被告 - みる会図書館


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1. 東京裁判 上

広田元首相は、ほんとに困惑した表情で、花井弁護人を見た。巣鴨拘置所の面会所は、金網ご しに話す。その金網のかなたに、広田元首相は、やや面やつれはしているが、相変らず引きしま った温顔をくもらせて黙思している。しかし、花井弁護人の提案を承知したとはいわぬ。 「とにかく、どうしても無罪とだけはいって下さい」 お願いします、と花井弁護人は、衛兵が面会時間終了を告げるのを聞き、気迫をこめて広田元 首相にいうと、立ちあがった。 大川周明被告担任の大原信一弁護人も、弱っていた。どうも、大川被告の発狂はほんものらし いからである。 大原弁護人は、五・一五事件のとき、清瀬一郎弁護人の助手として大川被告の弁護にたずさわ ったことがある。その関係で大川被告担任となり、四月三十日、はじめて巣鴨を訪ねたが、その 日 三とき、案内のは、右手の人さし指を自分の頭上にかざし、くるくると小さくまわしながら、 五「おお、オーカワ、ザ・マッド・ マン ? ( あの狂人か ) ーといっこ。 たしかに、会ってみると、どうも話がいくぶん誇大に走りがちである。が、語調は流ちょうで 四 九あるし、論旨も明確である。ただ、英語またはドイツ語でしか、しゃべらない。 「大原クン、この裁判は政治裁判だ。中世の宗教裁判と同じた。連合国人でない者は、そのこと 章 四 だけで有罪なのだ。したがって、弁護などほんとうにすることができるかどうか、疑問だよ」 第 二日も、大川被告は、明快にしゃべりまくった。同感である。大原弁護人は、高話拝聴の形で 5

2. 東京裁判 上

答えれば、その回答が裁判開始のベルとなる。 もちろん、二十八人全員が無罪と答えねばならぬ。五十五の訴囚のうち、一項でも有罪となれ ば、死刑を科せられることが予想されるからである。そこで、四月三十日から五月二日まで、弁 護人たちはいっせいに巣鴨に被告を訪ね、弁護についての打合せをするとともに、罪状認否には 必ず無罪と答えてほしい、と強調した。 おりから、五月一日は戦後はじめての「メーデーーである。東京も、各主要都市も、食糧難を 訴え、「米よこせ」と大書した。フラカードをかかげる市民の群で、騒然としていた。 弁護人たちも、食糧難を痛感していた。資金難でもあった。被告側から弁護料をうけた者、あ るいは軍人被告担任の場合は、旧陸海軍関係者の寄金をうけ、外交官その他文官被告担当者も、 それそれの機関、関係者から資金を提供される者もいたが、それでもほとんど生活苦にあえぐ状 日 三態であった。 月 五 だが、とにかく、あるいは被告との個人交誼のため、あるいは使命感に燃え、弁護人たちは、 年 六早朝の電車にのって巣鴨に行き、深夜の家路をたどる日をくり返して、準備を進めた。 ファーネス弁護人の知恵 章 四清瀬弁護人を、陸軍大尉・ファーネスが訪ねたのは、たしか、五月一日の午後である。そし 9 て、ファーネス大尉の訪問は、清瀬弁護人の眼を輝かしめ、東京裁判の開幕に劇的ないろどりを

3. 東京裁判 上

思表示とうけとれる。まさか級と 0 級の法廷を間違えていないとすれば結構だがね」 いいかえれば、退屈状態で終るだろう、とスミス記者は このぶんでは、裁判はしごく円滑に、 、他の外人記者連も同意した。 が、午後二時半、法廷が再開されると、裁判は「退屈どころか、途方もなく波乱が予想」され ることに、スミス記者たちは気づいた。 大川被告、東条大将の頭をたたく 被告席に、それそれビルマ、フィリ。ヒンから到着したばかりの木村大将、武藤中将が加わり、 ーター大尉が起訴状の朗読をはじめてしばらくすると、法廷には、次第にざわめきがひろ がり、ウェップ裁判長も渋面をふった。 東条大将のうしろ、一段上にいる大川周明被告の態度が、異様である。大川被告は、巣鴨を出 るときから、おかしかった。水色のパジャマをシャッ代りに着こみ、黄色い背広の上着を手に、 、こ。。ハジャマの前をはだけ、合掌するかと思えば、隣席の畑元帥にしき 足には駒下駄をはいてしナ りに意味のない会話を強要した。 午前中の法廷では、下を向き、ハナ水を長々とたらしたまま、ひたすら合掌の姿勢であったが、 、パジャマのボタンをはずし、胸をはだけ、腹をたした。来賓席の方角で、キャ 午後入廷すると ッと小さく女性の悲鳴がひびいた。 146

