清瀬弁護人は、裁判が進むにつれてますます時間の必要を痛感していた。弁護人側の準備は、 検事側にくらべて大差がある。できるだけ検事側のアナをつき、審理をひきのばして時間かせぎ をしなければならぬが、それには事前に検事側の手のうちを知り、スキを知ることが有利である。 森岡中将事件は、中将の帰国を検事側が見逃したスキを利用した。ウェップ裁判長とキーナン 検事との対立がからんで、中将を検事側証人として失格させることができた。 米ソ両陣営の冷たい対立を思えば、ソ連側の間隙を攻めることは、極めて有効な結果を期待で きるのだが、清瀬弁護人の耳には、わずかにフランス関係の材料が聞えてきたたけであった。 フランス検事が母国語使用を強調していて、フランス語通訳が不足する法廷を困惑させている、 という。 利用の対象にはなる。裁判所条例には、法廷用語は日英語と指定されている。かって裁判官忌 避を計画したさい、同じく日英語を理解しないソ連判事とともにフランス判事を目標にするつも りだった。だから、フランス語は条例違反たと異議を申し立てることは可能たが、通訳方法が整 備されればことはすむ。 ことはが大きな障害に だが、九月三十日、フランス代表検事ロべール・オネトが、フランス語で論告をはじめたとき、 ふと気が変って清瀬弁護人が異議を述べると、法廷には意想外の波乱が現出することになった。
ソ連側に没収された、と伝えられる。 草場中将の死は、被告たち、とくに軍人たちに不安を与えた。ソ連側が「一服盛った」という 噂が流れたが、これは無根であろう。非協力とわかった場合でも、ソ連に返せばすむ。殺す必要 はないはずだからである。虜囚として法廷に身をさらすことを恥じたか。故国での死を企図して いたのか。あるいは法廷での追及またはソ連側の圧迫を避けようとしたのか 、中将の死といし ソ連の手 草場中将の死をめぐるナゾは深いが、皇帝溥儀の " 狂態〃といし 中にある証人が示す異常は、そのまま、やがて開始されるソ連関係の展開の無気味さを予告して いるように思えるのである。 立 この時期になると、弁護団の活動も軌道にのり、検事側の準備についても、しばしば事前に情 対 の報を得ることができるようになった。重光元外相が、駐英大使時代の外務省宛電報が提出される ナという知らせをファーネス弁護人から聞いたのは、その一例である。 キ また、鈴木貞一元企画院総裁は、東郷元外相が供述書の中で、「鈴木、星野が戦争を主張し、 A 」 ・フ永野軍令部総長の真珠湾攻撃に鈴木が同意した。大東亜省は鈴木、及川 ( 元海相 ) がつくった」 = などと述べていると聞き、散歩のさい、東郷元外相に問い訊している。 しかし、ことソ連側の立証準備にかんしては、かすかな気配さえも、かぎとれなかった。草場 章 七中将の死は、被告と同時に、弁護団にも漠然とした不吉感を与えた。清瀬弁護人は、とくにソ連 側の用意探知に嗅覚を働かせたが、効果はなかった。 255
と感じたキーナン検事は、フ いち、ファーネスという名前さえも、ロにしていない。挑発か アーネス弁護人に関心はない、と断ったあとで、おし殺した声でいった。 「私は、裁判所が本問題を不必要に審理することにより、検事側を追いこめる真意ではないこと を、確信するものであります」 さすがに、ウェップ裁判長も、自身の " 勇み足〃に気づいたとみえ、ファーネス弁護人の名前 は証人が指摘した、そこで証人を退廷させてファーネス弁護人については白紙にすることを提案 す - る、といっこ。 「それでは、こういうことにしていただきたい。 