東久邇宮 - みる会図書館


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1. 東京裁判 上

揺ぐ終戦処理内閣 「首相宮、米人特派員の質問書に、御自ら御返事」 昭和二十年九月十六日付の『朝日新聞』の第一面トツ。フの見出しである。通信東京支局長 ラッセル・・フラインズの書簡による質問に、首相東久邇宮が回答した内容を伝える記事だが、東 フラインズの質問に答える前に、次のような〃米国民への呼びかけ〃を声明した。 久邇宮首相は、。 「米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか。われわれ日本人も、原子爆弾による惨害を忘 れよう。そして、全く新しい、平和的国家として出発しよう。米国は勝ち、日本は負けた。戦争 は終った。互いににくしみを去ろう」 東久邇宮首相は、そのあと、今後の日本国家の進路、戦争の敗因、軍国主義の再興防止などに 第二章戦争犯罪の定義

2. 東京裁判 上

木戸内大臣は、東久邇宮首相、下村定陸相、米内光政海相、重光葵外相、近衛文營公爵と協議 したが、内閣側は、国民裁判にはならぬといし 、天皇に拝謁して自主裁判の許可を得た。そして、 その後の戦犯容疑者の相次ぐ自決に遭遇して、ますます自主裁判の必要が痛感された。東久邇宮 首相は、九月十八日、首相官邸で開かれた外人記者団との会見でも、捕虜虐待その他の戦争犯罪 人は、連合国の指示を待たずに、日本側で処断する旨を、強調した。 だが、この東久邇宮政府の姿勢は、マッカーサー総司令部にとって、不満であった。マッカー サー元帥は、すでに日本政府の施策のなまぬるさを不快としていたが、九月十五日、一時停止し ー大佐 ( 民間 ソープ准将の部下である・フー ていた同盟通信社の業務再開を許可するさい 検閲主任 ) を通じて、次のような声明を発表していた。 「マッカーサー元帥は、連合国はいかなる点においても、日本国と連合国を平等とみなさないこ とを、日本が明確に理解するよう希望する。日本は文明諸国間に地位を占める権利を認められて 。敗北せる敵である」 ところが、その直後に、真珠湾を忘れてくれ、という東久邇宮首相の発言であり、戦犯の自主 裁判という発表である。 マッカーサー元帥が、ソー。フ准将に " 政治的戦争犯罪人〃リストの公表を中止させたのは、容 疑者の自決を懸念したためであるが、日本側に戦犯裁判をまかせるつもりはない。 ソープ准将の リスト作りは中断することなく、戦争法規違反と虐待の罪を問う通常の戦犯裁判についても、カ

3. 東京裁判 上

これくらい、幅これくらい、とむこうの指示にしたがって、そろえました」 紀藤の回想によれば、一種の突貫工事で、これは何時間、これは何日までといった調子であっ た。監督の米兵が非礼な態度をとることはなく、ときには食堂から残飯をはこんで労務者に提供 してくれたりしたが、机にイヤホーンをつける設備など、それまでに聞いたこともない仕事をい いつけられることが多いので、とまどった。 「戦犯裁判をやるためだ、ということはわかったが、だからといって特別の感想もなかった。と にかく、命令のままに夢中でやった」 だから、現場にいた紀藤も、被告席の数、工事完成の期日などの記憶はない。・ しっさいには、 当時、後述するように被告席は一一十五人分、工事完成日は三月十五日をメドとされていたが、裁 判開始はおくれた。 清瀬弁護人の決意 おくれた主な理由は、ソ連判・検事団の到着がのびたためだが、弁護団の結成もはかどらなか もともと、戦犯とくに << 級戦犯については、日本政府は一応の対処方針をきめていた。東久邇 宮内閣時代のことである。既述したように、東久邇宮内閣では、終戦直後の九月十二日、戦争犯 罪人は日本側で処罰する決定をした。連合国側の一方的な裁判を避けるとともに、できるだけ裁 っこ 0 8

4. 東京裁判 上

ついて、・フラインズ記者の質問に応答しているが、首相宮が「真珠湾を忘れてほしい」と訴えた については、理由があった。東条大将の自殺未遂は、東久邇宮内閣にもショックを与えた。事件 の翌日、九月十二日朝、内閣は緊急閣議を開き、戦争犯罪人の処置について協議した。米軍側に まかせるか、それとも、どうせ断罪が避けられないとすれば、日本側で審理して黒白を判定した あとで、引き渡すなり拒否するなりすべきではないのか : 結論は、自主裁判論におちついた。おそらくは、日本の事情をよく知らぬ相手にゆだねては、 一方的な勝者の裁きをうけるかもしれず、また、日本側で処罰しておけば、そのうえの裁判がお こなわれても、苛酷な量刑はまぬがれるだろう、と考えられたからである。 だが、東久邇宮首相が参内して報告すると、天皇は反対した。 「敵側の所謂戦争犯罪人、殊に所謂責任者は何れも嘗ては只管忠誠を尽したる人々なるに、之を 天皇の名に於て処断するは不忍ところなる故、再考の余地はなきや」 義 定と、木戸孝一内大臣は、天皇の言葉を記録しているが、木戸内大臣自身も、自主裁判の構想に 罪は反対であった。 争「どうして、あんな考えが出てきたのか、ボクにはフにおちなかったな。天皇の名で戦争をして、 こんどは天皇の名で裁くというのは、当時の機構では不可能だ。それに、やるとなれば、どうせ、 章 二なんだかんだと、一種の国民裁判になる。共産主義者が出てくるだろうし、そんな互いに血で血 を洗うような裁判を、天皇の名でやるというのは、賛成できないね」

