ファーネス - みる会図書館


検索対象: 東京裁判 上
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1. 東京裁判 上

と感じたキーナン検事は、フ いち、ファーネスという名前さえも、ロにしていない。挑発か アーネス弁護人に関心はない、と断ったあとで、おし殺した声でいった。 「私は、裁判所が本問題を不必要に審理することにより、検事側を追いこめる真意ではないこと を、確信するものであります」 さすがに、ウェップ裁判長も、自身の " 勇み足〃に気づいたとみえ、ファーネス弁護人の名前 は証人が指摘した、そこで証人を退廷させてファーネス弁護人については白紙にすることを提案 す - る、といっこ。 「それでは、こういうことにしていただきたい。 ファーネス少佐の名前を削除するのは、検事側 立の申出によるものではなく、法廷側の意向によるのでもなく、また私が意見を発表したものでも のよ、、 と」 ン ナ ファーネス弁護人が進み出て、自分が証人に圧力を加えたようにとられるのは心外だ、と発言 キすると、キーナン検事は、一段と冷然とした口調で、つけ加えた。 ・フ 、と記録し 「いまひとつ、検事側としては、検事側は米国人弁護人をいささかも非難していない 工ていただきたい」 ウ = ツブ裁判長は、暗い眼つきでキーナン検事を見おろしたが、検事にはなにもいわず、証人 七に退廷を命ずると閉廷を宣言して、ドアの外に消えた。法廷が、呼吸をとり戻したようにざわめ眄 いたのは、さらにキーナン検事が憤懣もあらわに、足ふみならして立ち去ってからだが、キーナ

2. 東京裁判 上

いまは勝者となり、かっての勝者をさばくのである。偏見を抜きにした裁判は不可能であり、ゆ えに裁判は無効だ、とファーネス大尉は主張した。この〃マッカーサー元帥が敗北した戦い〃と いう表現をみた上官は、あわてて大尉に訂正を命じた。 「ファーネス大尉、陸軍刑法を読んでみろ。指揮官にたいする不敬な言葉使いも処罰の対象にな る。マッカーサー将軍は、自分が敗けたという表現を不敬とみなすだろうよ」 「それしや、敗け戦さといわずに、〃マッカーサー将軍の作戦が不成功に終った戦い〃とします」 ファーネス大尉も、軍人である。軍人としての規律に従う意味で、そう譲歩したが、裁判の不 公正を指摘することは、やめなかった。 東京裁判についても、だから、ファーネス大尉は、まっさきに裁判の公正さが維持されるかど うかに注目し、ウ = ツ。フ裁判長の存在に眼を光らせたのである。そして、大尉はもうひとつ、裁 判官忌避の根拠を示唆して、清瀬弁護人をいっそう歓喜させた。 「ソ連およびフランスの判事は、法廷の公用語である英語、日本語のいずれも理解しません。こ この二人も攻撃の対象になりますよ、ドクタ れでは審理をたどり、公正な判断はくたせない。 開廷前夜 五月二日、 132

3. 東京裁判 上

そえる結果をもたらしたものであった。 0 ファーネス大尉は、重光元外相の弁護を担任することになるが、初対面の挨拶が終ると、大尉 は、裁判開始にあたって、弁護団はどのような闘いを用意しているか、とたずねた。 清瀬弁護人は、妨訴抗弁書、すなわち裁判の管轄権にたいする異議申立書を用意している、と いった。英米法にもとづく法廷闘争としては、当然の手続きである。 ファーネス大尉は、結構たとうなずいたが、それ以外に " 弾丸〃はないと聞くと、 「ドクター清瀬、同じく初歩的な法廷闘争戦術ですが、ぜひ、裁判長ならびに判事の忌避申立て をやるべきです。裁判長ウェッ・フ氏については、本国のオーストラリアでも、その資格に疑問が 表明されていますー それは、と、小男だが闘志にあふれる清瀬弁護人が眼鏡をおしあげて説明を求めると、ファー ネス大尉は、まだ日本では知られていなかった「ウ = ツ・フ報告」を紹介した。 「なんと、それでは、彼はこと日本の戦争犯罪については、検察官をつとめたわけですか。検察 官が裁判官を兼ねることは許されない」 そのとおりだ、とファーネス大尉は答え、さらにポケットから新聞の切抜きをとりだした。三 ・モーニング・ヘラルド 』紙で、「判事、ウェップ任命に疑義を表明」 月二十二日付の『シドニー という見出しの下に、高等裁判所ブレナン判事の意見が掲載されている。 「 : : : サー・ウィリアム ( ウ = ップ ) は、これまで日本の残虐行為にかんする調査をおこない、