ファーネス少佐の名前を削除するのは、検事側 立の申出によるものではなく、法廷側の意向によるのでもなく、また私が意見を発表したものでも のよ、、 と」 ン ナ ファーネス弁護人が進み出て、自分が証人に圧力を加えたようにとられるのは心外だ、と発言 キすると、キーナン検事は、一段と冷然とした口調で、つけ加えた。 ・フ 、と記録し 「いまひとつ、検事側としては、検事側は米国人弁護人をいささかも非難していない 工ていただきたい」 ウ = ツブ裁判長は、暗い眼つきでキーナン検事を見おろしたが、検事にはなにもいわず、証人 七に退廷を命ずると閉廷を宣言して、ドアの外に消えた。法廷が、呼吸をとり戻したようにざわめ眄 いたのは、さらにキーナン検事が憤懣もあらわに、足ふみならして立ち去ってからだが、キーナ
ついて、・フラインズ記者の質問に応答しているが、首相宮が「真珠湾を忘れてほしい」と訴えた については、理由があった。東条大将の自殺未遂は、東久邇宮内閣にもショックを与えた。事件 の翌日、九月十二日朝、内閣は緊急閣議を開き、戦争犯罪人の処置について協議した。米軍側に まかせるか、それとも、どうせ断罪が避けられないとすれば、日本側で審理して黒白を判定した あとで、引き渡すなり拒否するなりすべきではないのか : 結論は、自主裁判論におちついた。おそらくは、日本の事情をよく知らぬ相手にゆだねては、 一方的な勝者の裁きをうけるかもしれず、また、日本側で処罰しておけば、そのうえの裁判がお こなわれても、苛酷な量刑はまぬがれるだろう、と考えられたからである。 だが、東久邇宮首相が参内して報告すると、天皇は反対した。 「敵側の所謂戦争犯罪人、殊に所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を 天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地はなきや」 義 定と、木戸孝一内大臣は、天皇の言葉を記録しているが、木戸内大臣自身も、自主裁判の構想に 罪は反対であった。 争「どうして、あんな考えが出てきたのか、ボクにはフにおちなかったな。天皇の名で戦争をして、 こんどは天皇の名で裁くというのは、当時の機構では不可能だ。それに、やるとなれば、どうせ、 章 二なんだかんだと、一種の国民裁判になる。共産主義者が出てくるだろうし、そんな互いに血で血 を洗うような裁判を、天皇の名でやるというのは、賛成できないね」
ウォーレン弁護人の仕事は、当然、この検事側の主張を打破することになるが、ウォーレン弁 護人は、マクマナス弁護人の話から、皇帝溥儀を証人にひきだすことを思いついた。土肥原大将 は、「溥儀王子は、喜んで満州国皇帝になった」といっている。皇帝の証言こそ、大将にとって 最良の弁護となるはずである。 だが、皇帝溥儀ーーー英語の呼び名ヘンリー の所在は不明である。太平洋戦争 の終末期、ソ連軍が満月 ! ョこ進入していらい、消息はとだえている。ソ連のどこか、たぶんモスク ワに抑留されているらしいとのことだが、正確にはわからない。 ウォーレン弁護人は、第一ホテルの。ハーで辛抱強く英話を話すソ連人将校を待ち、顔なじみの 一人があらわれると、ウイスキーグラスをにぎらせて、たずねた。 「ときに、ヘンリー ・イーはホンコンにいるそうだね」 へ 「え、それじゃ、彼はいっ満州から移ったのだろう ? 」 台 さりげないウォーレン弁護人の質問に、ソ連人将校もさりげなく首をひねった。ウォーレン弁 儀護人は、ごく初歩的な誘導訊問が成功した喜びをかくすために、大急ぎでグラスをあおった。 帝皇帝溥儀は、満州にいるらしい。その証人喚問はマッカーサー総司令部を通じて、ソ連側と交 渉しなければならないが、かりにも一国の皇帝が国際裁判に出廷するのは、未曽有の事例である。 章 しかも、弁護人側の証人となれば、検事側にたいしても最も効果的な登場をはからねばならな巧 第 い。作戦が必要だ と、ウォーレン弁護人は思案した。
