに学ぶ。三一年帰国。一一一口語のラテン化運動に従質とよぶ。皮質にはリンパ球が密在するが、と ともに皮下に触れることができる。なお、リン はちゅう る。血液中ではリンパ球が七五 % で、ヒッジ事。長征に加わり、日中戦争中は陜甘寧辺区政 くにリンバ球が密集してところどころに球状の パ節は魚類、両生類、爬虫類には存在しない。 鳥類はリンパ節をつくらないがリンバ組織をも の赤血球とロゼットを形成するところから判別府首席を務めた。人民共和国成立後、共産党政集団を形成している部位をリンバ小節という。 ↓リンパ↓リンパ球〈嶋井和世〉 される。残りの一一五 % はリンパ球で、抗原レ治局員、人民代表大会常務委員会副委員長など リンパ節の髄質は、皮質から連続するリンパ組っている。 セプターの存在から判別される。また、、、 ' とちらを歴任した。 〈加藤祐三〉織であるが、索状の粗い網目構造となってい ーーせつえん生体の防衛機構 リンバ節炎 の性格ももたないものはナル Null 細胞とい しゅリンバ細胞腫ともいし る。これらの皮質と髄質のリンパ組織の周囲に の一つであるリンパ節に細菌や毒素が取り込ま リンバ腫 かんげき 免疫学的に機能のない幼若リン。ハ球であ狭義にはリンパ球あるいはリンバ芽球からなる は多数の間隙が存在し、これをリンパ洞とい れると防衛反応がおこるが、その反応の程度が しゅよう しゅちょうとうつう る。リンバ球は必要に応じて形質細胞などの限局性の腫瘍であるが、広義には、リンパ節が う。輸入リンパ管はこのリンバ洞に開いてい 強くて局所的な腫脹や疼痛などを伴った場合 分泌細胞に変化して免疫グロプリン ( 抗体グロ はれたまま慢性に経過し、しかも組織診断が判る。つまり、輸入リンパ管のリンパ液はリンパ をリンパ節炎という。急性炎症と慢性炎症に分 プリン ) を分泌して侵入する抗原に立ち向かう けられる。 明するまで、総称して用いられてきた。リンパ 洞に流れ込み、この中を流れて輸出リンパ管に かのう ( 体液性免疫 ) 。リンバ球は、ツベルクリン反腫という限り、それは炎症性のものではなく、 集められる。リンパ節のリンパ組織とリン。ハ洞 急性炎症には非化膿性炎症、化膿性炎症、化 しゆりゅう 1 うそうしき 応のような遅延型アレルギー反応、移植免疫、自律増殖性をもったリンバ球の腫瘤形成性変とは互いに交通している。 膿性巣織炎症などがある。原因は通常、ブド 目標となる細胞を攻撃する作用などをもち、か 化を意味するもので、悪性リンパ腫に大半のも リンパ節内で、その表層 ( 皮質 ) にあるリンウ球菌や連鎖球菌などの細菌であるが、ウイル っリンパ球の機能を調節する働きももっ ( 細のは含まれる。リンパ節にリンパ球原発の良性 小節の中にはリンパ球が存在している。 スや原因不明の場合もある。また、体のある部 胞性免疫 ) 。生体にとって有害な抗原物質が侵腫瘍がないため、この用語は紛らわしく、あま リンパ球は抗原によって反応し、抗体産生細胞位に炎症がおこると、その周辺の特定のリンパ 入すると、リンバ球は分裂して数を増しながら り用いられなくなった。 ^ 伊藤健次郎〉 となる。皮質の深層部にはリンパ球が存在し節が腫れ、ときには痛みがおこる。たとえば、 リンパ球とリンパ球が協力して抗原物質をリンバ節・・・ーせつリンバ管が走行する途ている。リンパ球は細胞性免疫に関与し、細淋疾では大腿の付け根にある鼠径部リンパ節炎 無害なものにする。これに顆粒球、単球 ( マク中に介在している結節状の小体で、俗にリンパ 胞性免疫を発現させる能力をもっている。このがおこる。治療としては抗生物質の投与などを せん へんべいだえん じんぞう ロファージ ) も貪食能をもって協力しあってい 腺ともよばれる。扁平な楕円体形あるいは腎臟ようにリンパ節は生体の防衛にあずかる重要な行い、化膿すれば外科的に切開排膿する。 る。 〈伊藤健次郎〉形で、大きさは二ミリから三〇ミリほどと大小さま組織である。また、リンパ ( リンパ液 ) はリン 慢性炎症は毒力の弱い菌の慢性的刺激によっ ておこるが、急性炎症から移行することもあ せんびよう 管 る。腺病質の小児では発熱に続いて頸部リン ン ン ン ハ節の慢性腫脹がみられることもある。治療と 出 入 しては急性炎症と同様、原因となっている細菌 輸 毛 などに対する抗生物質投与などとともに、対症 療法を行うほか、小児の場合は体力をつけて抵 〈折田義正〉 抗力の増強を図るようにする。 