ぎる。これでは、自決にたいする防止策もなく、場合によっては脱走の危険すらある。 ウィリアムズ中佐は、整備中の東京最大の刑務所、巣鴨拘置所の準備を急ぎ、できるだけ早く 戦犯容疑者を巣鴨に移す必要がある、とカーベンター大佐に進言した。 急ビッチの開廷準備 十月二十日、カーベンター大佐は通信記者に、日本の戦争裁判の見通しについて語った。 「東京における戦争犯罪人の裁判は、今後少なくとも一一年間はつづくだろう。皇室の人々といえ ども、この裁判から除外されない。天皇については、今までのところでは、個人としては調査さ れていないが、行きつくところまで調査は進められよう。調査は、真珠湾事件当時をはるかにさ 。準備は予想以上に進捗しており、 かの・ほり、支那事変またはパネー号事件当時にまで及・ほう : 裁判は一カ月以内に開始されるだろう」 義 定 という個所は、 このカーベンター大佐の言明、とくに天皇も戦犯に指名されるかもしれない、 の 罪あらためて日本国内に天皇の戦争責任、天皇匍についての論議をかきたてた。しかし、大佐の談 争話は、すべて大佐個人のあて推量で、根拠はなにもなかった。大佐は、記者会見に応ずるさい、 「これはまったくの個人的見解たが」と断ったが、電報には、その言葉がぬかされてしまった。 章 二天皇にかんするものは、ソー。フ准将のリストに皇族の名前がならんでいたので、あるいは天皇ま でおよぶのか、と想像しただけであり、〃一カ月以内〃の裁判開始は、「なにもかも準備が進まず、
別表 各交戦国に対する戦争の開始 ☆平和に対する罪 中華民国に対する満州事変開始 < 戦争遂行計画の包括 中華民国に対する支那事変開始 1 一九二八 ~ 四五に於ける戦争に対する共通の計画謀議加 米国に対する大東亜戦争開始 2 同満州事変 2 比島に対する大東亜戦争開始 3 同支那事変 英国に対する大東亜戦争開始 4 同大東亜戦争 北部仏印進駐による対仏国戦争開始 5 同日独伊三国同盟 「タイ」国に対する大東亜戦争開始 各交戦国毎の戦争の計画準備 「ソヴィエト」に対する張鼓峰事件開始 6 中華民国に対する戦争の計画準備 % 「ノモンハン」事件発生に依る国際条約協定違反 7 米国に対する戦争の計画準備 各交戦国に対する戦争の遂行 8 英国に対する戦争の計画準備 満州事変以後の対中華民国戦争遂行 9 濠州に対する戦争の計画準備 支那事変以後の対中華民国戦争遂行 四米国に対する大東亜戦争遂行 「ニュージーランド」に対する戦争の計画準備 Ⅱ加奈陀に対する戦争の計画準備 比島に対する大東亜戦争遂行 2 印度に対する戦争の計画準備 英国に対する大東亜戦争遂行 比島に対する戦争の計画準備 「オランダ」に対する大東亜戦争遂行 「オランダ」に対する戦争の計画準備 北部仏印進駐以後に於けるフランス戦争遂行 「フランス」に対する戦争の計画準備 「タイ」国に対する大東亜戦争遂行 6 「タイ」国に対する戦争の計画準備 「ソヴィエト」に対する張鼓峰事件の遂行 「ソヴィエト」に対する戦争の計画準備 「ソヴィエト」及蒙古に対する「ノモンハン」事件の遂行 120
がら " 戦犯選び〃をしている。いかにも無定見をばくろした仕事ぶりと、カ 1 ペンター大佐は感 じたのだが、国際軍事裁判所条例を読んでからは、大佐の考えは、一変した。 「平和に対する罪」は戦争の準備、計画、実施の参画者を対象にしているが、この罪だけでも、 複雑な近代国家機構を考えれば、厖大な戦犯者が期待できる。 とても百人単位ではすむまい。 裁判となれば、全員を一時に審理することはないから、スモウ・レスリング会場うんぬんは冗 談にとどまるが、容疑者を収容する施設は、早目に準備せねばなるまい。それも、一カ所では間 に合わないかもしれぬ。 カーベンター大佐は、法務課長ジャスティン・ウィリアムズ中佐を呼び、東京周辺の全刑務所 の調査を命じた。 ウィリアムズ中佐の進言 そのころ、東条大将とともに第一次逮捕をうけた嶋田繁太郎海軍大将、賀屋興宣元蔵相た ち二十一人は、大森の旧陸軍捕虜収容所にいた。十月五日に横浜刑務所から移され、東条大将も 七日夜には、米陸軍病院から送られてきた。 五日午前九時半、賀屋元蔵相らは大型トラックにのせられ、横浜刑務所を出たが、その日は、 冷雨が降っていた。トラックは鶴見、川崎を経て大森に入ったが、車上から眺める景色は、赤茶
