言葉 - みる会図書館


検索対象: 日本語練習帳
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1. 日本語練習帳

次の文章は吉田健一氏の『時間』の一部分です。 それ故に或る時に或る人間が言ったことが我々をそこまで連れて行くことも出来る。そ やまとたけるあづま れは例えば倭建の吾妻はやでもよくてその一言でそこに関東の丘陵と平野が拡る。こ とどま れは言葉というものがその性質上ただ特定の意味を人に伝えるのに止らなくてその言葉が 用いられた際の状況も不可避的に再現するものだからでそれならばなお更のこと言葉がそ 従 の状況にあって一段と周到に用いられた場合は我々もその状況に置かないではいない。 ってそれが歴史の形を取ったものならばそこにはそこで扱われている時代のみならすその 歴史が書かれた時代もその影を濃く落していてギポンのロオマ衰亡史にはヨオロッパの十 しばせん 八世紀があり、司馬遷の史記には漢の時代がある。又もし言葉が再現し、映し出している ことを受け留めるだけの学識が我々にないならはこれは言葉が示す所に基いて幾らでも補 えるものでそれでも明確を欠くことがあればそういう我々の無智よりも一言葉が語ることを 信用することが我々に許される。例えば我々が第十八王朝のエジプトの宗教制度に就て知 ることが余りに少くてもアクナトンの太陽に対する讃歌でその強烈な太陽に依存する広大 な土地がそこにあることを、その土地で又恐らくは世界で最初の一神教に傾けられた情熱 138

2. 日本語練習帳

間題を考える。万が一の場合を考える。段取りを考える。 この場合、どうして「思う」あるいは「考えるーの片方しか使えない のか。上の甲乙の図を見て下さい ます、上の図のまん中の重なっている部分、これは二つの言葉の意味 重の重なるところ、二つの言葉のどちらを使ってもよいところです。「私 味はこ、つしよ、つと田 5 った「こ、つしよ、つと考えたなどとい、つ場合は、だ の いたいどちらを使ってもいい。 しかし、「百万円も使ってしまった」と 葉 言「百万円も費やしてしまった」とは重なってはいても、「使う」と「費や す」では重なりが小さく、図の甲に当たる。「思う」「考える」の場合に は、重なりが大きく、図の乙に当たる。図のイ、ロという重ならない部 分は小さい。しかしイとロとは交換するわけにいきません。このように , 「とロとか・ 、さい場合と大きい場合とがあります。 これから、いくつかの問題を取り上げますが、乙の図のように単語によっては、重なってい る部分が大きくて、イと口が小さいものもある。その徴妙なところを、言葉のニュアンスとい っています。言葉の使い方かいいとか、言葉が鋭く読めるとかいうことは、このイとロとを明 ロ ロ 甲 乙

3. 日本語練習帳

本 基 の 五ロ いて、言葉はないけれど、妻は夫の気持が分かって満足している。夫も妻の心が分か っている。ここには会話がいりません。の組は結婚何年目か。この二人も会話をし 二人は近々離婚するのです。何年もの恨みや憎しみがおたがいの心に満ちてい る。 O の二人はしつは恋仲なのだが、心の奧深くに思っていることを一言葉の形にでき なくて黙っている。 言葉を使うときはいつも相手と関わりたいという心をもっとき。相手が自分につい て、また自分の思うことについて分かっていないところがあるのを、分かってもらい たいと相手に求め、相手の注意を引き、相手の知らない事柄を知らせる。そういうと きに言語を使う。泣くとか抱きしめるとい、つ行動でそれを表すこともある。言語はそ ういう表現行為の一つです。 言葉は制度とか決まったものとかではない。しかし思うままに造形する絵画のよう 言葉には社会的な規範がある。 な、主体性だけによってなされる表現行為でもない。 その規範にかなう形式に従わなければ、主体的に自分の気持や事柄を相手に表現する ことはできない。受け手は規範に従って表現を受け取り、理解につとめる。聞くこと 、うことを通して成り立つ。 も読むことも、主体的な能動的な行為です。それは規範に従 209