1 一 せっしゅよ , つ日′ ンパ節の リンバ節腫瘍 腫瘍で、肉腫と癌とがある。肉腫にはホジキン 病、リンパ肉腫、細網肉腫などがあり、一括し て悪性リンパ腫と総称され、リンパ性白血病も 広い意味でこのなかに含まれる。これらはリン ハ節を起源として発生し、次々に全身のリンパ 節を侵し、骨髄や肝臓などの実質臟器にも波及 0 し、ついには死に至らしめることがある。↓悪 0 性リンパ腫 リンパ節にできる癌は、すべて他臓器からの 転移癌である。したがって、転移性のリンパ節 腫瘍から癌の原発部位がわかることもある。リ ンパ節腫瘍は、腫瘍部位が限られている場合に リンバ管 リンバ節 動脈 静脈 筋肉 リンパ節の構造 盲嚢 0 0 弁 0 0 0 被膜 皮質 リンバ洞 0 リンバ節オ 0 、。 0 の 0 0 動脈 静脈 りんしつ 219

10. 日本大百科全書 24

に目覚める。第一次世界大戦後、ルテニア人居熱すれば完全に二酸化ルテニウムに変わる。酸 に選出された。南ア政府のアパルトヘイト政策の度が強くなると、慣例的行動が正しいとして に対しては安定であるが、王水、または空気を に対し、ガンジー流の非暴力抵抗を主張し、五要請され、慣例は慣習を超えてモーレスの性質住地域は、連合国の承認のもとにポーランド、 日を帯びることになる。↓慣行↓慣習↓モー ルーマニア、チェコスロパキアに分割支配され含む塩酸には徐々に溶ける。また酸素あるいは 二年の抗議キャンペーンによって逮捕 ( 二年門 レス 〈千葉正士〉 投獄 ) 、さらに五四年のナタールでの人民集会 たが、第二次大戦中にソ連の手で、ウクライナ酸化剤が共存すればアルカリによって激しく侵 〈稲野強〉される。たとえば、水酸化カリウムと硝酸カリ での自由憲章採択によって再逮捕。五六年には ルテチウム lutetium 周期表第族に属共和国に編入された。 反逆罪で同志一四五名とともに逮捕され一年後 し、希土類元素の一つ。一九〇七年フランスの ウムの混合物で融解すれば、緑色のルテニウム ルテニウム ruthenium 周期表第Ⅷ族に に釈放。五九年以降、自宅拘禁処分を受け政治ュルバンとオーストリアのウエルスバハによっ属し、白金族元素の一つ。一 八二八年にロシア酸カリウム K2Ru04 を与える。塩素と熱す 活動を禁止されたが、六〇年三月のシャープビて、それそれ独立に発見された。ュルバンはルの化学者オサン G. W. Osann はウラル山系ると反応して塩化ルテニウム RuC13 を生ずる おう ラジウムと同 ル起には自ら身分許可証を焼き抗議した。同テチウム、ウエルスバハはカシオペイウムと命産の白金鉱中に新元素を発見したとし、小口シ が、硫黄とは直接反応しない。パ の古名 Lute ・ 年黒人として初めてノー・ヘル平和賞を受賞。六名したがのちに統一された。バリ アの古い国名 Ruthenia にちなんでルテニウ様に多量の気体、たとえば水素、窒素などを吸 tia に由来する。希土類元素中希産のものの一 七年七月二一日鉄道事故で死亡。自伝、ミ ムと命名した。この物質は新元素を含んではい 蔵する性質がある。 〈林晃史〉つ。ィットリウムを含む鉱物中に存在する。無たが、非常に不純な酸化物であった。のち一、 用途はほとんど白金族元素との合金の成分に ミ People 』 ( 一九六一 l) がある。 限られる。たとえば、白金の硬さを増すために ルディアーナ Ludhiana インド北西部、水塩化物をアルカリ金属で還元して金属を得四四年にロシアのクラウス Karl Karlovich ハンジャープ州中部、ルディアーナ県の県都。る。銀白色の金属。空気中に置くと室温で表面 KIåus ( 一七九六ー 八六四 ) によって、イリドスミン ィリジウムと同様に用いられる。これらの合金 首都デリーの北西約三六五キロ、サトレジ川左岸が酸化され、高温で酸化物となる。冷水とは ( ィリジウムとオスミウムの天然合金。白金鉱はもとの純金属より精細な宝石装飾の製作に適 に位置する。人口六〇万七〇五二 ( 一九八一 ) 。古徐々に、熱水や酸には水素を発して速やかに溶中に存在 ) から金属単体として単離された。白している。このほか、粉末状あるいは海綿状の くからメリャス製品のインド最大の生産地とし けて酸化数Ⅲの塩をつくる。 〈守永健一〉金族中もっとも希産で、地球上の存在量は少な純金属は酸化還元触媒として優れた性能を示 〈鳥居泰男〉 て有名である。