5. 東京裁判 上

日午後六時、ダイク准将を通じて、「政治犯人の即時釈放、思想警察その他一切の類似機関の廃 止、内務大臣その他警察関係首脳部と全国の関係官史の罷免、市民の自由を弾圧する一切の法規 の廃止乃至は停止」の指令を、日本政府に発した。 ほんの五日前、東久邇宮首相がマッカーサー元帥に、不適当な閣僚はいないかとたずねたとき、 一兀帥は、 いないと答えている。それなのに内相罷免をふくむ指令をだすのは、内閣にたいする不 信の表明であろう。 東久邇宮は、うらぎられた想いをかみしめつつ、五日、内閣の辞表を天皇に捧呈した。 後継首班は、元外相幣原喜重郎男爵である。幣原首相は、吉田茂外相の強い推薦で実現した。 幣原男爵は、外相官邸を組閣本部として、閣僚の選考を開始したが、戦争犯罪人の指名をうけ る可能性のある戦争責任者は排除することを、基本方針とした。 では、そのような戦争責任者とは何者か。 義 定 二日後、十月八日午後、ソー。フ准将は、。 カロウ = イ中佐が持参した『朝日新聞』の英訳記 の 罪事に興味をこめた眼を走らせた。 争十月一日現在で、ソー。フ准将の " 政治的戦争犯罪人〃名簿には、四百人をこえる人名が記入さ れていた。整理しては、ワシントンに打電するが、人選に誤りがないかどうかについては、 : 二んとして確信は持てなかった。幣原男爵すなわち日本側が、戦争責任者の定義を下し、ついでに リストでも発表してくれたら、大いに助かるというものである。

6. 東京裁判 上

当然、手持ちのスタッフの中から適当な人材を選び、ワシントンからの供給は極度におさえるこ とになるが、ホイットニー准将は、自身が最重要な地位を得たいと望んでいたのである。 そこで、ホイットニー准将は、マッカーサー元帥の言葉を自己流に解釈して、 「同感であります、閣下。そのためには、一日も早く、わが司令部の体制を整備するのが、最善 の手段でありましよう」 と述べたが、元帥は、ちらと准将を眺めただけで、こんどは誰にともなくつぶやいた。 「師団が降伏するときは、師団長が自分の武器を持参して意思表示をするのが、慣習だ。日本も 同じだろう」 それ以上はなにもいわず、ひとしきり、ホイットニー准将の総司令部組織に関するおしゃべり がつづいて、昼食会は終った。そして、そのまま一同は車にむかって歩きだしたが、マッシ 1 、 ー大佐は、ソープ准将に近づいた。 定「将軍、マッカーサー元帥は天皇が挨拶にくることを期待しておられるようですがー 犯 争 ソー。フ准将は、けげんな表情で大佐を見つめたが、二、三秒後には、指をならして同意した。 戦 天皇は、日本人にとっては神である。この世の誰よりも偉い存在である。天皇のほうから他人 章 二を訪問したことは、一度もない。 日本人に敗北の認識が不足しているとしても、もし天皇がマッ カーサー元帥に敬意を表すれば、事情は一変するだろう。東久邇宮首相は皇族だから、より一段

7. 東京裁判 上

館に住むためである。そのあと、帝国ホテルで昼食ののち、午後一時、司令部に予定された日比 谷交差点の第一生命ビルを視察して、横浜に帰った。「ニュー・グランド・ホテル」に戻ると、 元帥は、ホイットニー准将を呼び、厳しい表情で、いった。 「コート。私の住居もオフィスもきまった。あとは仕事をはじめるだけだが、その前にひとつ、 やっておきたい」 「日本政府にたいする警告が必要だとは、思えないかね」 ホイットニー准将は、うなずいた。マッカーサー元帥の意向は理解できた。日本進駐後十日間 を経たが、ホイットニー准将の眼にも、日本政府には事態にたいする認識が不足しているように 思えた。終戦とともに、日本政府の首班は、東久邇宮稔彦大将になっていたが、その施策は連合 国にとっては、至ってなまぬるいものであった。 日本政府は、。、 ホッダム宣言の規定を履行することを約束して降伏した。マッカーサ 1 元帥は、 自そのポッダム宣言を日本政府に実行させるために、やってきた。そして、ポッダム宣言は、日本 条に、軍隊の解体、民主主義社会体制の確立、言論、宗教、思想の自由と人権の尊重、軍需産業の 禁止、平和的かっ責任ある政府の樹立などを要求している。 章 マッカーサー一兀帥は、これらの目標をできるだけ早く成就するために、短期間の軍政を考えて 第 いたが、九月三日、重光葵外相の要請に応じて、占領行政は日本政府を通しておこなうことにし