4. 東京裁判 上

その報告をオーストラリア、英国政府に提出している : : : そのサー・ウィリアムが、東京の第一 級戦犯法廷の裁判長をつとめるわけだが、諸外国ははたしてこの事態をどう考えるであろうか ? ここに、犯罪捜査を担当し、ある犯罪人の証拠集めにたずさわった刑事がいるとする。英国の 法廷は、この刑事を、同類の犯罪人を裁く判事に任命するであろうか ? この問題は、必ずや提起されるであろう。そして、そのさい、サー・ウィリアム・ウェップは 不快な立場におかれ、オーストラリアはスカ者扱いされるにちがいなく : ・ : 各国は、英国の法概 念にたいして嘲りの指をあげるであろう。 : ゆえに、私は、このときにあたり、わが国をことさらの侮辱から救うために警告を発する ものである」 要するに、ウェップ裁判長は不適任だから他の者と交代させよ、というのである。おどりあが 日 三つた、といえば誇張だが、清瀬弁護人はそれに似た動作で椅子から立ちあがると、喜色を満面に 月 五うかべて、ファーネス大尉の手をにぎった。 ファーネス大尉は、、 ト大学法学部出身で、ポストンとニュ ーヨークで弁護士をしてい 九た。祖国のために軍服は着たが、偏見を嫌い、公正を尊ぶ弁護士精神に変化はなかった。 本間裁判でも、ファーネス大尉は裁判の無効を主張した。本間中将は、太平洋戦争初期のフィ 章 四リビン ターン攻撃 ・。ハターン半島攻撃のさいの捕虜虐待、 " 死の行進〃の責任を問われたが、・ハ 第 戦は、マッカーサー元帥にとっては日本軍の包囲を危うく突破した敗け戦さである。その敗者が 131

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答えれば、その回答が裁判開始のベルとなる。 もちろん、二十八人全員が無罪と答えねばならぬ。五十五の訴囚のうち、一項でも有罪となれ ば、死刑を科せられることが予想されるからである。そこで、四月三十日から五月二日まで、弁 護人たちはいっせいに巣鴨に被告を訪ね、弁護についての打合せをするとともに、罪状認否には 必ず無罪と答えてほしい、と強調した。 おりから、五月一日は戦後はじめての「メーデーーである。東京も、各主要都市も、食糧難を 訴え、「米よこせ」と大書した。フラカードをかかげる市民の群で、騒然としていた。 弁護人たちも、食糧難を痛感していた。資金難でもあった。被告側から弁護料をうけた者、あ るいは軍人被告担任の場合は、旧陸海軍関係者の寄金をうけ、外交官その他文官被告担当者も、 それそれの機関、関係者から資金を提供される者もいたが、それでもほとんど生活苦にあえぐ状 日 三態であった。 月 五 だが、とにかく、あるいは被告との個人交誼のため、あるいは使命感に燃え、弁護人たちは、 年 六早朝の電車にのって巣鴨に行き、深夜の家路をたどる日をくり返して、準備を進めた。 ファーネス弁護人の知恵 章 四清瀬弁護人を、陸軍大尉・ファーネスが訪ねたのは、たしか、五月一日の午後である。そし 9 て、ファーネス大尉の訪問は、清瀬弁護人の眼を輝かしめ、東京裁判の開幕に劇的ないろどりを