政策」にも、次のように述べられている。 「最高司令官または適当な連合国機関によって戦争犯罪人として告発された者 ( 連合国将兵または その国民を虐待した廉によって告発された者を含む ) は逮捕され、裁判に付され、有罪の判決があっ たときは処罰される : : : 」 したがって、やがて連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の権限によって、日本の戦犯裁判が おこなわれるべきではあるが、それにはよほどの準備が必要である。判事・検事・弁護人の任命、 法廷の設定、そしてなによりも裁判運営のための訴訟手続きの策定など : : : 。弁護士出身だけに、 ホイットニー准将には、その準備の煩雑さは容易に想像できた。当時は、まだナチス・ドイツ戦 犯をさばく国際軍事裁判条例も公表されておらす、戦争犯罪、とくにソープ准将が形容した " 政 治的戦争犯罪〃については、それがどのような内容のものか、マッカーサー元帥にも具体的には 見当がっかなかったはずである。 そして、裁判の仕事は、いずれは専門家たちが来日して実施する。おそらく早くても数カ月先 のことであり、現実には、マッカーサー元帥の前には三日後の降伏調印式をはじめ、日本国家の 変革という大作業が待機している。なぜ、戦犯問題をそんなに急ぐのか ? なにはともあれ、日 本軍の解体、非武装化が先決であろう と、ホイットニー准将は、厚木街道にならんだ日本兵 の姿を、あらためて想起しながら、元帥に説明を求めた。 マッカーサー元帥は、三月はじめ、ルーズベルト大統領顧問 丿ー・ホ。フキンズがマニラを訪 かど
ソ連側に没収された、と伝えられる。 草場中将の死は、被告たち、とくに軍人たちに不安を与えた。ソ連側が「一服盛った」という 噂が流れたが、これは無根であろう。非協力とわかった場合でも、ソ連に返せばすむ。殺す必要 はないはずだからである。虜囚として法廷に身をさらすことを恥じたか。故国での死を企図して いたのか。あるいは法廷での追及またはソ連側の圧迫を避けようとしたのか 、中将の死といし ソ連の手 草場中将の死をめぐるナゾは深いが、皇帝溥儀の " 狂態〃といし 中にある証人が示す異常は、そのまま、やがて開始されるソ連関係の展開の無気味さを予告して いるように思えるのである。 立 この時期になると、弁護団の活動も軌道にのり、検事側の準備についても、しばしば事前に情 対 の報を得ることができるようになった。重光元外相が、駐英大使時代の外務省宛電報が提出される ナという知らせをファーネス弁護人から聞いたのは、その一例である。 キ また、鈴木貞一元企画院総裁は、東郷元外相が供述書の中で、「鈴木、星野が戦争を主張し、 A 」 ・フ永野軍令部総長の真珠湾攻撃に鈴木が同意した。大東亜省は鈴木、及川 ( 元海相 ) がつくった」 = などと述べていると聞き、散歩のさい、東郷元外相に問い訊している。 しかし、ことソ連側の立証準備にかんしては、かすかな気配さえも、かぎとれなかった。草場 章 七中将の死は、被告と同時に、弁護団にも漠然とした不吉感を与えた。清瀬弁護人は、とくにソ連 側の用意探知に嗅覚を働かせたが、効果はなかった。 255
た。元帥にたいして指示された米国政府の対日「基本方針」にも、占領目的の達成に役立っ限り、 最高司令官は「天皇を含む日本政府機関および諸機関を通じてその権力を行使してよい」と規定 されていたからである。ところが、東久邇宮内閣は、「国民総懺悔」を強調する以外には、根本 的改革をともなう政策は、なにひとっ実行していない。荒廃した国土、食糧難、住宅難、敗戦シ ョック、困難な外地将兵の復員業務など、どんな計画でもおいそれと実行し難い事情であること はわかるが、むしろ、だからこそ、旧習にとらわれない思いきった政治が要求されるはずである。 「閣下がご指摘のとおり、日本側には敗北の認識がたりない。 まるで、われわれをたんなるゲス トとして迎えているような気配がみえます」 「そのとおりだ、コ 1 ト。私たちは客ではない、主人なのだー マッカーサー元帥は、翌九日、対日管理方針を声明する、とホイットニー准将に伝えると、次 にソー。フ准将を呼んだ。ソー。フ准将の顔を見ると、元帥は立ちあがって窓をあけた。近くのビル にひびく激しい女性の嬌声と米兵の笑い声、ロ笛が聞えてきた。元帥は准将に説明を要求した。 そのビルの二階には、八十人の日本人 " 特殊〃女性がいた。マッカーサー司令部から日本政府に たいして、「必要なすべての設備」を提供せよと指示したとき、日本側係官は、「必要な設備」の 中にはこの種女性も含まれると解釈したためで、いまや、ひまな警備任務を担当する第十一空挺 師団の兵士と親密な友好関係を結んでいる : 元帥は、命令した。「日没までにその女どもを町から追っぱらえ」