4. 東京裁判 上

の促進などをかねて、中国にむかった。 三月二十三日、東京裁判法廷は完成して報道陣に公開された。判事席、被告席、検事および弁 護人席、傍聴人席、貴賓席、記者席、映画および放送席が設けられ、傍聴人席は日本人二百人、 連合国一般人三百人を収容する。そして、被告席の椅子の数は二十五 : ・ 。被告席の椅子の数を かそえ終えた記者たちの間に、・ さわめきが起った。それでは、第一回に裁かれる < 級戦犯者は、 二十五人なのか ? 弁護団の勢そろいで、裁判の準備はほぼ完了している。あとは、法廷にならぶ戦犯容疑者の顔 ぶれと、具体的な罪状を示す起訴状の発表を待つだけだが、それにしても、第一次法廷で何人が 訴追されるかが、内外の記者たちの関心を集めていた。二十人 : : : 三十人 : : : ともいわれ、米人 記者の間では、カケの対象にさえなっていた。被告席の椅子は二十五だから、二十五人と思える 。記者た が、発表はなにもない。あるいは、ただ便宜的に椅子をならべただけではないのか : ちは、半信半疑の眼を見交したが、この三月一一十三日現在、東京裁判の被告数は、たしかに二十 五人が予定されていた。 マッカーサー元帥は、四日前、三月十九日、英米法と英語に慣れぬ日本人弁護人の補佐のため、 米人弁護士を容疑者一人に一人ずつつけて欲しい、というニュ 1 ジーランド代表判事・ノース クロフトの要請にたいして、すでに手配ずみだが、米法務省が用意した十五人を「二十五人に増 加するよう」要求した、と答えている。では、誰と誰かーーーその答えは、キーナン検事が帰日し、 104

5. 東京裁判 上

足音をしのばせて歩いた。 開廷がおくれたのは、この日、厚木に到着した板垣、木村両大将を、いったん巣鴨にはこび、 所定の消毒その他の手続きをすませるのに手間どったためたが、午前十一時十四分、キーナン検 事団が入廷したのにつづき、被告、裁判官も席についた。裁判官が入廷すると、法廷執行官・ ノミーター大尉が「全員起立」と叫び、裁判官着席を待って「全員着席」を指示する。 傍聴席、記者席の眼は、被告席にそそがれていた。 被告席の元大臣、元大将たちは、例外なくやせ、疲れているように見えた。東条大将国民服 姿であったが、戦時中にくらべてひとまわりは小さくなった感じである。嶋田元海相も、軍服の 襟がぶかぶかになっているのが見えた。それにしても、記者団の眼をみはらせたのは、松岡洋右 元外相の変貌ぶりであった。パスを降りるとき、松岡元外相はタン壺らしいものを持ち、杖にす がっていたが、ヒゲはのび、眼はく・ほみ、被告席に坐る様子も、坐るというよりも倒れこむよう であった。肺結核の病い重しと伝えられたが、そのあまりの衰弱ぶりに、記者たちは、暗然とし こ 0 「極東国際軍事裁判所は開廷する」 ーー午前十一時一一十分。 オーストラリア代表でもあるウェップ裁判長を中心に、・マクドウガル ( カナダ ) 、梅汝敖 ー 42

