この言葉は、く ノミーター大尉の号令と同様、いつも判でおしたように変らなかった。大川 松岡両被告とも、片や発狂、片や結核の相違はあっても入院中であった。松岡元外相も、米陸軍 第三六一野戦病院から東大病院坂口内科に移っていた。 だが、六月二十七日午前九時三十五分、ン ミーター大尉の号令のあとをうけたウェップ裁判 : 松岡に関 長の開廷発言は様子を異にしていた。「全被告出席、ただし大川及び松岡を除く。 しましては報告があります」と裁判長がいうと、小林俊三、ウォーレン両弁護人が前に進み出た。 ▽小林弁護人被告松岡洋右の弁護人小林であります。被告松岡洋右は本日午前一一時四十分、東 京帝国大学病院において死亡致しましたことをご報告申しあげます。 ▽ウォーレン弁護人ただいま松岡の弁護人と致しまして書類提出の規則を省きまして、松岡被 告の死亡届を証拠として提出させていただきます。 検事側に異議ない旨が述べられ、ウォーレン弁護人は松岡元外相の死亡診断書を裁判長にさし 死亡診断書 一、氏名 二、男女ノ別 三、出生ノ年月日 四、職業 松岡洋右 男 明治十三年三月四日 死亡者ノ職業ナシ家計 / 主ナル職業ナシ 192
▽大島浩陸軍中将Ⅱ ( カン高い大声で ) 「無罪ッ ▽佐藤賢了陸軍中将Ⅱ ( 眼をむいて ) 「無罪ー ▽重光葵元外相Ⅱ ( やや下をむいたまま ) 「アイ・・フリード・ノット・ギルティ」 ( 無罪を申し立てま ▽嶋田繁太郎海軍大将Ⅱ ( あっさりと ) 「無罪ー ▽白鳥敏夫元駐イタリア大使Ⅱ ( 早口に ) 「無罪と申します」 ▽鈴木貞一元企画院総裁Ⅱ ( 簡単に ) 「無罪」 ▽東郷茂徳元外相Ⅱ ( ごく自然に ) 「ノット・ ギルティ」 ( 無罪 ) ▽東条英機元首相Ⅱ ( 胸をはり独特の調子で ) 「起訴の全部にイたいしましてエ : 張致します」 ▽梅津美治郎陸軍大将Ⅱ ( 荘重に ) 「無罪」 入院中の大川周明被告については、出廷できるようになってから認否をおこなう、とウ = ツブ 裁判長がつけ加えて認否を終えたが、その間わずかに九分間。ウェップ裁判長が、急ぎに急ぐよ うに呼びたてるので、右に左に走り回るマイク係の米兵は大汗をかいていた。 法廷は、そのあと休憩をはさみ、弁護団から二カ月間の準備期間の申請があったが、ウェップ 裁判長は、五月十三日に管轄権問題を論議し、証拠調べは六月三日からおこなう旨を裁定して、 午前十一時五十五分、休廷した。 ・ : 私はア無罪を主 164
広田元首相は、ほんとに困惑した表情で、花井弁護人を見た。巣鴨拘置所の面会所は、金網ご しに話す。その金網のかなたに、広田元首相は、やや面やつれはしているが、相変らず引きしま った温顔をくもらせて黙思している。しかし、花井弁護人の提案を承知したとはいわぬ。 「とにかく、どうしても無罪とだけはいって下さい」 お願いします、と花井弁護人は、衛兵が面会時間終了を告げるのを聞き、気迫をこめて広田元 首相にいうと、立ちあがった。 大川周明被告担任の大原信一弁護人も、弱っていた。どうも、大川被告の発狂はほんものらし いからである。 大原弁護人は、五・一五事件のとき、清瀬一郎弁護人の助手として大川被告の弁護にたずさわ ったことがある。その関係で大川被告担任となり、四月三十日、はじめて巣鴨を訪ねたが、その 日 三とき、案内のは、右手の人さし指を自分の頭上にかざし、くるくると小さくまわしながら、 五「おお、オーカワ、ザ・マッド・ マン ? ( あの狂人か ) ーといっこ。 たしかに、会ってみると、どうも話がいくぶん誇大に走りがちである。が、語調は流ちょうで 四 九あるし、論旨も明確である。ただ、英語またはドイツ語でしか、しゃべらない。 「大原クン、この裁判は政治裁判だ。中世の宗教裁判と同じた。連合国人でない者は、そのこと 章 四 だけで有罪なのだ。したがって、弁護などほんとうにすることができるかどうか、疑問だよ」 第 二日も、大川被告は、明快にしゃべりまくった。同感である。大原弁護人は、高話拝聴の形で 5