まえがき 第一章東条の自決 元弁護士ホイットニー准将トウジョウを逮捕せよ東条大 いらたっマッカーサー 将の覚悟 " 首の座。に坐るのは誰か 元帥記者東条元首相に会見「ひと思いに死にたかっ た」東条大将の遺書 第一一章戦争犯罪の定義 揺ぐ終戦処理内閣「元帥は天皇に来いといっているのだ . 人柄の勝利幣原内閣の誕生三つの戦争犯罪紛料する 戦争犯罪の定義「法廷にはスモウ場を用意しましよう」ウ ィリアムズ中佐の進言急。ヒッチの開廷準備近衛公爵の不 安と希望梨本宮逮捕さるキーナン主席検事到着す近 衛公自決す 第三章起訴状の伝達 冷たいすきま風スガモ・プリズン昭和二十一年元旦 戦犯の表情—テクニックでやれ「木戸日記」の登場 目次 -6 2
見境なく、あたかも日本人の代名詞と理解してか、「ヘイ、トウジョウ、ウ = イク・アツ。フ ( 起 きろ ) 」とロ笛まじりに叫ぶ者もいた。 戦犯の表情 おかげで、一月中旬ごろの巣鴨には、意外な安逸感がただよいはじめていた。 裁判については、いぜんとして法廷開催日も、場所も、手続きも、すべて未発表である。裁判 がおこなわれることは、事前準備である検事の予審が開始された事実から理解できる。しかし、 予審をうける者は至って少ないこと、厚遇とはいえないにしても冷遇ではなさそうな待遇をうけ ていること、木戸侯爵らの入所いらい戦犯指名はないこと、などを考え合せると、裁判は案外に 形式的なものに終るか、実施されても極刑は東条大将以外にはないのではないか、といった臆測 が生れた。 達裁判の内容にかんする情報が皆無に近かったほか、予審にあたる検事も一様に丁重かっ無知と のしか思えなかった。たとえば、元朝鮮総督小磯国昭陸軍大将の場合 訴 小磯大将にたいしては、主に満州問題についての質問がおこなわれたが、ある日、検事は興奮 起 した様子で、いった。 三「将軍、貴下は " 朝鮮のトラ〃と呼ばれている。トラは最も侵略的な動物た。率直にその理由を お答え願いたい」
「戦争を起したのが犯罪だといっても、これは国家としての責任でしよう。それを個人の責任と して関係者を処罰するのは、従来の国際法では考えられぬ。強いてやるのは、国際法の退化にな りましよう」 「そのとおりですなア。国内法で戦争責任を問うのなら、まだわかるが、国際裁判で、しかも戦 勝国が敗戦国の責任者を裁くというのは、法律的にはバカげた話になりますよ」 と、至って常識的な会話をかわすたけであった。 近衛公爵の不安と希望 ところで、 九月十一日の東条大将ら第一次戦犯指名から、約二カ月が経過し、その後も、戦争法規違反の ひたりと中絶したままであっ 軍人、軍属の逮捕はつづいているが、いわゆる " 大物〃の指名は、。 定た。したがって、畑元帥のように大将級の陸海軍人は指名を予感していたであろうが、そのほか の人々の中では、のちに指名された人々を含めて、指名必至と覚悟していた者は少なかったにち 争がいない。おそらく、その少数の中で最も身にせまる黒雲を意識していたのは、公爵近衛文麿で あった。 一一近衛文麿は、首相を三期っとめたが、その時期は支那事変から太平洋戦争直前にまで及ぶ。太 平洋戦争の火ぶたをきった責任は問われないが、連合国がいうそのための共同謀議、計画、準備
「良好」 : といった調子で、結局、互いに マッカーサー元帥もソ連式に答え、またもや座はしらけた : 会話のための努力はしたが、成功することなく、会見は終了した。 「ありゃあ、百姓将軍だ。強情そうだが、それ以上の取柄はないらしい」と、マッカーサー元帥 は、ソ連人が消えると副官に感想を述べたが、ソ連代表団はたしかに強情であった。 ゴルンスキー検事は、キーナン検事に会って、用意された第一回裁判の容疑者リストを眺める と、そのうえに手をのせていった。 「われわれは、われわれ自身で被告を訊問し、出廷の栄誉を与える者を選択するつもりですー 「ホワット ( なんですと ) キーナン検事は、仰天した。 とマッカーサ 起訴状の準備は完了し、その伝達は四月一一十九日の天長節 ( 天皇誕生日 ) がよい、 達ー元帥の許可を得ている。元帥は、その一週間前に、起訴状にサインする予定である。それなの のに、ソ連検事団があらためて容疑者を審問し、被告の選別までやられては、裁判開始はまたもや 諏大幅に遅延してしまう。 とんでもない と、キーナン検事は、もともと赤い顔と頸を、興奮でさらに赤くさせながら、 三これまでの経過を述べ、これ以上はなにもやることはない、あるとすれば裁判を早めることだけ だ、と説いた。だが、ゴルンスキー検事は、無言で首をふって、出て行った。 】 09