6. 東京裁判 上

また、嶋田元海相の副弁護人になった滝川政次郎法学博士の如く、むしろ、個人弁護に反発を 感ずるので、国家弁護方針を採用した弁護人もいた。滝川博士は、軍人被告に好感を持てなかっ た。もともと、巣鴨の元大将、元中将たちは、「世が世であれば、われわれ法律家を木の端とま でもみなかった人たち」であり、「陛下がわが赤子とまで愛重されたわれわれの子弟を、一銭五 厘の葉書と同じように取り扱った」ではないか。 しかし、「そんな不届きな将校でも、同邦人にたいしては罪万死に当る人間でも、敵国人によ って裁判せられ、処罰されるということは、いわれのないことである」と思うからこそ、弁護に 立った。だから、弁護には懸命の努力を捧げるが、「私としては個人弁護には、どうしても力が はいらない」ーーというのが、滝川博士の心境であった。 日 一一一弁護人の苦悩 月 五 いわば、人数もそろわず、弁護思想もそろわず、弁護団としては、被告が問われる罪の範囲は 年 六わかったものの、足どりも乱れがちに法廷にのそまねばならなかったわけだが、さらに弁護団に 九とって不利なのは、検事側の手のうちが、まったく不明であったことである。 たとえば、検事側がどの被告にどのようなねらいをつけているかは、事前の検事の訊間を知れ 章 四ば見当がつくが、キーナン検事団はその訊問録はいっさい公表せす、おまけに弁護人の巣鴨訪問 は厳重に制限されたので、被告に問、 し合せることもむずかしかった。 127

7. 東京裁判 上

。いままでの部屋は「思索 その結果が級被告の独房行きとなった。鈴木貞一元企画院総裁よ、 ニ不便ナリシモ今度 ( 便ナリ」と日誌に述べているが、二畳敷の独房は湿気が多く、二日後、早 くも平沼騏一郎元首相は入院した。 監視はきびしくなり、散歩も広庭から鉄条網囲いの小庭と変り、所持品は次々に制限されて、 自宅に送り返すことを命ぜられた。時計、万年筆も不許可となり、鉛筆は長さ三センチまでとい う。面会もこのところ、金網はなかったが、再び金網ごしに戻ることになった。外部からの差入 れも停止である。 この厳戒体制は、 O 級にも適用された。ゲーリング元帥のおかげだとわかると、大いにナチ 立ス怨嗟の声が高まったが、 << 級被告たちにたいする処遇は、さらに苛酷さを増した。 の十一月十四日、法廷から帰った被告たちは、中央大廊下にならばせられ、全裸にされて口腔を ガのぞかれ、義歯をたたかれ、四つんばいになって肛門を検査された。その間、は警棒をふり、 」と叫び、かりたてるのである。 キ老人そろいの被告たちに「ハ ・フ廊下は、冷気を加えた十一月の風が吹きこむ。その寒風と屈辱感にふるえながら部屋に戻ると、 = 畳は変えられ、所持品はばらまかれ、まるで掠奪の跡である。 ウ おそらくナチス戦犯もうけぬ無法な処遇であろう。しかも、検査は今後連日おこなわれると聞 七き、大将も大臣も、暗然と歯がみした。 271

8. 東京裁判 上

つづいて広田元首相 : : : 畑元帥 : : : 土肥原大将 : : : 小磯元首相 : : : 橋本欣五郎大佐 : : : 永野元 帥 : : : 松井大将・ : 撮影のため、ゆっくり歩くよう指示されていたので、大将も大臣も、玄関までの十数メ 1 トル を、静まりかえった記者団に見守られながら、一人すっ玄関にすいこまれて行った。 法廷も静かであった。天井につるされたシャンデリア群に照らされて、法廷内はどこにも影が なかった。正面に、ニュージーランド、フランス、ソ連、中国、オーストラリア、米国、英国、 カナダ、オランダ九カ国の国旗を背にして一段高い裁判官席が設けられている。インド、フィリ 。ヒン判事は、まだ来日していない。その対面に、同じく一段高く、二列に座席をならべた被告席 があり、裁判官席の下は書記席、被告席の下は弁護団席になっていた。 裁判官席と被告席の間の床には、通訳席、主席検事席、主席弁護人席、陳述台、証人台がなら 日 三び、左右の隅には、被告席にむかって左側に来賓席と補助検事席、弁護人席、右側に外人、日本 五人記者席が配置され、記者席の上の中二階が一般傍聴席である。 六午前十時半が、開廷予定時刻であったが、被告も判事も姿を見せなかった。傍聴席、来賓席は 九すでに満員で、来賓席には、アイケルバーガー米第八軍司令官、対日理事会のアチソン、シーポ ルト米代表、中国代表朱世明中将の顔も見えた。金髪、銀髪、あるいは赤毛の婦人も少なくない。 章 四東京裁判法廷の第一の特徴は、その静かさにあるが、この日は、開幕の緊張も手伝って、とく に静かであった。私語する者も、相手の耳に口をよせてささやき、法廷執行官、警備のも、 141