いれられない場合は、ソ連は裁判に参加しないかもしれぬ、と述べた。キーナン検事は、マッカ 1 サー元帥に相談した。元帥は怒気をあらわに眉をしかめた。 「ソ連のなじみのやり方だ。対日参戦もそうだったが、ギリギリのときに出てきて獲物をほしが しかし、ソ連不参加の開廷は、連合国による裁判という体裁を保っためには、絶対に避けねば ならない。マッカーサー元帥は、変更を認めた。 ソ連側は、元首相阿部信行陸軍大将、真崎甚三郎陸軍大将をはずして、重光、梅津を加えるこ とを提案し、キーナン検事も承知した。 梅津大将、重光元外相にたいする逮捕指令は、四月一一十七日に発せられた。梅津大将はさっそ く、元関東軍副長池田純久中将に弁護を依頼した。まさか戦犯容疑をうけるとは夢想できず、三 月には、池田中将を訪ねて、顔の広い池田中将に、「なんとかメシがくえる職を探してもらいた 達い」と頼んだばかりであった。 の池田中将も、当惑した。考えてみれば、中将自身にしても戦犯容疑に問われないとはいえない。 諏弁護をひきうけて、裁判の途中で逮捕されては、かえって梅津大将に迷惑がおよぶというもので ある。池田中将は、米人弁護人・ブレイクニーを通じて、検事側の意向を打診した。返答は、 章 三「米国側としては大丈夫だが、ソ連は警戒したほうがよい」 池田中将は、「ソ連がやかましくいってきたら、米国に亡命させてくれるか」とたずね、「ひき
東京裁判 ( 上 ) 中公新書 244
島襄著 東京裁判 ( 上 ) 中公新書 244
やめてほしい この旨を上手に伝えてくれ、と大佐は頼まれたのだが、ウェッ・フ裁判長は、明らかにカーベン ター大佐の言葉の背後にキーナン検事の意向があることを推察し、しかもキーナン検事にたいす る悪感情をほのめかしている。カー。ヘンター大佐は、ウェッ・フ裁判長の言葉をキーナン検事に伝 えることにしたが、憂慮した。裁判長と主席検事がともに感情家であるとなれば、、・ しすれ法廷で の衝突と、それによる審理の遅延が予測されるからである。カーベンタ 1 大佐はその夜、キーナ ン検事に、ただ、依頼をはたした旨を伝えた。キーナン検事は、上機嫌で大佐に、サンキ】 をくり返した。 立そのころ、小石川・音羽の三井ハウス ( 三井高陽邸 ) に移住していたキーナン検事は、田中隆吉 の少将との交際を深め、少将がきわめて重宝な人物であることを発見して、喜んでいた。六月から ナ秘書に雇った日本人山崎晴一は、有能ではあるが、至ってもの堅い。一方、田中少将は、記憶力 キのみならず、もの柔らかい方面の才能にも富むとみえ、検事が医師に禁止されている酒も秘かに ・フ持ちこんでくれるし、女性の世話もひきうける。田中少将によれば、ともにフランス語を話すの = で意思の疎通が円滑に進み、女性問題も二人の間に隠語を定めていた。キーナン検事が、「ジ = ・ スイ・フォル」 ( 私は強くなった ) といえば、「主に料亭・金龍亭の女将に頼んで旋」することに 章 七なる。カーベンター大佐の世話をうけたさいも、キーナン検事は " 強化現象対策を完了したあ となので、ひとしお機嫌よく、大佐に謝辞を述べたのである。 245
会を与えられ、一人ずっその主張を述べた。ゲーリング元帥は、他国民を殺したり奴隷化しよう という意思は、かって一度も持ったことはなく、「自分は戦争を望まず、開始したこともない。 自分は戦争回避に全力をつくした」と、強調した。戦時中に英国に飛び、その後狂気かと疑われ しレドルフ・ヘスは、衰弱して立ちあがれなかったが、低い声をし・ほって叫んだ。 た副総統 / 「私は、 ( ヒトラー ) 総統と国民とナチズムにたいして義務をはたしたことを、心から喜ぶ。悔い るところは、ない。 もし、もう一度くり返さねばならぬとすれば、たとえこの身が焼き殺される とわかっていても、同じっとめをはたすであろう。人間がなにをしようとも、いずれ私は神の裁 きの座にすわり、神は私に無罪を言い渡すことを確信する」 立外相ョアヒム・フォン・リ ッペントロツ。