4. 日本語練習帳

中にもちこむという技術を日本はもっていた。その結果、日本では、ヨーロッパのいろいろな 概念をもちこむにあたってアジア諸国のような言語的な困難が少なく、アジアの中では最も早 くヨーロッパを取り入れ、それに追いつくことができたのです。 歴史を見ると、日本はそれぞれの時代に、世界のトップクラスの文明を次々に輸入してきま した。弥生時代には、南インドからお米・金属・機織・お墓作りを取り入れ、古墳時代には、 あすか 朝鮮からさまざまの技術、飛鳥・奈良時代には、中国から漢字による多くの文明を輸入し、そ れによって生活を展開させてきました。 日本人は非常に忠実に、「この言葉の由来は何か」ということを字で書き分けています。漢 字以前のヤマトコトバは平仮名、中国文明から来た概念や言葉は、漢字で書いています。ヨー ロッパ文明から来た言葉は片仮名です。 古くからあった言葉 「うつくし . とか「あそぶ , とか、これは平仮名で書くヤマトコトバ です。次に、中国から輸入された言葉、「観念」とか「愛情」とか、これは漢字で書く漢語で す。漢語は現代日本語の単語の半分を占めています。「うつくし , や「あそぶ , を、「美し」 「遊ぶ , と漢字で書くのは平安朝以後です。韓国でも漢字を使っていましたが、漢字は漢語に だけ使って、日本のような「美し」とか「遊ぶ , のような使い方はしませんでした。 はたおり

5. 日本語練習帳

ところ、「このごろの若者の言葉づかいが悪くて困る」とあったそうです。言葉は人間の行為 だから、保守的、改新的という相違があるのは当然です。 私が「単語に敏感になろう」、「違い目について感覚のある人間になりましよう」と言ってい ることに注意して下さい。言葉をどう使うかは、その人が保守的な態度をとるのか、新しい態 度をとるのかによって違う。それはその人その人なのです。これだけが正しい言い方だなどと 簡単にはいえない 「言葉の違いに敏感になろう」。鈍感ではだめです。「ちっとも」と「さっ ばり」は違うのか、違わないのか。「お客がちっとも来ない」と「お客がさつばり来ないーと をくらべると、「さつばりには店主の期待はすれの感しがあるなと思うか思わないかです。 単語を的確に使うということで、大事なことが一つあります。例えは、「噫病な人」を「慎 重な人 . といったら、それは不的確ということになるでしよう。しかし、「噫病」と「慎重」 とではまったく別の言葉で間違えようはありません。不的確な表現になった原因は単語にはな 、事実を見る眼が曇っているのです。ほんとうは「臆病」なのに、それを「慎重 , な態度だ というのは、あるいは真実を避けて表現しているのかもしれません。「臆病な政治家」を「あ の人は臆病だ」とはっきりと表現するのは、単に言葉に敏感になるだけでなく、事実そのもの をよく見る眼と心とが要ることです。はっきり見てきちっと表現する心がまえがなくては、言

6. 日本語練習帳

よい行動をしていきたいと思う人は、よいことをした人の話を聞いて見習うでしよう。同し ト 6 、つに、 " 児 よい言葉づかいをしたいと思う人は森鵰外、夏目漱石、谷崎潤一郎とか、現代 だったら誰でしようか、言葉に対してセンスが鋭い、 いわゆる小説家・劇作家・詩人・歌人た ち、あるいは適切な言葉を使って論文を書く学者、そういう人たちの作品・文章を多く読んで、 文脈ごと言葉を覚えるのがよいのです。 こっと , っ 骨董の目利きになるためには、よい物を、ます一流品を見続けなければだめだといいます。 一一流品を見ていては眼がだめになる。文章もそれと同じです。よいと思われるもの、心をひく ものを見馴れているうちに、ああ、これは雑だなとか、ここはおかしいなとか気づくようにな る。自分を引きつけるものはその人にとってよいものなのです。だから、自分を引きつけるも のを熟読して、それをいっそう鋭く深く受け取るようにすること。次に、よい文章といわれる なものを読んで、どこが違うか、どちらがよいかを自分の目で判断すること。 感ときには、「新しい言葉」をつくる人もいます。新しい言葉をつくろうと、現在は落語家や に漫才師、あるいはコピーライターがしのぎを削っています。戦後にアジャヾ ノーだとかトンデモ 三一口 単ハップンだとか、一時は流行する表現がつくられました。その大部分は一〇年もたたずに消え ました。それはつくられたものの底が浅かったのです。