8. 東京裁判 上

東久邇宮内閣も、戦犯の自主裁判を主張していたが、主に戦争法規違反者を考えていた。そし て作業も軌道にのらぬうちに総辞職した。しかし、幣原男爵の場合は、閣僚選考にあたっての戦 犯者排除たから、対象はまさにソー。フ准将が探す " 政治的戦争犯罪人〃である。だが、「戦争責 任者の解釈」という訳文の項目に眼をすえた准将は、一読、がっかりした。求めるリストはなく、 ただ組閣本部の見解が述べられていた。 「戦争責任者とは、戦争をはじめることに賛成した者であって、いったん宣戦の大詔が渙発せら れた以上は、戦争完遂に努力するのが日本国民の道である : : : 」 そのあと、とくに軍人の場合は、その人が「連合艦隊司令長官をやっても、軍令部総長であっ ても」問題にはならぬ、とつけ加えられていた。海軍軍人だけを意識している : : : と気づいたソ ー。フ准将は、閣僚候補名簿に軍令部総長豊田副武海軍大将の名前を発見して、苦笑した。豊田大 将は、前連合艦隊司令長官でもある。そして、ソー。フ准将のリストには、はやばやと大将の名前 は記入してある。日本側は知らないだろうが、組閣本部の戦争責任者声明は、まるで豊田大将を かばうためのもののような気がしたからである。 三つの戦争犯罪 豊田大将は、海軍大臣候補からはずされた。吉田外相が候補者名簿を持参すると、ソー。フ准将 の通告をうけたサザーランド参謀長は、戦犯候補とはいわなかったが、ふくみをもたせた表現で

9. 東京裁判 上

ーベンター大佐の法務部で作業は進められている。 マッカーサー元帥は、東久邇宮首相の記者会見の数日後、数人の幕僚を宿舎アメリカ大使館に っこ 0 呼び、昼食をとりながら、さりげなく、 「われわれの占領政策をスムーズに実行するには、日本人がわれわれに心底から服従することが 大切だが、それには、日本人がなっとくするやり方があるような気がする」 「元帥は天皇に来いといっているのだ」 マッカーサー元帥の食卓には、ホイットニー准将、ソー。フ准将、ケン・ダイク准将のほか、元 帥の高級副官ポナー ー大佐が同席 ・フェラーズ准将、ソープ准将の部下のシドニー していた。マッシ二ハー大佐の陪席は、異例であった。元帥は、ほとんどの場合、少数の高級幕 僚以外とはロもきかない。 一介の大佐風情では、昼食はむろんのこと、朝食前のジ = ースの相伴 義 定にもあずかれないのが、ふつうである。この日は、しかし、元帥はソープ准将に、日本語がわか 罪り、それだけ日本人の心理も理解している将校を連れてくるよう指令していた。 争マッシュバー大佐によれば、マッカーサー元帥の発言にたいして、一同は、しばらくはなんの 反応も示さなかった。ホイットニー准将は、しきりに話題を総司令部の組織問題に移したがって 章 いた。問題は、誰が占領行政の責任を負うか、であった。マッカーサー元帥は、日本の降伏は少 第 なくとも日本本土での一戦ののちと予想していた。そうなれば、降伏後の日本は軍政下におかれ

10. 東京裁判 上

にて謹写」と、添書きされているが、むろん、謹写したのは日本人力メラマンではなく、米軍宣 伝班の軍曹であった。そして、この写真に、ほとんどの日本国民は衝撃をうけた。天皇の写真は、 それまでニュース映画や特定の場合以外は、全身像をみることはなかった。たいていは、半身像、 それも第一種軍装の「御真影」である。 ところが、新聞に発表された天皇の写真は、モーニング姿。しかも、きちんと直立する天皇の 横に、ノーネクタイ、開襟の略装のマッカーサー元帥が、腰に両手をあてて聳えたっている。威 厳よりも、むしろ、柔かみに満ちた天皇の表情に、あらためて敬愛の念を深める者もいたはずで あり、また、はじめて天皇の全身像に接して、天皇が意外に短身であることに驚いた者、あるい はマッカーサ 1 元帥の気楽なポーズを無礼と感ずる多くの国民もいたろうが、共通していたのは、 どうしようもない「敗けた」という想いであったにちがいない。そういった心情の効果によるも のか、それまで宮城前になお戦争努力の足りなかったのをわびるように平伏していた男女の姿は、 定次第にその数を減らしていった。その意味では、マッカーサー元帥の " 心理作戦〃は成果をあげ 罪たといえるが、肝心の日本政府に与えた効果は疑問視せざるを得なかった。 争天皇とマッカーサ ] 元帥との会見の二日後、東久邇宮首相は元帥を訪ねたが、そのさい、首相 は、自分は「封建的遺物」である皇族であるので民主化を進める政治指導者には不適当ではない 章 オしか、とたずねたからである。 二のか、また内閣の政策、閣僚に不満はよ、 元帥は同席の参謀長サザ 1 ランド少将と、顔を見合せた。首相には、その質問のいずれにも消