フは、米英とソ連との冷戦にふれ、皮肉たっぷりにい のつこ。 ン ナ「まさにドイツが ( 一九三九年 ) ソ連と交渉した当時と同じジレンマ状態に、米英は直面している。 キ私がやったよりもうまくやることを、切にお祈り申しあげる」 A 」 プ ウェップ裁判長は、これらナチス指導者と日本の級戦犯とをくらべて、どうも日本側のほう = がおとなしい印象をうける、とカーベンター大佐に指摘した。大佐は同意したが、同時にニュ ウ ルンベルク裁判の審理が、前年十月十八日の開廷いらい十カ月で終ったことに言及して、もし日 七本戦犯人がナチス戦犯人よりもおとなしいなら、おそくとも同期間後の来年一一月には結審するこ とを期待する、「これはマッカーサー元帥の希望でもある」と述べた。ウェッ・フ裁判長は、渋い
国によって指名された日本の戦争犯罪人三百名の筆頭に日本天皇が挙げられている。右名簿はマ ッカ 1 サ 1 元帥宛提出されるが、近衛公、東久邇宮、下村陸相、米内海相が入っている。但し現 在までのところ右に関してなんら公報はなく、又これを確認する如き情報もない」 実際には、十月下旬、極東諮問委員会の発足の数日前、中国は米国務省に戦犯リストを送付し、 委員会開催と同時に提案すること、マッカ 1 サー総司令部に伝達されたいこと、の二点を表明し た。したがって、リストはしばらく前に総司令部に届いていたが、中国はリストにつけ加えて、 近衛公爵を中国で裁判したいと強く希望したといわれる。 マッカーサー元帥の十一月一日の近衛公爵についての声明は、日本国内の反近衛の声とともに、 以上のような中国の要求を背景にしていたわけだが、マッカーサー元帥は中国提案を拒否した。 近衛公爵は、天皇以外に求められる最重要な戦争犯罪人である。裁判は東京で開かれる。近衛公 爵の欠席は、東京法廷の精彩をいちじるしく減殺することになるからである。 義 定 しかし、中国側はあきらめず、ワシントンで折衝が重ねられた。そのため、近衛公爵の指名が 罪遅れたのだが、ソ 1 。フ准将がマッカーサ 1 元帥に呼ばれる前日、十一月二十八日、極東諮問委員 ジ 1 ランドが天皇および近衛公爵を含む戦犯リストを 争会に、今度はオーストラリアおよびニュ 提出した。 一一中国は、あきらめた。オーストラリアは近衛公爵の引渡しを求めてはいないが、東京裁判の法 廷に近衛を坐らせろ、と要求していることは、中国引渡しに反対しているわけで、米国務省も味
っておこなわれるだろうことは予測できたが、それ以外の裁判事情は見当がっかなかった。清瀬 弁護士は、自宅が戦災で焼失したあと、麹町区紀尾井町の明治薬科専門学校の寮「剛堂会館」に 住んでいた。ほかにも焼けだされた数家族が同居していた。清瀬弁護士は、付近の空地にカボチ ヤのたねをまき、毎朝、道路の馬糞をひろって肥料にしながら、食糧自給につとめていた。家族 は疎開し、老女中とその子供と一緒に十畳一間に暮した。たぶん、キーナン検事任命が発表にな ったころだが、弁護士神崎正義が訪ねてきた。 神崎弁護士は、元帥畑俊六と親しい。畑元帥は、自分は連合国の裁判にかけられることを覚悟 している、そのさいは弁護をひきうけてくれ、と神崎弁護士に依頼した。なぜ畑元帥がねらわれ ているとわかるか、と神崎弁護士がたずねると、元帥は、戦時中に米機がまいた宣伝ビラを見せ た。「日本軍部指導者諸君」と降伏を呼びかけたビラは、表に十二人の写真、裏にトルーマン米 大統領の写真を印刷してあるが、十二人の中に、畑元帥の顔もみえる。 ほかの十一人は、寺内寿一元帥、杉山元元帥、東条、小磯、松井、荒木各陸軍大将、嶋田、及 、長谷川各海軍大将、それに星野直樹元国務相、松岡洋右元外相の顏があった。 いち早く、この宣伝ビラと戦犯をむすびつけた畑元帥の鋭敏さに、神崎弁護士は感服し、依頼 を承知すると、清瀬弁護士を訪問したのである。陸軍省の顧問をしている関係上、清瀬弁護士も、 いずれは戦犯裁判に弁護人をつとめることになるたろう、と感じていた。が、なにぶんにも情報 は皆無に近い。神崎、清瀬両弁護士は、