キーナン検事は、森岡中将に、宣誓供述書に署名するとき、よく内容を理解かっ確認したか、 と質問した。キーナン検事としては、森岡中将が事前に弁護人側と打合せをすませている、とみ ている。しかし、森岡中将を追及して偽証ときめつけるのは、まずい。森岡中将は検事側の証人 である。もし中将が処罰の対象になれば、今後検事側の証人の入手は絶望となるにちがいないか らである。キーナン検事は、そこで、森岡中将が法廷で述べた証言の効力を失わせることをもく ろんだ。質間にたいする回答が、イエスであれば、供述書と食い違う証言は無効果となるし、署 名したときはそうだろうと思ったが、弁護人に注意されて思い直したという発言が得られれば、 これまた誘導による証言として葬ることができる。 立ところが、ウェップ裁判長は、キーナン検事が自分の証人を攻撃していると思い、証人を敵性 の者として扱うのか、と検事に質問した。違う、と検事が答えると、 ナ「オーストラリアの裁判所、ならびに英帝国内の裁判所においては、証人が敵性であるか否かの キ問題をきめるのは、法廷である。裁判所でありますー ・フ キーナン検事の顔面と頸に、血液が集中した。検事は、声をはりあげた。 「私は、それは証人を出廷させた当事者が問題にすべきものと考えます。アメリカの法廷ではそ ウ ういうことになっております」 章 七「アメリカ」 ( ザ・ユナイテッド・スティッ ) という単語に、とくにアクセントを強めて、キ 1 ナン 7 検事はいった。
日本とタイとの間に戦争はなく、したがって戦争 本の同盟国であり、連合国側の存在ではない。 犯罪もあり得ない : 清瀬弁護人は、イヤホーンをかけ、陳述台にのびあがるようにして、じゅんじゅんと論じたて たが、弁舌が進むにつれて熱意が高まり、ついにはメガネをはずし、左コプシで陳述台をたたい て、説いた。 検事側も、興奮した。 キーナン検事は、清瀬弁護人の弁論が終らないうちからわりこみ、異議をわめきたてていたが、 休憩後に陳述台に歩みよると、文字どおりに頭頂から猪首の根もとまでまっ赤に充血させて、反 ばくした。おそらく、キーナン検事は、よほど日本側の抗弁をこしやくと感じていたとみえ、そ の発言は、次のように激越かっ感情的なものとなった。 「 ( 判事、検事団に代表される ) 十一カ国は今までの侵略戦争により多くの資源を失い、また非常な 人的損失をしておりますが、この十一カ国がこの野蛮行為および掠奪行為にたいして責任を有し ている者を、罰することはできないのでありましようか」 「 ( 「平和に対する罪」は戦争犯罪にあらず、という清瀬弁護人の主張にたいして ) それでは、一人あるい は一団体の人物が、多数の人間がいる建物にガソリンおよび火薬をまき、物置に石油にひたした ポロ布をつめ、戸口にたきぎをつみ重ね、窓を釘づけにしたうえで、彼らの支配下にある責任が よ また、抵抗できない個人に火をつけタイマツを渡して、さあ、やれと命令しても罪にはな 170