6. 東京裁判 上

今度は、ウェップ裁判長の顔が紅潮した。「ミスター主席検察官」と、ウェッ・フ裁判長は上体 をのりだし、結局は、証人の信憑性を追及しているのではないのかというと、キーナン検事は、 そんなことはしていない、法廷速記録を「よく研究してくれ」と、反発した。ウェップ裁判長は、 「本審理に興奮したり議論したりする必要はないーと述べたが、裁判長も検事も、すでに興奮し きっている。ウェップ裁判長、キーナン検事はともに白髪だが、法廷は、この二人の主役が、と もに白髪をふり、赭顔をつきだして論争する姿にびつくりした。 キーナン検事は、森岡中将の宣誓供述書に書いてあることが真実かどうかを質問するのがなぜ 不審なのかといい ウェッ・フ裁判長は、それは証人の信憑性をただすことになる、それなら裁判 官の仕事た、とゆずらない。キーナン検事は、森岡中将に、出廷前にファーネス弁護人の部屋に 出かけた事情をたすねたが、木戸幸一被告弁護人ウィリアム・ローガンが関連性なしと異議を述 べると、いや、関連はある、森岡中将は宣誓供述書に署名してから法廷に出るまでの間に考えが と答えた。 変ったらしい、その理由を知りたい、 「事情は明白となった。すなわち、検事側は自身の証人の信憑性を追及している」と、すかさず ウェップ裁判長が口をはさんだ。「問題になるのは、ファ 1 、ネス少佐を譴責すべきかどうかであ ・ : もし、貴下が希望するなら調査を進める。その調査は裁判所がおこなうべきものである」 キーナン検事は、瞬時、ウェップ裁判長を凝視した。裁判長が自己の優位を確立しようとする 意図は、はっきりしているが、検事はファーネス弁護人の懲罰を要請したこともなければ、だ、 248

7. 東京裁判 上

らである。 が、つづいて発言した清瀬弁護人の言葉は、ウェップ裁判長の眠をつりあげさせた。清瀬弁護 っこ 0 人は、しナ 「いま直ちにそれを申し述べます。第三は、ウェップ卿はニューギニアにおける日本軍の不法行 為について調査された。それについて、オーストラリア政府にすでにその意見を報告されている 事実であります。これら三点について、いまウェッ・フ卿の要求にもとづき、少し説明を加えま だが、清瀬弁護人が説明を加える時間は与えられなかった。清瀬弁護人の言葉にくぎりがつく と同時に、ウェッ・フ裁判長は、声ふるわせて、まくしたてた。 「私は、私がニューギニアその他の地方においておこなった報告が、私が裁判長としてここに坐 日 しま、休憩を宣します。そして、適当と思うと 三ることに関係があるとは思いません。当法廷は、、 五きに再び開廷しますが、私はいま、あなたがいうことに関与することはできない。私としては : 法廷がこれをつづけても、立ち会うことはできない」 四 ・モーニング・ヘラル 九ウェップ裁判長も、ファーネス大尉が清瀬弁護人にみせた『シドニ ド』紙の記事は、承知していた。そして、近代法の常識として、被告と親族、恩怨関係にある者、 四あるいは事件の告発・起訴に関係した者は裁判官になれないことも知っている。 ウェップ裁判長としては、だから、最も痛いところをつかれたわけである。 155