一九六〇年大規模な中小企業団 通常ィリドスミンなどの中に他の白金族一兀す。 ルテニア Ruthenia 東ヨーロッパの歴史 はキ、よ , っ力し 地が完成し、機械器具工業の発達も著しい。と的地域で、現在のソ連のウクライナ共和国ザカ素と共存している。粗ニッケルや粗鋼を電解精 一六世 ルーテル派教会 くに自転車および同部品製造ではインド最大のル。ハトスカヤ州にあたる。↓ザカルバトスカヤ錬する際の陽極泥を熱王水その他で化学処理紀ドイツのルター ( ルーテル ) の宗教改革によ 生産量を誇る。鉄道の結節点、農産物の集散地 し、水和酸化物 Ru02 ・ nH20 として他の白金って成立したキリスト教の一教派。プロテスタ ルテニア人ーーじん Ruthenen 響オー でもある。市街は一四八〇年、デリー地方を支ストリア・ハンガリー帝国内に住んだウクライ族元素から分離する。さらに揮発性の四酸化物ント教会の主流をなす。ドイツ、北欧から北ア メリカ、さらにアジア、アフリカの各地に広が 配していたローディー王朝により建設された。 ナ人のドイツ語名。カルバティア・ウクライナ RuO 、を経てへキサクロロルテニウム酸アン 一九世紀中ごろ、シク教徒とイギリス軍の戦い 人とも称され、大部分は東ガリツィアでポーラ モニウム ()H 、 )3CRuC16 」に変える。水素気流り、信徒総数約七〇〇〇万で、キリスト教教派 は、ここを中心に繰り広げられた。南郊に一九ンド人と、・フコビナでルーマニア人、ドイツ人中で熱還元すると粉末状の金属ルテニウムが得としては、ローマ・カトリック、ギリシア正教 六一年開校した州立バンジャー。フ農業大学は、 に次ぐ教派である。 と混住する。オーストリア・ハンガリー帝国のられる。 ハンジャー。フ州におけるいわゆる「緑の革命」総人口五一三九万 ( ポスニア・ヘルツェゴビナ 〔性質と用途〕灰白色のもろくて硬い金属。物〔発端〕カトリック教会に対する改革の動きと 推進の中心的機関として知られ、今日も同州のを含む ) のうち、ルテニア人の人口は、オース理的および化学的性質は周期表で直下にあるオしては、イギリスのウイクリフ、ポヘミアのフ スなどのそれがあったが、宗教改革はルターの 農業発展の原動力となっている。女子医学校も トリア地域で三五二万、ハンガリー地域で四スミウムに似ている。この元素の化学的特徴の 〈中山修一〉 所在する。 六・四万であった ( 一九一 0 ) 。住民の多くはギリ 一つは酸素に対し比較的弱いことである。空気聖書との取り組みと、それによる神の恵みの再 イギフ一フ リスンス 慣習の一 シア正教徒で、オーストリア政府の民族政策に中で熱すると表面に黒色の二酸化ルテニウム発見に始まり、一五一七年一〇月三一日、ルタ ルー一アイーン routine ーがカトリック教会の免償 ( いわゆる免罪符 ) 種で、日常規則的に繰り返される生活様式、と 利用されつつ、一九世紀後半しだいに民族意識 Ru02 を生ずる。粉末状のものを酸素気流中で くに一定の手順で行われる仕事をいう。朝起き てから決まった日課し , こ従って生活し、仕事を済 ませ、寝るという過程の全体と個々の作業に、 数 ルーティーンは成立する。その場合、行為の規 子 範は行為者に十分に内面化されているので、行 の 為はいわば無意識的にスムーズに行われるが、 第 当部 ( 3 反面において惰性に流れ、改善、発展の契機に 個第 乏しくなる。そこでルーティーンを批判、刺激 5 X するために、これを「ケ・俗」と性格づける 6 0 0 「ハレ・聖」の観念と行事が対照的につくりだ 4 方宙殻水 11 「 / 戸 0 4 は・ されている。日本語では慣例と訳されることが 「 / 1 よ 1 亠っ 0 -9 、 / 六宇地海 多いが、この場合は意味がやや異なる。すなわム 度 るち、挨拶、寄付、届け出の慣例などの用例に示 ウ号号 在 チ記番量 系存 一にされるように、社会に一般的に行われる慣行の タ 7 チ タ - ーチ テ素子子点点重晶素 ル元原原融沸比結元 一フ , 3 ア体 つうち、特定の者の行為の特殊性を強調する。そ ー : っキ ~ ノレテニウム 元素記号 Ru 原子番号 44 原子量 101.07 土 3 融点 2310 ℃ 沸点 3900 ℃ 比重 12.304 ( 測定温度 19 ℃ ) 結晶系 元素存在度宇宙 ()i 106 個当りの原子数 1.6 ( 第 47 位 ) 259