7. 日本語練習帳

五ロ 1 三ロ 答え。 << わたくし。わたし。わっち。あたし。あたい。おれ。おら。おいら。われ。こちら。 こっち。こちとら。うち。それがし。手前。手前ども。自分。僕。我輩。予。拙者。 生。不肖。など あなた。あんた。こなた。おまえ。てまえ。てめえ。そなた。そち。その方。なんじ。 きみ。おぬし。おのれ。貴兄。貴女。貴君。貴下。貴殿。貴公。貴様。など かた O かれ。かの女。あいつ。あれ。あの方。あちら。そいつ。やつ。そやつ。こいつ。こ ごじん やつ。御仁。など タクシ・ワタシ・ボクなどを一〇例以上書いて下さい。 〃一一人称の代名詞として使われる言葉、あるいは使われていた言葉、例えば、ア″ ″ナタ・キミなどを一〇例以上書いて下さい 〃 O 三人称の代名詞として使われる言葉、あるいは使われていた言葉、例えば、カ〃 レ・カノジョ・アイツなどを一〇例以上書いて下さい 147

8. 日本語練習帳

これなども、「喜ばしそう」が礼を述べることと組みになっています。だから、「よろこはし い」は、社会的にみんながよいとすることに使う言葉で、自分の個人的な満足感に使うと変に なります。古文の言葉なんて現代と縁がないと思われているかもしれませんが、言葉が昔に身 につけていた意味は、なかなか消えずに伝わっていくものなんですね。 練習④ 人物は大丈夫です 人物はしつかりしています あいつなら守備は大丈夫だ あいつなら守備はしつかりしている 右の場合、それぞれ普通に使う形で、意味もおよそ近い。しかし、 まかせておけはしつかりしている A 」はい ) しません。それは「大丈夫、と「しつかり」が、やはり違うからです。その違

9. 日本語練習帳

まんえん としたように見えます。しかも覚えた単語をそのままは使わない。大江さんには『万延元年の フットボール』とか『芽むしり仔撃ち』とか、普通にはない単語の組み合わせがあるでしよう。 それは単語そのものではなくて、単語の組み合わせ方において新しくしようとしたのでしよう。 よい言い方、よくない言い方の問題として、「見れる」とか「起きれる」とかの「ラ抜き言 葉 , が問題にされることがあります。ラ抜き言葉をとがめだてするのも一つの言語感覚です。 しかし「見れる」「起きれる」は可能動詞というべきもので、江戸時代に「書かる , から新た に「書ける」という、古典語にはなかった可能動詞がつくられて、今は普通に行われているこ とを思えは、日本人の意識には「可能動詞」を欲する根源的な欲求があり、それに応えるよう に新形ができる。その一環として、「見れる」「起きれる」が数十年前から方言的に生じてきた わけで、それが今や広く使われるにいたった。私はこれを使いませんが、この発達は日本語と なしては自然な動きで、止めることはできないでしよう。 人の話す言葉のどれが正しいとするかは、なかなかむすかしいことです。それはどこに基準 点をおくか、いつの時代、どこの言葉を規準とするかによります。どれが正しいかというとこ 五ロ 単ろに踏みこむと、保守的な態度の人、新しいことを好む人、いろいろあって、その人の人生や 世界に対する考え方が言葉の選択の上に出てきます。今から何千年も昔の楔形文字を解読した

10. 日本語練習帳

あなど ると、敬意から、近しくなれなれしい扱いとなり、ときには侮りの気持を表すことさえありま す。 オマエは古い「大前」に当たる。つまり、神様の前をいうオホマへ ( 大前 ) で、相手を崇めて 使うのが本来です。オマエという言葉は平安時代からあって、江戸時代前期までは高い敬意を あんえい 表していた。明和・安永の頃 ( 一七〇〇年代後半 ) から同輩にも使われ、江戸末期には親しむ気 持から進んで、相手を低く扱う気配が加わってきます。戦前には、親が子に話しかけるときや、 夫が妻に話しかけるときには、オマエが普通でした。オマエサマ・オマエサンはそれにサマが . ついた、相手に敬意を表す形です。 テマエは「手の前」ですから自分の領域で、はじめは自分のこと。ついで「自分のカの及ぶ 範囲 , の意から、対等あるいは目下扱いにする相手をいいます。テメ工となれば、相手を見下 げたののしり語に近い 本 貴兄・貴女・貴君・貴下・貴殿・貴公・貴様という漢語の「貴」は、タカシという訓がある 基 吾ように、人間を上下の関係でとらえる中国の考え方を反映する言葉です。「貴様ーは初め相手 二 = ロ を高く扱う言葉でしたが、江戸時代に親しい間でしきりに使われるうち次第に敬意が薄れ、江 戸時代末期に相手を低く扱う言い方になった。「御仁」の「仁」は漢文の使い方から来た言葉 ごじん 151