8. 東京裁判 上

はことの意外な発展におどろき、ファーネス弁護人は、「検事と弁護人のケンカはふつうだが、 裁判長と検事の争議はめったにないショ 1 ですよ」と、うれしそうに手をこすり合せながら、重 光元外相にささやいた。 昼食後、英国代表検事コミンズ・カー、鈴木貞一被告弁護人マイケル・ロビン、そして清瀬弁 護人も加わって論議がつづけられたが、結局、オネト検事のフランス語使用は認められた。 結論が出たのが、すでに午後四時に近く、その日の審理はおしまいとなった。 ウェップ裁判長は、、 しうーーー「有能なるキーナン検事にただひとっ欠点があった。それは、マ ッカーサー元帥が日本管理の責任者であることから、法廷もアメリカの法廷と誤解し、裁判官席 立を飾り棚としかみなかったことだ」 の 前述のキーナン検事のウェップ評と比較すれば、二人はまったく同質の観察をしあっているこ ナとになる。それだけに感情の対立は根強く、ウ = ツブ裁判長とキーナン検事との間には、次のよ キうに最後まで冷やかな応酬がつづいた。 AJ 「ところで、検事側はオネト氏にこの段階を担当させるつもりでしような」 工「それは質問ですか、ご意見ですか」 ウ 「質問として扱っていただく」 七「では、イエス。これが検事側の意向であります」 「フム : : : 明朝九時半まで休廷ー

9. 東京裁判 上

いには負けたが、この法律を相手にしての戦いでは、勝とうと思っている。それなのに、平気で 勝者にくつついて味方を裏切るなど、つくづくこんな軍人がいては敗戦するのも当然たとなさけ なかった」 口をきくのもいやだ と、林弁護人は思ったのだが、田中少将にいだいた感情は、他の弁護 人も似たようなものであった。 田中少将にたいする反対訊問は、九日午後までつづけられ、その間、林弁護人のあとをうけて、 ・・ラザラス ( 畑俊六被告 ) 、山田半蔵 ( 板垣征四郎被告 ) 、太田金次郎 ( 土肥原賢二被告 ) 、岡本 敏男 ( 南次郎被告 ) 、三宅正太郎 ( 梅津美治郎被告 ) 、大原信一 ( 大川周明被告 ) 、 (..5 ・ファーネス ( 重 光葵被告 ) 、・クライマン ( 平沼騏一郎被告 ) 弁護人が質問したが、田中少将のあまりに検事お抱 え的な発言に釈然とできぬ面持で、数人はくり返し、少将の精神病歴と検事団協力のいきさつを、 たずねた。 ″田中台風〃の過きたあと 田中少将は、のちにも証言をおこなって話題をまくが、このように、その第一回目の登場で、 すでに法廷内外にショックを与えた。総司令部あるいは法廷気付で、少将にたいする脅迫状があ いつぎ、検事側は〃今井ハウス〃の警戒を強化するとともに、田中少将に厳重に外出禁止を指示 した。 210

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「世界の歴史がはじまって初めて、戦争製造者を罰する裁判がおこなわれつつある」ーーという ひとことである。だが、清瀬弁護人がいい終ると、ウェップ裁判長は、およそ関心を示し得ない という心情を露骨に顔にうかべて、さえぎった。 「トルーマン大統領がいったということは、本件についてなんらの関係がありませぬ」 「裁判長ツ」ーーと、さすがに温厚な清瀬弁護人も、がまんなりかねるとばかりに、ひたいの白 髪をふりあげて叫んた。関係がないとは、なんたることか。同じアメリカ大統領なのに、故人の ル 1 ズベルトの言葉は引用できても、現職のトルーマンの発言は無意味というのか。だいいち、 あらそう問題は裁判の法的根拠である。トル 1 マン大統領の言葉は、ニュールンベルク裁判を含 めて、戦犯裁判が未曽有のものであり、かって先例も、したがって、根拠となる法も存在しない ことを、明示したものではないか。たが トルーマン大統領はポッダム宣言を 死「裁判長は、内容を、お読みになったのでありましようか。 人 ・ : 」。訴え、せまる清瀬弁護人の言葉は、「討論は本件をもって終結致します」というウェップ 毅裁判長の声で、切り捨てられた。 田 広 父への目礼 章 五広田弘毅夫人静子は、五月十四日午後、巣鴨拘置所を訪ねた。 この日の法廷では、米人弁護人ブレイクニー少佐、ファーネス大尉、ジョージ山岡の三人が、 173