9. 東京裁判 上

相変らず「長大尉に聞いた」「建川将軍は申しました」といった「死人のロ」を借りながら、満 州事変の責任者を断定するとともに、北支五省独立問題についても、南次郎、土肥原賢二、梅津 美治郎三大将の名前をあげ、日本の大陸侵略企図を進んで肯定する証言を、とうとうと述べたて 憤然、亞然ーーーとしたのは、被告たちである。名指しをうけた橋本、板垣、南、土肥原、梅津 各被告はむろんのこと、他の被告もそろって不快感をお・ほえた。 ; 人が被告の席を指さして犯人は彼なりと云ふも浅まし 重光元外相がそう詠めば、鈴木元企画院総裁も憤激の文字を日誌に書きつらねた。 「田中隆吉証言。全ク売国的言動ナリ。精神状態ヲ疑ハザルヲ得ズ」 呆然、愕然ーーとしたのは、弁護団である。田中少将が検事側証人として登場することは知ら へされていたが、まさか、このように露骨な態度を示し、証言をするとは予想しなかった。たちま 台 言ち、対策のために田中少将にかんする情報が交換された。 儀 わくーー「田中少将は、戦犯になるか協力するかと脅迫されて、検事側についたー 帝 わく , ーー「いや、自分から売りこんだのだ。それが証拠には、彼は証人宿舎の " 今井ハウ 皇 ス〃にメカケと一緒に住み、食物も酒もふんだんに支給されている」 章 いわくーー「田中は精神病が再発しているらしい。記憶力が異常にすぐれているのは、そのた丐 第 めだ」 こ 0

10. 東京裁判 上

東京裁判の法廷も、冷房装置の調子が悪く暑かった。広いので最初はよいが、ものの一時間も たっと、閉めきった廷内は、少ないときでも三百人をこえる男女の体温と呼気によって、室温は 急激に上昇した。しかし法廷の威厳を維持するため、被告も、判事、検事、弁護人も、関係者も、 上着をぬぐわけこよ、 「ひどかった。本来ならスーツのうえに判事用のガウンを着るのだが、あのころはこっそり上着 は省略させてもらった。それでも、そでとすその長いガウンは厄介なしろもので、下半身はいっ も汗みずくだった」 肥満体のウェップ裁判長には、とりわけつらい日々であったらしい。その後の裁判長の " 活発 すぎる〃法廷運営ぶりにくらべて、おそらく当時は、ぬれる下半身を気にして、ウ = ツブ裁判長 も意気あがらぬ風情であった。『スターズ・アンド・ストライ。フス』紙の記事は、このような暑 へい東京の夏を迎えた法廷の模様を叙述したわけだが、同じく暑さに悩む被告たちの胸中は、同紙 台 言が形容するごとくに「無感動」でも無反応でもなかった。 儀登壇する証人の一人一人は、かって被告たちの上司であり、同僚であり、あるいは先輩であり、 帝後輩であり、友人、知人である。しかも、久しぶりにその声を聞く場は法廷である。わが身は被 皇 告席に坐り、相手は自分たちを訴追する検事側の証人として、証言している。 章 いられない。無表情に見えても、被告たちの細く開いた眼は証人の一言に光り、 無感動では、 胸底はその一句に波立っていたはずである。 197