この日の法廷は、午後三時で休廷を予定されていた。昼食のための休憩一時間半を除くと、証 言時間は正味約一一時間であった。証言は、旅順で板垣関東軍高級参謀の来訪をうけ、満州国新政 権の領袖になることを求められたところまでで終った。 皇帝溥儀は、白扇で証言台をたたき、肩をすくめ、眼鏡をおさえ、ひたいにたれる頭髪をふつ て、板垣参謀が「拒絶すれば断乎たる手段をとる」と脅迫したので、「やむをえず屈伏した」と、 述べた。 被告席の星野直樹は眼をそらし、板垣被告はロヒゲを苦笑にゆがめて、退廷する皇帝溥儀を見 送った。皇帝溥儀がなにを法廷でいおうとしているのか、その心底がわかる思いであったからで ある。重光元外相も、その夜、日誌に記録した。 それん 「憐むべし。彼は蘇聯の俘虜として死命を制せられ、更に支那側の処刑より免れんことをも工夫 し居るものの如く、総ての非を日本側に帰せしむるを、最も安全なる策と考へ居るものの如し。 ごう いえど 曽って満州皇帝として、小なりと雖も、新京の王宮に起居せるものの気品風貌は毫も認むるこ とを得ず。総ては日本側の脅迫詐欺に依らざるなき点に付、技巧を弄す」 「脅迫されて皇帝に就任した」 重光元外相がこころみた、この皇帝溥儀の心理分析は的確であった。 二日間をおいて、八月十九日に再開された法廷でも、皇帝溥儀はヒステリックにわが身の悲境 222
「七月二日、第二十二回裁判。岡田啓介証言ニ立ツ。供述書ハ国賊的ノモノナリ。東洋ノ道ヲ知 ラズ」 「七月三日、第二十三回裁判。岡田氏証言。他国ノ裁ク法廷ニ検事ノ証人トナル人ガ、曽テ首相 タリシ処ニ国運衰弱ノ根元存セリ。何ヲカ日ハンヤ」 と、元企画院総裁鈴木貞一はその " 感動〃の一端を日誌に記述している。 岡田元首相は海軍大将、そして鈴木被告は陸軍中将でもある。同じく元首相の証人若槻氏には いかにも陸軍軍人らしい情感の動きといえる。 ふれず、あえて岡田氏に憤懣の意を表明するのは、 だが、米国独立記念日 ( 七月四日 ) を休廷にしたあと、七月五日、第二十四回裁判が開か しっせいに不快と不満に身をふるわせる れると、被告席は、陸海軍、政、官界出身の区別なく、、 事態に直面することになった。 検事側に″協力〃する田中隆吉 七月五日 法廷は午前九時半に、・、 ノミーター大尉の号令で開廷された。傍聴席は、いたって閑散として 岡田啓介証人にたいする弁護人側の補足質問、つづいて「木戸日記」の抜萃 ( 昭和六年 ) を検 事側が証拠として提出したあと、証人席に陸軍少将田中隆吉が呼ばれた。 198
いれられない場合は、ソ連は裁判に参加しないかもしれぬ、と述べた。キーナン検事は、マッカ 1 サー元帥に相談した。元帥は怒気をあらわに眉をしかめた。 「ソ連のなじみのやり方だ。対日参戦もそうだったが、ギリギリのときに出てきて獲物をほしが しかし、ソ連不参加の開廷は、連合国による裁判という体裁を保っためには、絶対に避けねば ならない。マッカーサー元帥は、変更を認めた。 ソ連側は、元首相阿部信行陸軍大将、真崎甚三郎陸軍大将をはずして、重光、梅津を加えるこ とを提案し、キーナン検事も承知した。 梅津大将、重光元外相にたいする逮捕指令は、四月一一十七日に発せられた。梅津大将はさっそ く、元関東軍副長池田純久中将に弁護を依頼した。まさか戦犯容疑をうけるとは夢想できず、三 月には、池田中将を訪ねて、顔の広い池田中将に、「なんとかメシがくえる職を探してもらいた 達い」と頼んだばかりであった。 の池田中将も、当惑した。考えてみれば、中将自身にしても戦犯容疑に問われないとはいえない。 諏弁護をひきうけて、裁判の途中で逮捕されては、かえって梅津大将に迷惑がおよぶというもので ある。池田中将は、米人弁護人・ブレイクニーを通じて、検事側の意向を打診した。返答は、 章 三「米国側としては大丈夫だが、ソ連は警戒したほうがよい」 池田中将は、「ソ連がやかましくいってきたら、米国に亡命させてくれるか」とたずね、「ひき